060*
――何でも言って。
――何でもしてあげるから。
――望む事は何でも。
肌を柔らかくなぞる優しい愛撫。
始めの頃に比べて、シェリダンは随分優しくなった。
「ん……」
耳を噛まれて、思わず声があがる。胸元に伸ばされたシェリダンの手が、蛇のように怪しく蠢いて敏感な箇所を弄る。
ロゼウスは彼の肩にしがみついて、声を殺す。
「エルジェーベトの許可はとった」
「?」
「声を我慢するな。存分に鳴くがいい」
「だって……近くにミカエラたちが……あっ!」
それまでゆるゆると撫でられていた胸の先端をきゅっと抓まれて、走った刺激に思わず声が漏れる。口元を僅かに緩めたシェリダンに押し倒されて、寝台に縫いとめられる。
「ん……ふっ……」
口づけ。執拗で、濃厚な。脳髄までとろけるような、恍惚と官能。
「あ……」
離れていく唇の感触を名残惜しく思いながら、口の端を伝う糸が切れるのを見る。
珍しく両者とも裸なので(それが普通だという気もするが)、むき出しの肌が直接触れる。人肌の熱さに不思議な心地よさを覚えながら、頬を辿るシェリダンの指の感覚に身を任せた。
「ロゼウス……」
溜め息のような声でシェリダンがロゼウスの名を呼ぶ。
ロゼウス。薔薇の下の虜囚。
ふと、胸の内を痛みのようなものが走りぬけるのを感じる。
「どうした?」
「あ……いや、なんでもない」
けれどそれはあくまでも痛み「のようなもの」であって、痛みだとは断定できない。ただ、一滴の墨のように、虚しさのようなものが染み渡った。
その微かな息苦しさを忘れたくて、ロゼウスの方から言葉を発した。
「どうすればいい? 何をしてほしい?」
何でも言って。何でも。
どんな酷いことでも……受け入れてあげるから。
「……」
シェリダンが僅かに眉をしかめたので、ロゼウスは首を傾げた。嫌がって抵抗したり、乱暴だと文句をつけている時ならともかく、従順を目指しているこんな時まで、そんな顔をされるわけがわからない。
「シェリダン?」
「ああ……いや、いい。忘れろ。それより……」
何を言うつもりだったのか、言葉にしないまま彼はそう言って追求を封じた。その後目をそらして微妙に口を尖らせたところを見ると、不愉快と言うよりも、単に何かに戸惑ったり、困ったりしただけと言った様子らしい。でも、肝心のその内容をロゼウスは知らないままだ。
この時に、彼が言おうとしていたことに気づいていれば、あるいは未来は変わったのかもしれない。
しかし結局この時のロゼウスは言葉を引き出す暇もなく、代わりのように腕を取られて、昂りかけた彼のものへと触れさせられる。
ロゼウスは跪いて、それの先端を口に含んだ。口と手で、丁寧な奉仕をする。慣れたやり方だし、今更お互いに戸惑うこともない。
「はっ……」
目元から頬にかけてを薄っすらと紅く染めたシェリダンの様子を時折窺いながら、舌での愛撫を続ける。ぴちゃぴちゃと卑猥な音を響かせ、同時に指で刺激を与える。
「……くっ」
予告なしに達したシェリダンの白濁をなんとか飲み込み、彼のものから口を離した。口の端から垂れる雫を手の甲で拭い、僅かに呼吸を荒げるシェリダンが落ち着くのを、身体を起こして待つ。
彼の頭を胸に抱くようにして少し乱れた藍色の髪に触れ、その指どおりよい感触を楽しむ。
身体をふれ合わせているのが気持ちいい。髪をかきあげて現れたうなじに触れるだけのような口づけをすると、ぴくりとシェリダンが反応する。
「……ロゼウス」
「え……わぁ!」
引き剥がされ、肩から寝台に落とされた、膝を割られ、そこにシェリダンが顔を埋める。先程のお返しとばかりに、綺麗な唇を開いてロゼウスのものを舐め始めた。
「ちょっ、やめ……っ!」
「お前にだって少しぐらいはいい思いをさせてやる。いいから黙っていろ。……いや、好きに喘いでいろ」
「ちょっとシェリダ……ぁあん!」
ぞくぞくと背筋を駆け抜ける快感に、やがては抗議の言葉も出なくなった。言われたままに喘ぐだけになって、妙な気恥ずかしさと悦楽の波に耐える。
今日のシェリダンはどこかおかしい。いつもだったら何をするにしても、どこか退廃的で嗜虐的で皮肉な色合いが混じるのに、今日のこれは、ただ本当に肌を重ねることだけが目的だと言うような。
あまりにも優しい手付きに、戸惑いを覚える。何でもしていいと言ったのに、特に何かをしてくる様子もないし。
「ひぁっ……う、あ……ああぁ」
「お前はここが弱いんだな」
一度口を離してその部位を指で強く押されると、腰が砕けそうに成る程の快感を覚えた。
「ん……んんっ!」
達した後は全身から力が抜け切ってしまって、ろくに動けもしない。顔に飛び散った白濁を指にとってぺろりと思わせぶりに舐めてから、再びシェリダンが口づけてくる。
苦い、不愉快な自分の味わいに思わず眉根を寄せると、くすりと笑ったシェリダンがそのまま身体の下に指を差し込んできた。
「あっ」
具合を確かめるように入り口をなぞられ、もどかしい刺激に言葉が零れる。
自然に濡れない箇所にいきなり突っ込むようなことをする気もないらしく、彼は自分の指を自分で口に含んだ。指先を舐める姿はどことなく艶美で、ロゼウスは思わずその危うい伏目の表情に見惚れた。
十分に濡らしてから、再び入り口に差し込む。つぷりと直腸に潜った細い指が、内壁をかき回す。見た目だけ見ていれば綺麗な指だが、実は剣だこがある手だ。その絶妙な感触が、奥の一点を突くと、震えるような痺れが走った。
「っ!」
「ここだな」
艶やかに笑ったシェリダンがそこを念入りに突くと、えもいえぬ感覚が全身を駆け巡る。
「うあっ」
二本に増えた指がますます中を弄る。いろいろあって男に慣れた身体は、それだけで呆気なく感じ始めた。一度達して力を失ったものがまた欲望をもたげ始めるのを感じて、熱い息を吐いた。
「……私もそろそろ限界だな」
呟いたシェリダンに足を抱えられる。男同士で正常位は、よっぽど受け役が腰を高くあげないとできない。シェリダンの肩に両手をかけて、なんとか体勢を安定させる。
「挿れるぞ」
「あっ……!」
微かな痛みとそれを上回る心地よい圧迫感。一瞬詰まった息を吐き出して身体の強張りを解き、相手が動くに任せる。
「あ、ああっ、あ……っ」
抜き差しの音が淫猥に響き、奥の方まで硬い熱が支配する。直腸を擦りあげられる快感に、やがて頭が真っ白になっていく。
達する時の恍惚とそれが終わったときの倦怠感と、軽い眩暈を感じながら息を整え、その合間にシェリダンを見る。
彼もこちらを見ていた。目と目が合う。
「な、に……?」
「いや……」
言いよどんだ一瞬後に、性的なもののない、触れるだけの口づけを交わしてきた。
そして、幾度か聞いたその言葉を、また彼は繰り返し告げる。
「お前は、私のものだ」
「……うん」
なんだかんだあって今日は疲れたロゼウスは、半ば夢うつつでそれを聞く。
眠りに堕ちる一瞬前に少しだけ考えた。
ああ、これは誰の声だったかと。
◆◆◆◆◆
シェリダンに囚われてエヴェルシード《王妃》という立場になってから、どうも人間の生活リズムに体が合わせられてしまった
窓から離れた寝台だが、部屋の中にカーテンを通してか細い光が差し込んできたのがわかる。暁が近いのだ。
通常ならヴァンピルはこのぐらいの時間にようやく眠りに入る。吸血鬼の王国ローゼンティアにとって、起きて活動するべきは昼ではなく夜だ。
陽光がまったく駄目ということはないが、できるだけ浴びない方が望ましい。雨や曇りの昼間なら道をそのまま歩けるが、そうでなかったら日差しから身を庇う薄布が必要だ。
なのだけれど、最近のロゼウスは真昼間でも普通に外を歩いているし、夜には眠っている。体が勝手にこの生活に慣れてきて、夜明けになればこうして目が覚めてしまう。
寝台の中で目を開けて、まずはじめに隣で眠るシェリダンの顔が視界に入った。彼はまだ眠っている。ロゼウスと違ってまったくの人間だが、朝には弱いらしい。弱いと言っても国王である身に甘えが許されるわけもなく、よっぽどでない限りはローラやリチャードの手を借りて早起きし、朝議と呼ばれる朝の会議に出ているが。
でも今彼がいるのは、王城であるシアンスレイトではなく、バートリ公爵エルジェーベト卿の住居たる、ヴァートレイト城。城の主が急ぎの用でもない限り、遅くまで寝ていても構わないのだろう。
こうして間近で見てみると、シェリダンの美しさがよくわかる。ローゼンティア人にも負けないほど白い肌は滑らかで、藍色の髪も見事な艶だ。普段は印象の強い朱金の瞳も閉じられているから、思いがけず繊細な造作が明らかになる。僅かに開かれた唇から、安らかな寝息が漏れる。
昨夜の行為の後、そのまま寝てしまったのでロゼウスもシェリダンも裸のままだ。シェリダンの少年らしい、けれど鍛えられて筋肉がついている肩から腕のラインが露になっている。
そして、背中の癒えない傷も。
うつ伏せに寝ているその背の赤い鞭の痕を見て、ロゼウスはぞくりとしたものを感じる。
触れてみたい、と強く感じた。でも何故そう感じるのかわからない。指を伸ばしかけて途中でやめた。触れたら彼は起きるだろうから。
そしてこの奇妙な気持ちは、言葉になどできない、行動で現してもいけないものなのだと、理由もなく思った。
ロゼウスは寝台を出る。立ち上がった瞬間、内股をどろりとしたものが伝った。脚を滑り落ちる行為の残滓に、何とも言えない感覚を宿す。
この二ヶ月ほどで、彼と体を重ねることには慣れた。毎晩のように抱かれていれば、お互いのいいところも知り尽くす。
なのに、なんだろう。それでもまだ何か、物足りないような感覚を覚えるのだ。
当たり前だ。だってシェリダンは『彼』ではない。だから満たされるはずもない。
それがシェリダンのせいではなく、全部自分のせいだということはわかっていた。穴が開いているのはロゼウスの心で、その中に住んでいるのはシェリダンじゃない。
彼らが、なんとなくでも似ているとは思うけれど。
「…………はぁ」
極小さい声で溜め息をつき、埒の明かない思考を打ち切って何か脚を拭く物を探す。けれど、勝手のわからない城だ。召し使いを呼ぶわけにはいかないし、こういうとき何とかしてくれそうな面々は今回は一緒に来ていない。
それにエヴェルシード国内でも特に寒いというバートリ地方は防寒建築も優れているらしく寒さに悩まされることはないが、いつまでも裸でいるわけにはいかない。着替えようとして、服の替えを持ってきていないことに気づいた。今回は本当に突然の訪問だったから、旅行の支度など何一つしていないのだ。
「どうすればいいんだろう……?」
途方に暮れていると、控えめなノックがした。素っ裸で客を迎えるわけにはいかないが、返事をしないのも躊躇われる。思っていると、その人物は勝手に扉を開けて入ってきた。
「!?」
「あら、殿下」
ロゼウスは思わずしゃがみ込み股間を隠す……他にどうしろというんだ、この状況で。まだシェリダンが眠る寝台までは大股二歩の距離があるのに。
「エルジェーベト卿」
無遠慮と言っても差し支えない強引さで入ってきたのは、この城の主であるバートリ公爵その人だった。
「おはようございます」
「まだ、シェリダンは寝てるんだけど……」
やってきたのが彼女であったことに多少は安心したものの、妙齢のご婦人の前で素っ裸というのもどうかと。しかしエルジェーベトの方は、そんなロゼウスの状態を見越しての訪問らしかった。
「でしょうね。陛下の寝起きが悪いのは一部では有名ですし、処理をしないでそのまま寝てしまうというのもイスカリオット伯から聞きました」
……あの人はそんなことまで知ってるのか。
「で、ここにある簡易浴室とは違って、大浴場の方を用意させましたけど? 陛下はよくても殿下はそのままではお嫌でしょう? よろしければ、処理を手伝わせる者もつけますが」
「そ、そこまでして頂かなくても……」
だけど、大浴場、個室についている浴室ではなく、きちんと足を伸ばせる広さのある浴室という言葉には心が揺らいだ。
「とりあえずお風呂ぐらいは入ってください。僭越ながら着替えも用意させていただきました。ルイの昔の服で悪いのですが」
「あ、ありがとうございます」
エルジェーベトはロゼウスに薄布一枚被せると、そのまま自分で浴室へと案内してくれた。
「本当ならこのまま処理も手伝って、お背中を流して差し上げたいところですけれど」
「そ、それは……遠慮しておきます」
豊満な肢体の美女に背中を流させる、普通なら喜ぶべきところなのだろうが、この女公爵はなんとなく怖い。
「あーあ。本当にあなたが女の子だったらよかったのに」
男に生まれてよかった。この城に来てから何度目かわからないその思いをとくと味わう。
「ま、ではごゆっくり」
そう告げられて浴室に入ると、出迎えたのは意外な人物だった。
「あれ? ロゼウス?」
「ハデス?」
まさか言葉通りに処理を手伝わせる人間を寄越したのかと驚いていると、知った声に名を呼ばれた。見れば相手は、エヴェルシードどころかアケロンティス中でも数少ない黒髪黒瞳の少年だ。
「こんな時間に風呂?」
「お互い様だよ。僕はちょっとあっちの弟閣下に声かけられて」
……ルイと遊んでいたらしい。
それはともかくとして、初めてハデスの裸を見たロゼウスは、その右腕に見慣れない模様があることに気づいた。
「なあ、その腕、何?」
「ああ、これ?」
刺青のように見えた。気を悪くするかと思ったが、ハデスはどうやら気にしていないらしい。湯の中から右腕を上げて、模様を見せる。
「選定紋章印」
「?」
「世界皇帝の選定者の印だよ。この模様が浮き出た者が、皇帝を選ぶ役割を与えられる。そしてこの模様がそのまま皇帝紋章になる」
「……気のせいか、そこだけ肌の色が違わないか?」
皇帝の弟であるハデスは、その補佐役も努めている。それにはただ家族と言うだけでなくこんな理由があったのかと思っていたら、彼は驚いたように目を眇めた。
「よくわかったね。……だってこれは、移植したものだから」
「移植?」
「そう、僕の父親、つまり皇帝の父親からね。君も知っているんじゃないか? 大地皇帝の噂」
確かに、今の世界皇帝には一つだけ、芳しくない噂があった。
それは彼女が皇帝になったとき、補佐役とする弟を両親にねだり、彼が生まれた後はあっさりと両親の殺害を命じたということ。
「本来の選定者は僕たちの父親だった。でも姉さんは僕を選定者にするために、殺した父の腕の皮膚を僕に移植したんだ。だからほら、模様がひきつれてるでしょ?」
姉が自分を得るために両親を唆した挙句殺したことについて何の感慨も覚えていない表情で、ハデスは冷静にそう告げた。
「そう……なんだ」
ロゼウスは何を言うこともできずに、ただ頷くに留める。
風呂から上がると、エルジェーベトが用意してくれたルイの服を身につけた。
男物の服。すごく、久しぶりに感じた。イスカリオット城でジュダとクルスに説明する時にも身につけたが、あの時は本当に一時だけで、すぐに脱いでしまった。
すぐに部屋に戻るのではなく、もう少しこの格好で、久しぶりの男の格好で歩き回りたい気がして、ハデスにシェリダンへの託を頼んでロゼウスは中庭へと出た。まだ陽が昇る前のこの時間なら、外を出歩いても大丈夫だ。
浮かれていたんだ。
ロゼウスの秘密を知る人間が増えるほどに、自由も増えるということだから。彼ら、彼女らの前ではもう、女の振りなどしなくていい。
だから忘れていた。
「久しぶりだね、ロゼウス」
その懐かしすぎる声。ずっと聞きたくてたまらなかった、甘美な囁き。
中庭の一角に、人がいた。エヴェルシード人にはありえない白い髪、白い肌、血のように紅い瞳。
花の植え込みを背景に優雅に坐して、ロゼウスを見ている。
その美しく気品溢れる顔。
「兄……上……」
忘れていたんだ。
この世界は夜明け前が最も暗いということを。
「ドラクル兄上……!」