荊の墓標 25

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「おい、いたか!」
「それどころじゃねぇよ!」
 戻って来た男の一人が、その場に待機していたもう一人の男に尋ねる。けれど、返された言葉は、尋ねた男の予想範囲外の返答だった。
「は?」
「いや、なんか、イスカリオット伯爵閣下の城から同じように前国王のシェリダン様を探していたバートリ女公爵が出てきてな」
 女王の勅命をそれどころで片付けるほどの一体何が起きたのかと思えば、これまた予想範囲外の言葉を投げつけられる。
 ここはエヴェルシード王国イスカリオット地方。あっている。間違っても北方のバートリ領ではない。
「あ、あの……この国で間違いなく一番強い女剣士って噂の、ダチェス・バートリ?」
「そうだ。そのバートリ公爵がな、『あんたたちシェリダン様をどこに隠したのよ!』ってイスカリオット伯爵の城で何があったんだか、ムチャクチャ怒っててな。話しかけようとする兵隊が軒並み倒されて」
「げっ」
「なぁ、この辺りにシェリダン王様がいるって、カミラ女王陛下のお言葉、本当にあってんのか? あのバートリ公爵ですら見つけられないんだ。俺たちに探せなんて無理だろ。もう引き上げていいんじゃないか?」

 ◆◆◆◆◆

 こちらを探す兵士たちに出くわすたびに茂みや物陰に身を潜ませ、シェリダンはなんとかクルスと共に、イスカリオット城から離れた。
「バートリ公爵、大丈夫でしょうか」
「エルジェーベトなら、例えカミラに正面から罵りを受けても軽くかわすだろう」
 ジュダに渡された路銀だけを頼りに、シェリダンたちは兵士たちの目を盗みながら街道に出た。そこからいったん大きな街に戻り、必要物資を調達してから人目のないルートでどうにかこの場を離れねばならない。
 そもそも行き先さえ、はっきりとは定まっていない。
 ロゼウスを取り戻そうにもセルヴォルファスは遠すぎる。国内に留まってはどこにカミラの手が伸びてくるかわからない。だとするとどうにか国外へ逃亡しなければならないが、ではどこに潜伏するのがこの場合最も効率的だろう。
「シェリダン様。あの……」
 クルスが何か言いかける。シェリダンはそちらに顔を向け、けれどその瞬間二人して表情を引き締めた。
 囲まれている。
「……出て来い。何者だ」
 迂闊だった。遠目に見える兵士たちの姿にばかり気をとられて、近くに別の気配が寄ってくることを意識しなかった。
「へぇ。結構勘のいい兄ちゃんたちだな」
 ……国王の座にある時代に、もう少し治安に重点を置くべきだったか。シェリダンは今更にそんなことを少しだけ後悔する。イスカリオット地方はそれでもジュダが気まぐれに盗賊の摘発をするせいなのかおかげなのか、追いはぎは少ない地方だと思っていたのに。
「有り金全部置いてけよ……って、なぁ、お頭。この二人凄い別嬪さんだぜ」
 シェリダンたちを取り囲んだのは大柄な男十人ほど。その内の一人が、こちらを見て素っ頓狂な声をあげる。しばし彼らの中で、感心するような空気が広がった。一体何に感心しているのやら。
「ホントだな。たいして力もなさそうな細いガキ二人じゃ売れるものも売れねぇと思ったが、こりゃあ思わぬ収穫だ」
「確かに労働力としての奴隷にはならねぇだろうが、道楽貴族の玩具には充分なりそうだよな」
 街道で出会った盗賊たちは、シェリダンたちを見て舌なめずりする。
「……シェリダン様」
 クルスが小さく声をあげた。美少年然とした細い眉が困惑したように下げられる。
「これだけお綺麗な面してるなら、金持ちで物好きなババアに売れるなぁ」
「そうだな。ああ、奴隷好きで有名なバートリ地方の女公爵様なんてのはどうだ? 最近ちょうどこっちの方に移動してきたんだろ? 面白がって買ってくれるかも知れないぜ」
 いや、それは無理だ。
 バートリ公爵、女性の方が好きですからね。
 女公爵の知る人ぞ知る同性愛嗜好に思わず半眼になるシェリダンたちを気にも留めず、盗賊たちは勝手な算段を立てていく。
「まあ、そういう細かい話は後にしようぜ。この坊ちゃんたちなら、相手が女だろうが男だろうが、きっと高値で買ってくれるだろうからよ」
 彼らの所持している現金よりもむしろ奴隷として売り払うほうに目的のいった盗賊たちが、次々に得物を取り出す。シェリダンとクルスも、それぞれエルジェーベトとジュダから譲り受けた剣を構えた。
「小僧にしちゃいいもん持ってんじゃねぇか。けどよ、どうせ見かけ倒しだろ?」
「さぁな」
 シェリダンは薄く笑みを浮かべ、横目で確認を取るクルスに小さく頷いてみせる。
 もうカミラのかけた追っ手の兵士たちの姿は近くには見えない。
 存分に暴れろ。
「相手は細っこいガキ二人だ、やっちまえ!」
 そして、白刃が閃いた。

 ◆◆◆◆◆

 ああ、やっぱり、というか、予想通り、というか、常套的展開というか。
「で?」
 大輪の花を思わせる鮮やかな笑顔を浮かべ、シェリダンは目前に一列に跪く盗賊の男たちへと問いかけた。
 ついでに、そのうち数人のいまだ意識を戻さずに目を回している盗賊は、シェリダンの「椅子」となっている。つまりはのびた男たちを積み上げてその上に座っているわけだ。
「私たちに何か言う事はないのか?」
 軽やかなその問に、男たちは大合唱。
「「「申し訳ございませんでした!!」」」
「はっ! この鍛錬不足の腰抜けどもが」
「「「女王様!」」」
 いえ、この方はこれまで国王をしていらした方で女王というと現在は簒奪をおこなったカミラ姫がそうなわけですが。クルスは思った。
 しかしそんなことは構わず、シェリダンと盗賊の話は続く。
 街道にて十数人の男たちに囲まれたシェリダンたちは、剣を抜いて応戦した。結果は圧勝。シェリダンは国王陛下で、本来なら守られる立場にある人間だが、剣の腕も一流だ。
ロゼウスも一流の剣の使い手で、その実力はシェリダンに拮抗する。二人の交流を深めるのが剣術とは、微笑ましいような恐ろしいような……。
 それはともかく、今はこの盗賊たちをどうするかだ。
 この人数の内半分はクルスが倒しだ。クルスもこれで一応軍事国家の侯爵を務めていた人間なので、生半な相手には負けはしない。お役に立てたようで、よかったです。と笑う姿は天使だが、その行動は悪魔である。
 始めはこの人数を相手に、問答無用で伸すなどして足が着いたら嫌だな、と不安になったのだが、結局は一応生かして後で最大限に利用するというシェリダンの言葉に頷くことにした。
「たかだか貴様ら程度の腕で、よくもこの私に喧嘩を売って来れたものだ」
「「「申し訳ございません」」」
 シェリダンは喋る蛙でも眺めるような、冷たい眼で盗賊たちを見下ろしている。累々とした屍(生きている)に腰掛け、その長い足を組み、気だるげにふんぞり返ったその姿は確かに女王様と呼びかけたくなる気持ちもクルスはわからないでもない。
 訂正、入れた方がいいのだろうか。なんだかシェリダン自身があんまり気にしていなさそうなのだが。
「シェリダン様、女王様呼びはよろしいので?」
「まあ、今更だからな」
「今更?」
「ああ。即位の前に、貴族の協力を募ったことがあっただろう。中に一人、『犬と呼んでください!』という奴がいてな……」
「そんなことしてたんですか」
 即位の後ろ盾を得るため、何でもやったとは聞いていましたが……そっちですか。クルスは少し複雑な気分になった。シェリダンに、というよりは彼にそれを要求したのって誰だ。
 確かにシェリダンなら、跪く男を笑顔で足蹴にするなど容易いことだろう。現に今だって。口元に薄っすらと笑みを浮かべつつ男たちを見下ろしている。で、こいつら何に使おうかなーと今まさに思案中の表情である。
「あのー」
「なんだ。私は貴様如き下賎に発言を許可した覚えはないぞ」
「も、申し訳ございませんでした! 国王陛下!」
 あれ、女王という言葉が抜けたなぁ、と思った瞬間、男たちは地面に頭を打ち付ける勢いでもう一度頭を下げた。これが所謂土下座というもので、ガン、ガン、と次々に地面に額を強打する良い音が響く。
「前国王陛下、シェリダン=エヴェルシード様!」
「あれ?」
 いつの間にか、シェリダンのことがバレている。
「あのぅ……さっき城の兵士たちが探してた、逃亡したっていう先代国王……様、だろう……じゃねぇや、ですよね?」
 盗賊の一人がおずおずと、慣れない丁寧語で話しかけてくる。
「あれ? じゃないだろう。クルス。もともと私を『シェリダン』と普通に呼びかけたのはお前だ」
「あ……申し訳ございません。偽名でも考えておいた方がよろしいでしょうか」
「ああ。だがその前に、この事態の収拾だな」
「そうですね」
 こういう場合、正体を知られてしまった相手をどうするかというと。
「じゃあ、手っ取り早く確実に殺しますか」
 先程は手加減して相手に傷一つ負わせずに鞘に収めた剣を、もう一度抜く。
「えーと、こういう場合どうしたらいいのでしょうか。首をそのまま跳ねたら剣筋でまた足跡が辿れてしまいますよね。盗賊にでも見せかけて逃げるには……でも相手が盗賊ですし、こういう相手を殺して金品を奪う盗賊というとどういう殺し方になるのでしょうね」
「「でぇえええええ!!」」
「た、頼む! 命だけは見逃してくれぇえええ!!」
「お願いしますだ――!!」
「オラたち、ただちょっと旅人から荷物はいだり人買いに売っただけで、まだ誰一人殺してねぇだよ――!!」
 クルスが剣を片手に下げて近寄ると、盗賊たちは途端に恐怖の表情で後ずさりした。口々に喚き散らし、泣いて命乞いをする。
「クルス、お前、加減という言葉を知らないのか?」
「え? していますよ。まだ一人も殺していないじゃありませんか」
「だからと言って、この下でのびている連中は全員先程お前が相手をした奴らなのだがな」
 ……それを座布団のように御尻の下に敷いているシェリダン様に言われるのもどうかと思いますが。
「た、助けてくださるのですか……?」
「……」
 盗賊の問にシェリダンは無言で応える。その反応にますます彼らの顔は引きつった。
 そして、その目はクルスの方へと向けられる。
「残念ですけど」
「そ、そんな!」
「だってあなた方盗賊でしょう? ただの民ならともかく、国に税金を納めていない人間を国民と認めるわけにはいきませんからねぇ」
「そ、そんな殺生なぁあああああ!!」
 だってそれが現実ですし。
「待て待て、冗談だ。クルス。剣を収めろ。殺しはしない」
「あれ? 冗談だったのですか?」
「……本気だったのか?」
 シェリダンが胡乱な目つきでクルスを見る。
「お、思い出した……クルスって、クルス=ユージーン侯爵だ……あの悪魔みたいに強いっていう……」
 盗賊の一人が、涙目でクルスを見つめます。そうなのですか? 僕、悪魔のような強さだなんて呼ばれているのでしょうか。イスカリオット伯は狂気伯爵、バートリ公爵は殺戮の魔将と呼ばれている事は知っているのですが。
 何かが決壊したものか、盗賊たちのほとんどが腰を抜かし、地面に突っ伏して泣き始める。
「うわーん!! もうこんな暮らし嫌だぁあああ!!」
「親分! オラ、もういいだ! 百姓に戻る―――!!」
「一月に二度もこんなことがあるなんて、盗賊なんて割に合わねぇよ――!!」
「泣くなぁああああ!!」
 泣き出した男たちの話をなんとはなしに、聞いていると、どうやら彼らはもともとは百姓だったようだ。
「こんなことぐらいで弱音吐くんじゃねぇ! お前ら! どうせフラニア伯の土地に戻っても、ろくに稼ぎなんかねぇだろうが!」
 フラニア伯……ああ、あの。
「がめついって有名な伯爵ですよね」
 このイスカリオット地方の隣がフラニア地方だ。
「ああ。自らの所領の民から法外な税金を吸い上げては着服しているという。一度摘発したはずなのだがな。その後は改めるよう監視を設けたのだが、何故また?」
「陛下がお代わりになってからですよぉ~」
「カミラ姫様が国王になってから、フラニア伯の横暴な取立てがまた始まったんだす……」
「……フラニアはカミラの支援者の一人だからな」
 確か、フラニア伯爵はシェリダンが国王になる前、王太子時代から税の取り立てのことでシェリダンを目の仇にしてい。シェリダンがジョナス王にそれを見直すように進言したのを知って、カミラの後見として名乗り出たのだ。
 今回カミラが玉座に着いたことで、また調子づいたに違いない。
「なんというか、それはまぁ……」
「……多少は責任を感じないでもないが」
「しかも陛下を探す兵士たちがうろうろしてるせいで、盗賊稼業もろくにできないし」
「いや、それについてはさっぱり責任など感じない」
 強盗は犯罪だ。クルスもここまで来るにはいろいろと盗みを働いたので、人のことは言えないが。。
「それにこの前は、なんだかやたら綺麗なお姉ちゃんたちがいっぱいの集団が通ると思ったら、それがほとんどヴァンピルでやたら強いし~~」
「待て!」
 やたらと綺麗な女性連れ、しかもヴァンピルだなんて。
「それって、ロザリー姫たちですか!?」
 思わぬ情報を得たシェリダンとクルスは、今度は先程とは全く異なる強さで盗賊に詰め寄る――。