133*
伸びてきた腕が動きを封じる。
「くっ……」
そのまま捻りあげられて、手の中から毒を塗ったピアスが落ちる。
それにちらりと一瞥をくれてから、ジュダが憐れむような眼差しでシェリダンを見つめる。
「残念でしたね。シェリダン様」
「お前……、気づいてっ」
「これでも、伊達に何度も死線を潜り抜けてはいませんから」
シェリダンの腕を拘束し、動けないよう寝台の端に結び付けてからジュダは毒の入ったピアスを周りの毛布ごと拾い上げた。慎重に手で触れないよう運び、軽く衣服を身につけてから、小姓を呼んで指示を出す。
薄く開いた扉の隙間からピアスを包んだ毛布を差し出して、扉は閉じられた。
再び室内に静寂が満ち、シェリダンは寝台に戻ってくるジュダを睨む。
「無駄ですよ、シェリダン様。今更この私から逃げようなどと」
「無駄かどうかは、私が決めることだ。私は、お前と共にここで生きながら朽ち果ててやるつもりなどない!」
眼差しが交錯する。
「……そうですか」
ジュダはシェリダンの上にのしかかると、また呼吸ごと貪るように、唇を奪った。
「ん……っ、ふ、ぅ……!」
唾液が口の端から零れ、顎へと滴る。あまりに執拗に求められて、息が苦しい。
絡まる舌、交わす熱。
力では敵わないことはわかっている。だけれど、揺れる瞳の不安定さも知っている。
ジュダの精神は不安定だ。
だがそれは、シェリダンのせいではない。
最後に上唇をぺろりと舐めて、彼の唇は離れていった。
「はっ……」
やっと解放されて、息が上がっている。
呪うような言葉が、低く落ちた。
「こんなに愛しているのに……」
違う。
「違う、ジュダ。お前が本当にそう思っている相手は……」
間違っている。勘違いをしている。
「お前が愛しているのは、私ではない」
「……黙れっ!」
伸びた腕がシェリダンの首を掴み締め上げる。
ああ、そうか。ようやくわかった。
腕を縛り付けられていては、抵抗もできない。ぎりぎりと骨を軋ませて締め上げる手の感触を鮮やかに感じながら、瞼裏に赤い闇を見る。
――ロゼウスっ!
反射的に出てきた名前を、声にならない喉で叫びかけたところで、呼吸が楽になる。
「……っ、ごほっ、げほっ」
ふと我に帰ったように、喉首に食い込んだ指先が離れていった。解放されて咳き込むシェリダンの頬に、ぽたぽたと生温い滴が落ちる。
うら若き乙女ならばともかく、大の男が泣いたところで美しくもなんともない。なのに、誰が流してもその滴は熱く透き通っている。まるで硝子の脆さを象徴するように、ジュダの表情は儚かった。
「わ、たしは……」
目を細めてそれを見上げる。こちらの顔の脇に両手をついて悄然と項垂れるジュダの様子に胸にチクリと針で刺したような痛みが走るのを感じながら、それでも。
「ジュダ」
「……」
「ジュダ=イスカリオット伯爵。この縄をはずせ」
シェリダンの言葉にぴくりとジュダの肩が揺れた。
「拘束を解き、服を返せ。私をここから出せ。そうすればお前のこれまでの無礼、見逃してやる」
「……今更王でもないあなたが、私に命令ですか?」
「ああ。私はカミラによって玉座を追放されたかもしれないが、それでもシェリダン=エヴェルシードだ」
「王族と皇族の関係に比べて、王族とただの民の関係は弱いものですが?」
「ああ。だが」
それでも。
「自らに流れる血を否定することなどできない。その血に縛られることとなっても、自らを否定しきることなどできない。私も、そしてお前も。その柵の中で生きて行くしかできないのが人間であるならば、ジュダ……もうこれ以上惨めな真似は」
「黙れっ!」
なんとか起き上がろうとした身を、再び寝台に強く叩きつけられる。
横に流れた視線の先で、鈍く光を反射するものが目に入った。
「黙れ……っ、あなたに、あなたなどに何がわかる!」
「など、とは言ってくれる……っ!」
それがお前の本音か、と言えばジュダの顔が苦悩と煩悶に染まった。
シェリダンの言葉が水面に投じた石のように波紋を呼んで、嫌でも彼自身に彼の罪を自覚させる。誰しも逃れることのかなわない宿命を、刃の切っ先のように突きつける。
「あなたが……あなたなどに言われたくない! あなただとて、エヴェルシード王の血の宿命に縛られているくせに!」
「ジュダ!」
「子どもは親を選べない。そんなこと、今更言われなくともわかっている! 私だって、イスカリオット公爵の身分などいらなかった! あの人を失ってなお、こんな名前だけの称号を後生大事に頂いて生きていくなんて……!」
「そうか、そのためにお前は私に依存したのか」
「っ!」
「大切な者を失ってなお独り、生きていくことに耐えられなかったから……だから、堕ちたのか、狂気伯爵」
「……うるさいっ! いいからあなたは、黙って私の下で喘げばいいのだ!」
「断る」
ジュダの意識が逸れている今の内に、シェリダンは。
「はっ!」
なんとか腕を伸ばし、チェストの上に無造作に転がされていた刃を手に取って拘束を解いた。ある程度傷つければ、あとは腕の力で引きちぎりそのままジュダに刃を向けた。
「っ……シェリダン様!」
男の頬を紅い筋が走り、溢れて血が零れる。それに気をとられた腹部に、膝を叩き込む。ふらつく体ではさほどの威力は期待できないが、一瞬の隙となればいい。
眩暈を堪えて、寝台から飛び降りた。服ではなく布としか呼びようのないものを纏い、入り口へと走ろうとする。
腕を、掴まれた。さすがにこの程度の行動では、この男は出し抜けないと言う事か。
捕まれた手首に爪が食い込み皮膚を破る。強く引かれて、もともと本調子どころか連日の陵辱で弱っていた体は、呆気なく寝台の上へと引き戻される。
自分を押さえ込むジュダと目が合う。
その手に、先ほどシェリダンが彼に投げつけたナイフが握られていることを知る。
見上げたその場所から天井を塞いで移りこむ顔。今度降ってくるのは透明な涙ではなく、紅い血だ。
「そんなに……嫌ですか。私とはどうやっても相容れないと」
「……当たり前だ」
「そうですか」
魂の抜けたような調子で、ジュダはそう言うと今にも壊れそうな笑みを浮かべた。
いや、この時この瞬間、もはや彼は壊れていたのかもしれない。
「それならば……あなたがどうしても、私のものにならないと言うならば……」
シェリダンの力ではジュダに片腕で動きを封じられてしまう。残る片手で、彼は先ほど握り締めていた小刀を振り上げる。
もとからあの刀はこのためにあったんだな。今更に悟る。わざわざこの状況で、寝台脇に凶器となるようなものを置いておくわけがないとは思ったが。
そういうことか。
始めから、そうするつもりだったのか。
「そんなあなたは、いらない」
脇腹に灼熱感。
そして全てが暗転した。
◆◆◆◆◆
「本当にいいんですか? 王」
「いいよ。ちょっと手強いじゃじゃ馬だから、存分に痛めつけちゃって。ヴァンピルのタフさは保証するから」
「ヴィルヘルム……お前っ!」
「何? やっぱり対複数は怖いって? 今更だろ? 輪姦なんて」
こちらの体を押さえつける男たちの向こうから、にやりと薄笑いを向けてくるヴィルヘルムを睨む。
セルヴォルファスに連れて来られてから、どれだけ経ったのか。昼も夜もない荒野の断崖に掘られた城の中で、いいようにワーウルフたちの玩具にされている。
「ふざけるな……っ! 放せお前ら! 俺に触るな! どけ!」
「気の強い王子様だな。こんな可愛い顔して」
「体つきもまるで女だな、これは」
「ヴァンピルってのは面白い種族だよな」
群がる男たちは四人ほど。力で拮抗するワーウルフのこれだけの人数を相手にしては、ロゼウスでも抵抗できない。銀の拘束具こそ外されたけれど、四人に押さえつけられていては歯が立たない。
悲鳴のように布を裂く音がして、服が破られた。あらわにされた肌に、ワーウルフの長い舌が伸びる。
ざらりと胸の先端を舐められて、肌が粟立つ。
「お、いい反応するなぁ」
ニヤニヤ笑いと揶揄する口調に、頬に朱が上る。
「王、でもこれ、王の愛人でしょう? 本当にやっちゃっていいんですか?」
舌なめずりしながら屈強な男の一人が問いかけるのに、ヴィルヘルムは悠々と離れた長椅子に坐したまま頷いた。
「だからいいってば。そのままじゃ全然言う事聞かないから、ちょっと大人しくさせてよ」
ぼろぼろに犯して、ぐちゃぐちゃにして、誰の言う事でも従順に聞く奴隷にしてよ、と。
「やめろ! 放せ! ……誰がヴィルヘルムの愛人だぁ! ざけんな!」
聞き捨てならない一言に反応するが、誰も聞いちゃいない。
「はいはい、大人しくしてろよ、お姫様」
「ん――っ!!」
更に叫ぼうと開いた口に、ひとりの男が取り出したものを突っ込む。理不尽な暴力と不快な感触に素直に屈してやる理由もなく、躊躇わずに歯に力を込めた。
「ぎゃぁああああああああ!!」
「っ、このガキ!」
男のものが離れた瞬間、遠慮のない力で頬を殴りつけられる。
「げっほ、がはっ!」
「信じられねぇ! このガキ、噛み千切ろうとしやがった!!」
残念なことに、噛み切れはしなかったけど。これが普通の人間の男だったら落せていたんだろうけど、ワーウルフはそんなところまで頑丈だ。
表面だけ切れた時に出た血を吐き出す。いくら血を飲むヴァンピルで、魔族の血は飲めないとかそういうこととは関係なしにこんなもの飲みたくない。
押さえつけられた状態で強く殴られたせいで、頭が床に打ち付けられた。がんがんと痺れるような痛みが響く。血に咽せて息は苦しいし、もうさんざんだ。
このまま飛びそうになる意識を、髪を乱暴に引き掴まれることで戻される。
「あっ……がはっ……」
「やれやれ。駄目だな、どいつもこいつも」
「お、王! こんな奴さっさと殺し―――」
「俺の玩具に勝手なこと言うなよ。あ、お前。もういいから治療しにいってこいよ」
「ヴぃ、ヴィルヘルム王……」
「で、お前らはどうするんだ? さすがにヴァンピルの牙は鋭いからもうこっちの口は使わせられないけど。まだ下の口が残ってるけど?」
ヴィルヘルムは王と言うだけあって、他のワーウルフより力が強い。
周りのワーウルフたちに無造作に命じる様に、暗い気迫がある。
「う、うう……」
髪から手が放されると、支えきれずに体が床に落ちた。血に汚れた床に再び四肢を押さえつけられて、さらに服を破られてほとんど全裸にされる。
男たちの一人が、足の付け根に顔を寄せる。
「ああっ!」
「くくくっ、さっきのお返しって奴だろ? 食いちぎらないだけ、感謝しなよ?」
歯型がつくほど強く噛まれて、激痛に悲鳴をあげる。
ロゼウスの姿を嘲笑いながら、左手を抑えるヴィルヘルムが他の男たちに指示を出す。
「そいつは出血に弱いからあまり血は流さないように。さすがに屍姦の趣味はないだろ? それでもいいって言うなら、まあ、一度くらい殺しても生き返るからいいんだけど」
人がヴァンピルだと思って、勝手なこと言ってくれる。
「うっ」
憎まれ口を叩こうとした瞬間、新たな痛みに呻いた。後に、男の一人が指を入れている。
「ああっ! う、い、いた……!」
食いしばる唇に口づけながら、ヴィルヘルムが嗤う。払いのけたいのに腕は動かないし、痛みでそれどころじゃない。
「再生力が強いのも考え物だね。せっかく毎晩毎晩広げてやってるってのに、次の日には元通り。普通の人間ならガバガバで使いものにならなくなるのに、お前のお尻はいつも引き締まってて犯しがいがあるよ」
「や、やめ、ろ……苦し……」
男の指が、無遠慮に中をかき回す。濡らしてもいない指で荒らされる内壁が、強烈な痛みを訴えてくる。
「無理矢理入れてやりたいところだが、さすがに狭すぎるな。これじゃ入れる方が痛ぇわ。王、先にやりません?」
「なんで俺」
「この中であんたが一番小さ――すいませんごめんなさい余計なこと言いましたぁああ!! ごへあ!」
「……一人、戦線離脱しましたね」
男の一人がヴィルヘルムに暴言を吐いて部屋の隅まで吹き飛ばされる。
「まぁまぁ、気にするこたねぇよ。王様。この中であんたが一番若くて小柄なんだから。あれが小さいのも当然だろ?」
「うるさい! 余計なこと言うな!」
最初に一人、更に一人と抜けて、残った二人がさらに手足を拘束する手に力を込めてくる。
逃げを打つ腰を無理矢理押さえつけられ、足を開かされた。
「ああもう結局こうなるのか? せっかくお前らにも楽しませてやろうと思ったのに」
ヴィルヘルムが侵入してくる。
「う……ぁあああああ!」
他のワーウルフたちはそれぞれ、別の場所を弄ぶ。首筋を啄ばみ、下を弄りまわす。
「あっ……ふあ、ヒ、ぁああア」
ぐちゅぐちゅと粘液のかき回される音がして、圧迫感を訴える場所に、なんとも言えない感覚を伝えてくる。
「もう、や、めろ……!」
「はっ……」
絶頂に達したヴィルヘルムのものが中に出されるのを感じながら、同じく達した身体から力が抜ける。
「相変わらず、中は最高……」
「ふざけるな、この」
吐こうとした罵詈を横から伸びた手に封じられる。
「これ以上に酷い目に遭いたくないのなら、今の王にそれは言わない方がいいですよ?」
ヴィルヘルムの側近の一人に見透かされて言葉を押しとめられ、思わず眉間に皺が寄る。ロゼウスの嫌そうな顔を見て、ヴィルヘルムが笑った。
「別に今更このぐらいなんでもないじゃん。小さい頃からどうせドラクルに何度も強姦とか輪姦とかされてるんだろ?」
「うるさい」
黙れ、と、どうせ聞かないだろうと思いつつ声をあげかけたその時だ。
「今頃シェリダン王だってイスカリオット伯爵に手篭めにされてる頃だろうしさぁ」
「ヴィルヘルム!」
「なんだよ」
「シェリダンはイスカリオット伯に捕まっているのか!?」
「あ」
失言に気づき、ヴィルヘルムが咄嗟に視線を逸らす。
「シェリダンは俺と違ってまだエヴェルシードにいるんだな。それも、イスカリオット伯のところに」
「……だからどうしたって言うんだ? 居場所と相手がわかったって、お前にはシェリダン王を助け出せなんかしないよ。ロゼウス」
「そんなこと、お前に判断されるまでもない。俺が決めることだ」
「逃がすと思ってる?」
「止められると、思ってるのか?」
「言っておくけど、男どもに磔にされて足開いてるその姿で言っても説得力ないからな」
ヴィルヘルムの言葉が忌々しい。
だけどこれで、シェリダンの居場所はわかった。
向かう先はやはり、炎の王国エヴェルシード。ロゼウスは決意する。
絶対に俺は、ここから逃出してみせる。そしてシェリダンを――。