荊の墓標 10

051

 警備隊長のモリスまでもが簡単にやられたと聞いて、シェリダンはとりあえずリチャードとローラとエチエンヌだけを連れて正門まで降りた。
「で、だっ、ロゼウス!?」
 背後でエチエンヌが上ずった声でそう叫ぶのが聞こえた。本名で呼ぶと男である事がバレる……などと、今回は言っている場合ではないし、ほとんどの人間は聞いてもいないだろう。何しろエヴェルシードの兵士たちは、華奢な若い女一人に軒並み昏倒させられている。
「あなたがシェリダン王ですか」
 大の男を片手で宙吊りにしていたその女は、シェリダンの姿に気づくと兵士を離し、こちらへと振り返って微笑みかけた。
「私はローゼンティア第二王女、ルース。お見知りおきを」
 丁寧に腰を折るその姿に、シェリダンは思う。
 ……似ている。ロゼウスに。
 顔の造作だけを取り上げるのなら、そんなには似ていない。むしろそれならばロザリーの方が瓜二つだ。
 けれどルースというこの女、全体の雰囲気がロゼウスに似ている。仕草も声音も口調も全て違うのに、体から発する空気のようなものが同じだ。並べば一目で姉弟だとわかるだろう。
「能書きはいい。それより、何をしにきた」
「ここで立ち話をするのはご遠慮させていただきたいのですが。別に私は構いませんが、そちらに不利になるのではないかと」
 これだけのことをしておいていけしゃあしゃあと。確か第二王女は温厚な性格だと聞いていたのだが。
「……わかった、中へ通す」
「シェリダン様」
「リチャード、ロゼウスとロザリーを応接間に呼べ。エチエンヌはここの兵士たちを頼む。ローラは私と来い」
「か、かしこまりました」
「はい」
「お任せください」
 ローラ一人を護衛に残し、シェリダンはローゼンティア王女と名乗った女を連れて城の中へと戻る。
 ルースという女は何も言わず、優雅な立ち居振る舞いを崩さずに廊下を歩いてついてきた。
「ところでシェリダン様」
「何だ? ローラ」
 背後のヴァンピル王女を気にしながら、途中ローラが声をかけてくる。わざわざこんなところでこんな状況で無駄な話を彼女がするはずはない。見た目よりずっとしたたかなローラが、珍しく困ったような顔をしているのだ。何か気になって当然だ。
「……ロゼ様ってあの方の弟ですよね。エチエンヌに特別な指示出してませんけど。女装姿で会わせていいんですか?」
 …………しまった。

 しかし第二王女はまったく気にした様子を見せなかった。
「まあ、ロゼウス、ロザリー」
「ルース姉上!」
「お姉様!?」
 むしろ、彼女と顔を合わせた二人のほうが度肝を抜かれていた。
「ロゼウスがエヴェルシードの捕虜となっている話は聞いていたけれど、ロザリー、やっぱりあなたもここにいたのね」
「な、う、うるさいわね! 放っといてよ!」
「そんなことできるわけないでしょう」
 どうも妙なノリだと思うのはシェリダンだけだろうか。そもそも何故あの第二王女は弟の女装に突っ込まないのだろうか。
「何はともあれ、元気そうで良かったわ。ロゼウス」
「……姉上」
 ロゼウスの頭を子どもにするように撫で、ルースは彼を抱きしめる。大人しく姉にされるがままになっていたロゼウスは、自分より少し背の低い姉を見て、瞼を伏せた。
 以前ロゼウスに聞いたところによると確か、第二王女はロゼウスにとって、両親が同じ実の姉だという。最初に言葉を交わして以来、ロザリーには目もくれずルースはロゼウスだけを気にかける。
「俺、その……」
「だいたいのことはこちらでも調べているわ。気にしないでもいいのよ」
「でも……ローゼンティアが。父上たちが。だから俺はシェリダンに……」
「……気にしなくていいのよ。あなたはよくやっているわ」
 ロゼウスの瞳に涙が浮かぶ。シェリダンはどう声をかけていいのかわからない。
 彼の祖国を滅ぼし、その父を殺したのはシェリダンだからだ。エヴェルシード王であるシェリダンが全ての命令を下したのだから。
 本来ならロゼウスにとって、シェリダンは顔を見るのも嫌な相手のはずだ。
 今までは都合よく目を瞑り、日常にどことなく蓋をして封印していたその事実を、彼の姉はやすやすと暴き立てるようだ。
「確かにローゼンティアは滅んだわ。国王陛下は死に、王妃さまたちも亡くなった。でもまだドラクルがいるのよ。あなたの兄が」
 長兄の名を出されて、一瞬ロゼウスの顔が引きつったのをシェリダンは見逃さなかった。
 何だ? あれだけ愛していると連発するほどの相手の名に、今の反応はおかしいのではないか。
 だがこの場で問い詰めることも出来ず、シェリダンはただ姉弟のやりとりを見守るしかできない。
「だから、大丈夫よ。そのはずでしょう。ね」
「……はい、姉様」
 ルース相手には素直に頷いたロゼウスが、一瞬ちらりとシェリダンの方を見た。目が合う。
 けれど結局彼は何も言わず、シェリダンから視線をそらして姉に向き直る。
「姉様。どうして、ここに」
「シェリダン王に話しがあってきたのよ。あなたも聞いて」
「はい」
 ようやくお呼びというわけか、ルースは堂々と、シェリダンの正面の席に着く。その隣に座ろうとしたロゼウスの手をリチャードが引いた。
「リチャード?」
「あなたは、こちら側の人間のはずです。王妃様」
 ロザリーが一瞬躊躇った後エチエンヌに頷き、シェリダンの左隣に座った。リチャードが右隣へとロゼウスを連れてくる。
 これでようやく話し合いの体勢が整った。
「ローゼンティア第二王女、ルース殿下。我が城に来て、正門警備を正面から破ったその実力は認めよう」
「光栄ですわ」
「だが、あなたは我が国によって滅びた国の王家の者であり、我が命によって一度は処刑されたはずの者。ここに来ればその命が危ないということはわかっていたはずだ」
「ええ、あなたが本来殺すべきである私を、ただ殺すよりは話を聞いてから捕らえて何かに利用した方が懸命だと考えているほどにははっきりと」
 曲者。どこが控えめで気弱な姫君だ。立派な狸じゃないか。
 敗残国の王家の者でありながら、彼女は初めからこの自分と対等の顔をしてそこにいる。
「単刀直入に言わせてもらう。何の用だ」
「あなたに取引をもちかけようと思って。エヴェルシード王シェリダン陛下」
「何の話だ」
「エヴェルシード国内の反王権派を洗い出したくはないですか? 陛下」
「ルース姉上?」
 ロゼウスもロザリーも、さすがに困惑した顔をしている。
「私はローゼンティアを返してほしいのですよ、陛下。王家の者が生き残っているとなれば、復興は容易でしょう。どうせあなたたちだって、侵略したはいいものの、ヴァンピルの扱いに困っているのではなくて? エヴェルシードがローゼンティアを攻略したのはもう二月以上も前なのに、戦時処理以上の何の法令も出されていないのがその何よりの証拠」
 シェリダンは言葉に詰まる。確かに、それは真実だからだ。ただの奴隷にするにしても、エヴェルシードの植民地化するにしても、どうにもヴァンピルは使い勝手が悪い。今の王宮のようにロゼウスやロザリーの一人二人程度ならなんとかなるが、集団となればそうもいかない。何せ向こうは永く血を飲まずにいると途端に凶暴化する魔族だ。
「扱いに困るぐらいなら、彼らの支配を私たちローゼンティア王家の者に返していただけません? エヴェルシードが宗主国であるという条件は受け入れるけれど、あなたたちにローゼンティア国民の支配は無理よ。その代わりに、私はあなたに必要だと思える情報を提供しましょう」
「……貴様、何を企んでいる? 貴様の言葉の、何を根拠と考えるべきか、ものさしを示してもらおう」
 ルースの言葉は、その裏側がまだこの段階では読めない。ただ国の支配権を返せというだけなら、わざわざ単身敵国に乗り込んできたりしないはずだ。彼女がこちらに望んでいる事は、もっと深く裏があるはずだろう。
「やはり、これだけの説明ではわかりませんよね。でしたら仕方がありません。少しだけこちらの思惑と手の内を明かしましょう。……ローゼンティア王家の、王の子どもである兄妹が全員甦ったという話は?」
「聞いている」
 そもそもその情報があるからこそ、急な彼女の出現にもそれほど困惑せずにいるのだ。
「では、その十三人、ここにいる私たちを除けばあと十人、彼らが今どうしているかは知っていますか?」
「……墓所が暴かれて甦りを確認した後姿を発見できず、逃亡したものと見られるという報告が入っているが」
 間違っても王家の者を捕まえたのなら、何か連絡が入るはず。しかしシェリダンの言葉を、ルースは淡々と否定する。
「それ、嘘ですよ」
「……何?」
「あれからかなり経っているのにエヴェルシード側に表立った動きがないからもしやとは思っていましたが、やはりそういうことでしたか……甦った後、私たちは一度、そこにいる二人を除いた全員が集まり、復活を確認しました。しかしそこを襲撃されて散り散りになり、何人かは逃げましたが、何人かは追っ手に捕まりました。あなたが我らの国に送り込んだ侵略者の司令官たちに」
「つまり、その司令官――国内の貴族に私への報告を怠り、捕らえたヴァンピル王家の者を自らの手元に置いている者がいると言いたいのだな」
「ええ。そういうことですわ……それがどういうことになるか、よくお考えになって」
 捕らえたローゼンティア王家の者を自分の手元に置く。それがどういうことか。
 王家の者は王位継承権を持つ。ローゼンティアという国を復興し、民を治める立場の者を選び出すとき、最もその位置に近いのが王家の者だ。
 そして彼らが生き残っていると知れば、ローゼンティアの復興は容易い。さらに彼らを支援してローゼンティアの復興を成し遂げるということは。
「すなわち、ローゼンティア方面から私への反逆を目論む輩がいる、と」
 一度植民地と化した、自国と同程度の国力を持つ国。その国の王家の者に加担して協力者……復興と引き換えに影の支配者の地位を手にすれば、エヴェルシードの貴族は元々の領地の兵力も含めて、シェリダンに牙を向くことなど容易いだろう。
 そうなればシェリダンは玉座から引き摺り下ろされ、エヴェルシードの王権は奪い取られる、というわけか。
「それは、陛下にとっても本位なことではないでしょう?」
 ルースの言っている事は、いちいち正しい。シェリダンの国内での微妙な立場を考えれば、ありえないと跳ね除けられないことが悲しいところだ。しかし。
「……何故お前がそんな話を私にする。ローゼンティアの復興は、お前自身の望みではないのか」
「そりゃあそうですけれども」
 ルースの顔がおっとりと微笑み、鈴を転がすような声で告げた。
 だが目が笑っていない。これは建前ですよとその赤い瞳で告げている。
「私だとて、自分の兄妹が隣国の内乱の手駒にされるのは気に喰わないのです。そのぐらいなら、あなたを説得してローゼンティア侵略の手を引いていただいたほうが穏便に済むかと」
「姉上」
 ロゼウスが声をあげた。ルースの言葉を何も疑ってはいない声だ。
 これ以降の話は、彼に聞かせないほうがいいのだと直感的に悟る。すでにルースの身元はロゼウスとロザリーによって十分に保証されている。二人を追い出すか。
「……わかった。細かいところを詰めよう」
「シェリダン様!?」
「エチエンヌ、ローラ、ロゼウスとロザリーを部屋に戻せ」
「シェリダン、ローゼンティアのことなら俺も!」
「お前は部屋に戻れ」
「だって!」
「黙れ!」
 シェリダンの勢いに押されて、ロゼウスが押し黙る。
「この女は私と対等な取引相手かもしれないが、お前は違うだろうが。自ら奴隷の地位へと落ちた分際で、国政に口を出すな」
「な……」
 絶句したロゼウスを手で追い払う。ロザリーも驚いた様子で、硬直している。
「お前らはさっさと部屋に戻れ」
 言いながらシェリダンは神経を集中してローゼンティア第二王女ルースの動きを伺っていた。
 きっとロゼウスもロザリーも、彼女が黙りきったその状態を、元来の大人しい気性のせいで男の怒鳴り声に怯えている程度に受け取っているに違いない。しかしシェリダンは、その様子でむしろ自分の考えが正しいことを知った。
 部屋を追い出される弟妹たちに向けられた――その冷ややかな眼差し。