荊の墓標 30

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「行っちゃったわね……」
 軽く荷物をまとめ、手紙でジャスパーが指示したという場所までウィル王子は向かう。手を振って弟の背中を見送ったミザリーが、切なげに眉根を寄せた。
 シェリダンたちは再び日和見の屋敷の中に戻る。漆黒の影が落ちる暗い赤煉瓦の廊下を歩きながら、彼はロザリーに尋ねた。
「ロザリー」
「ん?」
「ロゼウスは何を考えているのだと思う?」
「何……って?」
 シェリダンの質問の意図がわからないらしく、ロザリーは首を傾げた。
「あの手紙だ。どうして、ジャスパーの言葉だけしか書かれていない? 今回の問題は誰よりロゼウスにとって大きなものだろう。望もうと望むまいとドラクルに恨まれて、戦いの中心にいるのは奴だ。私がいることは知らずともお前たちがローゼンティアに入っていることを知っているなら、奴自身からも何か一筆あってしかるべきではないのか?」
 ロザリーはシェリダンの言葉に、しばらく口元に指を当てて考える仕草をした。
「そうねぇ……まぁ、普通はそう考えるものなんだろうけど……」
「普通は?」
「ええ。シェリダンの言うとおりだと思うわよ。でも、私たちにとってはそれが普通だからね。私たちにとって、ロゼウスって兄は、あるいは弟は、そういう人なのよ」
 ロザリーが説明する。
「シェリダンの目にロゼウスがどう見えているのかはわからないけれど、ロゼウスってもともと大人しい人よ。いや、大人しいというか……やる気がないというか。とにかく、ドラクルみたいに自分からどんどん行動していく人や、アンリみたいに自分にできることがあれば積極的に協力するタイプと違って、本当に危機的状況じゃなきゃ自分からは動かないの。ジャスパーも性格は大人しいけれど、ロゼウスは決して性格自体は大人しくないのにやることが大人しいわ。だから私たちみんな、ロゼウスがドラクルに匹敵するほどの実力を持っているなんて知らなかった」
 ロゼウスという人物は。
「ずっと、ドラクルに抑圧されてきたからか?」
「そうかも知れない。でも、それだけとも考えられない」
「ロザリー?」
「私は、ロゼウスは好きでそういう生き方をしていたんじゃないかな、って思うんだけど」
 かの王子のすぐ下の妹姫は、ここに兄がいないからこそできるような顔で、彼を語る。
「ロゼウスって、本当はもっとずっと奥底に何か秘めているんじゃないかな? 私はロゼウスがその奥に何を持っているのかは知らないけれど、お兄様がそうやって何かを外に出さないよう守り続けているのはわかるの。私たちヴァンピルは、大なり小なり、みんなそういう面があるから。ジャスパーのことも、シェリダンがどう思っているのかはともかく……本当はあんな性格じゃない。何か、何かがあったの。何か、まだ私たちが知らない何か」
「何か?」
「ええ」
 ロザリーはそのロゼウスに良く似た美しい顔を品良く歪ませると、言った。
「私たちは今もまだ、誰かに踊らされているような気がする」
 見えざる手を持って、世界を回す誰か。シェリダンたちの知らないところで、何かが起こっている。しかもそれがシェリダンたちに全く関係のない問題ならばともかく、シェリダンも、彼らも、ロゼウスも、彼らの敵であるドラクルたちでさえ、それに巻き込まれている気がする。
 ふと、ハデスの顔が脳裏に思い浮かんだ。黒の末裔。先程《栄光の手》などと彼好みの話をしたばかりだからか、その黒と白の印象が鮮やかに浮かび上がる。未来を見るという預言者の称号を持つ彼ならば、シェリダンたちを躍らせるその謎の力の正体もすでに知っているのだろうか。
「ねぇ、シェリダン」
 ふいに、ロザリーがシェリダンの服の袖を掴んできて言った。
「私、今の状態が怖いの。何か、怖いの。ドラクルと敵対しているとかエヴェルシードと揉めているとか兄妹が離れ離れになっているとか、そんなことだけじゃなくて……」
 彼は無理にその手を振り払うことはなく、逆に彼女の手を掴んだ。
 思わずハッとするほどに、彼女の手は冷たい。もともとヴァンピルの体温は人間より低いが、今は氷のようだった。立ち止まり顔を覗き込めば、蒼白だった。
「なんだかこのままじゃ、みんなが遠くに行っちゃうみたい」
「遠く?」
「うん。遠く。ロゼウスも、他の皆も……どうしてだろ。さっき、ウィルの背中なんて見ちゃったのがいけないのかな」
 強気なロザリーがいつになく落ち込んでいる。シェリダンは何を言う事も出来ず、ただそれを聞くことしかできなかった。しばらくして手が離れると再び歩き出しながら、シェリダンは今ここにいない者のことを思う。
 ロゼウス。
 離れている時間は、彼のことを知ってからは夢のように長い。こんなに不安になるのはロゼウスのせいだ。
 お前がここにいないから。私たちのもとにいないから。
 私の隣にいないから。
 だからロザリーを安心させることも、何も出来ない。今の状態が怖いというロザリー。同じ感覚を、自分も確かにどこかで感じているのかもしれない。
 何かがある。まだ自分たちの知らない何かだ。実際にハデスは、ドラクルたちと協力しながらも彼独自の動機で動いているような節を見せていた。皇帝デメテルが出てきたのも、その弟を諫めるためか、あるいは他に目的があるのか。それとも。
「確かに、何かがある」
「シェリダン」
「ロゼウスのことだけじゃない。他のことにしてもそうだ。ドラクルのことはお前たちにはしっかりとした理由があるのか? ならばそれを差し引いて考えても、ハデスや皇帝の行動など、私たちの理解できないものは多い。けれど何だ……何が起こっていて、それがどこに繋がるのかがわからない」
 けれど、何かが起こっている。
 その何かは……運命はすでに始まっている気がする。
「どうしてだろ。どうしてこんなに怖いんだろう。みんなが離れ離れになって遠くに行っちゃう気がして」
 ロザリーもそのように感じている。日和見が館を去り、ウィル王子がロゼウスとジャスパーを迎えに行って、エチエンヌたちとも今は離れている。敵はロゼウスたちがどんな決着をつけてきたかわからないセルヴォルファスと、もともと喧嘩をしかけてきたドラクル、それに踊らされているカミラ、そして何を考えているのか知れないハデスに皇帝と、そうそうたる顔ぶれであることを考えれば迂闊に動くこともできない。
 そして物事の中心にいるのは、間違いなくロゼウスだろう。だが――。
「大変です! 殿下!」
 日和見の残していった館の使用人が一人、シェリダン、正確にはローゼンティアの王族たちを追って駆けてきた。息を整える暇もなく、告げる。
「エヴェルシードで、ミカエラ王子が――ッ!!」
 そしてまた彼らは、抗う隙もなく宿命に振り回される。

 ◆◆◆◆◆

「え……?」
 ドラクルは玉座にて、気の抜けた声をあげる。無様だとわかっていても止める事ができず、それは零れていた。
「いかがいたしますか? 陛下。今なら、あなたのお言葉で処刑を取りやめさせることも」
 行儀のいい部下たちは彼の失態を聞かなかったことにするらしく、そうして何でもない顔で続けた。
「エヴェルシード王国にて、《誓約》によるミカエラ王子の処刑と、エヴェルシード、ローゼンティア両国の和平。我々の意志を介さずになされたローゼンティア側からの講和申し込みとその方法についての選択が絶妙です。《誓約》を持ち出してくるところが、また。このまま成り行きに任せてしまえば、我等はミカエラ王子の思惑通り、エヴェルシードと連携をとれなくなります。あの王子に、それだけの力があるとは」
「ミカエラはあれでも父上の正統なる王子の一人だ……」
 ドラクルは呆然と、カルデール公爵アウグストたちから、そのことを聞いていた。エヴェルシードでミカエラが処刑される。エヴェルシードとローゼンティア、両国の平和のために、と銘打って。
 表向きは突然の侵略と抵抗、一時的な占領とその解放、緊張状態に陥ったローゼンティアとエヴェルシードでも国王の強引な代替わりを挟み、こじれにこじれた関係を清算するためのもっとも手っ取り早い方法だと。
 エヴェルシードを侵略したシェリダンにはカミラが手を下したことになっている。ならばローゼンティア側が払わねばならない犠牲とは何か。向こうで王を一人犠牲にしているからには、こちらでも相応の対価を差し出さねばならないと言うことは、明白。
 ロゼウスやアンリたちを含みドラクル以外のローゼンティア王族は皆生死不明となっているから、もしも彼らが名乗りを挙げなければ国民は皆ローゼンティアの王族がほとんど絶えたものと思う。そうしてドラクルとミカエラしか残っていないと思われた状態で、ミカエラが講和のために命を投げ出すなどと言われたら。
 美談の裏に隠された弟の真意。自分たちローゼンティア側からは、どうやってもそれを断ることはできないというこの複雑な局面。
 ここでローゼンティアがその申し出をミカエラ個人が言い出したことで国では認めないと言い出せば、講和を断られたという形でエヴェルシードはローゼンティアに対して厳しい対応をせねばならなくなる。かといってエヴェルシード側がローゼンティアに甘い対応をすれば向こうの国でこちらにつけこまれるという反対がカミラにたいしてあがるだろう。どちらの道を選んでも、そして処刑がすんなりと実行されても、王族の一人を処刑した国と仲良くなどできるわけがない、と。どの道を選んでも、ローゼンティアとエヴェルシードの間に決定的な断裂が入る。
 血をもって諫め、和を求める。その思考自体が血生臭く講和の意志にふさわしくないことなど、もはや関係ない。この処刑騒動は、はじめにミカエラがそれを言い出した時点でどのような手を打っても八方塞になることを目に見えていたのだ。
 ここでは、それを受け入れたカミラを責めてもきっと仕方あるまい。
「陛下……ドラクル陛下」
「聞こえている。何だ」
「いかがなさいますか?」
「……」
 ミカエラ。ローゼンティア第五王子、ミカエラ=テトリア=ローゼンティア。ロゼウスのすぐ下の弟でブラムス王の血を引く正統な王子の一人。
 病弱で取り柄など何一つないと言われたあの子が、こんな果断な決断をするなどと。自らの命さえ使い捨て、それでもドラクルとカミラ姫のエヴェルシードが手を組むのを阻止したいと?
「だが……負けるわけにはいかない」
 ここで終わりになどしてしまえば、自分は今まで何のために生きてきたのだ。なんのために今、奪い取ったこの玉座に座っているのだ。
 私の目的の邪魔はさせない。その相手がミカエラ、例えお前でも。
「……ドラクル陛下」
「カルデール公爵。今から、確実に信用できる伝書蝙蝠の経路を確保せよ」
「ご連絡をとるのですか? どなたに」
「……決まっているだろう。あの方だ」
 事がローゼンティアとエヴェルシードの問題にも関わらず当事者で打開できないならば、外からこの出来事に影響できるだけの力のある人物を呼べばいいのだ。カミラ姫の場合は連絡をとる手段を持たず向こうが神出鬼没に現れるのを待つばかりだろうが、さすがにドラクルはそういうわけにもいかない。知り合って数年がかりで、ようやく時間こそかかれど意志を確認できるほどの連絡手段を持つことができた。
 この考えは当然のものだと思ったのだが、しかしカルデールは少し困ったように顔を歪めた。
「いえ、そうではなく、どちらの……」
「ああ。そうか。ハデス卿の方だ」
 同じような外界の権力者という点においてだと選択肢が二つあり、彼はそのどちらを選ぶのかということで迷っていたようだ。
「あの方がそのことを明かすのはもう少し先だろう。今不用意に動いていただいて、こちらは解決しても向こうがこじれたら目も当てられないことになる。まずは一つずつ解決していくしかない」
「その一つずつとは言っても、一つの罠に幾つもの獲物をかけるのがあなたさまのやり方でしょう」
「ああ。そうだ。わかっているじゃないか。カルデール公爵」
 ドラクルが目を細めて見下ろすと、彼が玉座を簒奪する以前からの腹心の部下の一人は深々と礼をとった。これまでは国のお偉方に知られないようひっそりと暗躍させていたが、この国が名実共にドラクルのものとなった今日ではそんなことはもう関係ない。カルデール公爵アウグスト卿は、堂々と謁見の間の赤い絨毯の上で服従の姿勢を作る。
「アウグスト=カルデール。ヘンリーと協力して構わない。お前は今わかっている限りの情報を集め、それをハデス卿に送りつつかの方の助力を請え。向こうが取引を持ち出してきたなら、お前の判断で何でもくれてやれ」
「かしこまりました。それでは、連絡をとる間、城内のことはジェイド卿にお任せください」
 アウグストはそう言って退出の挨拶をしてから謁見の間を辞す。後にはドラクルと数名の部下が残されたが、彼らに指示を下す前に新たな報告があがってきた。
「ドラクル陛下。先日のヴラディスラフ大公閣下の件ですが……」
「話せ」
 どこか気まずい様子で、報告役の兵士がそれを伝えた。
「大公閣下が、行方不明であるはずのアンリ王子殿下、ミザリー殿下、ロザリー殿下、ウィル殿下にエリサ殿下、それとエヴェルシード人の少年二人と、ウィスタリア人の少女と会っているのを目撃したとの通報がありました」
 報告を聞き終えて、ドラクルは一瞬だけ瞠目し、ついで口元に笑みが込み上げてくるのを感じた。
「アンリ、やはり国に戻って来たか」
 そして重要な役者がもう一人。
「まさか、シェリダン王が一緒だとはね」
 エヴェルシード人の少年のうち、一人は確実に彼で間違いないだろう。そうでなければ、あのアンリが吸血衝動を抑えられない危険を抱えてまで人間と行動を共にする理由がない。その危険を冒してまで彼がローゼンティアに連れてこなければならない人間など。
 他のもう一人のエヴェルシード人の少年は彼の部下の一人だろう。ちょうどシェリダン王派の侯爵が一人行方不明だという報告がかなり前からカミラからもたらされていた。最後の一人、ウィスタリア人の少女と言うのが気になるが……今のところウィスタリアは自分たちの思惑にも争いにも全く絡んでこない国であるから、国家規模の権力者という線は薄いだろう。ウィスタリアとローゼンティア、エヴェルシード二国は地理的に遠くかの国がこちらのやりとりに口を出す益がない。
「……まぁ、いい」
 花形こそまだ揃ってはいないが、舞台は着々と整えられていく。ドラクルは部下たちにそれぞれの役目を与えて、一端自室へと退いた。
 国王の座についてからも、かつての父の部屋を使う気になれない。これまでと同じく第一王子としてあてがわれていた部屋に戻り、ふと懐かしいことに思いを馳せる。
「……ミカエラ」
 ロゼウスに懐いていたあの弟は、そう言った意味では必然的にドラクルと顔を合わせることも多かった。ロゼウスをいいように振り回すドラクルに嫉妬して、幼い敵意の視線をぶつけてきたあの瞳。病床に縛られている生活が長かったためか常にどこかひねくれてはいたが、根は誰よりも素直だった。
 そのことを、自分は確かに知っているけれど。

 ◆◆◆◆◆

 シェリダンたちは急遽、エヴェルシードへと戻った。日和見のあらかじめ遺しておいてくれたツテを使えば、そう難しいことでもない。
「っていうか、あの航海の日々はなんだったの……?」
「やっとの思いでエヴェルシードから脱出してこんなに早く戻るなんてな」
 エヴェルシードへと入り、処刑が行われる街の一角に身を潜めながら、彼らローゼンティア王族の口から零れるのはそんな愚痴だ。確かにシェリダンとクルスもそれは思うのだが、元はと言えばアンリたちがミカエラをエヴェルシードに置いていったのが問題ではないのか? いや、だがしかし第五王子は病弱で船旅には耐えられなかっただろうという話ももっともだし、その預け先がバートリの元だということを考えると……。
 ここは流しておこう。
「仕方がないだろう。それとも、貴様等は自分の弟を見捨てるのか」
「まさか!」
「さっさとミカエラを助けに行くわよ!」
 ローゼンティアで、日和見と名乗った貴族の青年の屋敷に留まっていたシェリダンたちに届けられたのは、ローゼンティアがエヴェルシードに和平を申し込んだという報だった。しかもそれはただの交渉ではなく、ローゼンティア側が第五王子の血を捧げることを条件に差し出したのだという。
 形としては、不自然ではない。軍事国家エヴェルシードと魔族でありながら争いとは縁遠いローゼンティアでは国力が違いすぎる。人間に比べてヴァンピルの数は少なく、国土条件も不利だ。戦いが長引けばローゼンティアの民は間違いなく疲弊して、最悪の形で負けるだろう。
 一度侵略したこの自分が言うのだから間違いはない。
 それを防ぐために、今回ローゼンティア側はエヴェルシードの玉座に今はシェリダンを追い落として座っているカミラへと申し出たのだと言う。
「何かおかしい」
「おかしい、とは?」
 アンリ王子が険しい目つきをしながら、着々と処刑準備の進められる処刑台の様子を建物の影から首だけ出して見ている。
「だって、ミカエラの処刑がどうのって言ってる間、ドラクルはずっとローゼンティアにいて国を纏めてたんだろ? それに、どうしてミカエラの居場所がバレたんだ? シェリダン王、あんたの部下はそんなに信用が置けない人か?」
「エルジェーベトを侮辱するな。彼女はそんな人間ではない」
「だとすると、不自然なんだ。だいたいどうしてミカエラ? 和平のためになんて名目で、第五王子をわざわざ捧げる意味はなんだ? これがドラクルがなんでもいいから他の兄妹をエヴェルシードに殺させるつもりで動いたなら、俺の名前を挙げて戦争の罪を着せて指名手配にでもするのが妥当だろう。居場所はわかってないんだし。……少なくともこんな回りくどいやり方、ドラクルはしないと思う」
 アンリ王子の言葉に、今回の処刑騒動に違和感を覚えていたシェリダンも頷く。
「そうだな。だいたい、あの男がかつての兄弟姉妹の中でもっとも執着しているのはロゼウスだろう。たまたま手近で見つかったからなのかもしれないが、わざわざ第五王子を使う理由がわからない」
 表向きにはローゼンティア側からの王族の処刑を含む講和申し立て。その捧げられた血を誓約として、両国の平和と友好を約束させられるという。
「逆に考えてみてはどうでしょうか?」
 クルスが遠慮がちに口を挟んだ。
「逆?」
「ええ。そうね。逆なのよ」
「だから、逆とはどういう意味だ?」
 クルスの言葉に次いで、サライも口を挟む。しかし逆だ逆だと言われても意味がわからない。
「だーかーら、なんで処刑が行われるかじゃなくて、この処刑によって何が起こるのかを考えるのよ。今回の講和を仕組んだ人物の目的は、そこにあるはずでしょう?」
 数人係で処刑台は組み立てられていくが、処刑本番まではまだ時間があるようだ。ミカエラ王子の姿もまだない。考える時間くらいあるだろうと、サライの言葉によりシェリダンたちは思考を巡らせた。
「この処刑によって、もたらされるものとは――」
 まず、表向きの理由はローゼンティアとエヴェルシード両国の講和だ。
「ねぇ、でも、誰かの血が流されて、それで成り立つ平和なんてあるの?」
「ミカにいさまが死んじゃうなんて、エリサはいやです」
 ミザリーとエリサが、手を取り合いながら、口々に言う。
「確かにな。講和を目的とは言っても、実際王族の犠牲を強いて成された和平で根本から二国間に友好が成り立つなどありえない」
「ローゼンティアは特に王族絶対というか、絶対王政だから尚更だよ。民がそんな方法に納得するわけがない」
「なら、今回の処刑を仕組んだ者は、ローゼンティアとエヴェルシードに和平を結ばせて表向きは丸く収まるように見せかけて、実は二国間に亀裂が入るように仕組んだというわけか?」
「何のために? ローゼンティアとエヴェルシードが手を組まないことで利益を得るのって……」
「私たちだ」
 シェリダンの言葉に、しん、とその場が静まり返った。
「ローゼンティア王はドラクル、エヴェルシードはカミラが今支配している。表向きだろうと何だろうとローゼンティアとエヴェルシードに和平が結ばれる事が重要なのではない。むしろそれによって、ドラクルとカミラがそう簡単に連携を取れないよう二人を分断したかったんじゃないか?」
「それって、私たちのためにってこと?」
「ああ。少なくとも私やお前たち、そしてロゼウスが動きやすいようにするためとしか思えない……」
「ね、ねぇ。じゃあ、それって」
 ロザリーが震え、上ずった声で告げる。
「そんなことする必要があるのって、ミカエラ自身くらいじゃないの」
「……自分から言い出したのか」
 第五王子に関する印象は、シェリダンの中にはあまりない。少し病弱だと聞いただけで、他の兄妹の方がよほど印象が強かったものだし。時期的にもあの小うるさいジャスパーとほぼ同時に会ったために、あちらへと気をとられた。
 しかし、病弱だの身体が弱いだの言われているわりに、やけに強い光を宿す瞳をしていたことは知っている。
「まさか……そんな、ミカエラが、自分でなんて……」
 ミザリーが身体を震わせる。末姫エリサがその姉の肩に縋り付いた。
「おねえさま、だいじょうぶ? しっかりして!」
「なんてこと……」
 シェリダンたちの考えを、一連の言葉を纏めて簡潔にしてみせたのは第三者にあたるサライだった。
「第五王子ミカエラ=ローゼンティア殿下は生まれつき病弱で、普通に生きている分には、どうにも他の兄妹たちの足手まとい。人質にとられてしまえば優しい皆は手を出せないだろうし、窮地を独力で乗り切る実力もない。けれどローゼンティアを簒奪したドラクル王とエヴェルシードを簒奪したカミラ女王は着々と力をつけていて、このままではローゼンティアの兄妹たち、特にロゼウス王子にとって不利になってしまう。そのくらいならば、いっそ足手まといになる身を捨て、二つの国の戦争は止めつつ二王の間は裂く方法をとった……と。要するにこういうことなのね」
「そんな馬鹿なこと!」
「でも王子は本気みたいよ」
 サライが白い指で壁の影から処刑の行われる広場を指示した。
「!」
「ミカッ!」
「おにいさま!」
 罪人のように白い簡素な服に着替えさせられたミカエラ王子が、ようやく広場へと引き出されてきた。周りを取り囲む兵士たちは、護衛なのか引き立てるための人間なのかよくわからない。
「人の弟になんてこと……ッ」
 温厚な表情を崩さないアンリが、ぎりりと唇を噛み締めた。ミザリーとエリサはきつく手を握り合う。
「けれど、陛下」
「クルス?」
 そんな中、ローゼンティア勢の苦悩と怒りを知らぬかのように、並一つない水面のように落ち着いた表情でクルスが言った。
「これが上手くいけば、逆転の好機ですよ」
「何?」
 彼の言葉の真意をつかめず、シェリダンは眉根を寄せた。
「ここで陛下がローゼンティアの王子であるミカエラ殿下を救えば、陛下のエヴェルシード王としての地位を取り戻すことができるのではないでしょうか?」
「ッ! そうか」
 ドラクルとカミラがそれを了承したとはいえ、処刑による講和ともなれば民の反発も大きい。けれどその反発を利用して、講和の条件に非道を持ち出した二王を廃することができれば。
「逆転できる。ミカエラ王子を助ければ、カミラたちを出し抜けると言うのか!」
「ええ。そうですよ! 一石二鳥じゃないですか!」
 クルスの頬が上気し、シェリダンも俄然やる気が沸いてきた。そうなれば。
「何としてでも救うぞ。ミカエラ王子を」
 ことはもう、ローゼンティアだけの問題ではすまない。