荊の墓標 35

第14章 冥府の王(2)

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 飛びかかってくる魔物の群を斬り倒しながら進んだ。
「ちっ、キリがないな」
「シェリダン様、あっちの森は!」
 エチエンヌの指差す先に、銀色の森がある。何故か魔物たちはその森を避けているようで、こちらの攻撃を受けてふっとんだ小さな魔物たちまでもが、その木々を避けるようにしている。何かから逃れようと、離れようとでもするように必死な様子で銀色の森から去っていく。
「そうだな……あの場所なら……行くぞ!」
 共に冥府へとやってきた一行のうち何人かとはすでにはぐれてしまっている。残った面々と離れ離れにならないように気をつけながら、少年たちは魔物が近寄らない銀色の森へと駆け込んだ。
「ぜぇ、ぜぇ……」
「はぁ……助かった」
「でも、どうして……」
 魔物たちは銀色の森へと入っては来られない。だが、それは一概にこの森の中にいれば安全ということにはならないようだ。
「あっちの区画には、普通に魔物が寄ってきますよ」
 彼らの周りこそすっきりとしたものだが、少し先には魔物たちが足を踏み入れている部分があるのを見てクルスが言った。
「さっき奴らが現れたのも森からだった。それが、この場所には入って来られないのはどうしてだ……」
 シェリダンが怪訝に首を傾げる。どちらも同じ、銀色の森。生えている植物が違うのかとも思ったが、よくよく観察しても向こうに生え並ぶ木々とこちらの森に立っている樹木は同じものだ。一体向こうとこちらとで何が違うというのだろう。
「だが、この場所が安全だと言うのなら……エチエンヌ!」
「うわっ!」
 ひとまず驚異は去って力を抜きかけたところを、この瞬間を待っていた魔物の一人に襲われる。一行の中で一番小柄なエチエンヌの頭上から襲撃してきた大百足は、その巨体で少年を押しつぶそうとする。
 白い腹が自らへと迫るが、避けるほどの時間はない。頭を庇ってしゃがみ込んだエチエンヌの頭上で、大百足の断末魔が響く。
『ぎゃぉおおおおお!!』
 虫とは思えずそう奇声をあげて、魔物の一匹は絶命した。その死骸の傍らに、抜き身の剣を引っさげたロゼウスが立っている。その刃は大百足の血と体液で緑に汚れていた。
「うわぁ……拭きたいな、これ」
「緑の体液って……なんか嫌ですよね」
 剣の手入れように布を差し出したクルスに礼を言ってそれを受け取り、ロゼウスは平然と何事もなかったように刃を拭い始めた。見ればシェリダンとクルスはすでに魔物たちの血と体液で染まった剣を拭い終わったようだ。
 大百足を一刀で瞬殺した者とも思えぬのほほんとした様子で、ロゼウスは刃を拭う。
「……」
 彼に助けられたエチエンヌは、そのマイペースな様子にロゼウスに何事かを思い切り言いそびれたようだった。
「エチエンヌ」
「は、はい。シェリダン様」
「お前には体術や近接戦闘の特訓もつけてはいるが、どんな力を有しているかわからないこの冥府の魔物相手に直接掴みかかるのは危険だろう。それに、長剣を使う私たちと違ってお前の得手は遠距離戦闘だ。常に誰かの近くにいろ」
「……はい」
 部下を労わるシェリダンの忠告により、エチエンヌはそれ以上の言葉を封じられた。ここで無茶してもろくな結果が出るわけでもなし。役に立てなさそうな場面では大人しくしていることが最大の努力だ。
 一行の強さにかそれとも別の理由があるのか、森の外を囲んでいる魔物たちにも動揺が走る。
『入った……入った……』
『大百足は愚かなリ。この地に入るとは……』
『公爵様のお怒りに触れてはならぬ……』
 何事かぶつぶつと呟きながら、魔物たちが次々に身を翻す。ざざ、と不快な音を立てて、彼らは来たときと同じように唐突に去っていくようだ。
「ここにいるのは、この四人だけか?」
「シェリダン様にロゼウス王子、エチエンヌと、僕だけですか……」
 クルスがここに顔を揃えた少年四人を数え上げる。
 襲撃は先程の百足が最後だったらしく、魔物たちは森を前にして帰っていった。後には大百足の死骸と、それまでにも幾匹かシェリダンたちが斬り殺した魔物の死骸が森に来るまでの坂の途中に点々と転がっているばかりで、何も残らない。先程の騒がしさを思えば逆に不安になるほど、辺りは静まり返っている。
 ロゼウス、シェリダン、クルス、エチエンヌ。こちらにいるのはこの四人だけだ。
「一匹一匹の魔物の強さはたいしたことないようだったが、行動が読めないだけに不気味だな」
「人語も解せるようですしね、あの魔物たち」
「さっき、最後の方なんて言ってたんだろう……?」
 ひとまず危機が去ったのはわかるが、その理由がいまだはっきりとわからないのはそれはそれで不安だ。魔物たちが去った、その理由、ロゼウスはそれを気にするが、他の者はまだそこまで考えるに至らない。
 この森は、何か違う。果たしてこのまま進んで良いものか。
「シェリダン様、ローラたちはどうします?」
「ローラ、リチャード、それにアンリとロザリーか。私たちが固まっているように向こうも四人共にいると良いのだが……大丈夫だろう。あの四人ならば単体でもどうにかなる」
 もともと冥府に棲んでいたという吸血鬼の一族であるアンリとロザリーはさほど酷い目には遭わないだろうし、ローラもリチャードも腕利きだ。
 しかし、やはり右も左もわからぬ冥府というこの地ではぐれてしまったのには不安が残る。
「ロゼウス、お前はどうする?」
「え?」
「え、じゃない。もともとハデスに指名されたのはお前だろう。奴のもとにさっさと姉姫を取り返しに行くか、それとも先にロザリーたちを探すか」
 シェリダンはまっすぐにロゼウスを見つめる。
「お前が決めろ。その決定に私たちは従う」
「シェリダン様!?」
 普段から王として、支配する者としての自覚を持つシェリダンは人が集まると自然と纏め役にやりやすい。しかし今はあえてその座を、ロゼウス本人に務めさせようとする。
「俺は……」
 この死の地下世界冥府においてなお生の輝きを失わない炎の色の瞳に見据えられて、ロゼウスは言葉に詰まった。
「お前が決めろ。お前のことだ。……本当はお前の中では、すでに判断が出ているんだろう。それをお前はこれまで口にする機会を奪われてきていただけで」
「シェリダン……」
「だが、これからはそうもいかない。お前は皇帝になるのだから。誰かに全てを捧げる代わりにその誰かが何もかも肩代わりしてくれるなど、そんな簡単にはいかない」
 王であれ民であれ、人は自らの行いとその信念に責任を持つ者だ。それが世界中全ての人々の命と人生に責任を持つべき皇帝であるとすれば尚更だ。
 シェリダンはその真理をロゼウスに突きつける。皇帝となるロゼウスと、その生をシェリダンは共には生きられない。ロゼウスのためには、人としての矜持を投捨てられない。だがその代わり、他の全ては全部ロゼウスのものだと。これまで支配者の素質を誰よりも持ちながらそれを使うことを知らなかった相手に自覚させる。
 これまでのように、ドラクルに虐げられる代わりにその彼に全ての責任を背負ってもらうわけにはいかないのだ。
「お前が決めろ」
三度目の促しに、とうとうゆっくりとロゼウスは口を開いた。
「……このまま進んで、ハデスとミザリー姉様を探す」
「そう判断した根拠は?」
「デメテル陛下が言っていた。帰り道は決まっていると。だったら上手く魔物から逃げ出して姉様を助けることができてもできなくても、帰りはまた必ずあの扉の前に集まるんだろう。だったら、ハデスに指名されたのは俺一人なんだし、俺は進んだ方がいい。シェリダンたちがローラたちを捜しに戻りたいというのなら、それは否定しないけれど……」
 まだ自身の判断に自信がないのか、語尾が消え入りそうになるロゼウスに。
「わかった。私もお前と共に進む」
 あっさりと頷いて、シェリダンはその隣に立ち二人は歩き出した。黒い下生えに銀の木々が立ち並ぶ異形の景色をものともせず、森の中に踏み込んでいく。
「シェリダン様……」
「どうした? エチエンヌ。クルスもだ。何をやっている。早く来い」
「は、はい!」
 何かが変わろうとしている。
 見慣れたはずの二人のやりとりに、エチエンヌもクルスも確かにそう感じていた。

 ◆◆◆◆◆

「ちょっと、ロゼウス!? シェリダン!?」
 気がついたら二人がいなかった。それだけでなく、クルスとエチエンヌもいない。
「ええ! はぐれちゃったの!?」
「ちょっと、エチエンヌ!? シェリダン様、クルス卿も!」
「……落ち着けよ、二人とも」
 同じはぐれた者でも何かと騒がしいのは、こちらの組には女性二人が二人とも含まれるからだ。ロザリー、ローラ、アンリ、リチャードという組み合わせで彼らはロゼウスたちからはぐれてしまった。
「さて、と」
 アンリは周囲の景色を見回す。リチャードは帯刀しローラも懐に短刀とワイヤーを隠し持ち、アンリ自身も腕前は頼りにならないものの剣を持っているが、ロザリーは素手だ。
 今のところそう強い魔物は出てきていない。最低限の戦力で近寄ってきた者たちだけを叩いてなんとか、魔物たちの勢力範囲から逃れてきた。ローラとロザリーの女性陣が傷一つ負っていないのは、流石というところか。
 四人は崩れかけた廃屋のような場所にいる。
 人間の世界と徹底的に違うのは、そこに生活感の欠片も残っていないことだ。住居という様子ではなく、何か神殿のような建物であった名残だけを見せて、その建物は荒んでいる。
「ここには、魔物は入って来れないのかな……」
 先程まではあれだけうようよと湧き出ていた魔物たちが、ここに辿り着いた途端姿を見せなくなった。
「わかりません。神殿ということは、仮にも聖なる建物だから入れないということか。それともただの偶然なのか。何にしろ、油断はしない方がいいでしょう。ここでは我々は、狼の群の中に放り込まれた鶏のようなものです」
「それは美味しそうね。狼さんたちは必死で私たちを食べようとするわけ」
「そりゃ困ったわ。早くロゼウスたちと合流しないと」
 最後のロザリーの言葉に、しかしリチャードは少し考える素振りを見せた。
「待ってください」
「え?」
「シェリダン様たちは、果たして我々と合流しようと考えているでしょうか」
「……その前に、まず俺たちみたいに向こうも四人でいるのかどうか」
 アンリが突っ込む。
「ええ。ですが、あの方たちのことですからきっと一緒にいるでしょう。魔物たちの動きも、我々ともう一方と二手に別れて負っているようでした」
「向こうも四人一緒にいる可能性が高いということか。ロゼウス、シェリダン、エチエンヌ、ユージーン侯爵と」
「高い確率でそうだと思います。少なくともシェリダン様とロゼウス様は一緒でしょう。なので、四人が揃っていると仮定します。最低でもシェリダン様ロゼウス様が一緒にいてくださればあと二人は放っておいても問題ありませんし」
「何か今さりげなくスゴイこと言わなかった!?」
「そうよ。リチャード。勝手に人の弟見捨てないでよ」
 一通り突っ込み終わったところで話はもとに戻る。
「最初の目的なんですが、我々はこの冥府にミザリー姫を救出に来たわけですよね」
「ええ。そうよ。ハデスを倒してミザリー姉様を助けないと」
「そして、帰り道は決まっている」
「確か行きと同じように帰りもあの門を使うんだろ? だから最後には……」
「あ」
「そうです。つまり、今ここではぐれても帰りにまたあそこへ行けば合流できるはずです。この場合、あの方々がは、どういう行動に出るでしょうか」
「俺たちとの合流を考えるより、先に進むことを考える可能性が高いってことか?」
「ええ。もともとハデス卿のご指名はロゼウス様ですし」
「そうかぁ……そうかもな」
 シェリダンたちエヴェルシードの三人のことはよくわからないが、アンリは兄としてロゼウスのことを考えてリチャードの意見に同意する。
「シェリダン様もそういう性格ですわよね。あの方は私たち部下を『使う』けれど『頼らない』ですから。そのシェリダン様がロゼウス様の意向を考えて、クルス卿とエチエンヌに命を下したとすれば、あの二人は必ず従います」
「……ローラ、エチエンヌは君の弟だろ?それでも、もしかしたら姉を見捨てろと言われたとしても彼は従うと?」
「ええ。もちろん」
一瞬の躊躇すらなく、迷いなくローラは頷いた。
「だって私たちは、そのために在るのだから」
 微笑むその姿に、彼女たちの決意の硬さと、シェリダンへの信頼の厚さを見る。そして、ローラ自身の思いがけない強さと。アンリはまた、自らの胸の内から湧き上がる黒い思いを感じる。
「まぁ、エチエンヌならそうでしょうね。もっとも、それは彼がローラの実力に信頼を置いているからということもあるでしょうが」
「私もいるしね。アンリ兄様。私はロゼウスみたいに頭がよくないから効果的な戦法とか考えられないけど、でも単純な力だけだったらロゼウスより上よ? 戦略不足は、この場にはそれを補ってくれる兄様がいるしね。でしょ?」
「あ、ああ」
「では、意見は纏まりましたね」
 普段は控えめにシェリダンの背後に立ち、大人しくしているリチャードも他に纏め役のいないこの場ではリーダーシップを発揮する。
「ロゼウス様、シェリダン様たちの一行は先にミザリー姫救出のためにハデス卿の情報を探して進むでしょう。私たちもあの方達との合流を目指すよりも、この冥府で何らかの情報を仕入れて、姫君の救出へと急ぎましょう。その途中でロゼウス様たちに合流できたとしても、手ぶらであるのと何らかの知識を得ているのとでは違いますから」
「そうよね。会う気で捜して会えないよりも、最初から別行動で最後で合流すればいっか」
「私たちがシェリダン様に有益な行動をとれればよいのだけど」
「そうだな」
 四人の意見がひとまず統一されて、彼らは先に進むために決意を新たにした。
 だが。
『ギャォオオオオオオオ!!』
「魔物!?」
「ちょっと、この建物の中には入って来れないんじゃなかったの!?」
 先程から姿を消していた魔物たちが、またぞろ大群を引き連れて現れた。ここなら安心して話せるとすっかり落ち着いていた四人は、不意打ちに動揺する。
『美味しそうな女と、不味そうな男……』
 どうやら向こうはあからさまにこちらを食べるつもりらしい。この際、美味そうでも不味そうでも関係ない。まさしく野獣の群れの中に放り出された肉の気分だ。
「私たちを、そう簡単に食べられると思うな!」
 四人は、それぞれ己の武器を手に取った。

 ◆◆◆◆◆

 結果は、言うまでもないことだ。
「文字通り死屍累々ですね」 
「なんだ、手ごたえないわね」
「ロザリー姫、お強いのですね。すぐに倒せてしまいましたよ」
「あら。そんなの、ローラの援護が的確だからよ」
 ほのぼのと言葉を交わす他の誰でもないあの二人、ロザリーとローラがこの状況を作り上げたのである。言葉を交わす様子はほのぼのだが、その内容は物騒の一言に尽きる。
「こっちが相手の胴体に一撃入れた後にすぐ急所を刺してくれるから」
「むしろあんな大柄な相手にあれだけの負傷を与えるのが大変ですもの。トドメはお任せを」
「私が近接戦闘系だから、遠隔援護系のローラとは相性がいいのよね~」
 うふふふふ、と微笑む姿は花のようだが、言っていることは二人ともかなり怖い。
「さて、と。ではそろそろ私の出番でしょうか」
「へ?」
 これまでそう積極的に戦闘には参与せず、むしろロザリーとローラのタッグが打ち漏らした敵にトドメを刺すぐらいの活躍だったリチャードがそう言った。剣を抜いて何故か辺りの魔物たちの死骸を物色し始める。ぎょっとするアンリに構わず、リチャードはその中から一匹、彼が片手で持ち上げられる中程度の大きさの魔物を引きずり出した。
『ぐ……ぐきぇ……』
「人語を解せないようですが、大丈夫でしょうか」
「あ、魔物の言葉なら大体は私とお兄様がわかるから大丈夫」
 ――何が?
 リチャードの意図不明な問いかけに、あっさりとロザリーが答える。アンリと違って彼女にはこれからリチャードが何を行うつもりなのかわかっているらしい。これから一体何が始まるのか、アンリとしてはイヤな予感しかしないのだが。
「それではこれでいいでしょう。ちょうど程よく生きていますので」
 そう告げた次の瞬間、リチャードは手に持っていた魔物の胴体にずぶりと剣を突き刺した。
『ぐきぇぁぇええええ!』
 急所を外して傷口を抉るそれに、掴まれた魔物が耳障りな悲鳴をあげる。
 そしてもう一人悲鳴をあげたかったのは、無表情でリチャードが魔物を甚振る光景をばっちり目にしてしまったアンリだ。
「ちょ……ッ! リチャード!!」
「どうされたのです? アンリ王子」
「どうって……お、お前こそ何をしてるんだ!?」
「何って……拷問ですよ?」
「ご、拷問んんんん!?」
「ええ」
 今更何を言っているんですかとでも言いたげにあっさりと、リチャードはそう言ってにこやかに微笑んだ。その手はいまだに魔物を掴み剣で刺している状態なので、逆にその笑顔が怖い。
「情報を得なければならないでしょう。まさか私たちに好意的に冥府の王の居場所を流してくれる魔物がいるとお思いですか?」
「それは、でも」
「お兄様、今更何を言っているのよ」
「そうですよ。アンリ王子。無害な魔物ならともかく、こいつらは先ほど私たちをばっちり襲って食べようとした極悪魔物ですよ」
 いや、この状況だけ見るとむしろ俺たちが極悪に見えるぞ。
 アンリはそう思ったが、口には出せなかった。
「疑問はこれで解消されましたでしょうか。では続けていいですね」
「え、ああ、はい!」
 もはや勢いに押されて頷いてしまったアンリの言葉に、意味がわかったのか魔物が悲痛な声をあげる。
『くぎゃっ!?』
「では、拷問再開といきましょうか」

 ――しばらくお待ちください――

「わかったのはこれだけですね」
 恐ろしいことに拷問を始めた時とまったく変わらない無表情で、リチャードがさらりとそう報告する。
「ええと、つまり、私たち吸血鬼はともかく、ローラやリチャードみたいな人間は魔物たちにとって美味しい餌で、だからさっきあいつらはあんなに大挙して押し寄せてきたんだと」
「はい」
「それに、美的感覚はこっちの世界でもだいたい共通で、ロザリー姫みたいな人は食べないけど花嫁に欲しいっていう魔物がいっぱいいるのね」
「そのようだ」
「不愉快だわ」
 御指名を受けたロザリーが憮然とした表情を作る。その美貌にはそれなりの自信があるロザリーだが、毛むくじゃらの一つ目の獣やら青い大百足やら三本首の犬やら牙の長い紫色の虎などから求婚されても面白くはなかったらしい。
「っていうかリチャード、冥府の美的感覚って何かこの先に関係があるのか?」
「ええ。先程、あの建物の中に入ると一時的に魔物が寄って来なかったでしょう。その理由らしきものなんですが」
 美的感覚から一気に現在の身に迫る話をされて、アンリも自然と傾ける耳に力が入る。
「この冥府の中でも、美的感覚は地上と一緒ということは、冥府には人型の魔物と言うものが棲んでいるらしいのですよ」
「人型? それって魔物なのか? 魔族じゃないのか? 俺たちみたいに」
 魔物より一段高位に存在する種族、魔族の一種である吸血鬼のアンリはそう尋ねたが、ここでようやくリチャードが戸惑うような顔を作った。
「そう……なのでしょうか? 魔物と魔族の細かい違いは我々人間にはわからないのですが……しかしロザリー姫の翻訳によるとあの魔物たちはそれも『魔物』だと言っていたようですよ? その魔物が、美しいものを好む性質だそうです。あの丘から見えた建造物の幾つかはその魔物の所有で、傷をつけると恐ろしい報復が待っていることから魔物たちは近寄りたくなかったそうです。森の幾つかもその魔物の領地だというので、どうやら問題の魔物は冥府の貴族の一人のようですね」
 逆に言えば、他の魔物たちが近寄りたがらないその場所を選んで通れば、とりあえず当面魔物の大群に襲撃される心配はしなくていい。
 しかし、無断で領地に入って、その問題の、「偉い魔物」に見つかってしまったらどうなるのだろうか。
「我々は魔物たちの美的感覚で言えば上位にあたる人型ですから、上手く行けば見逃してもらえるようですよ?」
「うっかり怒らせちゃった場合は」
「その時はもう戦うしかないのではないかと。それに……」
 この場にいるのはこの四人と拷問された魔物と、死んだ振りをしている魔物、そして本当に死んだ魔物だけで誰を憚る必要もないはずなのだが、何故かリチャードが声を潜める。
「…………だ、そうです」
「は?」
「え?」
「へ? ……それはまた」
「でもそうなると逆に、私たち危ないんじゃないの?」
「いえ、それが……は……なので、……が私たちによって……ならば、それもまた一興ということで見逃してくれるのではないかと」
「えぇ?」
「はぁ」
「え~~~~!」
 冥府にもいろいろな事情があるんだな……四人はそう思ったという。
「まあ、とにかくそういうわけで、ハデス卿の居場所はあの灰色の神殿だそうです」
「というわけで、で繋いでいい台詞なのか今のは。文脈おかしくないか?」
「気にしないでください」
 ローラ、リチャード、アンリ、ロザリーの四人は拷問した魔物から目的地であるハデスの居場所を聞き出し、先を急ぐ。