荊の墓標 21

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「あの方は、酷い人だった」
 息子であるドラクルが思うのはまずそういうことだ。
「ドラクル?」
 仮宿の一室。隣に座ったアンが怪訝な顔でドラクルを見上げてくる。第一王女、正当なる王の血を引く娘。だからこそ使い勝手も良いし、実弟でありながらドラクルを裏切ってロゼウスについたアンリたちに比べれば可愛くもあるが彼女の全てを信用しきることはできない。
 いや……もともと、ドラクルに信用のできる相手などいなかった。
 ドラクルが人を従わせられるのは、その者にとって最も利益となる物を目の前にちらつかせてやるからだ。ドラクル自身への忠誠ではなく、これは取引だと、要求を果せば望みのものをくれてやろうと相手に突きつける。または、もともとの利害が一致した相手とだけ手を組む。
 今、ハデスとルースはこの場にはいない。用事があるとのことで、座を空けている。残っているのはここにいるドラクルとアン、元第三王子ヘンリー、元第六王子ジャスパー、そしていまだドラクルに対して警戒を解こうとしない第五王女メアリーだけだ。
「メアリー」
 声をかけると、彼女の細い肩はびくりと震えた。メアリーの称号は器用王女。威厳の欠片もない呼称だが、ローゼンティア王族に与えられる称号は基本的にその人物の本質を表すのだから仕方がない。不器用でないだけよしとしよう。
 そう、称号は本質を表す。ローゼンティア王族の背負う称号は、城が雇う、今では絶滅危惧種に等しい貴重な存在、《魔術師》によって宣告される。ドラクルたちのときも、もちろんそれはあった。誰が王になるのか、その予言まではできないが少なくともその人物の本質はわかるのだと。城の魔術師たちは告げた。
 第一王子ドラクルは竜王子、
 第二王子アンリは知略王子
 第三王子ヘンリーは奇人王子
 第四王子ロゼウスは……薔薇王子
 第五王子ミカエラ、幽玄王子
 第六王子ジャスパー、宝石王子
 第七王子ウィルは快活王子……そして彼にはもう一つ称号があるらしいのだが、それは私も知らない。
 王女たちにももちろん、名は与えられる。与えられるというより、それは当人の本質をあくまでも言葉と言う形にしただけのものに過ぎない。本来は誰もが持っていて、ただそれをこうして言葉にして峻厳と突きつけられることがないものを、王族だから自らの本質は知っておくべきだと教えられるだけだった。
 第一王女アンは覇気王女
 第二王女ルースは繊細王女
 第三王女ミザリー、美麗王女
 第四王女ロザリー、薔薇王女
 第五王女メアリーは前途の通り器用王女で、
 第六王女エリサが快活王女
 哀れだと思うのは、ミザリーか。彼女の特筆箇所はただ容姿の美しさのみに集約されていて、内面については触れられない。何故なら彼女の性格を知れば、心根が綺麗と評するものは少ないだろう。あれで結構自分の中での優先順位を確立し、いらないものは容赦なく切り捨てる性格なのだ。
 ドラクルとしては、第二王女のルースにしても異論がある。いいようにこき使っている人間の言う事ではないが、あれのどこが繊細だ?
 それでも、王女たちの称号についてはどんなものであろうとも、王子に比べればまだましだ。それよりもドラクルが気にするのは、王子たちの称号。中でも……
 薔薇の王子、ロゼウス。
 ロゼウスに与えられたその名は『薔薇』。他の国ではともかく、ローゼンティアにとっては幾つもの意味を持ち、深い運命を表すその言葉。
 彼らのローゼンティアは、「薔薇の王国」と呼ばれることもある。ローゼンティア王国の建国者、初代国王ロザリア=ローゼンティアが作り出したという《魔の薔薇》が国内を覆い、王城までもつたう、他国の者に言わせればいっそ異様な光景のドラクルたちの祖国。つまり、薔薇はローゼンティア国の象徴。
 その象徴の名を冠するということは、ロゼウスの運命が薔薇の王国に深くまつわるものだということを意味する。双子ではないが、彼と対の存在として生まれてきた妹のロザリーも、薔薇の名を冠するがこれはロゼウスに引きずられてのことだと、ドラクルは考える。
 運命は知っていたのだ。
 ドラクルの称号は《竜》。今はタルタロスの奥深くにひっそりと住まう、かつて強大な力で地上を支配していた一族。暗黒に封じ込められた、獰猛な種族。
 ドラクルの《称号》は、確かに役に立った。言霊の持つ契約力で、秘密裏に冥府の竜と契約することもできた。だからこそデメテル皇帝が力を放ったあの瞬間、竜との契約を解放したために脱出することもできたのだ。
 だが、ドラクルの名が《竜》であることは、運命までもそうであることを生まれたその瞬間から決定づけられていたことにもなる。竜。獰猛で残酷な前世界の支配者。強大な力を持ちながらも、その座を後から台頭してきた野蛮な種族――そう、
 人間の手によって、その座を追われたもの。
 ドラクルはその座を奪われる事が始めから決定していた。
「おいで、メアリー」
 ドラクルが呼びかけると、妹はなおさら身を固くした。ドラクルがロゼウスと敵対したことに一番の衝撃を受けたのは、この、王族としては平凡で地味だがその分誰よりも穏やかで飾らない、平和な気性の妹なのかもしれない。
 だがメアリー、お前はロゼウスを選んだのだろう?
 ならばお前は、こうしてこの場所にいても、潜在的なドラクルの敵。敵は排除しておかねば。
「お兄様、どうして……」
「どうして?」
「どうして、こんなことをなさったのです? 国を滅ぼしただけでは飽き足らず、国を乗っ取るために今度はロゼウスお兄様を狙うなんて……」
 面白いことを言う。
「わたくしたちみんなを平等に愛してくださったお父さまも、天国で悲しみます」
「ああ――そうか」
 知らなかったのだね。お前は。お前たちは。
 確かにお前たちに対しては、あの男はそれなりに優しい顔を見せていたのだろう。だけれど。
「あの方は酷い人だった」
「え?」
「義父上が私たちを平等に愛してくれたなんて、本当にそう思っているのかい? メアリー」
 嘘だよ、それは。ただの演技だ。あの男は自分の子どもしか愛していなかった。特に。
「贔屓があったとは思わないのかい?」
「ひいき?」
「そう。義父上の態度は、ある一人にだけ明らかに違っただろう。誰にもかけないほどの愛情をたった一人にかけた」
「それは……」
 言いよどんだメアリーに代わり、ヘンリーが口にした。
「それがロゼウス、か。あの方の本当の息子にして真の第一王子」
「そうだよヘンリー」
 ロゼウス。私の荊の墓標。お前が生まれた瞬間、私の存在意義はなくなった。
「でも、その、心の中でどう思っていたかはともかくとしても、お父様はわたくしたちを虐げるおつもりなどありませんでしたわ! わたくしたち実子ではない子どもたちが、王女王子を名乗っていられたことがその証拠でしょう! ドラクルお兄様、あなたがそれでも第一王子であったことが、その証明でしょう! お父様にはわたくしたちを冷遇するつもりなんて――」
「あったよ。メアリー。今の私の爵位がその証拠」
「ドラクルお兄様?」
 メアリーは理解ができないというように瞳を瞬かせ、アンとヘンリーの二人は納得したように顔を歪ませる。
「ドラクル……それはもしや……」
「やはり、そういうことなのですか」
「ああ。今の私が王子ではなく、ヴラディスラフ大公爵である――」
 それこそが、何よりの証拠だと。
「ロゼウスが十七歳になった今年から来年に向けて私たちの身分を整理し、まだ二親が明確にわからない子どもたちについてもフィリップ大公とどちらが父親なのかつきとめ、そうして十八歳になったロゼウスに王位を譲ると共に、あの方は私たちを追い出すおつもりだった」
 真っ先に排斥されたのがこの自分。あの男はドラクルにロゼウスに帝王学を叩き込ませ完成させ、そうしてできあがったところでドラクルを突き落とすことこそ、裏切った妻と弟への最大の復讐であると考えた。彼の中ではドラクルはクローディア第一王妃とフィリップ大公の息子だ。本当は名もなき召し使いが母親なのだが。
「当然くれるはずのものをもらえないとわかったから、私は自分でもらいに行くんだよ」
 薔薇の国に生まれ、薔薇の国を継ぐために生かされ育てられた自分。国のために国に縛られ、国のせいで捨てられる。
 そんなことが許されると思っているのか?
 ドラクルに国に対する愛着よりまず先に憎悪を育てたのは二人の父上、間違いなくあなたたち。
 ロゼウスに対してはさぞや良い父親であっただろう、ブラムス王は。実の息子ではないドラクルを夜毎組み強いて責め苛んだあの男は、何も知らぬままでドラクルにかけ続けた愛情の分だけドラクルを傷つけた。知ってからはそれを本当の息子であるロゼウスにのみ傾け、そして最大の時期に、ドラクルから全てを奪う。ドラクルの座を奪うロゼウスをドラクルの手によって育てさせるという、皮肉さえ込めながら。
 馬鹿な父上。
 ここまであなたが私を刺激しなければ、私はあなたを殺そうとまでは思わなかったのに。実子ではなくなった時点で全てを明らかにし、せめて実父である大公の下に戻すなりなんなり、すればよかったのだ。
 復讐する者は復讐されても仕方ないだろう?
 ドラクルは父親の罪を、ドラクルに復讐する者に復讐しただけに過ぎない。
 だから。
「あの国は……私のものだ」
 そして薔薇の国の象徴、薔薇の王子ロゼウス。
 お前も、この私のものなんだよ。

 ◆◆◆◆◆

「簡潔に答えてもらおう」
「ええ」
「貴様は、私の敵か味方か」
「どちらでもないわ」
 ルースは答える。目の前の少年の眉が剣呑に歪められる。ゆっくりと、けれど鋭く細まる鮮やかな朱金の瞳。
「どういう意味だ?」
「そのままよ、エヴェルシード国王、シェリダン=ヴラド陛下。私はあなたの味方ではないけれど、敵にもならない。協力しましょう。お互いの利害の一致のために」
「同盟を組むと言う事か」
「ええ」
「私が貴様を信用するとでも思うのか?」
「信用はしてくださらないでしょう。だけど、そのまま放り出すというのが得策でないこともわかるでしょう。だから、あなたは私を利用すればいい。その代わり、私もあなたを利用させていただくわ」
「……確かロゼウスが言っていたな、ローゼンティア王族の称号はその人物の本質を示していると。で、どこが《繊細》な王女なんだ? ルース=ノスフェル=ローゼンティア」
 ルースは口元に笑みをはく。
「あら? 繊細だとは思わない?」
「どこがだどこが。貴様のような強かな女は見たことがない。貴様に比べたらあのじゃじゃ馬ロザリーも、口ばかり五月蝿いミザリーも、うちの重鎮バートリ公爵も可愛らしいものだ」
「それは光栄だわ」
「褒めてなどいない」 
 目の前の女嫌いの少年王の、さらに何かを刺激するらしい自分。そういえば確か彼の母は……。
「策略深い女はお嫌い? シェリダン陛下」
 エヴェルシード国王シェリダンの母親、第二王妃ヴァージニアは正妃ミナハークに追い詰められて自殺に走った。彼女への数々の嫌がらせは酸鼻を極めたものだったという。
 嫉妬深く、夫の浮気相手に対して情け容赦のない女が使う、なりふり構わない策略や適当な相手に見せる偽りの仮面がこの少年王は大層お嫌い、というところでしょう。
「ああ。嫌いだ。特に、貴様は自らの胸のうちを欠片たりとて明かさない」
「まあ。先日申し上げたでしょう、私の目的は、ローゼンティアの王になること……あなたたちとこうして正面きって繋がっていると晒すよりは、ドラクルたち反王権派の獅子身中の虫として、一生懸命働こうと思いましたのに……」
「では何故あの時、ドラクルを真剣に庇った」
 内心で舌打ちしながら、ルースはそらとぼけてみせる。
「何のことでしょう」
 次の瞬間、首のすぐ横に鋭い刃が突き立てられた。ソファの布地が破れ、羽毛が飛び出る。
 シェリダン王に剣を突きつけられている。それは薄皮一枚という距離で、一歩でも動けばたちまち首の落ちる絶妙な力加減。
「私の目を誤魔化せると思うなよ。ルース=ローゼンティア」
「滑稽だとは思いませんか? シェリダン王陛下。私はこれでもロゼウスと同じノスフェル家の人間。殺しても何度でも生き返りますよ」
「ああ。そうだな。しかし首を落とされた瞬間即座に蘇生するわけでもあるまい。幾つかの手順を踏まねばならないとロゼウスから聞いたぞ」
「ではどうぞ殺してみればよいでしょう。それでは情報も聞けますまい」
「どうかな? ここにはお前以外のヴァンピルだっているのだぞ。お前の兄と弟妹が。その誰かにお前を生き返させることはできるだろう。そして蘇生が完了したところで、どんな拷問にかけても文句は言えまい」
「元より強靭な肉体を持つ吸血鬼を苦痛で自白させられるとお思いになる、そのお考えが滑稽だと思いますが?」
「拷問と言う言葉は、何も苦痛を与えるだけとは限らないだろう」
 その言葉と共に、彼は膝でルースの足を封じ、空いた片手でルースの顎を軽く持ち上げる。視線が強制的に合わせられる。吸い込まれそうに強く輝く朱金の炎の瞳。
 ルースは嘲笑う。
「――女を抱けもしないくせに? 男色の王様」
 そして彼は、その美しい面差しをさらに引き立てるような、凄絶で残酷な笑みを浮かべた。
「ああ、確かに私は女を抱けないし、抱かない。だがな」
 片手は顎から離れ、一度切られた言葉の続きを聞く前に、胸にかけられた手が一気に布地を破く。
 絹を引き裂く高い音がして、胸元から下腹部までの布地が裂ける。みっともないほど露になった肌をゆっくりと手で隠すと、見た目はうら若い女性の姿をしたルースの半裸にもまったく動じずむしろその炎の色とは対照的に冷ややかな光を湛えた瞳のまま、彼は剣を突きつけた耳元に吐息で囁く。
「私は女を抱かないが、しかし、犯すことはできるんだ」
「……まぁ」
 睦言を囁く甘さで言うが、瞳は笑わず、このたびばかりは彼女も敗北を悟らざるを得ない。
「あの時、貴様はドラクルを真剣に庇ったな。王位が欲しいのならばその敵になるドラクルは邪魔なはずだ。貴様が、最初から本当にそう思っていたのならば。だが森で邂逅したとき、ドラクルが真実を語る間も貴様はただ一人動揺のそぶりを見せなかった。知っていたのだろう。最初から、総て」
「総てというのは買いかぶりだわ。最初に言った事がまったくの嘘だと言うのは酷い疑いだわ。私は王になって、それで何をしたいのか言わなかっただけ」
 思い出す。昔。
 あの絶望に満ちた仄暗い夜。どこかに出かけていたドラクルが戻って来たとき、顔色が悪かった。そうして――
「私の称号は繊細王女」
 繊細でしょう。この私。目的のために手段など選ばないけれど、それもこれも全ては、昔に受けたたった一つの傷、あの夜が忘れられないため。ただ一つの望みに傷つけられてそのために破滅を目論むことは――……そう、繊細と言う言葉がお気に召さないなら神経質とでも言えばいい。
 所詮私はドラクルの妹。自らの受けた痛みを晴らすために、その傷を何倍にもして周囲に叩き付け返さねば気が済まないあの人の。
「私は王になることそのものよりも、それによって付随する結果が欲しい」
「付随する……」
「私はドラクルに復讐したいの。あの人を手に入れて、一生私の奴隷にすることが私の復讐」
 よほどルースの返答が意外だったのか、目の前の少年王が絶句した。
「そういうことよ。シェリダン王。あの人が欲しい私はあの人を殺さないけれど、だからって全てあの人の言う事に従うわけじゃない。だって私は―――……あの人が、欲しいんだもの」
 シェリダンは、ルースの本音に眉をしかめた。しばし考えるそぶりを見せた後、首の横に突きつけていた剣を引く。
「聞こう。貴様の話」
 ルースはうっそりと微笑んだ。
「ええ」
 そう、こう来なくてはね。