荊の墓標 06

028

「約束が違う!」
 寝室に引きずり込まれながら、ロゼウスはシェリダンに対して怒鳴った。ロザリーからはすでに引き離されて、ロゼウスは血まみれのままシェリダンに腕を掴まれて帰って来た。
「陛下! 王妃様! そのお姿は!?」
 一人残されて留守を護っていたローラが、彼らの姿を見るなり仰天して針と糸を放り出す。それもそのはず、ロゼウスもシェリダンももはや誰のものとも知れぬ血にまみれ埃や木屑さえ纏い、全身が汚れきっている。
「すぐにお着替えを用意しますから、湯殿の方へ」
 王の寝室には専用の風呂がついている。ローゼンティアでは考えられないことだが、エヴェルシードでは普通らしい。そのおかげでロゼウスも今日まで女装がバレずに来ている。
 すでに湯が張り巡らされている風呂場に服のまま放り込まれて、ロゼウスはタイル貼りの床にへたり込んだ。シェリダンの胸倉に掴みかかる。
「どうして、ロザリーを」
「エチエンヌにやったことか? 別に約束を違えたわけではない。あれの身柄は私に託すとお前が承諾したんだ、ロゼウス。私が私のものを自分の部下にやって何が悪い」
 そう、この男は、ロゼウスの妹を自分の小姓に下賜、した。まるで物でも扱うように簡単に。
「ふざけるな! あんたがあの娘の身柄を管理すると言ったから俺は承諾したんだ! なのに」
「エチエンヌのどこが不満だ? 身分などとつまらぬことを言うなよ」
「そうじゃない! そうじゃない、けど……」
 思い出す。シェリダンを裏切ってローゼンティアのヴァンピルについての情報を隠していたのが発覚した際に、加えられた仕置きと言う名の拷問。嬉々としてロゼウスを嬲っていたあの顔だけは綺麗なお小姓が、妹をどんな酷い目に遭わせるかと考えればロゼウスは数時間前の自分の選択を呪いたくなる。
「ロザリー……」
「それより、ロゼ」
「なん……ぷあっ!」
 いきなり顔面に水をかけられた。いや、正確には水ではなくて、お湯だ。湯桶に張られた丁度よい暖かさの湯。全身が濡れ、ドレスに染み込んだ血がじわじわと溶け出して赤い流れを排水溝に向かって描く。
「とっととその汚れた体を洗い流せ。次に移れん」
「次? 今度は一体何をする気だよ、あんた」
「決まっている」
 シェリダンは自らも湯を被り髪を濡らし、重たい上着を脱ぎ捨てながら事も無げに告げた。
「やらせろ」
「……は?」
「私はお前たち兄妹のせいで今非常に気分が悪い。両手の指を一本ずつ斬りおとされたくなかったら大人しく抱かれろ」
 男の攻撃本能は性欲と結びついているというのは、一般の俗説だ。
「や、るって、こんな昼間から」
「昼間だろうと朝だろうと関係あるか。寝台で飽きたと言うならここでやってやるぞ」
 気だるげに、確かに普段より幾分低い声で不機嫌そうにこちらを睨んだシェリダンは苛立ちをその瞳に湛えている。
 その指がつと持ち上がり、お湯に濡れて肌へと張り付いたドレスの胸元へと触れた。透けた布地に浮かびあがった乳首を刺激する。
「あ、はぁっ……ふ」
 ロゼウスは抵抗らしい抵抗すらする気にならずシェリダンに体の節々を弄ばれながら、小さく喘ぐ。
「相変わらず感度の良い、いやらしい体だな」
 その様子に満足を覚えたのか、シェリダンがようやく口の端を吊り上げる。ロゼウスの濡れたドレスをもどかしげに脱が、自らも服を脱いだ。床に置いてあった石鹸箱からロゼウスの知らない、何かとてもいい香りのする石鹸を取り出して泡立てる。それでまずロゼウスの全身を洗う。
 石鹸の泡でぬるつくシェリダンの指に全身を撫でられて、ロゼウスはたまらなくなる。呆気なく快楽に流されて、もっととせがみそうになった。彼はロゼウスの髪を湯で流しながら、耳元で低く囁く。
「もう少し待て、後で存分に可愛がってやる」
 流れた血液を放置しておくのは感染症の元だ。だから、汚れた体はさっさと洗い流してしまい、着ていた服もできる限り血を洗い流し、それでも染みは残るだろうから捨てるのだという。
 ロゼウスは全身くまなくシェリダンの手で洗われて、湯桶から立ち上る熱気にのぼせて半ばぼんやりとした頭で自分の体に取り掛かるシェリダンを見ていた。タイルの壁に背を預け、ロゼウスの方に背を向けるシェリダンの背中を見る。
「――え?」
 傷だらけの背中。
「ああ、これか」
 一ヶ月以上、毎日のように肌を合わせその裸を見ていたにもかかわらず、全く気づかなかった。そう言えばロゼウスは服を着ている時以外では、シェリダンを後ろから見たことがないのだ。
「鞭の、痕?」
「ああ」
 傷痕からそうと知れた。しかも、一度や二度打たれただけのものではなく、その滑らかな肌を無粋に侵すように残された傷は深く穿たれてもう一生治りそうになかった。
「どうして」
「……お前は気にしなくていい」
 夜の闇の中でもヴァンピルの視界は鮮やかだ。ロゼウスはシェリダンの背中は知らないが、胸なら何度でも見ている。この年頃の少年らしく少しだけ薄い、たくましくはないが華奢でもない均整の取れた体つき。その滑らかな胸。なのにどうしてその反対側は見るも無残な傷だらけなのか。これはまるで。
 全身を洗い終えてさっぱりとしたシェリダンがロゼウスの腰を抱いて、湯船へと向かう。
「虐待」
 暖かいお湯に浸かりながら、一度だけ呟いた。シェリダンが眉を揺らし。
「お前は違うのか?」
「え?」
 ロゼウスの腕を掴む。揺れる透明なお湯には幾つもの花の花弁が散り浮かべられていた。シェリダンは裸の胸をロゼウスの背中に寄せる。舌を伸ばして、耳を軽く噛む。ヴァンピル特有の尖った耳。幼い頃は、ただの人間はどうして耳が丸いのか不思議だった。
「あん……」
「お前だってされていたのではないか、虐待?」
 兄に抱かれた弟ならば。
「俺は、兄上が好きだ。それにヴァンピルの傷は魔力さえ足りていればすぐに治るから……」
 遊びのように軽く鞭打たれたこともあるが、今では全て消えている。ロゼウスの耳から、今度は背中を舐めていたシェリダンが。

「だから、お前のような者は嫌いなんだ」
 忌々しげに、舌打ちをした。

 ◆◆◆◆◆

「聞いてよローラ!」
「きゃっ、どうしたの、エチエンヌ?」
 王の寝室に駆け込む。洋裁途中の姉に抱きつき、エチエンヌは開口一番そう言った。針を扱っている時に危ないといえば危ないのだが、何事においても器用なローラが自分の指を刺すような真似をするはずがない。
「あのローゼンティアの第四王女がね!」
「ロザリー様? どうかしたの?」
 双子の姉はエチエンヌの苦労など微塵も知らず、愛らしい様子で小首を傾げた。エチエンヌは思わず、その唇に口づける。姉の体に思い切り抱きついて憂さを晴らすために、その服を脱がせようとした。今ならローラの旦那さんであるリチャードさんもいないことだし。
「首尾はどうだったんだ、エチエンヌ」
 と、思ったらいつの間にか背後にシェリダンが来ていた。エチエンヌの行動を見て呆れたように腕を組む。ローラがあらわになった肩と肌蹴た胸を特段恥ずかしがる様子もなく冷静に仕舞った。
「首尾というと、ロザリー様とエチエンヌの?」
「当たり前だ。まがりなりにも『妻』という名目で与えたものだ。不具合があったらなんなりと言え」
「……不具合も何も」
 まだ不具合があるのかどうかもわからないような状態です。
 エチエンヌは唇を尖らせて、シェリダンに報告する。
「駄目でした。あれは。まだ何もやっていません」
「まだ? 珍しいな。お前が手をつけないなど」
 唯一にして絶対の主であるシェリダンのご命令とならば、何でもやるというのがエチエンヌの信念だ。その通りに王妃の名を冠する少年まで犯したというのに、今回は……。
 思わず溜め息が出てしまう。
「実は……」
 話は、昨日のことへと遡る。

 ◆◆◆◆◆

 シェリダンの母方の叔父が経営しているという王都下町の酒場に向かうというのでついていったエチエンヌたちは、それはもう大変な目にあった。
 一体どういった経緯でそうなったのか、その酒場にはロゼウスの妹がいた。第四王女ロザリー=テトリア=ローゼンティア。ロゼウスとハデスが一体どういった手段であの酒場までやって来たのかは謎だが、帰りは馬車の定員が二名ほど増えてしまったのでエチエンヌは御者台のリチャードと一緒に座っていた。だもので直接聞いたわけではないが、そちらもすし詰め状態であるところをロゼウスがロザリーを無理矢理膝の上に乗せて場所を詰めるという方法でなんとか五人乗った馬車の中で、シェリダンがロゼウスから聞いた第四王女についての基本情報を纏めると。
 第四王子ロゼウスと第四王女ロザリーは一番仲が良い。(というかあの王女の場合兄に対して異常ななつきようだ)
 ロザリーは国で上位三十人以内に入るだろう格闘の達人らしい。(あの怪力ならそれも頷ける)
 さらに、成長すれば国内で五指に入る腕前になるだろうとも言われている。(どれだけ強いお姫様だよ)
 ヴァンピルは長い間血を吸わないでいると、生命維持本能のため普段は制御している力の均衡が崩れ、とてつもなく凶暴で獰猛になり、身体能力も飛躍的に上がる。(彼らが運悪く出会った状態がこれ)
 気性が激しいのでたぶん一族の中で一番仇敵のシェリダンを恨んでいる。(ロゼウスの推測だというが多分間違ってない)
 エチエンヌたちにわかるのはこのぐらいだ。とにかく彼女の第四王女であると言う身分と、すぐ上の兄であるロゼウスと外見が双子のようにそっくりだということ。恐ろしく強いこと。ロゼウスになついていること。シェリダンを恨んでいること。
 傷はロゼウスが血を送り込んだことによってなんとか塞がったらしいが、彼らとやりあって激しい戦闘を繰り広げたロザリー王女の様子はそれはもうみすぼらしいものだった。顔立ちはロゼウスに似てるのだからさぞや美しいかと思いきや、髪はぐしゃぐしゃに乱れて鳥の巣のようだし、目はエチエンヌのナイフが刺さった時に飛び散った血で瞼が傷つき、顔面中が真っ赤である。安っぽい庶民の服とエプロンは汚れに汚れ、体中血と埃と壁を破った時の木屑にまみれている。
 とにかくその様子をなんとかしろと、命じられて彼女を風呂に入れたのはエチエンヌとリチャードだ。皇帝の弟である最大級の客人ハデスにそんなことをさせるわけにはいかないし(本人楽しんでやりそうだけど。牢獄の番人もノリノリでやってたし)、ローラは帰り着くなりさっさとロゼウスの手を引っ張って行ってしまったシェリダンの湯の世話をするのに忙しかった。
 別にエチエンヌだってリチャードだって女の裸を見慣れていないというわけでもないし、傷こそハデスに治してもらったが怪我をしたときに血に濡れてぼろぼろになった自分たちの湯浴みと身支度をするついでに預かった第四王女の湯浴みを手伝ったまでだ。
 ロザリー王女は途中で起きたようだが、まだ夢心地だったのか常にぼんやりとしていた。彼らはその体をローラとは随分違うな、なんて思いつつ洗い流しながら。
「……げ」
 汚れを全て洗い流した第四王女は確かに絶世の美少女だった。さらに付け加えるならば、兄であるロゼウス王子にそっくりだった。顔は全く同じで髪の長さが違う。ロゼウスの髪は肩に届かぬほど短いが、ロザリーの髪は腰まである。
ぐしゃぐしゃに乱れて鳥の巣のようになっていた白銀の髪は、湯ですすぐと全世界の癖毛に悩む淑女が羨むような真っ直ぐな絹糸のごとき髪へと戻った。水滴を弾く瑞々しい肌、ローラは姉ながら胸がないので比較していいのかわからないが、柔らかな適度な大きさの胸。華奢な手足と腰のくびれ。細い喉首、滑らかな鎖骨。
 瞳が閉じられているのが惜しいような絶世の美貌を持つ少女は、まさに完璧な容貌肢体をしていた。
 そんなわけで軽く磨いただけできらきらしいばかりの美貌を明らかにした第四王女だが、エチエンヌにとっては困ったことが一つある。それは。
『その娘はお前の《妻》にしろ、エチエンヌ』
『……は?』
 下賜、と言うことだ。国王からの賜り物。命を救う代わりに奴隷にするとロゼウスが認めた以上この王女の身柄はシェリダンのものだ。それをどうしようと確かにシェリダンの勝手で、しかもエチエンヌにくれるというのだが。
『要りませんよ!!』
 即行で拒否らせていただいた。
『何故だ? 気性はともかく、外見は美しいだろう?』
 シェリダンは笑いながら言った。明らかに楽しんでいる。いいえ、陛下……伴侶選びは慎重に。ご利用は計画的に。性格は大事だと思います。
 とは言うが、実はこのパターンは前にもあった。エチエンヌたちがシェリダンのものとなった五年前のことだ。シェリダンの命で、ローラは侍従のリチャードに与えられた。まだ十歳の少女を、二十二歳の男の妻にしたことを考えれば十五のエチエンヌと十六歳の王女であればさほど違和感はないのかもしれない……けれど。
『謹んでお断りしたいのですが』
『駄目だ』
 再三頼んでも聞き入れてくれなさそうなシェリダンの様子に、エチエンヌが溜め息をつきかけたその時。
 シェリダンはエチエンヌの耳元に唇を寄せて囁いた。
『妻と言うのは単なる名目だ。エチエンヌ』
『と、言うと』
『あのじゃじゃ馬をお前が調教しろ、エチエンヌ。素直で従順な人形へと。……できるだろう』
 かつてあなたが僕たちにしたように?
『……わかりました。けれど、一筋縄には行かないと思うんですが』
『時間には余裕があるだろう。ロゼウスの話では、見た目は治りきったように見える傷でも回復にはまだ時間がかかるらしい。その間にものにしろ。あの娘がいれば、それを人質にまたロゼウスを揺することが可能だ。せいぜいローゼンティアの内情を聞きだすぞ。そして私のもとにロゼウスがいる限り、あの娘も簡単には逆らえないだろう』
 ロゼウスのことは国民を人質にとっているとは言っても、いまいち確実性や視覚的なインパクトは弱い。実際に何かあったときにどこまでこちらが行動に移せるか問題もある。だが、妹を人質に取れば、こちらにもあちらにもわかりやすく脅すことができる。
『わかりました。やってみます』
 エチエンヌの受諾の声を聞いて、シェリダンは耳元に唇を寄せたまま、また小さく笑った。
『それにお前も、ローラとばかりでは目新しさがないだろう。せいぜい新しいモノで楽しめ』
 シェリダンはエチエンヌとローラのことに気づいている。
 けれど陛下、僕が最近欲求不満なのは、以前のようにあなたが構ってくださらないからですよ。
 ロゼウスが来てから、あなたはあの男ばかりを相手にして。
『…………ありがたいお言葉』
 そう答えるしかない。遊ばれているとはわかっているけれど、エチエンヌはどうやったってしがないあの人の奴隷。
 二人がかりで湯浴みを終えて、王女を着替えさせる。ドレス姿になると、一層ロゼウスを見ているようだった。しかもこちらの方が完璧だ。当たり前だがロゼウスには胸がないので、肩から胸元にかけて覆うパーツのある衣装でいつもその辺りを誤魔化している。しかしこの豊満な体を持つ少女にはその必要がない。
 エチエンヌはこの少女を好きにしていいと言われた。考えてみれば儲けものではないか。王妃であるロゼウスには直接手出しはできないが、シェリダンから下賜されたこれになら、エチエンヌは堂々と何でもすることができる。恨めしいロゼウス相手の鬱憤を、ロザリーに向けて八つ当たりできる。同じ顔の兄の代わりにこの美しい少女を思う存分踏みにじれば、少しは胸がすくだろうか。
 だがそれは妄想の段階で終ってしまった。
「ロザリー」
 名を呼びながら口づける。口づけで目覚めるなんて物語のお姫様のようだが、ヴァンピルとは謎だ。どうしてそうなるのかよくわからないがそうらしい。
『ロ、ゼ……兄様』
 最初の一言もロゼウスのことだった。エチエンヌはムっとして簡単に現状と自分の立場を彼女に説明した。そうして。
『ぶわっ!』
 枕が飛んできた。ふわふわだけど結構大きくて重さもある寝台の。両手は手錠でがっちり固定してあるから、手首の一部の力だけで投げたのか。
『冗談じゃないわよ!! どうして私があんたなんかと! 大体あんた幾つよこのガキ! 色気づくなんて百年早いのよ!!』
 思いっきり拒否られた。いや、エチエンヌも初めはそうだったのだから当然の反応と言えば当然なのだが。
 でもやっぱりムカツク。
『ガキとはなんだガキとは! 僕はもう十五歳だ!』
『十五!? 嘘つくんじゃないわよ! あんたなんかどう見ても末の弟のウィルと同じぐらいじゃない! その外見でミカエラと同じ歳なんて笑わせるんじゃないわよ!!』
 本当に十五歳だってば! エチエンヌとローラは幼い頃の奴隷生活の影響で、実際の年齢より発育が遅く、いまだに子どものような体型をしている。
『ああもううるさい! つべこべ言わずに大人しく僕に抱かれろって!』
『嫌よ! 絶対嫌! あんたなんかに触られるくらいなら犬とするほうがマシよ!』
『そこまで言うか!』
 結局その攻防は一晩中続き、エチエンヌは寝不足で疲れ切ったままローラの元へ駆け込むことになった。あの女、どこが弱ってるだって? 手錠で両手を固定されてるのに一晩中どうにか僕に抵抗したんだぞ?
「シェリダン様、僕、もう自信ないです」
「…………」
 あの王女はたぶん兄ロゼウスより百倍強い。