荊の墓標 37

第15章 聖者の葬列(2)

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「ごめん」
 口を開きばな出てきたその言葉に小さく驚いて、シェリダンは隣に座るロゼウスの顔を見た。
 とりあえずエヴェルシードの現状にショックを受けた部分もあるだろうし、一日くらいは体を休めろとのエルジェーベトの忠告をありがたく受け取って、一行はそれぞれの部屋を与えられた。他の者たちはまだしも、父が投獄されたと耳にしたクルスの動揺が激しい。見かねたエルジェーベトと一同は、主に彼を落ち着けさせるために名目上一人一人別々の部屋を与えたのだ。
 とは言ってもロゼウスとシェリダンにしてみればもはや別々の寝台で眠る方が珍しく、今もロゼウスは自分が割り当てられた部屋から抜け出て、シェリダンのもとへとやってきていた。しかしその表情はどこか沈んでいて、部屋の主であるシェリダンにしても容易に声をかけ難かった。
 そして出てきた最初の言葉が先程の謝罪である。
「ごめん」
「……いきなりどうした」
 エルジェーベトの城と言うだけあって、リステルアリア城は貴族趣味だ。ヴァートレイトの居城にも毛足の長い絨毯を敷いていたことを思い出す。ふかふかとしたそれがロゼウスの軽い足音を吸う。茶系の配色で纏められた室内に、ロゼウスの持つ白はよく目立つ。
 先程の話で、実は落ち込んでいたのはクルスだけではない。
 ウィルとミザリーが亡くなったことも、彼らの方からエルジェーベトに話した。彼女はウィル王子にはさほどの面識はないが、ミザリーのことは一時ヴァートレイト城で確保していたこともあり、よく知っていた。さすがに沈んだ様子で部屋を出て行ったエルジェーベトの後姿をシェリダンは思い出す。エルジェーベトの弟のルイはミカエラと親しく、かの王子の処刑後から元気がないのだという話も聞いていた。
 本来であればローゼンティア王族とエヴェルシード貴族と言う敵同士であった関係。だが馴れ合えば、新たな痛みを生み出すものであると。
 憎い相手は憎いままでいる方が幸せなのかもしれないな……そんな風に思いながらシェリダンは、寝台に腰掛ける。室内に入ってきた瞬間から顔色の暗いロゼウスを手招きし、自分の肩に頭を預けさせた。
 とくとくと鼓動の伝わる距離で話をする。良くも悪くも、これがいつもの自分たちの距離だった。こんなにも近いからこそ一度離れると温もりが恋しくてたまらなくなるほどに。何故これほどはまってしまったのだろう。底のない沼のような想いに。
 永遠などありはしない。
「ごめん。シェリダン」
「だから、どうした?」
「カミラのこと」
 シェリダンの服の胸元を白い手で掴み、縋りつきながらロゼウスはそう言った。
「カミラが、どうかしたのか?」
「だって……俺が、彼女を生き返らせたから今こんなことになって……」
 ああ、そういうことか。ロゼウスが何を言いたいのかシェリダンは納得した。
「気にするな。お前のせいではない」
「でも……」
「くどい。いつまでも終わったことをぐちぐち言うのは止めろ。お前が今更気に病んだところで事態が変わるわけでもないだろう」
 シェリダンの言葉に、ロゼウスがぐっと喉を詰まらせる。
「……お前だって、この事態を予測してまでカミラを蘇らせたわけではないのだろう? 確かに、一度死んだはずのカミラに吸血鬼の力の欠片まで備えて蘇らせてしまったのはお前の落ち度かも知れないが、あの時点で今のこの事態までなど、誰にだって予測できるものではない。私でも無理だ。カミラがあんな大胆な性格になるとは誰も予想できなかったしな」
 思えばロゼウスがエヴェルシードに来てから、全ての歯車は回り始めたのだ。
 だがシェリダンはそれについて悔やむことも恨むことも何もない。彼を気に入り、国へ連れ帰ったのは紛れもなくシェリダン自身の意志だ。他の誰のせいでもない。ドラクルでさえそれは予想外だったと言っていたこのこと。
 そのためにカミラに吸血鬼の超人的な身体能力が備わり、ドラクルたちとの繋がりを作り、シェリダンがエヴェルシードの玉座を追われても。
 それでも後悔などしない程度には、シェリダンはロゼウスに溺れているのだ。勿論自分に対し苦難の道を突きつけてきたドラクルたちに対する苛立ちや恨みはあるが、それでもロゼウスを望んだこと自体を後悔する日は決して来ない。
 初めこそ軽い気持ちだったのかも知れない。共に死ぬ道連れとして気に入っただなんて理由、進むべき未来も何もない道に彼を引きずり込んだ理由は他愛のないものだった。だが今は違う。
「シェリダン……その、話があるんだ」
「何だ? もったいぶらずにとっとと話せばいいだろう」
 歯切れ悪く切り出したロゼウスに対し、シェリダンはさっさと言えと促す。ロゼウスは彼の胸に手を当てて縋った至近距離のまま、顔を上げてシェリダンを睨んだ。
「さっきの、エルジェーベト卿との話、本気なのか?」
「本気とは?」
「エヴェルシードの、玉座を捨てると」
 シェリダンは再び王位に返り咲く気はないと、これまで彼が国に戻る日を待ち続けた女公爵に告げた。
「どうして……だってこの国は、あんたのものだろう。カミラから玉座を取り戻して、そして」
「ロゼウス」
 名を呼ばれてロゼウスは話の途中から伏せていた目を上げた。
 乾いた柔らかな感触が唇を塞ぐ。
「……好きだ」
 ポツリと落とされた言葉はいつものような熱ではなく、ただ捨て切れない寂しさのようなものが含まれていた。
 唇が離れると、ロゼウスはシェリダンを睨む。
「話をそらすな」
 シェリダンが何故このような前触れのない行動に出たのか、その意味を正確に理解してロゼウスは半眼で彼をねめつける。
「俺を誤魔化そうとしても無駄だ。答えてもらうぞ、シェリダン。何故あんなことを言った」
 やはり通じなかったか、と悪戯っ子のように舌を出して、シェリダンが軽く答える。
「何故も何も、実際に私がそう思いそう決めたから言ったまでだ。エヴェルシードの王位を再び手にする気はないと」
「だから、なんで!」
「私が手にしても仕方がないからだ」
 シェリダンの口にする言葉は諦めや放棄とは違う、むしろ確信に近い何かがある。しばらくその朱金の炎の瞳を覗き込んでいたロゼウスは、ふと、あることに気づく。
 深紅の瞳が瞠られ、目の前にあるシェリダンのやけに落ち着いた表情を凝視した。
「あんた、まさか……」
 聞きたくて聞けない話題がある。
「シェリダ――、ッ!」
 それを問いただそうと口を開いた瞬間、またしても口づけに言葉を塞がれる。
 どうしても、どうしても聞かなければいけないのに声が出ない。開いた唇の隙間から舌が滑り込んできて、口内を好き勝手に貪った。
「……ん……ふっ……」
 先程の触れるだけの接吻とは違う、濃厚で熱い口づけ。これまで何度も何度も交わしてきたはずの。
 けれどそれを今、こうして口から飛び出すはずの言葉を塞がれるというそのためだけに使われるのがロゼウスは悔しい。
 しばらくして多少息苦しくなったところでようやく解放され、ロゼウスは再びシェリダンを睨みつけた。
「ロゼウス、お前……」
 薄っすらと涙を浮かべて目元を紅くしたそんな表情で上目遣いで睨むのは反則だとシェリダンは思う。
 だがそんな可愛らしい表情に対し、ロゼウスの口から出るのは可愛くない言葉ばかりだ。底抜けに可愛い男というのも確かにどうかとは思うが。
「いきなり何するんだよ! この馬鹿!」
「ああ。つい」
「つい!? そんな言い訳が通用するはず――」
 言葉はまた途切れ、胸が苦しくなる。この嘘つき、と怒鳴るロゼウスを腕の中に閉じ込めるようにして抱きしめ、シェリダンはその耳元に唇を寄せる。
「……愛している」
 出会ってから幾度となく告げた言葉を囁くと、ぴたりとロゼウスが動きを止めた。出会ってから幾度となく囁いた言葉でも、それが嘘だったことは一度もない。
 初めこそ最悪としか言いようのなかった関係も、いつの間にかここまで来てしまった。もう後戻りなどできるはずはないのだと、良く知った声で頭の中で誰かが告げる。
「お前が兄との因縁にけりをつけねばならないように、私もこのエヴェルシードで自らの問題にけりをつけねばならない」
 シェリダンの言葉に、ロゼウスは沈黙する。
「だからその時まで、何も聞かず、何も言わずにいてほしい。たとえ私が何をしても、お前を想っていることに変わりはない」
「……あんたは、卑怯だっ」
 掠れ声でロゼウスが囁き返す。口調は乱暴でも、その言葉はシェリダンの懇願を跳ねつけるものではなかった。
「私たちはそろそろ、自分たちが引き起こした問題を収束しなければならないんだ。それが、せめてもの責任だろう。だから……」
 王としての責任を。
 シェリダンの言葉に、ロゼウスはただ困惑するように眉根を寄せた。

 ◆◆◆◆◆

 国中が蔓延する病のように不穏な苛立ちに包まれる現在、王城はその病の発祥地である。纏わりつく大気さえも澱んだように、酷く重く感じられる。
 エヴェルシード王城シアンスレイト、王城とつくだけあってそこは国王の住まう場所である。
 現在のエヴェルシードの君主はカミラ=ウェスト=エヴェルシード。男尊女卑思考の強いこの国では歓迎のされない女王である。十六歳の少女は十七歳の兄を追い落として玉座についた。しかし、その評判はすこぶる良くない。
 カミラの治世になってから、エヴェルシードは荒れている。シェリダン王が治めていた時には初めのローゼンティア侵略も功を奏しそれなりの利益を上げ、皇帝の訪問も行われるなど華やかな成果をあげた。その成果は彼自身が父王を幽閉して玉座を簒奪したという事実をも払拭するものであった。しかしカミラ女王の治世となってからは頼みのセルヴォルファス侵略も徒労に終わり、現在のエヴェルシードはその後の処理に追われた頽廃と疲労感に包まれている。
 女王カミラは気の強い少女だが決して玉座につけぬほど傲慢ではない。また有能と呼ぶほどではないが、愚劣で人民を纏める地位につくことが許されないというわけでもない。本人は最大限の努力をしているが、その努力が今のところ報われていない状況だ。
 バイロンやエルジェーベトが必死で支えているものの、この軍事国家エヴェルシードにカミラのような立場の女王は相性が悪いのである。
「ふぅ……」
 一日の執務が終わり、カミラは私室へと戻るところだった。バイロンやその他の大臣たちにも休息を命じ、明日の執務に備える。
 女王ともなれば、一日のうちほとんどを仕事に費やしてしまって休む暇がない。カミラはまだ一日のうちに定められた量の仕事をようやく終わらせられるようになったくらいで、自分の時間を作ることなどほとんどできない。
 それでも文句を言わず、カミラは女王の責務を果す。エヴェルシードのためと言うより自分のためだ。自分で望んで王となったのだ。異母兄であるシェリダンを追い落としてまで。
 自室の前に辿り着き、誰もいない寝室の扉を開いて、中へと足を踏み入れる。
 ようやく一息つけると安心しかけたところで、その身体に太い腕が伸びた。
「!」
 カミラの体を、体格のよい兵士が二人がかりで拘束している。
「な、何をするのよ!」
 身を捩るカミラの言葉に、二人の男は下卑た笑いで答える。そのうちの一人が口を開くが、声に特に聞き覚えはない。王の目に耳に留まらぬほどの小物ということだろう。
「大人しくしてください。女王陛下」
「できるわけないでしょ! この状況で!」
 形だけの敬語で言う男に、カミラは反論する。体を締め付ける腕の力が強くなった。
 一人が更に腕を伸ばし、カミラの胸を掴む。
「痛っ!」
 柔らかな塊を乱暴に揉みしだくその手の動きに、男たちが何を企んでこのような事態を計画したのか嫌でもわかってしまう。半年前の忌まわしい記憶が浮かび上がり、カミラのこめかみに冷や汗が浮んだ。
 男たちのうちのもう一人は、ドレスの裾から手を入れてカミラの太腿を撫で回す。
「女王陛下、最近のご自分の評判の悪さは知っていますか? 女王様は傍若無人で俺たち兵士を人間とも思ってないって有名ですよ」
「誰がそんなことを言っているのよ! 私は、国に対してそれなりの働きをしている者に相応しいだけの待遇をしているわ!」
「そのお言葉に甘えられない可哀想なヤツラもいるんでさ」
「あんたたちがちゃんと働いてないだけでしょう!」
「この女……こっちが黙ってりゃつけ上がりやがって!」
 それまで黙っていたもう一人が口を開いた。カミラの身体に回した腕は拘束というよりももはやほとんど締め付けるようになる。
「別に殺したりなんかしませんよ、女王様! ただ俺たちはちょっとあんたに大人しくなってもらいたいだけなんだ。女らしく、国のことになんて出しゃばらないで、俺たち兵士をちゃんと優遇する女王にな!」
「ちょっと黙っててくれりゃあ、悪いようにはしないぜ!」
 一発殴って大人しくさせようという腹か、伸びてきた男の腕をカミラは咄嗟に受けとめた。
「なに?」
 間抜けな顔をしている男の邪魔な図体を、カミラは人外の力を発揮して蹴り上げる。
「なっ!」
「うわっ!」
 一撃で男たちを振り払い、カミラは体勢を整えた。ロゼウスによって死の淵から蘇らされた彼女には、吸血鬼の超人的な身体能力が備わっている。
 だができれば今は、この力には頼りたくない。
「ルース姫!」
 代わりのように叫んだ名に応え、白き影が蠢いた。その一瞬後には疾風の残影となり、男たちが床に倒れている。
 首の骨が奇妙な方向に捩じれていた。へし折ったらしい。繊細な見かけによらずルースはやることが手荒だ。
「呼びました? カミラ女王陛下」
「それ、全部終わらせてから言う台詞じゃないわ……」
「ええ。そうですね。でも、この方たちは殺してよかったのですよね」
 足下で動かなくなった塊を見下ろしながら、ルースが結構辛辣なことを言う。
「ええ。ただのクズよ」
 カミラもそれに頷いた。
 こんなことを仕出かすなんて、救いようのない愚か者たちだ。待遇改善を要求する気があるのなら、もっとまともな陳情書を書いて来いというものだ。
 話をする気もなくいきなり腕ずくに訴えるなんて、ただ己のことしか考えていない低脳だ。
 しかも女王を襲ってこちらが抵抗することも考えず、ただ自らの都合の良いように事が進むなどと思っている考えなしだ。
 そして民衆の代表者の振りをして、実際は最も愚劣な己の欲望を遂げようとするだけの下衆だ。
 カミラは自らの腹部を撫でる。まろやかなラインを描く腹部の様子は気づかれてはいないようだった。だが急な動きは負担をかけてしまったかもしれない。
 私はこれをどうしたいのだろう。
 エヴェルシードの混乱はついに王の寝室にまで広まった。警戒厳しくて軽く足を踏み入れることなどできぬはずのこの場所に、手引きをしたのは誰だ。
 女王が寝室で襲われかけたとあれば、国家転覆はすぐ側だろう。どうしたらいいかわからない。解決策も、進むべき方向も見つからない。
 国のことも、民のことも、自分自身のことも。
 そしてこの胎に宿る、どちらのものかもまだわからぬ命のことも。
 カミラの今いる場所からは、未来が見えなかった。

 ◆◆◆◆◆

「あー、やれやれ、これは派手にやりましたねぇ。カミラ様ったらいくら吸血鬼の力をお持ちとはいえ、いつからここまで怪力に」
「私じゃないわよ」
 初っ端からボケた発言で和むはずのない気を和ませようとするイスカリオット伯爵ジュダ卿を冷めた眼差しで眺めつつカミラはそう言った。
「いいからそのクズ、さっさと片付けてよ」
「と言われても、これ目立ちますよ? 明らかに人為的、とはいえない怪物の仕業ですけれど他殺が判明している死体ですからね。下手に人目についてはカミラ女王は夜な夜な人間とは思えない怪力で兵士たちを一人ずつ殺していくんだぜとでもおかしな噂が立ってしまいます」
「じゃあどうしろというのよ」
「もう少し待ちましょうか。宿舎への兵士たちの移動が終わり、完璧に深夜勤務の時間ともなれば絨毯に包んで持ち運ぶくらいで誤魔化せるでしょう。手伝ってくださいね、ルース殿下」
「ええ。わかったわ。でも酷いわ、イスカリオット伯……怪物の仕業なんて」
「おっとこれは失礼」
 女王の寝室に侵入してきた兵士たちの後始末に、カミラはジュダを呼んだ。ジュダ=イスカリオット伯爵と女王カミラの因縁は深い。
 一度は彼女を裏切り、その後再び手を組んで目的通りシェリダンを手に入れたはずの男はしかし何故か彼を手放した。それ以来傍目には普通でも少しでも彼を知っている人間ならわかるほどはっきりと、ジュダは抜け殻のように生きている。
 抜け殻と言えども仮にも伯爵家の者として領地を治めねばならないジュダはエヴェルシードにいて、必要とあれば王の治世にも手を貸すが、それでも基本は何もしない主義だ。ジュダがカミラに呼ばれるのは、こうして後ろ暗い仕事を任されるのが主である。
 同じように潜在的にはシェリダン派だが当面カミラの治世に協力する様子を見せているのは宰相バイロン=ワラキアスとバートリ公爵エルジェーベトだが、彼女たちはジュダよりもはっきりとシェリダンの味方となりうることがわかっているのでこうして弱味を握られるようなことに手を借りるわけにはいかない。必然的に手を汚すような仕事の後始末はいつもジュダに任せることになる。
 幸いにもたまたまジュダが王城にいたから良いとは言え、襲われかけたばかりのカミラに短い距離とはいえ外を歩かせるわけにはいかない。返り血もつけずに二人の男を瞬殺したルースがしずしずと今度はかよわい女の振りで平然とジュダを呼びに行くまでの間、カミラはずっとこの部屋で死体と三人きりだった。
「今日、寝る場所はここで大丈夫ですか? カミラ様」
 見透かしたように聞いてくるジュダの鋭さに舌打ちしながらも、カミラはこれ以上の弱味を見せまいと答える。
「ええ。結構よ。別に寝台で何かあったわけでもなし、血で辺り一面汚れているわけでもなし。見た目は普通でしょ」
「ほう。そうですか。失礼いたしました、普通女性はこういったことがあった場合、現場を嫌がるかと思いまして」
「ええ。そうね。不愉快ではあるわ。でも私はこんなことで、女王が意味もなく寝室を避けることや、もしくは部屋を移ることによって夜中に悪い遊びをしているのではないかと疑われて変な風に王としての評判を落とすことの方が嫌なのよ」
「そうですか」
 くすり、とわざとらしくジュダが笑う。
「あなたはご立派な女王様だ。カミラ女王」
「ではお前も臣下として立派に働いてちょうだい、イスカリオット伯。この死体を誰にも見つからないように処分するのよ」
「かしこまりました。我が主君よ」
 夜もそろそろ更けて丁度いい頃合になっただろうと、どこかから持ってきた絨毯でジュダは二人の男の死体をくるむと、ルースと共に部屋を出て行った。
 一人残されたカミラは、壁際に背中をもたれて座り込む。
「……早く」
 彼女以外無人の部屋で、誰にともなく囁いた。

「さて、こんなもんですかね」
 夜間に火を使うなどすれば目立つ。穴を掘るのも王城の側では駄目だ。夜警の兵士にすぐに見つかってしまう。
 かといってこんな下衆共の死体をまさかいい肥料になるからと言って農民たちの肥溜めにご一緒させてもらってくるわけにもいかないし、誰にも見つからず確実に処分するためにはジュダが自分の領地であるイスカリオット地方に戻って処分するのが一番である。
 吸血鬼の脚力ならばすぐ戻れるからと彼を説き伏せて一緒についてきたルースは死体処理の監視役のつもりなのか、それとも別にジュダに用事があるのか。出来れば燃やしてしまった方が更に判別がつきがたくなって良いのだがやはり夜間に火は控えた方がいいだろうと、イスカリオット城内の死体置き場に持ち込んだ。
 ジュダが遊びで使い殺した奴隷などを処分させるための部屋だが、時にはこう言った用途にも使われる。男たちの身元を確認して、ここで処理にしても使用人たちの口から身元が割れるようなことがないよう確認した上で、明日になったら火にくべればいいだろうと判断する。
「それで、あなたは何の用でついてきたのですか? ルース殿下」
「イスカリオット伯のこの手の道の手腕をこの眼で確認したくて」
「嘘おっしゃい。そんな理由であなたがここまで来るものですか。あのドラクル王陛下の妹君である、あなたが」
 死体置き場を出て、しかしそこから離れるでもなく扉すぐ横の壁にもたれかかりながらジュダはルースに話しかけた。死体置き場の側で話すのは、無言のメッセージだ。ここでなら死体はすぐに片付けられる。自分のものも、相手のものも。
 もっとも、城主の死体やヴァンピルの死体が転がっていたとなればただ事ではすまないのでやはりメッセージ以上の意味はないのであるが。
「あなたも思えば複雑な身の上だ。ドラクル王とは異母兄妹、ロゼウス王子とは異父姉弟、あの二人のどちらとも血が繋がっているということは、もしかしたら一番恐ろしいのはあなたなのかもしれませんね」
「まぁ。そんな、買い被りですわ。イスカリオット伯。私はただのか弱い女です」
「我ら人間の基準ではか弱い女性は男の首を一息でへし折ったりしないものなのですよ……で、結局何が目的なのです?」
 のらりくらりとかわそうとするルースを何とか捕まえて、ジュダは重ねてそう尋ねる。口元に浮かべていた笑みを消して、静かに告げた。
「……もうすぐ、帰ってくるんです」
「誰が?」
「あなたの愛しい方が、この国に」
 思わせぶりな言葉にジュダは瞳を見開いた。
「まさか……」
「ええ、そのまさかですわ。イスカリオット伯」
 ルースはにっこりと、天使のように悪魔の顔で微笑む。ジュダはその笑みにますます予感を強め、すぐに現実となるだろうその言葉を待った。全身が期待と歓喜に打ち震える。
「シェリダン王がこの国に帰ってきますのよ」
 それは混迷に堕ちた今のエヴェルシードにおいて、嵐をもたらす報だ。