荊の墓標 07

第3章 双子人形(1)

033

 愛している、愛している、愛している。誰よりも。
「ローラ。私の愛しい人よ」
「……鬱陶しいわね」
 五年前より主君より下された妻を組み敷きながら口を開けば、一言目でまずそう罵られた。この後彼女の決して豊富とは言えない言語辞書から、語彙の限りを尽くされた罵倒を聞く羽目になる。罵倒と言ってももはやローラのそれは諦めの境地に近く、淡々と愛らしい唇から不似合いな毒を漏らしていくばかりだ。
 少女の幼い肢体に手を伸ばし、リチャードは背徳の喜びに酔いしれる。リチャード=ハンバート=リヒベルク。今年で二十七になる。主であるエヴェルシード国王シェリダンとは十歳違い、妻であるローラとは十二歳違う。腕の中の愛しい少女はまだたったの十五歳だ。
「愛している」
「さっさとしてよ。あんたに抱かれるなんて気持ちが悪い。吐き気がする」
 懲りずに耳元で囁けばまた強烈な罵詈を喰らう。けれど、その舌鋒鋭いところも好きだ。結局自分はこの少女にのめりこんでいるのだろう。
 八年ほど前、リチャードの実家であるリヒベルク家は堕落した。長男の不祥事のせいだった。次男であるリチャードはその兄の罪を着せられ、危うく投獄されるところだった。しかしその時、運よくシェリダンと出会い、彼によって救われた。それから紆余曲折を経て家は没落、リチャードはシェリダンの側仕えとなり、王城に住むことになった。
 この一室はその時に与えられた部屋だが、侍従用の部屋とは言っても下級貴族だったリチャードにとっては、驚くほどの面積がある。後にローラをシェリダンの命令で妻としたとき、どうせなら面倒は少ない方がいいと彼女をそのままリチャードの部屋に住まわせることになった。いわば、夫婦の同室であり寝室だ。ローラがどう思っているのかは全く無視した話だが。
 寝台に軽く縫いとめた少女に口づけを落す。白い肌に鮮やかな赤い花を咲かせるように、胸元を痣で埋めた。
 金色の髪に緑色の瞳のシルヴァーニ人。ローラとその弟であるエチエンヌはエヴェルシードの民ではない。他国から攫われてきた玩具奴隷だった。暇を持て余した貴族の間で一時期流行した忌むべき習慣である。貴族たちの間の隠語として「愛玩人形」と言われていた。
 人形。
 美しく愛らしい人形。
 こんなことを言ってはいけないのだろうが、リチャードは彼女たちを見るたびに確かにそう思う。「双子人形」と呼ばれる二人。ローラとエチエンヌ。蒼い髪に橙色の瞳のエヴェルシード人の中で、その華やかな金髪と緑色の瞳は酷く目立つのだ。着飾って並び立つところは硝子ケースに飾って置きたくなる陶器人形そのものだった。
 けれど彼女たちが流す涙は間違いなく、人の熱の温かみを帯びた命ある者のそれで。
 リチャードは一目で心を奪われた。その時の状況が状況だったからかもしれない。敵意満々の視線で睨み付けて来る弟よりも、呆然と虚ろな瞳に涙を浮かべて……
 あの時のことは一生忘れられないと思う。
 あの時のことを一生忘れたくないと願う。
「愛している……」
 囁くと共に、そのほとんど平らな胸へ指先を伸ばした。実年齢は十五歳ほどであるローラは、貴族の奴隷生活の中で麻薬を打たれ、その後遺症で体の成長が酷く遅かった。同時に身体組織の組成も脆く脆弱な身体だったのだが、そちらの方はシェリダンが暗殺者として仕立て上げることを口実に……いや、それも嘘ではないのだろう。だがその中途で常人以上に身体が丈夫になるよう鍛え上げた。骨や筋肉は成人男性のリチャードよりよっぽど丈夫になるように。だが成長の遅さはどうしようもない。いくら脆弱な身体を鍛えるためとは言っても、先に筋肉をつけてしまった身体では、もうそれほど身長も伸びないだろうし。
 今のローラとエチエンヌの姿は十二歳前後と言ったところだ。したがって、ろくに大人の身体をしていない。それでも指先で開いた箇所は大分使い込まれている。
「あ……は……」
 リチャードと身体を重ねてもローラが自分から艶めいた声を聞かせる事はない。刺激に耐え切れずついつい喘ぎが零れる事はあっても、肌を合わせた相手を情欲に誘うような声をあげはしない。これは彼女が忌避する行為。
 貴族間に流行した玩具奴隷とは、平たく言ってしまえば性奴隷のことだ。エヴェルシードは炎の国とも呼ばれるほど攻撃的な性情を持つ者の多い国。そのような国では、当然日常の些細なことにもその人間の攻撃性は影響する。特に男性にとって、性欲と攻撃本能は紙一重だ。普段は紳士の仮面を被っていても、閨の内で行動が荒々しくなる男などいくらでもいる。
 ローラとエチエンヌの二人を捕らえていた貴族の男は、特にそういった苛烈な噂の耐えない問題の人物であった。リチャードと同じ歳ではあるが、身分は段違いである。しかし彼はすでに二十歳の頃に問題を起こして公爵家から伯爵家に降格され、その翌年にもある侯爵の嫡子に暴行未遂をしたと聞いている。
 彼はエヴェルシードとは縁遠いはずのシルヴァーニから密に買い上げた奴隷の二人を、思う様陵辱した。シェリダンたちがある事件をきっかけにそれを知ったのが五年前、ローラとエチエンヌがわずか十歳の時。しかしその時既に、二人は止むことのない虐待と陵辱の日々に疲れきっていた。
 シェリダンは優しい、と言う言葉とは程遠い人物だと思うがこの二人にとっては救い主でもある。二人はすぐにシェリダンに懐き、また歳の近い友人と言うもののほとんどいなかったシェリダンにとっても二人の存在は親しみやすかったようで、ローラとエチエンヌを側仕えにした。その際、ローラを下賜という形でリチャードに与えた。お前の妻とせよ、と。
 そしてリチャードは初めて会ったときからこの少女に魅せられていた。
 あの時、ローラは十歳、リチャードは二十二歳だった。十二も年上の成人した男に、陛下はあろうことか、幼いとすら言える少女を妻として渡した。その時シェリダン自身も十二歳ではあったのだが。臣下であるリチャードにはシェリダンの高貴な考えの深い部分などわかるわけもない。
 リチャードにわかるのはただ、彼の妻となったこの少女がその主であるシェリダンを想っていることだけだ。
 そしてリチャードが彼女を愛し、こうして身体を重ねることで、永遠に叶わない彼女の想いを余計に傷つけているということだけだ。
「うぁ……は、ああっ……ん」
 指で中を掻きまわされ、ローラが外見の幼さに似合わぬ艶めいた声を上げる。幼い頃から性的に虐待され続けたこの少女は、そう言った経験と反応は並みの大人以上だ。
「あぅ……つっ……」
 空いた片方の手で華奢な胸に飾りのようについた乳首を弄る。子どものまま身体の成長が緩やかな彼女は当然胸も未発達で、この年頃の少女にしては珍しいほど平らだ。
「あ、ああ、あ…………!」
 内股を濡らす粘液。リチャードは彼女の足を開かせ、自分のものを押し当てる。
「うあ、ああああ」
 華奢な肢体を蹂躙するごとく自身を中に埋めてリチャードは恍惚とする。相手を気遣うほどの余裕もなく腰を使い、絶頂へと達する。未成熟な女陰に精を吐き出して幾ばくもしないうちに、五月蝿いハエを追い払うような仕草でローラがリチャードを拒絶する。
 何度肌を合わせても、一向にリチャードに靡かない少女。彼を愛さない妻。リチャードを夫などとは死んでも認めないだろう、ローラ。
 誰よりも愛しい君。
 愛している、愛している、愛している。
 誰よりも君だけを。
 私自身よりも、君こそを。
「愛している」
 独り言のように呟いた声は掠れ、横たわり額に手を当てたローラが疲れきった胡乱げな眼差しでリチャードを見る。
「あんたなんか、嫌い」
 それでも、君が好きなんだ。

 ◆◆◆◆◆

「犯せ」
 何を言われているのかわからない。
「犯せ」
 無情な命令は繰り返される。
 薄暗いと言えばいいのか、薄明るいと言えばいいのかわからない部屋に姉と二人、連れて来られた。エチエンヌはローラの手を握り、ローラもエチエンヌの手を握り返して、二人の恐怖を伝染させあいながら必死で佇んでいた。
 誰も助けてはくれない。
 僕らは、世界でただ二人きり。
 シルヴァーニは貧しい国だ。貧しい国のくせに、そこに生まれる民の容姿は麗しい。この二人もそうだ。姿形のそっくりな双子。同じ服を着ればあってなきような性別の差など無意味と化す。……だから彼らは、両親に売られた。ただでさえ貧しい国はその昨年の危機に打撃を受けた。その年こそ世界皇帝の温情で何とか物資を援助されて持ちこたえたが、ただでさえ頭の悪い顔だけの王が治める、皇帝の気配りさえなければとっくに滅んでいるような国だ。援助物資を保存することも思いつかず前年の援助を食いつぶし、次の年にまで名残を残した飢饉に国はひとたまりもなかった。その頃にはさすがに皇帝にも呆れられ、シルヴァーニは滅びを待つしかない国となった。
 それだけならよくあることだ。飢饉で国が倒れそうになることも、皇帝が一国を見放すことも、王が愚鈍なのも。 
 親が貧しさに負けて、食い扶持を減らすためにはした金で子どもを売ることも、よくあることだ。シルヴァーニの子どもは国内ではさほどの価値もないが、他国でなら高値で売れるとすでにその頃から聞いたことがあった。
 見目が良いからだ。
 売られた子どもたちは普通の奴隷がする辛い労働の代わりに、己の持つ全てを差し出させられる。性奴隷。玩具奴隷とも呼ばれるそれにするのだ。年齢など関係ない。暇をもてました貴族の変態どもは、むしろ買った子どもが幼ければ幼いほど、喜ぶ。子どもたちは身体も矜持もずたずたに引き裂かれ理性を手放し、やがては飽きて始末される。
 情報としては知っていたそんな目に、実際に遭うまではわからなかった。父母が自分たちを売ったと人買いの口から聞くまで、自分たちは愛されているのだとエチエンヌもローラも錯覚していたのだ。馬車の中で二人は、騒ぐと人買いたちに殴られることを気にして、小さくすすり泣いた。
 彼らが奴隷として売られたのは八歳の時。それから一年ほどは、国内の貴族の下で普通の労働をさせられていた。その貴族は見慣れた同国人などに興味がないのか、エチエンヌたちに玩具としての価値を認めないようだった。その頃はまだ良かった。ちょっとした粗相の度に折檻されて苦痛に喘いでも、まだ人間の暮らしだった。最下層の最低な暮らしだったけれど、まだ人間の暮らしだった。
 環境が変わったのは、一年後、その国内の貴族が自分たちを、別の国の貴族へと売り渡してから。
 シルヴァーニでは同国人の美しさなど見慣れているから、同国人はあまり興味を示さない。しかし、他国では違う。シルヴァーニは小国ながらも様々な国と隣接していて、それなりに珍しい種族とも交流があったからなまじ、それらでも満足しない。では娯楽を求めて下衆な貴族どもは何をするのか? というと、他の、普段は国交のない遠国とコレクションのトレードだ。その土地の名産を遠国に送るがごとく、奴隷同士を交換し合う。
 エチエンヌたちを最初に買った国内の貴族が、その時欲しかった遠国の人種は、エヴェルシード人。シルヴァーニ人は金髪に緑色の瞳が特徴だが、エヴェルシード人は蒼い髪に橙色の瞳を持つという。金髪だからか、線が細く色の薄い印象を与えるシルヴァーニ人と違って、エヴェルシード人の美貌は強烈だ。蒼い髪に、燃える炎のような橙色の瞳は、その色彩に一度触れた人間を虜にするほど印象深いのだという。噂では、国王が下町の美しい娘に一目惚れをして彼女を無理矢理妃にしたため、その娘から生まれた世にも美しい王子が跡継ぎだと言う、その国。
 その時はまだ、雲の上の話だと思っていた。
 所変われば人も変わる。確かに外見上はそうだろう。だが人の膿み腐った部分など、国が変わったぐらいでそうそう変わるものでもない。どこにだって下衆はいる。なのに何故高潔な騎士は何処にでもはいないのだろう。
 国内の貴族から、国外の貴族へとトレードされたエチエンヌとローラは、エヴェルシードへと送られた。彼らの元の雇い主より新たなエヴェルシードの主人の方が立場は上らしく、それまで顎でこき使っていた二人を、元の主人は丁寧に着飾らせて馬車を駆り、エヴェルシードへと送り届けた。トレードなのだからその後、エチエンヌたちの代わりの奴隷を引き取って帰ったはずだけれど、彼らはその新しい奴隷の顔を見てはいない。一生見なくてもいいと思っているし、実際見る事はないだろう。
 それよりも、新しい主人へと気をとられていた。
『これがその《人形姉弟》か』
 その人は前の主人よりもかなり若く、しかも美しかった。商談は主に手紙による連絡が主だったらしく、相手の顔を見たのは元の主人も、二人を送り届けた時が初めてだったのだろう。噂に聞く美貌のエヴェルシード人に、エチエンヌたちと一緒に呆気にとられていた。奴隷よりもあなたを連れて帰りたい、とそう蚊の鳴くような声であの男が口走るのを、彼らは聞いた。だがそんなことを正面きって言えば、脂ぎった中年親父など即座に首をはねられる事は理解していたらしい。
 元の主人は二人を置いて、エヴェルシード人の美しい娘と、労働用のたくましい男二人ほどを連れて帰ったらしい。その後の消息は知らない。
 聞く必要も、そんな余裕もなかった。
『噂に聞く《美》の民、シルヴァーニ人か。なるほど、美しいな』
 むしろそう言う彼のほうが美しいと思う魅惑的な顔で、彼はそう言った。まだ二十一歳の青年伯爵。望めばどんな美姫だって彼にときめかぬ者はいないだろうに、何故わざわざ玩具奴隷など買う必要があるのか。けれどその理由は、すぐに知れた。
『その服、似合わないな』
 エヴェルシードは大国にはまだ含まれないが、軍事国家として相当な力を持つ部類ではある。そのエヴェルシード人の感覚から言えば、弱小国シルヴァーニの下級貴族が着せた格好など襤褸程度にしか思えないのだろう。彼は容赦なく、エチエンヌとローラの服を剥ぎ取った。それまでの殴る蹴るの暴行とは種類の違う暴力に怯えて泣き叫ぶ二人の頬を軽くはたいて黙らせると、召し使いに命じてすぐに着替えさせた。エヴェルシードの最高レベルの衣装へと。
『美しいな』
 うっとりと瞳を細めながら、彼は着飾らせた二人を眺める。頬に軽く赤い痣を作ったものの、今まで手を触れるどころか見たこともないような高級な服を着せられて呆然とされるがままになっていた二人は、黙って彼の言葉を受けた。
『《人形姉弟》……か。それじゃいまいち興をそそらないな。しかも姉弟ではただの兄妹ととられて双子だと言う事が伝わりにくい。だがあまり長ったらしい呼称も面倒だな……ならば、これからお前たちは《双子人形》と呼ぶことにしよう』
 それはさっきまで適当に呼ばれていた呼称より、簡素でありながらさらに深い意味の込められた呼び名だった。今までの人形姉弟と言う名は人形じみたという二人への感想がそこに込められてはいても、まだエチエンヌたちを人間として見ている。けれど、この男が名づけた方は違う。
 双子人形。それは完璧に二人の外見だけを現す言葉。彼らの価値は双子であること、人形のように美しいこと、それだけだと男は告げた。
『さてと、では支度も整ったことだし、そろそろ楽しませてもらおうかな。そのために買ったのだし』
 エチエンヌとローラはその時まで、本当の意味で玩具奴隷と言う言葉をわかってはいなかった。
『あっ、いやっ、いやぁあああああああ!』
 さんざん抵抗するが軽く封じられ、男はエチエンヌを犯した。それでも後のことから考えれば十分手加減されていたのだろうが、何しろその時まで性交渉という言葉も知らず、それに関する知識もまったくない子どもだったのだ、エチエンヌもローラも。とにかく辛くて痛くて恥ずかしくて……だが、元は二束三文の奴隷をわざわざ高い金を出して買った男の責め苦がそこで終るわけはない。
 服を着たままエチエンヌの体を弄び犯しつくした男は、最後にエチエンヌに自分でのやり方を教えた。添えられた手で擦られて、まだ玩具のようでしかない自分のものをどうしようもなく反応させられながら、エチエンヌは今日一日であらゆる苦痛を味わい尽くしたような気持ちで、無心にそれを行った。
勃ちあがったそれのけれど射精を拒んで、男はエチエンヌの根元を握り締める。苦悶に喘ぐエチエンヌを余所に、彼はそれまで恐怖と混乱のあまり一言も口を聞けず、部屋の隅で震えていたローラを手招きした。表面上は優しい、けれど実際はこの上もなく残酷な笑顔で。
『犯せ』
 今、なんと言った?
『ローラを犯せ、エチエンヌ』
『――――っ!!』
 二人は示し合わせたように絶句し、その様子に男はますます笑みを深くする。嫌だと首を振ったが、男はそれを許さない。言葉巧みに脅しながら拳は使わず、段々とエチエンヌを追い詰める。殴られてもいないのにエチエンヌは恐怖に屈し脅迫に駆られ、ローラへと近付く。
『ねぇ、嘘でしょ? やめて、エチエンヌ』
 やめることはできなかった。
 エチエンヌは、自らの手で姉を犯し、その処女を奪った。
『さすがにまだ子どもの身体に挿入るには、私のものではキツすぎるからな』
 男はそんなことを言いながら笑っていた。そして行為を終え、放心状態と化したローラの性器を弄びながらこう尋ねた。
『ローラ、お前、月経は?』
『……え?』
『初潮はまだか、と聞いている』
 ……馴染みのない単語に一度は首を傾げ、ようやくその意味に思い至ったローラが小さく否定する。まだ、と。
 男はこの上なく残念そうな顔をした。
『なんだ』
 つまらなそうに言い捨てる。
『禁断の近親相姦の子を、見てみたかったのに』
 彼は最中の二人に指図し、手馴れていないエチエンヌに、ローラの中に直に出させた。それをなんとも思っていない顔つきだった。
 張り詰めた心の糸が切れる音が聞こえたのは、これが一番最初だ。限界を超えた心が叫ぶ。

「――――っ!!」

 自らの叫び声に飛び起きた。一瞬夢と現実がわからなくなって、頭を抱え込む。
「どうしたの?」
 隣で寝ていたロザリー、今はシェリダンの命によりエチエンヌの妻とされた姫が彼の背を支える。エチエンヌの大声にびっくりして起きてしまったようだ。
「なんでも、ない……」
 あのうなされ具合でそんな言い訳通じるはずがない。けれど彼女は何も言わず、エチエンヌが落ち着くまで、ただ優しく背を撫で続けた。人の育ちのよさが行動に現れるというのなら、間違いなく彼女は育ちの良い人間だろう。人ではないが。普段からエチエンヌとは喧嘩ばかりしているが、こんな時にそれを許せるのだから。
「昔の夢、見た、だけ……」
「そう」
 そう、あれはただの悪夢。
 永遠に忘れ去ることなどできない、ただの過去だ。
 その傷を抉ったのは、今日の昼間の、あの話が原因だとわかっていた。