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違うのに。こんなことしたくなんてなかったのに。叫ぶ俺の心の奥で、誰かが――もう一人の自分が囁く。
――本当に?
――だってお前はあの王が邪魔だったのだろう。だから排除した。自分の道を塞ぐものだから。それだけだ。今更何を嘆く事がある。
――忘れるなロゼウス。お前は俺で、俺はお前だ。俺の行動は全て、お前の心の底の願望と表裏一体なんだよ。
もう一人の自分の名は、シェスラートと言うのだと知った。
――さぁ、お前が起きているのもそこまでだ。もう一度俺に身体を渡せ。そして俺は……。
またゆっくりと意識が眠りにつく。
◆◆◆◆◆
黒い大地に雨が降る。
流された血を洗っていく。
氷の針のように冷たい、刺すようなその雨。老体にはもちろん、若い者にも堪える。
惨劇の舞台となった中庭で、数人が向かい合っていた。彼らは足元に転がるその国の王の屍に沈痛な眼差しを投げながら、その瞳には憎悪はなく、理性とそれをもってしてもどうにもならぬ諦めが浮んでいるだけだった。
落ち着いている、けれど疲労しきった顔の老人たちが、この場へと訪れていた。
「お引き取りください、ローゼンティアの王子殿下」
セルヴォルファスの大臣たちに言われ、彼は数度瞳を瞬かせた。
「いいのか? 国王殺害犯をそんなあっさりと解放してしまって。それとも、後からグッサリ行くつもりか? だったら前もってこんな風に声をかけるのはやめた方がいいと思うけど?」
彼の言いように、大臣たちの幾人かは眉を潜めた。ヴィルヘルムの生死にも衝撃こそ受けたもののさほど悲しんでいる様子のないその数人が激昂しかかるのを、老齢の長のような貫禄を持った一人が止める。あとの者は、大人しく項垂れて跪いている。
「我らがセルヴォルファスの国王陛下は、お一人で中庭に出向いた際、不幸な事故に遭われたのです」
代表の大臣がそう言った。彼は目を瞠る。意味を飲み込むと同時に口の端を吊り上げ、嘲るように彼らを見下した。
「俺の罪をなかったことにしてくれるって? どういう風の吹き回しだ?」
「あなた様のためではございません。ヴィルヘルム様のためです」
「は! 一国の男王が男相手に骨抜きにされて結果的にその相手に殺されるなんて国の恥だって?」
「そうです。あなた様の名誉など我等には関係ありませんが、ヴィルヘルム様のことは別です。あの方の所業をなかったことにするかわりに、あなた様がこの国にいらっしゃった事実も消しましょう。良い取引だと思いませんか?」
「ああ。思うよ。随分とまぁ、言ってくれるじゃないか」
彼は口元に先ほどと同じく皮肉な笑みを浮かべた。この城の人狼の手勢程度に負けるつもりは毛頭ないが、戦わずにさっさとこの国を脱出できればそれに越したことはない。
「わかった。取引は成立だ。俺は何も知らない、何もやっていないし、何もされていない」
「そうです。それが、全ての者のために一番良い選択でしょう」
「ああ」
そうなれば、もうこんな国に用はない。彼は大人しく側に控えていたロゼウスの選定者ジャスパーを促し、踵を返す。
しかしその背に、先ほどの大臣のしわがれた声がまたもや追いかけてきた。
「いくら人が罪をなかったことにしても、実際にその罪が消えるということではありません」
振り返らないままに、彼は足を止める。
「……へぇ。だから何だ。貴様等は俺を恨むと言う事か」
「はい。お恨み申上げます。ローゼンティアの王子殿下。そしてあなた様にも、ヴィルヘルム陛下を恨む権利がございます」
「……」
「あなた様の行い、この国の王を我等セルヴォルファスの民から奪ったこと。それは、許されないことです。そして……ヴィルヘルム様があなたになさったことも、決して許されることではありませんでした」
大臣の声には深い悔恨が満ちていた。
ヴィルヘルムは確か十年近く前から国王の座についていたはずだ。あまりにも幼い頃は側近たちが代わりに政務を執り行っていたと聞いた。成長してからの彼は、かつての世話役たちを鬱陶しく思い、自分の周囲から遠ざけるようになり、口うるさい小言に耳を貸さず好き勝手に振舞うようになったと聞くけれど。
「ああ。ヴィルヘルム様。我らが導いて差し上げなければなかったのに」
雨に紛れて、老人の頬を伝う滴が何であるのかはわからない。
ただ求めるものとは形が違っただけで、欲しいものはすぐ側にあったのだ。ヴィルヘルムはそれに気づかず、結局は彼自身が持っていたものすら手放して全てを失ったけれど。
すぐ足元に咲いている小さな花に気づかず、崖際に咲いている大輪の花を欲しがって、結局崖から落ちてしまった哀れな子ども。
でも同情はしない。後悔などしない。悪いとも思わない。奪い奪われるなんて当たり前だ。彼は彼として彼にとって目障りで、宿体であるロゼウスに危害を加えたヴィルヘルムを粛清しただけのこと。それが罪であると知っていても、償う気など毛頭ない。償えば罪が赦されるなどと言うのならば。
「……で、ください」
「何」
「赦されるなどと、思わないでください」
大臣の声は深く、深い水底のようでいてそこに沈みこんだものを容易には覗かせない。
「その罪が、赦されるなどと思わないでください。いつかあなたも必ず報いを受けましょう。我らの王が、こうしてその傲慢の報いを受けたように」
償えば赦されるのが罪だというのならば、自分は償うことなどしない。赦されないこと、永遠に責め苦を受け続けるこの道だけがただ彼にできる贖いだ。自分自身がその道を選んだ。償いなどいらない。そんなものに意味はない。
だって俺は、永遠にあいつを赦さないのだから――!!
だから自分自身が許されないことも、赦されないことにも構いはしない。
「わかっている」
結局一度も振り返らないまま、彼は中庭を立ち去った。ヴィルヘルムの死に顔は胸に留めるだけ留めて、もう思い出すこともない。
「行くぞ、ジャスパー」
◆◆◆◆◆
雨が降るんだ。
水の矢が空から降って何かを射抜いていく。それは冷たく凍てついていて、触れると手が痛い。神の流す涙は透明で、けれど人ならぬ瞳の落とした涙は熱を持たずに冷たかった。
雨が降るんだ。
あまりにも雨が強いので、溺れてしまうように錯覚する。水が降ってくるのではなく、水の中にいるみたいだ。
冷たい水の中にいる。
――そうだよ。それがお前の人生。
誰かが水の中で囁いた。こぽ、こぽり。白い泡が浮んでは消える。
この場所には覚えがある。いつも心の中の一番深く、そして一番身近にあったところだ。
――溺れてしまうんだよ。お前は、自らの流す涙で。
だってお前は現に今、涙で溺れているだろう。そう、かつてつきつけてきた声。その声が誰のものなのか、今のロゼウスは知っている。
ざぶん、と水に沈みこむ音と共に心の湖底へと引き込まれた。鏡写しのようにそっくりな姿をした相手と、お互いが天地も左右もなくただ逆さまになって向かい合う。
――……シェスラート。
――そう。ロゼウス。久しぶり。
自分と同じ顔をした相手がにっこりと笑う。
――と言っても、お前に実感はないだろうけどね。俺はいつも、お前のすぐ側にいたよ……お前の中に。
――俺の、中。
――うん、そう。
何が楽しいのか、シェスラートはくすくすと笑う。無邪気さを装って、世界へ哄笑を叩きつける。
ふとそれが途切れると、改めて向き直りロゼウスの瞳を覗きこむようにした彼が言った。
――この前は無理やりにでも引き上げられたのにね。今のお前の近くに、お前を引き上げてくれる人間はいない。このままでは、またこの涙の湖で溺れてしまうよ……?
ヴィルヘルムをあっさりと手にかけた残酷さも今は遠く、シェスラートの声は包み込むように優しい。けれどその優しさも所詮はまやかしで、彼がその気になればいつだってロゼウスの喉首に迫れるのだとわかっていた。
こぽ、こぽり。こぽ。
水音がする。水の中にいる。
ここは枯れない、涙の湖底。
ドラクルに虐待されているという現実から逃げて、自らの心の奥に閉じこもっていた自分はいつもこの水の底の住人だった。涙の湖で溺れて息もできないまま、自分が死んだようにいることにも気づかずに。
そこから、引き上げてくれたのはシェリダンだった。いっそ乱暴なほどに必死な顔で、ロゼウスをこの湖の外へと連れ出した。
なのに今の自分は、どうしてかまた、この場所にいる。
――溺死って苦しいらしいよね。刺されて死ぬのとどっちが苦しいかな。
シェスラートの無邪気な声が痛い。
――お前は、刺されて死んだの?
――え?
――だって死に方なんていく通りもあるのに、いきなりそれを挙げるから。
――ああ、うん……
ロゼウスの言葉に、シェスラートは一瞬顔色を変えた。質問には歯切れの悪い口調で返し、視線をそらす。
――なんでお前は、俺の身体を使ってまで甦ったんだ? そんなに、前の人生に未練があったのか?
シェスラートと言う名は、初代皇帝の名として歴史に刻まれている。シェスラート=エヴェルシード。だけど目の前の自分によく似た彼は、どう見てもヴァンピルだ。シェリダンやリチャードやユージーン候のような、エヴェルシード人ではない。
では、シェスラート=エヴェルシードとは……そして目の前の彼は、一体誰なのだろう?
でもそれよりも更に気になる事がある。
――お前の目的は、何?
情けなくも身体を乗っ取られて、ヴィルヘルムをこの手にかけたのは確かにシェスラートであり、ロゼウス自身だ。もう起きてしまった出来事は変えられないけれど、これから先までしたくもないことを彼に勝手にされてはかなわない。だからこそ、その目的を知っておく必要がある。
――ロゼッテ=エヴェルシードの抹殺。
氷のような声でシェスラートは答えた。
紅い瞳を持っているのに、ローゼンティアのヴァンピルの印象は大概冷たい氷のようなのだという。アンリやウィルやエリサは違うかもしれないが、少なくともロゼウスやドラクルに人間らしい温もりなど似合わない。
激昂しているときも微笑んでいる時も、常に炎のような熱さをその内に抱いたシェリダンのような人間とは大違いだ。
――ロゼッテ……って、誰?
エヴェルシードというからにはかの国の人間なのだろう。けれど、聞いたことがない。記憶の片隅にどちらかと言えば引っかかるのは、ロゼッテ=ローゼンティアという名前だ。確か三千年前に帝政を確立した始皇帝がシェスラート=エヴェルシードで、ロゼッテ=ローゼンティアはその直前に命を落とした、彼の側近ではなかったか?
正史には刻まれていないが、そのロゼッテのことについて書かれた、当時始皇帝の側近をしていた男の手記が残っているのだ。ロゼウスはそれを、確かあのエヴェルシードの王城の中で見た気がする。。
――ロゼッテ……ロゼッテ=エヴェルシード……
耳馴染みのない言葉をどうにか何か思い出せないかと繰り返すロゼウスを見つめ、シェスラートがまた一つ、くすりと笑う。
――ロゼッテは、俺が愛した相手。
――え?
――そして今は……お前も良く知っている相手だよ。俺がこうして三千年の時を経て子孫であるおまえの魂に転生したように、向こうも何故か同族というか、子孫の魂に宿ったようだけれど。
ロゼウスが良く知っている相手。
同族の魂。すなわち、エヴェルシード人。それも国の名を持つとなれば当然王族の誰かだろう。その子孫となれば。
嫌な予感がした。
――ちょっと待て! まさか――!
ロゼウスの狼狽の叫びにも関わらず、シェスラートが口の端を吊り上げ、先ほどとはまったく別の、禍々しくひどく嬉しそうな顔で笑う。
――ありがとう。ロゼウス。ロゼッテの生まれ変わりを見つけてくれただけじゃなく、もう一度奴を愛してくれて。
その微笑は狂気をたたえて、いっそとろけそうに酷く儚い。
――これで俺もあいつに、愛する者から殺される絶望を味わわせてやる事ができるよ。
彼の言葉が終わるその瞬間、湖底に嵐が起きた。透明な水が漆黒に染まり、水流が叩きつけ動きを封じる。
――待て!
ロゼウスの制止の声も虚しく、水流に負けて目を閉じた一瞬の隙に、シェスラートの姿は消えていた。
――やめろ! 俺の身体で勝手なことをするな! ここから出せ! おい!
どれほど叫んだところで、後の祭りだった。一転して黒く閉ざされた空間は、もはや何の声も誰にも届かない牢獄へと成り代わった。逃げ込み場所ですらない。
やめろ。やめろ。やめろ。
ロゼッテ=エヴェルシードの抹殺。それは、まさか。まさか。
シェリダン――!!
他の誰を殺しても、それだけは絶対に赦せはしない。
◆◆◆◆◆
遠い、遠い場所で。
あの人は目覚めた。
「サライさん?」
肩を叩かれて振り返る、気遣わしげな表情をして、ロザリー姫が立っていた。
「どうかしたの? 真っ青だけど、気分でも悪いの?」
「い……いいえ。大丈夫よ。でも、ちょっと部屋に戻らせてもらうわね……」
サライは笑って誤魔化して、船室へと降りていった。青い水平線を眺めながら潮風を浴びる甲板は好きだけれど、今はそんな気分じゃない。
オークで作られた船の木目をなんとはなしに眺めながら、壁に手をついて廊下を歩く。時折、外を覗ける丸く小さな窓から見える海で、魚が銀色の腹を見せて飛び跳ねた。
数千年ぶりに見る外の世界は、何もかもが色鮮やかで眩しかった。魔力の霧に守られたあの遺跡は暗く灰色でいっぺんの慰めと言えば、石棺に横たわるあの人の顔を一日中眺めて暮らすだけ。しかも、どんなに見つめても彼がその紅い瞳をひらいてくれるわけではない。白と黒と灰色の、光無き世界。
ここは違う。外の世界は青い海も青い空も白い雲も人々の肌の色や服の色も何もかも、サライの目を射るのではないかというくらいに華やかで。しかもうっかり出会った相手が中身は憎い天敵と言えど見た目は絶世の美少年なんてものに転生してやがるから、タチが悪いことこの上ない。
サライは彼と違っておそらく天寿をまっとうした。死ぬ間際のことなんて覚えていないけれど、予言の巫女として、一人の人間として、極普通に死んだはず。暗殺でも自殺でもない。寿命も普通の人間程度だったから、結局ロゼッテの治世の最後までを見ることはできなかった。
それでも、世界で生きていた時間は格段に長い。彼がヴァンピルで見た目どおりの年齢でなかったことを付け加えても、それでもまだ当時の彼よりサライが老衰を迎えた年齢の方が上のはずである。それだけ、彼が若い内に死んだとも言えるのだけど。
シェスラート……。
この眩しい世界を、本来定められた寿命の十分の一も過ごせなかったひと。今の帝国世界をなす基盤となり、世界に……そしてロゼッテ=エヴェルシードに捧げられた人。
本来皇帝になるはずだった彼が、ロゼッテに殺されたところから世界の運命は変わってしまった。シェスラートの代わりにその名を名乗り、皇帝として立ち働いたロゼッテは、いったいどんな思いで彼のいない年月を支配者として過ごしたのか。世界一の権力者にして唯一絶対の存在なのに、あの男も最後まで自分の欲しいものは手に入れられなかったという。最期まで側で見ていたわけではないから、もちろんこれは想像と伝聞を合わせたものだけれど。
サライはロゼッテが、どれほど歪な形ではあっても、シェスラートを愛していたのを知っている。
だからと言って赦す事は出来ない。だってシェスラートは自分の夫だ。私のものなのだ。あの愚かな傲慢な男が手をこまねいている間に、シェスラートに愛を囁いてその信頼を得、彼からの愛情を受ける立場になったのは私のはずだ。
なのに連れていった。
自分からシェスラートを奪った。
だからサライはロゼッテを赦さないし、実際に殺されたシェスラートはもっと彼を赦さないだろう。
だってシェスラートも、彼を愛していたのだから。
急に身体から力が抜けて、サライは廊下で蹲った。唯一壁に残した手は、窓の硝子板に触れている。
サライがやっているのは、ただの空回りの、無意味なことなのかもしれない。三千年前、シェスラートは彼女を選んでくれたような顔をしていたけれど、でも本当はその心がロゼッテを向いていることを、サライは十二分に知っていた。
本当はこの時代でロゼッテの生まれ変わりと出会ったら、真っ先に殴ってやろうと思っていた。
サライはロゼッテが嫌いだ。声を大にして言えるくらいだ。夫を奪った男という何か単語選びを激しく間違った感のある事実の上で、何度もあの男を呪った。それでも爽やかな外見に反してあの男を生かしたまま本来の寿命以上に長い間皇帝の責務を押し付けるという陰湿な仕返しをシェスラートが自分ですでにやっていたから、サライは皇帝を支える巫女としてそれを手助けするだけで、あの時は特にロゼッテ個人に復讐はしていなかったのだ。
しかし死後の恨みはまた格別だ。魂が浄化を嫌がって、一番痛いことだけ覚えている。だからサライは本当はもっとおばあちゃんになって老いさらばえてから死んだはずなのに、こうしてシェスラートを失ったその時のままの姿でいる。神の導きかどうか知らないが、気づいたらそうだった。
たぶんシェスラートもそうなのだ。彼は甦ったら、真っ先にロゼッテに会いに行く。そこにある感情が憎悪なのか愛情なのか、彼女にはわからないけれど。
それでも、そんな強い感情を彼から向けられる、サライはそのこと自体まずロゼッテが羨ましかった。
その上何故今度の転生先は美少年なのか。
たぶん本人も予想外のはずの事実に八つ当たりしつつ、何とか意地でその場から立ち上がる。いけないいけない。本来死人である自分は気を抜いたら世界から消えてしまうのだから、何とか気力を保たないと。
シェスラートと再び出会うまでは。
「サライか? どうした」
廊下の向こう側から歩いて来る人影があった。噂をしたわけではないが、頭の中で考えていた相手の一人だ。
「シェリダン……」
「おい、何故そんなところに……具合でも悪いのか?」
近づいてきてサライの顔色を見ようとした相手の頬を、指を伸ばして思い切り抓りあげる。
「いっ!」
「まったく。なんで今生であんたはそんな顔なのよ。そりゃ確かに以前も悪い顔じゃなかったけど、次は美少年なんてあんまりだわ」
「何の話だ!」
サライが指を離してその痛みから解放された瞬間、シェリダンは思い切り、心の底からそう叫んだ。
「サライ?」
大きく溜め息をついたサライの様子を、不思議そうにシェリダンが窺ってくる。こんなところは確かにロゼッテの面影がある。昔もあの男はサライとは噛み合わないテンションで生きていた。
そう、サライはまず会ったら第一に、この男を殴ろうと思っていたのだ。
でも何故かそうはできなかった。実際に顔を合わせてしまったこの少年は、あの日のロゼッテとは違う。確かに仕草や些細なことの端々にあの男の面影を見出す事はあるけれど、なのにロゼッテとは違うのだ。本質が違っているのだ。
サライがあの男とは共にしなかった時間、その数百年の間に、彼も変わったということか?
そう、この感じは、どちらかと言えば……
「……何かあったのか?」
先ほど前触れもなく理不尽に頬を抓られた身としては大層寛大にそれをスルーして、シェリダンは気遣わしげにサライに尋ねてくる。
「あったんじゃないわ。これからあるのよ」
今のロゼッテがどうしてこんなことになっているのかはわからないけれど、シェスラートの事はなんとなくわかる。ロゼッテに恨みとすら言えない強い強すぎる執着を残して死んだあの人は、間違いなく目の前のこの少年を、転生後の命をその代償として奪うだろう。
その時に何があるのか、それでシェスラートが本当に欲しいものを手に入れられるかはわからない。
「……シェスラートが、目覚めたわ。あなたの愛しい『ロゼウス』はもういないわよ」
目の前の朱金の炎が、ハッとしたように瞬いた。