荊の墓標 26

149*

 昔を思い出す。
 あの後随分、俺を悩ませてくれた記憶。他にも辛い事はいろいろされたけれどそこまでくれば立派にもう心の傷だと訴えでてもいいくらい、嫌だったこと。
 なの何故だろう。
 あの時と状況は違うのに、今の方がずっと、胸が痛い。

「ん……」
 肌に痕をつけようと、首筋に唇が吸い付いてくる。ちくりとした痛みを伴って、それは何箇所も鎖骨や胸の上を彷徨う。
 心臓の上の尖りを乱暴に抓まれ、膝を相手の膝で割られる。全部感触があってから初めてわかることで、それまでの緊張が並じゃない。
 視界は布で覆われている。腕は拘束され、他の箇所も鎖で繋がれて身動きがとれない。そもそも視界が塞がれているのだからロゼウスは簡単に動くわけにはいかないのだけれど、裸の肌に直接触れる金属の冷たさが恐ろしい。出血こそ止まったものの、肩の傷はまだ痛んでいる。
「あっ……ひ、ァ……っ」
 いつもより執拗に時間をかけて、ヴィルヘルムの手が愛撫とも言えない愛撫に没頭する。
「あ、うぁ……」
「もっと色っぽい声出しなよ」
 快楽ではなく苦痛を与えるような触り方をしておいて、彼は無茶なことを言う。胸元に熱い吐息を感じたと思った瞬間、さんざん指先で弄られてきた乳首が濡れた柔らかなものに触れられる。舐められたのだ、と気づく頃にはカァ、と頬に血が上る。
「顔が赤いよ? こんなこと、今更でしょ」
「う……うるさい」
「ふーん。まだそんなこと言ってられる余裕あるんだ」
 前触れもなく、先ほど傷ついた肩口に衝撃が来た。治りかけの場所をまた突かれて、一瞬衝撃に息が止まる。
「……っ!!」
「あはははは。声、我慢しなくていいのに。喘ぎ声もいいけれど、やっぱり聞くなら悲鳴が一番心躍らせる」
 挑戦的にそんなことを言われたからこそ、悲鳴だけはあげるまいと唇を噛み締め息を詰めて耐えるロゼウスに構わず、ヴィルヘルムはさらに手を滑らせた。片方の乳首を甘噛みしたまま、右手を内股に差し入れる。足の付け根を乱暴にまさぐられて、背筋に冷やりとしたものが走った。
 指先がゆるゆると、それに触れる、先端を爪でツウと撫でられて、詰めていた力が身体から抜けていく。
「はッ……や、め……ッ!」
「ないよ? やめない」
「ああっ!」
 熱い手のひらにキュッと握りこまれて、嫌でも身体が反応した。丁寧に指で扱かれるその感触に、意識が集中する。
「快楽に弱い身体だよねぇ。ロゼウス。どんな男相手にだって乱暴されて感じられるほどの、呆れるほどの淫乱だ。無理矢理お前を抱いた奴はみーんな喜ぶだろうねぇ。こんなことしても、感じてもらえるんだって」
 陵辱にはまりそうだよね、歌うように軽やかなその口調に嫌な予感を感じる暇もなく足を広げさせられると、後ろにいきなり指が突っ込まれた。
「―――ッ!!」
「ああ。これでもやっぱり悲鳴はあげないんだ」
 慣らしも濡らしもしていないその場所に、ヴィルヘルムは乾いた指を無理矢理差し込んだ。まだ切れてはいない内部で、無遠慮に動かす。一本、二本……三本目も無理矢理挿入する。
「ぐ……」
「さすがに狭いか。俺が痛い思いをするのは嫌だし」
 勝手なことを言って、彼は後ろから指を引き抜いた。圧迫感が消えてもずきずきとした痛みの残るその場所を放って、今度は再び前へと指がかかる。
「ふぁ……!」
「んー、ひもひいい?」
 見えないから心の準備もできないのに、いきなり自身を柔らかな粘膜に包まれる。ロゼウスのものを口で含んだヴィルヘルムが、舌を絡ませて刺激を与えてくる。
「ん……」
 熱に潤んだような声をあげて、口での奉仕とも言えるその行為を続ける。熱心な舌に下腹部に溜まった熱は追い上げられて、無理矢理その欲を吐き出させる。
「ッ」
 目隠しで塞がれた視界が真っ黒から真っ白になった。しかし吐精の余韻に浸る時間は短く、ヴィルヘルムの舌打ちと共に我に帰る。粘性の液体を舐める生々しい水音だけを聞かせて、頬に汚れた手が伸びた。
「……今度は俺の番だね」
 酸素を求めて喘ぎ、薄く開いていた唇を無理矢理開かされ、彼のものを突っ込まれる。
「んんッ!」
「ちゃんとやってあげたんだから、そっちもちゃんとやってよ。気持ちよくさせてくれたら、少しは丁寧にヤってあげるから」
 ヴィルヘルムの望みを叶えない限りこの状態から解放されることもないだろうと、仕方なく舌を動かし始めた。
「はッ……どうせ、これも……ドラクルやシェリダン王に教えこまされたんだろ……? やたらと上手いじゃないか……」
 手錠で繋がれた手で根元を扱き、じゅぷじゅぷと唾液を絡めた先端を舌先で弄って相手を絶頂に追いやる。前髪を掴まれ、喉奥をいきなり突かれた。
 溢れた苦い液体を、飲み下せずに思わず吐き出す。
「が……けほッ」
「は……」
 ヴィルヘルムが頭上でくすりと笑いを零すと、ロゼウスの口元を汚すその滴を指先で掬い取った。
「遊びはおしまい」
 熱に浮かされた声と共に、その濡れた指が先ほどは無理矢理暴かれた後ろに差し込まれる。潤滑油代わりの精液の助けを借りて、こうした行為に鳴らされた場所は今度はあっさりとそれを受け入れた。
 グチュグチュと音をさせて、ヴィルヘルムが中で指をかき回す。直腸を擦るその動きに、いちいち翻弄される。
「アッ…………!」
「ここ?」
 最も敏感な場所を探り当てられて、零れ落ちる声は平生の自分より高くなる。その場所ばかりを刺激されて、一度弛緩した身体にまた熱が篭もり始めた。
 頃合を見計らったヴィルヘルムが中をかき回していた指を引き抜く。
「……いくよ」
 律儀に耳元で囁いて、指とは比べ物にならない質量のものを挿入した。
「ああっ! ヒ、ぃ……ッ」
「あっつ……でも」
 でも、と。何かを言いかけて結局口を噤んだヴィルヘルムが、有無を言わさず腰を使い始める。
 後は怪我の痛みも身体を繋げる行為の快楽も塞がれた視界の不安も何もかもが真っ白く真っ黒く溶けて、全てがわからなくなっていった。

 ◆◆◆◆◆

 こぽ、こぽり。
 水の音がする。
「ああ、なんだ、またここに来たの?」
 誰かがくすくすと楽しげに囁きかけてきた。その声には覚えがある。その口調には覚えがある。どちらも慣れ親しんだ、自分自身のものだった。
 けれど少し違うのは、彼は俺が気づいていないことまでも突きつけること。
 ――お前は自らの涙で溺れかけている。
 かつてそうロゼウスにつきつけてきたその声が、夢の中で頭に響く。
 そう、これは夢だ。
 俺自身の夢の中だ。
 透明な水に満たされた世界。空も地面もないのに、ロゼウスはそこに立っている。
 こぽりこぽりとどこかで泡が生まれては消えていく。水の中、魂がたゆたう音がする。
 精神世界とでも言えばいいのか。ここはロゼウスの夢の中。そして心の中なのだと。
「そういうこと」
 もう一人の自分が笑う。
「……誰だ、お前は」
 姿はない。声だけが聞こえてくる。それに不満を覚えて険を含む誰何の声をあげれば空間そのものがさざめいた。
「人の陣地に勝手に侵入してきたくせによく言う……」
 声はくすくすと笑う。
「これでいいのか?」
 声に形が伴う。目を擦る間もない一瞬後、そこにその存在は現れていた。
「俺……?」
 声が同じ。口調が同じ。だからその姿が似ている事だって別段驚くほどでもないだろうに、それでもやっぱり自分と同じ顔が目の前に現れれば驚くのは人情というもの。
 目の前に現れたのは、間違いなくロゼウスと同じ顔の生き物だ。
 けれど、何かが違う、どこかが違う。とても似ているのに、微妙に差異が発見できる。
髪の長さは向こうが短く、身長や体格は多少向こうの方が男らしい。
 そして衣装は、古い時代の鎧のようなものを着ている。まだ何も知ることなくローゼンティアでそれが当然だと王城で暮らしていた頃、歴史の勉強中に本で見た古代の兵士の姿そのものだ。
 ……顔がロゼウスとそっくりなだけに、凄まじく似合っていないが。
「悪かったな。だからって鎧の一つもつけなけりゃ、戦場ではすぐ死んじゃうだろ?」
「戦場?」
 心の中で思い浮かべただけのことなのに、相手はきっちりと文句を返してきた。当然だここは精神世界で、自分たちの心は複雑に絡まりあい繋がっているのだから。
 それでも、相手の考えている事はわかるのにその素性事情背景が掴めない。どこから派生したのか推測できない言葉の羅列に、思考が役目を放棄したがる。ああ、なんだこの状況。
「ロゼッテの奴には最期の最期でしてやられたけど、俺もこれでもゼルアータの将を討ち取った英雄だからね。世界の支配者になることを望んだわけじゃないけど、さすがにあの最期は酷いとは思わないか?」
 ねぇ、と彼は笑いかける。
 ロゼウスと同じ、ヴァンピルの紅い瞳。
「はじめまして、ロゼウス=ローゼンティア。俺の名は―――名乗る必要はないか。お前はここで眠るんだから」
「え?」
 突然の宣告に、ロゼウスは目を瞠った。眠る? いきなり何を言っているんだこの男は? そもそもこの世界は夢の中ではないのか?
「そういうことじゃなくってさ」
「じゃあ、何?」
「お前の器を俺に貸してってこと」
「……どういう、意味?」
 嫌な予感がする。
「その身体を明け渡せロゼウス。そうすれば俺が、お前の欲しい物は全部手に入れてやる」
「身体を、明け渡すって……」
 冥府には確か、憑依系の魔物にそんな能力を持つ魔物がいるのではなかったか。けれど、どうして。それはどういう意味だ?
「どうもなにも、そのままだよ。俺はその気になれば、お前の身体を奪って使うことができる」
「だって、そんなの……」
「もともと、俺とお前は同じ人間だ」
「え?」
 ロゼウスと同じ顔をした、古代の自称英雄はうっそりと笑う。
 その笑顔がどこか恐ろしくて、ロゼウスは咄嗟に声が出てこない。なんだろう、夢の中だと言うのに、身体が重い感じがするのは。
 このままでは、大事な何かを奪われてしまう気がする。なのに、足が動かない。逃出したい。逃げられない。
 ふと、身体に激痛と鈍痛が同時に走る。肩と下半身が、それぞれ別の理由と酷さで痛む。
 ロゼウスの方は動けないのに、向こうは平然とした顔でロゼウスへと近づいてくる。両手を伸ばして、そっとロゼウスの頬を挟みこんで視線を合わせた。
「可哀想に、ロゼウス。お前はもう傷つかなくてもいいんだよ?」
「な……何を……」
 思わせぶりなことをいい、薄暗い笑みをはきながら近寄ってきたから何をされるのかと思えば、相手は優しく囁いた。
「この肩の傷も、犯された部分も痛いよね? お前の人生は苦難ばかりだ。もっと抵抗してもいいんだよ? そうやって聞きわけのよい振りして自分を誤魔化していたって、どうせ最期には裏切られてしまうんだから」
「裏切られる? ……誰に」
「この世のあらゆるもの全てに」
 彼は全てを悟りきったかのような笑みを浮かべた。
「ねぇ、だからロゼウス。その身体を俺に頂戴?」
「いや……」
「俺がお前の代わりにその身体で生きてあげる。俺が、お前の代わりにお前の愛しい人まで、手に入れてあげるから。あの時はもう失敗したけれど、今度はもう下手は打たない。ねぇ、だから、その器を俺に頂戴?」
「いや……いやだ!」
 身体の痛みが酷くなる。相手の囁く声が、目に見えない圧力となってのしかかってきた。
 片腕だけ捕まれ、膝から下は力が抜けて相手に縋りつく形になる。全身が酷く重く気だるい。そのロゼウスに、相手はこんなになっても極々優しい調子で話しかけてきた。
「ねぇ、『可哀想』なロゼウス? お前はもう無理しなくていいんだよ?」
「無理なんか、してない……」
「じゃあ、その傷は何?」
「き、ず……?」
 示された肩には、鋭い何かで抉られたような傷がある。
「それに、その身体。自分で自分の姿を見てみなよ。どんなに惨めな姿をしているか」
「え……・」
 反射的に自らの姿を確認すれば、肌には紅い鬱血痕が残されていた。そして、そうと意識して見れば下半身にぬるついた感触がある。身体の奥が、ずきずきと鈍く痛みを訴えてくる。
「かわいそうに」
 ロゼウスを縛り、呪うように声は降って来る。
「傷つけられて犯されて、辛かったでしょう?」
 辛い? 辛かったのか? 俺は?
 夢を見る前を思い出す。壊れかけの灰色の瞳が瞼に浮かび上がってきた。そうだ、ヴィルは……
「覚えていなくて良いんだ。そんな辛いことは」
「なんで……」
「俺がお前を解放してあげるから。大丈夫。お前の願い『も』ちゃんと叶えてあげる。最終的にはちゃんとあのエヴェルシードの少年を与えてあげるから、だからしばらくそこで大人しくしていてよ」
 エヴェルシードの少年。その言葉に、朱金の瞳が甦ると共にハッとこれまでのことが朦朧とした頭と疲れた身体に浮かび上がってきた。
 ヴィルヘルムに傷ついたまま抱かれて失血で意識を失って。なのに俺はどうしてこんなところにいる。こんな状態になっている。
 多くの血を流すと、ヴァンピルには困ったことが起きる。
 自我の喪失。命を守るために本能が勝手に目覚めて殺戮を行う。自分が自分でなくなる。そんな危機的な状況に今まで陥ったことがなかったからこれまでこんな経験をしたことはなかったけれど、ひょっとして今がその時なんだろうか。
 自分は死にかけていて、それを何とかするために狂気の人格が交替しようとしているのか。
「な、何を……っ!」
 腕を掴む夢の中のもう一人に狼狽し上ずった声で尋ねるが、答えてくれない。ただ歪な微笑だけが返る。
 こぽり、と涙の湖に小さな泡が生まれて消えていった。水の中で窒息しそうになる。溺れる。駄目だ。ロゼウスはまだ何一つ。自分の力で果していないのに。
「いいじゃないか、別に。ちゃんと頑張ったところで、誰に褒めてもらえるわけでもなし」
 なんとか身体に気合を入れて意識を保とうとするロゼウスに、けれど彼はやはり甘い誘惑を吹き込んだ。
「眠っていればいいんだよ。ロゼウス。そうしてお前が目覚めた暁には、きっとお前の望みどおりの世界が広がっているから」
「そ、そんなの……」
「できるよ、俺なら。だって俺は――」
 二度目のその名乗りあげは、ロゼウスに深い困惑と、そして微かな絶望をもたらす。
「だ……めだ……」
 勝てない。敵わない。俺の力では。
 このままでは、自分の力を、ロゼウスという存在の全てをこの魂に奪われる。駄目。そんなの――。
 悲鳴をあげた精神とは裏腹に、残された最後の意識が闇に沈もうとする。眠れ、眠れ、と耳元で穏やかに誘われ続ける。
 自らを支えてくれる名を呼んだけれど、音にはならなかった。