荊の墓標 11

056*

 男の指が肌をまさぐってくる。
 鬱陶しくて気持ち悪くて吐き気すらするけれど、疲れきった体がもう言う事を聞かず、抵抗することもできない。
 ミカエラはただ黙って、男の愛撫を受け続けていた。
「つまらないね」
「あっ」
 キュッ、と玩具でもつまむように乳首を抓られて、思わず声をあげてしまう。その反応に気を良くしたのか、ミカエラを抱きしめる男が、僅かに口元を緩めた。
「かわいいねぇ。ローゼンティアの第五王子殿下、ミカエラ殿下。ちょっと身体が弱くて激しいプレイができないのが難点だけど、それでもそこらの女なんかより、よっぽど可愛いよ、君」
 妙に甘ったるい口調で話しかけてくる男の名は、ルイ=ケルン=バートリ。エヴェルシードの女公爵エルジェーベト=バートリの弟だ。
「姉さんに感謝しなきゃね。君のようなかわいい玩具を譲ってくれたんだから」
 姉である女公爵の歳の離れた弟で、まだ年齢は二十代半ばくらいに見える。優秀な姉のおこぼれに預かって、ろくでもないことばかり覚えているクズ、というのがミカエラの評価だ。
「ふざけるな。……誰がお前の玩具だ。とっととその薄汚い手を離せよ、このクズ。変態」
「王子様のくせに口が悪いんだね、ミカエラ王子。でもそんなところがますます可愛いよ、君」
 ルイは浴びせつくした罵倒を受けても、柳のように飄々としている男だ。
 自慢ではないが、ローゼンティアの王家の中でも一番体が弱く、力もさほど強くないミカエラには、この場から自力で逃げることなどできない。さらに今、彼の足首にはヴァンピルの力を封じる、銀の足枷が嵌められている。
 それをいいことに、この男は、ミカエラがこの城に連れてこられたときから、てんで好き勝手にミカエラを扱っていた。
「お前のような下賎の輩が、この僕に触れるな!」
 整った顔立ちを醜悪に歪める男が伸ばしてきた手を振り払おうと、思い切りはたく。しかし吸血鬼の力を封じられている状態では普段の腕力も発揮できず、やすやすとルイに押さえ込まれてしまう。
「下賎の輩とは、言ってくれるね、ミカエラ」
「呼び捨てやめろ」
「なんで? かわいい名前じゃないか。ミカエラ。まるで女の子みたいだ」
「貴様らの国ではそうかもしれないが、我が国ではミカエラもミカエルも男の名だ」
「ま、どっちだっていいじゃないか、かわいいんだから」
 ふざけているのか頭の螺子がとんでいるのか、ルイはミカエラを押し倒しながら、くだらないやりとりを繰り返す。
「ひあっ」
 もう一度胸を滑る手に先程と同じ場所を抓りあげられて、悲鳴が口をついて出た。
「可愛いよ、こんなところもね。ちょと触ったらすぐに反応して、ほらこんなにぷっくり膨らんで気持ちいいって示してるじゃないか」
「そんなことない!」
「嘘はいけないよ、ミカエラ王子」
「お前のようなクズが、僕の名を呼ぶな!」
「そのクズに犯されて喘いでいたのは、君じゃないか」
「ああっ!」
 ズボンの内側に突っ込まれ下穿きの上からルイの手が股間を撫でる。多少力の込められたその絶妙な加減に、あげたくもない声をあげてしまう。
「い、いやだっ、触るなっ!」
「どうして? そんなこと言ったって、もう反応しかけてるよ? このままじゃ君も辛いでしょう」
 言いながら、ルイはミカエラのズボンに手をかけてずり降ろす。下穿きをずらし、飛び出してきたものを躊躇いもなく口に含んだ。
「あっ」
「可愛いミカエラ王子。こんなところまで、可愛いね」
「なっ……!」
 男として最大級の侮辱発言に、瞬時に顔が燃えるかと思うぐらい熱くなった。
「ふざけるなっ! 貴様!」
 怒鳴って彼の顔を股間から引き剥がそうとするが、ずっと姉の留守を守るという名目で公爵領に引き篭もっているくせに、目の前の男は意外にも力強い。
 やっと口を離したのはミカエラの力ではなく、むしろ彼の意志だった。そそりたつ少年のものを淫猥に嘗め尽くしたあと、唾液の糸を引きながら口を離して途端に余計なことを喋りだす。
「ええ? 本当のことなのになぁ?」
「それ以上言ったら、本気で殺す」
「だって、本当に可愛いじゃないか。顔も美人だけど、君はこんなところまで美人だね。ローゼンティア人って髪が白いから、こんなところの毛まで真っ白なんだねぇ」
「よけいなこと言うなって言ってる!」
 舐められるのも嫌だけど、言葉で遊ばれるのも嫌だ。口を開けばそのたびに余計なことしか言わないこの口を、本気で塞いでしまいたい。
 ミカエラは口を閉じたまま、こっそりと舌で牙の感触を確かめた。
 いくら力が弱いって言っても、ミカエラだってローゼンティアのヴァンピル。それも王家の血筋だ。
 今この場でルイの首筋に噛み付いて血を吸えば、彼を殺すことぐらいできる。
 けれどそれは諸刃の剣。一緒に捕まったミザリーにもそれだけはやめろと止められている。
 ヴァンピルにとって、人間の血は最高の麻薬。飲めばその分だけ力が増すが、代わりに理性を削っていく。一人の人間を殺すぐらい血を一度に飲んだりしたら、ミカエラ自身の自我がどうなるかわからない。
 多量の血液を摂取してそれでも自我を保てるなんて、ローゼンティアでも特殊な血統、ノスフェル家の者ぐらいだ。生憎ミカエラは下級貴族テトリア家の血筋だから、そんな魔力はどうあがいても手に入れられない。
 ……ノスフェル家という言葉で、兄を思い出した。大好きなロゼウス兄様。
「何を考えてるのかなぁ?」
 物思いは、少し背筋をぞくりとさせるほど冷たいルイの声によって遮られた。
「ま、いいや。君が何を考えていようと、関係ないんだよ。君は僕の玩具だもの。かわいいかわいいミカエラ」
「だ、誰がおもちゃ……あっ」
 ミカエラの反論を聞かず、ルイはまたも股間に顔を埋めて、それを舐め始める。口全体を使ってのその行為に、ミカエラもいい加減減らず口を叩いていられない。
「あ……、ひ、あ、あああっ!」
ルイの頭に手をつき、エヴェルシード人特有の蒼い髪を乱しながら、必死で理性を追いあげる快楽と戦う。それでも最後には流されて、憎い男の口の中で達してしまった。
「ふぁ……はぁ、は、はっ」
「相変わらず君のって薄いねぇ」
「だから……余計なことを……」
「まあ、いいや。これだけあれば用は足せるでしょ。ほら、男同士で正常位はツラいんだから、とっととその白くて可愛いお尻を出してよ」
「可愛い言うなっ!」
 ルイはミカエラに命令しながら、その実自分でさっさとミカエラの体を抱えて体位を変えさせた。彼の言うとおり尻を突き出す体勢を取らせられ、死ぬほど恥ずかしいがそうも言っていられない。それに。
「震えてるよ、ミカエラ」
「う、うるさい!」
「まだ怖いの? もう何度目だと思ってるの?」
「……うるさいっ!」
 最後の言葉は、涙声になってしまった。
「うあっ!」
 尻に人肌を感じたと思ったら、ルイの舌が肛門に捻じ込まれた。唾液と先程ミカエラが吐き出した精液を塗りこむようにして、中をかきまわす。
「ひっ、ああ、いや、やだぁ!」
 十分に濡らしたあと、彼の指が突っ込まれた。直腸内をさんざん弄り、この後のためにならす。
「ふ……う、あ、ああ」
「気持ちいい声になってきたね、ミカ」
 前立腺を擦られる悦楽に、身体が勝手に溺れる。
「また泣くの? もう、何度もやってるんだからそんなに痛くないでしょ?」
「あ、ああ……うあぁあ」
 もう返事も悪口も言う事ができず、意味をなさない喘ぎだけを零す。
 この城に連れてこられて、彼に無理矢理引き合わされた。女性すら知らなかったのに、いきなり男同士で、犯された。
「これでも、君は身体が弱いからって、十分に手加減してるんだよ?」
 頬を勝手に涙が滑り落ちていく。快楽と恥辱、溺れることと、譲れない思い。
「じゃ、いくからね」
 胸中で叫んだ助けを呼ぶ声は届かず、ルイはミカエラの尻を掴むと、自分のものをさっさと後ろに当てた。
「うあぁあああああ――」
 身体は快感に溺れても、声にならない痛みが胸を貫いていった。

 ◆◆◆◆◆

 ワイングラスを傾けながら、エルジェーベトは過去を思い出す。今日会った陛下の美しい顔立ちを思い出していたら、十七年前のことが自然と思い出された。あの頃、彼女はまだ十歳少しの子どもだったけれど。
 シェリダンの前の王、ジョナス王は賢君から暴君へと、晩年になるに連れてその評判を落としていく男だった。晩年と言っても享年五十、まだ十分に若い王だったのだが。
 その切っ掛けとなったのは、下町の美しき乙女、ヴァージニア=ヴラド。
 物思いに耽ろうとするところに扉がノックされて、エルジェーベトは相手を入るよう促した。どうせ相手はわかっている。
「どうぞ」
「では、失礼します」
 足音から判断した相手に間違いはなく、ジュダがやって来た。こちらが何も言わないうちから勝手に応接椅子に腰を下ろす。一応エルジェーベトのほうが現在の爵位は上なのだが、この男はそういうのを気にしないところがある。いや、気にしないと言うより、知っていて無視しているのだ。
「血の匂いがするわよ、伯爵」
「ああ、失敗してしまいましたか」
 袖口の赤い染みについて指摘してあげると、飄々とした顔でそれを撫でながら笑う。エルジェーベトはテーブルの上に身を乗り出して、彼の襟を肌蹴た。男にしては綺麗な肌の首筋に紅い痕。続いて晒させた腕には切り傷。
「あの可愛い王妃様と浮気でもしてきたの? 伯爵」
「その言い方はおかしいですよ。私は今のところ誰とも契りを交わしていないのですから、浮気したではなく、浮気させたが正しいのではないですか?」
「まあ。口の減らない男ね。それで、本当はどっちなのよ」
「御名察……と言いたいところですが、違いますよ。あの王妃陛下は、シェリダン陛下以外に見向きもされませんから」
「まあ、立場が立場だと言うのに、仲がよろしいのねぇ」
「ええ。疎ましいくらいに」
 腕を組みながらさらりと言ったジュダの瞳を見て、エルジェーベトはおや、と思う。この男、これまでこんな顔をしていたか。
八年ほど前に惨事を起こし、爵位を降格された青年は長い間虚無の瞳で世の中を面白げもなさそうに見ているだけで、こんな、薄暗い欲望を湛えた瞳などしていなかったはず、と彼女は記憶している。
 彼も、先王が生きていた時代に大きく変わってしまった人間の一人だった。ジョナス王はその腐敗を自分一人で追うだけではなく、周囲の人間にも撒き散らした。金を集め、色事に興じ……シェリダンが即位するまでに確かにそんな時代があって、彼はそんな時代の余波を受けた一人だったと思う。
「昔はこんな風に話すことなんてなかったのにね。どういう心境の変化? 伯」
「何、まだまだ人生長いのだから、もう少し楽しんでみようと思っただけですよ」
「へぇ? それで、あなたも吸血鬼に手出しをしているわけ?」
「ええ。ローゼンティア王家は、美形が多い一族ですからね」
 そこまで一緒か。エルジェーベトは素早く脳内で計算し、相手の思惑を測る。もっとも、予測しようとして予測しきれる相手ではないから、このエルジェーベトより少し年下の伯爵は面白いのだけれど。
 彼の手首にある傷痕は、故意に血を流した痕。それも、近くに牙の痕らしきものも見える。
 すなわち、吸血鬼に血を提供した痕。そして王家の者ということは。
「誰を匿っているの?」
 ローゼンティアを上手く使えば、エルジェーベトたち貴族程度にだって、エヴェルシードの王位がとれる。再興を唆して、その暁にはこちらの目的に協力させることを条件に王城へ攻め入るなど、その気になれば容易いこと。
 もっとも、ローゼンティアに実際攻め込んだエルジェーベトにそんな気はない。
 エルジェーベトは純粋にあの綺麗なミザリー姫と、その弟王子を気にいっただけ。
 彼女があの二人を慰みにすることはともかく、下手に謀反の心を起こしたりしない者を、ローゼンティア侵略の際の派兵にとシェリダンはわざわざ選んだのだから。
 少なくともジョナス王よりは、あの少年は見込みがある。
 エルジェーベトはだから、自分の趣味を邪魔されない限りは少年王についていくつもりだ。放っておいても、シェリダンはそんな国が傾くような間違いはしないだろうし。
 正直、エルジェーベトはエヴェルシードのことなどどうでもいい。夫を亡くし、子どもを亡くしたあの日から全てがどうでもよくなった。
 それでもこんな広い城に一人で閉じこもっているのはつまらないし寂しいから、時々ああやって綺麗な娘を連れてくる。または、今回の戦争のように戦いに赴き、血の高揚の中で自分を忘れる。
 その方が気持ちいい。つらつらと考えごとをするのは、自分の性に合わない。
 本当はもっと気楽に生きていたかった。けれど、それは叶わなかったから。
「竜王子」
「え?」
 ワインを注ぎながら、小さく呟かれたジュダの声に耳を澄ませる。でもその意味がわからない、確かローゼンティアの王子や王女には、その性質を現す異称をつけるとのことだったけれど。
「第一王子、ドラクル殿下ですよ」
「第一王子ぃいいい?」
 エルジェーベトはワインを注ぎ終わると、それを乱暴にジュダに突きつける。赤い液体が白い上着に撥ねて、伯爵が一瞬恨みがましい目つきになるけど気にしない。
「何? どうしてローゼンティア侵攻に出ないで国内でカミラ殿下のご機嫌取りをしてたあなたのところにそんな重要人物がいるのよ」
「簡単です。手を組んだからですよ。殿下と」
 ジュダは何を考えているのか、そんな風にエルジェーベトに手の内をあっさりと晒す。
 もちろん、この男のことだからこれも嘘かもしれないが。ああ、やだやだ。貴族の駆け引きなんて面倒くさいだけで嫌なものだ。
 エルジェーベトはエヴェルシード人らしく戦うのは好きだが、上流貴族の権謀術数なんて得意ではない。ただいつも、心の赴くままに生きてるだけ。
「へぇ? それで、あなたはその第一王子様を使って何をしたいの?」
 ジュダのこの行為を、たぶんシェリダンは知らないのだろう。教えてあげるべきかどうか、迷う。
 しかしエルジェーベトがただ言ったところで、あの少年王に信じてもらえるかどうか。こんなうさんくさい人間でありながら。この男が貴族の中ではユージーン侯爵と同等の重みを持つシェリダン王の懐刀だというのは変わらない。
 この男を追い落としたところで、エルジェーベトに何の利益があるわけでもない。
「まあ、いろいろとしなきゃいけないことはありますし、どこまでがしたいことでどこからがしなきゃいけないことかって線引きをするのは難しいですよ」
「そう? あなたを見ていると、どうもそうでもなさそうだけれど。道化の振りして、あなた案外に自分の事はよくわかっているのではなあい?」
 エルジェーベトが言うと、イスカリオット伯は鼻じろんだ。
「ふん……やはり、あなたは妙なところで鼻が利きますね。エルジェーベト卿」
「それはどうも。それで、私に何を頼みたいの? あなたが私のところに何の用もなく来るわけないものねぇ。バイ伯爵」
「そうですよレズ公爵。あなたにお願いしたいのは……何もしないことですよ。せいぜいあのミザリー姫とでも遊んでいればいいんです」
「そう? でも、ミザリー姫の紹介で今度は王妃様とイイコトをしようと思っていたのだけど」
「ああ、それは……」
 ジュダが何事かいいかけて、口を濁した。
「それは、まあ……その時になればわかるでしょうが……・とにかく、あなたは何があっても、気にしないでいてくれればいいのです」
「ふぅん」
 招いたのはこちらとはいえ、人の城に押しかけておいてなんて勝手な言い草。
 だが好きにすればいい。エルジェーベトは何も気にしないし。この世の全てはどうでもいいのだから。
「ところでエルジェーベト卿、あなたはあのミザリー姫のどこが気にいったんです?」
 腰を上げる前に出されたワインだけは一気飲みし、心底不思議な表情で、部屋を出る直前にジュダが尋ねて来る。
「あの、綺麗だけどからっぽなとこ」
「へぇ……悪趣味のあなたらしい。私だったらあんな女は頼まれてもごめんですが」
「あなたに悪趣味とは言われたくないわね」
 今シェリダン王に仕えている小姓の中に、かつてこの男が飼っていた双子人形がいるというのは有名な話だ。
「まあ、いいと思いますけどね。何もない姫君と、何もしない公爵」
 意味ありげなその言葉だけを置いて、ジュダは部屋を出る。
 私は何もしない公爵。
 わかっているから特にどうということもなく、エルジェーベトは再び血のようなワインを煽った。