荊の墓標 11

059

「えー、いやぁああ、つまんなぃいいい!」
 この人、っていうかこの姉弟はまともな口調で喋れないのだろうか。
「あーあ、つまんないつまんない。美人王妃って言うから期待したのに男だなんてぇえええ」
 一たび皮を向けばこの女公爵も弟と同じ口調だ。その弟は先程会ったばかりの人物だが。
「と、に、か、く、そういう事情だ。わかったか」
「わかりましたわ。つまり陛下はルイと同じご趣味で、本当は男の王妃様とよろしくやってると」
「やぁ、仲間が増えて嬉しいなぁ」
「…………何故だろう。内容的にはあっているはずなのに首肯を拒否したくなる」
「諦めてくださいよ陛下。客観的に事実を見たら、そこには変態という人生の墓場しか残りませんって」
 バートリ公爵エルジェーベト卿と、その弟のルイに、ロゼウスとシェリダンの関係を説明したところだ。返った答えが前述のようなものだった。
「お兄様が……女装……お兄様が…………ドレス……お兄様が、エヴェルシード王となんて……」
 こちらはこちらで、ロゼウスのすぐ下の弟にあたる第五王子ミカエラが別の世界に行ってしまっている。見間違いではなく、確実に顔色が悪い。
「ま、私はもう何も言わないわ」
 ミカエラより一足早く真実を知ったミザリーは、もう諦めきった様子だ。
 どうにか未遂だったというどうしようもない理由を背景におきつつ、ロゼウスたちはエルジェーベトの私室で話をしている。シェリダンはこの女公爵も自分の懐に抱きこんで手駒とすることに決めたらしい。なんでも、エヴェルシードの貴族では一、二を争う軍事の天才なのだとか。
 それを聞くと、その女公爵が先陣を切って攻め込んだ国の生き残りであるロゼウスは、複雑な気持ちになる。
 だが過ぎたことを嘆いても仕方がない。今は、これからのことを考えないと。
「わかったな。バートリ。貴様の捕らえたこの二人、第三王女と第五王子はもらっていく」
「しかたありませんわねぇ。ま、王宮に行けば会えるってことだから、いいって答にしときますわ。でないと、そこにいるイスカリオット伯に今すぐにでも私たちの首を斬らせるのでしょう?」
 エルジェーベトという人は、やけに諦めが良かった、ロゼウスがこれまで見た、策謀に破れたどんな貴族よりもあっさりと、自らが捕らえた捕虜二人の所有権を主君に譲る。
「それでいい。バートリ女公爵。貴様は祖国に忠実な軍人だ」
「それは光栄ですわ、陛下。ところで私のことは、エルジェーベトでいいとお願いしましたけど」
 これでまた、ロゼウスの秘密を知る者が増えた。
「寂しいけど仕方がないよね。国王陛下の命令だもの。一人寝が辛くなったらぜひ僕のことを呼んでね、ミカエラ」
「絶対に、ない!」
 ルイがミカエラの手をとり、邪険に振り払われている。
「まぁ、ハデス卿に唆された時からなんとなくこうなる予感はしていたのよねぇ。あの人はどこの誰の味方でもないって顔してるけど、私よりは陛下の味方ですものねぇ。陛下はあの方に気にいられてるわ。とても。そう」
 エルジェーベトが今回シェリダンを招待したのは、ハデスの入れ知恵によるものらしい。しかしロゼウスたちを戦慄させたのは、彼女の次の言葉だ。
「皇帝陛下よりも」
 ハデスはシェリダンに肩入れしている。
 その姉であり、世界の支配者である皇帝よりも。
「そんなことはないだろう」
 ひやりと鋭い切っ先を突然突きつけてくるようなエルジェーベトの言葉をかわし、シェリダンはそう言うに留めた。
「どうだかねぇ。だってあの人、口では姉さん大事と言いながら、実際は……」
「口が過ぎるぞエルジェーベト。謀反ととられる」
「ご心配せずともこの辺りでやめておきます。いくら私だって、世界を支配する神たる皇帝に反逆するなんて、そんな大それたことしませんわ。面倒くさいもの」
「面倒くさいだけか……」
 もっと深刻な理由がいろいろありそうなものだが、エルジェーベトの価値観ではそれが一番の重要事らしい。
「ええ。そんな馬鹿正直で真っ直ぐなことをやるのは、あなたのお友達のクルス卿ぐらいのものでしょう。あの可愛い顔した坊や」
「クルスは理由もなく皇帝に反逆などしない」
 裏切りの侯爵・反逆の剣聖と呼ばれるクルス=ユージーン侯爵はロゼウスも知る、良くも悪くもまっすぐな気性だ。世界を治めている皇帝を、私利私欲に任せて害することなどありえない。
「その代わり理由があったらなんでもやりそうよね。ああいうタイプは」
「……エルジェーベト」
「別に、私はクルス卿を馬鹿にしているわけではありませんわよ。ただ、あの方のことを表現するとそうなるだけで」
「……わかっている」
 ロゼウスはシェリダンと言葉を交わすエルジェーベトを静に眺めた。会話は二人が主導であり、ロゼウスやミザリー、ミカエラにルイなどは滅多に話に加わらない。
 だが、外側から見ていると、この女公爵の気性がだんだんと見えてきた。
 鋭すぎる人間観察の手腕。けれど、彼女自身はいつも何も動かない。ただ流れに任せ、欲望に任せ、それが困難になればあっさりと執着のもとすら手放す。自分の部屋の中より外のできごとはまるで知らないような顔をして、そのくせ周りの状況を把握するのは得意らしい。
 彼女の胸の中心には、虚ろな穴が開いている。だからこそ彼女はそれを埋めるために様々なものを観察する。けれど自分から積極的にそれを埋めるわけではない、それほど熱心に欠落の充足を求めているわけではない。
 胸に黒い穴をぽっかりと開けたまま、日々を過ごす。ゆっくりと広がっていくその狂気の穴を、時々の慰みで埋めながら。でも劣化に伴う微々たる修復では、いつまで経ってもその穴が塞がらない。いや。
 彼女は塞ぐことを望んではいないのだ。
「からっぽの公爵」
 考えついた言葉を、思わず口にしていた。
「ロゼウス?」
 ロゼウスの隣に座り正面のエルジェーベトと相対していたシェリダンが、聞きとがめて怪訝な声をあげる。ミザリーもミカエラも声こそあげないが、ロゼウスの様子がおかしいとはおもっているらしい。
 そして当のエルジェーベトは。
「へぇ……」
 エヴェルシード人特有の、橙色の瞳を細めてロゼウスを見ている。この国の人々の橙色の瞳と言うのはとても明るくて温かい色だと思ってはいたけれど、持ち主の性格によって印象は決まるらしい。ロゼウスの周りには温かく冷たい瞳を持つ人ばかりだ。
「……さすが陛下が目をお留めになるだけのことはあるのね、王妃様」
 振る舞いを見ているととても有能とは見えないバートリ公爵。だけれど彼女は、本当はとても優れた人間なのではないだろうか。
 ただ、それを支えるものがない。
 彼女の心の中は、いつもからっぽだ。
「そろそろ、本当にお開きにしましょうよ、陛下」
「エルジェーベト」
「もう夜も遅いわ。夜更かしは美容の大敵なの。あなたたちはぴちぴちの十代美少年だからいいけれど、女は三十を過ぎると衰える一方なのよ」
「そうだねぇ、姉さん最近肌にはりがな……痛っ!」
 余計な口を挟んだルイが耳をひっぱられる。
「ミザリー姫とミカエラ王子には、改めて部屋を用意させたわ。今案内させるわね」
 先程の言葉などまるでなかったように、ごく自然な所作で、彼女は話を終わらせた。だが、最後にロゼウスが部屋を出る際に一言、そっとこんなことを囁かれた。
「女の子じゃないのは残念だけれど、あなたとはまた個人的に、ゆっくりと話してみたいわ」

 ◆◆◆◆◆

「兄様……ロゼウス兄様!」
「ミカエラ……よく、無事で」
 シェリダンの部屋に戻ってすぐ、第五王子ミカエラがロゼウスに抱きつく。ロゼウスもその自分より頭半分低い身体を抱き返す。麗しい兄弟の再会の抱擁だが、見た目としては姉弟だ。
 ミカエラは久しく離れていた兄に再び会えたのがただただ嬉しいという様子で、人懐こい子犬のようにロゼウスに縋り付いている。
「兄様こそ、よくご無事で。兄妹がそろった時にもいらっしゃらず、エヴェルシードの捕虜となったと聞き、ずっと心配しておりました」
「ありがとう、ミカエラ。俺のことより、お前の方は大丈夫なのか? バートリ公爵たちに、酷い事はされなかった?」
 ロゼウスがミザリーよりミカエラと仲がいいと言うのは本当らしい。普通なら一番に心配してしかるべき美貌の姉の事は気にかけず、弟に対しては一番にそれを聞くとは。
「僕の方は……だ、大丈夫です。それよりも―――」
 ルイにされたな、とその様子から窺えた。けれど愛する兄にそれを告げるのは躊躇われるのか、ミカエラは必死に虚勢を張る。
「なんだ? ミカエラ」
 ロゼウスはそのことに気づいているだろうに、優しく見逃す。彼が家族に向ける慈愛深い表情などというものを、始めて見た。ロザリーとはほとんど友人のような対等の関係を築いているように見えるし、ミザリーとは多少そりが合わない様子を見せるロゼウスが、二歳年下の弟に対しきちんと「兄」らしく振舞っている姿など、シェリダンには想像がつかなかったが……。
「兄様、他の兄妹たちは……ローゼンティアの方も……いいえ。それより、まず兄様について教えて下さい。いえ、心中お察しいたします。このような格好をさせられて、どれほど屈辱的でしょうか……。ドラクル、アンリについでローゼンティアの誇る第四王子が、こんな、こんな目に……」
 ロゼウスにきつく抱きついて、その肩越しに第五王子はシェリダンを睨む。
 ロゼウスよりはむしろロザリーに似ている。顔立ちではなく、雰囲気が。顔立ち自体はルイが言ったように、ロゼウスやミザリーのような綺麗系ではなく、可愛い系の顔立ちだ。シェリダンの好みからは少し外れるが、美形の範疇には入る。
 だが、気にいらない。
 この少年は今だってべたべたと、ロゼウスにひっついている。会えなかった分を取り戻すというよりも、普段から四六時中ひっついているのが当然だとでもいうその様子。
 ……不愉快だ。
 「それ」は私のものなのに。
 シェリダンは自分を睨むミカエラの視線を受け流して、すいとその側に歩み寄った。何をする気かと強張った顔で無言のまま問いかけてくる彼を見向きもせず、ロゼウスを抱き寄せる。
「っ、シェリダン?」
「今夜はもう遅い。お前らはさっさと部屋に戻れ」
 ここにいる者全員、ミカエラ、ミザリー、ハデス、ジュダに向けて言い放つ。従者を連れてこなかったのは失敗だったか。リチャードがいればあの職務に忠実な青年は無感動に主命を聞いて、こいつらを追い出すだろうに。
「そうだね。僕はもう寝る。いこっか、イスカリオット伯」
「そうですね。どうせ今宵も陛下もお楽しみでしょうし」
 ハデスとジュダはあっさりしすぎるくらい素直に部屋を出て行く。しかしジュダが遺した台詞に含まれるものを敏感に感じ取って、ミカエラはますます敵意のこもった視線をシェリダンに向けてくる。
「貴様……っ、たかだかひ弱な人間ごときの分際で、お兄様にお手を触れるなど……っ!」
「これはこれは第五王子殿下。結構なお言葉をありがとうございます。そのひ弱な人間に助けられたお方はやはり言う事が違いますね」
「お前……っ!」
「ま、待てよ二人とも」
「やめなさい、ミカエラ。エヴェルシード王も、あまりこの子をからかわないでよ」
「だからそれが嫌なら早く出て行けと言っている」
 ロゼウスを抱いたまま言い捨てれば、ミザリーが溜め息をついた。弟の腕をとり、部屋から連れ出す。
「兄様……っ、そんな男のもとにいないで、どうか僕たちと」
「駄目よ、ミカ。あなたは私と来なさい」
「ミザリー! お前まで、どうして兄様を……っ!」
「いいから。さっさとしなさい。いいのよあれはあれで」
「兄様、兄様っ」
 注目すべきは一体どこか。あの王子、二歳違いのロゼウスに対しては「お兄様」で、六歳も違うミザリーはお前呼ばわりか……。
「あのガキをあまりつけあがらせるな。エルジェーベトから引き取ったとは言え、エヴェルシードの捕虜であることには変わりないのだぞ。しかも、私の手を煩わせてまで」
「ごめん。ミカエラは根はいいこだけど、ちょっと気性が激しくて。一日中寝台に縛り付けられて、鬱憤がたまってるからだと思うんだけど……あんたは俺たちの国を滅ぼした張本人だし」
「ああ、そうだな」
 だからどうしたと言わんばかりに返してやれば、いまだに腕の中のロゼウスが困ったように眉根を寄せる。なんだかこの城についてから、彼はこんな顔をしてばかりだ。
「あの、俺は、ミカエラを変態公爵の手から助けてくれて、感謝はしてるけど」
「ああ、それで?」
「……一応聞きたいんだけど、いくらなんでも、あんたまであの子に手を出したりは……」
 シェリダンは呆気にとられた。何を言っているんだこの馬鹿は。
「私の《妻》はお前だ」
「あ、ああ」
「感謝しているなら、態度で示せ。今日は私にたっぷりと奉仕しろよ」
「…………いつもしてる気がするけど」
 言葉は批難がましいが、その態度はやはりシェリダンに負い目があるということか、いつもと違って大人しい。
「何を、すればいい?」
 軽く俯いて、伏せ目がちにこちらと視線を合わせないようにしながら、頬を真っ赤に染めて問いかけてくる。
 いつもは顔をしかめていたり肉欲処理と割り切っているのか投げ遣りな反応しか事前に見せないロゼウスが、こんな顔で言ってくる事は珍しい。
 抱くのはシェリダンで、抱かれるのはロゼウスの仕事。ローゼンティアの民の命を肩に担う、それが自分の役目だと割り切って、シェリダンが求めれば素直に応じるが決して自分からは誘いをかけて来ないロゼウス。
 いつにない、無防備に恥らう様子に始まる前からぞくりと甘い痺れが背筋をかける。
「こっちだ」
 早々に寝台へと押し倒して、その唇を貪る。熟れきった林檎のような赤い唇からは、けれど果実の味などしない。
 触れ合った瞬間に感じるのは、苦味とも甘みともつかない薔薇の風味だ。さすがに花をその場で毟って食べている姿は体裁が悪いからと、最近は薔薇の花びらを砂糖漬けにしたものを用意させている。生でそのまま食べるのがいいのに、などと始めはぶつぶつ文句も言っていたが、いざ出来上がったものを差し出すと存外口にあったらしい。
 思う存分口腔を犯してから唇を離せば、紅など刷かずとも十分に紅く美しい唇が零れた唾液でべとべとに濡れ、なんとも淫猥な雰囲気を醸し出している。
「……ありがと、シェリダン」
 だけどそんな言葉を聞いたから、一度は覆いかぶさる腕の力を抜いて、まだ服を着たままだが胸と胸を合わせるようにしてその身体に乗り体重を預ける。仰向けの頬のすぐ横に顔を埋めた。
「……あの二人はシアンスレイトに連れて行くぞ」
「……うん、わかってる」
 くぐもった声で言えば、やけにさっぱりとした答が返る。
「私が、お前に対する態度は変えないからな、たとえ奴らの前でも」
「ああ、それでいい」
 足の間に足を置き、両の肩口に手をついて体を起こす。言葉で言えばそんなものだが、実際ほとんど体格の変わらない相手とこれをやるのは辛いはずだ。たぶんロゼウスが下だからこうなるのだろうな。同じ状況だともしかして私だったら耐えられないか?
至近距離で見つめあい、告げる。
「お前は私のものだ」
「ああ、そうだ」
 私の捕虜、私の奴隷、私の妻。
 私のロゼウス。
 少年にしては細い腕がシェリダンの背に回される。涼しげな声が耳元でか細く囁いた。
「なんでも言って。なんでもしてあげるから。あんたの望む事は、なんでも」
 お前は永遠に、私だけのものだ。