荊の墓標 21

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 風のように軽く、その存在は地を蹴りこの場所へとやってきた。
「おや、ヴィル」
「やっほー、ドラクル。頼まれ者、お届けに来たぜ、と」
「そうか。ありがとう」
 大きな岩の上から軽く跳躍してこちらへとやってきた人狼族の彼に礼を言う。何でもない様子でやってきたヴィルヘルムだけれど、その肩には荷物でも担ぐかのように無造作に、一人の少女を抱えていた。
「メアリー!? お主、わらわたちの妹に一体何をするか!」
 少し離れた場所に立っていたアンが、慌てて駆け寄ってきてヴィルヘルムの腕から気を失っている様子のメアリーを奪う。ドラクルたちより十歳ほど若い妹は、その全身を真っ赤に染めていた。
「……メアリーの血じゃないですね。これは……」
 口元を押さえて、ヘンリーが眉根を寄せる。
「王権派とかいう連中、皆殺しちゃったけどいいよね? 別に」
「ああ、構わない。むしろあの小うるさい連中、道楽者の青年貴族の数を減らしてくれたのなら助かる」
「そう。ならよかった」
 ドラクルはヴィルヘルムと瞳を見交わした。セルヴォルファスの若き王は、その灰色の眼に得もいえぬ色を宿している。
「で、次は何をすればいい?」
「急ぎの用事は今のところないな。エヴェルシードに怪しまれすぎない程度に、あの国で網を巡らしておいてくれ」
「はぁい。ねぇ、その暁には、ちゃんと約束守ってくれるんだろうね」
「ああ。もちろん」
「なら、いいよ。従う」
 ヴィルヘルムはにっこり笑い、来た時と同じく風のように軽やかに姿を消した。
 人狼族の国、セルヴォルファス。ドラクルたちヴァンピルと同じく地上で暮らす魔族の一種である彼らは、身体能力もドラクルたちと同等か、個体によってはそれ以上のものを有している。
 敵に回すのは厄介だが、味方であるうちはあまりにも使い勝手のいい駒。
 適当な約束で釣れるのだから、もう少し様子を見てみるか、
 役に立たなくなれば……もしくはこちらを見放して敵になるのであれば、即座に切り捨てればいい。ドラクルとルースだけでは難しいが、戦力に数えないアンはともかく、そこそこの力を持つヘンリーやジャスパーがいるのならば彼一人始末するのは無理なことではないだろう。
「メアリー! しっかりせい! 目を覚ましや!」
 タルタロスから呼び出した竜に乗って辿り着いた隠れ家の一種で、ドラクルたちは身を潜めていた。エヴェルシードへの宣戦布告はなしたが、まさかすぐにも攻撃を仕掛けるわけにはいかない。物事には順序と言うものがある。
 ロゼウスがドラクルに従わなかったのは少し残念だが、それはそれで他の方法がある。残った兄妹たちについても、どこまでできるかは限られているだろう。
 計画は着々と進んでいる。
 もう少しでドラクルの願いは叶う。
「兄上」
 楽しい思考に水を差すかのように、ジャスパーが話しかけてきた。
「なんだい?」
「メアリーが目覚めませんけど、起こしていいですか?」
「何?」
 手加減は必要ないと言ったとはいえ、ヴィルヘルムはそれほど無茶をしたのだろうか。王権派……ドラクルたちのようにブラムス王の血を引く者たちに叛旗を翻すのは反王権派。そのドラクルたちにとっては対立相手である一団の貴族たちを殺したとは言っていたが、まさか彼らの妹にまで手をかけるとは。今度からやりすぎるなと言っておくべきか。
「仕方がないね。彼女を起こしてやりなさい、ジャスパー」
「わかりました」
 ごっそりと表情の抜け落ちた顔で頷いた弟は、すぐ上の姉の傍らに跪いた。血の気を失っている頬をそっと両手で挟み、ゆっくりと口づける。
「……この分ではジャスパーは意外と国王の子かな」
「ドラクル?」
「ここにいるような、私やお前のような歳の近い者は両親がわかっているが、下の子たちについては父親がはっきりしていなくてね」
「では先ほどの発言は?」
「はったりだよ。半分は。ロゼウスは王と正妃の息子であることは確かだし、ロザリーやアンのように第三王妃殿下アグネスの子は大概が王の子だよ。ロザリーにいたっては能力の高さからも窺える。それに第三王妃殿下、彼女は国王陛下に貞節を誓って、大公の誘いに乗らなかったからね」
「先ほど、確か第三王妃の娘であるエリサも王弟の子だと言ってなかったか……?」
「ああ。末っ子の彼女だけは、大公が第三王妃を強姦してできた子だからねぇ」
 ヘンリーが一瞬目を剥いた。だが、すぐに興味のないような顔になる。
「残念だったね。ヘンリー。私の名目上の母上であるあの節操なしのクローディアと、君たちの母である野心家のマチルダ=ライマ王妃は権力を握りたいばっかりに、王との間になかなか子ができなければ王弟とも躊躇いなく寝るような女で」
「……今更だよ。ドラクル兄上。もともと私たちの母上は、アンリを王太子にしたいがためにあなたを殺そうとし、間違えてロゼウスの首を絞めてもなんとも思わなかった女だ」
「そうだねヘンリー」
 これ以上の深い真実はドラクルを傷つけたように、きっと彼をも傷つけるだろう。
「この話はここでおしまいだ」
「ドラクル」
「それよりも、これからの話をしないとね」
 ジャスパーの魔力により、メアリーが目を覚ました。ドラクルの姿を認めて、絶望と恐怖に顔を歪める。そういえばもともとこの妹は、ロザリーやミカエラほど盲目的でこそないがドラクルではなくロゼウス寄りだった。
 使える物はなんでも使うまでだ。それが血を分けた肉親であろうと関係ない。
 むしろそれらを血と悲哀に染めて初めて、この復讐がなされるというのなら――。
「……と」
 視界の端で、退いて道を作ったジャスパーが何か言いたげに唇を開くが肝心の言葉は何も聞こえなかった。何にしろ、気にすることも今はないだろう。それよりももっと今は大事なことがある。
「おはよう、メアリー」
「ど、ドラクルお兄様……」
 ドラクルは自分を見て怯える妹に、殊更ゆっくりと笑いかけて見せた。

 ◆◆◆◆◆

 廊下を歩きながら思う。一日の疲れが酷く背中の辺りに溜まっている。
 まだそんな齢ではないとは言え、先日の戦いも本日の事務処理も確実にこの身に疲れを蓄積させていた。腰や肩というより、背中と横隔膜の辺りと言う妙な場所が痛む。
 それでも、まだ幾つかの課題を残しながらとはいえある程度のことの方針は決まった。後はそれに即して進めていけばいいだけだと考えれば、少しだけ気分が楽になる。
 まったく、皇帝と言いその弟である帝国宰相といい、余計な手間ばかりかけさせてくれる。
 ここにはいない人物へ胸中で罵詈を吐くが、例えば彼らの場合目の前でそれを言ったところで鼻で笑い飛ばしそうな雰囲気を持っている。自分の想像にますます不愉快になって、少々乱暴に部屋の扉を開けた。
「ロゼウス!」
 八つ当たりできそうな唯一の人物の名を呼び、部屋の中に姿を探した。いつもは寝台の上で所在なげに座り込んでいることの多い彼だが、今日の予想は外れた。
「……あ、シェリダン」
 シェリダンの声に答えたのは、呼ばれた当のロゼウスではなかった。彼に良く似た容姿の、彼の妹のロザリーだ。
 彼女はソファでロゼウスと向き合い、お互いの両手の指を絡めてそれぞれの体を支えあっていた。
 よく似た容姿の二人による、まるで鏡映しのような光景に一瞬、息を忘れる。
 似ているとはいっても厳密に言えばやはりロゼウスとロザリーは違う。口を開けば出てくる言葉と声の高さ、容姿で言うならもっとも大きな違いは髪の長さで、ロザリーの真っ直ぐな白髪が腰まで届くのに比べ、ロゼウスの白銀の髪は肩の上だ。
 そして何よりもこの二人の間には、厳然とした性別の差というものがある。ロザリーは年齢の割には豊満なスタイルの美少女だが、ロゼウスの胸は扁平だ。男なのだから当然である。
 しかしもともとロゼウスの容姿が女性的でありさらに女装までしている今では、美しい衣装を身に纏った二人は同じ表情をして並べば揃いの人形のようだ。双子でないというのが信じられないほどの、それは相似だった。もっとも、真実の彼らは双子どころか、片親違いでさえある兄と妹。
 それはともかく、その良く似た、けれど確実に違う人物である二人が何故か向かい合い手をとりあっていた。
 腕を軽く曲げ深く指を絡め、額をこつんと突き合わせて向かい合うその姿は、祈りのようにも見えた。
「……ロゼウス、ロザリー。何をしている?」
「別に何も」
「ああこれ? 特に何か意味があるってわけじゃないの。ただ、ロゼとこうしてると落ち着くんだもん」
 シェリダンの問に素っ気なく簡潔に答えたのはロゼウスで、言葉を重ねて補足したのがロザリーだ。他人が近づけばそれがよっぽど嫌いな相手でない限り柔らかな表情を浮かべるのがロザリーで、逆に自分がよほど好きな相手でもない限り無表情に返すのがロゼウス。
「……ロザリー、他のヴァンピルは客室に集まっているが、お前は行かないのか?」
「なあに。そっちに行ってほしいってわけ?」
「説明役がいないと彼らも不安になるのではないか?」
「もうなってるわよ。そんなの、みんな、とっくに」
 逆にあんたとこうして普通に話す私みたいなのが混ざる方が、皆気構えちゃうって。ロザリーは彼女らしくもなく口元を皮肉気に歪めてそう言った。
「でも、いいわよ。出て行ってあげる。あんたがこの部屋で寛ぐには、私は邪魔なんでしょ? 出て行ってあげるわよ」
「別に邪魔とまでは言わないが。私が何をしてもお前が気にしないのであれば。――そうだろう、ロゼウス」
 そこで初めて、ロゼウスはシェリダンを見た。先ほど一言いったきり、彼はずっと黙ったままだった。
 感情の読めない表情でロゼウスは微かに眉根を寄せると、ロザリーを押しのけた。
「ロゼ」
「戻った方がいいよ、ロザリー」
「でも」
「俺は、大丈夫だから」
 双子のように心を分け合った妹のために、甘く淡く微笑んでロゼウスはロザリーを部屋から出す。
「珍しいな。ロザリーがお前に引っ付いているのは知っていたが、あんな風にただじっとしているだけだなんて」
 妹がいなくなった後はすぐにいつものように、薄い衣一枚で寝台を占拠しに行ったロゼウスに声をかける。そういえば自分はこの部屋の主のはずなのだが、何故いつまでも入り口で佇んでいなければならないのだ?
「ロザリーは俺が揺れてるの、なんとなく知って慰めに来てくれたんだよ」
「どういう意味だ」
「俺とロザリーは似ているけど、時々似すぎてるってこと。好きになるものとか、大概一緒だから」
 ロゼウスにとってロザリーは、何を言わずとも自分の心をわかってくれる相手らしい。それはいいのだが。
「ロゼウス、何を考えている?」
 首もとのスカーフを、それを止めるブローチごと乱暴に外した。襟元を寛げて、同じように寝台の敷布の波に沈む。
 シェリダンは先に寝台に入っていた細い体へと手を伸ばし、気だるげな視線を向けるばかりで積極的に口を開かないロゼウスの足を封じた。
「シェリダン……」
「疲れているんだ」
「だからって、この格好は」
「なんだ? 今更だろう?」
 彼の膝の上に頭を乗せ、ちょうどいいからこのまま眠りに入ってしまおうかとも考える。背中や胸郭の辺りの不自然な凝りはまだ解消されない。これからさらに忙しくなるというのに、暢気に疲れなど溜めている暇は自分にはない。
 疲れなどという言葉とは無縁に見えるロゼウスが酷く羨ましい。
 これだからヴァンピル――吸血鬼というものは。
 これだから――ローゼンティアの者など。
 ロゼウスの膝に頭を預けたまま、シェリダンは仰向けとなって自分を覗き込むロゼウスの頬に手を伸ばした。
「シェリダン?」
 その不思議そうな表情があまりにも裏のない、いつもと同じものだからなおさら苛立った。だから。
「残しておきたい兄妹を決めておけ、ロゼウス」
「シェリダン! それって……」
「ああ、そうだ」
 美しいものは脆く壊れやすい。
 だからこそ、さんざんに踏みにじってやりたくなるものだ。
「我等エヴェルシードは、ドラクル元王太子率いるローゼンティア軍勢と戦う――始めるんだよ。二度目の戦争を」

 ◆◆◆◆◆

「やれやれ。ドラクルの人遣いの荒さにも困ったものだよね」
 客人はそう言って、わざとらしく自らの肩の辺りを叩いて見せた。
 薄茶色の髪に灰色の瞳。そして何より目立つのは、獣の耳と尾。極一般的な人間の国であるエヴェルシードでは通常見るはずのないそれに、好奇心を多少はそそられてジュダは瞳を眇める。
「つまり、今度はあなたが彼との連絡役というわけですね。ヴィルヘルム王」
 少年は頷いた。
「そう。ドラクルが帝国宰相ハデス卿と通じてるのがバレた以上、彼を使うわけにはいかないからね。それで、イスカリオット伯だっけ? あんたの眼から見てどうなんだ状況は?」
 セルヴォルファスの客人は、人の屋敷だと言うのに好き勝手に寛いでいる。だらしない姿勢でソファに寝そべり、こちらの言葉を待つようだ。
 同じ一国の王ではあっても、シェリダン陛下はこのようなことはなさらないだろうと自国の王と比較して誇ればいいのか嘆けばいいのか――なんと言ってもこの人物がこれからの主な協力者だ――複雑な気分になりながらも、憶測を交えた説明を彼は繰り広げる。
「状況は五分五分ですね」
「具体的に」
「ハデス卿のことがあって、綻びが出始めました。まだそれぞれの本当の思惑が明かされていないとはいえ、悪巧みをしている存在がいることを陛下に教えてしまった。となると、これから彼らがすることは敵味方の見極めと潜んでいる敵のいぶりだし」
「つまり、一番ヤバい位置にいるのがあんたと俺ってわけだ」
「ええ」
 困難を伝えたというのに、セルヴォルファス王は楽しげに口元を歪めた。吸血鬼の国ローゼンティアが白の王国と呼ばれることもあるならば、同じ魔族国家でもセルヴォルファスは対照的に黒の王国と呼ばれる。
 そして裏切りと反抗を示すその色彩を冠するとおり、かの国は好戦的な姿勢を常に見せていた。
 人狼の国。
 獣の本能に引きずられてシュルト大陸の他のどの国よりも血を見るのが好きな民族の住む国を治める王は、狼と言うよりはむしろ猫科の動物を思わせる瞳で剣呑に笑む。
「面白いな。面白くなってきたな。ドラクルとローゼンティアをダシにして、ついに大陸が動き出した。大地皇帝もなんか企んでるようだし、世界が争いに巻き込まれるなぁ」
「……セルヴォルファス王」
「戦いはいいぞぉ? 弱肉強食の世界は力こそが何よりの通貨。欲しい物は力尽くで奪うのが我等の最大の礼儀にして絶対の法則。抵抗する相手を無理矢理捕らえてそのはらわたを引き裂く快感はなにものにも勝る」
 ――狂っているな。
 くつくつと暗鬱に笑う、まだ十五、六歳の、下手すればシェリダンよりもロゼウスよりも幼い外見をした少年。しかしその内面は、今までの人生でジュダが見たどんな人物よりも歪んでいる。
 もっとも、人物と言っても人狼族は魔族的要素が濃い一族でどこまでが人間の感覚を基準に考えていいのかわからない。吸血鬼と名乗る割にその異常な身体能力を差し引けばいやに人間臭いヴァンピルたちを見慣れているせいか、この獣耳の少年の狂気がいやに目に付く。
「いや……そうでもないか」
「んー? 何、どうした?」
「いいえ。別に何でもありませんよ、黒き王よ」
 思わず零れた独り言に、唇を尖らせてこちらへと問いかけてくる少年王をかわす。侍女に淹れさせた後冷めるに任せていた紅茶を口に運び、薔薇の苦味に眉をしかめながら考える。
 狂的な魔族になら、もう一人心当たりがある。
 あのまだ稚ささえ残る少年。ローゼンティア第六王子ジャスパー。ドラクルとはまた別の意味で奥底を見せない不思議な雰囲気を持った少年。おそらく王族兄弟の中でも高い実力を持っているだろうに、それを隠しているようだった。
 そしてロゼウスへのあの執着心。ロザリー姫の時とはまた違う、兄を慕う心などというものではなく、もっと狂おしい感情を秘めているようだった。
 あの少年も、この目の前の王も、きっと自らが狂人であることを自覚もしないまま静かにただ狂っているのだろう。
「ねぇ」
 一瞬思考を離した隙に、目の前に人間にしては鋭すぎる銀の爪の生えた手が迫っていた。
「俺の好みではないけれど、あんたも結構人間にしては見目いいよねぇ。イスカリオット伯爵ジュダ卿?」
 ぺろりと紅い舌を伸ばして唇を舐め、セルヴォルファス王――ヴィルヘルム=ローア=セルヴォルファスは言う。首筋に触れた爪が、肌を撫でた。
「綺麗なものを壊すことほど、快感覚えるものはない。……ねぇ、あんたの血はどんな色をしているのかなぁ」
 争いの予感に昂る魔族を鎮めるのは難しいのだと言う。
 いくら人間と協定を結んでいるとは言っても、魔族は魔族。強大な力を持ち本来はエレボス、タルタロスに封じられているはずの彼らは、この地上に出てくるにあたって自らの力を抑制されている……らしい。
 昔話の中に伝え聞くそれらを正しく受け継いでいるらしい目の前の少年は、殺戮の期待にきらきらと瞳を輝かせながら、どちらが敵か味方かもわかっていないようにこの首に手を伸ばす。
 強すぎる力は、精神を破壊するのだと言う。だから狂戦士(バーサーカー)と言う言葉も生まれたのだろう。その闇と病みと引き換えに、人は力を手にするのだ。
 だからと言って、たかが狂人一人の興味のためにこんなところで殺されてはたまったものではない。
「どんな色も何も、私の血は普通に赤いはずですが」
「今確かめてあげようか?」
 にっこりと笑うその顔は同年代のミカエラ王子やエチエンヌたちと同じように可愛らしいのに、内容が尋常ではない。だからと言って、ジュダはジュダでここで負けてはいられないのだ。
「お断りします。っていうかあなたやる気あるんですか? ないなら帰ってくれます? 生憎と私はあなたと違って、そう遊んでいられる身分じゃないもので」
 相手の話を聞きたくないならまともな対応をしなければいい。いちいち相手をしてやるから付け上がる。
 永劫普遍のこの世の真理の通りつれない対応をすれば、狙い通り黒の王を名乗る少年は拗ねたように唇を尖らせた。
「あーあ、つまんない。あんた怯えないね。魔族、怖くないの? 脆弱な人間風情のくせに」
「同じ言葉をそっくりお返ししますよ。人間は怖くないのですか? 愚鈍な人狼の分際で」
(……やりすぎたかも)
多少言い過ぎた感は否めないが反省したところで口に言葉が戻ってくるわけでもあるまいし。素知らぬ顔でやり過ごせば、一瞬きょとんとしたヴィルヘルムは次の瞬間、弾けたように笑い出した。
「あーはははははっ! やっぱり面白いねあんた!」 
 その「やっぱり」は一体どこから来たものか。
 もうこの手の輩は放っておくのが最上の対応なのだな、とそろそろ悟りきったところでヴィルヘルム王はようやく正気に戻ってきたようだった。それでもまだ得体の知れない薄笑いを浮かべながら、言葉を味わうように口にする。
「ドラクルの紹介してくれる相手はいつも楽しくって、嬉しいよ俺は」
「……それが、あなたがドラクル閣下に協力する理由ですか?」
「他に何があるって?」
「……あなたは一国の王でしょう。国は? 民は? 諸外国との融和を図り、自国の利潤を追求する責務は」
 あのロゼウスでさえ、民の命を守るためにシェリダンに下った。
「そんなもの、俺の知ったことじゃないね」
 灰色の瞳を細めて、若すぎる王は笑う。
「いいか? イスカリオット伯。セルヴォルファスの人間にとって必要なのは強さ。強い者が一番偉い。偉い奴には、従わなきゃいけないだろう?」
「それは実に結構な理念ですね」
 一国の王と言うよりは、むしろ粗暴な山賊の理念だ。
「だから弱い奴が悪いんだよ。喉首食い千切られたくなかったら、隙なんか見せるなよ?」
「あなたみたいな人の前でそんな恐ろしいことできませんよ」
「くくくっ。そんなこと、本当は微塵も思ってないくせに――イスカリオット伯、あんた本当は、怖いものなんてないんだろう?」
 この世に狂気の種類は二種類ある。一つは、狂気を狂気とも思わず狂う狂気。もう一つは、現実の残酷さに耐えかねて自ら狂うことを望む見せ掛けの狂気。
「欲しいものなんて何もないんだろう?」
「ありますよ」
「嘘だね。欲しいものがあるフリをしてるだけだろ?」
「――」
 中々痛いところをついてくると思った。先ほどまで滑稽にしか見えなかった酷薄な笑顔は、こちらの予想より少しばかり鋭い。
 白き狂気と、黒を望む心。破滅を望むシェリダン陛下や――そして誰よりジュダ自身の狂った思考も後者なのだろう。狂いたいと願う時点で、その人は本当は冷静なのだ。
 胸の奥で写真立てを倒す。懐かしい面影を振り払う。
 考えるな、と。目の前の薄気味悪い化物をお手本にしてこの世のありとあらゆることに頓着せずに生きられたら――。
「それで」
 ジュダは目を閉じて、遠ざかる二つの後姿を思い描きながら問いかけた。いくら望んでも手に入らないものを願うのは滑稽だから、ジュダはただ自分のしたいようにするだけだ。
「ヴィルヘルム王、あなたがわざわざドラクル閣下と協力し、このエヴェルシードまで来て計画に便乗した理由は?」
 シェリダンが即位し、ローゼンティアへと侵略した時――いや、それがドラクル元王太子の差し金だとするならもっと以前から、この計画は始まっていた。
 今では彼らローゼンティアの面々だけではなく、皇帝や帝国宰相、エヴェルシードでもバートリ公爵などの実力者まで引きずり出すほどの大事となっている。そしてここにセルヴォルファス王がいるならば、きっとドラクルは他の国の権力者とも横のつながりを持っている。
 そしてその全てに今回のことに対する思惑が絡んでいるのならば、誰が何を望み何を行おうとしているのかぐらいは把握しなければお話にならない。
 皇帝は何を考えているのかまだわからないが、少なくとも宰相ハデスは皇帝の地位が欲しいという。今現在ジュダの元にいるカミラはシェリダンが憎くて、ドラクルとその反対側ロゼウス勢の王族たちはどちらの立場であれ、ローゼンティアを取り戻したいことには変わりないのだろう。
 今、シェリダンのもとにはジュダが一時期匿っていたアンリ王子たちがいるが、彼らが本当にローゼンティアを取り戻す気があるのなら、ここでシェリダンに下手に情報を与えることはするまい。むしろジュダと彼の共倒れを狙ってジュダの裏切りについては指摘しないだろう。だからこその、五分五分の状況だ。誰が味方で誰が敵か。閉じ込めているのは誰で、閉じ込められているのは誰だ。
 そしてジュダの望みとは。
 問いかけにセルヴォルファス王は、にっこりと邪気のない笑みで答える。
「俺は、ロゼウス王子が欲しいんだよ、イスカリオット伯」
 邪気はないけれど欲に濡れ、その瞳はまさしく獲物を引き裂く瞬間の獣の目をしていた。
「――……奇遇ですね、陛下」
 ジュダはシェリダンが欲しい。
 そして、あの方のすぐ近くにいるロゼウスが疎ましい。
 だからこそのこの組み合わせかと、胸中で数瞬、ドラクルを呪った。
「利害が一致していて、素晴らしいことですね」
 要は、お互い混乱に乗じて自分の意中の相手を掻っ攫えばいいと、そういうことなのだろう。