荊の墓標 20

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 召喚した移動用の竜の背で、一つの幕間劇。
「まさかお前がこちらの陣営に入るとは意外だったよ、ジャスパー」
 下から二番目の弟は、四方から剣と敵意を向けられながらも平然とした顔でそのそれを受け流した。だいたいドラクルたち程度の力のものなら、本気を出した彼には勝てないだろうという計算があるのかどうかまではわからない。
 眼下で皇帝の力に晒された森が無惨な姿を晒しまだ燻る煙をあげていたが、そんなこと知らぬげに飛竜はドラクルの命令どおり北へと向かう。潜伏先を新たに確保せねばならない。こうなってはもうイスカリオット伯の協力も表立っては得られないだろうし。
「ドラクル兄上こそ、あなたに剣を向けた僕を殺さなくて良いのですか?」
「今になって協力するくらいなら、最初からあの時剣など向けて来なければ良かったんだよ」
「仕方がありません。あの時はあの時で本気だったのですから。今こうして僕があなたに対して協力を申し出るのは、あの一件であなたには勝てないと悟ったため。帝国宰相殿まで味方につけたあなたが、容易く死んでくださるはずもない。ですから敵の敵は味方、僕と協力しませんか? 兄上」
 この弟……だと思っていた少年は初めからこんな性格だっただろうか。
「冷静に狂ってるねぇ」
 ハデスが傍観者の表情でそう評する。
「いいよ、ジャスパー。けれどそれは、お前の望み次第だ」
 女性であるアンとはまた別の意味で、ローゼンティア王の血を引く者の力は必要だ。ジャスパーがそれを差し出すというのであれば、自分は何でも利用して見せよう。
「望みは?」
「ロゼウス兄様をローゼンティアに繋ぎとめること」
「それだけ?」
「そうです。あの方はあの国にいなければならない。――になど、なってはならない」
 肝心な部分を吐息のような囁きに変えて呟いたジャスパーの言葉は聞き取れなかった。しかし真剣な声音から、それが彼の本心であることがわかる。
 宝石王子の望みは、ドラクルの愛しくて憎いロゼウスを薔薇の国に繋ぎとめること。それにどんな意味があるのかはまだはっきりとさせなくとも良いが、やることだけははっきりとしている。
「私たちが勝てば、必然的にそうなる。あれは私のものだ。シェリダン王になどやらない」
 私のもの、と言った瞬間にジャスパーの顔が歪んだが、彼はそれに蓋をし、ドラクルも見ないフリをすることにした。
 今はそれよりも急を要することがあるのだ。
「ハデス卿、カミラ姫とヴィルの方は?」
「上手くいったって。王権派の連中皆殺しにして、メアリー姫を攫ったらしいけど?」
「ではヴィルにはまたシアンスレイトに戻ってもらおうか。彼にはまだやってもらわねばならないことがある」
「イスカリオット伯はそろそろ退陣かな。向こうにいる君のご兄弟たちから、今回のことに伯が噛んでいるのはバレバレだろうし」
「後は彼がどれほどの手腕の持ち主かによるね。ここでまだシェリダン王を信用させることができれば、あるいは……」
 彼が成功すれば、ドラクルの目的も段違いにはかどるだろう。王権奪取の証としてロゼウスを手に入れるためには、シェリダン王が邪魔だ。もともと都合よく使って後は消えてもらうはずの駒だった。そろそろ彼も舞台の上から消していいだろう。
 暗鬱とした想像だけがドラクルを癒す。気を抜けば過去へと、記憶だけが浮遊して還る。

 ――何故、お前は……ではないのだ。
 ドラクルの首を絞めながら叫ばれるその声。
 ――何故、どうしてお前は……っ、お前が私の息子ではないのだ! ドラクル!
 そんなこと、私が知りたい。
 
 ロゼウスが生まれて、用なしとなったドラクル。父は偽者の王子であるドラクルへのあてつけのために、ロゼウスの養育を兄とされているドラクルへと任せたのだ。
 馬鹿な義父上。あなたを敬ってもいない私がそうやって、ロゼウスをどういう風に、あなたに不利益をもたらすように教育をする可能性などすぐに考え付いたでしょうに。
 それともあの男は、ドラクルの謀反ぐらいなら簡単に収められると見くびってくれたものか。
 真実は闇の底の底。ドラクル自身が湖の底に埋めて、今更拾い上げる気もない。
 ドラクルが知っていたのは一つだけだ。その存在こそがドラクルの存在意義の全てを奪った、ロゼウスはドラクルのはかじるし。
 その墓を覆すためには、自分こそが彼を手中に収めなければならないということ。
「私は決して……誰かに私の墓を勝手に立てられたくはない」
 願いはいつも遠かった。
 例え道具としての生しか望まれず、母上から義父上へのあてつけのために生まれても。
 私はただ――。
「兄上?」
「……なんでもないよ、ヘンリー」

 生きたかった。ただそれだけだった。
 この生まれが何を得るものではなくとも、祝福などされなくとも構わない。
 それでもいいから求めた。それ以外はもういらない。
 愛情も幸福も望まない。
私は私に未来永劫与えられることはない、その薔薇の玉座を望む。
「ロゼウス……本当の第一王子よ、義父上の血を引く、本物の王の後継者よ。――お前を手に入れれば、ローゼンティアが手に入る」
 あの日、王位はロゼウスに継がせるのだと当然のように奪われた権利を取り戻す。
 そうでなければいずれはドラクルの存在ごと奪われてしまうものだから。だから。
 薔薇の王子を踏みにじる復讐の果てに、それだけをただ、求めた。

 《続く》