荊の墓標 32

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「シェリダン=ヴラド=エヴェルシード。あなたが、彼の運命を握る鍵よ」
 デメテルの言葉は、鋭くシェリダンの胸を突き刺した。
 が、それも彼女の次の台詞を聞くまでだ。
「まぁ、それはおいておいて」
「おいとくのか!」
 今更だが、相手は皇帝である。世界皇帝デメテルは、神の代行者と呼ばれる世界一の権力者である。
 その相手に、シェリダンは思わず突っ込む。あんなに思わせぶりな言い方をしておいてなんだそれは! と言いたいのだが思わず口をわなわなと震わせたまま声にならないらしい。
 そんなシェリダンをさらりと見遣って、デメテルはすぐに話を続ける。
「ええ。だってそうじゃないとまたややこしいことになるんだもの。いいから話を聞いてなさい。エヴェルシード王」
 ひらひらと手を振ってシェリダンを宥めるというよりは嗜める。デメテルはどこか、うんざりとしたような態度を見せていた。うんざり? 何にだろうか。
 どうもシェリダンは彼女と相性が悪い気がする。同じような性格である自らの配下、バートリ公爵エルジェーベトとはそうでもないような気がするのだが、デメテルとは気が合わない。こういった女性がそれほど苦手と言うわけでもないはずなのだが。
 いや……もう一人いたか、と彼は考えをなおした。直情型でひとくくりにできるロザリーやミザリーとはまた違ったタイプのローゼンティア王女、ルース。そう言えば彼女とも随分話がしづらかった……。
 自分は女難の相でも出ているのだろうか。シェリダンがふとそんな風に思ったときだった。
「あながち間違ってないわよ。それ」
 まるで心を読んだように、デメテルがはっきりと彼の方に向かってそう言った。
「!」
 ぎょっとする彼の様子を見て、ようやく彼女はシェリダンが先程の思いを口に出していないことに気づいたようだった。あらごめんなさい、と軽く謝る声には、明らかに誠意の欠片もない。
「まぁ、エヴェルシード王の女運の悪さなんて今更話題にしたところでどうなるわけでもないし。ああ、でも少しくらいは関係あるのかしらね」
「……どういう意味だ」
「今にわかるんじゃない」
 やっぱり相性が悪い。のらりくらりとかわされるどころかもはやはっきりと相手にされなくなったシェリダンは、諦めてデメテルが語る「真実」とやらに耳を傾ける。
「私がこれから話す事は、一見あなたたちには何の関係もなく思えるようなことよ」
 むかしむかし、とでも節をつけそうな口調で、彼女は話し始めた。
「この世界の成り立ちは知っているわね」
「世界……帝国のことですか?」
「そうよ。エヴェルシード貴族ユージーン候。ある一つの国を滅ぼして、とある民族が世界統一論の実践を試みて活躍していた時代」
 アケロンティス帝国世界の成り立ちは、世界に暮らすものならば誰もが知っている。シェリダンのような王族だけでなく現皇帝の名前を知らずに皇帝の存在だけを認識している平民たちでも、始皇帝の名だけは一度は聞いたことがあるはずだ。それは国の重要な祭事や式典の際に必ず唱えられる。
 始皇帝、シェスラート=エヴェルシード。
 その名の通り、彼はエヴェルシード人だ。元々は別の国を作っていた民族の、世界帝国を起こすきっかけとなった戦乱時代の中で滅んだ国の王族だったらしい。その彼が帝国を作り、今の世界の形を残した。彼が作った国の一つでもあるエヴェルシードの名は現在にまで残り、他国はその名を唱えるのを忌むのでただ単にシェスラートと呼ぶ事が多い。
 しかしそう言えばデメテルの口からシェスラートという言葉を聞いたことは少ない。こうして顔をつき合わせて話し合うまでにも話題を振ってみたことはあるが、彼女は何故か始皇帝を家名付きで呼ぶ。そこに特に意味を見出していたわけでもなかったのだが違和感があったのを、彼女は今解き明かしてくれるらしい。
「まずは世間一般に流れているお話を繰り返しましょうか? この世界の誰もが知っている物語。小さな子どもたちが、母親から寝物語に聞く昔話」
 母親。その言葉に少しだけ胸が痛んだがシェリダンは無視をした。生後すぐに母が亡くなった彼は、寝物語など聞いた覚えはない。もっとも王族である彼の生れであれば、どうせ母が生きていたとしても寝物語など聞く事はなかったであろうが。
 シェリダンにチラリと一度視線を走らせてから、デメテルは続けた。
「この世界アケロンティスは三千年前まで、今とは全く別々の国々が世界を分割して治めていた。世界が統一された一つのものであるという概念はまだなく、小さな国々は争いの火種に事欠かなかった。神を持ち出しては争い、富を奪い合っては争い」
 しかし、やがて力をつけて台頭してきた一つの国がその争いにいったんは区切りをつけた。
「黒の末裔……その頃はゼルアータ人と呼ばれていた黒髪黒瞳の魔術に優れていた一族は、彼らの国最後の王ヴァルターの苛烈な侵略政策に従って、シュルト大陸のほとんどの国を征服していった」
 デメテルは自らの黒い巻き毛の一房を弄びながら言った。何を隠そう彼女自身が、そのゼルアータ人の末裔である。
 そして、彼女と相対する蒼い髪の少年は。
「ゼルアータ人はしかしやりすぎた。他国に攻め入り富を奪うだけ奪う彼らのやり方に、いつしか虐げられてきた人々の怒りが爆発した。その蜂起した革命軍の先頭に立ったのは、彼らに一番初めに征服された民、ザリューク人」
 ザリューク人とは、今のエヴェルシード人のことである。
 あるいは戦闘能力に優れるかの種族を一番初めに征服した事がゼルアータの敗因なのかもしれない。他国に先んじてかの国に頭をたれることを、彼らはよしとするような民ではなかったのだ。もしもザリュークではない他の民族から侵略し、ザリュークが最後までそれを横目で見ている立場にいたら、もう数十年はゼルアータの栄華は続いたかもしれない。
 そんなことを、三千年後の今話しても仕方のないことだが。
「ザリューク人から沸き起こった革命軍を率いた首領の名を、ロゼッテ=エヴェルシードと言うわ」
「ちょっと待ってください!」
 そこで、これまで大人しく話を聞いていたアンリが口を挟んだ。
「革命軍を率いたのは、後の始皇帝シェスラートではないのですか? 代替わりなどはなく、彼が解放軍、革命軍を作り率いたのだと国では教わりましたが」
 確かに表向きにはそうなっている。シェリダンも帝国史の授業ではそう聞いた。しかし。
「ああ。それは嘘」
「嘘?」
「ええ。っていうのはちょっと違うかもしれないけれど、一言で言ってしまえばロゼッテという人物が後にシェスラートと名を変えたのよ」
「改名ですか」
「ええ」
 アンリの確認に頷くデメテルの声を聞きながら、シェリダンはふと思い出した。そういえば、あの地下書庫の本。名前や立場こそぼかしてはいたが、帝国成立に書いて書かれた、始祖皇帝の側近の名で記されていた本。あれに書かれていた事は。
「エヴェルシードはもう少し事情を知っているのではなくて? 何しろシェスラート=エヴェルシードの生まれた民が作った国だもの。例えば、彼の協力者の話とか」
「ああ。確か始皇帝シェスラートには彼を支えた腹心がいたという。名は、ロゼッテ=ローゼンティ、ア……」
 デメテルに促されて口にした言葉に、シェリダン自身が気づかされる。アンリやロザリーもハッとした。
 世間では始皇帝シェスラートのことばかりが尊ばれ普段は忘れられているが、何も彼は一人で世界を革命したわけではない。当然仲間がいたのだ。そのうちの一人、シェスラートの右腕とも言われる立場にいたのはローゼンティア人だと言われる。
 アンリやロザリーの、そしてここにいないロゼウスの国。
 その側近ロゼッテの名前こそが、先程デメテルが始皇帝の真の名だと口にしたものではなかったか?
 シェスラート=エヴェルシード。
 ロゼッテ=ローゼンティア。
 思い出せ。あの時ハデスはなんと言った?
 ――ただし、シェスラートと言うのは歴史に残る皇帝シェスラート=エヴェルシードのことではなく、本来彼の代わりに皇帝になるはずだったシェスラート=ローゼンティアのことだけれど。
 皇帝になるはずだったというローゼンティア人が一人。同じ名前に違う家名。これは偶然だろうか。いや、そんなはずはない。
「ロゼッテ=エヴェルシード……ロゼッテ=エヴェルシード=ザリューク。それが、現在始皇帝として呼ばれる人物の本当の名前よ。そして彼の側近だったのは、シェスラート=ローゼンティア」
 偶然でなければそれは何らかの意図をもって行われたということになる。
 だが、皇帝がその名前を他者と交換する? 何のために? 表立った歴史には記されていない真実。
 エヴェルシードという男はもともと解放軍の首領として十二分にその名を売っていたはず。確かにロゼッテというのは本来女性名で、もしかしたら理由は本人が女名前を嫌がったという些細なことかもしれない。
けれどそれだけなら、わざわざローゼンティアと名を交換する必要はない。だが。
「交換したと言うのか? お互いの名を」
「ええ」
 「ない」はずのその「必要」が、もしあるというのなら。
「――何のために?」
 それはこの世界の根幹を揺らす出来事。

「《皇帝》になるためよ」

 ◆◆◆◆◆

「どういう意味だ?」
 シェリダンは尋ね返していた。
「言葉通りの意味よ。始皇帝の座は、本来シェスラート=ローゼンティアのものだった。それを、ロゼッテ=エヴェルシードが奪ったの。けれどその時にはすでに《シェスラートが皇帝になる》という神託が広まっていたから、名前を変えたの」
「当人たちの顔は広まっていなかったのか?」
「そのようよ。二人は革命軍の二大実力者で上部の人間は知っていただろうけれど下位の民衆たちは上の人の名前なんか覚えていないわよ」
「ローゼンティアとエヴェルシードという名からするにローゼンティア人とエヴェルシード人で間違いはないと思うが、何故その二つの民族が手を結んでいる?」
「ゼルアータに対抗するために、先頭を切って蜂起したザリューク人ほどではないにしても他の民族も解放戦争に参加していたのよ。シェスラート=ローゼンティアはゼルアータ王の虜となっていたところを、ロゼッテ=エヴェルシードに助けられたの。その恩に報いるためと当時はまだ蔑視が厳しかった吸血鬼族への風当たりを弱めるために解放軍に参加したの。世界の敵であるゼルアータを倒した功労者ともなれば吸血鬼の立場も良くなるでしょうから」
「……」
「目論見は成功したかに見えた。確かにシェスラート=ローゼンティアはゼルアータとの戦争で功績をあげたわ。やりすぎるくらいにね」
 だから《皇帝》に選ばれ、
 そして《皇帝》の座を奪われた。
「ロゼッテ=エヴェルシードはシェスラート=ローゼンティアから皇位を奪うために彼を殺し、そして自らがシェスラート=エヴェルシードを名乗り始めた」
「そうよ」
 デメテルには肯定されたが、シェリダンは自らの口にした言葉に違和感を覚える。
 皇位が欲しくてもともとロゼッテと言う名だった男はシェスラート=ローゼンティアを殺した。本当に?
 もちろんシェリダンは三千年も前の始皇帝とその部下の話など見てきたようには知らない。知らないはずだ。だからもしかしたら同じ組織に所属していたはずでも二人は仲が悪かったのかもしれないと思うのだが、それでも何かおかしいと感じる。
 先程デメテルだとて「シェスラート=エヴェルシードは助けられた恩に報いるためロゼッテ=エヴェルシードの解放軍に参加した」と言っていた。では、ロゼッテ=エヴェルシードが一方的にシェスラート=ローゼンティアを嫌っていたのか。
 ――違う。
 誰かが心の奥底で叫ぶ。
 ――違う!
 必死なその声はまるで悲鳴のよう。
「ところで」
 考え込むシェリダンの思考を引き戻したのは、また先程とは調子を変えたデメテルの言葉だった。
「いちいちロゼッテ=エヴェルシードやらシェスラート=ローゼンティアって言うの面倒だから家名今度から省略するわよ。シェスラートはローゼンティア人、ロゼッテは始皇帝のエヴェルシード人の方ね。いい?」
「あ、ああ」
「で、問題はそのシェスラートの話よ。本物のシェスラート。ロゼッテに殺されて皇位を奪われた男の話」
 デメテルは室内に揃った面々を見廻して、ゆっくりと言った。
「この前のハデスの言葉を、覚えてる?」
 ――ロゼウス=ローゼンティアは、シェスラートの生まれ変わり。
「そう言えば……そんな風に言っていたけれど」
「生まれ変わりって言って、どのくらいわかるかしら?」
「ええと……生き物の魂は例え死んでも不滅で、また新しい命を得て生まれてくるんだって。それが《生まれ変わり》だって、聞いたことがあるわ」
 ロザリーが記憶を手繰り寄せるようにして答えた。何故彼女なのかと言えば、この場で唯一身分の高い女性だからだ。えてしてそう言った立場の女性は流行りの恋愛小説など読みたがるものであり、そう言った小説はこの手の話題には事欠かないらしい。
 一方、本など教科書程度しか読まない男性陣はこの手の話題には疎い。ローラは女性だがそもそも奴隷なので本などろくに読んだこともない。
「そうよ。魂は消滅せずにまた新たなる人物として生まれ変わってくる」
「ロゼウスはじゃあ、そのシェスラートの生まれ変わりって、そういうことなの?」
「ええ。彼は始皇帝ロゼッテに殺された彼の解放軍仲間の一人、シェスラート」
 生まれ変わり。輪廻転生。
 言葉はわかっても実感が伴わない。アンリが複雑な表情で口を挟む。
「いや、あの……皇帝陛下」
「何?」
「なんでいきなりそんな話になってるんです? ロゼウスがシェスラート=ローゼンティアの生まれ変わり? でも、普通生き物は前世のことを一切覚えていないはずなのでは?」
 シュルト大陸で一般的に布教されているラクリシオン教の経典には、確かにそのように書かれている。だいたい、いちいちの人生の記憶を持って生まれてくる者などいない。
 しかも、エヴェルシード王城襲撃から長く離れていて久方ぶりの再会がそのように複雑な事態であったため、シェリダンやアンリたちの中では実感がさっぱり伴わない。三千年前の人間の生まれ変わりの実感など伴っても困るが。
「いくら生き物が生まれ変わりを繰り返すとは言っても、いきなり生まれる前の人生の記憶がぽんと目覚めるわけはないでしょう」
「ええ。そうね」
「じゃあなんでロゼウスは、よりにもよってこの状況下で」
「この状況下だからじゃない?」
 デメテルが深く溜め息をついた。そしてまた少しだけ話題を変える。
 否、これまでの彼女はどれも全て、脈絡のない事態や起こったできごとを片っ端から話しているだけのように見えて、実はそのどれもが一本の線となるように繋がっているのだ。
「前世の因縁って、わかる?」
「生前の罪がそのまま引き継がれるという、ラクリシオン教の教えか?」
 今度はシェリダンが答えた。基本的に神など信じたことのないシェリダンだが、一応国王たるものとしては宗教学の知識は豊富だ。信仰心はないが。
「そうよ。因果応報。人間のしたことの報いは必ず還って来る。それが因縁というもの」
 デメテルが彼の言葉に添えて肯定した。他人を殺した人間はいつかその報いに他人に殺されるだろう。
 そして他人に殺された人間は。
「そうか……」
 一同は先程聞いた始皇帝とその部下との事情と照らし合わせ、彼女の言いたいことを理解した。
「シェスラートはロゼッテが憎いんだ……」
 ロゼウスはシェスラートの生まれ変わりなのだと言う。それ自体は恐らく珍しいことではないのだろう。生き物は皆何かの生まれ変わりなのだから。
 しかしここで、そのロゼウスの前世たるシェスラートが目覚めてしまったのが問題だ。普通はありえるはずのないことが起こった。死してなお報われることのない魂が持つ恨み、前世の因縁によって。
 シェスラートはロゼッテに復讐するために甦ってきたのだ。
「ってちょっと待った!」
「何、ロザリー姫」
「一瞬納得しかけたけど、それってやっぱりおかしいわ! どうして《今》なの!? ロゼウスがシェスラートの生まれ変わりでシェスラートが復讐のために記憶を呼び覚ましたのだとしても、この状況でそうなる必要がないじゃない! どうして十年前とか、逆に十年後とかじゃダメだったのかしら?」
 最後は首を傾げて怪訝な顔をしたロザリーとは対照的に、全ての事情を知るデメテルはごくごく冷静に答えた。
「だから《今》、《この状況下》だからでしょう?」
「どういうことですか? 皇帝陛下」
「簡単なことよ、ユージーン侯爵。ロザリー姫の言ったとおり、この状況下でこの事態が派生することには、意味があるのよ。どうして《今》でなければならないのか。それは、《今》やっと条件が揃ったからよ」
「それはロゼウス王子が、次の《皇帝》だということですか?」
 この場で新たに明かされた事実。先日のハデスたちとのやりとりからもわかる、ロゼウスの変貌。シェスラートの生まれ変わりと言うことも重要だが、あの時ハデスはどうもそれよりはロゼウスが次の皇帝だということに注目していたような気がした。
「それもあるわ。いえ、それが条件の半分よ。そしてもう一つは」
 デメテルは白い指をあげると、まっすぐにシェリダンを指差す。シェリダンは思わず彼女の示すとおり自分を指で示した。
「私?」
「ええ」
 全員が注視する中、デメテルは宣告した。
「そこに、ロゼッテ=エヴェルシードの生まれ変わりがいるからよ」
 ――へ?

 ◆◆◆◆◆

 生まれてこの方、不思議体験など何一つしたことがない。
いや、厳密に言えばまったくないと言えば嘘になるだろう。妻は女装の吸血鬼だし、かつての親友はベテラン魔術師、懐刀はもと奴隷の暗殺者で、信頼できる部下は剣豪とレズ公爵。妹に憎まれ命を狙われ挙句の果てには玉座を奪われて国を追われた。なんと世界の支配者たる皇帝の力により、瞬間移動も経験済みだ。
 これだけ濃い面々が集い、そんな毎日を送っているなら世間一般の不思議などあらかた経験していても不思議ではない。現に自分以外の周りの者たちに関しては不思議だらけだ。
 だがいざ自らがその物語の中心にいるのだと考えると、違和感を覚える。
 シェリダン=エヴェルシードはただの人間。それだけがこれまでの人生の全てだった。
 なのに。
「あなたはね、本来皇帝になるはずだったシェスラート=ローゼンティアを殺して自分が皇帝の座を奪った男、ロゼッテ=エヴェルシード、始皇帝の生まれ変わりなの」
 この世で最高の権力者が自らにかける言葉が理解できない。
 否、言葉こそ理解できるがどうもそれに対する実感がわかないのだ。始皇帝? その部下? 入れ替えられた運命? 神聖なる悲劇? 三千年前の出来事など、夢のように現実感がない。
 この生まれ変わりやら皇帝になる運命やらが、ロゼウス一人のものだったならばまだシェリダンも納得できただろう。彼の神秘的な雰囲気には、人の読み取れないものがある。いつもは自分と変わらない齢の少年なのに、ロゼウスは時折シェリダンの手の届かないような表情をする。その彼が皇帝になるべく運命を持って生まれた存在、始皇帝の生まれ変わり、と呼ばれたなら納得だ。
 だが、同じ事を自分に当てはめようとしても無理だ。
 実際に第一王位継承者の立場から昇りつめた位、王ならばまだ無茶ではない。王家に生まれたのは偶然とはいえ、世界には幾つもの国があるのだ。それに国家は当人の努力によって作ることもできる。全く想像できないことはない。
 だが皇帝となると話は別だった。神に選ばれし代行者、始皇帝の生まれ変わりが自分などと言われても、さっぱり実感がわかない。大体皇歴前の話など、もはや御伽噺のようだ。
「嘘だろう?」
「本当よ。ロゼウスの時は信じたのになんでこれは信じないのあんた」
 デメテルに呆れたように言われても、それでもまだシェリダンは納得が行かない。
「私が始皇帝の生まれ変わり?」
 語り草になるような不思議体験の一つもしたことがない、面白味のない普通の少年。
 母譲りの美貌と王の権力を引けば何も残らない、こんなつまらない人間が?
 実際そう思っているのはシェリダンだけなのだが、彼自身は他人にどう思われているかなど関係なく、本当に本気で自らをそう評価していた。
「そうよ。ロゼッテのね。だから本当に皇帝になるはずだったシェスラートに恨まれているの。そしてそのシェスラートは同じく転生者であるロゼウス王子の身体に甦っている」
「な……」
「シェリダン=エヴェルシード、あなたとロゼウス=ローゼンティアは、前世からの因縁で結ばれているわ」
 その時、シェリダンは思い出した。デメテルの力でこの皇帝領にまで連れて来られる寸前、ロゼウスが自分を見ていたあの目。酷い執着と葛藤と、言葉にできない深紅の眼差しがシェリダンを刺し貫いていた。あの眼差しのわけを。
 だが。
「これで大体のことはわかったかしら」
 一通り、自分が知りえるだけの現状の説明を果したデメテルが確認の言葉をあげる。
「……はい」
「ええ」
「まぁ」
「それなりに」
「だいたいわかりました」
「ありがとうございます」
 炎色の瞳を真ん円にしているシェリダンはおいておいて、その場にいる面々は口々に頷いた。明かされた事実の驚愕はともかく、現状にひとまずの理解は追いついた。
 あとは傾向と対策だ。と。
「ちょっと待て!」
 そこで、読めるはずの空気をあえて読まず、頷かなかった最後の一人が話を無理矢理引き戻した。
「何よシェリダン王。のんびりしてる場合じゃ……」
「って事は何か、私は、そのロゼッテとやらの代わりにロゼウスに憎まれているというわけか!?」
「正確には、あなたをロゼッテと考えるように向こうもシェスラートなんだけどね。だからどうしたの?」
「気に入らない」
「……はぁ?」
「気に入らないったら気に入らない。つまり私は、そのロゼッテの身代わりにされているわけだろう」
「……ええ、まぁ」
「気に入らない……あいつは私の――」
 まともに取り合わなければいいのに、何故かデメテルはまともにシェリダンの言葉に答を返してしまった。アンリ以外の面々は次に続く言葉が予測できたような気がして、生温く続きを待った。
「私の奴隷なのに!」
「おい!」
 突っ込み要員は唯一シェリダンの性格をまだ完全には理解していなかったアンリである。ローラ、エチエンヌ、リチャードはもちろん、ロザリー、クルスもこれに関してはおなじみだ。今は休んでいるミザリーとエリサだったらどんな反応を返すかわからないが。
「人の弟勝手に奴隷にするな!」
 こういう時は兄精神豊富なアンリは果敢にもシェリダンに食って掛かるが、相手は聞いちゃあいなかった。親指を端正な口元にあてると爪を噛みながら忌々しげに呟く。
「この私を通して、ロゼウスが前世の男を必要とするなんて不愉快だ」
「いや、だから向こうもシェスラート……」
「どこの馬の骨だか知らないが、私を当て馬にするなど」
「だからあんたの前世は始皇帝……」
「奴は私の、私だけのものなのに」
「あんた人の話聞いてる?」
 暴走するシェリダンに、仕舞いにはデメテルも匙を投げた。そこにちょうどよくエチエンヌが茶を注ぐ。
「あなたたちのご主人様はいつもこんな感じなの?」
「まぁ、大体は」
「苦労するわね……」
 これ以上言っても無駄と判断したデメテルは諦めてお茶を啜り、他の面々も、一人こんな男のもとに一時でも弟を預けてしまったことをアンリが悔いている横で一息つく。
「ロゼウスは私のものだ! 私だとて、あれ以外の者に妙な因縁で望まれてたまるか!」
「はいはい。わかりましたからシェリダン様、落ち着いて」
 エチエンヌがシェリダンを宥めに入る。一息つくにはついたが、このままでは話が進まない。何かいいきっかけはないだろうかと彼が部屋を何気なく見廻した時。
「あれ?」
 それは、窓から入り込んできたのだった。