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かつこつと長靴の音は意外にはっきりと屋根に響いた。けれど、それを気にする者などいないのだからどうでもいい。
「苦肉の策ですね」
どこからともなく現れた彼はハデスの隣に立ち、そんな風にまずハデスの行動を評した。神出鬼没と呼ばれる彼のもとにそんな風に現れるのだから、その男も立派に人外だ。いや、もとから立派に魔族だけど。
「状況を考えれば、不自然な気がしますよ。あの状態で、どうやったらシェリダン王がミカエラを殺す事ができたというのです?」
「多少の辻褄合わせなど、観客が勝手にやってくれるものじゃない? だって検証しようにも、ミカエラ王子の身体は消えてしまったしね」
死ねば跡形も残らない。
「便利だよねぇ。ヴァンピルって、化物はさ」
ハデスの皮肉にもドラクルは顔色一つ変えずに、また先程の状況を淡々と分析して責めた。肩口を過ぎるほどの彼の長めの髪が風に煽られる。
屋根の上に登ったハデスたちは、そこから眼下をひしめく群衆の動きを見ていた。蟻の群を観察しているよう。この位置にいる自分たちは、たぶん蟻の巣穴に水を入れて溺れさせることができるように、黒々としたあの人だかりをも簡単に殺せるのだろうなということを、彼は思うのではなく感じていた。そして感じていることに感慨はなかった。世界はひどく、近くて遠い。
「あの立場で、シェリダン王がミカエラを殺す理由はない。カミラ姫を失脚させるにしても、それならばカミラ姫が進めた政策たる処刑を取りやめさせる方が効果的だと思いますけどね」
「それはそうだろうけど、そう言った合理的な判断をいざと言うときにとれないのが人間ってものでしょ?」
「ですが」
「そういうもんだよ。君たちヴァンピルは違うのかもしれないけれど」
畏怖すべき魔族に対して感じる嫌悪。それでも儚げな容貌の、二国の講和を理由として死を選んだ高潔な少年に与えられた悲劇。もともと先王を幽閉、殺害して玉座についたというシェリダン自身の印象の悪さ。兄王子と妹姫なら前者の方が性格的に酷薄だろうという偏見。これまで為政者が目まぐるしく変わり侵略戦争を繰り返し国政が安定しきらなかたエヴェルシードで、また統治者が代わることによって生活が変わるのかと言う国民の不満。
人間は恐ろしく脆く、自らが傷つけられることに対して過敏な生き物だ。一度警戒心を煽ってやればそこに冷静な判断など存在しない。狂った生き物を誘導して底なし沼に静めることなど容易い。檻に閉じ込められたことにも気づかず、勢いよく鉄格子に頭を打ち付ける愚鈍な動物め。
エヴェルシードが自壊する火種などそこかしこに燻っていた。ハデスはそれを煽っただけ。ここはもともと、全てが綿密に仕組まれたものでなくても、一つを爆発させれば後はもうその炎の勢いに呑まれていくだけの国だった。
「ここでシェリダンを優位にさせるわけにはいかないんだから仕方がない」
「この事態を収めるべき、カミラ姫の器量を信じていないのですね」
「あなたはどうなのさ。ドラクル王。ならあなたは、カミラ姫にそこまでの能力があると思っているの?」
「いいえ。彼女には度胸こそありますが、執政はさほど優れているとは思えません。補佐が必要でしょう。今度のことも、ある意味ではあなたの助けがあってこそシェリダン王に敗北せずにすんだ」
「結局あなたもこれを勝利だと見ているじゃないか。ならドラクル、君は要するに、弟を僕に殺されたのが悔しいだけなんだろ?」
せせら笑うと、一瞬だけ殺気が返る。しかしすぐにそれは収められた。彼の目的には、帝国宰相、魔術師ハデスという人間の協力が必要不可欠だ。ハデスは自分が、何かのことを起こすときにあまりにも使い勝手のいい駒であることを自覚していた。だからこうして、シェリダンにもドラクルにもヴィルヘルムにも頼られる。
だが、それでいて彼は口を利かぬ意志を持たぬただの駒ではない。
「歪ですね。ハデス卿。あなたは結局何なのですか?」
「何って何?」
先程の仕返しなのか、ドラクルが脈絡もなくそう切り出した。
「あなたは人間を馬鹿にしている。そうやってあなたという扇動者の言葉にたやすく誘導される人々を嘲笑して見下している。けれど、あなたは人間だ。いくら魔術と言う超能力を行使し、只人には不可能なことをできても、それでもあなたは人間だ。それは、あなたの魔族嫌いから見てもわかる」
ドラクルは腕を伸ばし、ハデスの頬に手を当てるとそっと撫でた。
人間より体温の低い、冷たい、不快な、気持ちの悪い、ヴァンピルの手。
この手に悦楽を求めたこともあったけれど、それでも結局は僕の心は満たされない。僕が満たされる時、それは……。
「そうして人間を見下し、魔族さえも見下しながらあなたが本当に求めるものは何なのです? 人を駒として扱いながら、自らが駒扱いであることは許せない。それは私たち相手にではなく、もっと大きくて偉大な、あの方に対する反応として……」
「!」
ハデスはドラクルの手を振り払った。魔力の宿る爪を持った右手でそれを行うと、切っ先がドラクルの生白い肌に赤い跡を残した。流れた血を彼は無表情に舌で舐めとる。そんなことをしたって、ヴァンピルの血は同胞を鎮めることはできても、再摂取によってヴァンピルの力に戻るわけではないらしいけど。
「シェリダン王が好きだったんでしょう、ハデス卿。けれど彼という友人を得てもあなたの心の欠落は満たされない。それを埋めない限り、あなたは自分の命と存在に価値をもつ、一人の人間として生きられない。だからその最終目標のために近づいて利用して今こうして貶めたシェリダン王なのに、いざとなったら辛い? やめてくださいよ。そんなあなたの勝手な感傷で、私に八つ当たりするのはね」
「お前……ッ」
ハデスは自分を分析しようとするドラクルの態度にイラついた。胸倉を掴んで睨む。この姿では彼の方が背が高いために、さして向こうには動揺もないのが余計ハデスを苛立たせる。
「勝手なことを言うな。お前に何がわかる」
「知りませんよ。あなたのことなど」
「お前だって、自分勝手で狭量な価値観で生きて世界にそのわがままを押し付けているくせに! ロゼウスは憎いのに手に入れたくて、同じように本当は弟じゃなかったミカエラ王子を憎む事も出来ずにその死を悲しむ!? お前だって家族に対して複雑な愛憎抱きすぎて自滅しているだけだろう! そのために国一つ動かして多くの民の命を犠牲にした男が、何を常識ぶって――っ?!」
突然、ドラクルに手のひらで口元を強く塞がれた。とうとう怒り出すのかと思ったけれど、違う。
「そろそろ民衆が散り始めこちらにも戻ってきます。お静かに。場所を移しましょう」
彼に腕を引かれて、屋根を降りた。その途端、路地裏の薄汚れた壁に強く身体を押し付けられる。
「痛っ!」
ロゼウスより劣るとはいえ、ドラクルもヴァンピルの中では桁違いに能力が高い方だ。当然、腕力含む全ての身体能力も。いくら魔力と言う特殊な力を持つハデスだって、純粋な暴力の前では勝てない。
魔力の爪で抗おうとしても、その右手はとくに念入りに押さえ込まれている。動けない。びくともしない。酷い悔しさを感じて顔を上げれば、冷たい唇に呼吸を奪われた。
「~~ッ!」
乱暴に口内をまさぐられる内に、ドラクルは体重をかけて足でハデスの身体を固定する。そしてハデスの右腕は離さないまま自由になったもう一方の手で、荒々しく服を引き裂いた。
「~~、新調したばっかだってのに、なんてことしてくれる!」
「それはすいませんね。あなた世界で二番目の権力者なんだから、しみったれたこと言ってないでまた買ったらいいじゃないですか」
やっと唇を離されたのでそう言えば、返ってきた言葉はそんなものだった。反省のない口調で淡々と告げると、ドラクルは破れた衣装の隙間から手を差し込んできた。
「うあっ!」
ちぎるかのような勢いでつままれた乳首に悲鳴をあげれば、耳元に顔を寄せた男が低く囁く。
「結局、私もあなたも同類なんですよ」
その言葉と手付きに、ああ、やっぱり怒っているんじゃないかと夏場でも路地裏の影になった石壁の冷たさを感じながら思った。ドラクルの肌は冷たいのに、吐息だけが熱に浮かされたように熱い。
「私にはあなたの協力が必要だし、あなたにも私の協力が必要なんでしょう? ハデス卿。あなたが私を心の底では見下していようが、同胞である人間たちを侮蔑していようが勝手だし、シェリダン王に対して複雑になろうともどうぞ好きになさってください。私だとて、あなたを本当の意味で敬ったりなどしない」
彼らの中で、何かが確実に剥がれおちていった。ドラクルは本来なら、言ってはならないはずの言葉を言っている。彼の場合帝国宰相たるハデスを敵に回すのはまずくても、立場が本来かなり上であるハデスは、彼を敵に回して本当の意味で困ることはないはずだ。それなのに真の目的をまだ言ってもいないハデスの態度を、彼がこれまでに感じたものだけで判断して彼の協力が必要だろうと決め付けている……。それが当たってしまっているのだから、なおタチが悪いのだけれど。
削れ、剥がれ落ちていく、心の仮面。美しい皮一枚剥いだ人間の顔の下には、赤黒い筋肉のねじれ絡まった醜い内部が覗いている。
何をきっかけにそうなったんだろうか。さっきのミカエラ王子の死? いや、違う。そうではなくて。予兆はたぶん、ずっと前から、僕たちがそうと気づいていないだけであったのだ。
それ以上考える余裕は与えられなかった。ゆるゆると下肢をまさぐっていたドラクルが、ふいに強くそれを掴む。
「アアッ!」
「そういえば卿は、清純そうな見かけによらず、乱暴にされるのがお好きでしたね」
耳を食みながら囁いて、ドラクルは言った。
「ならば望みをかなえて差し上げましょう」
こんな時ばかり本来の身分差を逆に強調することによって、皮肉る。それだけ立場の違う相手であっても、ハデスはドラクルに対しては、無様に足を開く存在だろうと。
嫌味ったらしく馬鹿丁寧にそう言って、男は少年の身を引き裂いた。
◆◆◆◆◆
焼きついているのは白い服の印象だった。
――兄様。
兄弟の中で、白が似合うと言ったらあの弟だったと思う。俺もドラクルも白はよく着ていたけれど、それは「似合う」とかいうものではなかった。狂気の白が貼りついて剥がれない。そんな感じだった。
ミカエラは違う。柔らかな、綺麗な、汚れない、白。春の終わりに咲く小さな花のような、優しい白。
たいして興味があったわけじゃない。病弱でいつも部屋にこもりきりだと言う彼に会いに行ったのは、ほんの気まぐれだった。
なのに、何故かこちらの予想外に懐かれてしまって。
――兄様、ロゼウス兄様!
俺が部屋を訪れるたびに、青白い頬を紅潮させてミカエラが飛びついてくるのがなんだか嬉しくて……見返りがほしいから彼を構っていた。ドラクルの激しい憎悪に当てられた後に、優しくする振りをしながら自分が癒されたかった。言葉の通じない動物を構えば一時的に癒されるように。
酷い兄だった。優しさの欠片もない人間だった。罵られても仕方ない。
ミカエラは俺にとって、一番大切な相手ではなかった。本気で好きで愛されたくて仕方がなくて裏切ることを許せないほどに愛しい相手、ではなかったから、気安かった。傷つけることにも傷つけられることにもたいした意味を考えなかったから、側にいることも苦痛ではなかった。
可愛い弟。俺に、ふわふわとした温かいものだけをくれた。
それを、ふと、思い出した。
『ミカエラ……?』
天も地もない水の中、その存在が世界から消えたことを知った。
◆◆◆◆◆
はらはらと花が降る。森の小道に、雨のように。その儚い影が降り積もり、道を白く染め上げていく。蝶の屍のように繊細な花の残骸が、彼らの頭上に降り注ぐ。
まるでセルヴォルファスであの凍てついた雨に降られた時みたい。頬に触れる花びらが、こんなに優しい色をしているのに氷のように冷たかった。安らかな木漏れ日に、白い蝶の屍が降り注ぐ。
ジャスパーは隣に立つ人の袖を引いた。
「ロゼウス兄様、今……」
言葉にはならない。この感覚を、どう言って伝えればいいのかもわからない。全身が震える。
半身を切り取られたような虚無感に襲われる。
血を分けた兄の一人にそれをどうにかして伝えようとしたところで、彼はジャスパーを見ないで正面に視線を据えたまま口を開いた。
「ああ。死んだな。ミカエラが」
返ってきた冷たい声に、ハッと気づく。
「え、ええ……」
ああ、そうだった。この人は今は僕の兄様のロゼウスじゃないんだ。その前世たる始皇帝候補、シェスラート。
「ミカエラ兄様……どうして……」
「エヴェルシードの方で何か騒ぎがあったようだと、確か前の街で聞いたんだったな。それと関係があるのかも」
あの病弱な兄の気配が消えた。これまでのような、一度死んでも生き返れるただの死ではないこともわかった。本当の消滅。世界からその存在が消されたのだ。
「もともと病弱だったんだってな。何事かあれば、真っ先に死んでもおかしくはなかったんだろ?」
「それは……そうですが……」
シェスラートの冷静な言葉に、ジャスパーも次第に落ち着きを取り戻す。心臓を針で貫かれたようなあの衝撃はまだ心に残っているけれど、耐えられない程ではない。
そうだ。わかっているはずだろう、ジャスパー。
僕らは今、とても危うい極限の状況にいる。いつ誰が死んでも、殺しても、殺されてもおかしくないような状況だ。
わかっていたはずだ。そんな状況であるなら、確かに真っ先にあの兄が犠牲になってもおかしくはないと。何を今更、動揺する事がある。
いらない。何もいらない。そんなものはいらない。そんな、すぐに揺さぶられる弱い心なんて、生きて行く上では不要だ。
「好都合じゃないか。ローゼンティアの血を引く者を、一匹減らしてくれたんだから」
ロゼウスの顔をしながら、ロゼウスではない存在は平然としたものだ。ロゼウスはあんなにもミカエラに信頼され心を寄せられていたというのに、今その中にいるシェスラートはまるで知らぬ気に振舞う。
「それよりジャスパー、そろそろ来るぞ」
「はい。約束の時間です」
シェスラートに言われて、ジャスパーは顔を上げる。彼と同じく道の先を見ていた。そこに、しばらくして小柄な人影が現れる。
「ロゼウス兄様! ジャスパー兄様!」
「ウィル」
先日伝書蝙蝠を使って連絡をとった弟王子のウィルだった。彼は遠くからでもロゼウスたち二人の姿を認めると、嬉しそうな顔で走り寄ってくる。
「……兄様!!」
ジャスパーを呼んだのかロゼウスの方を呼んだのか、彼はそう言って感極まった顔をすると、二人の間に飛び込むようにして抱きついてきた。
「良かった! 無事だったんですね! お二人とも!」
「ウィル」
受けとめた体の確かな重みを感じる。弟の柔らかな髪を撫でる。そしてもう二度と、こうして自然に触れることは叶わなくなることを思う。
「それで、二人とも、とにかく一度ここから――」
ローゼンティアに。その言葉は、音にされずに途切れた。
「え?」
真ん丸く目を見開いて、心底不思議そうなウィルの表情。細い体から力が抜け、ずるりとその場に崩れ落ちそうになるのを、彼の片腕を無造作に片手で掴んだロゼウスが止めた。
そしてそのもう片方の腕は、ウィルの脇腹に埋まっている。
「ど……して……」
信じられない、と言った顔でウィルがつぶらな瞳でロゼウスを見上げる。そしてその兄の紅い瞳に、何の感情も浮んでいないことを知る。
「……これで一度死亡、か」
まだ弟は灰になってはいない。それでも生命活動は間違いなく停止している。彼の死に顔を眺めながら、シェスラートが楽しげに呟く。
「邪魔なんだ。ローゼンティアのヴァンピルなんて。それがこの俺自身の子孫の血でもな」
かつてこの世の支配者になり損ねた男は酷薄に笑う。
「今度こそこの俺が、ロゼッテを殺してこの世界の帝位に着くにはね」
はらはらと白い花が蝶のように辺りを舞い、雨のように木漏れ日の隙間に降っていた。
◆◆◆◆◆
銀の矢に心臓を射抜かれてはどんなヴァンピルでも生きてはいられない。
最期の瞬間、見た空がとても青いようだったのは僕の気のせいなんだろうか。
ローゼンティアの土を二度と踏む事はないだろうとわかっていた僕は、エヴェルシードで死ぬ。炎の国と呼ばれる隣国の空は、けれど湖の底から天上を覗き見たらこうなるのではないかというように、青く美しかった。
故郷の空は常に薄曇で、昼間でも灰色に染まっている。僕はずっと、空は灰色なのだと思っていた。だからそう言ったときにロゼウス兄様が吃驚したように瞬いて、違うよ、と教えてくれた時は驚いたものだ。
そんな他愛のないやりとりすら、今はこの目に映る空よりも遠い。そう、遠すぎて手が届かない。あの青と流れる雲には手が届きそうなのに、過ぎ去った日々には、もう二度と手が届かない。
ロゼウス兄様。
愛しくて、大好きで、どうしても幸せになって欲しい人のことを考える。今頃どこでどうしているものか。さっぱりわからないけれど、でも苦しい思いをしていなければいいと思う。
そしてできるなら、どうか幸せにと。
彼は特に聖人君子でもないし、聞きわけ良さそうな顔をして案外わがままだということも知っている。ロゼウス兄様は大人しい兎の皮を被った狼のような人だ。周囲が与える評価以上の能力を持っているくせに、自らは積極的には動こうとしない。
でも彼のあらゆる力が誰よりも優れていることを、僕は知っていた。ローゼンティアの王となる人は、ドラクル=ヴラディスラフではなく、ロゼウス=ノスフェル=ローゼンティアでなくてはならない。それは家の名前や正当な血筋という問題ではなく、ただロゼウス兄様の方が、ドラクル兄上より優れているから、それだけだ。
大好きな兄様。
ロゼウス兄様だけでなく、兄妹はみんな大好きで大事だったけれど、それでも特にロゼウス兄様が大切だった。あの人のために死にたかった。
僕はとても役立たずで、何をするのにも使えなくて、無力で。蔑むこともできたはずなのに、ロゼウス兄様の目には一度だってそんな色が宿ったことはない。それが彼の周囲に一枚薄い膜が張られてそこから世界を見ている生だとわかっていても、それでも嬉しかった。彼が僕をどうでもいいと思っていることの証明こそが理由で惹かれるなんて、それこそ滑稽もいいところだ。
あの人は優しくて、残酷で、強くて、脆い。
僕はロゼウス兄様のために、何かしてあげたかった。役立たずのこの命を、誰かのために使いたかった。それができて初めて、僕は本当に意味を持って、生まれてくる事ができたような気になれるから。
ロゼウス兄様のために死ねたのなら、僕はとても嬉しいだろう。
後の事はきっと大丈夫。世界は僕が生きようと死のうと大きく動きはしないだろうけれど、でもロゼウス兄様がいる。だから大丈夫。
そのロゼウス兄様が好きになったのがあのシェリダン王だというのはちょっと癪だけれど、それでも兄様がそう言うのなら仕方がない。あの憎らしい男の幸せも、どうか願っておいてあげるよ。
僕らを裏切りローゼンティアに一度は仇なしたドラクルだって、ずっと僕の大事な兄様だった。もしも彼が赦される日が来るというのならば、できれば幸せになってほしいよ。
ロザリーや他の兄妹たちも。ローゼンティアの残された民も、エヴェルシードでも何故か僕たちに優しくしてくれた人たちも、みんなみんなみんな、どうか幸せになって。
世界がそうなってくれるのであれば、僕はこの命を失うことだって、悲しくはないから。だから――。
「シェリダン王を殺せ!!」
「大逆人を赦すな!!」
「あの男を地獄に落せ!」
幸福を、祈る。
どうか、どうか、どうか。
この世に在る限り、どんな生き物も宿命から逃れられない。傷つけて傷つけられて間違って迷ってまた繰り返す。
その祈りの儚さに幾度となく絶望し、与えられた運命の過酷さに繰り返し打ちひしがれながら、それでも――。
全ての命ある者へと、祈り続ける。
《続く》