荊の墓標 32

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「まずは現状を確認しましょうか。当座の問題は切羽詰ってはいても解決できる可能性はあるわ。けれどあなたたちには、恐らくその戦いの最後までつきまとう問題がある。そうでしょう」
 典雅な室内にお茶の支度を整え、けれどその味を楽しむためでなくデメテルは話を始めた。熱いうちであれば芳醇な香りと上品な甘さを堪能できる高級な茶葉が、ただ話し疲れて乾いた喉を機械的に潤すためだけに消費されていく。
「今のところは問題となるものが多すぎてどれとも言いがたいのですが」
 皇帝相手ともなれば平素よりは丁寧な口調で、けれどその意志の強さは変わらず、シェリダンが言葉を返した。この場にいるのは元エヴェルシード王である彼の他にもローゼンティア第二王子でありローゼンティア側では最年長のアンリなどもいるが、主導権を握っているのはシェリダンの方だった。あまり我の強くない、穏やかな性質をしている王子は、十歳近くも年下の、元は敵である隣国の王に話の主体を譲る。
「では、言葉を変えましょうか。あなたたちがその人生をかけて付き合わなければならない最大の問題は、ローゼンティアの王位継承問題だと」
 一方デメテルはどういった判断の下でか、はじめからシェリダン相手にだけ話をしているような節があった。他の面々は彼女にとってはシェリダンのオマケのようなもので、ほとんどどうでもいい存在らしい。
 それは、話題がシェリダン自身とはさして関わりがなく思われる、隣国ローゼンティアの王位継承問題だとしても変わらない。
「ローゼンティア……ドラクル王のことですか」
「ええ。そうよ。正確には、ドラクル=ヴラディスラフとロゼウス=ローゼンティアのことに関してね。あなたはその二人の運命に、蜘蛛の巣にかかる蝶もそこまで無防備じゃないわよーってぐらい、見事に引っかかってしまったんだから」
「……」
 もったいぶった思わせぶりな言い方がどうというより、途中に挟まれたあからさまであって何か違うような比喩にシェリダンは一言物申したくなったのだが、相手は皇帝。しかも有益な情報を握っている世界最強の権力者となれば、うっかり機嫌を損ねるわけにもいかない。
 もともとシェリダンは彼女の弟であるハデスの敵であるわけだし。しかし、そのハデスとデメテルは不仲だというから、敵の敵は味方と言う心境なのかもしれないが。
 いや、とそこまで考えてシェリダンはふと目を細めた。
 違う。何かが噛み合わない。歯車が間違っているような気がする。そんな不格好な歯車では、推測が上手く一つの流れとなって機械を動かすに至らない。
 一体何が間違っているのか、しかしそれにシェリダンが思い至る前に、デメテルは話を続けた。
「ドラクル王が前ローゼンティア王ブラムスの実子ではないってことは知ったのよね」
「はい」
「……ええ」
 シェリダンに続き、項垂れたロザリーが悄然とした様子で頷く。そんな彼女をエチエンヌがそっと机の上に握った手を自分の手で包むようにして慰めているのを横目で見ながら、シェリダンは話の続きを待った。
「そう。ならこれはどこまで知っている話かしら。ロゼウス王子が十七年間兄と信じていたドラクル王に虐待され続けていたってことは」
 一見先程の話題と何の脈絡もなく続けられた彼女の言葉の、シェリダンとアンリは内容そのものに反応する。
「!」
「私は話を聞きました。本人から」
 アンリが青褪める横で、シェリダンは平然と話す。
「本人って、ロゼウス王子の方? そっちの王子様も、何か知っているようね」
「お、俺は……」
 なかなか受け入れがたいことではあるが、アンリもそのことを知っている。しかしはっきりと「虐待」とされた言葉に、竦んでしまうのも事実だった。
 アンリの立場もなかなかに複雑だ。ローゼンティア第二王子にして第二王位継承者……だとこれまで信じられてきた。しかし突然の隣国の侵略から日常が一変し、今では兄と弟までが敵に回ってしまったのだから。
 そして例えそれがなくとも、エヴェルシードによるローゼンティア侵略がなかったとしても、それでも充分にアンリの立場は複雑だっただろう。
 ドラクルはアンリにとって、文武両道才色兼備な理想の兄であった。しかしいつからか彼は狂い始め、表沙汰にはできないようなことに手を染め始めた。
 ロゼウスに手を出しているのも、アンリは割りと初期の頃から知っていたのだ。けれど、止めることができなかった。第二王妃であるアンリの母は彼を王位につけたいがためにドラクルを敵視していて、ことあるごとに王太子である彼への攻撃を仕掛けた。そんな理由があるのも含まれて、ドラクルに対してもロゼウスに対してもアンリは心のどこかで負い目が消えない。
 しかし今は、彼の個人的な感情を話している場合でもない。
 シェリダンが彼の知っている「ロゼウス」についてをその声で綴る。交わした会話の数々を、書物になど書きとめずとも彼ははっきりと覚えている。
「私の目に映るロゼウスはどこかつかみどころのない性格でした。しっかりしているように見えて、奥底まで踏み込むとふわふわとしていて地に足がついていない。考えなしともまた違う、彼がそういう風であることを自分で選ばざるを得なかったのが、そのドラクルからの虐待であると知りました」
 兄からの様々な陵辱の数々を、その場その場の甘い言葉を信じて愛情として受けとめたがっていたロゼウス。彼は頭は悪くない。本能的にわかっていたのだろう。自分さえ我慢すれば、全てが上手くいくと。複雑な立場に立っていたドラクルには、その負の感情を受けとめる器が必要だったのだ。
 自分と同じように。
 シェリダンは目を伏せる。他でもない彼自身も、自らの凝り固まった憎しみとどす黒い欲望、焦げるような苛立ちと掬っても掬っても果てなく湧き出る哀しみをぶつける対象としてロゼウスを欲したからだ。どうもロゼウスはそう言った輩に求められる傾向があるらしい。
 ドラクルの素性の全てをまだ明かされたわけではないが、あのエヴェルシードの深い森で、病んだような闇の中彼の語る言葉を聞いて、シェリダンにはなんとなくだがその思いがわかってしまった。
 報われないのに追い求め続けるのは辛いのだろう? それが本来当然与えられるべきものなら尚更。
「ローゼンティア前国王ブラムスは、その双子の弟であるフィリップ=ヴラディスラフ大公と確執を抱えていた。ここまでならよくある王家の闇ですむのだけれど、まずかったのは王弟だけでなく、王妃たちのそれぞれまでもが国王に対して不実だったこと」
 デメテルのその言葉にアンリとロザリーは思わず俯いてしまった。ローゼンティアの三人の王妃は、皆大なり小なり国王であるブラムスを裏切っているらしい。いや、国王であることがどうのというよりも、夫を裏切るのは妻としてどうだろうかと二人は思わず恥じてしまう。
 しかもその夫を裏切る行為の根底にあるのは、結局は権力争いだ。第一王妃クローディアも第二王妃マチルダも、結局は王の寵愛を受けて権力が欲しかっただけだ。ロザリーの母親はそのどちらでもなく第三王妃で貞節と呼ばれたアグネスだが、実際彼女もどうだったのか、今となってはわからない。
デメテルの説明は続く。
「ローゼンティアの玉座を巡って、王弟は王の妃を奪うことを企んだ。妃たちもそれに乗った。十数年の間は確かにそれでよかった。けれど事態は後になって露見する」
 ドラクルは望んで王弟の子に生まれたわけではない。
 しかし、ブラムス王にとってはそれが間違いなく裏切りだったのだという。愛していたはずの息子は、息子ではなかったのだから。
「王はね、ドラクルを虐待していたらしいわよ」
「あ……」
「自らのことでない罪を、そうしてドラクルは一人責められ続けた。その責め苦の重さがやがて国を滅ぼすほどにまで」
 理由もなく狂気に走る生き物などいない。
 シェリダンは苦虫を噛み潰した。
「さて、そこで、自分の責任でもないのに生まれたことを、その存在そのものを咎められ続けた王子はどうしたでしょう」
「復讐に走った」
「そうよ。彼は彼の考えうる、最も皮肉な復讐へと走ったの。すなわち、いつか自分の玉座を奪うことになる真の王太子、それまで弟だと信じてきた王子ロゼウスに、自分が父王にされたことをまた繰り返すこと」
 それが、ロゼウスがドラクルにされたという数々の虐待に繋がる。
「そしてもう一つは、自らが奪われた王位継承権を取り戻す……つまり、ローゼンティアをその手にすること」
 ドラクルに落ち度などない。彼は好き好んで王弟が王妃と密通した際にできた子どもとして生まれたわけではない。
 だが、王はそう見なかった。
「生まれを理由にその咎めを受けるには、彼は有能で純粋過ぎたのかもしれないわね。これが単に権力欲だけで生きる無能者だったなら問題は簡単に済んだのだけれど、生憎とドラクルはそのどちらでもなかった」
 権力への固執と言うよりも王子として、王の子としての存在そのものに拘った彼がとる道はローゼンティアを手に入れること。
 無能ではないドラクルだが、行き過ぎた純粋さは狂気に程近い。誰よりも民の幸福にこだわった男だからこそ、全てを成す際にドラクルからは、民を気遣う心も消えていた。
 その結果があのエヴェルシードとの同盟だ。
「父親への復讐を果たし、ローゼンティアを手に入れる。そのためにドラクル王子はエヴェルシードと手を組んだ。シェリダン王、あなたを上手く利用してね」
 シェリダンは唇を噛み締める。不愉快だがそれは紛うことなき事実だった。シェリダンの持つエヴェルシードの兵力を利用するために、ドラクルはヴラディスラフ大公と自らの名と身分を偽ってシェリダンを騙したのだ。 
 あっさりとそれに乗せられた自分が情けない。
「けれど、その策略こそが逆にドラクル王の仇ともなったわ。エヴェルシード王、あなたがロゼウス王子をローゼンティアから奪ったことで、ドラクル王の計画は狂い始めた」
「あの男の復讐は、ロゼウスがいなければ完成しないものだからですか」
「ええ。そうよ。だからいつまでもロゼウス王子を追いかけ続けるの。彼が欲しいのはただの玉座ではなく、復讐の貫徹。それには、ロゼウス王子がいなくては意味がない」
 ロゼウス自身も選んで王の子に生まれてきたわけではないとはいえ、その存在故にドラクルが玉座を追われたのも事実だった。憎むにはもっとも手っ取り早い相手で、彼をずたずたに引き裂いてこそドラクルの復讐は完成する。
「馬鹿馬鹿しい。言っておくが、私はローゼンティアを侵略したことも、ロゼウスを攫ったことも悪いとは思っていない」
「お前!」
 シェリダンの言葉に、アンリがいきり立つ。慌ててクルスとロザリーが二人の間に割って入った。
「アンリ兄様!」
「シェリダン様!」
 妹に宥められて、アンリは渋々ともとの席につく。しかしシェリダンは涼しい顔のままだ。
「むしろ貴様らの国の事情に我国を巻き込むなと言ったところだ」
「何だと……いきなりの友好条約を破って攻め入ってきたような国が!」
「だから、やめてってばアンリ! シェリダンも! 今はそんな話してる場合じゃないでしょ!」
 これまでは表面上とはいえ何とかやってきたものだが、ここにきて何かが剥がれ始めた。アンリの態度が荒れているのは先程デメテルに振られた話題のせいもあるのだが、そのことには誰も気づかなかった。
 彼らの争いを別に宥める気配もなく、デメテルがシェリダンの言葉の後を引き継ぐ。
「それは確かにそうね」
 引き継いで、そして容赦なく落とす。
「まぁ、私たちが巻き込まれたのはローゼンティアだけでなくエヴェルシード、というよりもエヴェルシード王シェリダン、あなたのせいという面もあるのだけれど」
「な、私が?」
「ええ。あなた自身は気づいていないでしょうけれどね」
 ふぅ、とデメテルはこれ見よがしな溜め息をついて見せるが、シェリダンにはいまいち何のことだかわからない。ハデスのことだろうか。いや、だがどちらかと言えば、シェリダンとハデスの関わりはハデスの方からシェリダンに近づいてきた面が多い。
 真実はそうではなく、そしてそれに触れもしないまま、デメテルははなしを続けていく。
「もう一つ重大な問題を忘れているわ。確かにローゼンティアを簒奪したドラクル王は問題だけれど、けれどそれ以上に問題な人物があの国にはいるでしょう?」
 そうして彼女は、指を二本立ててみせる。
「一人は次代の選定者。ジャスパー=ライマ=ローゼンティア」
 出てきた名前に、集った面々は一度顔を引き締めて皇帝の言葉へと注目する。アンリやロザリーたち家族の者にとっては突然性格が変わってしまったように思えるジャスパー。シェリダンやローラたちにとっては、ほとんど気違いのような面しか見せてない妖しい存在。
 そしてもう一人、とデメテルはついにその名を口にする。
「薔薇の皇帝ロゼウス=ノスフェル=ローゼンティア。この世界に混沌を生み出す、全ての争いの元凶よ」

 ◆◆◆◆◆

 世の中には、どうあっても災いを招く宿命というものがあるらしい。
 例えば「傾国の美女」という言葉がある。国を傾けるほどの美女ということだが、これはなまじ笑い話や舌打ち程度ではすまない大惨事を引き起こす可能性のある存在を示すこともある。
 かつて、ある国にとんでもない美貌を持った女がいたらしい。その女を世界のほとんどの国の王が愛し、あまつさえ彼女をとりあって戦争を起こし幾つもの国が滅びたという伝説だ。
 本人が望むと望まざるとに関わらず、世界に某かの波紋を引きさざるを得ない存在というものは存在する。本来の傾国の美女とはそういうものだ。たかだか一国の王に取り入り媚びて財を使わせる程度の妾など話にもならない程度の、残酷な美を持つ女。
 その話はひとまずおいておくとして、傾国の美女ならずとも他者の運命に関わる存在と言うものはいた。
 ロゼウスは恐らく「それ」なのだろうとデメテルは言う。
「あなたたちはまだ知らないかも知れないから、一つ教えてあげる」
「?」
「セルヴォルファスは滅びたわ」
「!?」
「何ッ!」
 デメテルの言葉に、アンリもシェリダンもその顔にまざまざと驚愕の色を浮かべた。
 セルヴォルファスと言えば、人狼ワーウルフの治める魔族の国。そんな国が簡単に滅びるはずは……。
「本当よ。滅ぼしたのはエヴェルシード。シェリダン王、あなたの妹である現女王カミラを唆したのは、我が弟ハデス」
「カミラと、ハデスが」
「ええ。そして」
 デメテルは一度言葉を切って、室内の全員を見渡してから再び口を開く。
「滅ぼしたのはエヴェルシードだけれど、間接的な崩壊の原因はその王ヴィルヘルムの心を惑わして殺したロゼウス王子」
「ロゼウスが?」
「だが、彼を攫ったのはそのヴィルヘルムだ。自業自得だろう」
「ええ。そうね。そうとも言えるわ。けれど、ヴィルヘルム王はその昔ロゼウス王子と逢っていて、彼の存在を欲したのもそのせい。セルヴォルファス王の暴挙とロゼウス王子は、決して無関係ではないのよ」
 デメテルは一口お茶で喉を潤す。彼女が黙ると、再び語り始めるまで途端に部屋の中が静かになる。
「ロゼウス王子の宿命は『荊の墓標』」
「いばらの……はかじるし?」
「ええ。彼の意志とは関係なく、出会う相手に死と破滅をもたらす。それがあの王子の宿命よ」
 ヴィルヘルムは有能とは言いがたがったが、本来ならセルヴォルファス最後の王族として努めていた彼はそんなにも早く短慮に国を崩壊に導くような人物ではない。そしてドラクルもまた然り。
「ロゼウス王子が醜悪で愚劣な無能王子だったならば、ドラクル王もここまで憎しみを育てなかったでしょう。さっさと彼を殺してでも玉座を奪い、全てを明るみに出されても自分が王位に相応しいことを主張するぐらいのことはするわ」
 それが受け入れられそうなほどに、ドラクルは本来有能なのだそう。
 けれどそれを、ロゼウスは完全に上回るとも言う。
「傾国の美女ならぬ美少年ね。誰も彼もがロゼウス王子に夢中になっていく……ああ、夢中とは少し違うかも知れないわね。人によってはあの美貌と魂の形に、逆に嫌な感じを覚える者もいるらしいから。ハデスが実際そうだしね」
 デメテルの言葉に、何故かクルスが反応した。微かに目を見開いて、居心地悪そうに視線を落とす。彼の近くに座っていたエチエンヌたちは気づいたが、シェリダンはついにそれに気づく事はなかった。
「しかも、彼は次の皇帝」
 デメテルのその言葉には、誰もが反応する。
「皇帝は人を愛してはいけないのよ。愛は人を狂わせるから。だからこそ皇帝は、愛する者を生き返らせることができない」
「……皇帝」
 ロゼウスが、次の皇帝。
「本当なのですか、それは」
「ええ。私が嘘を言ってどうするのよ。それに見たでしょう。あのジャスパー王子の肌にあった選定紋章印を。あれは間違いなく、この世界の支配者を選ぶ証」
 そのジャスパーが選んだロゼウス。
「何故……」
「どうしてかなんて、私も知らないわ。けれど間違いなく、ロゼウス王子は次の皇帝よ」
 呆然とする。
一国の王や王子、王女であったここにいるような面々にとってさえ、皇帝とは雲の上の存在だ。いや実際に現皇帝が目の前にいるのだが、それでも世界にただ一人神の意志によって選ばれる存在が、まさか身近な者だとは誰も思うまい。それも、もとより人格者として聖人として名の知られた人物ではなく、あのロゼウスだ。
 彼は優しいのかも知れないが、間違っても人格者ではないことはこの場にいる面々は知っている。どころか、自分の身近な者以外に対しては、案外容赦ないことも。
「それでも、皇帝なのよ。神の意志は絶対よ。その思惑など、私たち人間に知る事はできないわ」
「……皇帝なのに?」
「皇帝でも。所詮皇帝なんてただの神の代行者だしねぇ。それも政治の代行者であって、それ以外のことは一切適当」
 デメテルはさらりとそう言ってのけた。皇帝というのは全知全能の力を持つといわれるが、実際は気さくな、ただの一人の人間なのかも知れない。
 しかし彼女はそれで良いのかも知れないが、その次の皇帝の事に関しては誰もがまだ受け入れられない。
 ロゼウスが次の皇帝。
 それは彼と親しければ親しいほどに。受け入れられない事実であった。
「……ハデスは、そのことについて何を企んでいる?」
いつの間にか敬語も忘れて、シェリダンはデメテルにそう問いかけていた。デメテルも特に何も言わず、普通に答を返す。
「次の皇帝の誕生は、即ち前皇帝の死を示す。そして選定者は皇帝に殉じる運命にある。あの子が望むのは、その未来を変えることよ。だって、誰だって死にたくないでしょ?」
 あたりまえだと言うように、デメテルは肩を竦めた。
「ハデスは自分が皇帝になりたいようなことを言っていたが?」
「そうね。それもあるでしょうね。何しろあの子は私の姿を直に見ているから。私でも務まる『皇帝』が自分にはできないなんて考えたこともないでしょうね」
「それは、あなたが――」
 何か言いたげに口を開きかけて、結局シェリダンはやめた。ハデスとデメテルのことは、ここでは関係ない。自分が言ってどうなることでもあるまいと、それがシェリダンの口を閉じさせる。
「ハデスはね、人の運命が見えるの」
「知っている。だから《預言者》なのだろう」
「ええ。正確には予言なんてほとんどしたことないんだけれどね。それはあの子が見える未来をぽんぽん口にしてた頃についた綽名よ。けれど最近は見える未来を自分のために活用するハデスは、それを人に伝える事は少なくなったわ」
 どんな形であれ、未来が見える。隠密行動にはもってこいの能力だが、意外と使い勝手は悪いのだという。制限が多くて不確かだとか。
 けれど見える未来が不確かだということは、逆に言えば未来は確実ではないということだ。
 それは同時に未来を変える事ができることを意味する。
「ハデスは運命を変えたいのよ。ロゼウス王子が皇帝になる運命を。自身が死ぬ運命を」
 そして、彼女自身が説明した通り、次代皇帝ロゼウスのその存在によってすでに死を宣告されているデメテルは視線を一人へと絞った。
 ひたむきな眼差しは、シェリダンへと向けられていた。
「シェリダン=ヴラド=エヴェルシード」
 ロゼウスの宿命は、荊の墓標。
 出会う者に死と破滅をもたらすのだという。
「あなたが、彼の運命を握る鍵よ」