荊の墓標 14

076

 舞台脇に備え付けられた対戦表を見る。

 1、リチャード VS アート=キャラハン
 2、エルジェーベト=バートリVS アウゼンリード
 3、ボニフェース=クーパー VS サリー=ノース
 4、ジュダ=イスカリオット VS ハニー=リンチ
 5、レガ VS ケネス=クィンシー
 6、クルス=ユージーン VS クレメント
 7、クロノス=ユージーン VS トニー=リー
 8、コンスタンティン=ガーディナ VS イーノク

 どうにかここまでは潜り込めた。それはひとえにフリッツ店長の協力と、アンリやウィル、エリサの外見があんまりヴァンピルっぽくないおかげだ。
 御前試合、通称剣術大会はエヴェルシード王国では結構な注目行事らしく、建前上平民も奴隷も参加可能とか、純粋に実力勝負とか言っているのだがやはり貴族が多いのが現状らしい。対戦表で=の後に家名が来ている輩は皆、貴族だ。そしてアウゼンリード、クレメント、イーノクが平民、レガが奴隷から出場している。ちなみに奴隷はその持ち主が登録をしなければならないとかで、いろいろ大変らしい。
 やたら「らしい」が多いのは、これが全部フリッツ店長からの入れ知恵だからだ。
ちなみに貴族式に家名が入らず、しかし平民というわけでもないという人間に、リチャードがいる。なんでも、結構前に不祥事起こして取り潰された貴族なのだとか。
 そのリチャード氏、第一試合の出場者で、今ちょうど戦っているのだが……従僕のお仕着せだ! 何故鎧とか甲冑とかとにかくそう言った、これから試合しますって格好にしないのか……いや、それを言うなら控え室にもっとすごい格好してる人いるんだが。
 しかし強い。強すぎではないか? お仕着せなのに圧勝だ。
 アンリたちを拾ってくれたフリッツはシェリダン王の叔父であり、だからといって王家と友好関係というわけでもなく、いろいろと複雑な事情があるらしい。
 しかし貴族などぼんくらばっかりを想像して御前試合なんてどうせ生温いちゃんばらごっこなんだろうと思っていたアンリとフリッツの予想はここでしっかり外れた。ぼんくらどころか猛者揃いの、結構高度な大会だ。元貴族のリチャードの剣術が見事すぎて圧勝は圧勝だが、だからと言ってもう一人、これも貴族が弱いかというと、そうでもない。むしろ、ローゼンティア国内にいたら間違いなく強い部類だろう。
 しかしそのリチャード、実際に実力はどのくらいのものかと聞いたら、フリッツからはそこそこと返ってきた。今は貴族じゃないからそこまで名を売ったりできないのももちろんあるだろうが、その彼より強い人間がごろごろいるのだと。フリッツも実際に見たわけではなく歴代優勝者に関する噂話を聞いただけだからなんとも言えないらしいが……ここ七年くらいは、優勝者はいつも同じだそうだ。
 まだ第一試合しか始まっていないが、それでも試合のレベルの高さがわかる。アンリたちの国には、あんなに剣が使える奴はそうそういない。
「ロゼウスとドラクルくらいだよなぁ……」
 誰が見ても完璧な王位継承者と呼ばれるだけの能力がある兄ドラクルと、そのドラクルに直接教えを受けて、もともとの才能もあり国では一、二を争う使い手になった弟王子ロゼウスぐらいのものだ。
「まあ、仕方がないよなぁ……」
 ヴァンピルは魔族だが基本的に平和主義だ。
 だからといって、やられっぱなしで黙っているわけにもいかない。
 アンリとウィルとエリサは、フリッツの提案に従ってこの御前試合に潜り込むことにした。大会準備のために平民の作業員も多数雇われているから、潜り込むこと事態はそう難しくない。
 準備の方は恙無く済み、平民も出場しているとはいえ、貴族との扱いの差ははっきりしたまま第一試合が終わる。
 お仕着せを汚さずに悠々と戻って来たリチャードに、疎らな拍手が起こる。ここは讃えられてもいいところだと思うが、周囲の反応は冷たい。それもやはり、昔の不祥事というのが関係しているのだろうか。
 どよめきが冷めやらぬところで、アンリは再び対戦表を見た。
 第二試合 エルジェーベト=バートリ対アウゼンリード
 ここ七年連続の優勝者が、そのバートリ公爵エルジェーベトだ。公爵っていうくらいだから大貴族の上に、剣の実力もあるなんて天は二物を与えないってのは嘘だな。
 しかもこのバートリ公爵は女性なのだ。それも、物凄い美女だ。シェリダン王といい、本当に、天は一人の人間に二物も三物も与えすぎだ。アンリとウィルとエリサなんて容姿が王族にしては地味だから、髪の色染めて耳を隠せば即席エヴェルシード平民になれるくらいなのに。
 バートリ公爵の話に戻るが、エヴェルシードはいまだ珍しいことに堂々とした男尊女卑国家だ。その国で女性であるバートリ公爵が最強の地位を手にしているというのは、もの凄いことだろう。
 そんなことを考えていたら、背後で暢気な会話が聞こえた。
「あの……ところでバートリ公爵」
「なぁにぃ? ユージーンの坊や。私の事はエルジェーベトでいいわよって言ったじゃない」
「ぼ、坊や!?」
「だってユージーン姓が二人で紛らわししいんだもの。あんたとクロノスと、どちらか一人にすればいいのに」
「え、あ、すいません」
「まーいいけどね、あんたたち強いし。それで、何?」
「はい……では、ええと、エルジェーベト卿、昔から気にはなっていたんですが……どうしてあなたは、この大会ではいつもドレスなんですか?」
 アンリも含めて周りの人間が貴族から平民からみんなその会話に注目する。
 そう、誰もがツッコミたくてツッコめなかったエルジェーベトのドレス姿。そりゃあ美人だが、ここは夜会の大広間ではなく屋外に設置された御前試合用控え室です。
「えー、だって戦時中でもないのに鎧なんかつけるの面倒だもの」
 周囲で幾人かがのめった。小姓の一人はうっかりグラスを倒した。
 ああ、エヴェルシード王国……やはり恐ろしい。いろんな意味で。
「第二試合の出場者、前へ」
 とにかく、次の試合が始まる。

 ◆◆◆◆◆

「あ」
「あれ」
「どうした?」
 ロゼウスとシェリダンの両脇で、ロザリーとミザリーから声があがった。声には出さないけれどミカエラも驚いていて、ロゼウスもその理由がわかっていた。
(……アンリ兄様)
 眼下の青年は髪はエヴェルシード人のように蒼く染められているし、耳も隠している。もともとアンリは瞳の色がロゼウスやロザリーに比べて橙色がかったような明るい朱色だった。けれど、あれは間違いなく。
「あれ、エルジェーベト卿だよな」
 動くのが億劫で、喋る気にならない。しかしミザリーやロザリーの動揺にここで気づかれても困るので、ロゼウスはそう言って誤魔化すことにした。
「ああ、派手だろう、奴は」
「この前の女の人よね」
「あの人ってば、どうしてあんな格好してるのよ」 
 ロザリーとミザリーもすぐに察して、先程の驚きの声の理由をすり変える。舞台上のエルジェーベトは、そう言われても仕方がない格好だったので。
「ドレス……?」
「私も一度聞いてみたのだがな、着替えるのが面倒なんだと」
 とても深く納得した。
「しかし、挑発という意味合いはばっちりだ。エルジェーベトは初登場の時からあの格好だったからな。それまでの常連たちから一体何を考えているんだ、そんな格好で戦えるものか、馬鹿にしているのかとさんざん叩かれた」
「動じてなかったんだろ?」
「まあな。特に不満を持った数人の貴族が国王……我が父に訴えたのだが、父は実力があるならばそれで構わないとそれを相手にしなかった。エルジェーベトに、それで戦えるか? と聞いたら、もちろんとの言葉が返ってきた。その言葉どおり、初めて出場した大会で彼女は優勝した。以後七年間、まったく負けなしだ」
「そういえば……これは武術大会じゃなくて剣術大会なのよね」
 ロザリーが今思い出したと言うように、隣というよりは右斜め前に座っているシェリダンに問いかける。
「ユージーン侯爵……って、あれ? 二人? まあいいや、あのクルス卿の方だけど、《反逆の剣聖》って呼ばれてるのよね。剣の大会で公爵がいつも一番なら、クルス卿は負けているわけでしょ? あれだけ強い人が剣聖なら、バートリ公爵っていったい何なの?」
「殺戮の魔性、エルジェーベト=バートリ」
 二つ名まで恐ろしい。
「クルスは武人として実力者の域だがエルジェーベトはもう人間じゃない、というのが周囲の意見だ。まあ、対外的にはレズ公爵の方が通っているが」
 ついでに言えば、イスカリオット伯爵ジュダ卿は狂気伯爵だそうだ。
 シェリダンの周りにはろくな人間がいない。
「どっちにしろ凄いあだ名……」
「お前らの国も似たようなものだろうが、病弱王子」
「誰が病弱王子だ! 僕は第五王子ミカエラ!」
「別名は幽玄王子」
「名前からして儚いな」
「放っとけ!」
 エルジェーベトと平民出場者アウゼンリードの試合を見つつ、特別観覧席ではなんとも暢気なやりとりが開催されている。まあ、どうせ御前試合、別名剣術大会なんて娯楽だが。これで死ぬ人間なんていないし、殺したら反則負けだそうだ。
 しかし、あのアンリがこの会場に交じっているなんて。これでは、ただ単純に試合を見物しているというわけにもいかなそうだ。
「ユージーン姓が二人いるのは?」
「クルスと、その父クロノスだ。貴族連中の出場者は様々な兼ね合いで決められるが、あの二人は本当に強いからな。試合に出させてください。いや、駄目だ。じゃあ剣で勝負しましょう、という流れに持っていけば断られることもないからな」
「………………というか、似てないのね」
 当の二人を見比べて、ミザリーが呆然とそう言った。ミカエラと同じように可愛い系の顔立ちをした美少年……ロゼウスより二つも年上の人に言う言葉ではないが、彼には青年と言う呼称よりも少年の方がしっくり来る気がする。その美少年侯爵に比べて、彼の父であるというクロノス卿は……熊? 一言で言えばそんな感じの大男である。
「ああ、まあ、な……クルスは母親似だ。美人だぞ」
「でしょうね」
「っていうかあの可愛い侯爵に半分もあの男の血が流れているのが信じられないわ」
 自分が美人で面食いのミザリーはひたすら呆然としている。
「ところで、試合はどうでもいいんですか、皆さん」
 エチエンヌに促されて、舞台へと視線を戻す。けれど、エルジェーベトに圧倒されてアウゼンリードは手も足も出ない。早くも勝負が決まった。
「やはり今回もエルジェーベトか」
「というか、この組み合わせだと、第九試合はエルジェーベト卿とリチャードじゃないの?」
 ロザリーの何気ない言葉を聞いて、ローラが小さく溜め息をついた。
「それに、クルスとクロノスは親子で激突するだろうな。いつもはクルスかジュダのどちらかがエルジェーベトと決勝を争っているからな」
「なんか、大変なのね」
「当人たちが楽しんでいるのだからいいんじゃないか?」
 御前試合とは言うものの、シェリダンはそれほど興味もないようだ。
 やはり昨日の負担が尾を引いているのかとちらりと様子を窺えば、すぐに気づかれる。
「どうした、ロゼ」
「……別に、なんでもない……」
 ロゼウスはまた、シェリダンの肩にもたれかかる。アンリのことは気になるが、だからと言ってシェリダンの隣にいる今、彼と接触することもできないだろう。
 布の陰に隠れて見えない場所に滑り込まされた手は、シェリダンにしっかりと握られている。だから今のように、小さく身じろぎしただけでも反応が伝わってしまうのだ。
 逃げられない。それに、もうここから逃げる気も……。
 だけれど、ヴェール越しの視線が、眼下の兄と合ってしまった。
 兄様……。
 一見親しみやすいような振りをして、実は他者を愛でつつ突き放すような空気をもつドラクルとは違う。兄妹の中では、最も兄らしかった兄。ロゼウスは見ての通り、ミカエラやジャスパーやウィルにとってしっかりした兄ではなかったろうし、ヘンリーも親しみやすいけれどどこかつかみどころのない雰囲気を持っていた。わかりやすくて人好きがして誰にでも優しいアンリは皆に好かれていた。
 そんな風に思い返しながら、それまでアンリのいたあたりを見つめていると。
「痛っ!」
「何を見ている?」
 握られていた手に鋭く爪が立てられた。思わず声をあげると、シェリダンが冷ややかな眼差しで睨み付けてくる。
「ちょっとシェリダン! 何だかよくわからないけどロゼに乱暴しないでよ!」
 咄嗟にシェリダンの腕にしがみついて、ロザリーが彼を止める。しかし鬱陶しげとも、もしかしたら無関心とも言えるような瞳で射すくめられて、ロザリーの動きが止まった。
「……なんでもない。ぼんやりしてただけ」
「本当か?」
 間髪いれずに尋ねてくる彼の勘の鋭さに内心舌を巻きながら俺は答える。
「……嘘だったらどうだっていうんだ? どう言ったって、あんたは信じないだろうが」
「当然だ」
 だが一応はその答で納得したらしく、シェリダンはロゼウスの手を握る力を緩めた。
 舞台の上では第三試合の出場者が向かい合い、試合を始めようとしている。どちらもロゼウスの知らない相手で。知り合いが出るのは次の第四試合を待たねばならなかった。

 ◆◆◆◆◆

 ロゼウスの様子がおかしい。
「痛っ!」
「何を見ている?」
 御前試合の最中だと言うのに、意識が別の方へと向いたようだ。繋いだ手から微かな身じろぎを感じ取り、シェリダンは尋ねた。
 握り締めていた手に力を込め、爪を立てる。柔らかい手の甲が傷ついて、赤い痕を残す。
「ちょっとシェリダン! 何だかよくわからないけどロゼに乱暴しないでよ!」
 きゃんきゃん噛み付いてくるロザリーを一睨みで黙らせ、ロゼウスへと視線を戻す。
「……なんでもない。ぼんやりしてただけ」
「本当か?」
「……嘘だったらどうだっていうんだ? どう言ったって、あんたは信じないだろうが」
「当然だ」
 とは言え、これ以上ロゼウスから聞き出せる情報もないだろう。シェリダンは黙り、視線を舞台の上へとまた戻す。第三試合の準備が始まっているが、どちらが勝ってもその次にはジュダに負ける事が決まっている輩の勝敗などどうでもいい。
「第三試合、始め!」
 彼の手をきつく握り締めながら、シェリダンは隣に座るロゼウスの反応のみに意識を集中していた。ここ数週間、これまでのやりとりで自分も疲弊したが、暴力を直接ぶつけられたロゼウスの疲弊も尋常ではない。常人なら足腰立たないところをふらつきながらでも自分の足で移動できるだけ、やはりヴァンピルとは異常なほどに打たれ強い種族だと思う。
 だからあんなにも、それこそ異常なほど、深く何度も何度も傷つけずにはおれなかった。
 そこまで考えてふとシェリダンは気づく。気づけばまた、ロゼウスのことを考えている。
 もう、考えないようにしようと決めたのに。
 この美しい少年は肉の器持つ人形であってそれ以上でも以下でもない。
 至高の美しさを持つ陶器人形と同じく永遠に枯れないが、その表面を撫でても還るのは冷たい感触だけ。
 ――……そんなことしなくても、俺はもう、あんたのものなのに。約束しただろう。俺はあんたのものになると……
 ――……違う。お前は一時だって、私のものになどならなかった。
 ――……シェリダン。
 ――……もういい。何をしても、殺してすら、お前は手に入らない。その命も身体も私のものなのに……永遠に私のものには、ならないのなら……。
 手に入らないものを望むなんて滑稽だ。わかっているのだろう、シェリダン=ヴラド=エヴェルシード。それは虚しいだけだと。
 シェリダンはこの国を滅ぼすために、破滅をもたらすためだけに生まれた王なのだ。今更ままごとのような愛を叫んだって届くはずなどないのに。
 ――わかっている。本当は何もかも。
 どんなに望んでも、彼は自分のものにはならない。
 祖国を侵略して父母と兄妹を殺した男を、愛せるわけがないだろう。王子と言う身分すら奪われ、女装をさせられて男の矜持も何もかも奪い取られ弟の目の前で犯され、奴隷以下の扱いをした相手に好意を向けるなんて、その方が異常だ。
 だからシェリダンはロゼウスを壊すことを願った。
 壊れてしまえば、その美しい深紅の瞳が映す者は今目の前にいる自分だけになるだろうに。
 そして、本当に欲しいなら殺してしまえとハデスは言った。
 そうすれば誰も彼を手に入れられないと。シェリダンもロゼウスに触れる事はできないが、他の男に触れられることもない。
 そうできれば楽だったのに。
「勝者、サリー=ノース!」
 眼下では試合が恙無く進んでいる。圧勝だったリチャードとエルジェーベトの時とは違い、今度は勝者も敗者も軽い傷を負ってはいるがその程度のものだ。
 ロゼウスはまだ体が辛いのか、シェリダンの肩にもたれている。姉姫のミザリーはともかく、ロザリーやミカエラにローラなどは、ちらちらとその様子を気にしている。
 黒いレースのヴェールの下では、かろうじて表情はわかるが顔色は全くわからない。無表情でシェリダンに寄りかかり、何を言うでもなくどこか一点を見つめているロゼウスに周囲は何を思うのか。
(……考えないはずじゃなかったのか?)
 気を抜けばまたそこへと戻ってしまう思考を嘲るように、シェリダンは口元に歪んだ笑みを浮かべる。ロゼウスの肩を抱き寄せ、急に引き寄せられたために崩れかけた体勢を支える。
「シェリダン……」
「次はイスカリオット伯の試合だ」
「うん……」
 それを気にしているのかいないのか、シェリダンの腕に引き寄せられたロゼウスの細い肩は何も言わずシェリダンに縋った。視線は相変わらず舞台の方をぼんやりと眺めている。
 先程、ロゼウスと共に何事かに反応したヴァンピルの兄妹たちも今は落ち着いていて、舞台は何事もないように進んでいるように見えていた。表面上は。
 いずれは、何かが起こるのだろうが。とにかく第一回戦の半分までは無事に終了した。ジュダの剣は圧倒的で、しかし彼を讃える歓声や拍手が少ないのは、その戦い方があまりにもえげつないためだ。
 ここで一度目の小休止を挟み、大会は長閑な昼休みとなった。一回戦が八試合、二回戦が四試合、準決勝が二試合、そして決勝と、計十五試合が行われる。
 休憩は一回戦が全て終了したこの時間と、二回戦及び準決勝が決定した三回戦終了後に挟まれる。
 ローラとエチエンヌに声をかけられて、城内へと戻り昼食をとった。特別観覧席であるバルコニーは広いので十分そこに食事の用意をさせることはできるが、試合もないのにあんなところで食事をとっても仕方ない。だいたい屋外で暢気に食事をしている光景を見せるなど、暗殺者に狙ってくれというようなものだ。
 シェリダンは午後、優勝者に求められたら試合をしなくてはならない。そのため、食事は軽いものを用意させた。この対戦表の組み合わせでは、勝ちあがってくるのはエルジェーベトかクルスか。準決勝がエルジェーベトとジュダの戦いになるだろうから、番狂わせが起きてジュダが彼女をかなり疲弊させるということも考えられる。その隙を上手くつければ、クルスにだって勝機はあるだろう。
 どちらにしろ決勝まで残りそうな面々を見るに、わざわざシェリダンに歯向かったり、からかい半分で試合を申し込む人間はいないだろう。ならばシェリダンは剣を掲げる機会はなさそうなものだが、何故だか胸騒ぎがした。
「シェリダン様、どうしました? お気に召しませんでしたか?」
「いや、そうではないんだ。気にするんだ」
 この感覚をどう伝えればいいのかわからない。だが確かに、胸騒ぎとしか言いようのない感覚に支配される。
 以前も感じた事があるような、このピリピリとした感覚。壁一枚隔てた向こうから心当たりのない殺気を向けられている、そのむず痒さ。
「……誰か、この城に訪れた者でもいるか?」
「え?」
「特にお客人があるとか、そういう報告は受けていませんけれど」
 シェリダンの言葉に双子は不思議そうな顔をして首を傾げた。
 その代わり、不安げにきょろきょろと周りを見回し始めたのはロゼウスだ。
「ロゼウス?」
「この、この気配……」
 食事はすでに終えているが、休憩時間のまだ半分ほどしか過ぎていない。
「ごめん……、ちょっと出かけてくる!」
「待て! ロゼウス!」
 誰に声をかけると言う事もなく、それまで少しの距離を歩くにもふらふらで足元が覚束なかったロゼウスが唐突に走り出して部屋を出て行った。慌ててシェリダンも後を追って走るが、角を何回か曲がったところでついにその背を見失った。
 体調の悪いこの状態で動きにくい服はまずかろうと、剣を合わせたときのような活動的な服と靴にしたのが悪かったのか。足の速いロゼウスに追いつけず、シェリダンは部屋へと戻った。
「シェリダン王、ロゼ兄様は?」
 尋ねてくるミカエラにシェリダンは不機嫌に首を振って見せた。
「……見失った」
「ええ! 大変だ、早く探さないと!」
 慌てて駆け出そうとするミカエラを、ロザリーとミザリーが二人がかりで止めた。
「あんたは駄目よミカ!」
「そうよ、また倒れたりしたらどうするの!?」
「姉様たち、でも兄様が……」
「私が行ってくる」
 不甲斐ないシェリダンとミカエラに痺れを切らしたのか、弟王子を姉姫に任せてロザリーが出て行った。ミカエラはミザリーに言われて、渋々と元の席へ戻る。もともと病弱な彼は加虐されつづけたロゼウス以上に、立っているのもやっとの状態なのだ。
「何だ?」
「……別に!」
 そのミカエラが睨んでくる。きっとシェリダンとミカエラはお互い相手のことを同じように思っているのだろう。
 情けない男だ、と。