荊の墓標 11

058*

 そして、シェリダンたちは今、ジュダの手引きでバートリ公爵エルジェーベト卿の弟、ルイ=ケルン=バートリに引き合わされるところだ。
 正確には、その彼が囲っているローゼンティアの第五王子殿下に。何とかして彼の姿を出させるところまでもっていかねばならないと思っていたのだが、意外とあっさりそれは叶った。
「いやあ、本当に美しいねぇ、陛下。女の子みたいだ」
 男としては複雑になるしかない台詞にも耐え、努めて平静を、できるならさらに上機嫌な振りまでして、ルイの話にあわせる。
「お褒めいただいてありがとう。お前も良い顔立ちだ」
「陛下のように綺麗な方から、そんなことを言われるなんて光栄ですよ。まさかあなたが、僕と同じ趣味だなんて思いませんでしたけれどねぇ」
 確かに同性愛者同士ということで同じは同じだが……この男とは同じにされたくないような気もする。
 軽く会話を交わしたあと、シェリダンたちは廊下へと出た。
「ところで、あなたが捕らえているという、ローゼンティアの王子とやらを見てみたいのだが」
「え? ああ、ミカエラ王子? 捕らえてるのは僕じゃなくて姉さんだけど、いいですよ。そのぐらいなら。確か陛下は、そのローゼンティアからお妃をもらったのでしたよね」
 ミザリーには姿を隠して、後からついてきてもらっているが……距離によっては聞こえているかもしれない。この会話。ローゼンティアの民に言わせれば、もらったではなく攫ったのが正しいと、どうせあの女は喚き出すのだろう。
 当のロゼウスは今、この場にはいない。エルジェーベトの呼び出しに応じて、彼女のもとへと向かっている。
 こうなってはもう仕方ないので、彼が男であるとバレるのは諦めよう。だが、それがあまりにも早すぎては駄目だ。まさか最後まで気づかれずに乗り切るなどと言うほど楽観視はできないが、とりあえずシェリダンたちが第五王子を取り戻すまではもってもらわないと困る。
「ああ。我妻はローゼンティアの……第四王女だ」
 咄嗟に思いつかなかったとは言え、ロザリーを勝手に妻にしてしまった……。シェリダンは密かに落ち込んだ。
「そうですか。現在姉のもとには世界一の美姫と言われるミザリー姫がいますが、その姫君も美しいのでしょうね。何しろヴァンピルは美形ぞろいだと言いますし」
「ああ、そうだな……これから会いにいく第五王子とやらは、どうだ?」
 そこで、ルイが意味ありげに口元を歪めた。
「ええ――綺麗ですよ。すっごく、可愛いって感じですね」
「可愛い?」
 黙っていれば陶器の人形のように、美しいという形容ならロゼウスにも当てはまる。ロザリーにも。ミザリーにも。だが……可愛い? 確か年齢はシェリダンより二つ下ぐらいだろう? 可愛いという歳か? 二十代半ばのルイから見れば……可愛いという言葉で表すものなのだろうか。
「それは……楽しみだな」
「そうですか。いやぁ、本当に嬉しいなぁ。陛下が僕と同じ趣味だなんて」
「…………」
 ジュダとハデスは今にも笑いそうなのを必死に堪えている。こいつらまで連れてくるのではなかったか。いやしかし、自分と同じ性癖を持つ相手と二人っきりというのも……ええい、早く終われ! 
 そんなことを考えているうちに、目的地へついたようだ。
「ミカ? 僕だけど入るよ――」
 ルイが扉を開けた途端、枕が飛んできた。
「うるさいこのボケっ!! その呼び方やめろって言ってる!!」
 …………さすがあのロゼウスとロザリーとミザリーの弟だ。
 開扉一番枕の洗礼を受けたルイを押しやり、牢獄と言うにはいささか優雅な部屋へと足を踏み入れる。
 ルイの隣に立ち、どうやら寝台に寝転んでいたらしい相手の顔が目に入る位置に行く。病弱と伝え聞くとおり、普段は寝台の上で過ごしているらしい。上半身を起こした向こうからも、シェリダンの顔が見えるはずだ。
「だ……れっ!?」
 始めはわからなかったようだが、後で思い出したか。ローゼンティア侵攻の際、ほとんどの王子は王城に、シェリダンが攻め入った広間に残っていた。彼もその一人なのだろう。次の瞬間、叫ぶ。
「エヴェルシード王!」
 シェリダンは歩き出し、傍らのジュダが動いた。ハデスは扉を開けに行き、そこからミザリーが飛び込んでくる。
「ちょ、ちょっとこれ、どういうことだい? 伯爵ぅ……」
「すいませんね。ルイ。しかしこれも主君の命令なんで」
 ジュダがルイを拘束している。姉であるエルジェーベトに幾つかの領地の統治を任されている弟は、彼が普段からしている道化の振りよりは有能なのだろうが、この国で一、二を争う腕の持ち主であるジュダに勝てるわけもない。
「ミカエラ!」
「ミザリー? ど、どうしてエヴェルシード王が……」
 ミカエラ王子は前触れもなく仇の姿を眼にして驚いたのか、胸に手を当てて必死で呼吸を整えている。その彼にミザリーが縋り付いて、雛を守る親鳥のように、シェリダンを威嚇する。
「これで用件は果したな」
「……ええ」
「なら、さっさとしろ。ロゼウスを迎えに行くぞ」
「ロゼウス兄様がいるの!?」
 何の事情説明も受けていないミカエラが、敵味方も何もかも忘れた様子で詰め寄ってくる。
「教えてくれ! 一体何がどうなっているんだ! どうして、この国の捕虜になったというロゼ兄様が……」
 最近になって何度も直面している問題だが、今回ほどシェリダンが頭を悩ませたこともない。シェリダンとロゼウスの関係はどういう風に説明しても、この王子の弱いらしい心臓を止めそうだ。

 ◆◆◆◆◆

 その頃、ロゼウスはバートリ公爵の部屋にいた。
「よく来たわね。王妃様」
「……ミカエラのこと、ミザリーお姉様から聞いた」
「そう。だったら話は早いでしょうね。私の趣味のことまで、ミザリー姫は話した?」
 ロゼウスは入り口近くに立ち尽くしたまま、応接椅子でワイングラスを傾けている女公爵と言葉を交わす。
 ロゼウスはシェリダンたちがミカエラをエルジェーベトの弟の手から取り戻すまで、なんとか彼女の目を誤魔化して時間を稼がなければならない。この公爵は男には全く興味がないらしいから男だとバレた瞬間に興味をなくされて引き止められなくなるだろうから、できる限りわからないようにしないといけない、らしい。
「一応……」
 近寄ればさすがに男だとバレるだろうから、こうしてできる限り距離をとる。一応ロゼウスのドレスは胸がないことを誤魔化すようにケープ付きだったり、喉仏隠しにチョーカーをつけていたりするのだけれど、やっぱり心許ない。
 しかし女公爵閣下は、それで納得してくれる気はないようだ。
「まあ、こっちにいらっしゃいよ王妃様。そんなところでは、ろくに話もできないわ」
「い、いえ、どうかこのままで……」
「まあ。それでは何も楽しめないじゃないの」
 拗ねたように唇を尖らせた妙齢の女性が、口元に笑みをはいて手招きする。
「おいでなさい。弟君の命が惜しくないの?」
 なんてわかりやすい脅迫だ。ロゼウスはエルジェーベトの正面の席に座る。長椅子の上の、自分の隣の空間を叩いたエルジェーベトは一瞬不満そうな顔をしたが、妥協するらしく頷いた。
「媚薬入りのワインよ。飲む?」
「……いいえ。お酒は、ヴァンピルには利きすぎますので」
「なんだ。つまらないわねぇ。ミザリーはあれでも付き合ってたわよ?」
 それは姉様が兄妹一の酒豪だからです。テトリア家の兄妹はみんな恐ろしく酒に強い。
「ねぇ、妃陛下」
 エルジェーベトがテーブルの向こうから身を乗り出し、鎖骨の辺りに指を伸ばしてくる。
「くだらない前置きはいらないわ。さっさと楽しいことをしましょうよ」
「いえ、むしろ前置きが長い方が……」
「つべこべ言わず、さっさと下になりなさいってば」
 その言葉を聞いたかと思った瞬間には、もう視界が天井を映していた。え? ちょ、待て! 早い、早業だよこの人!
 そして、なにやらロゼウスの様子に不審を抱いたらしく、胸元を乱暴にまさぐり、スカートの中にまで手を突っ込んだ。胸はともかく下に触れて、その顔が思い切り引きつる。ああ、思ったよりもバレるの早かったな……。
「あ、あなた、お、おと――」
「そこまでだ。バートリ公爵エルジェーベト」
 シェリダンの声がして、入り口の辺りが騒がしい。
「ロゼ兄様!」
 ここ数ヶ月聞いていなかったミカエラの声が、ロゼウスの名を呼んだ。
「どうやら」
 エルジェーベトが実につまらなそうな顔で、ロゼウスの上からどく。
「これから、ちょっとした説明会って感じ?」
 なんだかあっさりしすぎている気もするが、計画は成功したらしい。

 ◆◆◆◆◆

 今日も、人買いの男たちに抱かれた。抵抗もしないこちらを殴りつけるのがよほど楽しいのか、体のあちこちに痣ができている。
 すぐに傷の治る吸血鬼とは言え、痛いものは痛いのだ。ジャスパーは牢の中に横たわって、痛みを堪えていた。
 少しでいい。休みたい。
 あんな男たちに全身をまさぐられ穴と言う穴に突っ込まれてよがり狂う自分が惨めだ。奉仕しろと近づけられた男の醜いものを無理矢理口の中に含まされしゃぶらされるのは恥辱だ。
 ジャスパーはヴァンピルだから他の人間の子どもより丈夫だからと、男たちは毎日毎日、飽きもせずジャスパーを犯しに来る。逃げようにもヴァンピルの力を封じる銀の枷がそれを許さない。
 ジャスパーがノスフェル家ほどの力を持つヴァンピルならば、例えば枷の嵌められた足や腕を切って拘束から逃れ、その切れた場所を再び元通りに繋ぎ合わせるなんて荒業もできるだろう。
 だが、ジャスパーのヴァンピルとしての能力はさほど高くないし、過日のエヴェルシード侵略で一度甦ったばかりだ。あの時だって蘇生者がノスフェル家の血を引くルースだったからどうにかなったようなものなのに、これ以上無茶をしたら……どうなるかわからない。
 だからジャスパーは大人しく人買いたちに囚われたまま、昼となく夜となく男たちの玩具になっている。
 痛くて苦しくて恥ずかしくて辛くて、よっぽど死にたいと思ったこともある。あるけれど、ジャスパーは死なない。
 死んでしまったら本当に、どうにもならない。家族にだってもう会えない。何をするにも、自分が無事でいないと始まらないのだ。
 男たちはジャスパーを、来週奴隷市の競売にかけるらしい。だから顔は傷つけるなと、首領が怒鳴っていたのを聞いたし、他の男たちもそう言っていた。
 今でさえ最悪な環境なのに、売りに出されてしまったら自分はどうなるのだろう。
 不安が胸に渦巻く。逃げ出したい。でも逃げられない。いっそ大声で叫んでしまいたいのに、それすらもできない。声が、出ない。
 もう、狂いそうだ。
 狂ってしまったほうが、楽だ。
 誰か助けて。
 でも、誰にも届かない。声が出ない。
「よぉ、王子様」
「……っ」
 また、人買いの男たちの一人がやってきた。組織の中でも特にジャスパーを気にいっているらしい一人で、来週早々に競りにかけなくてもいいだろうと、頭領に何か言っていたくらいだ。結局頭領の決断は変わらなかったらしく、ジャスパーは来週競売にかけられるらしいが。
「お前とこうして楽しめるのももうちょっとだからな。また遊びに来てやったぜ」
 横たわっていたジャスパーは体を起こすより早く男に引きずりあげられていた。銀の首輪に指がかけられて、首が絞まる。呼吸ができなくて苦しい顔を見て、男が下卑た笑みを浮かべる。
「……っ」
「何度見ても綺麗なツラだな、お前。本当、売っちまうのがもったいねぇ……いっそ、俺と一緒に逃げるか? 頭領の目盗んでよ。できなくもねぇんじゃねぇか? お前だって、これだけ毎日抱きに来てんだから、そろそろ俺に気を持ってんじゃねぇのか? ああ?」
 この男は何を言ってるんだろう?
 僕があの人以外を好きになるはずなんてないのに。
「何とか言えよ王子様。ああ、声出ないんだっけ? ……どんな声してんだお前? 聞いてみてぇなぁ……」
 男の指がゆっくりとジャスパーに伸びる。触れられた箇所が粟立つ。背筋に震えが走り、頬が強張る。
「なんだ? まだ俺のことが怖いとか思ってんのか? 最近は優しくしてやってるじゃねぇか? なあ」
 でも最初は、この人買いたちの中で誰よりも楽しんでジャスパーを痛めつけていた。
 怖い。怖いよ。やめろ。やめて。僕に触れるなもう誰も。
 兄様。助けて兄様。ロゼウス……
 白銀の髪に、血のように深い紅の瞳を持つ兄の姿を思い浮かべる。大好きなロゼウス兄様。兄様に会うまでは、僕は。
「―――っ!」
 男がぼろぼろになったジャスパーの服をまくる。
「ん?」
 そして怪訝な声を上げた。
「おい、どうした? この痣?」
 ジャスパーはぎくりとした。これまではよくよく目を凝らさないとわからなかった、腰にある痣が段々と色濃くなってきている。
 これは、この痣は……。
 到底説明できるはずもなく、硬く口を引き結ぶ。
「まあ、いいか。どうせお前は丈夫なヴァンピルだし、すぐに治るだろ」
男は構わずに、露出された肌に舌を這わせる。ヴァンピルの力を銀の枷に封じられた状態では、普通の人間の子ども並みの腕力しかないジャスパーには屈強な男に抵抗できない。
「大人しくしてろよ。すぐに気持ちよくさせてやっからよ」
 勝手なことを言っては、男は犬のようにジャスパーの胸を舐める。入念にねぶられて、下半身が反応し始めるのがわかる。
 恥ずかしい。辛い。いやだ。こんなところで、こんな相手と、こんなことで。なのに、触れられた体の反応は抑えられない。
「……ッ、……」
 やわやわと触れられて、丹田から快感が込み上げる。
 いやだ、いやだいやだいやだ! 
 みっともなくて惨めすぎて狂いたくなる。こんなところでこんな相手に犯されることも、犯されて感じることも。
「気持ちいいのか? じゃあお前も俺によくしてくれよ。なぁ?」
 言って、男が自分のものをジャスパーの口に押し付けてきた。ここで断ると後で酷い目に遭わされると経験が言っている。だから、しぶしぶと口を開いて生臭いそれを受け入れた。
「へへ。やっぱりお前もちょっとは俺に気を許してんだろ?」
 馬鹿な男。救いようのない愚か者。
 ジャスパーを犯す男たちが強要するこの行為を、ジャスパーは決して好き好んでではなく、後で殴られたり鞭で打たれたくないためだけに許してきた。そんなことに気づきもしないで、浮かれている馬鹿な男。
 ぴちゃぺちゃと淫猥な音が牢を満たし、男がやがてジャスパーの口の中で達する。
喉を突かれたジャスパーはむせ返り、荒い息をついておざなりな口淫に疲れきった顎をしばし休める。
 しかし男はそれを待たなかった。
「!?」
「ようし、じゃあそろそろこっちもいけるだろうな」
 無理矢理ジャスパーの足を開かせ、男がのしかかってきた。これから始まることの嫌悪に、全身が強張る。力を抜いた方が楽なのはもうわかっていたけれど、心がどうしても挿入の苦痛と恥辱を拒否するのだ。
 いやだ。いやだ。これ以上はいやだ。
 胸の中で呟いて、でもそれが叶ったことはない。だけど。
「お楽しみ中悪いんだけどさ」
「な、何だお前?!」
 牢の入り口に黒髪の少年が立っていた。
「僕、その子に用があるんだよね。二人っきりにさせてくれない?」
「ふざけんな! 誰が……っ?!」
 少年の言葉に激昂して立ち上がりかけた男の眼の前に、白い手が突き出された。少年が何事か唱えると、それまでジャスパーを組み敷いていた男は自我を失った人形のように虚ろな目になって、何も言わずに牢を出て行った。
 明らかに異常な様子に、ジャスパーは戦慄を覚える。
「さてと」
 邪魔な男を何か怪しげな術で追い払ったその少年は、真っ直ぐにジャスパーへと向かって来る。
「ローゼンティア第六王子、ジャスパー殿下だね」
 彼はジャスパーの名も素性も知っていた。
「!?」
「ああ、声出ないの? ……じゃあ、これで喋れるでしょ」
 彼がジャスパーの喉に触れると一時的に失語状態に陥ったジャスパーの声が戻って来た。
「あ、あなたは……」
「君の痣を確かめに来た者」
 そう言って、彼はジャスパーの、先程の男に乱された服を思い切りまくる。左脇腹の少し下辺りに、先程の男にも指摘された、薄い痣がある。
「……薔薇の皇帝……そう、やっぱりね」
 少年は何かを小さく呟いて、ジャスパーから手を離した。そしてしゃがみ込んで目を合わせ、告げる。
「来週の奴隷市、逃げちゃ駄目だよ?」
 どうにかここから逃亡できないかと図っていたジャスパーの心を見透かすように、彼は告げた。
「いい子でそれを待っていれば、きっと良いことが起こるから」
 それだけ告げると、彼はなんと、ジャスパーの眼の前で姿を消した。あれはまさか、世界でも滅多に使えるものがいないという移動魔術なんだろうか。
「いったい……何が起きてるんだ?」
 自由に声が出るようになった喉をさすり、ジャスパーは少年の言葉を、信じようかと言う気持ちになっていた。