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視界は暗く閉ざされている。瞼を覆う布を取り払いたくても、腕が動かせない。
いや、腕だけではない。手首は後手に縛られ、足首も固定されている。口元にも猿轡を噛まされて、声を出す事ができない。
そうして、そんな無様な状態でどこかの部屋の床に転がされている。癪に障るのは、その床が粗末な石畳や土の上ではないということだ。この相手は、自らもそれなりの地位にあり、なおかつシェリダンのことも十二分に知っていてあえてこんなことをしているのだと改めて考えれば頭に来ないはずがない。
その相手が部屋に入ってきた。隠す必要もない足音を耳にして、尚更苛立ちが募る。シェリダンはあえて何も反応せず、相手がこの目隠しと猿轡を外すのを待った。目元の軽い圧迫感が消え去り口の方でも呼吸が楽になると共に、腕を縛る荒縄を引きつかむようにして上体を無理矢理起こされた。
「おはようございます、シェリダン様」
嫌味なくらいに……いや、間違いなく嫌味だろう、この状況にそぐわない清々しい笑顔でジュダは言った。
ジュダ=キュルテン=イスカリオット。
この国の伯爵であった男は、臣下のものとは思えない笑みを浮かべている。
「いい度胸だな。イスカリオット伯爵。国王である私を、このように扱うなど」
「おや? この状況でおわかりにならないのですか? ――シェリダン=ヴラド=エヴェルシード様。あなたはもう、国王ではないのですよ」
「――」
「今のこの国の王は、カミラ=ウェスト=エヴェルシード陛下です」
シェリダン=ヴラド=エヴェルシード、追放。
カミラ=ウェスト=エヴェルシード即位。
それが今現在のこの国の状況だと彼は言う。
シェリダンは目を瞠った。
あの時、王城に突然攻め入ってきた、紛れもなくこの国の兵。しかも指揮官は国民であるという以上によく見知った男で、そもそも体勢を整える暇もなかった彼らは、あっさりとその手に落ちた。
その時にカミラの姿を確かに見はしたが、直後に意識を失ったので詳細はいまだ知らない。
「馬鹿な……カミラだと? お前はそもそもカミラを裏切って私を王位につけたのだろう。そんなお前を、彼女が信用するものか」
「御高察はもっともですが、陛下……ではないのでしたね、もう。シェリダン様は妙なところで純真ですね。人間と言う生き物は、自らの目的のためならそれがどれだけ蔑み忌み嫌っている相手だって利用できるし、一度裏切ったはずの相手とだって改めて手を組むことができるのですよ」
頑是無い子どもを宥めるようにジュダは穏やかに言い、そうしてシェリダンの頬を撫でた。男の指に軽くおとがいを持ちあげられて視線が合い、その瞳に映る病んだ光の激しさにぞっとする。
「やめろ! 放せ! 私に何をする気だ! 王としての利用価値がないなら殺せば良かっただろう! 何故そうしない!?」
迂闊だった。自分が愚かだった。
イスカリオット伯爵の胡散臭さは本来のものだと、気儘すぎるくらい気儘に生きているこの男が今更誰かと手を組んでこのようなことを仕出かすとはよもや考えていなかった。
だが、カミラと手を組んでいたということは、この男はもともと――何もかもを知っていたということではないか!
「何故殺さない、って?」
ジュダは呆れたようにシェリダンを見る。可哀想なものを見るようなその目が、何よりもシェリダンには不愉快だ。
目隠しと猿轡こそ外されたが、いまだに手も足も拘束されていて、自由に身動きできない。上体を引き起こして支えるジュダの手さえなければまたあっさりと地面に這い蹲ることになるだろう。あまりにもこの状態は不利だ。
なんとか、何とかジュダの気を逸らし形勢を有利に持ち込まねばならない。
彼を睨みながらそう考えていたシェリダンは、続くジュダの言葉に呆然とした。
「そんなもの、あなたが欲しかったからに決まっているじゃないですか」
「――え?」
この男とは肌を重ねたこともある。
ジョナス王の第一子、それに継承権の優先される男子であるとはいえ、シェリダンの母ヴァージニアは庶民の出で血筋の高貴さを引き合いに出されれば貴族の母、正妃ミナハークを母に持つカミラとシェリダンは比べ物にならない。即位前、世継ぎの王子でありながらシェリダンが持っているのはただこの身一つであった。
何でもやった。玉座を手に入れるために。父の愛情が歪んだものでしかないと悟りきっていたシェリダンはその復讐だけを夢に見ながら、滅ぼすための国の王になるためになりふり構わず協力者を求めていた。
シェリダンの母にもとより憧れを持っている人間は少なくなかった。元から平民でありヴァージニア本人と知り合いであるバイロンのような人間を除けば、王が自ら見初めて攫ってきた娘の美貌に、手が届かぬと知りながら邪な気持ちを抱く者は多かったのだ。
シェリダンはいつからかそれを知り、慎重に相手を選んでこの顔で彼らを篭絡することを覚えた。母がシェリダンを産み、死んだのは十七歳頃。シェリダンは成長期途中の十五、六の時にはその母に生き写しであったから。
男色など貴族の嗜みの一つ。
だがそれを忌避する者も当然いる。だから誰彼構わず媚を売る事はなかった。慎重に相手を選び選び、それでもリチャードやクルスの助言を受けながら、着々と足場を固めた。
ジュダはその固められた足場の一つ。
八年前の事件がある以上、ジョナス王の治世下ではもう彼の再起は望めない。そんなこと望みもしない男ではあるが、彼にとっては父よりシェリダンが王についた方が都合がいいのだと。
八年前の事件、そして五年前のエチエンヌとローラの双子人形事件以来顔を合わせる機会もさほどなかったジュダがシェリダンに協力を申し出たのは、どこからかシェリダンが貴族の協力を得るために身体を売っているという噂を聞き付けて来たのだと言う。即位を手伝ってやるからその身体を許せ、と。
そのくせさして興味もなさそうな顔をして、この男はそう言った。
それ以来、時々顔を合わせては求めに応じて足を開く日々。無事玉座についた頃にはもう国内で叛意を持つ輩は粛清し、以前関係のあった者たちで図に乗った発言をする輩もまとめて処分した後で、シェリダンが何をしようとさして興味もない飄々とした姿勢でいたからこそこのイスカリオット伯は残っていたというのに。
玉座についてすぐに、臣下に異論を唱えさせない早さでローゼンティアに攻め入りロゼウスを攫って来た後も、ジュダとの関係を断ったわけではなかった。
なのに何故今になって。
「どういう、ことだ」
「どう言う事も何も、言ったとおりの意味ですよ? 私はあなたが欲しかった」
「ふざけるな! ならばわざわざこんなことをする必要はないだろう! カミラを王位につけるまでして、何が目的だ!」
「逆ですよ、あなたが欲しいからわざわざカミラ姫に玉座を差し出したのです。あなたを私だけのものにするために」
そう言った男の唇が近づいてくる。咄嗟に顔を背けることもできず、裏切り者の口づけを受けた。
「ん……んん!」
噛み切れた唇から血の味が滴る。
唇を噛み切ってやったジュダの方は、僅かに眉をしかめた。
「……そういう方とはまあ知ってますが、強情ですね、シェリダン様」
「あたり……まえだ!」
シェリダンはジュダを睨むが、彼は一向に相手にしない。苛立ちが募る。何だ、何が起こっている!?
「いいことを教えて差し上げます。シェリダン様。あなたが聞くのを怖がっていらっしゃる事柄を――あの時城にいた者たちがどうなったかを」
その言葉に。
思わず肩が揺れた。
シェリダンの動揺をあっさりと見抜いているだろうに何ら気にした風もなくジュダは告げる。
「ローゼンティアの王族たちは、かなり弱っていたようですがほとんどが脱出しました。銀廃粉まで使ったというのに、さすがにしぶとい方々ですね。双子人形とリチャードも一緒のようです」
銀廃粉。吸い込み身体の内側に入れればヴァンピルを腐敗させるというそれ。あの時、王城の広間に投げ入れられたのはそれか。人間であるシェリダンにとってはただの粉でしかなかったが、彼らにとっては。……だがエチエンヌたちが共にいるのであれば、少しは。
「バイロン宰相を初め、政府高官はそのまま残留です。まあ、これから従わない者はばっさりと切り捨てていくのでしょうが」
バイロンは賢い男だ。今ここで短慮を起こしてカミラに逆らい、自らの命を危うくするわけがない。それではシェリダンが戻って来たときに何の役にも立たないことなど、あの男ならわかるはず。
「バートリ公爵ですが、王城に来てあなたに会えなかった後、カミラ陛下の即位を認める様子もなく領地に引き返したそうですよ」
では、エルジェーベトは無事なのだ。もっとも彼女がそうあっさりと殺されるはずもないが。
「ユージーン侯爵の身柄は、こちらで押さえさせていただきました。まあ、功労者は私ではなくカミラ姫ですが」
「なっ……! クルスがカミラに!?」
負けた。あのクルスが? だが確かカミラはロゼウスの力によってヴァンピルの能力を手に入れたのだと。だとしたらそれも無理はなく……。
とりあえず、彼は生きているようだ。
そう考えながらもシェリダンは安心することなど到底できず、ジュダがもったいつけて最後に回したその相手の安否に関する言葉を待つ。
「そして、あなたの愛するロゼウス様は」
ジュダが口元を嗜虐の嗤いに歪める。
言葉を待つ間に緊張で、縛られた手足が酷く痛む。
「今回の簒奪の最大の協力者にして功労者である方――セルヴォルファス王ヴィルヘルム陛下に捧げられました」
驚愕と内腑を燃やす憤怒。
瞳は見開かれ目の前が深紅に染まった。
◆◆◆◆◆
「本当に強情だね」
ロゼウスはそう言ってくる相手を強く睨み返した。
「せっかくだから、ロゼウス王子自身の口から素直な返事を聞きたいなって思ったのに」
「こうして無理矢理攫ってきて、縛りつけて脅すことのどこが素直な返事を聞くための手段なんだ?」
手には銀の手錠、首にも銀製の首輪、その他にも魔力を封じる仕掛けがそこかしこに施してあり、ロゼウスは自由に動くことができない。
さすがにロゼウスたち吸血鬼ヴァンピルと同じく魔族である人狼ワーウルフは、対ヴァンピル用の装備や拘束具の備えも万全なようだ。シュルト大陸内ではヴァンピルとワーウルフ以外の魔族は存在せず、お互いが最大にして唯一の敵である自分たちは、いつ敵対してもいいように影で相手の力を封じるように備えている。
エヴェルシードでシェリダンにされた拘束のような、その気で破ろうと思えば破れる程度のものではなく、ロゼウスの動きを完全に封じる呪具の数々に焦りが募る。
しかも、ここはエヴェルシードではない。
「ご協力ありがと。ハデス卿」
「どういたしまして。ヴィルヘルム王」
「ハデス……! お前……っ!」
黒髪の少年が、無感動にロゼウスを見る。
エヴェルシードで、ドラクルたちに協力していたのを見て以来姿を表すことのなかったハデスがそこにいる。
冥府の王たる彼の魔術で、ロゼウスはエヴェルシードから一気に大陸北方の霊山、人狼の国セルヴォルファスへと連れてこられた。
最後の記憶は、銀廃粉で弱ったローゼンティアの兄妹たちと、王城に攻め入る兵士たち。その筆頭に立つイスカリオット伯爵。
そして、こちらに手を伸ばしたシェリダンの必死な姿。
咄嗟に掴もうとした手は、ロゼウスを抱え去ったヴィルヘルムにより叶わなかった。すぐにハデスが現れて、ヴィルヘルムとロゼウスをこの国まで空間転移させた。
「何かいろいろと、言いたいことがある顔だね、ロゼウス」
「当たり前だ! 皇帝陛下の弟であるお前が、どうしてこんな……」
「そうだよ。僕は皇帝デメテルの弟だ。だからこそのこの行動だよ」
久方ぶりに会ったハデスの瞳は、以前にも増して一層酷薄で澱んだ光を宿している。
「俺をエヴェルシードに戻せ! じゃないと、シェリダンが……っ!」
「エヴェルシード? ローゼンティアじゃなくて? へぇ。よっぽどシェリダン王に骨抜きにされたみたいじゃないか」
「ハデス!」
「僕がお前の言う事なんか聞くわけないだろ?」
こちらが動けないのをいいことに、ハデスは床に蹲るロゼウスの頬をそっと撫でた。しかし刃のように鋭い爪の先が頬の肉を抉る。ぴりりと痛みが走った。
ロゼウスの血に染まったハデスの爪は、銀緑のような不思議な色をしている。しかも、触られたときの感触が何かおかしかった。ロゼウスは気づく。
「その爪……違うな」
「ああ。ふうん。お前にはわかるんだ。――そうだよ。これは魔力を秘めた特別な爪。タルタロスの妖魔と契約を交わして手に入れた、特別なもの」
「何のために、そんなものを?」
「それは言えない。……けどそうだな、残念。せっかくこんないいものを手に入れたんだから、これでお前の後ろに指突っ込んで、中から内臓かき回してやりたかったよ」
刃物よりも鋭いそれでそんなことをされたら、痛いどころの話ではない。いくらヴァンピルだって確実に死ぬ。
「悪趣味だなー、ハデス卿」
「お前に言われたくないよ、ヴィル。この前まで遊んでた人間の奴隷はどうしたんだ?」
「あー。目抉って、両手足斬りおとしたらうっかり出血多量で死んじゃってさぁ」
人間って脆いからやだよなぁ、と、笑うヴィルヘルムの顔は、ロゼウスがこれまで見てきた誰よりも暗い狂気に満ちている。
ロゼウスが関わった人たちは多かれ少なかれ、皆何か重たい過去を抱えていた。その過去に苦しみ、痛みに嘆き、そうして失ったものを埋めるためにゆっくり狂っていった。
けれど彼は違う。
違うのだ。
何が、というのはまだよくわからない。けれどセルヴォルファス王ヴィルヘルム、彼は、今までロゼウスが出会った人々とはとにかく違う。
「ああ。でもそう言えば」
灰色の眼が、好奇の光を湛えてロゼウスを見た。
「ロゼウスは不死のヴァンピルなんでしょ? だったらちょっとくらい、乱暴に扱っても大丈夫だよねぇ」
気に入らない人形の手足を無惨に切り取る残酷な子どもの眼が、ロゼウスに向けられる。しかも、彼の眼は本気だ。本気で、その機会があったらロゼウスをばらばらにしようと考えている。
まずい。イヤだ。そんなことされたら――。
しかし救い主は意外なところから現れた。
「確かに丈夫だろうけどさ」
「あれ? なんか文句あるのか、ハデス卿」
「文句はないしむしろやっちゃえって感じだけど、ヴィルはそれだと困るんじゃない? ヴァンピルは出血に弱いから、手足斬りおとしたりなんかしたらロゼウス死ぬよ?」
お前じゃ生き返らせることはできないだろうし、とハデスは続けた。それを聞いて、ヴィルヘルムはロゼウスを達磨にすることは諦めたようだった。
「ちぇー。じゃあ何して遊ぼうかな。せっかく長年欲しかったものが、ようやく手に入ったのに」
「まぁ……それは」
衝撃が来た。
「がはっ!!」
前振りもなく、ハデスがロゼウスの顔を蹴り飛ばしたのだ。頬に灼熱が走る。
「流血さえしなければ、この通り頑丈だけど」
「ちょっと! 顔蹴るなよハデス! 観賞価値が下がるだろ!」
「いいじゃん別に。どうせすぐに治るんだから。ほら、さっき僕の爪で抉ったところだって、もう癒えてる。これ、普通の人間だと三ヶ月は治らないよう呪いかかってるんだけどね」
頬に痛みが走る中、ロゼウスはそんな悠長な二人の会話をぼうっとしながら聞いていた。
「あーあ。もういいよ、ハデス卿、用事終わったならとっとと帰れば?」
「帰るってどこに? 僕、もう姉さんと大喧嘩しちゃって皇帝領には戻れないけど?」
「……もしかして、セルヴォルファスに居座る気でいる?」
「文句あるの? 誰がここまで連れてきてやったと思ってる? 銀廃粉だって、僕のツテで手に入れたものだよね。イヤならまあ別にいいけど、そうすると僕は別の寝床を求めて、そうだなぁ、ロゼウスを探してるドラクル公なんかを頼りにしなきゃいけないよね。そうするとやっぱり、宿代代わりに情報提供は必要だろうし」
「ああもうわかったよ! 好きなだけここにいればいいよ!」
「ありがとうヴィル。で、ついでなんだけど魔力の補充をしたいから、ちょっと生贄三、四人ちょうだい」
「そんな簡単に集められるか!」
ハデスはこの国に残る……ドラクルはロゼウスを探してる……二人は本気で協力し合っているというより、何か目的のために一時的に手を組んでる感じだ……それに、ハデスがいう生贄とは……
断片的な言葉ばかりが頭に残る。
ぐいと髪を引かれて無理矢理顔を上げさせられた。
「まだだよ、ロゼウス。まだ話は終わってない」
「……ハデス……」
ロゼウスの髪を掴んでいるのは、ハデスだった。強く引き掴まれた髪がぶちぶちと音を立てて抜ける。頭皮に痛みが走る。
「お前は、なんで俺にそんな憎悪を向ける? どぅして、お前はいつもそんな目をして俺を見る? それに……」
ドラクルがロゼウスを憎むのは仕方がない。ヴィルヘルムに執着されるのも、気色が悪いといえばそうだけど、まあわかる。
けれど、ロゼウスとは直接関わりのないハデスに、ロゼウスはどうしてここまで憎まれているのか。こういう状況になる前に、ロゼウスはハデスに何か殺したいほど憎まれるようなことをしただろうか? まったく、覚えがない。
それに不思議なのは、ロゼウスが彼と、彼として出会った初めのこと。
「お前はエヴェルシードで、カミラの命を狙ったあの庭園じゃなく、ちゃんとハデスとして顔を合わせたとき……シェリダンを助けろと言った。あの時はお前とシェリダンが親しいと思ったからそう気にも留めなかったけど……どうして、お前はわざわざ俺にシェリダンを助け出させた」
ロザリーがシェリダンの叔父だと言うフリッツ=ヴラド氏の酒場、確か『炎の鳥と赤い花亭』とかいう場所で暴れていた時のこと。
その時は必死で気にも留めなかったけれど、今考えてみれば、あの状況はおかしい。予言の力と高い魔力を持つハデスが、どうしてシェリダンに降りかかる危機を容易く見過ごし、しかも自分でどうとでもなるはずの状況で何故自らシェリダンを助けなかったのか。
彼がシェリダンと敵対関係にあるというなら答は簡単だ。しかし、そうしたらロゼウスに彼を助けさせる意味もない。
けれど、あっけらかんとハデスは答える。
「簡単だよ」
黒の末裔に特有の、この世界の他の種族は持たざる稀有な黒い瞳が眇められた。
「お前に、シェリダン王を、お前たちにお互いに関して執着させるため。だって彼はお前の運命を握る鍵なんだから、彼と関わることでお前の運命は決まる」
「俺の、運命……」
この世のどんな闇よりも深い闇色の瞳が、ロゼウスを射抜く。
「そうだ。薔薇王子。焔王をいつか喰らって覇者となる、それがお前の運命だ」
ああ、そうか。彼は……。
「ねぇ、ちょっとハデス卿。あなたがどんな理由でロゼウスに執着してるかはともかくさ、それはもう僕のものなんだよ。気安く触らないでくれる?」
ヴィルヘルムの言葉により、ハデスはロゼウスの髪から手を離した。突然身体を支える手を失って、ロゼウスは情けなく床に倒れ付す。
「ま、いいさ。……じゃ、ヴィル、生贄のことよろしく。それじゃ僕は行くから」
「はいはい。部屋ね。案内させるから、ちょっと待っててってば」
拘束されたロゼウスを残して部屋を出て行く二人の少年のうち、黒い髪のハデスの背を、ロゼウスは湧き上がる複雑な感情を抑えきれずに見送った。