荊の墓標 10

053*

「……俺は、吸血鬼を拾うくせでもあるのかな」
 ずっと自宅兼店舗である酒場にこもりきりはよくないだろうと、たまの外出をしてみればこれだ。
 『炎の鳥と赤い花亭』はおかげさまで繁盛している。仕入れる酒の種類を増やそうかと、一ヶ月に一度程度に決めたたまの休みに、いつもの街へと出かけた帰り道のことだ。
 つい先日だって盲目の奴隷の振りをしたヴァンピルの王女を拾ったばかりなのに、国境に近い街道でまたしても今度は複数のヴァンピルに出くわすとは。
 しかもそのうちの一人は、死にかけている。
「お兄様」
 二十歳頃の青年が道に倒れ、その青年の周りに十歳を少し過ぎた程度だろうかという二人の子どもが纏わりついている。子どもは少年と少女で、少女の方が一番幼くて年下のようだ。外見から察するに兄妹らしく、顔立ちもそれなりに似ている。
 しかし、道に倒れた青年の方は、血を流して動かない。
「お兄様、お兄様、お兄様」
 少女が必死に呼びかけ、少年は唇を噛んで兄らしき青年を見つめている。フリッツの姿にその少年が気づいて、咄嗟に短刀を抜いて構えた。しかしその全身が震えていて、お世辞にも強そうとは言えない。これではいくら刃物を持っていたって、威嚇程度にもなりやしない。
「来るな。近付くな。エヴェルシード人め」
「……ここは、エヴェルシード王国内だ。この国で会うやつはどいつもこいつもエヴェルシードだろうよ」
 思わず、どうでもいい言葉を返してしまった。それを侮辱と感じたのか、少年が唇を噛み締めて怒りを露にする。
「薄汚い人間如きが、僕らに近付くな!」
 絶叫だった。それでもやはり感じ取れるのは彼らの怯えだけで、何も怖くはない。ただ、悲しくなっただけだった。
 僅かにしか見たことがなかったが、同じように白い髪に白い肌と赤い瞳を持った少女のことを思い出すと、いまだに胸が痛む。フリッツから見れば甥にあたる少年、エヴェルシード王シェリダンの手により王城に連れて行かれた彼女はどうしているだろうか。こちらとあちらの立場を考えれば、ちょくちょく手紙を交わすと言う事もできない。
 ロー、ロザリー姫。彼女は今いったい、どうしているだろう。国王である甥は、彼女をどのように扱っているのだろう。
 それよりも今はまず、目の前の三人だと意識を切り替える。
「近付くなって言ってるだろ!」
 少年の警告を無視して、フリッツは彼の目の前に立った。倒れた兄を庇うように立ちふさがった少年は震えながら、懸命に刃物を構える。それでも向こうから仕掛けてくる様子がないということは、ろくに扱えはしないのだろう。
「……ウィ、ル……エ、……サ」
「お兄様!」
 目を閉じて意識がないように見えた青年が、薄っすらと瞳を明けて何事か言った。弟と妹の名を呼んだのだろう。
「お兄様! お兄様……」
「兄上! しっかりしてください! 必ず助けます!」
「お前、たち……逃げ、ろ……」
「兄上!」
 最後の力を振り絞るようにして、兄は弟妹に逃亡を促す。しかし、幼い二人はそれを聞かず、どこまでも彼を心配してつき従う覚悟のようだ。
 仕方なく、フリッツは覚悟を決めて二人の幼子を押しのけた。
「やめろ! 何するんだ! 兄上に何をする気だ!」
「治療だ。このままでは死んでしまう」
「ふざけるな! 貴様人間だろう! それも汚らわしく傲慢な、僕らの国を滅ぼしたのはお前らエヴェルシードじゃないか!」
 少年の言う事にちくりと針で刺したような痛みを覚えながらも、フリッツは倒れた青年の容態を見る。そして疑問に思った。一見深手でこの出血量では助からないように見えるが、この惨状から思うよりは傷口が小さい。傷が浅いというよりも、酷い怪我がすでに治りかけているようだ。これなら、下町の医者でも治せるだろう。
 とりあえず応急処置をしようと、懐から安くはない医療道具を取り出す。フリッツを青年から引き離そうとする少年の妨害が鬱陶しいが、仕方がない。
 それまで兄の側でひたすら彼を呼んでいた少女が、ふいにフリッツの方へと視線を向ける。じわりと涙の滲んだ瞳で、哀願する。
「殺さないで」
「俺は……」
「殺さないで。アンリおにいさまを殺さないで。おにいさま生き返ったばっかりで弱ってるの。次に死んだらもうたぶん生き返れない。わたしたちの力じゃ生き返らせることができない。おねがい、殺さないで」
 殺さないでと繰り返す少女の頬が涙でぐしゃぐしゃになる。精神の糸がそこで切れてしまったのか、彼女はさらに酷くしゃくりあげ始めた。
「おねがい。殺さないで。助けないで。もういや、もうやだ、どうしてわたしたちがこんな目にあうの? ローゼンティアが何をしたの? おとうさま、おかあさま、死んじゃった。助けて、誰か助けてよロゼおにいさま、ロザリーねえさま」
「エリサ!」
 涙に暮れるあまり余計なことまで口走りそうになる妹を、兄である少年が叱咤する。兄の声に彼女はびくんと反応し、途端に言葉をおしとどめようと唇を噛み締める。
「ロザリー……?」
 しかし、彼女の発した言葉こそフリッツにとっては重要なものだった。
「お前たち、ロー、いや、ローゼンティアの王女ロザリー姫の知り合いか?」
「な! なんでお前なんかがロザリー姉上のことを知っている!?」
 フリッツの言葉に仰天して、先程妹に口止めしたにも関わらず、今度は少年の口からそうはっきりと聞いた。
「お前たちは、ロー……ロザリー姫の兄妹なのか?」
「……だからどうしたと言うんだ!」
 もう隠し立てする気もないようで、そう言った少年をフリッツは馬車に乗るよう促した。
「ローの兄妹なら、俺にも少しは縁がある。今はとりあえずこの人のためにも、乗ってくれないか」
 迷う時間はない。彼らの兄である青年の傷は、見た目の印象ほどではないにしても間違いなく深いのだから。
 最終的にはエリサと呼ばれた彼の妹にあたる少女が少年の肩を押して無理矢理馬車の荷台に乗せた。そんなところで悪いが、生憎とフリッツの馬車にはそんなところしか人を乗せられる場所がない。
 そしてフリッツは、道に倒れた青年を傷に触れないよう担ぎ上げた。
「すま……ない……」
「気にするな。俺もお前たちに聞きたいことがあるんだ。それに」
 彼らの国を責め滅ぼし、ロザリー姫やその姉姫を攫ってきたのは自分……フリッツ=トラン=ヴラドの甥であるシェリダン=ヴラド=エヴェルシードなのだ。
「……シェリダン王!」
 案の定、運ばれている最中薄く目を開けた青年が、フリッツの顔を見て瞠目する。
「違う。とにかく、まずは君の傷の手当だ。その後、話を聞いてくれ。頼む」
 青年は言葉も出ないほど驚いていたが、確かに似ているとはいえ、フリッツと甥御殿である少年との間には年齢差という絶対の隔たりがある。なんとか納得したらしく、彼は頷いた。
「…………わかった」
「馬車だから揺れるが、我慢できるか?」
「大……丈夫だ」
 もう間違いがなかった。フリッツは馬車の荷台の空いているスペースに青年を横たえ、血の気を失ったその顔を見て確信する。
 容姿はあまり似ていない。先日一瞬だけ見た王妃の少女の方が瓜二つだった。しかし王族なら片親違いは普通だろうし、両親が同じ実の兄妹でも似ていない兄妹なら幾らでもいる。
 それよりも、青年がフリッツを見てシェリダンのことを言い出したことが決定的だった。過日のエヴェルシードのローゼンティア侵略は、あまりの猛攻により始まって一週間で終焉を迎えた。つまり、王族が軍隊を率いて戦場を展開し、立ち向かうほどの時間がなかった。だから王城に攻め込んだシェリダンの顔を知っているのも、その時王城にいた者だけとなる。
 そして、ロザリーを兄妹だという三人。
 彼らは、あのローゼンティアの王族なのだ。

 ◆◆◆◆◆

「大丈夫ですか? メアリー様」
「あなたたちは?」
 逃げ続けて逃げ続けて、いつしか知らない場所に辿り着いていた。もっとも、自分がこの世の中、いや、むしろローゼンティア国内に関してでも、知っている場所などほとんどない。ずっと王城にたから。
 勉強はしていたけれど、どうしても実践的な知識は不足しがちだ。困惑するメアリーに、そのひとは優しく説明してくれた。
「我らは、王権派の貴族です。現在のローゼンティアの混乱を治め、エヴェルシードを打破して元通りローゼンティアを取り戻すために動いているのです」
 そういえば、場所はわからなかったが、この人物の顔に関してはどこかで見覚えがある。そうだ、ローゼンティア貴族。しかし、王権派? 王と王子の不仲が長い間囁かれ、王子が即位と同時に先王である父親を幽閉した隣国エヴェルシードならともかく、ローゼンティアには王族に反する勢力の存在だなんて、彼女はついぞ考えたことがなかった。
 メアリーのそんな表情をどう受け取ったものか、その人物は教えてくれた。
 今、この国で起こっていることの全貌を。
「第五王女メアリー姫。どうか心して聞いてください。実は、今回の戦争は――」
 メアリーは、自分の心の奥のどこかが、確かに砕ける音を聞いた。

 ◆◆◆◆◆

「……これはどういうことだ、カルデール公爵」
「冷たいな。ヘンリー殿下。昔はあんなに親しげにアウグストと呼んでくれたじゃないか」
 目の前で笑うこの男を、噛み殺せたらどんなにいいかと思う。
「姉上を離せ」
「離さないよ。だってアン殿下を自由にした途端、君は私の下を去ってしまうだろう?」
 彼の隣には今、ヘンリーの異母姉アン=テトリア=ローゼンティアがいる。アウグストはこれ見よがしに彼女の肩を抱き、側へと引き寄せている。
彼女はヘンリーに対する人質なのだという。
「何故だ……何故こんなことをしたカルデール! 何故祖国を裏切るような真似を!」
 彼に捕らえられて以来、幾度も繰りかえしたやりとりをまた繰り返す。ヘンリーとアンを捕らえ、彼の領地であるローゼンティア東方カルデール地方の城へと連れてきたアウグストは、ヘンリーたちを閉じ込めておきながら、客人でももてなすような扱いを与えている。
 その落差に、ヘンリーは眩暈を覚えずにはいられない。
 何故。一体どうして。
 幼き日の、彼と過ごした日々はもはや胸に痛いだけだった。いっそ忘れてしまいたいくらいなのに、思い出はこんなにも鮮やかだ。
「だから、言っているでしょう?」
 長椅子の正面に座る彼の、涼しげな声音に現実へと引き戻される。
「私は、あなたが欲しかった」
 その言葉は幾度も聞いた。けれど、ヘンリーが欲しいのはそんな言葉ではないのだ。
「アウグスト、正直に答えてくれ」
「おや、やっとその名で呼んでくれましたね」
「ふざけていないで、真面目に答えろ」
 ヘンリーの声の違いに気づいたのか、アウグストが姿勢を正す。アンの体を離し、回り込んでヘンリーの前に跪く。
 思わず体を引いて避けようとしたヘンリーの手をとり、両手でおし抱くようにして、口づける。
「な……何を」
「カルデール公爵?」
 アンも呆気にとられてアウグストのその行動を見ている。
「わかってくれ。ヘンリー。全ては君のためなんだ」
「……どういうことだ」
「ヘンリー。いいや、ヘンリー=ライマ=ローゼンティア殿下。私は、君にドラクル殿下の即位に協力してもらいたい」
 その言葉に、ヘンリーは軽く混乱する。
「……な、何を言っているんだ、アウグスト。国が滅びたのに、ドラクル兄上に協力も何も。それは、私も国と王家が健在であれば兄上に協力するのはやぶさかではないが」
「いいや。ローゼンティアは、まだ滅びてなどいないよ」
「アウグスト」
「ヘンリー、君は知らないんだ。この国の真実を」
 そしてアウグストは、沈痛な面持ちになりヘンリーをまっすぐに見つめた。
「もしも君がローゼンティア王家の真実を知れば、間違いなくドラクル殿下に協力したくなるはずだ。ロゼウス王子ではなく」
 ロゼウス? 何故ここで、敵国エヴェルシードでも競争相手のアンリでもなく、ドラクルにとって実の弟であるはずのロゼウスの名が出る?
「……どういう意味かえ」
 傍らで聞いていたアンがたまらずに問いかける。アウグストは彼女のほうを憎しみのこもった視線で睨み付け、またヘンリーへと向き直った。
「……ヴラディスラフ大公を、覚えているか?」
 それが全ての、この悲劇の始まりなのだと彼は言う。

 ◆◆◆◆◆

 助けて。
 誰か助けて。
「ほらよ、王子様。ちゃんと咥えな。歯なんか立てたら承知しねぇぜ」
 野卑な言葉と共に、口の中に男のモノを突っ込まれる。吐き気をこらえながら、いやいやそれをしゃぶる。
 拒んだらどうなるかは、この男たちに捕まった最初の時に知った。さんざん殴り飛ばされ、すぐに傷の癒えるヴァンピルの体質を気持ち悪いと罵られ、治るのだからかまわないだろうとさらに酷いことをされた。
 助けて。
 胸の中で繰り返す。だけれど、全ては無駄。
 誰も助けてはくれないのだから、自分でなんとかするしかない。
「本当に下手だなあ。《王子様》。王族ってのは乱れきってるんだろ? お前、十四か十五ぐらいだろ? そのぐらいの歳なら、この程度の遊びは珍しくないっていうじゃねぇか」
 違う。確かに貴族の中には嗜みとして早くから性交を教え込まれ、それに溺れるものが恥も外聞もなく火遊びに興じるから享楽と淫蕩の印象が庶民には強いかもしれないが、実際の王族はそんなことはない。
 自分には、そんなこと大人になって婚約者が定められるまで関係ない。そう思っていたのに。
「随分うぶな《王子様》だな」
 ……王家の紋入りの指輪など、さっさと捨てておけばよかったのだろうか。あれだけは自分の元の身分を、元の家族を、幸せな日々を思い出させてくれるものだし、いざとなったら売って金に換えようと思って、肌身離さず持ち歩いていたのに。
 ジャスパー=ライマ=ローゼンティア。
 少年の持っているものの中で、最も価値のあるこの名。
 エヴェルシードと国境を接する地域まで逃げたのは良かったが、そこでこの人買いたちに捕まった。さらには運が悪いことに、彼らは労働用の奴隷を売る組織ではなく、力なく美しい子どもを主に性の相手をさせる玩具奴隷として売る奴らだった。
 エヴェルシード国内のアジトに連れてこられ、牢に閉じ込められて、夜毎人買いたちに犯される。最初のうちは抵抗していたが、もう、心が拒否しても体が諦めきっている。
「ほら、今度はこっちの番だぜ。これを待ってたんだろ?」
 にやついた笑いで、別の男がジャスパーの足を開かせる。
「――――っ!!」
 自分でも触れた事がないような場所をまさぐられ、指を入れられて全身に怖気が走った。強烈な異物感と痛みに、意識が飛びそうになる。いくらたっても、こんなこと慣れない。
「なんだ、まだ声出ないのか」
 無理矢理僕の中に侵入して腰を動かしている男の言葉を、半ば虚ろな意識の中で、頬を滑る涙の感触だけを意識しながら聞く。
 言葉なんて、ここに連れてこられた最初の日に失った。度重なるストレスのせいで、どうやら一時的な失語状態に陥ったらしい。
「で、こいつどうする?」
「メチャクチャキレイなツラしてるよなぁ。これで女じゃねぇなんて、信じられねぇぜ」
「親方が来週の奴隷市で売りに出すって言ってたぜ」
「マジか? まあ、この顔ならすぐに買い手がつくだろうしな。……それまでにもう少し、楽しませてもらおうか」
 ジャスパーの体を二人がかりで引き裂きながら、男たちのそんな会話が交わされていた。
「何せ吸血鬼の王子様だ。高く売れるだろうぜ? 男相手だろうが女相手だろうが、買い手が殺到するだろうさ」
 口に男のモノを咥えさせられ、下でも男を受け入れながら、ジャスパーは今は遠く引き離された家族を思う。
 助けて。お願い助けて。
 ロゼウス兄様――!