荊の墓標 35

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 乾いた道を歩く。
「本当に、この森には魔物が出ないな……」
 冥府の空は紫。夜明けのような薄紫の空に、白い雲がかかっている。その光景になんとなくシェリダンは、サライの瞳を思い出した。
 そういえば彼女の瞳もこんな色だった。淡い紫色の瞳は、神秘的な印象を見る者に与える。紫は異界に通じる色なのだという。それは良い意味でも、悪い意味でも。
 関係あるのかどうかは知らないが、とりあえず冥府の空は紫だ。
「うん。この森の内側にはほとんど生き物自体の気配がない」
 ロゼウスもシェリダンの言葉に頷く。
「探れるのか?」
「うん。俺はここの空気に馴染むのかも……なんだか、地上より呼吸がしやすいような感覚。魔力がずっと冴え渡るって言うか」
 言葉の途中で、シェリダンはロゼウスの腕を掴む。
「わかっているだろうな。ロゼウス」
 思いがけず強い目に見据えられて、ロゼウスは一瞬動きを止める。
「お前は、私と一緒に地上へと帰るんだ。残りたいと言っても、鎖をつけてでも引きずっていくぞ」
「うん。わかってるよ」
「ならいいが」
 何やら不機嫌そうな……訂正、不機嫌そのものの表情でシェリダンが渋々と頷く。
「シェリダン様、ロゼウス様。ところで、向こうに見えるあの建物は?」
「ああ。うん、あれに向かってる」
「あの建物ですか?」
「ああ。あの建物からは唯一、魔物の気配がするんだ」
 クルスの問にロゼウスは答え、彼の視線の先を自分も追った。
 ロゼウスたちが今歩いている森の道の向こうには、灰色の建物がある。灰と言っても、鈍色と言うより本物の灰に近い、白っぽいような極々薄い色だ。燃え尽きたその色の建物が銀色の森に抱かれている。
「なんだか、我々の世界の建物と変らないな」
「ええ。貴族の屋敷という感じですが……」
 その建造物の造りは人間の世界とほとんど変わらず、端々に凝らされた衣装が禍々しい印象である以外は貴族の館と言うに相応しい建物だった。
「こんな冥府に、誰が住んでいるんでしょうか」
「少なくとも魔物であることは確かだろう」
「いや」
 シェリダンとクルスの主従の話に、ロゼウスはつい口を挟んだ。
「いや、って、じゃあ何が住んでるって言うの?」
 エチエンヌが皆を代表して尋ねる。
 ロゼウスは紅い瞳の視線をずっと目前の灰色の建物に注ぎ。
「魔物じゃなくて……魔族かも」
「魔族?」
「魔物と魔族って、どう違うんですか?」
 どんな答が返って来るかと思えば、魔物とさして違わないような答。少なくとも人間である三人はそう感じた。しかしロゼウスの感覚は違うらしい。
「んー、俺たちから説明するのはちょっと難しいけど……あのさ、さっきの生き物たちは魔物で、俺は魔族だって言ったらわかる?」
「あれ? ローゼンティア人って吸血鬼族じゃなかったっけ?」
「吸血鬼族が魔族の一種なんだよ、エチエンヌ」
「どうも私たちにはその辺がよくわからないな。魔物も魔族も言葉にしてしまえばさして違いがわからない」
「じゃあ百足と同衾したい? シェリダン。冥府から恋人として一匹連れ帰ってみる?」
「すまん、私が悪かった」
 ロゼウスは吸血鬼族と言う名の魔族である。そして先程彼らが戦って倒した三つ首の狼や前進を金色の毛に覆われた一つ目の豹、大百足や六本足の兎、青い大蛇などは魔物である。両者にさして違いがないということはロゼウスもそれらと同類ということだ。
「同じ生き物の枠には括られても単なる動物よりあんたたち人間が一段高等な生物だって認識されているように、魔族は同じ冥府から作られた生物のうちでも魔物より高等な存在なんだ」
「つまり冥府の動物が魔族で、冥府の人間が魔族だということですか?」
「そんなものかな」
 厳密に言えば寿命や生態などもっと違いがあるのだが、ロゼウスはひとまずクルスの言葉にそう頷いた。
「と、いうことはあの屋敷に住んでいるものが魔物ではなく魔族かもしれないということは」
「あそこには人型の生き物が住んでいるということですか?」
「ああ。だって大百足やケルベロスにはあんな屋敷必要ないだろ?」
「確かに」
 四人は揃って、歩く内にすでに目前となった建物を見上げた。
 黒い土に立つ銀色の森に抱かれた薄灰色の建物は、その威容を彼らに晒している。
 貴族の屋敷の門前に飾られることが多い銅像は、人間の世界ならば獅子や鷲などに加え、宗教的な色の強い国では天使や神の使途の像が多いが、ここでは蝙蝠の翼を持つ悪魔像が多かった。がりがりの骨に皮だけ張ったような悪魔たちがカッと目を見開き牙を剥いた像がずらりと立ち並ぶ。
「なんか落ち着く……」
「「「ええっ!?」」」
 ロゼウスの発言に、人間三人は一歩引いた。
「そういえばローゼンティアの景色って」
「外観は赤と黒の派手な景色である以外おかしなところはないが、そういえば燭台がハンドオブグローリーなセンスだったな」
 直接ローゼンティアを訪れたのがシェスラートとの戦いで森のはずれの廃教会だったエチエンヌとは違い、シェリダンとクルスはローゼンティア国内に入った。しかも日和見と名乗った貴族の屋敷にまで招かれている。その時の記憶を思い返すと、確かに建物の外観こそこれほどではなかったが、ローゼンティアの様子はこの屋敷と……。
「やっぱ、同類じゃないか……」
「だから魔族かもしれないって言ってるじゃないか」
「いや、そういう意味じゃなく」
 そんな風に一行が屋敷の門前で騒いでいるその時だった。
『ようこそ。招かれざる客人よ』
「!」
「この声、どこから……」
 魔力の多い大気を直接震わせて、声は彼らの耳に届いた。招かれざる、と言いながらもどこか楽しそうな色を含んだ声は、ロゼウスたちの訪問を面白がるように言葉を続ける。
『私は今君たちが騒いでいる目の前の屋敷の者だよ。歓迎しよう』
 どこかから監視でもしているのか、相手にはロゼウスたちの様子が筒抜けのようだった。その言葉と同時に、彼らはどこかから視線を感じるようになった。見られている感覚はあるのに、それがどこからなのかはわからない。魔術に強いロゼウスだけは、それが本物の眼ではなく魔力による視界だからだということがわかったが。
「歓迎?」
『そう。歓迎する。何しろこの冥府には、客人……それも人間が訪れることなど稀だからね』
 どうやら会話は成り立つようで、シェリダンが思わず漏らしたその疑惑の声すら面白がるように、屋敷の主だという声の主は言葉を返す。
「……どうする?」
「情報は必要だ。それに、この屋敷に住んでいる相手はかなりの実力者だ。……話を聞くなら下等な魔物の断片的な情報を繋ぎ合わせるより、人と同じ思考回路と言語能力を持つ相手に理路整然と語ってもらいたいところだけど……」
「ならば」
 四人は眼前に聳え立つ屋敷を見上げた。言いたいことはもう言ったというのか、先程の声はすでに聞こえてこない。しかし、どこかから見られている気配は変わらずに感じる。
 試されている。どうして?
 進まなければ、わかるはずがない。そしてどちらにしろ、この冥府では彼らの味方はおらず、敵だらけなのだ。今更真正面から敵とぶつかったところで構いはしない。
 非常に大雑把にそのような結論を出したところで、四人の意志は固まった。
「ロゼウス」
「わかった。行こう」
 彼らが足を進め始めると、大きく頑丈そうな屋敷の門が手も触れずに一人で開き始めた。招くように。
 獲物がやってくるのを口をあけて待つ獣のように。

 ◆◆◆◆◆

 灰色の廊下には濃い紫の絨毯が敷かれていた。明かりの類は一切ないのに、その建物の仲は何故か明るかった。明るいといっても真昼のように明るいというのではなく、動くのに不都合がない薄明るさというくらいだが、全く何もないよりはいい。
 人間の屋敷のように召し使いと呼ばれるような存在が出てくることもなく、ロゼウスたち四人は外で聞いた声の案内だけに従って、屋敷の食堂らしき場所へと辿り着いた。長いテーブルの端に人影が見える。
「ようこそ、我らの冥府。地下世界タルタロスへ」
 そう言って彼らを出迎えたのは、一人の男だった。
 灰色の肌に濃い紫の髪、紫の瞳。薄い唇がロゼウスたちを眺めて笑みを刻んでいる。顔立ちは整っているが、その灰色の肌のせいか冷たい印象を与える。
「歓迎しよう。ここは私の屋敷だ。ゆっくりとしていきたまえ」
 男がそう言う。その言葉に対する返答相手として、他の三人はロゼウスへと視線を集めた。
「生憎だけれど、そうもいかない。名も知らぬ冥府の貴族様。俺たちは目的があってこの世界にやってきた。その目的を果たさなければならない」
「そうか。それは失礼した。ロゼウス=ノスフェル=アケロンティス=ローゼンティア陛下」
 名も知らぬ、と言ったこちらに対し、その男はロゼウスの名を正確に答えてきた。しかも間に帝国名「アケロンティス」を挟んだ、その名前は。
「何故それを知っている」
「私はこれでも冥府の王であらせるハデス卿の部下なもので。まぁ、もっともあの方は私のことなどさっぱり信用していないし、こうしてあなた方が来ているというのに連絡の一つも寄越してくれないがね」
 薔薇皇帝となるロゼウスの運命を言い当てた男に対し、四人は疑惑と敵意の眼差しを向ける。その言葉の中に更にハデスの名前が出てきたことで、ますます不信感を強めた。
「そう警戒しなくてもいいじゃないか。私の方では、あなたたちに危害を加える気はないよ」
「信用できない」
 はっきりと言い切ったシェリダンに対し、男は意味ありげな視線を向ける。
「やれやれ、皇帝の運命の少年はいけずだねぇ」
「は……はぁ?」
運命の少年とは、と言いかける前にいけずという言葉にシェリダンは変な表情で固まった。
「閣下」
埒の明かないやりとりを続けても仕方ないと悟ったのか、シェリダンがいけず呼ばわりされたことなど気にも留めずロゼウスが男に再び話しかける。
「敵ではないと言うのなら、とりあえず貴公の名前も教えていただきたいのだが」
「ええ。わかっています。そう謙らずともようございますよ、皇帝陛下。私の名はラダ。冥府の公爵が一人、ラダマンテュスと申します」
 男はそれまで座っていた豪奢にして悪趣味な椅子から立ち上がり、ロゼウスに向かって一例して見せた。
「ラダマンテュス……」
「ええ。以後お見知りおきを」
 そして彼は食卓に向けてさっと手を振った。
「え?」
「ええ!」
クルスとエチエンヌが続けて驚きの声をあげる。ラダマンテュスと名乗った男が手を振ると、突然長テーブルの上に豪勢な料理が現れたのだ。
「親睦のしるしにいかがです? そろそろお腹も減ってくる頃合ではないでしょうか。お話はこれをつつきながらした方が、効率もいいかと思われますが」
「毒でも入っているのではないだろうな」
「気になさるならあなたが味見してみたらどうです? ロゼウス陛下」
 味見ではなくて毒見だろうと、言われてロゼウスは手近な料理を一口食べてみた。
「! これは……」
「ロゼウス!?」
 ヴァンピルであるロゼウスならばまだ毒に対して耐性があるが、冥府の毒などというものをシェリダンたちに口にさせるわけにはいかない。
 ついでに、世界各地に古代伝わっていたという神話の中には死者の国でその食べ物を食すると地上へ戻れなくなるという話がある。それこそハデスの名の元となった冥府を治める神ハデスは、そうして妻ペルセポネを得た。
 しかし、今ロゼウスが口にした食べ物はそのどちらとも違う。そのことにひとまず安心しながら、ロゼウスはテーブルの遠い向こう端にいる男の様子を疑わしげに窺う。
 確かにこの場に出された料理は毒でも生者を冥府に引き止める類のものでもないが、それとは別の薬効がある。そのことについて、ロゼウスは男に問いたかった。
「信用していただけたでしょうか」
 にこやかな笑顔の下で真意の探りあいをする。
「……ああ」
「それでは晩餐にするといたしましょう。どうせそのお体では、ハデス卿には勝てますまい」
四人は目配せを交し合い、適当にその辺りの席についた。
 食事と言ってもロゼウスにそれほど人間のするような食事は重要ではなく、むしろこれはシェリダンたち人間用に作り出された歓待だ。すぐに熱量に変えられる菓子などを選んで口にしながら、一番おざなりな食事ですむロゼウスと、先程から実は酒しか飲んでいないラダマンテュスの間でやりとりが続く。
「最初に聞いておきたい。あなたは一体何者だ? どうして俺たちに味方しようとする。ハデスの部下と言っていたが、これは彼を裏切る行為だ」
「簡単なことですよ、地上の皇帝陛下。私は立場上彼の部下と言う事になりますが、心の底から服従しているわけではありませんので」
「どういうことだ」
「おやおや、すでにおわかりでしょう。あなた方の国は国王が代替わりしたとして、国内の貴族全員がその新王に納得するというのですか?」
「……」
ラダマンテュスの言葉にロゼウスは押し黙った。
「そういうことですよ。だからといって、私は真っ向からハデス卿のやることを否定してみたりするわけでもありません。ただ、あの方にイヤガラセをしたいだけなのです」
 ラダマンテュスはにっこりと笑顔を浮かべる。
 その笑顔に、ロゼウスたちは何だか嫌なものを感じた。
 ロゼウスは何となく、先程まで歩いていた森に他の魔物が現れなかった理由がわかった。この辺り周辺一帯は、この場所に屋敷を置く彼の領地なのだろう。ラダマンテュスの不興を買いたくなくて、あの魔物たちは彼の領地内には心情的に立ち入るに立ち入れなかったのだ。
 この男、強い。
同じ空間にいる相手の実力をそうやって判断しながら、ロゼウスは考える。
(この男、本当は何を企んでいる?)
 と、さりげなく様子を窺っていたロゼウスの眼差しにラダマンテュスが気づいた。単にロゼウスが彼の方を見ていたことに気づいたのではない。その真意を知るために奥底まで覗き込もうとしていたのに気づいた視線だった。
「薔薇の皇帝陛下。あなたとは、もっとじっくりお話したいな」
「?」
 彼がパチリと指を鳴らすと。ふっとロゼウスの周囲から物が消える。
「ロゼウス!?」
 いや、逆だ。ロゼウスの方が先程の部屋から移動させられたのだ。
 黒い、何もない空間にラダマンテュスと二人きりになる。何もないと思ったのは表面上だけで、ラダマンテュスは闇に呑まれて見えない椅子のようなものに腰掛けると、ロゼウスにも同じようにするように指示をした。
「さて。それではここからお互いの腹の内を割った話し合いと行きましょうか」
 紫の瞳が、不穏な光に瞬いた。

 ◆◆◆◆◆

「こんなところに呼び込んで、何を内緒話をしてくれると言うんだ?」
 突然の空間移動で二人きりにさせられたにも関わらず平然と尋ねるロゼウスに、ラダマンテュスはこちらも平然と返した。
「それは、こちらの思惑を。上ではハデス王本人に聞かれる恐れがあるからね」
 そう言って彼は、どこか遠くへと視線をやる。それが今現在ハデスのいる場所の方向なのかもしれない。だがどうせこの上下左右もわからない空間では同じだろうと、ロゼウスはその先を追うのを諦めた。
「どうして、こんなことを? それに、なんで俺だけ?」
「それは、今から私がする話の内容に関わってくることですよ。そうだな……あえて後者の質問に先に答えるとするならば、せっかく久々の食事にありつけた他の三人が、私の話にそれを吐き出してしまうのは可哀想でしょう?」
「はぁ?」
 謎の説明に、ロゼウスは怪訝というより呆れたような声をあげた。だが、これはそもそも前置きに過ぎないのだと言う事をこれから充分知ることになる。
「単刀直入に言いましょう。私は彼が欲しいのですよ」
「……彼? まさか」
「ええ。ハデス王のことです」
 ロゼウスにとっては皇帝の宿命を巡って因縁深い相手の名を、ラダマンテュスは奇妙にも愛しげな者の名を口にするかのように口にする。
「ロゼウス帝、あなたはハデス王と何か争うわけがあるくらいだ。ならば、あの方の本当のお姿を見たことがあるでしょう?」
「ああ。ある、けど?」
 そういえばハデスはもともとカミラを襲った刺客としてロゼウスの前に現れたのだった。あの時は大人の男の姿、その後はずっと十五、六歳ほどの少年の姿で現れているが、そのどちらも見た事がある。それとも他にハデスの姿というものがあるならば別だが。
「その本当の姿、というのは人間年齢にして十六歳くらいの少年の姿、でいいんだよな」
「ええ。そうですよ。あの方が実の姉である大地皇帝に、初めて陵辱された年齢です」
「――え?」
 思いがけないラダマンテュスの言葉に、ロゼウスは軽く目を瞠った。大地皇帝デメテルの弟にして帝国宰相を務める以上実年齢は九十歳近いハデスが、魔術で簡単に姿を変えられるのにも関わらず何故あの姿にこだわり続けるのかと思ったが。
「十六ともなればそろそろ腕力も大人の男並みについてくる頃。胸の辺りこそ豊満ですが全体的に細身で華麗なる姉にまさか魔術などという反則で組み敷かれて襲われたことに、あの方は今も納得がいかないのですよ」
「そう……なのか」
 初めて知ったハデスの真実に、ロゼウスは何とも言いがたい感覚を覚える。
 しかし悠長にハデスのその姿を選んだことに対して思いを巡らせていられるのもその時までだった。
 ラダマンテュスの言葉は続く。
「ええ。可愛らしい方でしょう。本当に」
「それは――」
「もう、縛り付けて無理矢理突っ込んで泣かしてみたい! と思うでしょう」
 はい? ハデスの幼いが故に切実な意地に対して皮肉ったのかと思われたラダマンテュスの更に予想外な言葉に、ロゼウスは続く台詞を失う。
 そして乗りに乗ったラダマンテュスの発言は続く。
「ああ、そもそもあの容姿! 故ゼルアータ暗黒の王国の末裔たる漆黒の髪と瞳! 色素のせいかどこか重く硬質な印象を与えるあの黒髪! 瞳孔の色と違いがなく瞳そのものをその色で塗りつぶしてしまったかのようなあの一色の瞳! 高くはないが綺麗に通った鼻! 桜色の可憐な唇! タルタロスの魔族どもの濁った灰色の肌と違う生気に満ち溢れた黄色い肌! 大きいが切れ長の瞳が同じ色の睫毛に縁取られて苛立たしげに唇を噛みながら世界を見ているあの様子!」
 ロゼウスは床と思われる辺りをさりげなく蹴り、その男から一歩引いた。
 ラダマンテュスには悪いが(?)ロゼウスはハデスの外見にはさほど興味はない。整ってはいるし、姉のデメテルがすっきりとした美人であるだけあって普通の顔立ちの人間の中にいれば美形と称されるだろうが、しかしそれだけだ。シェリダンのように華やかな美貌を目にしていると、整っているがそれだけであるハデスなどには、ロゼウスはそれほど興味も湧かない。子どもではあるがエチエンヌの方がまだ綺麗な顔をしている。可愛らしいという言葉を使っていいならば、クルスもそうだろう。
 しかし、ラダマンテュスはそれらのことも全て把握し許容し包み込んで(?)いるようだった。
「何よりいいのは、絶世の美貌などではないところ!」
 あ、わかってたんだ……自らの趣味のマニアックさを自覚している魔物だか魔族だかの男の言葉に、いよいよロゼウスはコメントしづらくなる。
「そしてあの性格の絶妙な捻くれ具合! 姉であるデメテル陛下に対する愛情と憎悪という二律背反のコンプレックス! 自らの存在証明のためにマゾヒスティックに傷つけられることを好み、女性が好きなくせにわざと男に抱かれようとするあの変質! もう、たまらない! 彼は私の理想にぴったりだ!」
 何気に彼に関わった者たちが、姉を殺すと宣言する彼の複雑な態度から感じ取るハデスがデメテルに向ける感情など重要事項をさらりと含んでいるのだが、内容ではなく言い方のせいで全く深刻な話に聞こえない。
「ああ、我ら魔の領域の者に比べれば絶対的に身体能力では敵わないと知っているのに負けるのが許せないあの強気な眼差しを完全に屈服させることができたらどんな恍惚が得られるか……! あの細い手足を縛りつけ無防備に局部を晒すように実験台に固定し、その身体の隅々まで私の指と舌と言う名の道具で調べつくし暴いてやりたい。あの格別美しすぎるわけではないが年頃の少年らしい浅はかな熱意と矜持に燃える顔が私の行動に心の底から嫌悪と拒絶を示し、狂ったように暴れてこの手を振り払おうとするところが見てみたい。他の男には抱かせる自分の身を、私だけは拒絶するあの彼が、私に犯されざるを得なくなって本気で青褪めるところが見たい。 いつか必ず見てみたい!」
 ロゼウスはハデスの恋愛事情にはさっぱり興味がないので彼がどんな相手と関係を持っているのかは知らないが(とりあえずシェリダンとは肉体関係のない普通の友情だと言うのは以前聞いたが)ラダマンテュスはハデスにまったく相手にされていないらしい。
 ……というか、整った端麗で冷静そうな顔の裏に潜むこの性格が見透かされて避けられているのではないだろうか。
 しかもラダマンテュスの話はまだ続いている。
「あの桜色の唇を無理矢理こじ開けて私のものを、あごが外れるまでしゃぶらせたい。あの筋肉や身体の強さとは無縁の頼りない胸板を飾る乳首を私の口に含み、飴のように舐め転がしたい。そしてあの肌理の普通な肌に一目で陵辱されたとわかる痣を無数の花のようにしつこく散らし、その惨めたらしい姿を記録に残しておきたい。あの無駄な肉などない薄い尻たぶを開いて小さな穴を暴き、私の指で丹念に解し、嫌がる彼のその場所に私のこの興奮に熱く猛り狂ったものを入れて内部が擦り切れるほどその奥を突きたい。痛みに泣き叫び血を流しながらやがて感じる快楽に喘ぐ掠れ声が聞きたい。そして私の吐き出した雫を顔に受けて呆然とした境地から我に帰ったハデス王が、絶望に涙の浮いた瞳を怒りに燃やし、これ以上の陵辱を拒んで自ら舌を噛み死を選んだ唇にそれを妨害するために私の指を突っ込んで、流れた血と精液の味に死さえ赦されない絶望を感じながら壊れていく様が見たい。ああ、ぜひとも見たいんだ」
 誰がどう好意的に聞いてもそれは恋ではなく変態的な欲求の告白はようやく結びを迎えたようだった。相手に抵抗しきるハデスの様子がリアルに想像できて怖いところが、ラダマンテュスの相手に夢を見ず正確に理解しながらそれを最大限利用して屈辱を与えようとする趣味を見事に表わしていてなおさら怖い。
「と、いうわけで私がいかにあなた方のいうハデス卿が好きなのかわかってもらえたかな」
「ああ……充分過ぎるほど」
 本気で充分過ぎた。
「だから、私はハデス卿の部下ではあるが彼の味方ではないんだ。むしろあなた方が彼の力をそいでこの手に彼が転がり堕ちる機会を作ってくれるならいくらでも協力しよう」
「そ、それはわからないんだけど……だいたい、ハデスのことは姉のデメテル陛下の管轄だし」
 それに、そもそもロゼウスが皇帝として即位したらデメテルの道連れでハデスも死ぬのではないか? ではロゼウスに味方するのはラダマンテュスにとって不利益ではないのか? いや、それともここは冥府だからこそ本格的にハデスを殺してその魂を好き勝手弄びたいという魂胆か? ……もはやまともに彼の言うことを考えるだけ無駄なような気がしてきた。
 そして最初にラダマンテュスが言った、これを聞いたら食事中の三人が吐く、という言葉の意味もわかった。シェリダンとエチエンヌ辺りはまだしも、クルスは絶対に撃沈される類の言葉の羅列だった。
「わかっているさ。大地皇帝のことは。しかし、こちらも伊達に冥府の王に恋しちゃいないんだ。策は練ってある、ああ、あなたが皇帝として即位したら彼が死ぬという心配も無縁だ。私にも考えくらいあるからね」
「そ、そうなのか」
「私はあなたのおこぼれを頂くことにするから、好きに動いてくれたまえロゼウス陛下。そう、私に身体の隅々、細胞の一つ一つまで犯されて壊れたあの少年にその後は屈辱的な拘束具を嵌め貞操帯を嵌めて犬のように鎖に繋いでかわいが」
「わかった! あんたの熱意はもうわかったから!」
 だから続きは後で一人で言ってくれ、とまだ何かヤバい妄想プランを語ろうとするラダマンテュスの言葉を制し、ふとロゼウスは一つだけ気になって聞いた。
「あの……上の三人とかには興味は」
「ああ、彼らはみんな美人だね。だけど私の好みじゃないんだ。あなたもね。ハデス卿の代わりにあなた方を身代わりにしようとすることはないからその辺は安心してくれ」
「そうか」
 ハデスよりも上の、絶世の美貌というに相応しい容姿のシェリダンはラダマンテュスの好みではないらしい。じゃあいいや、とハデスが聞いたら激昂しそうな人でなし発言をして、ロゼウスはとりあえず、その場の疑問を納めた。