荊の墓標 34

190*

 自らに与えられた客室に入ろうとした瞬間、腕を引かれた。
「シェリダン?」
「お前はこっちへ来い」
 炎の瞳をした少年のその不機嫌な様子に感じるものがあり、ロゼウスは大人しくその後をついていった。ここで特に断って何かすることもなければ、正直部屋に一人でいたくないのも事実だ。しかしシェリダン以外の人間は逆に、今のロゼウスとは同じ空間に居辛いだろう。
 皇帝の宮殿に無数に客室の一室の扉を乱暴に開け、シェリダンは中へと入った。ロゼウスの手首を捕まえたまま部屋の扉を閉め内側から鍵までかけると、ようやくこれまで捕まえていた存在の方へと目を移した。
 刃のように鋭い眼差しに射すくめられた、と思った次の瞬間にはシェリダンの手によって壁際に追い詰められている。伸ばされた手を避けた拍子に背中が壁面にぶつかり、篭もった鈍い音を立てた。
 ふわ、とロゼウスの白銀の髪が揺れて、また乱れもせずに肩の上で落ち着く。
「何故あそこまで言われて言い返さない!」
「ミザリー姉様のこと?」
「他に何がある! そうだ。あの女、事情も知らぬくせに勝手なことを……ッ」
 やはり、と思った通りにシェリダンの話題は城前での姉とロゼウスとの会話だったようだ。
 自らの前世であるシェスラートに意識を乗っ取られ、弟のウィルを殺したロゼウス。彼のことを姉であるミザリーは責めた。それがシェリダンには気に食わないのだという。
「お前だって、好きであの弟王子を殺したわけではないだろう。文句があるなら、あの女が自分で奴を助けに行けばよかったんだ。その労苦を他者に肩代わりしてもらいながらその結果に不満があれば文句をつけるなどどんな、」
「シェリダン」
 ミザリーに対しての悪口雑言を続けざまに口に出しそうな彼を、ロゼウスは寸前で押し留める。
「落ち着いて」
「お前こそ、どうしてそんなに落ち着いている。責められたのはお前なんだぞ!」
 だからと言ってここでシェリダンがロゼウスを責めるのも何かおかしいと言えばおかしいのだが、そのことに関しては両者とも口にしない。実際、ミザリーがロゼウスを糾弾する際に割って入ったのはシェリダンだけだった。他の者たちに止められなければ、平手打ちの後一方的に言葉を投げつけて去って言ったミザリーを追いかけてでも文句を言いたかったのだろう。
 だけど例えシェリダンがそこまでしようとしても、ロゼウスはそうまでは望まない。
「シェリダン、ミザ姉様のことを悪く言うのはやめて」
「ロゼウス」
「姉様は悪くないよ。それに、助けに行けなかったのもしょうがない」
 彼女は、弱いのだから。
「ミザ姉様は体質的にもともと腕力も魔力も身につかないひとなんだよ。努力でどうにかなる問題じゃないんだ。それができたらやってたし、誰よりもそれを望んでいたのは姉様本人だ。そのことについて、姉様を責めるのはやめて。……わかるだろう、お前なら」
「……」
 ロゼウスの言葉に、シェリダンは押し黙った。シェリダン自身は良く知らない相手とはいえ、これまでの人生を彼女の弟として過ごしたロゼウスの言葉には重みがある。ミザリー姫という存在についてこんなところで考えさせられたことで、ようやく頭が冷えてきた。
 この世の中には、努力でどうにもしようのないことがあるものだ。シェリダンが己の出生を選べなかったように。
 人は自分がどのような存在でもって生まれてくるのか選べない。無力で無能の姫君と言えど、彼女自身にどうしようもないことを責めるのはそれもまた一種の卑怯だろう。
「……悪かった。それに関しては謝る。だが、だからと言って、お前がウィル王子を助けられなかったことを、あの王女が責める立場にあるのか?」
「だって、ミザリーお姉様が裁いてくれなきゃ俺はいつまで経ってもこのままだよ?」
 罪は罪。
 それを受け入れねば進めない、どこにも。
「あれでいいんだ。今一緒にいる他のみんなは本当の意味で俺を裁くことなんかできないから。必要なんだよ、ミザリー姉様の言葉は」
 どんなに言葉を取り繕ったところでウィルを殺したのはロゼウスだ。その事実は変わらない。なかったことにはできない。
 そしてロゼウスは、その責任から逃れる気もない。
「そう、自分の力ではどうしようもないことは……あるんだよ……・」
「ロゼウス、お前――」
 もともと不必要に明るい性格ではないが、今日のロゼウスはとくに沈み込んでいるようだ。その悄然とした様子の中に微かに秘められた決意の色を見て、シェリダンは彼が何について考えているかを知る。
「答えろ、ロゼウス=ローゼンティア」
 薔薇王国の薔薇王子。けれど今はこの名は、それだけを示す記号ではない。
「お前は、自分が《皇帝》になる運命だということを、知っているのか……?」
 シェスラートに意識を乗っ取られている間の記憶は、どのくらいロゼウスも共有しているものなのか。シェリダンの直球の問に対して、ロゼウスは曖昧な返事を返す。
「……俺がシェスラートに身体を奪われてた間のことは、知っているとも知らないともいえない。シェスラートの気分次第で、その時のことははっきりと眺めることができたり、逆に俺の意識は眠らされて全然見えなかったりした……でも、これだけは知っている」
 薔薇の皇帝。
「この世界の次の皇帝は、俺なんだって。――どうして、俺なんだろう……」
 アケロンティス帝国において皇帝とは世界の全てを手に入れた権力者のことだ。だが今実際にその地位を遠からず手に入れるはずの少年の眼には、困惑だけが浮ぶ。
「俺、皇帝になりたいなんて、思ったこともないよ、なれるとも思わない。どうして、俺が皇帝なんだろう……?」
 いくらその運命に納得が行かないからと言って、皇帝になるという立場を拒否できる者はいない。誰よりもここにいる二人がよくわかっていることだ。
 シェスラートを殺したロゼッテは、彼の代わりに皇帝になって三百年以上の時を生きた。しかし彼はそれほどの長命をシェスラートの存在なしに世界を治めることなど望んだだろうか。
 どうしようもできないことがあるのだ。
 皇帝は、次の皇帝が現れるまでは死ねない。逆に死にたくなくても、次の皇帝が出現することはその皇帝の死を示す。今のデメテルとロゼウスの関係がまさしくそうだ。
「ロゼウ――うわっ」
 言葉をかけ辛くて名前を呼んだシェリダンの胸に、次の瞬間ロゼウスが飛び込む。身長は頭半分も変わらないから実際に飛び込んでいるのは胸と言うよりも肩だ。
 シェリダンはまだ血まみれの服を着替えてはいない。その破れの目立つ肩口にロゼウスが目元を押し付ける。そういえば風呂や食事など、これらのことに関して使用人を寄越すとデメテルが言っていたか。だとしたらそろそろ来る頃だろうか。
 シェリダンだけでなく、ロゼウスの方だって長い間の旅の埃に汚れた衣装のままでぼろぼろの姿だった。ふと我に帰れば自分たちはものすごい格好をしている。
 だがシェリダンのそんな束の間の現実的な実感も、次のロゼウスの言葉に吹き飛んだ。
「慰めて」
「は?」
 今、なんと言った? この男。
「俺がミザリー姉様に叩かれたのを憐れんでくれるんでしょ? だったら、シェリダンが慰めてよ」
「ちょっと待てお前……それは……」
「そうだよ」
 泥にまみれていても、汚れのついていない肌は白く美しい。ぐしゃしゃに乱れた髪も白銀の輝きこそくすんでしまっているがその艶は失っておらず、これだけはいつもと変わりない瞳は紅玉のようで。
「誘ってるの」
 思わず、殺す気か、と言いかけた。何か……何をされたわけでもないのに死にそうだ。その上目遣いは反則的だと思った。
「ロ……ロゼウス?」
 戸惑うシェリダンに詰め寄り、ロゼウスは少しだけ背伸びする。ブーツの踵を僅かに浮かせ、口づけしようと顔を近づけたところで。
「すみません、お湯とお食事のご用意ができましたが」
「ああ! 今行く!」
 侍女の声に救われて、シェリダンは思わずロゼウスの肩を掴んで止めた。びっくりしたような顔でロゼウスが動きを止める。
 冷静になれ私たち! 今の状態は血まみれ泥まみれ破るまでもなく破れている衣服、埃やら血やらその他の体液やらでどろどろのぼろぼろで!
「やるのは一通り湯を浴びて食事してきっちりと雰囲気を整えてからだ!」
「……わかったよ……」
 そこまで力いっぱい宣言しなくても、とロゼウスは思ったとか思わなかったとか。

 ◆◆◆◆◆

 そうして、肌を重ねる。
「あ……ん、うぅ、ん……」
 始まりは深く、濃厚な口づけだった。呼吸を奪うほどに長く、執拗に互いの口内を犯す。絡めた舌、零れる唾液、苦しくなっては離れ、角度を変えてまた口づける。
 離れていた時間の分を埋めるように、触れた先から身体が溶けて混ざり合ってしまうのではないかと思うほどに、熱く。
「はっ……」
 離した唇を、銀の雫が伝う。それを手で拭う間もなく、ロゼウスは胸元に与えられた刺激にびくんと身体を震わせる。
「あ……」
「触れるぞ」
 言う前に触れているのだが、それについては何も言わせない。寝台に横たわった状態で覆いかぶさるシェリダンを見上げるとその口元は薄く笑んでいた。
「ん……」
 形良い指が、白い胸を飾る赤い突起を抓み、弄んでいた。ぷっくりと色づき硬く尖るまで指で弄くる。
 ふいに熱い呼気が肌に触れたかと思うと、シェリダンの唇がちょうどそれを口内に納めているところだった。
「あっ……!」
 舌の上で舐め転がされて、背の辺りになんとも言いがたい感覚が走る。緩く曲げた膝の裏に、じっとりと汗をかいた。彷徨う指先は敷布に爪を立てる。
 そうして声を堪えている内に、シェリダンの手が下へと滑る。
「ああっ!」
 自身をきゅっと握りこまれて、ロゼウスはたまらず声をあげた。
「ん、や、ぁ……」
「慰めて欲しいと言ったのはお前だろう」
 それまで唇で遊んでいた乳首にちゅっと軽い音を立てて口づけを一つ落とすと、下への攻めに集中し始めた。両手を使って刺激し、やわらかかったそれに芯を持たせる。
「ん、んーっ!」
「声を殺すな、と言ってもここは宮殿だし無理か……まああの陛下のご気性では何も言われないと思うが……」
 言いながらも攻める手を止めない。手淫だけだというのにたまらず達して、それまで自分を弄んでいた手を白濁で汚す。
「ふぁ……」
「どうだ、久々だ。気持ち良かっただろう?」
「久々……?」
 うっかり疑問符で言ってしまったところで、シェリダンの顔色が変わる。
「久しくないと……? お前、私と離れている間に誰かと寝たのか?」
「そ、それは……」
 まずい、と思ったときにはすでに遅く、シェリダンのこめかみに青筋が浮ぶのをロゼウスは見た。
「へぇぇえ? で、誰と寝た? 何をした? どのくらいやった? 答えろ、ロゼウス」
「シェ、シェリダン。そんなの知ったところで何にもならな――」
「私が知りたいんだ。いいから答えろ」
 うっかりシェリダンの嫉妬心を煽ってしまったロゼウスは、それまでの行為の数々を全て答えさせられた。
「ヴィルヘルムに……は攫われたときのあの状況では仕方ないとして、ジャスパーともやったあ? それにお前、今言葉が微妙におかしくなったぞ。まさかお前が男役か?」
「まさかって何まさかって何。そりゃ、あんたとはこうだけど俺も一応男なんだけど! っていうか、そういうあんたはどうなんだ! まさかずっとやってなかった……? わけじゃなさそうだな」
 今度は先程とは別の意味で顔色が悪くなったシェリダンの様子から、ロゼウスは彼の方もさほど貞淑な日々を送っていたわけではないことを知る。
「うるさい。私のあれも不可抗力だ。だいたいお前のようにいつでもどこでも誰彼かまわずやっていたわけではない」
「俺だって半分は不可抗力で、残りの半分だってシェスラートのせいだよ!」
「へぇ? ほぉ? ふーん? それで、ヴィルヘルムに突っ込んだり突っ込まれたり、旅の途中で小銭稼ぎに抱かれたり、あげくにはジャスパーとまで関係を持って? たいした貞節ぶりじゃないか、ロゼウス?」
「だから、俺の意志じゃな――」
「それほどやっているなら、別にお前をとくに慰めてやる必要もなさそうだな。むしろ私の方がこの数ヶ月の寂しさを慰めてもらいたいくらいだ」
「そういう寂しさの慰め方は専門が……い!」
 普通の寝台よりは段違いに広いとはいえ、やはりそこは寝台の狭さ。その上で逃げられるはずもないのに思わず背で敷布を擦って逃れようとしたロゼウスの肩を押さえ、シェリダンは自らのものをつきつける。
「できないとは言わないだろう? ロゼウス」
 卑怯だ、と。
 この声に言われたら、逆らえないのに。
 離れていた時間、何度も何度も耳の奥で繰り返し再生した声音。ふらふらと夢見心地のように、ロゼウスはそれに従い、体勢を変え目の前に差し出されたシェリダンのそれを咥える。紅い、小さく整った唇が懸命に奉仕する姿は艶やかでありながらどこか凄烈な背徳の気配を漂わせていた。
 生温く柔らかい舌に与えられる刺激と同時に視覚からの影響も無視しがたく、跪いて自らのものを咥える美しい少年の姿にシェリダンはごくりと生唾を飲み込む。ロゼウスの紅い瞳が潤み、目元まで桜色に染まっている。懸命に絡ませる舌の先から唾液が零れてぱたぱたと敷布に染みを作る。
 ああ。
 熱に浮かされながらシェリダンは考える。
 美しいその姿とは裏腹に無様に這い蹲って、自らのものを餌を貪る犬のように舐めるロゼウスの、その、白く細い首筋。接吻の痕では生温いらしく、彼ら吸血鬼は軽い怪我なら瞬く間に癒えてしまう。襟の高い服を着れば隠れる所有印などでは生温い、この首に直接首輪を嵌めて、飼い犬のようにはっきりと自分のものにできたらいいのに。
 犬は主人の命令に忠実で、決して裏切らない下僕。だが、ロゼウスは犬ではない。それどころか、下僕にすらならない。
 皇帝。
 その言葉がいずれ二人を引き裂くのだ。それは命じるもの、それは上に立つもの、それは全ての支配者。
 ちくりと裸の胸の奥に痛みが走った。それはどんな薬草でも名医にでも治療できない。わかっているから胸の痛みを放置して、シェリダンはロゼウスのこめかみの辺りを掴んでその顔を自らから引き剥がす。
 ぽたぽたと唾液と先走りの交じった液を口から垂らしながら、まだ奉仕が終わっていないと、ロゼウスは不思議そうにシェリダンを見上げる。
 その姿ににっこりと微笑みかけて、シェリダンは今だからこそ言える言葉で命じる。
「そのままの姿勢で後を向け」
「え……」
「いいから、その姿勢で向こうを向け」
「ちょっ……わかった、よ……」
 四つん這いの姿勢で尻を相手に向けるという並々ならぬ恥ずかしい体勢をさせられてロゼウスは、それでも首を曲げて背後を見遣る。するとシェリダンが、その尻の合間に顔を埋めているところだった。
「な、何やって……ヒッ!」
 後の入り口に感じた濡れた感触にロゼウスは思わず悲鳴をあげる。
「あ……ああ、いやぁ、だめ……!」
 窄まりに舌が差し入れられ、やわらかく蠢くものが内部を舐る。小さな穴を直接舐められて、ロゼウスはびくびくと身体を震わせた。けれど、自ら逃れようと体勢を変えることは、ない。
「はぁ……ふぁ、あ……」
がくりと腕が折れて上半身を支えられなくなり額が敷布につく。尻だけを突き出した格好になった彼のその場所に、シェリダンは指を一気に二本差し入れた。
「あ……ん、くぅ……ン、ンン」
 ぐちゅぐちゅと音を立ててかき混ぜられるたびに、快感が強まっていく。一度達して力を失っていたはずのものが、またとろとろと先走りの雫を垂らして震える。
 そして先程は解放の手前で寸止めだったシェリダンは、今度こそ熱を発散させようと指を引き抜くと、ほぐれたロゼウスの内部に己のものを突き入れた。
「ひッ、ぁああ、あ!」
「くっ……」
 指とそれでは質量が段違いだ。待ち望んだ刺激に、両者とも甘美な苦痛のうめきをあげる。
 求め続けたその繋がりに、二人はしばし言葉もなく相手の存在を感じるための行為に没頭し始めた。