荊の墓標 10

054

「ひっさしぶりー♪ ロゼウス王子」
「その声、ハデス? 久しぶり」
 やけに機嫌よく現れたのは、世界皇帝の弟だという黒の末裔、謎の少年だった。
 彼は皇帝である姉に用事があるということで、半月ほどエヴェルシードから遠く離れた薔薇大陸、通称皇帝領に帰っていたはずなのだが。
「な、なんで背後から抱きつく必要があるんだ?」
「んー、別に、気分かな」
 そうなのか。それはいいんだけど。
「久しぶり。シェリダン王」
「…………久しぶりですね、ハデス卿」
 ロゼウスの正面に座っていたシェリダンが射殺すような視線をハデスに向けているんだが。
「それで、気が済んだのならさっさと我が妻から離れてくださいませんか?」
「えー、できればもっと殿下の抱き心地よい体を堪能したいんだけど」
「……いいからさっさと離れろ」
 低い声音で命じたシェリダンの言葉に従い、ハデスはニヤニヤ笑いを浮かべながらロゼウスから手を離した。長椅子の空いているスペース、ロゼウスの隣に座って肩を抱く。
「このぐらいは許してくれるだろ?」
「…………貴様」
「まあまあ。せっかく、朗報を持ってきてあげたんだからさ」
「朗報?」
 その言葉に、シェリダンが胡散臭げに片眉を上げて見せる。
「そう。ある筋から」
「聞かせてもらおう」
「これ読んで」
 ハデスが手を一振りすると、何もない空間から真っ黒な封筒に入れられた手紙が現れる。
「今の、どうやったんだ?」
「異空間に仕舞ってたものを取り出しただけ。それより、今は手紙の内容見てよ」
「この紋章……バートリ公爵印か」
「そ。さすがエヴェルシードの王様だね」
 シェリダンは慎重に黒い封筒を開けた。中の便箋は普通のものだったので、そのまま無言で読み始める。
「何が書いてあるんだ?」
 ロゼウスの問を無視して、シェリダンはハデスへと視線を向けた。
「これは……」
「そ。ようするに僕の役目は郵便屋さん。たまたま通りがかったら、見事にこうして雑用係にされてるってわけ。まったく、君といいジュダ卿といいエルジェーベト卿といい、人のことを何だと思ってるわけ?」
 大いなる魔術の力を扱い、この世にできぬ事はほとんどないと言われるハデスが、うんざりしたように首を長椅子の背もたれに預けて仰のく。
「どう? イスカリオット伯の城に招かれたばっかりだとはいえ、エルジェーベト卿からの招待状」
「招待状?」
「ああ」
 シェリダンは依然険しい表情のまま、手紙を見ている。
「……内通者でもいるのか。あまりにタイミングが良すぎるな。ルースが来た途端にこれとは」
「?」
「お前はとりあえずこちらを読め」
 そう言って、シェリダンは自分の懐から、ラヴェンダー色をした別の封筒を取り出した。受け取り中を確認して、ロゼウスははっと顔を上げる。
「ルース姉様の筆跡」
「そうだ、お前の姉からの情報だ」
 シェリダンに肯定され、ロゼウスは慌てて手紙の内容を確認する。
「ミカエラとミザリー姉様が、公爵に捕まってる……!?」
「そうだ。それが、このエルジェーベト=ケルン=バートリ女公爵だ」
 黒い封筒の紋章を示して、シェリダンが眉根を寄せる。
「どこかからこちらの情報が漏れたな。謀反の疑いをかけられる前に明かすつもりか。こんなもったいぶった言い回しで」
「シェリダン? 一体どう言う事なんだ? ミカエラとミザリーは」
「聞け。これに書いてある。お前を連れて、自分の領地に来いと言うバートリからの誘いだ」
 当地にご滞在の際は、ぜひ王妃陛下をお連れなさいませ。
 華燭の祝いに、若いご夫婦に面白いものをお目にかけましょう。
「あの女は見かけこそ私の味方のような顔をしているが、実際は何を考えているのかまったくわからない、得体の知れない女だ。昔は結婚していたらしいが、夫が死亡してからはどことも婚儀を挙げていない。ルイという弟がいて……駄目だな、基本情報以外の情報が足りなさ過ぎる」
「で、どうするのさ、シェリダン、ロゼウス王子を連れて、バートリ公爵領に行くわけ?」
「行かねば始まらないだろうな」
 シェリダンはロゼウスの方をちらりと一瞥し、ついで深い溜め息をついた。
「……何?」
「いいや。別に。ただ、ヴァンピルとは面倒な種族だと思っただけだ」
「どういう意味だよ」
「そのままの意味だ」
 ロゼウスにはシェリダンの言いたい事がわからない。相変わらずにやにやとした笑みを浮かべたまま、ハデスが横から解説した。
「こうならないよう王族をみーんな殺して最後の一人は自分の手元において妻にまでしたっていうのに、続々と甦ってくれちゃったからね。余計な貴族の入れ知恵でローゼンティア再興なんかされちゃ困るから、不穏分子になりそうなものはしっかりと回収、もしくは始末しておかなきゃねぇ」
 つまり。
「ミカエラとミザリーを殺す気なのか!?」
「そんなもの、会ってみなければわからない。お前みたいに取引に応じるような輩ならばいいが、強情を張るようなら死んでもらうことになる。それでもまた今度はこちらの手の届かない場所で生き返られたら困るがな……まあ、何にせよバートリの手元に置いておくわけにいかないことは確かだ」
 シェリダンは、ヴァンピルはみんながみんな、一度死んだところであっさり生き返れるものだと思っているらしい。実際には死者の蘇生にはある程度の条件、何よりその当人の持つ魔力が関係あるのだけれど。
 その辺りは余計なことになるだろうから、ロゼウスは言わないことにする。妙な知恵を与えて、せっかく甦った兄妹たちを再び殺されてはたまらない。
 特にミカエラは体が弱いから、今度死んだらきっと生き返る事は叶わないだろう。ノスフェルの血統であるルースのおかげで今回だってやっと甦ったようなものだ。
「嬉しい? ロゼウス王子。お姉さんと弟に会えるよ」
「うん」
「……なんか、複雑。君って、変な反応する人だよね」
「そうか?」
「そうだよ」
 最近、とみに変だ変だと言われる気がする。
「もっと微妙な反応するものだと思ってたのにな。だって、シェリダン王に引き合わされるっていうことは、その二人にとってもあんまり嬉しいことじゃないし。だからと言って、会わないわけにもいかないだろうしね。普通、こういう場合ってもっとぴりぴりするもんじゃない?」
「そうなんだけど……」
 そうではあるけれど、純粋に会えるのは嬉しいし、バートリ公爵という人がどういう人物かはわからないけれど、エヴェルシードの捕虜にされている以上、あんまりまともな扱いを受けてはいないのではないかと気にかかる。
 それぐらいなら、ロゼウスにとってもシェリダンと同じだ。手近にいるほうが状況がわかりやすい。それに、何人かで集まっていた方が何かの場合、有利になることもありえる。
「実際に顔を合わせないと、何とも言えないから」
「ロゼウス王子……君って、実は、すっごく想像力が乏しい人なんじゃない」
 ハデスがこれ見よがしに溜め息をつく。
「ロゼウスが呆けているのはいつものことだ。それより、今回の招待に対する返事だが」
「その必要はないよ、王」
「どういう意味だ?」
「僕が直接連れて行く、って、エルジェーベト卿に言ったから。まあ、拒否権はないってことだね。向こうに証拠隠滅する隙を与えたくないなら、早く支度した方がいいんじゃない? それに、誰を向こうに連れて行くの? もちろん僕はついて行くけど、さすがに王都を全部あけるわけにはいかないでしょ?」
 ハデスの拒否権無し宣言にシェリダンは渋い顔をした後、忙しなく目を動かしてしばし考え、世界で最も強大な魔力を持つ世界皇帝の弟にこう告げた。
「イスカリオット伯に、連絡を取れるか?」
 そして奇妙な一行の旅が始まる。

 ◆◆◆◆◆

「我がヴァートレイト城へようこそ、国王陛下」
「ああ」
 エルジェーベトの招待に応じ、彼女の領地へと赴いた。快く送迎を請け負った皇帝の弟閣下ハデス卿に依頼したところ、バイロンに外出報告をしてすぐジュダのいるイスカリオット城へと魔術で連れてこられた。
 いきなり現れたシェリダンたちに驚いて長い髪を解きっぱなしのままワインを零すジュダはある意味見ものだったのかもしれないが、こちらはこちらで着の身着のまま連れ出されたのでそう人のことを笑ってはいられない。
「まったく、一言でいいのでせめて連絡ぐらい寄越してくださいよ」
「悪かったな。と言うより、私も予想外だこれは」
 そしてジュダを連れ、今はバートリ公爵領にいる。ジュダと違い思惑の全くわからないエルジェーベトのもとを訪れるのに手駒を全て動かすのはまずいだろうと、今回はローラ、エチエンヌ、リチャード、ついでにロザリーはシアンスレイト城へと残してある。ユージーン侯爵クルスの元へは一応連絡だけはさせ、シェリダンはロゼウスとイスカリオット伯爵ジュダ、そしてハデス卿の四人だけで、この城を訪れた。
 目の前にいるのは、エヴェルシードでは数少ない女公爵、エルジェーベト・バートリ。
 男尊女卑軍事国家であるエヴェルシードで、その実力により自らの爵位、それも公爵を勝ち取った女。すなわち、このエヴェルシードで最も強い女性だ。
「こちらではどうぞ、王妃陛下共々ごゆっくりしていらしてください。お部屋へは、すぐご案内させていただきます」
「ああ」
 豪奢な応接間で向かい合い、シェリダンはバートリ公爵エルジェーベトと対面する。年の頃は三十四、五だったか。豊満な肉体と妖艶な美貌を持ち、毒のある色香をもった女だ。
 しかし、この蘇芳色の絨毯が敷かれ、防寒の用途を兼ねて毛皮をふんだんに用いられた室内が何よりも似合う美女には、公然の悪癖がある。
 いわく、《レズ公爵》。
 彼女は、女にしか興味のない女だ。
 男しか相手にしないシェリダンにとってはある意味付き合いやすい相手だが、何を考えているのか、そのわからなさはジュダの上を行く。女性と言うのは、シェリダンにとっては《謎》そのものと言っていい。いや、世の男にとって女性とはすべからく謎なのかもしれないが。
「バートリ公爵」
「あら、どうぞエルジェーベトとお呼びになってくださいまし、シェリダン陛下」
「ならばエルジェーベト卿。この手紙に書かれていた、私に見せたいものとはなんだ」
 エルジェーベトは紅を塗った艶かしい唇を吊り上げる。
「陛下方のお着きがあまりにもお早いものでして……当方にも準備がございます。明日にしてはいただけませんでしょうか?」
「できれば、今すぐ用件を明らかにしてもらいたいのだが。私はこれでも暇ではないのでな」
「それはわかっておりますが……」
「できぬのか? 見ての通り、私たちはこの四人だけだ。身軽ではあるが、多少心許ない格好だということも察してもらいたい。ここに長く滞在するわけにもいかぬのだが」
「そうですわねぇ……どのくらい御滞在の予定で?」
「三日だな。それ以上城を空けると、バイロンが倒れる」
「宰相閣下も大変ですわね……そういうことなら仕方ありませんわ」
 エルジェーベトは、これ見よがしに溜め息をつきながらも聞き訳がよかった。シェリダンたちが唐突に領地に現れてもほとんど動揺しなかったことから考えても、口ではそう言いつつとっくのとうに準備はできていたのだろう。
「本当はもっともったいぶったご対面といきたかったのですけどね」
 顎に手を当てて、艶やかに手元の呼び鈴を振った。
「入ってらっしゃい」
 シェリダンたちの背後の扉が開けられる。先程からそちらを気にするようにしていたロゼウスが、ついに席を立ち上がった。招かれた客の立場で無礼な行動だが、それ以上に彼の心を惹きつけるものがそこにあるらしい。
「ミザリー姉様!」
 部屋に入ってきた一人の女性の姿に、思わずシェリダンもジュダも、目を奪われる。
 扉を開けて姿を見せたのは、二十歳前後に見える一人のヴァンピルの女性だった。銀髪の上品な巻き毛を垂らし、雪のように白い肌をしている。瞳は真紅と呼ぶにふさわしい赤で、唇も同じ色だ。
 スタイルもよく、胸元を見せ付けるようなドレスによって、その華奢でありながら豊かな胸を持つラインが引き立てられている。顔が小さくすらりとしているせいで間違えやすいが、身長はそれほどでもなく、いかにもか弱げなお姫様と言った風情だ。
 そして、憂いに満ちた瞳。
 詩人なら彼女を見ただけで百も二百も新作ができるだろうという、その翳りを持った美貌。
 その顔立ちが一瞬で歪み、目元に涙を浮かべながら、ロゼウスに駆け寄る。その名を呼びながら。
「……ロザリーっ!」
 …………しまった。
 事情を知るシェリダンとジュダ、そしてロゼウス自身がそういう空気になった。最近、どこかで、これと同じような体験をしたことが……わかった、ルースが訪れてローラにロゼウスの女装はそのままでいいのかと指摘された時だ。シェリダンはつくづく、ローゼンティアの姫君とは相性が悪いのかもしれない。ついでに今回はさすがに、あの変わった第二王女のようにはいかないだろう。
 ロゼウスはその場で思わず足を止めてしまったが、ミザリーと呼ばれた姉姫の方は止まらなかった。華奢な腕を伸ばし、必死でロゼウスを抱き寄せる。
 あれ? 今、姫がそんな顔をした。さすがに抱きついて男女の違いに気づいたのだろう。
 第四王子であるロゼウスとその妹である第四王女ロザリーは、異母兄妹でありながら顔立ちがそっくりなのだ。双子と言っても通用するほど似ている上に身長もほとんど変わらないので、同じ服を着たら初めて見た人間には見分けがつかないに違いない。
 そして例え家族であったとしても、まさか久々に再会した弟がドレスを着て登場するとは思わないだろう。
 ロゼウスが姉姫を抱きしめ返すでもなく手を前に回したところを見ると、今頃全力で唇の前で人差し指を立てているに違いない。黙っていてくれ、の合図だ。
 しかしここでいきなり姉妹再会のやりとりが全て絶えるのも不自然だ。おまけに、いくら久々の再会とはいえドレス姿の弟王子をそのまま抱きしめるのには抵抗があったのだろう。ミザリーという名の姫は、アドリブに出た。
「ロ、ゼ、……ロザリー! 久しぶりね! あなた髪を切ったのね! 一瞬誰だかわからなかったわ!」
「お姉様こそ! ……随分、おやつれに……」
 ロゼウスの言葉尻は次第にか細くなり、演技ではないことを感じさせた。姉姫もそれを感じ取ったのか、ようやく瞳を和ませる。
「……ロゼ……」
「どうやら、喜んでいただけましたようね」
 エルジェーベトが二人の様子を見て、優雅な仕草で髪をかきあげる。
 しかし彼女が声を発した途端、ロゼウスの向こうで姉姫は顔を強張らせた。
「エルジェーベト卿」
「陛下、お見せしたかったものとは、こちらの姫君ですわ。他にもうお一方、弟王子をお預かりしています。確かにローゼンティア王家の方々でしょうか」
「ああ。妻のこの反応によればな」
 シェリダンはエルジェーベトの顔色を一部の隙もないように見つめながら、言った。
「もう一人の弟王子に、会わせてはもらえないのか?」
「残念ながら、彼は今、持病が出て伏せっております」
「ミカエラは、体が弱いから――」
 顔だけで振り向いてロゼウスが言った。この馬鹿。シェリダンたちがその王子の名前まで特定していることを、わざわざ相手に教えてどうする。
 しかしエルジェーベトはそうはとらず、何気なく先を続けた。
「ええ。第五王子のミカエラ殿下は、王家の中でも特別お体が弱い方らしいですわね。回復次第、すぐに王妃陛下にお目にかけますわ」
 彼女はこちらの思惑に気づいているのかいないのか、そう言って、再びシェリダンへと視線を戻す。
「報告が遅れまして申し訳ありません、陛下。本物の王族、それも陛下が御自ら手を下したはずの甦りの者だと、判明するのに遅れました。その場で殺した方が良いかとも思いましたが、陛下が王家の姫を正妃に迎えたのなら、親族に当る者を簡単に殺害するわけにもいきませぬもので」
 明らかに遅すぎたそれを、そういう理由で片付けたエルジェーベトが、侍女を呼ぶ。
「それでは、今宵はごゆるりとお寛ぎくださいませ。ミザリー姫とも、久々の再会、ぜひゆっくりと会話なされませ、王妃様」
「お気遣いありがとうございます」
 ロゼウスが形だけでもと礼を述べる。
結局何を考えているか知らせないままで、相変わらず謎めいた笑みだけを置いてエルジェーベトは彼らを応接間から追い出した。