095
二つの影が走る。
青年の影と女性の影。
夜の中にあってさえ、この白色の髪と紅い瞳は目立ってしまう。なんとか変装したいところだが、まだローゼンティア国内にいるうちは、あまりおかしなこともできない。追っ手に見つからないことは大前提だが、他の何も事情を知らない民に見られても困る。
「アン」
「どうした、ヘンリー。疲れたかえ?」
自分の方が慣れない全力疾走で疲れているくせに、アンはそんなことを言う。いつも気丈な顔立ちにも疲労の影は色濃く、きっちりと纏められた髪がほつれ乱れ、第三王女である美麗王女ミザリーとも張り合う美貌がだいなしだ。
もっとも、この自分も似たような状況ではある。
「いいや。私は大丈夫です。姉上こそ」
「だい、じょうぶじゃ。このくらい、他の妹弟たちがどのような目に遭っているかを考えれば、なんてことは……」
言いながらも、アンはその場に倒れこみそうになる。
「姉上!」
ヘンリーはその身体を支え、太い木々の足元にこんもりと生えている茂みに二人して身を隠した。
「少しここで休みましょう。追っ手が来ているのならばやり過ごせるかもしれませんし、そうでないのならこのままこの道を行きましょう」
「すまぬ、ヘンリー。わらわが不甲斐ないばかりに」
「そんなことは仰らないでください。お互い様ですよ。私は自分の友だと思っていたアウグストの本性を見抜けなかったのですから」
「ヘンリー……」
青年の名はヘンリー。ヘンリー=ライマ=ローゼンティア。そして女性はアン=テトリア=ローゼンティア。
彼らは三ヶ月ほど前、隣国エヴェルシードによって侵略された吸血鬼の王国、ローゼンティア王族の生き残りだった。王や王妃たちはエヴェルシードに殺しつくされ、王家の人間は彼ら二人に加え、十一人の兄妹が残っているのみとなっている。
しかし、その兄妹たちも今は側にいない。一度は十人程で集合したのだが、その後追っ手に捕まったり逃げたりしてばらばらになってしまった。
ヘンリーと姉のアンは、捕まった方だった。それも、ヘンリーのせいでアンを巻き込んでしまった。
カルデール公爵……これまでヘンリーにとって友人だと思っていた男、アウグスト=ミスティス=カルデール公爵は祖国を裏切ってエヴェルシードについたのだ。そのアウグストの屋敷に、ヘンリーとアンはこれまで囚われていた。
そして彼はエヴェルシードに与してローゼンティアを裏切ったばかりか、よりにもよってヘンリーに国王に即位しろとまで言ってきたのだ。アウグストが何を考えているのか、ヘンリーには全くわからない。
ヘンリーはローゼンティアの第三王子だが、王位継承権は五位。正妃の立場が強いローゼンティアでは、どの子よりも正妃の血筋が優先される。だから、第二王子の息子であるヘンリーよりも年下で正妃の血を継ぐ王子王女がいれば、その者の方が立場は上だった。
ヘンリーにとっては、ロゼウスがそう言った立場だった。正妃の第二子である、すぐ下の弟王子はヘンリーよりも継承権が上だ。それでも国が落ち着いている場合は無用な争いにならないようにと、年長の王子を尊重して継承権を譲渡するのはよくあること。
権力に執着する様子のないロゼウスは実際ヘンリーに継承権第三位を譲渡しており、けれど同じく正妃の子である完璧な第一王子ドラクルが健在している限り、下位に王子たちが何をやったとて関係ない。
そのはずだった。
「やれやれ。城の外に出ることなど滅多にないのに、その一つがこんな体験だとはな」
「姉上」
「まあ、いくら待遇が良くともあの公爵の屋敷にずっといるのは遠慮したいからの」
確かに、アウグストの屋敷での待遇は良かった。ヘンリーに関して言えば。王になれなどと言ってきた彼の言葉は本気なのか、彼ははじめに二人を捕らえて以来、ヘンリーに乱暴な振る舞いをすることはなかった。
だがそれは、ヘンリーに関してだけだ。彼は姉のアン王女に対しては違った。アンはあくまでも、ヘンリーに対する人質なのだと言った。
だから逃げ出してきたのだ。
「すみません、姉上」
「よいよい、ヘンリー。そなたのせいではないとわらわも知っておる。それに、こうして無事抜け出せたのだ。細かいことは気にし――」
「隠れてください! 姉上!」
アンの言葉を遮り、ヘンリーは彼女の身体を抱いて木々の茂みへとよりいっそう深く、そして静に身を隠した。
「……屋敷の方角から人の足音が」
逃げた彼らを探すために追っ手がやってきたのだ。この気配からすると、四人、五人。ヘンリーもアンも、王族ではあるが特に武勇に優れた人間ではない。ロゼウスやロザリーではあるまいし、その人数差で襲い掛かられたら成すすべもなく抵抗を封じられてカルデールの屋敷に直帰することになるだろう。それだけは避けねばならない。
彼の言葉にアンは緊張し身を硬くした。あの屋敷では、ヘンリーなどより彼女の方が余程酷い目に遭ったのだ。
腕の中の姉の、細い身体を意識しながらヘンリーは胸中で歯噛みする。この事態を呼んだのは自分の無力さのせいだというのに。何もできない自分がもどかしい。
大勢の足音が近付いてくる。
「いたか!?」
「いや、どこに消えたんだ?」
「探せ! まだ近くにいるはずだ」
「もう森を抜けて、街道へと出たのではないか?」
「俺はあっちを見てくる」
深い森の中だから、馬は使わずに彼らは徒歩だった。いっそ騎乗してさっさと通りすぎてくれればいいものを、すぐそこで話し声がするのに、ヘンリーとアンの身体が緊張する。
息を潜める。鼓動さえも弱まるように。自然と同化して自身の存在感を希釈する。
ヴァンピルは人間よりあらゆる身体能力と感覚に優れているから生半可なことでは無駄だろうが、発見する能力が高いということは、同時に身を隠す能力にも優れているということ。
ヘンリーとアンは息を殺して、カルデール公爵の追っ手の兵士が行き過ぎるのを待った。彼らはしつこく、獣道の周辺を探っている。
彼の腕の中では、五歳ほど年上の姉が身を震わせている。彼女だけはなんとしてでも守らねば。最悪の場合、自分だけでも飛び出せばいいのだ。カルデール公爵アウグストの狙いはヘンリーなのだから。
アンを犠牲にするぐらいなら、私は喜んでこの身を差し出そう。
アウグストはいつもヘンリーの言葉を聞いて笑っていた。異母とはいえ実の姉に恋心を抱くヘンリーに、虚しいだけだと、どうせ報われないと諫めるように笑っていた。ヘンリーは彼を信用していたからこのことを、決して報われることなき恋でさえ打ち明けたというのに、あの男はそれを利用した。
私はアンが好きだ。その私の目の前で、あの男は……
ヘンリーは腕の中の姉の細い体を強く抱きしめる。もう誰にも傷つけさせない。
屋敷にいる間、アウグストはこれ見よがしにアンに触れてきた。
大きく柔らかな乳房を乱暴に揉みしだき、白い肌に赤い痣を幾つも散らした。嫌がる彼女の抵抗を封じてドレスの中に手を入れ、女の敏感な部位を弄った。羞恥と快楽の狭間で乱れるその彼女の姿を、ヘンリーに見せつけた。湿った音と小さな喘ぎ、痙攣する身体。それだけでも十分ヘンリーを耐えがたくするというのに、アウグストはさらに後日、タチの悪い嘘をつく。
『姉君を抱いたぞ、ヘンリー』
その言葉を聞いた瞬間、ヘンリーは彼の顔面に全力の拳を叩きつけていた。すぐにヘンリーはアウグストの配下の兵士に取り押さえられたが、彼は高らかに冗談だと笑っていた。
もう駄目なのだ。あの男は狂っている。彼の歪んだ眼差しには一体何が移っているのか。
ヘンリーは見張りの兵士を薙ぎ倒し、引き離されて閉じ込められていたアンを連れて屋敷を抜け出した。
逃げなくては。行かなくては。とにかくこの国から離れて、そうして――。
「……ヘンリー?」
蚊の鳴くようなアンの不安な声に応え、身体を起こす。追っ手の気配はすでに消えている。
「どうやら、行ったようじゃな……」
「ええ。近くには誰の気配もありません」
ヘンリーはアンの手を引いて立ち上がらせた。茂みの中に潜んでいたために、彼女の格好は余計惨めになっているが仕方ない。それは自分も同じ。
「行きましょう、姉上。エヴェルシードに」
「ああ」
今現在の敵国の名を口にする。本来なら真っ先に距離をとらねばならない場所かもしれないが、国内に裏切り者がいるのでは、いつまでもローゼンティアにいるわけにはいかない。ヘンリーたち王族は顔を知られてしまっているのであるし、エヴェルシードは良い意味でも悪い意味でもやはり、彼らにとっては隣国なのだ。
「とにかく、ロゼウスにロザリー、それにできたら他の皆の情報も集めないと」
「ああ」
最後に会ったとき、弟のロゼウスがかの国に囚われているのだとルースから聞いていた。ロザリーがそれを助けに行ったのだとも、アウグストも似たようなことを仄めかせていた。全く情報がない今では、何もわからない場所に行くより僅かでも情報がある方がいいだろう。
だからまず、危険だとはわかっているがエヴェルシードへと向かう。
決意を新たにして、彼らは歩き出した。
◆◆◆◆◆
「……それは本当なのか?」
「うん。残念ながら」
慎重に確認を取るシェリダンに、ハデスが頷く。
「大変なことになりますね」
「光栄な大迷惑ですよ」
シェリダンの腹心の貴族であるユージーン侯爵クルスにイスカリオット伯爵ジュダ、そして帝国宰相たるハデスの四人が、珍しく顔を合わせたここは執務室。
いつもは適当に国王の私室のどれかに案内しろと言われているが、今日の話はそういうわけにも行かなかった。お茶だけ用意して立ち去ろうとしたエチエンヌを、シェリダンが引き止める。
「お前もここにいろ、エチエンヌ」
「御意」
執務室で、山ほどのまだ決裁されていない書類を積み上げたシェリダンは席を立ち、方々との話し合いのために応接用のテーブルについた。
エチエンヌはそのシェリダンの背後に控える。シェリダンの正面にハデスが座り、両側にイスカリオット伯とユージーン侯がいる。
「姉さんの気まぐれには僕も逆らえないしね」
紅茶のカップに手をつけながらあっさりとそんなことを言うハデスに、シェリダンとその右隣に座るクルスが眉をしかめた。
「皇帝の意志を気まぐれで済ませるのか? 陛下は一体何を考えてそんなことを言い出したんだ?」
「さぁ? 君の花嫁でも見てみたかったとか? 臣下の結婚祝いに出席」
「臣下と呼ばれるのは形式上で私は皇帝陛下に面識すらない。しかも結婚などと、もう何ヶ月前の話だと思っている」
「だから、僕には姉さんの意志は読めないんだってば」
「閣下にもできないことってあるんですね」
皮肉の欠片もなく心から感心した様子で、クルスが言った。そのこの場にそぐわないような裏のない台詞に毒気を抜かれて、それまで静かに言い争っていたシェリダンとハデスは溜め息ついて一時休戦を決めたようだ。
話は、つい数分前に遡る。王城の執務室で今日の仕事をこなしていたシェリダンのもとに、偶然城内で鉢合わせたというジュダとクルスが姿を見せにきた。先日の御前試合乱入事件の調査報告をしていたところだったのだが、そこにもう一人、今現在はこの場にいないはずの人間が加わってきた。
現皇帝陛下の弟閣下であり、《冥府の王》という称号を頂く魔術師でもあるハデスは神出鬼没だ。姉陛下の住まう皇帝領に戻っていたらしい彼が、珍しく不機嫌極まりないと言った顔でシェリダンの前に姿を見せたのだ。
そうしてとんでもない発言をした。
「姉さんがこの国に来ることになった」
「……は?」
エチエンヌを含め部屋にいた全ての人々の反応はそんなものだった。彼にとっての姉さんという言葉と、彼らにとってのその人物が何を意味するのかに行き当たった瞬間、驚愕が執務室と言う空間をいっぺんに支配してしまった。
「真面目に答えてくれ、ハデス卿。何故この時、皇帝陛下が我が国にお出でになる必要があるのか」
朱金の瞳を眇めて帝国宰相閣下を睨み付けたシェリダンに会話の主導を任せ、ジュダとクルスはその様子を見守っている。
「だから、僕も詳しいことは聞かされてないんだって。ただ、今はエヴェルシードもそうだしローゼンティアの方でも不穏な動きがあるでしょ? そういうのの様子を見には来るみたいだけど」
尋ねられたハデスもやや困ったような顔で、自らの推測交じりの情報をシェリダンに告げた。
「エヴェルシードの憂いは先日の御前試合の事件でしょうが、ローゼンティアの方とは?」
エチエンヌが聞きたかったことを、代わりのようにクルスが尋ねてくれた。シェリダンはそれどころではないのか、顎に指をかけたまま目も遭わせずに答える。
「王権派と反王権派の争いだ」
「反王権派?」
「ああ。ローゼンティアの勢力図が二分されている。一方は王権派、もう一方は詳細はよくわからないが、王権に与しないものの派閥。要するに一方はローゼンティア王の血筋を認める一団で、もう一方はそれ以外の勢力を押すことを決めている一団だ」
「派閥って……ローゼンティアは現在エヴェルシードの占領下ですけど、派閥とかそういうの気にするものなのでしょうか?」
素直なクルスはシェリダンの説明では完全に理解がいかなかったらしく、小首を傾げている。
「エチエンヌ、お前はわかったか?」
「ええ。陛下」
「では代わりにクルスに説明してやれ」
シェリダンの椅子の斜め後ろに立って控えていたエチエンヌはクルスの隣の席に座らせられ、シェリダン自身はジュダと席を交換して、ジュダとハデスの間に挟まれるような位置に移動した。向こうは向こうで皇帝陛下のお宅ならぬお国訪問に備えての話をするらしい。
そちらの様子を一応気にしながらも、命ぜられた仕事を果すためにエチエンヌはユージーン侯爵クルス卿の隣に座って説明を始めた。
「いいですか、侯爵。まず、この世に絶対の権力なんていうものはありません」
「ええ、それは……」
いきなりの断定的な切り出しに多少戸惑いを見せながらも、クルスが頷いたのを見てエチエンヌは話を始める。使用人であるエチエンヌは自分のためにはお茶を淹れていない。喉が渇く仕事は避けたいのだけれど。
「エヴェルシードの隣国であったローゼンティアは、ローゼンティア王家がこれまでずっと権力を握り国を支配していました。ヴァンピルたちの生活は僕ら人間とは違い、堂々と開国されている一国家でありながらどうしても吸血鬼の王国は他の人間の国に比べて閉鎖的にもなります。他にも王家に他国の民の血を混ぜてはいけないとありますし。そうなると、やがて権力を握る人間はいつも同じになるんですよ。歴史と血筋がものを言うのがローゼンティアという国だったのです。でも、それだけで誰も彼もがはいはいと命令を聞くと思ったら大間違いです。エヴェルシードが侵攻する前からローゼンティアには実は内乱の気配があったんです。ただ、それは国の性質上表立ったものではなく、もしかしたら何事もなく終わる可能性の方が高かったものかも知れません。その可能性を、このエヴェルシードがひっくり返した」
クルスの不安そうに八の字に下げられていた眉が、だんだんと厳しくなってくるのがわかる。
「ローゼンティアの大貴族の一部の勢力には、ローゼンティア家が国を統治するのを快く思っていない一派がいました。それが《反王権派》。彼らは表向き王族への恭順を示しながら、実際は玉座を奪い取る機会を虎視眈々と待っていたのです」
「それはまさか」
「はい、そのまさかでしょう。エヴェルシードの手引きを請け負った裏切り者の貴族たちのことですよ、あのヴラディスラフ大公とか言う人と同じように」
「あの、ロゼウス様に似た御仁ですね」
ロゼウスの名が出た瞬間、違う話をしていたシェリダンが一瞬身体を揺らした。けれど、エチエンヌは気がつかない振りでクルスと話を続ける。
「ええ、そうです。聞けばヴラディスラフ家は王の傍系だそうですから、どこかで似た容姿も生まれるでしょうね。その反王権派のヴラディスラフ大公は、エヴェルシードがローゼンティアに踏み込むことを実は歓迎していたのです」
「え?」
「自らが国内で反乱を起こすと民衆の評価が分かれたり面倒なことになる。ですから彼は、エヴェルシードの手を借りて反対派……つまり、こちらが今もローゼンティア家に服従を誓う《王権派》ですね。を、倒すためにこの国を利用しました。もともと王権派を消すのが目的ですから、その相手が消えねばローゼンティア王国の再興などしないでしょう。そして、生き残った王権派と反王権派で今、ローゼンティア国内でのいがみ合いが広がっているのです。事実はともかく、今なら勝った方が負けた方を裏切り者として処刑できる絶好の機会ですからね」
「……そんな」
「一口に吸血鬼の王国、とローゼンティアを纏めたとしても、あの国も大概一枚岩じゃなかったってことです」
言いながら、エチエンヌは自室にいるはずのロザリーのことを思い出した。多少行動は乱暴だったり兄のロゼウスが大好き過ぎたりするけれど、基本的に人のよいロザリー。それに第六王子のジャスパーという少年はよく知らないけれど、第五王子ミカエラや第三王女ミザリーと言ったあれらのヴァンピルたちも、権謀術数の凌ぎ合いが通常と言えるような真っ暗な世界に生きている者とは思えなかった。個々の性格の方向性は、間違っても陰謀や謀反に結び付けられるものではない。彼女たちを見ていれば、確かにローゼンティアは歪みを知らない国に見えるかもしれない。
けれど、こたびの戦争は何も一から十までエヴェルシードのせいというわけでもない。誘いをかけてきたのはヴラディスラフ大公……ローゼンティア国内の大貴族が、エヴェルシードを手引きしたくらいなのだから。
「まあ、それはともかく、ローゼンティアの勢力図が王権派から反王権派に書き換えられるなんてことがあればローゼンティアはまた息を吹き返しそうですね。今、シェリダン様が全力でそれを阻止というか……双方に決定打を出さないように見張っているんですが」
王様って大変だ。シェリダンを見ているとエチエンヌは常々そう思う。なのに、ローゼンティアでは本来王様でない人々が王の座を狙って争っている。何故? 国王なんて、そんなに魅力ある職業だろうか?
王様でさえそれなのだから、皇帝となった日にはどうなのだろう?
「皇帝陛下は我が国とローゼンティアが表面上は穏やかでありながら水面下で危険を抱えているのを知っておられたか」
「うん、で、そろそろやばいなーってところまで来たんじゃないかな。まあ、一応姉さんはエヴェルシードを推すからその牽制の意味もあって今回この国に来ることにしたんじゃないかな?」
「かな? では説得力がないぞハデス卿」
「仕方ないじゃん、全部推測だもん」
「だが、私もそう思う……この世界の全ての土地は皇帝のもの。それを一地方の領主たる私がどう統治するのかが、陛下に関心をひくことになったというわけか」
「そういうこと。姉さんはローゼンティアを無理に復活させるくらいならこのままエヴェルシードの領土拡張を選ばせたいんだろう?」
「本気か?」
「たぶんね」
シェリダンが溜め息ついたのと同時に、エチエンヌとクルスもそちらへと視線を向けた。
「……表向きはただの視察。ならば歓待の宴の準備をせねばな」
「陛下」
「エチエンヌ」
「はい」
ふいに、シェリダンがエチエンヌの名を呼んだ。
「もしもの時は、お前の妻を借りるぞ」
「――へ?」
「ロゼウスを大勢の人目に触れさせて男だとばれたら厄介だからな。上手く取り繕えない状況ならば、ロザリーを代理として出す。いいか?」
「あ、はい。お好きになさってください」
言いながらエチエンヌは、内心面白くないものを感じる。それはシェリダンに関してと言うより、もっと複雑で行き場のない思いだ。
突然気まぐれのようにこの国を訪れる皇帝のせいで、エチエンヌの機嫌は休息に落下していった。