荊の墓標 18

094*

 視界を黒い布で塞がれる。絹の幅広のリボンなんて彼はどこから用意したのか、それでロゼウスの目元を覆った。
「シェ、リダ……」
「怖いか? 昔を思い出すか? 確か人は視界が利かなくなると恐怖で口も利けなくなるらしいが、夜闇を好むヴァンピルでもそれは同じなのか?」
 思わずびくりと震えたロゼウスを嘲笑うように、シェリダンは耳朶に唇を寄せて囁く。その吐息の熱さに背筋にぞくぞくとした感覚が走り、今の自分がどんな状態になっているのかわからないロゼウスはひたすら耐えるしかない。
 いつもはさほど気にしない寝台の軋みすら、今の状態だとやけに大きく感じられる。敷布の滑らかな感触の上に押し倒され、太腿に手の感触を覚えたと思った瞬間足を開かされる。
「シェリダン……」
「そう怖がるな」
 ロゼウスの額に一つ口づけを落として、シェリダンが子どもを宥めるように告げる。身動き取れないかと身体を捻った拍子に頭上でしゃらりと音がした。ロゼウスの両手は手錠で繋がれ、頭の上の位置に来るようシェリダンに押さえつけられていた。
「慣れているのだろう?」
 意地の悪い言葉を吐いて、首筋にまた口づけを落す。手錠やこの拘束くらいその気になれば身体能力的にはいつでも外せるが、ロゼウスとシェリダンの立場の違いがそれを許さない。
 一度は近付いたはずの距離は、あのヴァートレイト城での出来事を境にまた離れていった。ロゼウスがシェリダンに感じた微かな慕わしさとそれと相反する憎しみは、シェリダンをドラクルに重ねていたからのものだった。
 それを思い知った今では、ロゼウスがシェリダンに何らの感情を向けるいわれもない。愛情など感じる関係にはなく、だからといって、憎むのも疲れた。自分ですら気づかないうちにドラクルを心の奥底で恨んでいたロゼウスは、もう誰かを恨むのに疲れきっていた。
 今の自分は元通り、この国の捕虜に、人質に、名目上のエヴェルシード王妃、実態は侵略者の王の奴隷へと戻っただけ。
 シェリダンはロゼウスが彼の言葉に従わねば、ローゼンティアから国民を攫ってきて殺すと脅しをかけてきた。これまでの彼だったならば、それはただ単に言葉の上での簡単な脅迫、ロゼウスに対するただの脅しでしかなかっただろう。
 しかし、今のシェリダンならば、どう出るかわからない。ロゼウスが彼を拒絶すれば、本当に何だってやりかねない。
「あっ」
 服の隙間から手を差し入れられて乳首を捏ねられる。見えない状態ではどこから何をされるかわからない。
 突然走った刺激の意味をつかみがたくてはじめこそ悲鳴をあげたものの、徐々に身体は快感に流されていく。
「ん……っ、ふぁ……ぁあ、」
 熱く尖った息が漏れ、嬲られ続ける胸だけじゃなく、下半身の方にも熱が集まっていく。無意識に内股を摺り寄せるようにすると、その足を強く掴まれた。
「なっ……」
「勝手に楽しもうとするな。お前は私の奴隷だ。主人の許可なしに楽しむ事は許されない」
 顔に人肌の熱を感じたと思った瞬間、柔らかな唇が重ねられ、舌が滑り込んできた。接吻はいつでも目を閉じているのが普通だと思うけれど、予告なしの動作には頭がついていかず、いつもよりどこか近い場所で、口腔を貪りつくす感触と快感が響く。舌を絡め、唾液を零してお互いを啜りつくそうとでもいうその口づけは、身体の奥の方で高まる欲情を煽る。
 唇を離しても、まだシェリダンはロゼウスの顎を手で持ち上げていた。
「相変わらず、熟した果実のようないやらしい唇だな」
 どんな唇だよ、と突っ込みたいのだが声が出ない。シェリダンがロゼウスの唇に指を当て、ゆっくりと指で開かせようとしたからだ。意図を察してロゼウスが口を開けると、熱い塊が滑り込んでくる。
「ん、ぐっ」
 理不尽な奉仕に慣らされた身体は抵抗などという言葉すら思いつかず、素直にそれに舌を這わせる。口の中のものの素直な反応で、シェリダンが今どんな状態かはわかった。けれど、目隠しをされたこの状態では彼がどんな表情をしているのかまではわからない。
 嬉しそうな顔など見せることもないロゼウスに対して怒っているのか、無理矢理口淫を強要する嗜虐の快楽に耽っているのか、それとも。
 彼は俺が好きなのだと言っていた。
「あっ……くっ!」
 ぴちゃぴちゃと卑猥な水音が続いた後、少し苦しげな艶かしい呻きと共に、シェリダンが達する。体勢が悪くて全部は飲みきれなかった白濁が口の端を伝うのを感じながら、口の中から引き出されるものの感触にほっとするような、名残惜しいような感覚を覚える。
 自分は多分蔑みの言葉を受けるに当然の淫乱で、しゃぶっていた肉の塊が離れると途端に寂しさを覚えた。寝台の枕元に手錠は固定されて、シェリダンは今どこにも触れていない。
 と、思っていたらその腕が再び太腿を開いて自らの膝を滑り込ませた。僅かに腰を上げられる体勢になって、少しだけ怯えを抱く。
「人の身体で、一番敏感なのは指先だ。足も含めてな。先端には神経が集中するらしい」
 いきなり何を言い出すのかという暇も与えず、彼の指がロゼウスのものに触れた。それも、ほとんど指先を当てるだけと言った状態で。
「あ……」
「逆に背中や肩などは鈍感だ。二の腕や足も指先ほどではない。盲目の人々は指先で凹凸を辿って文字を読むという」
 指先で確かにその形を確かめるかのように、シェリダンはロゼウスのものをツツーッとただ辿っていく。肉の塊の形を指先で覚えようとでもするように、丁寧に凹凸をなぞる。
「試してみるか?」
「あ、あんっ!」
 先端の窪みにまで指を当てられると、どうしようもなくなって声が出た。もどかしい。離して。もっと強く触れて。楽にして。相反する感情は行為の先を促す方に振り切れて、もがいた足を余計強くがっしりと掴まれる。
「動くな」
 命じられて、足に込めた力を抜いた。シェリダンが膝裏に肩を入れて足を持ち上げる。思い切りその場所を広げさせられて、羞恥に顔が火照る。見えないからこそ、見えないはずの視線を足を広げられたことで開いた穴に注がれているような気がして落ち着かない。
「ひぁっ!」
 きゅっ、と何かの栓を捻るような音がした。思っていると、ぬるりとした感触の冷たい液体が身体の中心にかかった。熱を持って疼く自身に、とろりとした油のようなものがかけられる。
「香油だ」
「こうゆ……」
「潤滑剤。香り付き。……気持ちよいだろう?」
「ひゃう!」
 一体どこにそんなものを用意していたのか、シェリダンは香油をロゼウス自身に振り掛けて再びそれを掴んだ。先程のもどかしく輪郭をなぞるような愛撫と違って十分な力の込められたそれに、ぞくぞくと快感への期待が高まる。
「あっ……あっ……う、ああっ!」
 ぬるぬるとした香油をたっぷりと摺りこむように、先程のもどかしい愛撫は嘘だったかのような手付きでシェリダンはロゼウスのものに触れてくる。指が絡みつき、手のひらが擦るように押し付けられて香油を肌に染みこませようとする。
 そのシェリダンの手に、自分自身の出した先走りの雫が快感に負けてぽたぽたと零れ堕ちていくのがわかった。先端に再び手をやって、シェリダンは自らそれを掬い取る。
 そしてその指を、これまで触れていなかった後の孔へと差し入れた。
「ああっ!」
 待ち望んだ刺激にあげた歓喜の声はすぐに失望へと変わる。男同士で後を使う快楽に慣らされきった身体は、指なんかではもう満足できない。
「や……もっと……」
 顔が見えないからか、するりと出てきた懇願の声にシェリダンがほくそ笑む気配がする。
「欲しいのか? 私が」
 ほぐれた入り口に、熱をあてがう気配。香油でぬるつく内部を勢いよく突かれて、待ちに待った荒々しさに、短くひっきりなしの嬌声をあげる。
「あっ、あっ」
「ロゼウス――」
 視覚が封じられた分敏感になっている聴覚が捕らえたシェリダンの声は甘く、どこか切ない。
 彼は俺のことが好きだと言った。
 けれど、俺は彼のことをどう想っているのか。
 愛情なんてなくても身体を繋げることはできる。行為に感情を伴わせる必要はない、所詮は男同士なのだからこれはただの性欲処理だと。
 割り切れるなら、誰だって傷つかない。
「愛している、ロゼウス。たとえ、お前が、私を想わなくても、憎んでいたとしても」
 抑えられない熱とそれを冷ますかのような諦観が揺らす声。
「ああっ――シェリダン」
 閉じた瞼の奥が真っ白になり、そしてロゼウスの世界からは全てが消えた。

 ◆◆◆◆◆

 その人々は彼女に言った。
「どうか、真実をお聞きください、姫君」
 彼らによって明かされたそれに、メアリーは驚いた。驚いて声も出ず、幾日も閉じこもった。
 メアリーをかくまったのはローゼンティア国内の貴族で、王権派と名乗っていた。彼らがつけてくれた世話係にメアリーは頼りきりになり、閉じこもっている間、ずっと考え続けていた。
「アンリ兄様、ヘンリー兄様、ロゼウス兄様、ミカエラ、ジャスパー、ウィル……」
 大事な兄妹たちの名前を呟く。
「アン姉様、ルース姉様、ミザリー姉様、ロザリー姉様、エリサ……」
 父と母の復活はもう絶望的だと教えられた。ヴァンピルの能力は普通、年を経るごとに弱くなる。メアリーたちよりも経験があるということは、父母たちはもう何度もこんな目に遭っているということ……死者の蘇生にも限界はあるのだ。
 ローゼンティアの王族は、彼女たち兄妹のみが残ったそうだ。国王である父の弟、ヴラディスラフ大公も亡くなったらしい。
 自分はこれからどうすればいいのか。誰か教えてほしい。
 お兄様。アンリ兄様やヘンリー兄様、他のみんなの行方もわからない。ただロゼウス兄様に関してだけは、ローゼンティアを侵略した元凶、エヴェルシードの王宮に囚われていると聞いたのだが。
「お加減はいかがですか? メアリー姫」
「あ、はい……もう、大分」
 いつもメアリーの様子を見に来てくれる貴族の青年の一人が今日もやってきた。彼らに保護された時メアリーは相当の傷を負っていたが、すでに癒えた。
 けれど、心の傷はそう簡単には癒えあい。もちろん彼女だけの問題ではない上、君主を失って敵国の奴隷となった国民たちの動揺はもっと激しいものだろうが、少なからず父と母が殺されたことはメアリーにとっては衝撃的だった。
「それよりも、国内の状況を教えて下さい」
「我等の話を受けとめる覚悟が……」
「はい。初めは信じがたいことでしたが……もはや、そうも言っておられません」
「姫、お辛いでしょうが」
「はい。けれど、わたくしだってローゼンティア王族の一員ですもの。あなた方の話を無条件に信じ込むわけではありませんが、多方面から情報を収集することは必要ですもの」
「ええ。ご立派です。第五王女メアリー姫」
「こんな時にお世辞はいりません。それよりも、教えて下さい。我が国の状況。国内のどれほどの貴族が裏切ったのか、そして」
 幾度聞かされても信じがたいそのことを、メアリーはようやく声に出して確認する。
「今度のエヴェルシードとの戦争を引き起こしたのは、本当に我が兄、第一王子ドラクルなのですね――?」
 貴族の青年は、重々しい表情で頷いた。
 ああ、神様――。

 ◆◆◆◆◆

「陛下、それはいくらなんでも……」
「あら? 私に逆らうというの?」
 美しい女は殊更ゆっくりと首を傾げてみせる。
「いいえ! 滅相もございません!」
 彼女の眼前で意見を奏上していた初老の執務官は、可哀想なほど滑稽に謝り倒す。彼女の機嫌を損ねれば、その場で首がとぶどころではない。皇帝に不愉快だと思われた者はその存在だけで罪。
 皇帝こそアケロンティスの神。
 便宜上宗教と帝政は全く別のものとされているが、実体としては皇帝と神の繋がりは紛うことなく強い。何しろ、《アケロンティス帝国》の皇帝は神による選定紋章印によって指示される。印を持って生まれた選定者の示した者こそが、次代の皇帝となる。
 すなわち皇帝とは《現人神》。人であって人でなき者、神でありながら、神でなき者。
 《神》は目に見えないが、《皇帝》はこの場にいる。そして選定紋章印と言う超常の《皇帝》の存在こそが、神の存在を証明する。
 難儀な……そして忌まわしいことだ。
「そのくらいにしてあげたら? 姉さん」
「ハデス」
 ハデスはその皇帝たる人に呼びかける。たまに戻ってくるとこれだ。この姉はいつも、部下を苛めて遊んでいるのだ。
「こっちへいらっしゃい」
 呼ばれて、ハデスは彼女の眼前へ跪く。帝国宰相として臣下の礼をとったハデスに、デメテルは口を尖らせた。周りに残っていた臣下たちをみんな、その手の一振りで部屋の外に追いやってしまう。
「ただいま、姉さん」
 ハデスは礼を崩し、デメテルへと歩み寄る。玉座に座る彼女の膝へとしなだれかかる。普通は男女逆転の構図だが、姉の方が権力のあるこの場合、これで正しい。
「おかえり、ハデス。どう、収穫は?」
 女帝の白い指先に髪を撫でられながら、ハデスは表向きの報告を済ませる。
「シェリダン王の信頼はそこそことりつけたと思うけど?」
 何せ、あれでも「友達」だからね。
「まあ、そこそこ、なの?」
「うん。だってそもそもあっさりと人を信用して簡単に背中を見せちゃうような相手だったら、もともと姉さんは僕を遣わせたりしないでしょ?」
「その通りよ。賢い子ね」
 白い肌と黒髪、黒い瞳の黒の末裔。彼らの一族以外にそんな色彩を持つ種族はいない。だからこそ彼らの一族はこれまで国など持たず、王と言うほどの権力者もいなかった。
 黒の末裔から皇帝になった姉……デメテルは一族にとっては英雄にも等しき存在だ。蒼い髪のエヴェルシードの民や暗緑髪のセラ=ジーネの民なら、黒に近い髪色の者もいるだろう。けれど、黒い瞳はいない。
 蔑まれてきた一族、《黒の末裔》。
 かの一族は特殊な能力を持って生まれる人間が多いのだと言う。古代からの呪術や邪術を多く伝え、異端の称号と引き換えに強大な力を手にしてきた。
「それで、今度は何を悪巧みしていたの? 姉さん」
 ハデスはデメテルの道具となるべく生まれた。執務の補佐から閨の内側まで彼女の面倒を見るために作られた彼女の弟。帝国宰相。皇帝を支える者。
 しかしハデスはその立場に甘んじるつもりはない。
 僕は、僕こそが、皇帝になるんだ。
「聞きたい? ハデス」
 白い指が伸びる。デメテルはそこそこの美貌を持っているけれどその顔はハデスに瓜二つ、順番的にはハデスがデメテルに似ているのだけれど、だからハデスは彼女を見てもなんとも思わない。
 ハデスが生まれたときから、彼女は皇帝だった。彼女が皇帝になってから、ハデスは生まれた。彼女のために。
 選定者は皇帝のために生まれてくる。ただ、そのためだけに生まれてくる……。
 その中でも特にハデスは例外的な存在だ。
「教えてよ、姉さん。僕は姉さんの弟でしょ?」
「ええ、そうよ」
 額に軽く口づけが降りてくる。小鳥のように肌を啄ばみ、こめかみや鼻の頭に移る。
「そうね……可愛いハデス。私の弟。あなたになら教えてあげてもいいかもね」
 悪戯な指は喉元を滑り、襟に入り込んで鎖骨をなぞる。ハデスは自分から胸元の釦とリボンを解いて、彼女の指を招く。
「それで? さっきの大臣に何を注文していたの?」
「エヴェルシードに行くことよ」
 睦言と甘いやりとりを交わす合い間に思考は冷静に保っているつもりだったけれど、返ってきたその言葉には思わず頭がついていかなかった。
「姉さん!?」
「あら? いけないの? この世界は私が治めているのだもの。その領地の一つを訪れるのくらい、なんでもないでしょ?」
 真意の見えない笑みでデメテルは薄暗く笑う。
「エヴェルシードに、って……」
「あなたが今ちょうど訪れている国だもの。シェリダン王にして見れば私を無碍にすることもできないでしょうし、定期的に領地の視察をするのは為政者の役目でしょう」
「だからって……姉さん、何企んでるの?」
「うふふ。あのねぇ――」
 派手な紅がはかれた口元を歪めて、姉はそれを告げてきた。
 ハデスは瞳を見開く。同時に、脳の中心が急速に冷えていくのを感じた。
(あの野郎)
 一人の男の面影を思い浮かべて、口汚く内心で罵る。
「ねぇ、いい考えでしょう? そのために、エヴェルシード王と遭う事は必要なのよ」
「うん、そうだね……とにかく行かないと話にならない……」
 姉、デメテルは女でもハデスの姉でもなく、皇帝の顔で笑う。
「私はそして、この世界をふるいにかけましょう」