荊の墓標 13

068*

 先日、ヴァートレイト城で王と王妃に何があったのか。
「決まってるじゃん、そんなの。ロゼウスが何かやらかしたんだよきっと」
「ちょっと! そうやってすぐ決め付けないでよね! 何でもかんでもロゼのせいにするのやめてよ!」
「じゃあ、あの事態をどう説明するのさ。僕らだって困ってるんだ。シェリダン様バートリ公爵の城から戻ってきて以来、全然今までと様子が違うんだもん」
「だからってねぇ!」
 眼の前で喧々囂々とエチエンヌとロザリーが喧嘩をし始める。部屋の隅には、この状況に戸惑う様子でミザリーとミカエラが立っていた。
「いつも……こんな感じなの?」
「そうですね。エチエンヌとロザリー姫に関して言えば、毎回このようなやりとりをしています」
 リチャードはミザリーに問われて、そのように返した。世界一の美姫と名高いローゼンティア第三王女は、シルヴァーニ人の奴隷少年と普通に話している妹の様子が耐え難いらしい。
「どうでもいいから、僕らにもわかるよう説明しろよロザリー!」
「何よミカエラ、それよりもあんたたちがロゼウスにあったことを話すのが先よ!」
「まあまあ、落ち着いてくださいお二人とも……リチャード、君もなんとかしてください」
 ユージーン侯爵クルス卿の救援要請に応じて、リチャードはロザリー姫を背後から羽交い絞めにした。姉姫より小柄な弟王子の方は、クルスに羽交い絞めにされている。
「くっ、放せ無礼者! 薄汚いエヴェルシード人風情が、僕に触れるな!」
「う、薄汚い……」
 その言い方にショックを受けたようで、クルスが思わずミカエラを放す。解放された王子はそれ以上暴れる気もないようで、さも気位が高そうに鼻を鳴らした。
「……薄汚いって……」
「あんまり気にしない方がいいですよ、ユージーン侯爵」
 ローラが落ち込むクルスの背を撫でて慰める。
 リチャードは部屋の惨状を眺めて、どうしようかと頭を悩ませた。クルスは落ち込んでいるし、ローラはそれを慰めているし、エチエンヌは積極的に話し合う気はなさそうだし、ミカエラはそっぽを向いているし、ミザリーは興味がなさそうだし、ロザリーは怒っているし……どうしようか。これだけの人数がいるのに、誰一人話し合いの場を持つ雰囲気を作り出そうとはしていない。
「あー、やっぱり大変なことになってましたね」
「イスカリオット伯、バートリ公」
 部屋の扉を開けて、新たに二人の人物がやってきた。
「ハデス卿はいったん皇帝陛下への定期報告がどうのって帰りましたけど、まあこれだけいれば情報交換には十分でしょう」
「あら……ジャスパー王子は?」
 椅子を整え始めるジュダを手伝っていたリチャードは、エルジェーベトのその言葉に首を傾げる。
「ジャスパー王子? とは……」
 リチャードは初めて聞く名だったが、ローラやエチエンヌは心当たりがあるらしい、双子は顔を見合わせて、心なしか部屋の隅のミザリーやミカエラの顔色を窺いながら答えた。
「あ、そういえばもう一人のヴァンピル」
「この前シェリダン様たちが帰って来たときに連れてた、奴隷だっていうもう一人の? 地下牢辺りに監禁してますけど……」
「ええ!? ちょっと、ジャスパーまでここにいるの!? どうしてそのこと黙ってたのよ!」
 そこでロザリーが騒いでもう一悶着起きそうなところを、リチャードは何とか治める。
「とにかく、一度情報を整理してみませんか。あの方々に、何があったのか」
 シェリダンがロゼウスと新たなローゼンティア王家の人々とシアンスレイト城に戻ってもう三日になる。城で留守を守っていたリチャードたちと、それまで短いが強行軍の旅に衰弱させられたために休息していたミカエラとミザリーとも、きちんと顔を合わせるのはこれが初めてだ。
 その間、一つの異変があった。とは言っても大きな事件、というわけでもなく……いや、ある意味十分大きな事件なのだが……シェリダンのロゼウスに対する態度がいきなり変わったのだ。
「……ロゼウス王子は今どうしています?」
 ジュダに聞かれて、リチャードは首を横に振る。
「城の一室に監禁されて……世話はローラがしていますが……」
 その部屋であったことを幾度聞いても、彼女はそれまで口を閉ざしていた。けれど城に帰ってきて開口一番発したシェリダンの様子から、なんとなくその状況は察せられる。
 馬車から降りて城に戻るときも、シェリダンは砕けそうなほどきつく、ロゼウスの手を握っていた。
『鎖を用意しろ、リチャード。全て銀製で……美しく、堅牢な首輪を』
『陛下』
 ロゼウスはただ俯いて、シェリダンのその言葉を聞いていた。されるがまま大人しく、彼の言うとおりに一室に監禁されて。
 何故シェリダンはいきなりそんなことをしなければならなくなったのか。
「教えて下さい。バートリ公爵。イスカリオット伯」
「……知らないわよ。陛下の心境の変化なんて」
「バートリ公爵」
「ただ、私たちがあの場でわかったのは、ロゼウス王子がどうやら虐待を受けていた形跡があるってことだけ。それを知った後、陛下の様子が変わったってことだけ。ああ、ついでに何故か、奴隷市場でジャスパー王子を拾った後、ますます陛下の機嫌が悪くなったわ」
「虐待……?」
 その言葉に、ロザリーとミカエラがぽかんと口を開けた。
「ジャスパーが奴隷って……でも、いいわ。とりあえず今はあの子のことは後回しよ。ちゃんと助けてくれたんでしょ?」
「ちゃんと、かどうかは微妙だけど、とりあえず地下に閉じ込めてるよ」
「そのぐらいでへこたれるヤツじゃないから大丈夫。それより、ロゼウスが虐待されてたって何? 私知らないわよそんなの。ねぇミカ」
「うん、だって、そんな……あの家にロゼウス兄様を傷つける人間なんて」
「結構いるでしょ」
「ミザリーお姉様!」
「ロザリー、ミカエラ。あなたたちは歳も下の方だし、王位継承順位も低いからあんまり知らないだろうけど、うちの家は結構その手のことに関してはどろどろしてるわよ。実際、第二王妃がドラクルと間違えてロゼウスを殺そうとした事件があったじゃない」
「あれは……でも、ドラクルは一人だけ変人なのよ! あんな性格してたら、一度や二度くらい殺されてもおかしくないでしょうが!」
「その殺されてもおかしくないあくどい男が、兄妹の中で一番手塩にかけてたのは誰?」
「……っ!」
 ミザリーの言葉に、ロザリーが顔色を変えた。
「……こんなことがあったから思い出したけれど、昔、アンリ兄上が何か言ってたわ。ドラクルのロゼウスの構いようについて、あんなことさせるのは間違ってるとかなんとか……その時は気にしなかったけれど、今考えてみれば、もしかして」
「そんな……ドラクル兄上が」
 ミカエラが明らかに落ち込む。新しく来たヴァンピル王家の人々は、これまでのロゼウスやロザリーに比べれば、たぶん大人しくて、幾分扱いやすい性格なのだろう。
「皆さん、それで――」
 完璧にとは言わないが、やはりバートリ公爵領で起こった何かにより、シェリダンのロゼウスに対する態度が変わったということがわかった。けれど、それ以上のことを突っ込むのなら、本人に直接聞くしかない。
 だからと言って、今の不安定な状態のシェリダンに聞いても素直に答えてくれるわけもない。何かこの面々でできることがないだろうかとリチャードが言いかけた矢先のことだった。
「リチャード様! エチエンヌ様!」
 扉を開けて、警護兵が駆けつけてきた。
「何事ですか?」
 リチャードが尋ねると、その兵は蒼白な顔で報告する。
「地下に閉じ込めていたヴァンピルが、脱走しました!」

 ◆◆◆◆◆

 兄様、兄様、僕の兄様。
 エヴェルシード王都にある城の地下の牢獄の中で唇を噛む。噛み締め過ぎた唇が破れて、錆びた鉄と同じ血の味が口の中に広がった。
 兄様……ロゼウス兄様。
 せっかく会えたのに、すぐにこうして引き離されて。側にいたいのに、一緒にいられない。
(……シェリダン王……あの男)
 憎い男の姿を思い出す。夜闇の藍色の髪、猫科の獣のような朱金の瞳。息を飲むほどに美しい少年王。ジャスパーたちの国を滅ぼした男。
 悔しさに涙が出そうになる。馬車の中で、わざわざ僕に見せ付けるように兄様に口づけた……。
(ふざけるな……絶対に許さない。お前などに、兄様は渡さない……)
 ロザリーが一緒にいるとのことだったが、どうして王家でも随一の実力を持ちながらあの人はロゼウスを守ってくれないのか。エヴェルシードの虜になんて、なっている場合じゃないのに。
(ここから出なきゃ……)
 誰もいない牢で、ジャスパーは小さく呟く。いや、正確には呟こうとした。声はあの黒髪の少年に封じられて、まだ出すことはできない。
見張りはこの少し上の踊り場にいる。あまり近付きすぎるのも厄介だからと、わざと囚人からは距離をとっているらしい。
 賢明な判断だが屈辱だ。ジャスパーは囚人などではない。
 あの男が、エヴェルシード王シェリダンがローゼンティア侵略など行わなければ、ジャスパーもロゼウスも父母兄妹たちも国民もみんな、ずっと幸せにいられたのに。
 こんなところで罪人のように閉じ込められる必要もなかった。
 何とかしなければ。ここから出て、ロゼウスを助けなければ。
 そのためなら、どんなことだってできる。
 ジャスパーは銀の首輪を嵌められてあまり力の出ない腕で、精一杯牢の鉄格子を揺らした。案の定響いた音に驚いて、見張りの男が降りてくる。
「おいっ、どうした!」
 ジャスパーは牢の中に蹲って、ゆっくりと見張りの兵士を振り返った。
「うっ」
 涙目で見上げると、男は怯んだように足を止めた。ジャスパーは鉄格子に縋り付いて、赤い顔と潤んだ瞳で男を見上げる。唇を数度開いてみせると、何か言いたいのだと察した男が恐る恐るのように近付いてくる。
「お、おい、どうしたんだ? って言っても、そういえば確か、お前、声が出ないんだったよな……あーあ、いくらヴァンピルだってこんな可愛い王子にこんな扱い、可哀想に。国王陛下も何を考えてるんだかなぁ……」
 今は丁度休み時で通常なら二人いるはずの見張りが一人しかいないらしい。不敬罪に当る発言を堂々とする男の様子に手ごたえを感じ、ジャスパーは鉄格子の隙間から男の股間に手をのばす。
「っ! 何するんだ!?」
 ジャスパーの唐突な行動に仰天した男が、思わず後ずさる。ジャスパーははしたなく膝を開いて自分の股間に手を擦り付けるようにして座り、羞恥で真っ赤になった顔と、荒くなり始めた息を男に向ける。
「ま、待て……お前、もしかして……」
 男を誘うやり方なら、あの人買いたちにさんざん教え込まれた。気絶するほど無理矢理抱かれ続けたあの屈辱の経験を、こんな場面で役立てずにいつ使う。
 ジャスパーの手の位置を見て、男は察したようだった。もともと軍事国家であるエヴェルシードでは、他の国より男色に寛容だ。女性を連れ歩かない軍隊を作るこの国では、当然出征中は男同士で慰めあうことが増えるのだと言う。普段なら知りたくもなかった知識だが、今は都合がいい。
「お前……何か変な薬でも飲まされたのか? 陛下が買ってきた性奴隷だって話だけど……なぁ」
 ジャスパーは自分で服の裾を巻き上げて、自分の乳首を弄り始める。痴態にぎょっとすると共にごくりと唾を飲み込んだ兵士に、物欲しげな視線を向ける。もう一度近付いてきた兵士がズボンの前を開けるのを見て、気づかれないようほくそ笑んだ。
「男が欲しいのか、ほら」
 鉄格子越しに差し出された男のものを、ジャスパーは躊躇いなく口に含む。舌を使って淫猥に舐めとりながら刺激してやると、男は職務も忘れて行為に没頭し始めた。自分のものを咥えさせながら、ジャスパーの体を弄り始める。荒々しい手に乳首を抓られて、込み上げる嫌悪感を堪えた。
「へへっ……大層な淫乱だな」
 これぐらい耐えられる。兄様のためなら、これぐらい。
「同じヴァンピルでも、王子や王女って連中はシェリダン様に大層大切にされてるのに……なぁ」
 大方、もともとここに連れられてきた他の王子王女に欲を抱いていたのだろう男は、喜んでジャスパーを犯し始める。
 男がぎりぎりまで昂ったところで、ジャスパーは口から男のものを放した。
「おいっ、ちょっと待て! こんなところでやめる気か!?」
 口淫を中断されて達することができなかった男は、ジャスパーに怒鳴った。その声を意にも介さず、ジャスパーは自分のズボンを下ろして、男に背中を向ける。
「おっ」
 最大級の屈辱を堪えて男に自ら尻を向ける体勢をとったジャスパーの意図を察して、男が下卑た笑いをあげる。
「なるほど……そういうことかよ。ここで本番までいっちまおうとはな」
 格子にぴったりと尻をつけたジャスパーに、男のものが突きつけられる。だが。
「ちっ! この鉄格子が邪魔だな」
 太い鉄格子に阻まれて、先端しか入らない。ジャスパーはじれったい演技で尻を下ろし、男を涙目で見上げた。
「お、おいっ、そんな目で見るなよ。苦しいのは俺だって同じなんだからよ……」
 ジャスパーは自分の指を舌で濡らし、それを後ろに押し当てる、禁断の場所に触れたぞくりとする感覚を隠そうともせずに男の前で痴態を披露すると、ますます男が焦りを深めた。
「待て待て、一人で楽しむんじゃねぇよ……っ! くそっ、こうなったら」
 男が懐を漁り、牢の鍵を探し出す。その隙にジャスパーは、素早く服を着込んだ。
「よしよし、今楽にしてやるからな……うわっ!」
 カチリと小さな音をさせて錠が上がったのを合図に、ジャスパーは兵士を突き飛ばして牢の外へ出る。階段を昇り始めたところで、突き飛ばされて放心状態だった男が我に帰り叫んだ。
「ヴァ、ヴァンピルが逃げたぞ――っ!!」
 叫びに気づいた他の兵士たちが負ってくるが、銀の首輪を嵌められていようとも、ジャスパーだってヴァンピル王家の者だ。人間の兵士など敵じゃない。
「くそっ、この」
「誰か捕まえろ! 牢に戻せ!」
「絶対に出してはならぬとの陛下の命令だったんだぞ!」
 追ってくる兵士をかわしながら、ロゼウスの気配を辿る。この城の中にいるのは確実なのに、場所がわからない。
「リチャード様!」
 ふいに誰かの名前が呼ばれたかと思うと、身体のすぐ横に剣戟が走った。
「エチエンヌ! 後を!」
「はい!」
 ジャスパーに剣を向けていたのは、エヴェルシード人の見知らぬ青年だった。どことなくこれまで会った兵士たちとは違い、貴族のような品がある。彼の言葉に応えてジャスパーの退路を塞いだ金髪のシルヴァーニの少年は、何度か見た事がある。
 この二人は今までの兵士と比べて格段に強い。青年の素早い剣技をかわすうちに、足が動かなくなって床に倒れた。気がつけば足首に細くて強靭なワイヤーが絡まっている。その先は金髪の少年の手に握られていた。
 これまでかと歯軋りすれば、また新たな足音が響いた。
「陛下」
「シェリダン様」
 やってきた人物の姿を見て、収まりかけていた憎悪が甦る。エヴェルシード王。
 許さない、お前だけは。
 動かない体を無理矢理捻って鋭い爪の先を繰り出すが、簡単にかわされた。そうして、服の襟元を掴まれて激しく床へと叩きつけられる。
「ジャスパー! ちょっとシェリダン、弟に乱暴しないでよ!」
 彼の後から現れた……ロザリーが悲鳴をあげた。
「ふん、どうやったものかは知らぬが、よくも牢から脱出したものだな」
シェリダンは意にも介さず、床に押し付けたジャスパーを睨み付ける。
「本来なら兵士たちの肉便器にでもしてやるところをロゼがあまりにも哀願するものだから監禁程度に留めてやったというのに……これは仕置きが必要だな」
 勝手なことを。
 次の瞬間、言葉にならない衝撃が来た。睨み付けるジャスパーの腹に一発見舞って、咳き込んだジャスパーをシェリダンは抱き上げた。
「陛下、その方は」
「不始末を仕出かした兵に減俸処分を食らわしておけ、リチャード。これの始末は追って言いつける」
 そして彼は、ジャスパーをこれまでとは違うどこか別の部屋に連れて行った。