荊の墓標 15

078

 御前試合――剣術大会の方は恙無く進んでいた。
 休憩の終わる直前に、ロゼウスは戻って来た。胸中では冷や汗をかきながらも顔では悠々とした表情を作り民衆の前に姿を現す。二回戦は序盤からリチャードとエルジェーベトとの激戦だった。
 結果はエルジェーベトの勝利で、辛勝とは言わないが、一回戦の時のようにあっさりというわけにもいかなかった。リチャードはシェリダンの剣の師であるから、そうそうあっさり負けてもらっても困る。しかしやはり王国最強の女将軍には敵わないらしい。
 この二人が御前試合で激突するのは初めてだったのだが、敗者にしてはやけに清々しい表情でリチャードが戻ってくる。エルジェーベトも口元の辺りが吊りあがっているので、観客には高度すぎてわけのわからない戦いも、当人たちにとっては楽しいものだったということか。
 シェリダンは相変わらずロゼウスの手を握りながら、次の試合に目を落とす。イスカリオット伯爵ジュダと、一回戦でクーパー子爵に勝って上がってきたサリー=ノースとの対戦だ。彼女は爵位こそないが高名な貴族の侍女で、この国ではエルジェーベトに次いで強い女性だ。軍事国家とはいえ男尊女卑の傾向が残るエヴェルシードでは、一人でも多くの兵士を必要とするくせに女性の軍人をあまり募らない。
 しかしノースもジュダのえげつない戦法に敗退し、準決勝一回戦目はエルジェーベトとジュダという、組み合わせだけでも恐ろしい二人に決まった。
 次の二試合は奴隷のレガ対クルス=ユージーン侯爵、平民のイーノク対クロノス=ユージーンですでに勝敗は見えている。平民と奴隷ということは小細工なしに純粋な実力で勝ちあがってきたということだが、貴族連中の中でもこの親子に当ってしまったのが運の尽きだ。
 恙無く二回戦第三試合、第四試合は終了し、誰もが予想、そして確信していた未来を裏切らずにクルスとクロノスの、ユージーン親子が勝ち残る。
「次は親子対決?」
「ああ。それも、ここから決勝までは休憩を挟まずに行われるからな」
 クロノス対イーノクが終わってすぐに、舞台にまたジュダが上がってきた。剣技というのはただ単にどんな手段を使ってでも勝てばいいというわけではない。技術の優れている者ほど、相手に怪我を負わせずに試合を終えることができる。だからこそ、エルジェーベトやジュダや出場し始めたこの数年間は特別な事故もなく、こうもあっさりと試合が進行するのだ。
「けっこう強いのね。イスカリオット伯って」
「ああ」
「ただの変態だと思ってたわ」
「それも間違ってはいない」
 ロザリーの言葉に頷いて、シェリダンは眼下の舞台を眺める。
 ジュダとエルジェーベトの戦いはさすがに接戦だった。バートリ公爵エルジェーベトの実力は一度目の当たりにすれば疑う者はないが、ジュダが強いかどうかは限られた者しか知らない事実。財力で有名なイスカリオット家は、同時に呪われた血筋としても有名だ。
 八年ほど前に狂乱の殺戮事件を起こしたジュダを、いまだ狂人だと罵る輩は多い。なまじ本人がそれを楽しみ煽るように道化のフリをするものだから、いっそう性質が悪い。
 眼下の二人の攻防は続く。
 エルジェーベトの繰り出した剣戟を、ジュダは紙一重で避ける。搦め手で獲物を奪おうとするのを察したエルジェーベトが距離をとり、体勢を整えてまた一撃を繰り出す。あっさりかわされたその攻撃から回転へと繋げ、ジュダの足元を狙う。持ち前の運動神経をいかして辛くもそれを逃れたジュダに、追い討ちをかけるエルジェーベトの連続攻撃。段々とジュダが防戦一方になる。
 ジュダ=イスカリオット伯爵。
 先程ロゼウスが元の部屋に戻って来た時は、彼に抱きかかえられていた。王妃を抱きかかえるというには無造作な抱え方だったが、ロゼウスがジュダに連れてこられたのは間違いない。
 それはつまり、休憩中にあの二人は会っていたということだ。
 しかし何を話したと聞いても、ロゼウスは単に廊下でへばっていたところを運んでもらっただけだとしか答えない。
 本当にそれだけか? 何かあったのではないか?
 あの時、急にロゼウスが部屋を飛び出して言ったのはジュダに関わることなのか?
 舞台の上では踊るようにジュダとエルジェーベトが位置を入れ替え、危機を脱したらしいジュダも今度は徐々に攻勢に出始めた。エルジェーベトの突きをかわして背後を狙い、それを受けとめられると素早く刃を引いて体勢を整える間を与えず足元を狙う。
 ドレス姿を気にもせずに片腕で地をついてエルジェーベトはそれを避け、力押しの攻防に持ち込もうと勢いよく相手の首を狙う。それを防御したジュダの剣と剣の刃が擦りあって、嫌な音を立てる。
 あの男は、ロゼウスに何をした?
 以前イスカリオット城に滞在した時にも、ロゼウスに手を出そうとしていた。その時は見事に椅子を投げられて撃退されていたが、今の、少し動いただけでも息を切らすような
ロゼウスでは抵抗もできまい。
 繋いだ手の微かな温もりを意識しながら、シェリダンは顔を歪める。
 ヴェールの下から不思議そうな顔を覗かせて、ロゼウスがこちらを気にする。
 他の者たちは気づかない。舞台の上で行われる裂帛の攻防に気をとられ過ぎていて、こんな小さな一画の出来事に気づくわけもない。それはこの同じ場にいるローゼンティアの王族兄妹や、エチエンヌとローラ、試合が全て終わって選手控え室からこちらに戻って来たリチャードも同じこと。
 エルジェーベトが剣を振るう。ジュダが避ける。ジュダが攻撃を繰り出す。あっさりとかわされる。すぐに反撃が来た。
 それをなんとか凌いだ彼は次の白刃から逃れきれず、腕に浅い傷を作る。妙にゆっくりと細い血の筋がひかれ、ジュダの剣がエルジェーベトの剣に耐え切れなくなってきたことを伝えている。
 もう何度か打ち合ったところで、エルジェーベトがジュダの得物を弾き飛ばした。
 宙を飛んだ剣は場外の地面に突き刺さり、その周囲の人々に貴族平民問わず度肝を抜かせた。幸い誰にあたるということもなかったが、下手をすれば怪我人や死人が出てもおかしくない。
 激戦の果てに、エルジェーベトが決勝進出を決めた。
 超高度な一戦が終了し、一瞬城内は水を打ったように静まりかえる。
「勝者、エルジェーベト=バートリ!」
 審判の声で一斉に、弾けたように会場中から歓声があがった。
「すごい……」
 ミカエラが感嘆の溜め息をつくのがすぐ側で聞こえる。
 だが、繋いだままのロゼウスの手は無反応だ。
 何も感じず、何も思わない人形のように。ちらりとその横顔を窺えば冷淡な眼差しで眼下の二人を見ている。会場の熱気など知らぬと言いたげな、温度の低い眼差し、自分と別の世界を見ている者の眼。
 ジュダと何かあったのならば、こんな目をできるものだろうか。
 それとも、何かあったからこその態度がこれであるのか。
 自分はそのどちらを疑い、どちらを信じているのだろう。
「ロゼウス」
「何」
「……いや」
 言いかけて、シェリダンは何を言う気なのか自分自身でもわからなくなり、発言を濁した。
 ふと眼下に再び視線を戻せば、控え室へと戻る二人のうち、こちらを見上げたジュダと視線があった。そして何故か皮肉げに唇を歪める。
「……お前のせいだ」
 今度はすんなりと出てきた言葉を聞き咎めて、ロゼウスが小首を傾げてくる。その動きを気配で察しながらも顔を見ないまま、シェリダンは告げる。
「お前のせいで、私は」
 こんなにも疑り深くなる。

 ジュダのあの笑みの裏には一体何が隠されているのだろうか……。

 ◆◆◆◆◆

 準決勝二回戦目は、クルスとその父の戦いだ。
「遠慮はいらぬぞ、クルス。全力でかかって来い!」
「はい、父上!」
 クルスが国王の御前試合、この剣術大会に参加して、今日で四回目になるがその間一度も父と対戦した事はない。組み合わせは抽選なので不正があるはずもないのだが、たまたまクジ運なのだろう、バートリ公爵やイスカリオット伯爵との対戦は何度かあったのだが、父とはこれまで一度も当らなかったのだ。
 もちろん、優勝したことも皆無である。この七年間はずっとバートリ公爵エルジェーベトが優勝し続けているし、御前試合初出場の年にクルスは一回戦で彼女と対戦することになり、あっさりと負けてしまった。自分の腕に自惚れた覚えはないが、国内での壁はこんなにも厚かったのかと愕然とした覚えがある。
 さらに一昨年は二回戦目でジュダに負け、去年はなんとか決勝まで勝ち進んだがそこでエルジェーベトに敗退した。その去年も父とはブロックの関係で対戦せず、実家で手合わせをする時以外、このような公式の場で戦うのは初めてだ。
 クルスはまだ、父に勝ったことがない。いつもいいところまでいくと父は褒めてくれるが、父はいつも穏やかに笑っているので、それが本心かどうか、クルスには判別できない。
 しかし、今日、この場で父、クロノス=ユージーンとの雌雄を今まさに決しようとしている。
 シェリダンは自身のことをあまり形式ばっては呼ばない人物なのであえて剣術大会と言っているが、この大会の正式名称は「御前試合」。文字通り、国王陛下の御前で行われ、その剣技を見てもらうための大会だ。
 クルスは自分が王国最強の剣士であるエルジェーベトに勝てない事は知っているし、ジュダにもなんだかんだで負けてばかりだ。去年はなんとかジュダに勝って決勝に進んだが、それだっていつもの、安定した実力ではない。
 しかし、いくら公爵や伯爵に負けたかなど問題ではないのだ。今見なければいけない現実は、次の対戦相手がクロノス=ユージーンであること。
 そして自分は、クルス=クラーク=ユージーン侯爵だ。父から爵位を譲られたのだから、それ相応の成果は返さなければならない。
 御前試合は、見た目もかなり派手だ。貴族の出場者はやけに煌びやかな鎧を纏って出場したりする。国を守る戦士が傷一つない鎧姿で出てくることの何が誉なのかクルスにはよくわからないのだが、皆、王の前で己を立てようと必死だ。
 中には、逆に力を抜きすぎてドレス姿のために一番目立っているエルジェーベトや、何故か毎回シェリダンの従者としてのお仕着せ姿で登場するリチャードなどもいるが、それはまた別の話なのでおいておく。
 クルスと父は、鎧は普段のものを使う派だ。新しい鎧を拵えて本番で不備が明らかになってはたまらないので、使い慣れた装備で舞台にあがる。
 しかし、こうして向かい合ってみてもクルスと父では雲泥の差だ。クルスは胸部から首、腕、などの重要部位と急所の防御は鎧に頼るが、父は簡素なものだった。
 クロノスは、クルスの父とも思えないぐらい体格の良い人物だ。普通の人より頭一つ二つ背が高く、全身が筋肉と言う名の鎧に覆われていてクルスの貧弱な体とは違う。なので、防具は胸部を庇う胸当てのみ、手甲などもつけてはいない。
「クルスよ、とうとうこの時が来たな」
「ええ……今日こそ、僕は父上に勝って、正式にユージーン侯爵という名を手に入れたいと思います」
「よくぞ言った」
 審判が手をあげる。その手を勢いよく振り下ろすと同時に、試合開始の合図を告げる。
「準決勝第二試合、始め!」
 クルスとクロノスは同時に地を蹴った。相手の急所を狙った攻撃はお互いに防ぎあい、開始から刃がせめぎあう。しかし、クルスは純粋な力技だとどうやっても父には敵わないので、早々に膠着を解いて距離をとる。
 追撃をかわし、逆に反撃を行った。振り返りかけた父の肩口を狙った一撃は封じられ、すぐに今度は向こうの反撃が来る。鋭い突きは素直にかわし、できればクロノスの剛力を直接喰らわないよう、素早い動きで攪乱する道を選ぶ。
 御前試合では相手を殺すことは赦されないし、もとより父が相手ではそんなつもりはない。そうなると、勝利への手段は首や胸など相手の急所に刃を突きつけて降参を迫るか、相手の得物を弾き飛ばすかのどちらかになる。
 持久戦で疲れさせて降参させるという手もあるが、クルスより格段に体力のある父相手ではその手も使えない。長期戦を持ち込まれたら、確実にクルスの方が先に参ってしまうだろう。
 それに、一対一の決闘と違ってこれはトーナメント式の大会なので勝ち上がれば決勝でない限り次の試合が残っている。一応今は準決勝二回戦なのでこの後休憩が入るのだが、できるだけ体力を温存したいと普通の出場者なら思うわけだ。
 ただ、今クルスが戦っている相手はこれまでクルスが一度も勝てた試しのない父なので、温存などと悠長なことは言っていられない。全力を出し切らなければ、すぐに負けてしまうだろう。
 父の力をまともに食らうのはまずいと判断し、頭上から振り下ろされた一撃を横に跳んでかわした。その動きは見抜かれていたらしく、すぐに薙ぎ払うような回転斬りがくる。剣を垂直に立てるようにして横腹へ受け、何とか持ちこたえる。力の方向を逸らしてぎりぎりと攻め込んでくる刃から離れ、再び地を蹴って反撃にでた。
 あわよくば首元に切っ先を突きつける気で狙った一撃は簡単にクロノスの剣に阻まれ、力の方向によりクルスは剣を簡単に引くことも出来ず、逆にこれ以上押し込まれたらこちらが切り刻まれてしまうという膠着状態に陥った。
 しばらく、力比べのような具合になる。もとの腕力が違うので長い時間は持たない。頭の中でこのままでは勝ち目がないことを悟るが、打開策は見つけられない。
 また、今回も負けてしまうのだろうか? 父に。いつまでたってもクルスはその背中を追い抜くことはできず、そのさらに先の玉座にいる方の目の前に傅くこともできないのだろうか。
 それだけは赦せない。
「――ぁああああああ!!」
 腹の底から気合を上げ、クロノスの力の均衡を崩す一点を正確に狙って何とか剣を押し返した。
「何っ!?」
 クルスには力はない。けれど、力が全てではないと思っている。そんなことを言ってしまったならば、クルスよりもさらに腕力がないのにあれほど強いエルジェーベトはどうなるのか。
「くっ!」
 初めて父に苦鳴なるものをあげさせることに成功した。クルスは間髪入れず追撃を行い、父がその剛力を出し切れないよう翻弄する。
 持久力でも腕力でも負けている。けれど、速さと細かさはクルスの剣の方が、父より上だ。
 素早さと技術を生かした猛攻を続けていると、さすがにクルスの息も切れ始めた。けれど、ここで止まるわけにはいかない。
 父も休む暇もない連撃に防御で手一杯で、攻撃をしかけてくる隙がないようだ。右へ左へと振らせる攻撃を続けていると、段々その手元が覚束なくなるのがわかった。
 ここを突けば勝てる。
 心が決まった瞬間、迷いや躊躇いは一切消えていた。全身の力を使って振り切った剣で父の剣を下から上へと弾き飛ばした。もともと連続の攻撃で握力が弱まっていた上に剣の横腹に一撃を入れたのだ。鈍い音がして、その得物は父の手を離れた。
 永遠のような一瞬の隙に、クルスはクロノスの喉元に切っ先を突きつける。
 しん、と水を打ったように会場内が静まり返っているのがわかる。
 呆けたような沈黙の後で、審判が大きく声をあげた。
「勝者、クルス=ユージーン!」
 会場中からどっと歓声が上がり、クルスは剣を引いた。
「クルス」
「は、はい! 父上!」
 緊張と興奮のあまり心臓の鼓動が煩くなって、何も聞こえないようなクルスの耳に、目の前の父の声が飛び込んできた。
「最後のあれはなんだ。あんな飛び込み方をする奴があるか。相手が私程度の者だったから良かったものの、もっと強い人間相手だとしたら隙をつかれて逆にお前がやられているぞ」
「……はい」
 そうでした。最後の一撃は結局それで勝敗を分けましたが、十分に反撃される可能性もあったのだ。あの時一瞬何もかも見えなくなり迷いや躊躇いもなかったが、逆に言えば危機感も欠けていた。
 項垂れるクルスの耳に、再びクロノスの言葉が届く。
「だが、よくやったな」
 顔を上げて見ると父は笑顔だ。
「は……はい!」
 クルスたちは騎士の礼をして舞台から下がり、控え室に戻る間際クルスは特別観覧席のシェリダンを見上げた。
「陛下……」
 一度目が合うと、シェリダンが嬉しげに微笑むのが見えた。