荊の墓標 30

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「その処刑待ったぁああ!!」
 そうして、争いが始まる。
 斬罪に処されるはずだったミカエラ王子を救うために、シェリダンたちは処刑場と化した広場へと乗り込んだ。王都シアンスレイトのはずれにあるこの場所には、近隣の住民が悉く押しかけている。
 空は青く、刷毛で塗ったように歪な明るさで描かれている。その下に群集はひしめき、薄汚れた道を埋め尽くす。シェリダンたちは三手に分かれ、それぞれの役割を確認した後、処刑台を目指した。
 これまでに何人もの血を吸ったギロチンの刃が鈍く光っている。
 その光の傍らに佇むミカエラ自身に向けては、ミザリーとアンリが駆けつけた。シェリダンとクルス、ロザリーの戦闘員はとにかく邪魔する者を叩き斬るために群集の中央へと突っ込む。そしてそこから混乱を起こし、鎮圧のために出てきた警備兵たちを斬り捨てる。
 エリサは群集に紛れてさりげなく彼らの足が処刑台から遠ざかるように誘導し、サライには退路の確保を頼んである。
「ローゼンティアの王子を殺させるわけにはいかない! さっさと彼を離せ!」
 フード付の丈の短いローブを纏い、顔を隠しながらシェリダンは叫んだ。剣を抜き放ち掲げると、荒事に縁のない一般民衆は慄いて波のように周囲から一歩引いた。
「この曲者め!」
 クルスとロザリーと共に、出てきた警備兵たちを相手どる。彼らもシェリダンにとってはエヴェルシードの大事な民だ。無闇に殺したいわけではない。
 シェリダンたち戦闘員の役目はとにかく、アンリとミザリーがミカエラを奪還するまでの時間を稼ぐこと。最後までこの場に残り、眼晦ましとなること。
 即座に倒すのではなく、むしろ舞台で剣舞を演じるように派手な立ち回りで相手を翻弄する。動きが大袈裟であればあるほど相手はこちらを侮るし、周りから巻き添えを恐れた民衆が離れていくのでちょうどいい。このために今回は、普段はその爪で相手を引き裂くというロザリーまでもが男装して長剣を扱っている。
「おい! 何やってるんだ! さっさとこいつらを倒せ!」
「処刑を邪魔させるわけにはいかないぞ!」
 シェリダンたちをなかなか倒せないことに焦りを覚え始めた警備兵たちが鋭く声を掛け合う。だが連携をとる暇は与えてやらない。
 正面の相手の突きを交わし、その得物を真下から叩いて上に跳ね上げる。武器を手放して無防備な鳩尾に柄で打撃を加え、昏倒し崩れ落ちた身体を踏み台に、その奥へと待機していた別の兵へと斬りかかる。
 上から来る剣戟は交わしきれず、押し返すほどの腕力も私にはない。寸前で自ら受けとめるように力の方向を変え、攻撃をいなしたところで反撃に転じる。
「うわっ!」
「ぐっ!」
「ぎゃっ!」
 哀れな警備兵の悲鳴を聞きながらも腕は休めない。状況を把握しようと動かした視線の先、アンリとミザリーが処刑台のミカエラ王子のすぐ側に辿り着く様子が見えた。
 けれど、すぐに動き出すわけではない。
「この野郎!」
 背後から来る殺気を感じて相手の攻撃をかわした。第二撃は咄嗟に両腕で刃を受けとめ、なんとか持ちこたえる。ぎりぎりと嫌な音を立ててこすれあう刀身の鋭さを間近で見ながら、何とか均衡をずらして相手の攻撃を無効化した。力をかける方向をいなされて見失った相手の後頭部に蹴りを見まい、石畳に伏せさせてからまた視線を処刑台へと戻す。
 なんだ、何をやっている!? 辿り着いたのならばすぐにでも抱えあげて攫えばいいものをアンリたちは動かない。ミカエラと何か口論にでもなっているのか、言い争う気配だけが伝わってくる。
「シェ――ご主人様!」
 クルスの鋭い声が飛び、シェリダンは自らの身に危険が迫っていることを知った。まだ倒しきれない警備兵の残党が飛びかかってくる。間一髪それをかわし、また数人を地に沈めた。
「あいつらは!?」
「何か、説得に梃子摺っているようです。でもこのまま僕たちが暴れ続ければ全ての警備兵がこちらに来るでしょう。そのほうが連れてくるのは容易です」
「わかった。私たちはこのまま、せめて奴らがやりやすいように」
「はい」
 シェリダンたちに次々と倒された警備兵の山ができるのを見かねて、ギロチンの側にいた男たちが全員この騒ぎを治めるのに駆り出されたようだ。処刑台周辺から人がいなくなる。その間にアンリたちはミカエラを説得しているらしい。
 シェリダンたちは少しでもアンリ王子たちを有利にするために、派手に暴れて警備の目を引き付けなければならない。
 とは言ってもそれは主にシェリダンとクルスの考えのようで、ロザリーなどは違った。彼女はもはや遠慮なしに邪魔をする者は全て叩いて、敵を全員昏倒させるつもりのようだった。シェリダンやクルス相手ではまだなんとか相手になる兵もロザリーの前では例外なくほぼ一撃で倒されている。
「おい!? 一体どういうことなんだよ!?」
「知るかよ! こっちが聞きたいね!」
「和平交渉はどうなるんだ!?」
 民衆たちの間でも困惑と憤りの声が聞こえ始めている。そろそろこの場に留まるのも限界か? だがここで何もせずに引くわけにはいかない。多少の危険を冒してでも、この場合はミカエラをちゃんと確保できねば意味がない。
「あっちの男を狙え! あれが首領だ!」
「主人と呼ばれていたぞ!」
 勘の良い警備兵たちの一部の言葉に、シェリダンは思わず舌打ちした。先程のクルスの「ご主人様」発言のせいだろう。まさか名前を呼ぶわけにもいかないからクルスの中で咄嗟にそれしか思い浮かばなかったのだろうが、それでもどうやら先程の言は悪手だったようだ。
 この騒動の首魁はシェリダンだと見定めた兵士たちがこちらに集中的に向かって来る。彼は剣を構えなおした。民衆が引いて少し空間の出来た広場の中、一対複数はなかなかに辛い。それが全員間合いの限られる長剣だけではなく、相手によっては飛び道具や遠距離攻撃のできる槍や何かを使っているからなおさらだ。
 この状況を見て取って、クルスとロザリーがいったんシェリダンの元へと集まった。お互いの背後を守るような形で、彼らは一箇所に集中する。
「ご無事ですか?」
「ああ。今のところはな」
「サライから合図が来たわ。兄様たちがミカエラを連れてきたら、すぐに脱出しましょう」
 状況はシェリダンたちに有利に働いている。背中合わせに戦いながら、確かに数が減ってきた警備兵を前にそう言い合った。
 しかし。
「っ!」
「シェリダン様!?」
 突然頬のすぐ横を斬った風に、シェリダンは思わず飛びのいた。その動きで顔を隠していたフードがずり落ち、衆目に造作を晒すこととなる。
「え」
「まさか」
「シェリダン王……?」
 ざわめき始める人々の驚きを意に介す暇もなく、叫んだのは少女の声だった。
「シェリダン!」
 間違いなくシェリダンの名を呼ぶのは、ただ一人。黄金の視線がこちらを射抜く。
「カミラ!」
 剣を構えた妹が、シェリダンへ向けてぎらつく殺意を放っていた。

 ◆◆◆◆◆

 まったく、厄介なことをしてくれたものだと思う。
 ロゼウス、この事態はお前のせいだぞ。ここにいない人物にその責任をおしつける。当然だろう。彼が全ての原因なのだから。
 目の前に風を生み、前髪の何本かを持って言った白刃の閃きを前にシェリダンはそんなことを思った。
「シェリダン! 覚悟!」
「するわけないだろ!」
 カミラが長い髪を靡かせてシェリダンへと斬りかかって来る。その動きは俊敏で華麗だ。先日はまだ得物が手に馴染んでいないような雰囲気があったが、今では細剣を不自然でなく使いこなしている。
 カミラ=ウェスト=エヴェルシード。シェリダンより一つ年下の、妹。蒼髪橙瞳のエヴェルシード人の中でも波打つ濃紫の髪に黄金の瞳が特徴的な、十六歳の少女。今はシェリダンからこの国の玉座を奪い、王を名乗る者。
 彼女はもともと、その華奢で可憐な外見に見合う程度の力しか持たぬ非力な姫君だった。兄ではあるが腹違いであり、しかも庶民出の母を持つシェリダンを玉座から追い落として自分がエヴェルシード王となるべく画策していた。その時でも力技ではなく、周辺の貴族に取り入って策謀を好んだはずだ。これでも軍人王である私とカミラでは、戦闘能力という点においては圧倒的な差がある。そのはずだった。
「はっ!」
 気合一閃、カミラの剣戟をシェリダンは間一髪でかわす。それでも頬にぴりりとした痛みが走り、皮一枚斬られたことを知った。石畳の足場の悪さをものともせず、カミラは果敢に攻め込んでくる。
「くっ」
 負ける気はしないが、楽に勝てる相手でもない。身のこなしの軽い相手は、こちらの一撃をやすやすとかわす。空を斬った刃を一端引き戻して体勢を立て直そうとすれば、すかさず打ち込んでくる。受けとめた腕に、不自然なほどの重い痺れ。美しい装飾を施されたレイピアでこんな威力を普通は出せない。つまりカミラは普通ではないということ。
 カミラが力を手に入れたのはロゼウスのせいだ。ヴァンピルの血は人間の身体能力を上げる効果があるのだという。ロゼウスは、自らの血をカミラに与えた。
 それまではただの人間の小娘でしかなかったカミラは、それによって優れた身体能力を得た。それまでは剣など持ったこともなかったのに、今では疲れも見せずにやすやすと刃を振るっている。
 もともとの実力差がある以上、シェリダンとてそう簡単にやられはしない。しかし逆に言えば、軍事国家の国王としてそれなりの強さを求められ普段から体を鍛え技術を磨いていたシェリダンと張り合えるほどに、今のカミラは強い。
 銀の刃がその軌跡に合わせ残影を生む。カミラの振るう剣をシェリダンはかわし、こちらの攻撃も避けられ、仕掛けては惑い、惑わしては挑まれる。
 昔なら考えられもしなかった事態だ。この自分が、よりにもよってカミラと剣を合わせるなど。
「今日こそ死んでもらうわ! シェリダン!」
 自分を兄とは呼ばない妹。
「断る!」
 カミラの一撃をシェリダンは受けとめ、腕の軽い痺れを無視して反撃に転じた。カミラの方は、さすがに身体能力こそ格段に上がったものの、技術の方は一朝一夕では身につかない。
 シェリダンの攻撃の型に合わせきれず、カミラがようやく一撃を負う。華奢な肩が血に染まった。
「降参しろ、カミラ。そしてローゼンティアの王子を放せ」
 もともとカミラにとっても、ミカエラを死刑にして益があるわけではない。そう考えるシェリダンの耳に、けれど返ってきた返答は。
「イヤよ!」
 黄金の瞳に燃えるような憎悪を抱いてカミラはシェリダンをねめつける。傷の痛みを堪えて顔色は白く、息が荒い。それでも負けを認めないその気質こそ、まさにエヴェルシードと言えた。
「……ロゼウスの弟だぞ」
「あんたがそれを言うの!? シェリダン!」
 彼の言葉に、いっそ悲痛なほどにカミラは顔を歪める。食い破りそうな勢いで唇を噛み、血の流れた腕で剣を握りなおす。
「私からロゼウス様を奪ったのはあんたでしょう! あの人を手に入れるためなら、私はなんだってする……それが、例えあの人の弟君を殺すことだとしても……ッ!」
「カミラ、お前……」
 一国を統治する者にしては、カミラの言葉は身勝手な我欲に溢れすぎていた。その瞳はただ一人を追い求め、そのためなら一欠けらの隙もなくシェリダンを憎む。
 ただ一つの救いは、そんな彼女の言葉をシェリダンが以外の者が聞いていなかったことだろうか。小さな声ではないが混乱の只中にあるこの現場では他の人間の耳には入っていないだろう。ロザリーや他のヴァンピルにならば届いているかもしれないが、少なくともカミラにとっての民であるエヴェルシード人は聞いてはいない。
 彼らが剣を振り回しているために、処刑を見に集まった民衆は広場中央部から距離をとって遠巻きに眺めていた。カミラの配下で処刑場の警備の兵たちは、クルスとロザリーが少し離れた場所で相手をしている。シェリダンとカミラは一対一で向かい合い、お互い以外の相手など意識していない。
 けれど、お互いがそれぞれ相手に向ける気持ちは違うのだろう。シェリダンはいつもこの妹に対しては複雑な気持ちを抱くが、カミラにとってもシェリダンは特別な相手。強すぎるほどに強い、憎悪の的。
 ここで会ったが百年目とばかりに、カミラは自分を睨みつける。その腕からはぽたぽたと、赤い血が零れている。
 ヴァンピルと違って、人間の血には何の効能もない。ただそれが流れ出すたびにその者の命が滑り落ちていくだけ。けれどシェリダンはカミラの赤い血を見ていると、何か眩暈のようなものを覚える。戦場で、王城内の策謀の果てに、些細な稽古の失敗でさえ、流血など見慣れているはずなのに。
 錆び付いた鉄の匂い、その腐臭は、いつか城の隠し牢で甚振り殺した父が流したものと同じ。
「な、ぜ」
 痛みのためか、カミラの頬を汗が伝う。苦しい息の下、妹は呪うように呟いた。
「何故、いつもあんたが私から奪うの」
「カミラ」
「男だから? 年が一つだけ上だから? だから、だから奪うの? この国のもの全部、あんたの物だって言うの? そうして私には何もないの? 私が女だから、だからいけないっていうの?」
「カミラ、違う」
 正気なのに空ろな瞳に、カミラは絶望めいた色を湛える。すっと光を失って暗く凝ったその目に、シェリダンは癒えぬ悲哀を見る。
 その悲哀が、自分のせいであることもわかっていた。
「違わないわ! この世にあるもの、みんな全部シェリダン、あんたが持っていったじゃない! エヴェルシード王の座も、お父様の愛情も、この国の全ても!」
 エヴェルシードは、いまだ男尊女卑思想の強く残る軍事国家だ。伝統的に継承権は男児が優先する。その国の王家に、女として生れたカミラは、ただそれだけで不利だった。
 もともと、シェリダンとカミラの間にさして大きな差などない。血筋の貴賎を持ち出すなら貴族の母を持つカミラの方がよほど玉座に相応しいくらいだ。
 ただ、シェリダンがこの妹より有利だったのは、男として生れた、その一点のみだ。それがために男子継承が慣例であるエヴェルシード王の座に、庶民出の母を持つにも関わらずつくことができた。身体的な能力、カミラが力を得るまでの武力に関してだって、男として生れたら当然女よりは有利に決まっている。政治や軍事的な駆け引きのことは、王太子として教育されたシェリダンと同じようにカミラが相応の教育を受けていたのなら、彼の方が負けたのかもしれないのだし。
 それなのに、エヴェルシードではカミラは王として生半なことでは認められない。カミラがシェリダンに劣っているかどうかではなく、それは彼女がただ女であるからという理由でだけだ。
 カミラがシェリダンを恨むのは仕方のないことだと、シェリダン自身も知っている。もしも少しだけ歯車が違ったら、この結果にはならなかったのかもしれない。
 けれど。
「そうしてあんたは、ロゼウス様まで私から奪っていく!」
 シェリダンにだって譲れないものはある。
「あれはもともと、私のものだ」
「何を言っているのよ!」
 彼の言葉に激昂し、カミラが再び斬りかかって来る。ロゼウスがかつてその身に与えたヴァンピルの血のおかげで、もう傷口は塞がっているようだ。それを再び開くような痛みに耐えて、カミラは剣を振るう。
 この妹は、ロゼウスのことが好きなのだ。シェリダンと同じように。顔の事はともかく、境遇と母親の立場から考えて随分似ていない兄妹として育ったものだと言われていた二人は、やはり紛れもなく血のつながった兄妹なのだ。同じ相手を、こんなにも好きになるなんて。
 だがカミラ、お前にロゼウスをやるわけにはいかない。お前がどんなにあの男を愛していても。ロゼウスがお前をどんなに想っていても。
 刺客に襲われて一度死にかけたのだというカミラに、ロゼウスは自らの血を分け与えたのだと言う。死者を蘇らせる力を持つヴァンピルの血。カミラが今振るっている力は、その副産物だ。それでもロゼウスの目的は彼女を人外の身体能力を持つ超人にしたかったわけではなく、ただ死んでしまったカミラを生き返らせたかっただけ。
 死を受け入れられずに新しい命を与えるほど、ロゼウスはカミラを愛していた。そのことを考えると、シェリダンは自らの心臓が狂おしい炎に焼かれていくような心地がする。
妹姫であるカミラとは玉座を巡って争ったこともあるが、本気で憎んだことはない。彼女の母である正妃ミナハークはシェリダンの母親を精神的に追い詰め自殺に追いやった張本人であるが、カミラ自身はそれとは無関係だ。だから恨むことなどすまいと思っていたし、実際そのように恨んだことなどない。
 だけど今は、かつて愛していたはずのこの妹にさえ、シェリダンは複雑な気分を抱く。
「どうしてあんたなのよ! 私ではなく!」
 それでも彼女の方が彼に向ける感情は昔から一貫して変わらない。決して緩むことなどない、その、激しい憎悪。
「私は、お前だけはけっしてゆるさない――! シェリダン=ヴラド=エヴェルシード!」
 鋭い一撃が、真っ直ぐにシェリダン目掛けて振り下ろされた。