荊の墓標 12

064

 奴隷市場についた。
 さすがに身体がつらい。馬車の中で少し休んだけれど、もうもたない。ロゼウスはシェリダンにしがみつくようにして歩く。
 真昼間からさんざん人の身体を犯してくれたシェリダンは、何も言わずにロゼウスの歩みを支えている。
 こめかみを脂汗が伝う。そうまでして、ロゼウスは別に奴隷市を見たいわけではない。
「お前は私のものだ」
 ロゼウスの胸中を見透かしたようにシェリダンが振り返り、告げてくる。
「だから、どこに行くにもついていくのは当たり前だ」
「……はい」
 今のロゼウスに、彼の声に逆らう術はない。何がシェリダンの心の琴線に触れたのかはわからないが自分は彼を怒らせた。
 でも別にいい。自分はシェリダンなんかどうでもいいんだから。一緒に死んでやるとは言ったし、ローゼンティアを守る取引のためなら、抱かれてもやる。
 でも決して愛することはない。
 ロゼウスはシェリダンを好きにはならない。
 たとえ彼のくれる言葉が、どんなに心地よくても。
 ローゼンティア人がエヴェルシードの街中、しかもこんな場所を平然と歩いているのはおかしいと言うことで、今のロゼウスは頭からフード付きの外套を着せられている。先を行くシェリダンに痛いほどきつく腕を掴まれて、雑多な街並みを歩く。
 奴隷市場などと言うだけあって、街中は饐えた匂いのする汚い貧民街だ。華やかな繁栄の国に見えたのに、エヴェルシードにもこんな場所があったのか。
「エルジェーベト、場所は?」
「向こうですよ。話はつけてありますから」
 外套の胸元を手で押さえながら、ロゼウスはシェリダンとエルジェーベトについていく。
 先程馬車の中で意外な過去を口にしたエルジェーベトは、それ以来でも態度を変えない。不思議な女の人。
 全然似ていないのに、ロゼウスは彼女を見ていると、母親という存在を思い出す。それも実母のローゼンティア正妃ではなく、よく面倒を見てくれた乳母の方だ。もう記憶は朧気だけれど、優しくて美しくて、大好きだった。ロゼウスが物心ついてすぐに乳母を辞めさせられてしまったけれど、今頃どうしているだろうか……。
 そういえばドラクルは、あの乳母を嫌っていた。落ち度なんか全然見つからなかったのに、どうしてだろう。……ドラクルのことを思うと、まだこんなに胸が疼く。傍目から見れば酷いことをされたのに、まだ嫌えない。
 エルジェーベトの案内で、競売の支配人に引き合わされた。ロゼウスではなく、シェリダンがだ。ただ彼に手を引かれたロゼウスも、すぐ側で話を聞くことになるのだけれど。
「おやおやこれは、競売を見るよりも、その舞台にあがる方がふさわしいようなお方ではないですか」
 ロゼウスの顔はフードで隠れて見えないだろうけど、支配人は露になっているシェリダンの美貌に目を付けたようだった。エルジェーベトが、溜め息とともに告げる。
「下手な事は言わない方がいいわよ。その方は、私よりもずっと偉い人なんだから」
「は? バートリ公爵より偉い? そんなまさか、あなたより偉い貴族がそうそういるわけが……」
「だって貴族じゃないもの。それの上よ」
 貴族の上、がすぐに思いつかなかったらしい支配人は、シェリダンの顔をにやついた目つきで眺めながら、ようやく十七歳で即位した王の存在に気づいたようだ。段々と顔色が悪くなる。
「ですが、その、まさか、そんなお方がこんな場所にいるわけは……」
 シェリダンが意地悪く喉で笑い、脅すように男に告げる。
「楽しみにしているぞ。つまらないものを見せたら、代わりにお前の首を貰っていく」
 可哀想なくらい青ざめてがたがたと震える支配人が、破れかぶれのように、すでに彼を無視して競売の席につこうとしているシェリダンに叫んだ。
「だ、大丈夫です! 今回の目玉はなんと、あのローゼンティアの王子なのですから!」
 ――ローゼンティアの王子!
 その言葉に、ロゼウスもシェリダンもエルジェーベトも反応する。
 ローゼンティアの王子は、ロゼウスを含めて七人。ロゼウスはここにいるし、ミカエラもミザリーやジュダと一緒に公爵の馬車で待っているはずだ。今朝姿を見せたドラクルがそんな簡単に捕まるはずはないし、だとすれば考えられる候補は四人。
しかし、兄であるアンリやヘンリーがいくら不利な状況とは言え、敵国の捕虜になった姿など想像できない。あの二人は有能故に誇り高く、そんな状況になったら真っ先に舌を噛んで自害しそうだ。
 となると残りは。
「ジャスパーかウィルが……」
「心当たりがあるのか?」
「顔を見なければわからない」
 そう、まだその二人だと決まったわけじゃない。
「そうか。ならば仕方がない。フードを外せロゼ。お前も一緒に競売を眺めて確かめろ」
 残酷な命令だ。
 でも従わないわけにはいかない。それに、もし本当に王家の関係者だとしたら、どこの誰ともわからない輩に買われるよりは、まだシェリダンに引き取られて近くにいた方が対策も立てやすい。
 ロゼウスはフードを脱ぐ。露になった白銀の髪と尖った耳。ヴァンピルの容貌に、会場中の注目が競売品でもない二人に向けられる。
「ヴァンピルだ……」
「おい、あれローゼンティア人だろ?」
「今日の品にローゼンティアの王子がいるって情報は本当だったのか」
「見ろよあれ、ここの裏の顔役のレズ公爵バートリ公だろ。その連れって、あいつら何者だ……?」
 妙な輩のちょっかいを受けないようにとロゼウスを真ん中に座らせ、その頭越しにシェリダンとエルジェーベトが会話をする。
「エルジェーベト、貴様この状況を知っていただろう?」
「確証はありませんでしたわ。噂だけです」
「まあいい。お前に謀反の気がないのはよくわかった」
「当然でしょう。謀反だなんて、面倒だもの」
「ああ。そのお前に面倒を一つ頼む」
「なんですか?」
「侵略国の捕虜を奴隷市にかけるのは禁止されている。この競売の責任者とあの支配人、並びに出展者をこの後捕らえ、拘束せよ。なんなら殺しても構わん」
「かしこまりました。陛下」
 先程シェリダンを舐めるような目で見つめていた支配人の末路は決まった。今この会場で同じような目をしてる奴らも、同じ制裁を向けられる。
 それよりもロゼウスの意識は、これから始まる奴隷の競売に集中していた。周りの視線ももう気にしてはいられない。
 競りにかけられるのが本当に自分の兄弟なのか、この眼で確かめなければ。
 シェリダンが手を伸ばし、膝の上に置いたロゼウスの手を握る。
「奴隷が本物の王子だったら、手を強く握れ。わかったな」
「うん」
「私が欲しいのはお前だけだ。お前の兄弟などに興味はない。政治的な利用はともかく、手足を斬りおとして壁に飾る趣味はない。ここにいる他の奴らと違ってな」
「……うん」
 競売には男も女も参加していた。エヴェルシード人が圧倒的に多いのは当然だが、売り物の中には他国の人間もいた。それを見るたびに、シェリダンが顔をしかめる。きっとシアンスレイトに残してきたローラとエチエンヌのことでも考えているのだろう。
 性奴隷、俗に言う玩具奴隷の競売であるから、次々と舞台に上げられる奴隷たちは皆見目が良かった。まだ幼いとさえ言える少年少女が、次々に値をつけられて下がっていく。
 その間も他の客たちの興味がこちらに集中していたが、シェリダンもエルジェーベトもいっこうに気にしない。彼らは座席の真ん中辺りに座っていたので、客の半数近くがこちらをちらちら振り返って反応を窺っているのが見える。
 ある意味当然だろう。ここにいるシェリダンも、常連とは言え彼と一緒にいるバートリ公爵エルジェーベト卿も、舞台の上に上がってきたどの奴隷たちよりも美しいのだから。
 けれどついに、その二人に匹敵する美しさの奴隷が舞台に引き上げられた。
 硝子の檻に閉じ込められ、吸血鬼の力を奪う銀の拘束具があちこちにつけられて項垂れている。興味なさそうにちらりとこちらを一瞥しかけて、ハッとこちらに気づく。
 その顔を見て、ロゼウスは強くシェリダンの手を握った。
 ジャスパー――!! 第六王子。俺の弟。
「当たりか」
 自らを包む硝子の檻に手を当てて、聞こえない声でジャスパーが叫ぶ。
 その唇が、ロゼウス兄様、と懸命に自分を呼んでいた。

 ◆◆◆◆◆

「どうしてほしい? ロゼウス」
 今更になって、シェリダンが意味ありげに囁く。
「買って欲しいか? あの奴隷」
「な、何を言って……」
 だって、あんたが本物だったら教えろって。
「あれは、俺の弟だ、第六王子のジャスパーなんだ」
 硝子の檻の中から、ジャスパーは必死にこちらを見つめている。可憐な唇を動かして懸命にロゼウスの名を呼んでいる。
 でも声が聞こえない。このままじゃ近づけない。
「そうか。だが、私はあんな子どもに興味はないな」
「だって、あんたが教えろって」
「ああ、だが私が欲しいのはお前だけだとも言ったはずだ」
 競売が始まる。
 硝子の檻の中に閉じ込められたジャスパーの容貌を見て、観客たちの間にどよめきが走る。
「さぁ、こちらの奴隷はなんと、あのヴァンピル王国ローゼンティアの王子です。まずは百万からどうぞ!」
 男も女も目を輝かせ、下卑た欲望をその目に浮かべながら舞台上を凝視している。
 売り物として飾られ、けれど性奴隷と言う用途に合わせてあられもない格好をさせられたジャスパーが、檻の中で震えている。
 半透明の布と、手首足首を戒める銀の拘束具が、その頼りない身体を飾っている。
「シェ、シェリダン、だって、このままじゃジャスパーが」
 客たちが次々に、ジャスパーに値をつける。その金額は、これまで出てきたどの奴隷よりも高く、高く上がっていく。
「結構な人気だな」
「ローゼンティアの王子という触れ込みですからね。触れ込みと言うか、事実ですけど」
 彼を買いに来た客も多いはずですよ、とエルジェーベトの淡々とした声が、ロゼウスの焦りを煽る。
 買われてしまう。このままではジャスパーが。そんなことになったら、どんな酷い目に遭わせられるかもわからない。ただでさえこんなところにいるということは、どれだけ酷い目に遭ってきたかわからないのに。
「シェリダン、おねが、お願い。ジャスパーを……」
 悔しいことに、今この場で彼を助けられる力を持っているのは自分ではない。ロゼウスの両隣に座る二人だ。財力も権力も、このエヴェルシードで二人に敵う者はいない。
 ジャスパーにつけられた値が次々に上がっていく。会場のざわめきが大きくなり、一人、二人と手を引いていく。
「ならば、取引をするか、ロゼウス」
 ロゼウスの耳元でシェリダンが囁いた。
「弟を救いたければ、私の提案を受け入れろ」
 あの、おぞましい提案を。
「いやだ」
 反射的に呟く。
「ではこのまま、弟を見捨てるか? 仮にもローゼンティアの王子が、我が身可愛さに身内を見捨てるか。それでも私は構わないぞ。お前の汚れた部分が見られるなら、それで十分楽しめる」
「なっ……で、でも」
「別に構わないだろう、今更。お前はもともと私の奴隷なのだから」
 今にも耳に触れそうな近さで、シェリダンが囁く。まさしく悪魔の囁きだ。
 昼間は無理矢理抱かれながらもなんとか突っぱねたその要求を、彼はもう一度突きつけてくる。
 ジャスパーのことは助けてあげたい。この会場のどこの誰とも知らない客に買われるよりは、まだシェリダンに買われて近くにいる方がマシだとも思う。
 だからって、そんなの。
「さあ、選べ。あの台上の弟王子の運命は、お前にかかっている」
 値が釣りあがる。すでに参加しているのは余程金のあるらしい二人だけになっている。どちらも男だ。
 ロゼウスは唇をきつく噛み締めた。錆びた鉄の味が口内に広がるのを感じながら、言葉を搾り出す。
「わかった。あんたの要求を呑む」
 シェリダンが、とろけるような笑みを浮かべた。
「買うぞ、その奴隷」
 そして彼は大きく声をあげる。
「エルジェーベト」
「はい、陛下」
 シェリダンの代わりにエルジェーベトが代表として競売に参加し始めた。
「六百万!」
「六百二十万!」
 競り合っていた男たちに混ざって、彼女の凛とした声が会場に響く。
「七百万!」
 いきなりのジャンピングに、会場中が沸いた。
「おい、見ろよあれ、バートリ公爵だぞ!」
「それに、隣の女はヴァンピルじゃねぇか? その隣のガキも、凄く綺麗なツラしてやがる。あれも奴隷じゃねぇのか?」
 周囲の客の視線も意に介さず、競売は続く。向きになった先程の男たちが、エルジェーベトに負けじと値を吊り上げる。
「七百十万!」
「七百三十万!」
「八百万!」
「おいおい、奴隷一人にどこまで値をつける気だよ」
「だが、相手はあのバートリ公と、ゼウナンセル、奴隷娼館のベルアートだぞ」
「面白くなってきたな」
 全くもって面白くない人間がここにいる。
「ちぃっ、面倒だな。競売と言うものは。一体どれだけやったら諦めるんだ?」
「とにかく終了までに一番高い値をつけた者勝ちですから……九百五十万!」
 ロゼウスはかたかたと震えながら、シェリダンの腕を握る。笑い事じゃない。手に汗握るなんてものじゃない。もしもエルジェーベトが負けたら、ジャスパーは。
「……まだるっこしい」
 痺れを切らしたのは、ロゼウスにしがみつかれているシェリダンだ。競売が千万を超えないところで争っていたところに、一石を投じる。
「二千万!」
「陛下、それは」
 エルジェーベトが驚いた声をあげる。
 会場中が、しん、と静まりかえった。
「二千万……?」
「おい、たかだか奴隷の一人に、二千万だと……」
「いくらローゼンティアの王子だからって……」
「あの綺麗な兄ちゃん、そもそも一体何者だ……?」
 辺りがひそひそとざわめき始めた中、司会の声が響く。
「に……二千万! 他にありませんね!」
 それではこちらの奴隷はそちらのお客様のモノです、と決定の声に従い、シェリダンはロゼウスとエルジェーベトを連れて席を立った。彼らが何か言う前に、辺りが勝手に潮が引くように道を開ける。
「エルジェーベト、この金は立て替えておけ」
「陛下。潰すつもりの組織に金を払ってやるつもりですか?」
「冥土の土産だ」
「まあ、太っ腹だこと」
 そして三人は破格の値段をつけられた奴隷……ジャスパーの元へと向かう。
「おお。お客さんたちですか。この王子様を落札したというのは」
 ロゼウスは奴隷商人の脇をすり抜けて、ジャスパーのもとへ駆け寄る。
「おいっ! ちょっと待てあんた! まだ金の支払いが済んでない!」
「後で用意させるわよ。私が信用できないの?」
「い、いや。あの大貴族バートリ公爵様がそういうのであれば……」
 背後のやりとりを無視して、硝子の檻を開けた。弟の今にも泣きそうに潤んだ瞳を見る。
「ジャスパー!」
 その華奢な身体を力いっぱい抱きしめた。