荊の墓標 20

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 つまりは、俺が全てを捨てればいいんだ。
 いらない。本当に欲しいもの以外、何も。
 右手を包む温もりを強く意識し、それに支えながらゆっくりとその言葉を口にした。
「放棄……?」
 ドラクルの顔が歪む。
「ああ。俺は、ローゼンティア国王の地位などいらない」
 もともとそんな野心はなかった。他の兄妹だけでなく、ロゼウスだってドラクルがローゼンティア王になることを信じ、またそう望んできた。彼以外の王など考えられないほどに。
「俺はローゼンティア王にはならない。あの国にも……戻らない」
 懐かしさや慕わしさは今でももちろんこの胸にある。けれど、ロゼウスにとって一番は国でも、民でもなかった。ロゼウスの領分で守れる分には守りたかったけれど、ドラクルが父王への恨み憎しみを捨てて国を統治する気があるのならば、彼はロゼウスなどよりよほどいい王になるだろう。
 もともと誰もがそれを信じて疑っていなかったのだ。だからロゼウスが国に戻らずドラクルを王にするのは、今回の出来事をあるべき姿へと戻すだけだ。
「ちょっと待て、ロゼウス」
 しかしそんなロゼウスに待ったをかけたのは、傍で聞いていたアンリだった。
「ドラクルは大逆人だぞ」
「ここにいるみんなが黙っていれば、知られない」
「確かに、エヴェルシードが侵略してきたのが全て悪い、ということにすればな」
 アンリはロゼウスの隣にいるシェリダンにちらりと視線を走らせてから、険しい顔つきのまま続けた。
「けれど、彼が極めて利己的な理由のために国民を巻き込んで戦を起こしたのは事実だ。あの戦いで、何人が死んだと思ってるんだ?」
 彼はあまりドラクルと似ていない顔立ちを兄に向けて。
「ドラクル、俺たちは、あんたをローゼンティア王と認めるわけにはいかない」
「ではどうする? アンリ。我が弟よ」
 ロゼウスの事は弟ではないと言い切ったドラクルは、アンリには穏やかな声音で弟だと呼びかけた。その穏やかさに、元第二王子アンリは顔を歪めた。ドラクルの弟であるということは、彼もまたブラムス王の息子ではなく、ヴラディスラフ大公フィリップ閣下の息子だと思い知らされることなのだから。
「もう……やめてくれ、兄上。こんなことはやめて、国へ帰って罪を償おう。俺も手伝うから。父親も身分も関係ない。俺は、あなたの弟だから」
 たぶんドラクルがヴラディスラフ大公の息子だとしても、母親の身分を考えればアンリの方が身分が上だろう。
 ヴラディスラフ大公爵。ドラクルが今名乗っているその地位すらも、彼にとってはあやふやなもの。
 それでも彼はドラクルについていくつもりだ。
「ロゼウス。俺は、お前のように簡単には割り切れない。自分がブラムス王の息子じゃなかったなんて天地がひっくり返るほど驚いたし、ドラクルのことについても吃驚だ。でも、だからこそ、俺たちは考えなきゃいけないんだよ」
 王族だから。
 国を治める者として、実際はその血筋ではなくてもそのつもりでそのために育てられたのだから、彼らはそれに報いねばならないと兄は言う。
いや……もう、アンリもヘンリーも「兄」じゃないんだ。
「アンリ兄様」
 彼は緩々と首を横に振った。
「ドラクル、俺も一緒に行くから、だからどうかローゼンティアの国と民に償ってくれ!」
「私は反対だ」
「ヘンリー!?」
 エヴェルシードと通じて王位簒奪のために祖国を滅ぼしたドラクルに、アンリは罪を償えと言った。しかし元第三王子であるヘンリーの意見は違うようで、落ち着いていながらも強い口調でアンリの言葉に反論を示す。
「やはり、ローゼンティアの王は兄上しかいない。ロゼウスが国に戻る気がないなら尚更だ。私は、ドラクルが王になることを支持する」
「ヘンリー兄様」
「この場合、それが一番穏便じゃろうなぁ」
「アン姉様」
 年長組はアンリ以外、皆揃ってドラクルを支持する。ルースに至っては、今更その意を示す必要もないという風情だ。彼女は盲目的にドラクルを支える顔の裏で、一体何を考えているのだろう。
「起こってしまったことはなかったことにはできまい。我らにとれる責任と言えば、今からでも犠牲を減らし国を再興するのみよ」
「でも、アンお姉様。ドラクルは……」
「王族の血がそれほど重要なものかえ? ミザリー」
「持っているに越したことはないと考えます」
「それに関しては先程も言ったが、わらわやそなたのようにブラムス王の血を引く者がドラクルの子を産んで次代の王権から戻せばすむ話じゃな」
「なっ! わ、私は絶対お断りですからね!」
「それ以前に二人とも! ロゼウスを裏切るつもりなんですか!?」
 ロザリーが悲鳴じみた叫びをあげてアンとミザリーのやりとりを遮る。
「ミカエラ! あんたは!?」
「え? ぼ、僕はロゼウス兄様を信じるけど、でも、誰がローゼンティアの王位につけばいいかなんて、そんなの……」
 わからない、とミカエラが眉を下げる。まだ十五歳の病弱な王子には酷な決断だ。ミカエラにとっては、ロゼウスもドラクルもこれまでほとんど立場の変わらない兄だったはずなのだ。ロゼウスとドラクルは同じ正妃の王子だったはずなのだから。
 ましてやウィルやエリサなど、もう話にもついていけないようだ。
「……なの?」
「エリサ」
「もう、みんなでいっしょにいるっていうのは、ダメなの?」
 末の王女の言葉に、その場にいた面々が一斉に彼女に注目する。
「エリサ、今までの話、どこまで……」
「わたし、やだよ。みんなの話、むずかしくてよくわからないけど、でも、……ドラクルおにいさまもロゼウスおにいさまも好きだもん! みんなでいっしょにいたい!」
 絡まりあった血の行方。それが分かつ、それぞれの運命。
「ねぇ! なにがダメなの!? どうしてみんなでなかよくできないみたいなの!?」
「エリサ、エリサ、僕らは……」
 彼女の側にいた末の弟のウィルが歳の近い妹をきつく抱きしめる。
 ドラクルが、ルースが。
 アンが、アンリが、ヘンリーが、ミザリーが。
 ロザリーとミカエラ、それにジャスパーが。
 この場で自分はどう言えば良かったのだろう。
 たぶん何を言っても、決着などつかない。誰もが納得する答えなんてきっと誰にも出せない。
「アンリ、妥協する気はないか? 今からでも遅くない。わらわたちと共にドラクルについてローゼンティアを復興するのじゃ」
「アン!」
「ふざけないでアン姉様! ロゼウスが、何のためにこの国に来たと思っているのよ!」
「黙りゃロザリー。ならば、そなたがローゼンティアを復興してみるか?」
「え?!」
 突然思っても見なかった方向に話を振られて、ロザリーが一歩その場から足を引いた。第一王女アンはそれまで突出した政治能力のある者とも思われてなかったが、こういった気迫はやはりブラムス王の血を直接引く者だと感じさせる。それはロザリーも同じだけれど、迫力だけで言うならば、この場では彼女は姉のアンには勝てない。
「そなたにその力と覚悟があるのならば何も言わんよ。そうでなければ、ドラクルの他に玉座にふさわしい人間がおるのか?」
「わ、私……私は――」
 戦慄く唇をきゅっと噛み締めて、ロザリーが決意の面持ちで顔を上げる。
 しかし、その言葉を遮るようにヴァンピルではない者の声があがった。
「――くだらん」
「シェリダン?」
 ロゼウスの手を掴んだままのシェリダンがその一言の元にこれまでのやりとりを一刀で切り捨てる。たちまち、辺りの空気が刺々しいものになった。
「なっ」
「エヴェルシード王! 貴様っ……!」
 気色ばむヘンリーたちを冷めた酷薄な眼差しで睥睨して、彼は口を開く。
「次代の王など関係ない。ローゼンティアは我がエヴェルシードの手によって滅び――そして復興することなどないのだから」
「エヴェルシード王、お前っ!」
「私はロゼウスを手放すつもりはないし、そう、それに」
 シェリダンが意味深に言葉を切ると同時に、ルースの悲鳴が上がった。
「ドラクル!!」
 それまで一切会話に交じらなかったジャスパーが、ドラクルに向けて剣を振り上げていた。
「我らだけでなく、ドラクル王子の死を願う者はいるようだしな」
 複数の影が同時に動いた。

 ◆◆◆◆◆

「そこをどいてはいただけないでしょうか?」
「お断りいたします。ローゼンティア第五王女、メアリー殿下。ああ、本当はローゼンティア貴族、王弟ヴラディスラフ大公の娘君でしたかしら?」
 目の前にいるのはエヴェルシード人の美しい少女。
 背後に控える王権派の青年貴族たちにすれば、その容姿はかの国の少年王と似ているのだと言う。エヴェルシード国王、シェリダン=ヴラド=エヴェルシードに。
 けれど今、彼女たちの道を塞ぐこの者は間違いなく女性。華奢な肢体と波打つ長い髪。宵の濃紫をしたその髪が白い肌を引き立て、その中で一際眩しい黄金色の瞳が輝く。
 美しい少女。
 美しくて、そしておぞましい女性だとメアリーの眼には映る。折れそうに細いその身体に何を秘めているのか、どこか禍々しい印象を与える少女。
 しかも、その気配はどこか、吸血鬼と似ているように感じる。
「わたくしたちは貴国に危害を加えるつもりはございません。どうかここを通してください」
「お断りします。今、向こうの森では大切な御用が行われているはずですから」
 皇帝陛下の訪問にあわせて宴を開いたエヴェルシードに潜入したメアリーと王権派の貴族たちだが、問題が生じた。晩餐会では混乱に次ぐ混乱でロゼウスを奪還できなかったということもあるが、それ以上に大変なのはその場でドラクルの姿を見た者がいるということだ。
 エヴェルシードの将軍と国内の裏切り者の貴族から追われたメアリーが王権派と名乗る者たちに助けられ、その彼らから聞かされたこと。それは彼女の兄、ヴァンピル王国ローゼンティア第一王子だとこれまで目されていたドラクルが、国王ブラムスではなく王弟フィリップ=ヴラディスラフの息子であるという衝撃の事実だった。
 そして、彼は彼に味方する国内の貴族、ブラムス王を裏切ってドラクルの企みに加担したカルデール公爵やカラーシュ伯爵を手駒にして、ローゼンティアの転覆と王位を狙っていると言う。
 メアリーたちはそれを、本当の、正当なる第一王位継承者ロゼウス=ローゼンティア王子殿下に伝えるためにこのエヴェルシードに潜入したのだが。
「ここは通すわけにはいきません」
 宵闇色の髪をした少女が、彼女たちを足止めしている。王都から少しばかり離れたあの森の満月の下で、今、ドラクルがロゼウスに接触しているという情報を得たのに、それを裏付けながらも彼女たちを巧みに足止めするこの少女たちのせいでメアリーたちはロゼウスのもとへ赴く事ができない。
「諦めなよ、メアリー姫。君一人ならまだともかく、今はその背後の王権派の人たちをロゼウス王子に会わせるわけにはいかない」
 そう言って少女に味方するのは、淡い茶色の髪に灰色の瞳の少年だった。少女と同じような年頃なのに、この少年もどこか普通の人間とは違うように感じる。
それもそのはずで、メアリーは初めて会うがこの茶髪に灰色瞳という色彩を持つ人々は、ヴァンピルと同じく魔族の一種であるワーウルフだ。人狼の国セルヴォルファスの者だということだ。そして彼は人間の耳がある位置には何もなく、頭の上に獣の耳があるのが見える。
「ロゼウス兄様の名を呼び、わたくしの名を知るあなた、あなたは一体、どちら様です?
お隣のセルヴォルファス人のあなたも」
 何故、彼らが彼女たちの足止めなど行うのか。まず相手の素性を知らねば何も対策できない。少女の方はエヴェルシード人なので敵対した国家の者であるメアリーたちローゼンティア人を通すわけにはいかないというのがまだわかるが、何故ここにセルヴォルファスの人間が出てくるのだろう。
 考えられるのは一つだけ。
 目の前の二人は、今回のメアリーたちの国ローゼンティアで起きた事件、そしてそこから端を発する戦争に関わっているのだ。
「ご明察、偽りの王女殿下。確かに俺はセルヴォルファス人だ。名は……ヴィル、と言えばわかるかな?」
「――ドラクルのご友人の方、でしたかしら……」
 ヴィル、と言う名に聞き覚えがあった。もともと交友関係の広いドラクルだったが、それでもセルヴォルファス人はそうはいない。
 あの兄の、一筋縄ではいかない人々を味方にしてしまう力は王としての才能なのだと今まで思っていたが――それが全て、このためだと言うのなら……
 そしてもう一人の少女の方は。
「ドラクル殿下の命令により、ここは足止めさせていただきます。メアリー王女」
「……そういうあなたは、どなたです?」
「私はカミラ=ウェスト=エヴェルシード」
「なっ……!」
「エヴェルシード王の!」
 メアリーの背後にいる王権派の青年貴族たちがいっせいに動揺の声をあげる。
「エヴェルシード王の妹姫、ですか」
「そういうことになりますね」
 王の妹だと名乗ったのに真実忌々しそうな顔をして、カミラと名乗った姫君はなおメアリーたちの前に立ちふさがる。
「何故です? あなたがこの国の王妹殿下ならば、わたくしたちを邪魔する理由などないはずです。それともわたくしたちが、必要以上にことを荒立てるとでも思っていらっしゃるのですか!?」
「いいえ」
 明るい色の瞳なのに、凍えた眼差しで彼女は言いました。
「私は、シェリダンが憎い。だからあの男に復讐をするの。そして――」
 それまで整った人形のように酷薄な顔をしていた姫君は、ふと顔を綻ばせた。
 大輪の花のように、匂やかに美しく。
 そして毒のある――。
「ロゼウス様は返しませんよ」
 それはぞっとするような微笑。
「な、ぜ」
「あの方を愛しているから」
 この姫はロゼウスにどうやら恋心を抱いているようだ。エヴェルシードに連れてこられてからの兄と、この彼女の間に何があったのかメアリーには知るよしもない。
 ここに兄がいたら彼女の言葉に何を思ったのだろう。
「あなたはエヴェルシードの者なのに?」
「そういうあなたたちだって、ローゼンティア王族同士で争おうとしているのでしょう?」
 彼女は一歩、前へと足を踏み出した。
「ドラクル様の邪魔はさせませんよ? シェリダンを殺してエヴェルシードの介入こそ退ければ、ローゼンティアはあの方のものになりましょう」
「あなたはローゼンティアの王権をドラクルに渡す手助けをし、その見返りとして実の兄を殺してでもエヴェルシードを我が物とする気ですか」
「何か文句でも?」
「いいえ。あなたがエヴェルシードをどうしようとわたくしには関係がありません。ただ、ローゼンティアへの手出しは、このわたくしが許しません!」
「……おかしいですわね、ドラクル王子から聞いた話では、あなたは相当気弱な人ということでしたが」
「そういう人もいるってことだろ?」
 カミラ姫とセルヴォルファス人のヴィル様、二人に向けてメアリーは告げる。
「王族として生まれ育ち、そのために生きてきたわたくしから、今更民への愛情がなくなるとでもお思いですか?」
 侮るのもいい加減にしていただきましょう。
「そこをお退きなさい!」
 ハッとカミラ姫がようやく顔色を変えてメアリーを睨んだ。背後の王権派の貴族たちが戦闘へと動き始め、セルヴォルファスの少年が応戦しようと眼差しを険しくする。
 その時だった。
「きゃあ!?」
「っ!?」
「!!」
 ドラクルとロゼウスたちがいるはずの森のほうから、凄まじい轟音が響き渡った―――。