荊の墓標 09

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 これこれこういうことです、と説明されても、クルスは言葉が出ない様子だった。
「あー、まあ、ある意味物凄く納得しました」
 代わり、というわけでもないのだろうが、言葉を返したのは彼の隣に座ったジュダだった。あれから一体何があったのかをまず彼とロゼウス二人の口から説明させ、それから主にシェリダンとリチャードによってロゼウスの方の事情も説明した。それを聞き終えての第一声がそれである。
「いくらお飾りの王妃とはいえ、陛下が女性を求めるなんて青天の霹靂だと思っていましたが……これで、納得ですよ。よくもそんな小細工が弄せましたね」
「……ローゼンティアはエヴェルシードと違って、王の血をひく兄妹が多く、そのほとんどは国外には詳細を知られていないからな。誤魔化してもバレないと思ったんだ」
 エチエンヌの隣でシェリダンの身勝手な言葉を聞くロザリーの肩が怒りとか怒りとか怒りとかそういうものによって小刻みに震えているのだが、……気づかないふりをしよう。
「で、王妃様。いえ」
「ロゼウス、だ」
「そう、ロゼウス王子でしたね。あなたはこの状況に納得してるんですか? 本当に?」
「……まだ生きている国民が俺の意地なんかで虐殺されるのは困るし、自害もガラじゃないから」
 ロゼウスの答えは微妙なものだった。シェリダンについては何も言わず、ただ自分が彼を拒絶することでローゼンティアの生き残って今は植民地奴隷とされている国民までもが皆殺しにされるのは困るから、と。そして自分は、男に抱かれる、それも自国を滅ぼした侵略者の王の慰み者にされる程度で自殺を選ぶほど高潔でも初々しくもないのだと。
「ふん」
 ジュダがどこか不満げに鼻をならす。その横で説明が始まった辺りからずっと青い顔をしたクルスが、重ねて問いかけた。
「でも……伯の言葉じゃないんですけど、本当にいいのですか? ロゼ王妃、いえ、ロゼウス王子殿下。だって、女装して妃って……そんなことしなくても、捕虜としての扱いなら別に……」
 言っているうちに自分でも嫌になってきたのか、婉曲な表現を用いる内にわけがわからなくなってきたのかその両方か、クルスは中途半端なところで語尾を濁した。
 たぶん彼はこう言いたいのだと思う。敗残国の人質としての扱いなら、わざわざ女の振りをしてまで正妃につけなくたって、ただの捕虜でいいじゃないか。取引がある以上、シェリダンがロゼウスを抱くこと自体は、それが王妃であろうと捕虜であろうと変わらないのだろう、と。
 なのに何故、よりによって《王妃》なのか。
 なにしろこれでエヴェルシードは外交の駒を一つ失ったも同然だ。国王その人の結婚、それも若くて美しく文武に優れ、ローゼンティアを呆気ないほどたやすく攻め滅ぼしたその手腕からも有能さが窺えるシェリダンの花嫁候補なら、どんな遠方の権力者の娘だってどんな富に恵まれなおかつ艶麗な美姫だって望み放題だろうに。
 シェリダンはさっさと侵略した国の、どうでもいいような姫(実際は王子だけど)を妻にしてしまった。しかも正妃だ。身分的にはふさわしいのかもしれないしこれから新たな妻を迎える際側室に格下げすると言うこともできるが、彼がロゼウス以外の相手を全く側におかなくなったことを、彼らは知っている。
「それは」
 言いよどんだシェリダンが、次の瞬間厳しい顔つきで突き放す。
「……お前たちには、関係ない」
 クルスが傷ついた顔をした。拒絶されたように感じたのだろう。だが本当は違うのだと、ロゼウスはシェリダンの苦渋の顔つきから知った。
 それはクルスを傷つけさせまいとする気遣いなのだろうが、その距離の遠さこそが彼を傷つける。
クルスはどこまで知っているのだろうか。さきほどの説明を聞いただけで、シェリダンとロゼウスの関係をどこまで正しく理解したのだろうか。そしてジュダは、どこまでを。
 エチエンヌは、自分はなんとなくシェリダンの気持ちをわかっているつもりでいた。日常のふとした瞬間に彼が見せる孤独と虚無感から、その追い求めているものが何なのか、知っているような気がしていた。しかしそれを正確にシェリダン本人の口から聞いたことはないし、ロゼウスを王妃にしたのだって、ただ単純に女避けでさらには彼をいたく気にいったから、だと思っていた。
ここまで女装の似合う男で、ちょっと誤魔化すだけでその身分が変わらず高いままの相手もそういないだろう。全てにおいてロゼウスはきっと都合が良かったのだろうな、と。
 しかし本当は何かそれ以上の意味があるみたいで。
 エチエンヌはそれを知らない。ローラもクルスも。ジュダとリチャードは気づいているかもしれないが、この二人にシェリダンが自分から言うとは思えない。
 彼の口からそれについてはっきり聞いただろう相手は、たぶんロゼウスだけ。その考えに辿り着いた途端、焼け付くような嫉妬が胸を焦がす。
「エチエンヌ?」
「え? あ、はい!」
 自分の思考に没頭している間に、話が一段落したらしい。ぼーっとしていたエチエンヌに、シェリダンの怪訝な声がかけられた。
「……もう部屋の準備も整っているだろうし、ロゼウスと共に一度部屋に戻れ」
「はい。かしこまりました」
 どこをどういう運びでそうなったのかうっかり聞き逃してしまったが、とりあえずはそういう話になったらしい。エチエンヌはロゼウスの前に立ち、指示された部屋へと案内するのだ。ちなみに今まで使っていたのは広いイスカリオット城の数ある応接室のうちの一つで、部屋の準備が整うとは、先程ジュダと大喧嘩をしてロゼウスが破壊しまくった部屋の代わりを用意したということ。
 そういえば、という調子で扉に手をかけながらロゼウスが部屋の中に言葉を残していく。
「確かに俺はローゼンティアの人質で、取引によってエヴェルシード王の慰み者となることも承諾したけれど」
 それを向ける相手は、夫に当るシェリダンではなく、この城の城主であるジュダ。
 先程の出来事は、吸血鬼の王妃に興味を持った伯爵がロゼウスにちょっかいをかけに来て押し倒すところまではいったのだけれど、そのあと本性を発揮したロゼウスの返り討ちにあってああいう状態になった、と聞いている。ジュダの性格からしても間違いないだろう。
 ロゼウスは自分を無理矢理犯そうとした男に対し、動じた様子もなく平然と目を合わせながら、吐き捨てる。
「わざわざ契約外の男の相手まで、ご丁寧にしてやる気はない。それが、自分以外の相手を想ってることが確実な相手ならなおさら」
 何かのあてこすりなのか、いっそ酷薄なくらい嫣然と笑ってロゼウスが告げた瞬間、ジュダが表情を歪める。
 笑みとも怒面とも見えないようなその顔は、今までにエチエンヌが見たことのない表情だ。シェリダンとクルスも微かに驚いているような素振りを見せる。ただ、リチャードだけは何かに気づいたように、多少口元を震わせた。
「じゃ、いこっかエチエンヌ」
「え、ああ……はい」
 ロゼウスに促されて、エチエンヌも廊下に出て扉を閉めた。嬉しくもないことに知り尽くした城内だから、使用人から軽く聞いただけで新しい部屋の場所がわかる。そのまましばし無言で廊下を歩き、部屋の扉を開けて、エチエンヌはロゼウスの背中を見送る。
 彼は破られた服も、とっくに新しいものに着替えている。それは今までのようにドレスではなくて、どうにも紛らわしいからと、あとは主にクルスの精神衛生のために、体格の似ている彼の服を借りて男物を着ている。王子なのに王妃。王子だけど王妃。今日一番不幸なのは、間違いなく性倒錯の世界という未知の扉を開いてしまった若き侯爵だ。
 約二ヶ月ぶりにまともに王子様らしい格好をしたロゼウスは、部屋まで送ったのだからもういいだろうと下がろうとしたエチエンヌを、指でちょいちょいと手招きした。不審に思いながらもそれに従って部屋の中へ足を踏み入れ、彼の正面の長椅子に腰を下ろした。そうしろ、と言外に言われているのがわかったので。
「何の用?」
「単に、話がしたかっただけ」
 シェリダンや人目のないところでまで、エチエンヌはロゼウスに気を遣ってやる気はない。長椅子に座った途端態度を変えた彼のことを気にもとめず、ロゼウスはろくでもないことを言った。この道楽者の第四王子め。
 ……まあ、いいや。エチエンヌもこいつに、ちょっと聞きたいことがあったし。
「話って何?」
「イスカリオット伯はシェリダンが好きなんだ」
 気を遣う気がないのは向こうも同じことで、前置きもなくいきなり本題に入ってきた。それも驚くべき話に。
「は?」
 思わず間抜けな声を上げてしまった。ロゼウスは無表情よりもタチ悪く、何を考えているのかわからないいつもの表情で淡々と告げる。
「シェリダンが好きだから、俺を殺したかったんだよ。お前に辛く当るのも、お前に執着があるわけじゃない。お前がシェリダンの寵愛を受けているからだ」
 今現在その主の寵愛を受けているはずの相手からそう言われて、エチエンヌの思考は停止した。
 確かにジュダはシェリダンに執着している。でも、それは美しいものが好きなあの青年にはありがちなことで、協力と引き換えにジュダがシェリダンと体を重ねていることも知っていた。
 だがそこに、そんな感情が介在するなんて考えたこともなかった。いや、エチエンヌの中では、ジュダ=イスカリオット伯爵というのは誰をも愛さないような人間だったから。でも。
「だから俺は、あの男にだけは抱かれてやらない」
 薄氷を割るようなロゼウスの声に我に帰る。
「俺を抱くことで、本当に愛しているはずのシェリダンに嫉妬させたいなんて奴に、抱かれてなんかやるもんか」
 その、全てを凍えさせるような冷たい眼差し。
「……一つ、聞きたいことがある」
 ヴァンピルとはえたいの知れない生き物だと今まで思っていた。魔族のことなんてよくわからない。だけれど、その考えはロザリーを知って氷解した。
 わからないのは、吸血鬼じゃない。魔物なんかじゃない。こいつだ。
 ロゼウス=ノスフェル=ローゼンティア。
 お前こそが、全ての謎なんだ。
「あの時、ローラのワイヤーは確実に急所を貫いていたはずだ。何故死なない? シェリダン様に一ヶ月前に刺されたときは死んだだろう?」
 目の前で見ていたのだからわかる。そしてずっと疑問だった。それに。
「シェリダン様以外の男の相手をする気がないなら、どうして、あの時、僕とリチャードさんには抱かれたんだ? あの時だってイスカリオット伯の時だって……本当は、シェリダン様とのことだって、嫌なら跳ね除けるだけの力が、いつだってお前にはあったんじゃないか?」
「質問、一つじゃないじゃないか」
「いいから、答えてよ」
 軽く睨むと、向こうが軽く肩をすくめた。
「最初の質問は、要は心構えが肝心、ってこと。ある程度受ける衝撃を予測していればその箇所に力を集中して耐える事ができる。予想もつかない不慮の衝撃には弱く、一時的に生命機能が停止する、これがヴァンピルの死」
 不意に受ける痛みにこそ、弱い。耐えられない。それは人間も同じだけれど、吸血鬼はさらにそのことに弱いらしい。そういえばローゼンティアは、目の前のロゼウスのように本来人間の何倍も丈夫な体と強い魔力を持っているくせにエヴェルシードの電光石火の猛攻に呆気なく負けたのだったと思い出す。
「後の方の質問は……まあ、イスカリオット伯はちょっと許容範囲外だけど、お前とかシェリダンに関してはそう……仕方がないかなっていう感じで」
「仕方がない?」
「お前は、俺が憎くて、痛めつけるためにシェリダンの命令に乗って俺を抱いたんだろう。イスカリオット伯は違う。俺を通して、シェリダンを、さらにシェリダンを通して、何かを見てるんだよあの男は。そんなのは御免だ」
 自分を見てもらえないならなんの意味もない、そう言い放つ。もしかしてこれが彼の傷なのか。
 眼前を何かが過ぎったと思う暇すらなく、鋭い爪が喉元に突きつけられている。
「お前を殺すのなんか、お前だろうとシェリダンだろうと、殺すのは本当は簡単なんだ」
 淡々とした、何の感情もこもっていない声音。だからこそ恐ろしい。
「でも、やらない。そんなことをしても何かの解決になるわけじゃないし、準備を十分にしない反乱は混乱を招くだけだと知っているから。だから、捕まっててやる」
 それは、いつかは逃げるという宣告なのか? 腕を引いたロゼウスの顔を見ながら、問いかけた。
「シェリダン様の事は?」
「ん?」
「陛下のことは、好きじゃないの?」
「……俺は、あいつを愛してなんか、ない。一生、好きにはならない」
「そんな」
 自分は何を言いたいのだろう。
 ロゼウスの言葉に、何を知りたいのだろう。
「そろそろ話すことも終わりだな」
 あっさりと言って、ロゼウスはエチエンヌを部屋から追い出そうとする。その服の裾を掴んで、一瞬だけ縋った。だけど続けられた言葉に、背筋が凍った。
「今日はもう、さよなら、可愛らしいお人形」
 あまりにも強い思いで、エチエンヌは自分自身をあの人に縛り付けて欲しかった。人形になりたがっていたのはエチエンヌの方で、ジュダやリチャードはそれに気づいていた。そしてこの男も。
 双子人形。エチエンヌもローラも、決してその呼称から逃れられない。だけど。
「心を持たないヴァンピルよりは、服従に徹した人形のほうがマシ」
 ロゼウスの眼が冷ややかになり、エチエンヌの手をやんわりと、けれど強い力で引き剥がした。扉の中と外で睨み合う。
「俺はたぶん、本当はお前もローラもリチャードもイスカリオット伯もユージーン候も、みんなみんな嫌いなんだと思う」
 そうか。それが、お前の、本当の本音なのか。
 嫌いだという相手にも平然と抱かれるこいつの真意なんて、これ以上一生知りたくない。あるいは本当に、ただの淫乱なのかもしれない。
「僕はやっぱり、お前なんか大嫌いだ」
 だからエチエンヌもこの男をずっとずっと、未来永劫嫌い続ける。

 ◆◆◆◆◆

「ま、とりあえず気が向いた時にでもまたいらしてくださいよ、陛下」
「もう二度と御免だ。ついでにお前はもう二度とロゼウスに近付くな」
「おや、嫉妬ですか? 可愛らしいですね。さすが思春期真っ最中の若者」
 からかうつもりでジュダが投げた言葉に、シェリダンは本気で顔を赤らめて言葉が出ない様子だった。ようやく自分を取り戻して何か否定の言葉を口にしようとしたようだが、もう遅い。
「はいはい。惚気はそこまでにして、そろそろ王城に戻らないと、バイロン宰相閣下が過保護のあまり軍隊引き連れてやってきてしまいますよ」
「…………お前が招待してきたんだろうが」
 何か言いたい事がいろいろあるのに飲み込んだような顔で、シェリダンはジュダを睨み付けてくる。
 帰城が決まった国王陛下御一行様を城主として送り出し、ジュダは城の離れの塔へと昇った。高い高い塔、そのうんざりするほど長い階段を上りながら、なんとか心を落ち着けようとする。
 しかし全て見抜かれていたようだ。
「彼らは帰ったんだね。イスカリオット伯爵」
「ええ。ドラクル殿下」
 白い肌、白い髪、紅い瞳。弟によく似た容貌の青年が窓際に設置された長椅子に座り、窓枠に頬杖をついてこちらへと視線を向けてくる。まるで囚われの美姫のような風情だが、真実囚われているのは彼ではなく、ジュダの方だ。
「帰ったの? ロゼ様も……」
「ええ。そうですよカミラ殿下」
 その彼の隣に座っていた少女も、ジュダのほうへと顔を向けてすぐに俯いた。エヴェルシード国王妹殿下、カミラ=ウェスト=エヴェルシード。
 彼女のことについて、あの王子は何かいいたげにしていたが、結局は何も聞いてこなかった。あれ以来ジュダの行動を警戒してシェリダンが彼をあの少年王妃に一歩も近付かせなかったということもある。それにロゼウスの方でも、状況が状況だから白昼夢だとでも思っていたのか、あるいは……
「それで、我が弟はどのような様子だった?」
「それなんですけどね、王子殿下」
 シェリダンたちがイスカリオット城を訪れている間は、念のためにとこの塔は封鎖していたし、ジュダもここに関してはなんら特別である素振りを見せなかった。だから彼らの誰も、今回この塔にいた、もう一組の客人たちには気づいていないはずだ。
「弟ってこと、わかってたんならちゃんと教えておいてくださいよ」
「ロゼウスのこと? でも普通そんなこと言わないものだろう?」
「この場合は言うものです」
「そうか。それはすまなかったね」
 まったくすまないと思っていなさそうな口調で、滅んだはずの隣国の第一王子は告げる。その人の良い笑みは、むしろわざとらしくて恐ろしい。
「ところでおふた方、私に隠れてこそこそと王妃様にお会いになられたようですが、一体何のおつもりですか? 返答如何によっては、私も身の振り方を考えねばなりませんが」
「別に、兄として弟の顔を見たいと思っちゃいけないのかい?」
「時と場合と手段を考えてください。どうしてカミラ殿下まで」
「彼女が行きたいって言ったからね。ロゼウスにどうしても会いたかったんだってさ」
 ちらりとドラクルに流し目で見られて、カミラが頬を染める。
「……私はただ、ロゼ様の元気なお姿を一目拝見できれば嬉しいと言っただけです」
 この少女はあの男が好きなのだ。
 彼女の兄の妻であり、ジュダが憎んでやまない王妃ロゼウスのことを。
 もともとは、彼女の望みが達成されればジュダはシェリダンを手に入れられると、そうすればお互いに好都合程度に思っていた。だけれど今、実際にあの王妃と……ローゼンティア第四王子ロゼウスと言葉を交わして以来、胸の奥に抜けない棘を打ち込まれたような気がしている。
 ――あなたはシェリダンが好きなんだな。
 ――彼が好きだから、俺を側から引き離したいんだ。俺だけじゃない、ローラも、エチエンヌも。あんたがあの二人に執着するのは、二人がまだあんたの興味をひくからじゃない。自分の手を離れた玩具が、自分の好きな相手に可愛がられていることが気にいらないんだ。ユージーン候だって……
 黙れ。
 誰も気づかなかった、今まで万全に隠し通してきた気持ちを言い当てた。あれほど、理由をつけては肌を合わせたシェリダン自身にだって、知られていなかったのに。
 ――ねぇ、ジュダ。愛しいものは……ちゃんと縛りつけておかなければ駄目よ?
 そうしたいですよ、叔母上。私はあの日、あなたの墓の前で勝手に死んで幸せになれと言った王子をこの手に入れたい。そのためならどんなことでもすると決めた。
 どんなことでも。誰を踏みつけにしても。
「……王子殿下、それで、首尾は?」
「皇帝領との連絡なら、ちゃんととりあっているよ? ハデス卿が上手くやってくれている。こちらの国のバートリ公爵も、うちのところのカラーシュ伯も頑張っているようだ」
「計画は順調、ということですか」
「うん。それに、そろそろルースを動かそうと思ってね」
「妹君を?」
「ああ」
 ローゼンティアを侵略したエヴェルシード。滅ぼされた国と滅ぼした国。なのに、彼らはこうして向かい合い、誰にも知られてはいけない話を続けている。
 全てを知り尽くしているかのような王子の紅い瞳が一瞬脳裏を過ぎった。
 だがロゼウスが何もかもを知っているわけではない。その証拠に、彼は誰よりも自分に近しいはずの、兄の思惑を全く知らないではないか。
「ローゼンティアはもうすぐ我が手中に入る。次は、カミラ姫のためにエヴェルシードをもらおうか」
 弟王子とよく似た顔で、彼はその弟よりもいっそう邪悪に笑う。
 エヴェルシードを自分のために、と言われて、カミラが陰惨に微笑んだ。この姫君のロゼウスへの淡い恋心は、シェリダンへの憎しみと表裏一体となって高められている。エヴェルシードを奪う事は、王になるということは、彼女にとっては兄を追い落としロゼウスを奪うことにも繋がるのだ。
 そのためなら、一度は彼女を追い落とす手伝いをしたはずのジュダと再び手を組むこともできる。そのためなら、兄が滅ぼした国の王子と結ぶことだってできるのだろう。
「さあ、そろそろ始めよう。地獄の遊戯を。暗黒の宴を。拒否権はないんだよ。私にも、ロゼウスにも、シェリダン王にも。この世に生れ落ちたその瞬間から、私たちは咎人なのだから」
 一体何が彼をそんなに駆り立てるのか、その、暗い憎しみ。小国ではあるが一国の第一王子、それも正妃の息子であり、紛うことなく王太子として生を受けた彼の、人生の一体何処に不満があるというのか。
 だけれど、そんなことジュダにとってはどうでもいい。情報としては入手しておくべきだが、この王子の感情までジュダが辿る必要はない。
 ジュダもドラクルも、カミラも。
 ただ、自分の望むものを追い求めるだけだ。この足元にどれだけの屍の山を築き、幾億の人々を不幸に突き落とそうとも、自分だけは幸せになる。
 その先にあの美しい王妃がいるのなら、排除するだけだ。
「始めましょう。両殿下。私の名はジュダ。――裏切り」
 成長期を過ぎると老化が止まるヴァンピルの常によって、実年齢は自分と同い年でありながら幼い容姿の隣国の王子を見つめながら、ジュダは口元で微笑む。
 
 さあ、はじめましょう、陛下。そして、第四王子殿下。
 これは裏切り者たちの、世界と真実へ挑む反逆――

 《続く》