荊の墓標 21

117*

 まったく、あの一族のほとんどの人物が、得たいが知れない。
「あれ? シェリダン。しばらく顔合わせないんじゃなかったの?」
 ローゼンティア元第二王女ルースと話をした後、シェリダンは耐え切れずにロゼウスの元へと向かった。どうしようもなく苛々する、あの女の話を聞いていると、頭がおかしくなりそうだった。
「気が変わった」
「はぁ」
 シェリダンの突然の訪問に、以前まで使っていたシェリダンの私室とは違って寝台が中央にくる部屋の、そのまさしく寝台の中央で膝を抱えて縮こまっていたロゼウスが小首を傾げた。生まれも育ちも高貴なくせに、何故この男はそんな風に部屋の中央で縮こまっていたのだろうか。隅でないだけマシなのだろうか。
「あ……えっと……」
 ロゼウスの返事も聞かず、部屋に足を踏み入れたシェリダンはずかずかと乱暴な足音を立てて寝台へと向かう。膝で乗り上げ、ロゼウスの手をとる。
「ヤるぞ」
「ちょ、ちょっと待てそんな直球で!」
「これが最後になるかも知れないしな」
 シェリダンがそう口にすると、寝台の上で後退しようとしたロゼウスの動きがぴたりと止まった。
「……シェリダン?」
「当然だろう。まさか幾ら私と言えど、一国の王太子に手を出すわけには行かない」
 ロゼウスを王太子として立てるというのは、そういうことだ。今は偽りの妻の称号で縛り付けているその身を、自分の手から離すことに。
それを、ロゼウスが拒む理由などもとよりない。問いかけるまでもなく答えは決まっていたはずのそれにわざわざ返答までの猶予など与えたのは、ロゼウスではなく、シェリダンの弱さ。
「ロゼウス」
 シェリダンは彼の肩に両手を乗せ、そのまま背後へとゆっくり押し倒す。白銀の髪が、艶っぽく敷布に散らばった。
「シェリダン……」
 理由はよくわからないが、不安な、痛そうな、どこか悲痛な顔でシェリダンを見上げるロゼウスにそのままの姿勢で言った。
「お前の姉は本っ当に腹立たしいな!!」
「……はい?」
 突然のシェリダンの言葉に、ロゼウスがフリーズした。どこか清冽な色香のある表情は消え、非情に微妙な表情で自分を組み敷くシェリダンを見上げる。
「何? いきなり何の話だっけ? あれ? っていうかまだ何も話自体始まってないよな? しかも姉って、どれだよ?」
 何この状況、とぶつぶつ呟くロゼウスにシェリダンは先ほどの出来事を説明する。
「ルース姉様、が?」
 アンでもなく、ミザリーでもなく。元第二王女のルースは、ロゼウスにとって複雑な相手だ。彼女はドラクルとは父親が同じ兄妹であり、そして、このロゼウスとも母親であるローゼンティア正妃クローディアの子どもという姉弟だ。
「姉様、ドラクルのこと、好きだったんだ……」
「ああ、らしいな。知らなかったのか?」
「アン姉様はそうっぽいなって思ってたけど。でも、ルース姉様は誰よりも感情を隠すのが上手いから」
「だろうな」
 繊細と言われては納得できないが、確かにあの女は神経質という分には納得できる。異母兄であるドラクルに対する執着は、普段表に出さない分、秘められたものはすさまじいらしい。
 ……別に、それは構わない。シェリダンはルースなどどうでもいい。彼女が実の兄に禁じられた想いを抱いていようが。そのために屈折した方法で兄を手に入れたがっていようが、そんなことはどうでもいい。知ったことではない。勝手にしてくれ。できれば人を巻き込まないでほしいくらいだが、さすがにそうもいかないらしい。だからと言って。
「その想いを切実に私に語るな」
「か、語られたの?」
 ロゼウスが引きつった。俺良かったその場にいなくて、と思っているのが丸分かりの表情だった。自分だって似たような者のくせに、姉が兄に恋慕している様子をまじまじと見るのは嫌らしい。
 腹立たしい。
 本当に、腹立たしい。
 押さえつけて動けないようにした、ロゼウスの態度に憮然としたものを覚える。何を平然とした顔をしているのか。いや、彼の方からすればそれが当然だということはわかっている。
 おかしいのはシェリダンの方。シェリダンが勝手に苛立っているだけだ。しかし。
「シェリダ……ン……」
 白く尖った顎に指を伸ばす。軽く仰のけて、しっかりと視線が合うようにする。
 紅い瞳。血のように。極上の鳩の血色の紅玉でさえもこれほど美しくはないだろうと断言できるほどに、この世のどんな宝玉も比べるべくもない美しい瞳。
 その色は、ロザリーや第六王子のジャスパーとも一緒だったが、シェリダンを苛立たせるのはそれがルースとも同じであるということ。
「何故、お前たちは似ている」
「え?」
 確かに容姿だけ見ればロゼウスはすぐ下の妹であるロザリーと一番似ているのだろう。他人とはいえ厳密に血筋を辿れば従兄弟関係に当たるドラクルとも、何の因果か、基本的な顔立ちは似ている。
 だけれど、ロゼウスとルースには単純な容姿の相似だけでは語れぬ点が共通していた。何とか言葉で言い表そうと思うなら、纏う雰囲気や浮かべる表情の傾向、そんなものが。
「私はお前とロザリーを見比べても、確かに顔は同じだがそれほど似ている、とは感じない。少なくともお前たちはただ顔が似ているだけの別人で、一人一人がそれぞれの人格を持った別の人間なのだと言える」
「…………」
 だがロゼウスとルースの相似は、そんな程度のものではない。
「お前たちは、その、血よりもなお暗い深紅の瞳に湛え澱む光が、同じだ」
 そう、同じなのだ。ロゼウスとルースが持っているもの。根底にあるものが同じ。だから、似ていると感じてしまう。ついついあの時、目の前の女の顔に、ロゼウスの面影を探してしまった。
 しかもその女は、やたらと情熱的な兄への告白、ロゼウスがつい先日まで愛しているのだと勘違いしていたあの男、ドラクルへの恋慕の告白を繰り広げるものだから――。
 腹が立ったのだ。
「……仕方がない、んだ」
「え?」
 シェリダンの胸中の苛立ちを読み取ったわけではないだろうが、ロゼウスはまたもどこか悲痛な表情を浮かべて私を見上げた。
「俺と姉様は、同じだから。同じ、ドラクルの妹弟として、あの人に育てられたから」
 同父母の兄妹として扱われていた三人。ドラクルは自らの母親が正妃ではないことを最初から知っていたわけではないだろうから、一時期は確かにルースのことも、二親血の繋がった妹だと信じきっていたわけで。
 ああ、そうか。
 ロゼウスとルース。二人の根底の相似。同じ一人の男に育てられ、その存在に魂の緒を握られているということ。
 二人に共通するのは、どこまで言っても仄暗い感情だ。それは、あの兄妹たちの中でも一種独特なものだった。アンリやミカエラ、ミザリー、ウィルにエリサなどと言った者たちとはどこか違う。あのジャスパーにも他の面々と違う黒いものを感じたが、それとも様子が違った。
 そう、あれはただの執着と独占欲。だがロゼウスとルースに共通するその感情は、言葉にならないような切なさ。
 同じ顔のロゼウスとロザリーを比べるとき、男女の違いと言うよりもまず、目に付くのはその魂の差。それは美しさの種類として、自然と外側に滲み出る。だからシェリダンはロザリーとロゼウスに関しては、あまり似ているとは思わない。
 ロザリーの美しさは、例えるなら真昼の苛烈だが健康的な陽光。眩くて熱くて、だけど不快ではない。
 ロゼウスは対照的に、真夜中から明け方にかけての儚い月光。酷薄で、冷徹で、どこか病んでいるのに惹き付けられる。
 単純な強さではなく、そのような独特の印象を二人は与えるのだ。最近はロゼウスだけでなくロザリーとも話すことが増えたから、なおさらそのように感じるのかもしれない。
「姉様も、ドラクルに――でも、あの人は俺ともまた違って」
 言葉を探しあぐねるような間を置いて、ロゼウスは意を決したように口を開いた。
「……元々ドラクルに、母上と大公が怪しい会話をしてるって言ったの、姉様なんだ。それさえなければドラクルは真実を知らずにいられたからって、一時期随分と責められてた……」
「それでもまだあの男が好きだとは、随分物好きな女だな。ああ、そうか。お前の姉だものな」
「酷い……」
「それで、お前の方は、答は出たか?」
「――え?」
 一瞬。
 ロゼウスが、微かに、ほんの微かに。
 言葉にしがたい色をその深紅の瞳に宿した。
 しかしそれは瞬き一つで消え、次の瞬間にはいつも通りの彼に戻っている。
「まだ……待っていてほしい」
「そうか」
 先ほど見たものは勘違いだったのだろうかとシェリダンは瞳を眇めてロゼウスを見下ろしながら、だが、と宣告した。
「お前がこの先結局どんな答を出すにしろ、今はまだ私のもの」
 掴んだ華奢な肩が小さく震える。
「久々に付き合ってもらうぞ」

 ◆◆◆◆◆

 ぱっと見美しいが、鍛えられたそれは間違いなく武人の手。人に女装だなんだをさせているが、シェリダンだって間違いなく女顔なのだ。それでも彼が女性に間違われることがないのは、そのしっかりとした体つきのせいだった。細身だが綺麗に筋肉のついた優美な肢体が女性的という感じをまったく与えず、かといってむさくるしいような男らしさとも無縁で、どこか中性的な印象を醸し出している。
 それに対して、ロゼウスの方はどうも軟弱で貧弱な印象を与える体つき。もともとヴァンピルは淫魔と呼ばれる夢魔の一種から派生した存在で、戦いに赴くような武骨さよりも、男女問わず相手を誘惑して自らに溺れさせるための容姿を持って生まれつく。つまり、やや女性的に比重が傾いた中性的外見が多いのだ。
 女性にとって、「女よりも美しい」というのは男性に送る最上の褒め言葉だとどこかで聞いた事がある。
 もっともそれも昔の話で、蝙蝠の翼も退化してしまった今のヴァンピルは外見的には人間と大差ない。ただ、そういう外見の者が生まれる割合は普通の人間より高く、えてしてそう言った容姿のものは、特性までも先祖に従って筋肉がつきにくい。体の構成要素に《魔力》という条件が関わるヴァンピルの体は、単純にして複雑だ。
 ロゼウスは見事にこの条件に当てはまり、手足にも胴にも筋肉がつきにくく体の線は常に崩れない。それでも剣を扱うのだから体は鍛えられているのだが、それが表面には現れないのだ。幾ら鍛えても肉体美のむくつけき大男にはなれなさそうだ。
 同じ年頃で身長だって頭半分も変らないシェリダンに比べて、どことなく柔らかい体つきをしているのがいい例だ。
 そして、その身体構造の違いにはもう一つ意味がある。
「ロゼウス」
 耳元で囁かれると、ぞくりと背筋が震えた。高くもなく低くもない彼の声は通りよく、ただ自分のためだけに向けられたそれを聞くと、どうにも魂が震えるような心地がする。
 身に纏う、これから鬱陶しくなるのは服。それを、珍しく破かずにそのまま剥がれた。一糸纏わぬ姿はロゼウスの方はともかく、むしろ気にしているのはシェリダンのほうだったはずだ。
「それ……」
「なんだ?」
「背中の傷……」
 シェリダンの背には、紅く刻印された無惨な傷がある。幼少期に虐待された痕だと言うそれ。たぶんロゼウスたちヴァンピルだったら、きっと次の日には消えて跡形も残らない。
「ああ。これか。――今更だろうが。見苦しくても我慢しろ」
 そういうつもりで言ったのではなかったが、シェリダンは誤解したようだ。このまま口で何事か言葉を重ねたところで、どうせ根本的なところでシェリダンはロゼウスの言う事を信用しないのだろうなと思ったら先ほどの彼の台詞じゃないが、腹が立った。
 その白い背中に紅く映えた傷に唇を寄せる。
「ロゼウス?」
 時を経た今では、癒す事はできない。そもそもそんなことを、まずシェリダンが望んでいるわけでもないだろう。
「あんた、は」
 脆弱な、つまんだだけで壊れそうな人間のくせに。
「こんな風に、傷を負って、傷を重ねて」
 癒されることのない傷を抱えて。
「それでも、向かうのか。自分の目的のためならば」
 痛くて苦しくて辛くても、立ち止まったりしないのか。
「当然だろう」
 優雅に返す。
「では、お前はどうなんだ。不死の化物、魔族よ。どんな傷もあっさりと癒えてしまう便利な身体を持っているくせに、何に怯えている。どうしていつも、そんなにも踏み出すのを躊躇い戸惑う?」
 首筋に唇が降りてくる。きり、と肌が痛む。触れ合った箇所から伝わる熱。ヴァンピルの少し低い体温からすれば、儚い一瞬の命を生きる人間の体温は燃えるように熱くて焼け付きそうになる。
 胸に伸ばされた手。耳朶を甘く噛まれる。過去の傷が刻まれた背中に腕を回して抱きしめた。
「あっ……」
 生温い舌が、肌を這う。鎖骨をきつく吸って紅い痕を残したあとは、胸元の飾りを口に含む。そうして、あまった彼の手は下肢の方へと伸びた。
「ひっ……や、ぁ……」
 指先が試すようにそれをなぞりあげれば、得もいえぬ快楽が襲う。もっと強い刺激が欲しくて、大きく身体を震わせた。
 くす、と笑う気配を感じたと同時に、中心を強く握られる。強く握りこまれて、痛みとすれすれの悦楽が走った。
「お前ばかりいい思いをするなよ」
 ぐりぐりと絶妙な力加減で弄ばれ、疲労とは別の意味で息を切らし始めるロゼウスの耳元に、そんな囁き。そうして、突きつけられたもの。
「ん……」
 目の前に差し出されたそれを大人しく口に含めば、声なき声で、彼は微かに喘いだ。何度も何度も繰り返して慣れた奉仕に精を出せば、次第に余裕を無くしていくシェリダンに髪を掴まれる。
 荒い息遣い、滴る汗、目の前が熱でぼやけ、何も見えなくなる。
「っ……!」
 舌の上に出されたものを平然と飲み込んで見せれば、さすがに息を切らした唇から零れたその滴を、綺麗なのにしっかりとしたその指に掬われた。体勢を少しだけ変える。
 奥へと押し入る際の潤滑油代わりに、絡めたそれで濡れた指があてがわれる。
「あ……ああっ」
 中をかき混ぜられる感触に目を瞑って耐えていると、唇に一つの口づけが送られた。
「シェリダン……」
 名を呼ぶと、蠢いていた指が引き抜かれる。特に言いたい事があるわけでもなく、ただ単純に名前を読んでみたかっただけなのだと悟ると、遊びの時間は終わりとばかりに、指とは比べ物にならない質量が、ほぐれたその場所に挿入り込んできた。
「あっ……」
「ふ……」
 繋がった箇所から浅ましく快楽を追う。手のひらを合わせきつく指を絡め。
 今だけは何も考えたくない。考えられない。
 昇天にも似ているという、頭の中が真っ白になるその一瞬。本当に身体から魂が離れていかないよう繋ぎとめるかのように、ロゼウスは彼にしがみついた。
 そうして、またその背に傷を残す。鋭い爪痕を。
 傷を受けてもそれがなかったかのように癒えてしまうヴァンピルはその痛みを誰にも知られずに耐える。与えられた衝撃が累積し、痛みが消えてもまだ痕が残る人間はその傷痕を一生背負っていく。
 そのことの、どちらが苦しいのかロゼウスにはまだわからない。
 だけれど、きっと多分、ロゼウスは自分よりもシェリダンの身体の方が脆弱であることを知っていて、それでもまた彼の背にこうして傷を刻み続けていく。彼がロゼウスに与える痛みがあっさりと消えた頃になっても、まだ癒えないような傷を残し続けていく。
 そのことだけが、この時にロゼウスがわかっている真実の全てだった。
 シェリダンはただの人間だ。ロゼウスはヴァンピルだ。不死身の吸血鬼だ。
 だからこそ、ロゼウスがシェリダンに癒えない傷を残す事はあっても、ロゼウスがシェリダンの手によって、取り返しのつかない傷を受けることはないはずだと。
 
 あの頃の自分は、愚かにも信じていた。