荊の墓標 22

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 生臭いようなかおり、血の匂い。
 目元を涙でぐしゃぐしゃにしたまま意識を失った青年の身体を抱きかかえる。愛らしいとさえ言える容貌が今は苦痛に多少歪み、明るい橙色の瞳は瞼の奥に隠されている。
 そのまま数分、クルスの寝顔を見ながらぼんやりとしていた。
「あーあ、やっちゃったね」
 気配をさせずに地下へと降りてきた少年が、情事の名残も濃い牢獄の中を見てにやにやと笑いながら言う。
「ヴィルヘルム王……」
「かわいそうに。初めてなのにそんな乱暴にしちゃって」
 床の上の血の痕を眺めながら同情の眼差しをクルスに向けるセルヴァルファス王。普段は気配に聡いクルスは、不躾な眼差しを受けてもぴくりとも動かない。
 ぐったりと気を失っている青年の頬を撫で、苦しげに眉根を寄せたその額に口づける。
 頬にかかった蒼い髪を払いのけてやり、苦しくないよう体勢を変える。
 ヴィルヘルムは牢獄のこちらと向こうを隔てる鉄格子に指をかけ、中を覗き込んでいた。
「満足かい? イスカリオット伯」
「満足?」
 腕の中のぼろぼろの少年を見下ろす。
「満足そうに、見えますか?」
「さぁ? 人間は見かけじゃわからないものなんだろ?」
「ワーウルフやヴァンピルは違うんですか?」
「ヴァンピルはよくわからないけれど、ワーウルフはどうだろうなぁ。顔に出やすいヤツラばっかだからな」
「その割にあなたは策謀に長けているようですが」
「えへへへへ」
 鉄格子を開けてヴィルヘルムが中に入ってきた。そのまま何をするのかと思えば、彼はこちらに触れてくる。
 先ほどジュダがクルスにしたように頬に手をあてられて、瞳を覗き込まれる。
 ワーウルフ、セルヴォルファス王国の民の瞳は灰色だ。髪の色も薄い茶色と、彼らは淡い色彩を身に纏う。蒼い髪に橙色の瞳と、強い色彩を持つエヴェルシード人とは大違いだ。
 なのに、その瞳に宿る力は強い。なまなかなことでは逸らされない肉食の獣の瞳が、心の奥底を見透かすように視線と毒を注ぎ込んでくる。
「君の心は虚ろだねぇ、伯爵」
 虚ろ。空っぽの。
 我が貧しき心。
「知っていますよ。そんなことくらい」
 あの日からジュダの心はからっぽだ。この胸に住まう人々はとうに早桶の下に眠っている。
 それをどうにか埋めたくて、様々なことに手を出したけれど、やはりまだ。
「私は満たされない」
 けっして満たされる事はない。
「そうだね。伯爵」
 何が嬉しいのか、セルヴォルファス王は穏やかに笑う。
「一度傷ついた心ってのは、そう簡単に満たされるものではないよね」
 意味深な口調は、彼もそのような経験をしたことがあるような物言いだった。
 だけれど、その目は笑っている。
「傷ついて失って手に入らなくて。――可哀想に。君もシェリダン王も、あのドラクルでさえ、本当に欲しい物は手に入らない」
「……あなたは? では、あなたはどうなのです? ヴィルヘルム王」
「俺? 俺はそんな辛い思いなんてしたことないよ。得たものはあったけど、失ったものなんてないし」
 だからそんなものは知らない。周りを見て勝手にそう思ってるだけだと、若くして全てを手に入れ、なお欲しいものを手にするための画策を辞さない少年王は一段上からものを見ているような顔をする。
「なぁ、伯爵。俺は思うんだけれど、きっと傷ついた人間ってのは二種類に大別されると思うんだ」
「……二種類、ですか?」
「ああ」
「そうですか。ほう」
「あれ? 続き聞きたくないの?」
「ええ。別に聞きたくありません」
 彼の見解など知りたくもない。自分は自分が今感じているものの処理だけでいっぱいなのだから、他人の高尚ぶった意見などいらない。
 ましてやそれが、堂々とジュダとは立場が違うと、失ったものなど何もないと言い切る者の言葉なら尚更だ。
「ま、別にいいけど。あんたが聞きたくなくても俺は勝手に俺の言いたいことをいうだけ」
 だったら初めから聞くなと言いたくなる気軽さで彼は先ほどもったいぶったことを口にした。
「傷ついた人間は二種類に大別にされる。一つは、自らが与えられた痛みに学び、その傷を外へ広げないよう優しくなる人間。そしてもう一つは」 
 彼はジュダの腕の中で気を失っているクルスを見下ろした。とても哀れなものを見る眼差しで。
「自らがつけられた傷を他者に跳ね返し、自分が失ったものを世界から、別の人間から奪い去ってその空洞を埋めようと言うもの」
 ああ、それを言うなら私は間違いなく後者であると。
「そう言いたいのですか、あなたは」
「そういうことにしておいてやってもいいけど?」
 断定はせずに彼は卑怯にも最後の一歩を踏み込まずにそう告げた。
「可哀想に。心に傷を持つ者は。奪われた心の虚ろを埋めようとして、さらに虚ろを広げていく。可哀想に」
 笑い交じりのヴィルヘルムの声が呪うように耳に届く。遅効性の毒のようにじわじわとこの身に染み渡る不愉快なその感触。
「可哀想に。虚ろな者に、自らを奪われる者は。それはそいつ自身が悪いのではなく、別の誰かのせいなのに、とばっちりで傷ついて。その人がまた誰かに傷を植え付けるなら、共食いの連鎖は終わらない。可哀想に」
 どこか自身の考えに陶酔するようなとろけた響を持って、彼の言葉は続く。
「可哀想に。人は。生き物は。この世界は。いくら二種類に大別されるからって、俺は傷つけられた分だけ傷つけて、奪われた分だけ他人から奪う人間しか見たことない。自らがつけられた傷を糧に癒しと咲き誇る、そんな聖人見たことないよ―――」
 傷つけられた分だけ傷つける。それを言うなら、シェリダンがその筆頭ではないか。彼は母親の自殺と父の虐待によって自らの存在そのものを否定され、自分を繋ぎとめる確たるものを持たないが故に、この国と共に心中しようとしている。
 また、そのシェリダンを利用してジュダたちと協力しているドラクルだってそうだ。彼が不義の子であり王位を奪われたことは、ロゼウスの意志ではどうにならなかったことだし、彼がドラクルの出生の責任まで負えるわけはない。けれど父王ブラムスを殺害した今、ドラクルの憎悪ははっきりとロゼウスに向かっている。
 カミラだってそうだ。シェリダン自身にはどうにもならなかったその出生と男子優先継承の問題でシェリダンを憎んだ。
 そしてきっと、私も……。
 私たちはどうしようもない、自らの力では変えようのないことゆえに人に傷つけられ痛みを知り、その痛みから逃れたくて更に人を傷つける。
 腕の中の青年を見下ろす。五年前未遂に終わった悪夢の続きを今回このような形で彼に見せた。これはジュダの八つ当たり。
 あの日の庭園で、晴れた空の下まっすぐな眼差しで決闘を仕掛けてきた少年。明らかに年上であるジュダの前でも辞さないその態度は高潔であったが、だからこそ妬ましかった。
 挫折を知らないその瞳を苦痛と憎悪に歪ませてやりたかった。
 ありったけの理不尽を世界に撒き散らして黒く染める。
 自分の手がどれほど汚れても、他の者の手も汚れているなら何も気にする事はない。だから。
「可哀想に」
 自分たちは確かに可哀想なのかも知れない。そしてその裏側に極悪非道と言う名の闇を飼っている。
 可哀想な人間であれば周りを不幸にしていいわけではない。どんな理由があったところでそれが許されるはずもない。わかっている。
 わかっていて望んだ。
 だからやはりこの道の行き着く先は破滅しかないのだ。そう、シェリダンがそう望むように。
「ヴィルヘルム王」
「んー?」
「あなたは……」
 そんなジュダたちをただ可哀想だと告げるこの少年王に何かを言ってやりたいような気もしたが、上手い言葉が思いつかなかった。彼は、たぶん。
「いいえ。失礼しました……あなたにそれを突きつけるのは、きっと私ではないのでしょうね」
 それはたぶん、この少年王が執着する薔薇の王子の役目なのだろう。
「何? 何の話」
「なんでもありませんよ」
 相手が突っ込んでこないことをわかっていて、私は否定の方向に緩く首を振る。
 腕の中の温もりに意識を戻す。ユージーン侯爵クルス卿、彼はまだ目覚めない。
 そして目を覚ましたとき、彼はジュダをさぞや憎んでいることだろう。未遂の五年前ですらあれなのだから、今回はどのようなことになるのか。
 だけれど。
「ヴィルヘルム王」
「ん?」
「もしも、あなたが先に言ったような、傷つけられてなおその痛みを糧に優しさとし、相手を赦すことができるような人が現れた、その時には……」
 果たして世界は、どう変わるのでしょうか。

 ◆◆◆◆◆

 誰かが呼ぶ声を聞いた気がした。
「ん?」
「おい、葡萄酒もう一杯……って、どうしたんだ? フリッツ」
「いいや」
 馴染みの客が空になったグラスを手に怪訝そうにこちらを眺めている。酒場の店主が明後日の方向を見遣り、突然動きを止めてしまえばそうもなるだろう。
 フリッツが経営している店は今日も変らぬ客の入りようだった。『炎の鳥と赤い花亭』は普段と同じく平和だ。
 なのに、何故か胸騒ぎがする。
「なぁ、何か最近、変わったことってなかったか?」
「変わったこと?」
 目の前に座っている客に話しかける。顔を赤らめた中年の男は、首を傾げた。
「変わったことってどんなことだ?」
「なんか、国が関わるようなことでさ」
「ああ、シェリダン王かい? あんたの甥っ子だもんなぁ、フリッツ」
「……そうだよ」
 男のこういった言葉を、受け入れられるようになるまで何ヶ月を要しただろうか。フリッツと、この国の現国王である甥っ子のことは今になってようやく下町の人々にも納得されたらしく、以前にあったごたごたも今では落ち着いている。
「王宮周辺で変わったことねぇ、何かあったか?」
 話しかけた客が隣の客に声をかける。一人で飲んでいても、ここで見かける顔は八割がたが知り合い、残りの二割程度が旅人や外の人間と言うぐらいでほとんど顔見知りだ。
「変わったこと? ああ、この前、なんか偉い人が来たんだろ?」
「皇帝陛下? だっけ」
「そうそう、皇帝陛下の歓迎会があったんだろ? お城で」
「……それは知ってるんだが」
 男たちが話してくれたのは、国内で知らない者はいないだろうという、皇帝陛下訪問の情報だった。さすがにそのぐらいはフリッツだって知っている。
「そうじゃなくて、他に何かないか?」
「他にぃ?」
「おい、フリッツが王宮のこと知りたいんだってよ。何かないか?」
「いや、そこまで大事にしてくれなくてもいいんだが……」
 一人が店の他の客に向けて尋ね始めると、あっという間にその質問は店中を駆け巡った。軽く情報を知る程度でよかったのに、いつの間にか訪れた客の全てを巻き込んでしまっている。ここまでして知りたいわけでもなかったんだが。
 どうせここで聞いたところで、ロー、ロザリーがどうしてるかなんてわかるはずもない。
「ああ、今、王様はまた兵士を集めてるって噂なら聞いたことあるぜ」
「え?」
「何……?」
「近いうちに、またどこかの国と戦争するんじゃねぇか?」
「それにしては、遠征の情報なんて――まさか」
 エヴェルシードは確かに年がら年中戦争をしている国と言えるが、それでもさほどの話として広まっていないと言う事は、準備に比べて出発の心構えが少なくていい距離にある国と言う事だ。
 今のところエヴェルシードにとって、戦を仕掛けるのにそれだけ都合の良い国は一つしかない。だが、その戦いはすでに決着がついたはずだろう。
「何でまた」
「知らねぇよ。偉い人の考えることなんてさ。俺たちはただ王様の言うとおり戦争に行ってくるだけさ」
「……」
 一体、自分たち市井の者が知らないだけで、この国で今何が起こっているのだろうか。
 フリッツは視線を上げた。窓の外を眺める。
 そこからは、いかにも頑強そうなエヴェルシード王国の王城、シアンスレイトが見えていた。

 ◆◆◆◆◆

 世界とは移ろうものだ。
 わかっている。嫌と言うほど。だけれど、心のどこかで納得できない。
 いつも引き篭もっているシェリダンの部屋ではなく、中庭の薔薇園に足を運んでロゼウスは景色を眺めていた。
 ここへ来ると、カミラを思い出す。だから食料として必要な薔薇を採りに来る時以外は、極力近寄らないようにしていた。
 ここより北に位置するローゼンティアはもちろん、エヴェルシードも常は薄曇の日が多い。今日は珍しく晴れた空から注ぐ陽光を浴びないように気をつけながら、ロゼウスは四阿の卓に突っ伏している。
 こんなことをしている場合じゃない。思えば思うほどに、結果を出すことを阻害するもどかしい焦りだけが募っていく。あれ以来何度も何度も、シェリダンの言葉の一つ一つが頭の中をぐるぐると回っている。
「俺は……」
 ふと閉じた瞼の裏には、白き冬の薔薇の国の光景。
「俺は……どうしたら……」
 ローゼンティアを本当に取り戻すつもりならば、シェリダンの提案に乗るのが得策だ。彼の後ろ盾を得て、次代の正当な王だと名乗りを挙げてしまえばいい。王権派、反王権派などという勢力ができあがっているくらいだから、良い意味でも悪い意味でもそのことはもうすでに国の上層部には知れ渡っているのだろう。
 それが一番丸く収まる方法だと、言われたら反論できない。国家のためにその身を捧げろと言われて、それを断るのはただの我侭だ。
 じゃあ、なんで俺はそうまでして我侭を言いたいんだ?
 ローゼンティアのため。その言葉に、どこか納得のできていない自分を知っている。この国へ来た時だって、自分はローゼンティアのためというよりもむしろ、ドラクルとの確執や、家族と別れた不安を誤魔化したい気持ちの方が大きかったのではないか?
 今までは認めたくなくて目を逸らしていた己の心と向き合う。
 自分は臆病で卑怯者だ。知っている。わかっている。わかっているだけで向き合う努力をしないことが尚更卑怯なのだと、その事実からすら自分は今まで目を背けていて。
 だけれど、今度ばかりはそういうわけにはいかない。
 ロゼウスの浅はかな目論見は、ドラクルのお気に召さなかったようだ。王位を譲るといってもそれを簡単に受け取ることなど彼がしないのは、きっとロゼウスの中にある打算に気づいているから。
 彼は知っているのだろう。ロゼウスの本当の想いを。そして。
「俺は――わかってる。本当は。でも」
 わかっているのだ。
 もうとっくに、わかっていたのだ。
 そのことに。その気持ちに。
 だけれど、それを認めてしまえば、もう後戻りはできない。
「怖いんだ」
 前に進むのが。
 ずっとここに留まっていたいのだ。暖かくも冷たくもないこの場所で、永遠に足踏みし続けていたい。前へ進むことで何かが壊れるのなら、永劫にこのままの姿勢で立ち尽くしていたい。
 なのに、いつも、その臆病さを彼は咎めて目の前に鮮やかに浮かび上がらせる。
 ぐるぐると埒の明かない行き来を繰り返すばかりの思考に、火照りかけた頬を冷ますように、庭園に風が吹く。
 そうすると、そこかしこに咲き誇る花が一斉にその存在を浮かび上がらせ主張するように、さわさわと揺れ乱れては芳醇な香りを放った。甘い香りに誘われて、思わず目を上げてまだ風の名残に揺れる薔薇たちを見つめる。
 この庭園の薔薇の色は赤、緋色、黒薔薇の濃き蘇芳。
 どれも血の色であり、炎の色と呼ばれる同じ赤の仲間だ。
 けれどロゼウスにとって、もうそれは炎を示したりなんかしない。ロゼウスの瞳の色に近いようなそれは血の色ではあるけれど、決して炎の色なんかではない。
 本当の炎とはああいうのを言うのだと、もうロゼウスは知ってしまった。
 燃え上がる朱金の瞳。
 まさしく炎の国の王。
 破壊を示すという炎の特性そのままに、苛烈で、時に氷よりも酷薄なその気性。
「シェリダン……」
 ここにいない人の顔を思い浮かべて思わずその名が唇を突いて出る。その程度には、馴染んでしまった名前。敵だったはずなのに。
 本来は憎むべき相手であるのに。
 ――あんたはこんな風に、傷を負って、傷を重ねて。それでも。
人間の身は脆い。身体能力などヴァンピルやワーウルフの足元にも及ばない。ヴァンピルは好戦的とは縁遠い種族だから先の侵略の際にも抵抗する前に負けてしまっただけで、本気で戦争する気なら戦いにすらならない。
 呆気なく簡単に、指先で弾くだけで死んでしまいそうなほど脆弱なくせに、どうしてあの炎の瞳はそんなにも真っ直ぐで強いのか。
 ――向かうのか。自分の目的のためならば。
 ――当然だろう。
 問いかけるロゼウスに薄く微笑んで躊躇いなく告げる声音。
 ――では、お前はどうなんだ。不死の化物、魔族よ。どんな傷もあっさりと癒えてしまう便利な身体を持っているくせに、何に怯えている。どうしていつも、そんなにも踏み出すのを躊躇い戸惑う?
 あんたは強いよ。
 ロゼウスはそれを認めざるを得ない。
 そういえば、カミラも強かった。
 初めてこの庭園で会ったとき、ロゼウスがあんまりにも非常識な振る舞いに出たんで目を白黒させていた一つ年下の美しい少女。思えば彼女との出会いが、ロゼウスとこの国の、そしてシェリダンとの関係を変える契機だったのかもしれない。
『ロゼウス様』
 兄妹の少女たちとは違う、ただの、普通の、女の子らしさ。ロゼウスの周りの女性陣はロザリーを筆頭に変わり者ばっかりだと思うが、ああいうタイプはかつていない。
 だから新鮮で鮮烈で。
 好きだった。カミラ。好き、だっ《た》。
 けれどこの恋は、他でもないロゼウス自身が彼女に手をかけたその瞬間に終わった。今ではもうわからない。ロゼウスはカミラ自身が好きだったのか、それとも彼女が自分に向けてくれる純粋な感情に縋っていたのか。ドラクルからの執拗な執着と同じだけ粘着質な愛情で応えていたロゼウスに、淡い憧れの眼差しだけを向けるカミラは、何かとても可愛らしい生き物に見えた。
 たぶんロゼウスは、彼女といれば自分もこのどろどろとした暗い物思いから解放されて、綺麗な生き物になれるような気がしていた。あまりにも勝手で滑稽だ。
 自分で彼女をその闇に引き摺り下ろしたくせに。
 わかっている。知っている。たぶん、自分は。
「誰かを本当に好きになったことなんて、ないんだ」
 いつも自分ばかりが可愛くて人のことなど考えていなかった。だからドラクルのことを考えてやることもしなかった。恨まれることも憎まれることも、当然の報いだったのだ。
 こうして、一つの玉座を巡って争おうとすることも。
「兄様、カミラ……シェリダン」
 シェリダンは言った。
 ローゼンティアの王になる気はないのか、と。
 そうすれば全てが収まる。今回の争いはもともとドラクルがエヴェルシードにおけるシェリダンと先代の王ジョナスとの確執を利用し、またローゼンティア自体も父とドラクルに確執があって、それらが重なり合って仕組まれた戦争だ。
 二つの国があるべき正しき状態へと戻れば、もう簡単に侵略だの何だのと言う言葉は出なくなるだろう。
 そして彼はローゼンティア内の混乱を治める継承権争いに際して、ロゼウスの味方をしてくれるのだという。
 さわさわと葉を揺らして庭園に風が吹きまた薔薇の香りが聞こえる。
 故郷とは違う薔薇。ローゼンティアの薔薇は死神の血に咲く花だから、もっと深く暗い。
 その薔薇を取り戻すことを、彼は手伝ってくれるという。
だけれどその時こそが、まちがいなくロゼウスとシェリダンの決別の時だ。