荊の墓標 12

063

「……どういうこと?」
 ミカエラに胡乱な目で睨まれる。
「だからっ、どうしてロゼウス兄様がシェリダン王に苛められなきゃなんないわけ!?」
「どうして、と言われても。陛下のお心なんぞ一公爵の私程度が知るはずもないわ」
「ふざけるなっ! いくら捕虜とは言っても、この扱いはないだろう! 何故僕たちは兄様に会わせてもらえない!」
「そういうのは陛下に直接仰ってもらわないと……それより二人とも、そろそろ支度してくれる?」
「支度? って……」
 ミザリーが顔色を曇らせる。
「予定を変えて、今日中に発つそうよ。途中、市場の方も見て回るって。陛下が」
 誘ったのはまあ、あのジュダとルイなわけだが。
 エルジェーベトは傍らに立つ弟の名を呼ぶ。
「ルイ」
「なんだい? 姉さん」
「私が出た後、この城の管理はあなたに任せるわ」
「姉さん?」
 そう、エルジェーベトにはこの二人をシェリダンに見せる以外にも、かねてから温めていた計画があった。
「ああ、それって噂の、ルカリツォ侯爵があなたに城の一つを謙譲して、シアンスレイト近くにバートリ領を広げるってアレですか」
「何であなたが知ってるの? イスカリオット伯」
「いえ、あるルートから。エルジェーベト卿、あなたの趣味を知らないいたいけな男性をたぶらかして貢がせるなんてあくどいことはやめた方がいいんじゃないですかね」
「別に私はたぶらかしてなんかないんだけど。だって、色仕掛けなんて面倒だもの」
「……そうですか」
「でも、姉さんは貰う物はちゃっかり貰うんだよね」
「そうよ。だから、ヴァートレイトはあんたにあげる」
「わぁい。でも、ミカエラ王子は陛下についてシアンスレイトに行っちゃうんだよね。はあ、姉さんまでいなくなったら寂しくなるなぁ」
「我慢しなさい。これまで買った奴隷をいっぱい置いてってあげるから。また読み書きでも教えて暇を潰せばいいでしょ?」
「はぁい」
「読み書き? ……奴隷に教育を行っているのですか?」
 ジュダが多少驚いたような顔で、エルジェーベトの方を見てくる。
「ええ。そうよ。いざ手紙を書くとき、誰も代筆してくれないのは面倒だもの」
「……それだけですか?」
「ええ、それだけよ。だってどうせ勉強を教えるって言っても、それは私じゃなくてルイや他のヤツラの仕事だもの」
 エルジェーベトが何を考えて何をするかなんて、この男には関係ない。
「そういえば」
 これ以上話しても埒が明かないと諦めたのか、ジュダは話題を変えてくる。
「今日も奴隷市に行くのでしたよね」
 その言葉を口にした途端、ミカエラとミザリーからさも嫌そうな反応が返ってきた。
「奴隷市?」
「これだから人間は……」
 ローゼンティアは吸血鬼であるローゼンティア人の単一民族国家だから、奴隷という考えは他のどこの国よりも薄いという。世界でも数少ない自分と同じ種族をわざわざ好き好んで奴隷にするという考え方が信じられないらしい。人狼や人魚、アケロンティス全土を見回しても数少なくなってきた魔族に共通する思考だ。
「別に。人間以外の奴隷だって出てるわよ。きっと今頃ローゼンティアとの戦争で不当に捕虜を手に入れた者たちが、はりきってヴァンピルを競りにかけているのでしょうね」
 二人の王族がキッと眦を吊り上げてエルジェーベトを睨んでくる。別にエルジェーベトとしてはただ真実を口にしただけで、何も悪い事は言っていないと思うが。
 シェリダンと、それからロゼウスからヴァンピルについての生態を聞いた。ミザリーたちからもさんざんに聞きだした。エルジェーベトとシェリダンの統一意見は、あの種族を野放しにするのは危険だということ。
 朝方のことで沈み込んではいても、その辺の判断力が鈍らないところはさすが十七歳で国王になったことはあるだけのシェリダン王。素晴らしい。
 面白そうだから、エルジェーベトもこれからはシアンスレイトの近くで、王宮で何かあったらすぐ動けるようにしておこう。それにシェリダンも、ここまで内部の事情をバラしてしまったエルジェーベトに遠くで勝手にされると困るだろう。
 せっかく城を一つ増やすのだし、その機会は有効に使わないと。
「私と陛下と……それからロゼ様は陛下に連れられて市に行くけど、あなたたちはイスカリオット伯とハデス卿と待っていればいいわ。見たいっていうなら話は別だけど」
「誰があなたたちみたいな悪趣味に付き合うもんですか」
「どうして、ロゼ兄様も返してくれないんだよ!」
 予想通りの反応が返ってきたので、エルジェーベトも淡々と返事をする。
「だったら、二人は伯たちと馬車で待っててね。何故ロゼ王妃を連れて行くのかって? それはシェリダン様が市場に行くからなのよ」
「だから、なんで」
「王妃様は陛下の所有物なんだって。言わば、奴隷ね」
「バートリ公爵、お前……っ!」
 ミカエラが思わずのように腰に手を置きかける。今はとりあげているけれど、彼も剣の腕ならそこそこのものを持っている。もっとも、その技術に身体の弱さのせいでついていけてないみたいではあるが。
「そういえばルイ、この二人に朝のこと言った?」
「王妃暴行事件? それだけなら言ったけど」
 普段図太い図太い言われているルイも、さすがにこれに関しては困った顔をする。あの事は伝えてないようだ。では自分が言うしかないのだろう。
「あのねぇ。ロゼ様を襲ったのってどうやら、ヴァンピルらしいのよね」
「え?」
「なっ……!」
 さすがに二人も顔色を変える。
「おかしいわよねぇ。私とかエヴェルシード人ならヴァンピルに何をしてもおかしくないけどね。王妃様を襲ったのは同族。だから陛下はもう片時も王妃様をお側から離したくないんですって。どう、わかった?」
 ミザリーとミカエラが沈黙する。
「だから、わざわざ馬車の中でも奴隷市でも陛下は王妃様を連れ歩くの」
 それでたとえロゼウス自身が何を感じたとしても。
 残念ながらエルジェーベトは朝方二人を湯殿まで送った後のことは知らない。その後シェリダンには会ったが、ロゼウスには結局会えずじまいだ。
 そしてシェリダンは壊れた微笑を湛えていた。
「……一体何があったのだか気になっちゃうじゃない」
 気づかれないように一人ごちるけど、すぐ隣のルイが聞いていた。弟の能力は信用しているしエルジェーベトの歴史の全てを知っているものだから気は楽だが、昔のことを思い出すのは辛いから、普段彼とはあまりそういうことを話さない。
 しかし今日のルイは、それを言ってきた。
「ねぇ、エルジェーベト」
「なぁに、ルイ?」
「ロゼウス王子はあの子に少し似ているね」
 その指摘はちりちりとエルジェーベトの胸を焼いた。
「姉さんがシアンスレイト近郊に移るのはそのため? あの王子を、あの子の代わりに見たいから、今度は同じ間違いを繰り返したくないから、だから」
「黙りなさい、ルイ」
「……はい」
 エルジェーベトは言葉で弟の口を塞ぐ。しかし別の声が聞こえても、一度耳にした言葉が脳裏を離れない。
「……私は、面倒なことは嫌いよ」
 シェリダンが本当にあの王子をどうにかするつもりなら、一公爵である自分にはどうしようもないだろう。それに。
「私にはあの子どころか、陛下すら助けることができなかったんだもの」
 その私に、何を言う資格があるのかしら。

 ◆◆◆◆◆

 奴隷市に向かう。
 もう一つの馬車にはジュダ、ハデス、さらにミザリーとミカエラを乗せて、エルジェーベトはシェリダンとロゼウスと一緒の馬車で。
 この方が何かあった場合……例えば身体の弱いミカエラが体調を崩した場合などでもハデスの魔術ですぐに治療ができるからいいのだと。ジュダの警護の腕に関しては誰も口を差し挟めないものであるし。
 しかしこの場合、治療が必要なのはミカエラではなく、むしろエルジェーベトの目の前で、シェリダン王の膝に抱かれてぐったりしているロゼウス王子ではないのか? 外に出るからと王妃の格好に戻ったロゼウスは、朝方会った時よりさらに血の気が失せた白い顔をし、どこか苦しそうに眉根を寄せている。
「陛下、王妃様に何をなさったんです?」
 抱き上げたロゼウスの見事な白銀の髪をうっとりともうっそりともつかない顔つきで梳いていたシェリダンは、エルジェーベトがロゼウスのことに触れた途端、目つきを険しくして睨んできた。
「私がこれに何をしようと、お前に関係あるのか? エルジェーベト。ロゼウスは私のものだ。私の奴隷だ。お前が気にかける必要はない」
「そうですか。でも陛下。私はそろそろシアンスレイト近郊のリステルアリア城に移りますし、今までよりは陛下のお側に侍る回数も、王妃陛下にお目通りを願う回数も増えると思うのですけれど」
「……好きにしろ」
 無愛想に彼女との会話を終えて、シェリダンはまたロゼウスの髪に指を絡め始める。その表情は本当に嬉しそうで、なのにどこか悲しげで……・・この二人の間には、何があったのだろう。
 女は恋人が浮気している現場を見つけたとき、浮気相手の女に怒るのだと言う。逆に男は、浮気をした恋人の女を責めるのだと言う。恋人の性別が異性だろうと同性だろうと、たぶんこの思考は変わらないはず。
 シェリダンがロゼウスに酷い扱いをするのは……たぶん、そういうことなのだ。なんてわかりやすい……
 しかし行き過ぎた愛情は凶器になるだけ。
 その時、馬車が止まった。
「何があったのでしょう?」
「私が見てくる。お前はここにいろ」
「陛下。あなたにそんなことは……」
「いいから。ロゼウスを頼む。エルジェーベト」
 エルジェーベトは女にしか興味のない女だから安心しているのか、シェリダンもロゼウスを預けてさっさと行ってしまった。どうやら馬車に何らかの不調が起きたらしい。普通ここは、馬車の持ち主であり臣下であるエルジェーベトが様子を見に行かねばならないところなのだろうが。
 しかしシェリダンの膝から下されて、エルジェーベトの隣に移ってきたロゼウスはようやく安堵の表情を見せた。
「……助かった」
「殿下?」
「もう……これ以上……シェリダンの側にいるのは限界だったから」
 本当に二人に何があったのか。
 側にいればいるほど、相手を傷つけてしまう絆もある。
「殿下? 具合が悪い様子ですけれど、大丈夫ですか?」
「うん……ちょっと、辛いけど大丈夫」
「……本当に?」
 苦しげに眉根を寄せるその態度が疑わしくて、エルジェーベトは念を押す。ロゼウスはくすっと、小さく笑った。
「本当に。ヴァンピルの肉体は、滅多なことでは傷つかないし傷もすぐ癒えるから……具合が悪く見えたら、それはきっと、精神的なことで……」
 紅玉のような瞳に、白銀の睫毛が伏せられて煙る。その造形はまさに美の極致。性別を超越した美しさで、この美しさに惹かれたシェリダンの気持ちもわかる。
 それでもエルジェーベトの胸に浮かぶのは、やはり一つの面影だ。
「……嫌なことをされたら、きちんと嫌と言いなさい」
「エルジェーベト卿?」
「それから、ちゃんと周りの誰かに助けを求めなさい」
 こんなことをこの少年に言っても仕方ないのはわかっている。
 これは本来なら、エルジェーベトが自分の本当の息子に言わなければならなかった言葉だ。
 どうしてだろう? この王子を見ていると、亡くなった息子を思い出す。エルジェーベトが十六のときに産んだ子だから、生きていれば今のシェリダンや彼ぐらいの歳だというのもあるだろうが。
 それでもエルジェーベトが面影を重ねるのはシェリダンではなく、この王子なのだ。生粋のエヴェルシード人である息子と、ローゼンティア人の王子は、似ても似つかないのだが。
 ロゼウスが、少し身体をふらふらさせている。やはり身体は大丈夫と言っていたけれど、シェリダン王に何かされたのではないか?
「辛いなら、横になればいいわ。どうせすぐに陛下が戻ってくるだろうけれど」
 エルジェーベトは端によって膝の上を示し、きょとんと目を丸くしたロゼウスはおずおずと言った動作ながらも、エルジェーベトの言ったとおりに頭をこちらの膝に預け、馬車の座席に横になった。少し窮屈だろうけれど、それは馬車の中であるから仕方がない。少し我慢してもらわないと。
「ありがとう、公爵。本当は少し、疲れてた」
「何があったの?」
「朝……ので、三回。その後シェリダンと、二回」
「それでよく動けるわね」
 朝方に強姦された人を夕方には奴隷市場に連れて行くというシェリダン王の考えも凄いけれど、それに耐えているこの少年も凄い。そんな丈夫さ、ない方がロゼウスにとっては幸せなのだろう。
「あなた、私の息子に似てるわ」
 聞き流してくれていいと前置きした上で、エルジェーベトはそう切り出した。膝の上に頭を乗せて横になったロゼウスに広げた腰掛けを羽織らせ、その肩をぽんぽんと軽く叩いてやる。
「私は十五で先代のバートリ公爵に嫁いだの。その次の年には子どもを産んだわ。一人息子だった」
「あなたは、女の人が好きなんじゃ……」
「そうね。でも命令があったら誰とでも寝るわよ。貴族ってそういうものだから。まあ、それはいいとして……夫の事は政略結婚だったけれど、それなりに好きだったわよ。優秀な軍人だったし。でもね、それが同時にあの人の欠点でもあったの。自分が優秀だから息子はそれ以上に優秀にしようとして、傍目から見ても厳しい教育をしていたわ。そう、それこそ虐待と言われてもおかしくないほどの」
 ロゼウスの身体がぴくりと震える。
「私も一応エヴェルシード貴族の端くれだから軍人だけれど、息子にそんなに最初から期待はかけてなかった。というのでもないのだけれど、成長して体ができあがってから鍛えればいいと考えていたわ。子どもが熱を出しやすいのは当然だし、怪我も治りやすいと言ったって、治している最中に無理をさせれば変な風に身体が作られてしまう場合もある。だから、軍人教育はある程度時機を見てからにしましょうと言ったのに、あの人は聞いてくれなかった」
 男尊女卑思考の残るエヴェルシード王国。そこでは亭主関白が基本的で女は男に逆らえないのが一般的。
 でも、あの時だけは、エルジェーベトは母親として夫に息子の教育方針に対して意見しなければいけなかったのだと、今になって思い知る。
「夫が息子を殺した時ね、私、真っ白になってしまったの。気がついたら辺りは血まみれで私は血まみれの剣を持っていて。夫は死んでいた」
「……」
 夫に応戦した跡はあった。二人とも得物を持っていた。軍人としてなら、その時からエルジェーベトの方が優秀だった。
 だが、もう、彼女の手の中には何一つ残ってはいない。
「だから私は、からっぽの公爵なの。あなたの言う通りよ。事件を起こしたすぐ後に起きた戦争で戦功をあげて女公爵に取り立てられたけれど、何をしても虚しいばかり」
 ロゼウスは膝の上で、大人しくその話を聞いていた。
 彼が何を考えているのかはわからない。エルジェーベトには本来知る必要もない。
「余計なことを話したわね」
 すぐ外でシェリダンの声がした。もうすぐに馬車に戻ってくるのだろう。案の定扉が開かれて、車内の様子を見たシェリダンは一瞬硬直した。
「……眠る暇はないぞ。もうすぐ目的地だ」
 けれどロゼウスを自分の手元に戻したりせず、再び動き始めた馬車の揺れに三人は身体を任せた。