荊の墓標 37

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 そこには、先程まで対面していた女王を除くほぼ全員が揃っていた。
 イスカリオット伯爵ジュダ、バートリ公爵エルジェーベト、クロノス=ユージーンに宰相バイロン、そしてクルス=ユージーン侯爵とリチャード、ローラ、エチエンヌ、ローゼンティア王族であるアンリ、ロザリー、ジャスパー。
 ロゼウスはまず単独行動を兄であるアンリから怒られた。その上でローゼンティアの面々は自分たちの話はこれで終わりだと一歩引いて、口を閉じた。
 王城の裏手、小さな森の中でシェリダンはこれまで部下であった人々と最後の会話を交わす。
そしてそこには、一つの決意が込められた。
「クルス」
「はい」
「お前は、エヴェルシードに残れ」
「え」
 シェリダンのはっきりとした命令口調に、クルスは驚き、次に出せる言葉を全て喉の奥に落っことしてしまったようだ。小さく唇を開いたまま、唖然として何も言えずにいる。
「お前はこのエヴェルシードに残り、ユージーン侯爵としてカミラに仕えてくれ」
「な、何故ですか!? 例え何があっても、僕の主はシェリダン様だけです!」
「だがお前は、エヴェルシード貴族だろう。ならば侯爵としてこの国に尽くす義務があるはずだ。違うか?」
「シェリダン様のお側にいられないのなら、侯爵の名など捨てます!」
 今更考えることもないと即座に言い返したクルスに対し、シェリダンは苦笑せざるを得ない。先程カミラとも言い合ったが、あれはまだ妹との会話。だがクルスはシェリダンより二つ年上の人間だ。年齢的には兄貴分のはずなのだが、どうも弟と話しているような感覚になる。
「そんなことを言うな。そこにいるクロノスが泣くぞ」
 クルスが侯爵、すなわちユージーンの名を捨てるということは、父であるクロノスと縁を切ると言うことだ。
 当の父親本人、クロノスもまた、息子の様子に苦笑するしかない。こうして顔を合わせてクルスからシェリダンのことを聞かされ説得されるまでは、激怒して最愛の息子を殴り飛ばしていたかもしれないが。
 クルスは誰よりも強くシェリダンに忠誠を誓っている。そう、彼のためならどんな不当な扱いも我慢し、非道な命令にも従い、命すら捧げる覚悟で。
 だけれど、この扱いはあんまりだと彼は思ったようだ。これまでただ一人、どんな時もシェリダンにつき従ってきた。ジュダの兵が王城を襲撃して後離れ離れになった時も、クルスはシェリダンの下へと我が身も顧みず駆けつけた。
 そのクルスを、シェリダンはここに来て捨てようとしている。
「何故ですか? シェリダン様。僕に至らぬところがあったら仰ってください。必ず直しますから」
「お前に至らぬところなど、ない。至らぬ主君は私の方だ」
「なぁ、シェリダン王、あんたもしかして……」
 口を出さないと宣言したはずなのに、アンリが神妙な表情で口を挟んできた。その躊躇いがちな言い様から、シェリダンとロゼウスは彼もハデスのあの予言を聞き、しっかりと覚えていたのだと知る。あの発言をどこまで真剣に受け取るかによって、シェリダンのこの判断が当然のものか不当か、意見は変わるのだ。
 とは言っても、それがなくても現在のエヴェルシードの情勢が不安定で、カミラの王権確立には信頼できる人物が側にいる事が必要なのは明らかだ。ジュダやエルジェーベト、バイロンと言ったエヴェルシードの重鎮たちはその辺りを慮り、さらにシェリダン側の様子がどこか以前と違うことを読み取って、その上で自らに与えられた彼からの最後の命令を受けとめた。
 それができないのはクルスだけだ。
「陛下は全然、至らぬ主君なんかじゃありません! 貴方以外の王などこの国にはおりません!」
 クルスの言う事も一理はある。傍観者に徹したロゼウスはそう判断する。先程の事自体はどういう受けとめられ方をしようとも、シェリダンが真実エヴェルシードのことを思っているのは事実。確かに彼以上にこの国の王に相応しい者はいないだろう。
 だがロゼウスは他の誰かではなく、シェリダンのためですらなく、ただ自分のために押し黙る。エヴェルシードにシェリダンを渡したくないから、クルスが必死になってシェリダンの気を変えようとするのを平然とした顔で見ている。何よりも問題の中心にいるのは自分であると知りながら。
「どうして、僕は駄目なんですか! 別に永遠にエヴェルシードに戻らないと言っているんじゃありません! シェリダン様のローゼンティアのドラクル王との争いが治まって、事態が落ち着くまで、それまででいいんです! お側にいさせてくださいませんか!?」
 必死の懇願にもシェリダンは首を横に振る。
「駄目だ。この国に残れ」
 クルスにとっては、死刑宣告でさえこれほど重くは響かないだろう一言を告げる。
「……っ、どうして、僕だけなんですか!?リチャードやローラたちが良いのなら――」
「彼らには他に行く宛てもない。だがクルス、お前は違う。それはお前自身がわかっているのだろう?」
「っ!」
 クルスは唇を噛んで押し黙る。その肩に、父であるクロノスが手を置いた。
 シェリダンにとっては、生涯で一度も得られなかったものだ。それを正面で見て、穏やかに笑みを浮かべる。
 だがその笑みすらも一瞬で消し、殊更酷薄さを強調するように表情を作ると、彼はわざと残酷な言葉を吐いた。
「それとも、お前は私についてくるためならそこにいる父を殺せるとでも言うのか? お前の行動に対して何の責任もないお前の母も、たまたまお前の領地に生まれたために支配下にいる民たちも」
いきなりの父親を殺せ発言にさすがにクルスはぎょっとして、思わず背後のクロノスを振り返った。クルスが俯いて目にしていなかったシェリダンの先程の微笑からその意図を一足先に掴んでいたクロノスは、苦笑いするしかない。それはエルジェーベトやジュダも一緒だ。
「できないだろう、お前は」
「それは……っ、でも、そんなこと」
「ユージーン侯爵」
 食い下がるクルスに追い討ちをかけるように、それまで沈黙していたロゼウスも口を開いた。
「結果的にという言い方は微妙だけど、俺はやった」
 ドラクルに唆されたとはいえ、ロゼウスは自分の父母を殺したシェリダンを選んだ。それに旅の中でも、自らウィルを殺した。なのにシェリダンだけは殺せなかった。
 家族よりもシェリダンを選んだ。他の誰でもない彼だけを。
 この先も自らと血のつながった相手を殺すのかもしれない。ただ自分がシェリダンと一緒にいたいがために、平然と自らの兄妹を殺すのかもしれない。
 実感を伴った言葉は重く、ロゼウスのその一撃にクルスは今度こそ言葉もない。
「あ……あ……僕は……」
「クルス、お前がカミラに、私の妹に力を貸してくれるというのなら、それで充分私は嬉しい」
 穏やかに微笑んで、シェリダンは手を伸ばした。年上なのに弟のような、部下でありまた友人でもある青年を抱きしめる。
「お前を信頼している。だからこそお前に託したい。このエヴェルシードを」
 シェリダンはロゼウスたちローゼンティアの面々とリチャードたち以外、つまりクルス以外はこれまでの旅に同行していないエヴェルシードに属する全員と向かい合っているから、クルスを抱きしめるために近づいたことによって、背後でそのやりとりを見守っていたジュダたちにもよりいっそうはっきりとその表情は見て取れた。
 あまりにも穏やかで、気負いなく満ち足りた、あまりにも美しい、それは聖者の微笑。
 何故、どうすればおなじ人間であるはずの生き物がここまで優しげな表情ができるのかわからない。
 シェリダンは確かに、どこか人を惹きつけるところがある。しかしそれは、痛みに耐えて清濁併せ呑む度量によるもので、同時に必要があれば残酷な決断や冷徹な切り捨ても厭わない人物だった。決して彼は天使や救世主のように優しげで誰にでも手を差し伸べるような聖人ではないのだ。けれど……。
「ジュダ、エルジェーベト、バイロン、クロノス」
「は、はい!」
「お前たちにも頼む。カミラを支えてやってくれ。あれ一人では、まだ国を上手く導くことはできないだろう。お前たちの補佐は必要だ」
 ジュダも、エルジェーベトも、バイロンもクロノスも。
 そしてクルスも。
 厳粛にその言葉を受け止める。

「お前たちを信じている」

 これまでは、確かに心がありながらもどこか空ろだったその言葉が、今この瞬間は何よりもかけがえのないように光を放つ。シェリダンは本気でそう言っているのだ。だからこそ彼らにはまたわかってしまった。
 きっと彼らが主君である彼と顔を合わせるのは、これが最後になると。
 石を投げられた衣装には血の染みができているし、髪だって少し乱れている。けれどその分取り澄ましたところのない、これがシェリダン=エヴェルシードという少年の自然体だ。
 その姿を目にするのもこれが最後だろうと。
「陛下」
ジュダがその場に跪いて、誓いの体勢をとった。クルスからそっと離れたシェリダンの手を取り、そっと指先に口付ける。
「我らはこれからカミラ女王に仕えます。ですがあなたは、紛れもなく我らが魂の主。それを、どうかお忘れなきよう願います。我らにあなたが願うのであれば」
「ああ」
 告げる声はやわらかく、秋の微風に溶けて消えた。
「約束する」
 そしてシェリダンとロゼウス、リチャードとローラ、エチエンヌの双子姉弟、アンリたちローゼンティアの面々はエヴェルシードを後にする。

 ◆◆◆◆◆

「いいのか。本当に」
 アンリの言葉にシェリダンは頷いた。他の者たちはまだ彼の真意に気づいていないようで、やりとりを聞くでもなく聞き流している。次の目的地はとりあえず、宿のとれる場所だ。エルジェーベトから餞別の路銀は貰っているのだが、もうこれからは誰にも頼れない。
「ああ。というより、こうするしかなかったと言うべきか」
「……辛いのか?」
「いや、むしろクルスやカミラのことに関しては、もっと早くこうするべきだったのだと思っている」
 だから悔いはないのだと。
 抱える宿命の重さに比べてやけにすっきりした表情のシェリダンを見遣り、アンリはそれ以上何も言えなくなる。正直なところ、彼は兄として弟であるロゼウスがこの少年と深い関係になっていることを認めたくもなければ、許したくもない。
 だが、それでも二人の想いは真実だ。ハデスがあの時叫んでいたことを、アンリは吸血鬼の聴力でもってしっかりと聞いていたのだ。その時には話題にしなかったが、あれからずっと考え続けていたこともある。
 そして今日ついに、その未来が来るのであれば、シェリダンは国を妹へ譲り渡すと言った。それはつまり、国王の座と引き換えにしてもロゼウスと運命を共にするということだ。
 そこまで言われてしまっては、もうアンリに彼らのことを何も言うことはできない。
 そしてシェリダンは彼から離れ、彼らと少し離れて俯きがちに歩いていたロゼウスへと歩み寄る。
「ロゼウス」
「うるさい。話しかけてくんな」
 ロゼウスに関しても、今回の一件はいろいろと思うところがあるのだ。一時的に明るい顔も見せたが。本心ではやはりこの状況にはしゃぐことなどできないに決まっている。
 シェリダンはそっと手を伸ばし、ロゼウスに触れる。白い手の中に自らの手を滑り込ませ、やわらかく繋ぐ。
 ハッと顔をあげるロゼウスに、微笑みかける。何も心配する事はないのだというような表情に、けれどますますロゼウスは胸を締め付けられる。
「あんたは、馬鹿だ……」
「わかっている。馬鹿でいい」
 やけにあっさりと、こちらが拍子抜けするような気安さでシェリダンは頷く。
「お前と一緒にいられるのであれば、馬鹿で構わない。私はもう他には何も望まないから」
 ロゼウスは言葉を失った。
 堪えていた涙が頬を流れる。一筋、二筋と零れたそれは光を反射して、きらきらと輝く。
 やけに世界の全てが綺麗だった。シェリダンにはそれら全てが眩しく見える。
 サライはシェリダンがロゼウスと関わることで。この一年以内に死ぬと言っていた。ロゼウスが次期皇帝になるということで皇帝と殉死する運命にあるハデスは、やけに焦っていた。
 この命がいつまで持つかは、シェリダン自身にもわからない。
 何せ病や怪我ではなく、運命に殺されるというのだ。しかも今現在自分に刃を向ける様子などまったくないロゼウスの手によって。シェスラートでもその他の誰でもないロゼウスの手によって殺されるなど、今の彼らの関係からは決して考えられないことだ。
 どんな未来が待ち受けているのか、予言の力を持たない彼にはわからない。
 わからないけれど、それに足掻く気持ちがいまいち薄いのも確かだ。
 勿論、このままむざむざ運命とやらに素直に殺されてやる気は毛頭ない。シェリダンはできるならば、ロゼウスと共に生きたい。
 だが、彼と離れてまで死の運命を回避する気がないのも自分の中で明らかだった。だからこうするしかないのだ。
 国王の代替わりが起これば国民に金銭的な負担と再びの国内の波乱を招くという意識も強い。エヴェルシードの民のためには、シェリダンが玉座に舞い戻るよりカミラがこのまま女王を続けた方がいいというのは本当だ。
 けれどシェリダンにとっては、それ以上に大事なのが自分の気持ちだった。
 いや、それと言うのも少し違う。自分の気持ちを本当に大事にした結果、こうしてできる限り上手く丸める方法を選んだというべきか。
 握り締めた手の柔らかな感触を思う。
「ロゼウス」
「……何?」
「愛している」
「いきなり、何を」
「愛している、お前を。誰よりも、私自身よりも」
 この一年の始まりを思い返してみよう。
 即位と同時に父王を幽閉して国の実権を握り、何の咎も関わりもないローゼンティアを侵略して滅ぼした。たくさん人々の血を流し、涙を流してきた。他でもないシェリダン自身の手で。
 それだけではない、当初のシェリダンの目的は、ゆくゆくは彼自身の国であるエヴェルシードをも滅ぼすことだった。
 シェリダンの出生は間違っても幸福なものとは言えない。ジョナス王に強姦されたヴァージニアの嘆きは深く、シェリダンはその存在自体で母を傷つける。強姦されて生まれた子どもを母親が愛せるわけがない。だがそうして生まれてきて、母親が悲しみのあまりに自殺してしまった子どもはどうやって生きればいいのだろう。
 生まれた時から間違っていた。正妃の子であるカミラは女であったから、男王の存在はエヴェルシードの民の望む者であったかもしれない。だがシェリダンの存在は何百万人の国民に望まれても自らの母を精神的に追い詰め殺すようなものだ。そんな命に、どんな祝福があるというのだろう。
 ずっとそう思っていた。自らをとりまく環境の全てが憎かった。口には出さず、声なき悪意をじわじわと振り撒き続け、いつしか暗い望みを抱くようになる。
 全てを滅ぼしてしまえばいい。屍の山を築け。この世界も、この国も。
 滅びてしまえばいい。
 だが一番そうした方がいいのは、価値がないのは、自分の存在だとも知っていた。
 破滅を望む心。幸福など要らない。生まれたそのこと自体が間違いである自分は、どんなことをしたって幸せになどなれるはずもないのだから。
 そう思っていた。
 それを、変えたのは。
「ロゼウス」
「……何?」
 先程と同じやりとりを繰り返す。ロゼウスはいきなりの告白、しかも離れて歩いているとはいえ他の者たちもいるこんなところでのそれを警戒して多少構え気味だが、シェリダンは極自然な様子で告げる。
「私を変えたのはお前だ」
「え……?」
「私もカミラも、お前と出会って変わった」
 シェリダンはロゼウスに出会って変わった。
 彼だけではない、カミラもそうだ。それがあらゆる偶然の重ね合わせによる結果だとしても、その積み重ねが自分たちを変えたのは確かだ。
「お前と一緒にいたい。お前といると、なんだか……酷くやわらかい気持ちになる」
 優しい春の木漏れ日のような、暖かで淡い光。
 そんな感情を幸せと呼ぶのなら。
「お前といると幸せなんだ」
 他に何も要らない。それだけで幸せな気持ちになれる。
 そうしてようやく気づいた。自分が欲しかったのはこれなのだと。
 世界の破滅や血の匂いや、屍の累々とした光景ではなく、この温もりが欲しかったのだと。
 わかった瞬間にこれまで執着していた破滅への願望が薄れた。これまでの無謀ともいえる大胆な行動に怖気づくわけでも、いきなり死を厭うようになったわけでもない。ただ、死を望まなくなっただけだ。
 生を望むようになっただけだ。
 生まれて初めて、心の底から生きていたいと願うようになった。
「ロゼウス、お前と一緒に生きていたい。私は……生きていたいんだ」
「……あんなことしたのに? あんな風に国中から蔑まれることをして、そうして評判落として、俺には殺されるって予言をされて、そんな今になって、そんなことを言うのか?」
 シェリダンの手を握るロゼウスの手のひらが強張る。
「ああ、そうだ……馬鹿みたいだろう? だが、本当なんだ。死を望むのではなく、生きていたいと思って初めて、本当の意味で死が怖くなくなった。不思議だな、人間は。馬鹿みたいに過ちを繰り返し、罪を重ねて、そうしてようやく知ることもある」
「死ぬって知って初めて、死にたくないなんて」
「死にたくない、というのは少し違うな。生きていたいんだ。死が怖いのでもイヤなのでもなく、生きていたい」
「わからないよ。どこがどう違うのか」
「そうか? ……お前はまあ、それでいいのかもしれないな。誰もがこんな経験をする必要はないだろう」
 それでも。
「お前には感謝している」
「……」
「お前に会ってようやく、私自身が本当に望んでいるものがわかったんだ……自分を生んだ世界を無闇に恨まなくても、憎しみを糧にしなくても生きていられる。そうして最後に残ったのが、エヴェルシードの民や、カミラには幸せでいてほしいという気持ちだった」
 シェリダンは自分の中にこんな気持ちがあるなどと知らなかった。彼は彼を生み出したあの炎の国を、憎んでいると思ったのに。だから全て滅ぼすなどと言っていたのに。
 だがロゼウスと出会い、本当の自分を知り、暗い氷のような悲しみと表裏一体の憎しみが穏やかに溶け出して、最後に残ったのはかの国の幸福を願う気持ちだった。
「私はエヴェルシードを愛している。他国を武力で侵略するしか脳のない国、それは本当のことだ。他の国々からどれほど罵られても構わない。それでも私はあの国を愛していたんだ……」
「シェリダン……」
 今更になってようやくそのことに気づいた。女性であるカミラが忌避される以上他に後継者らしき後継者もいないために、手に入れる事自体は苦もなく手に入れた玉座。自分が王である以上に、愛着なんてないと思っていたのに。
「全部お前のおかげだ」
「……そんなことない。俺は何もしてない。今度の事は全部、あんたが自分でやったことだ。良いことも、悪いことも。俺は何もできなかった」
 沈み込むロゼウスに、シェリダンは不意打ちのように口づけた。
 一瞬はっとして、そしてロゼウスは瞬いた。
 また一筋、ロゼウスの頬を涙が伝う。
 後から後から透明な雫は溢れてくる。
 もうどうしようもない。すでに行動を起こし、結果は出てしまった。今更変えることも出来なければ、変える気はシェリダンにはない。
 シェリダンがこの先ずっと、エヴェルシードの不甲斐なき王として悪名を伝えられていくことが、ロゼウスにとってはどんなに辛くても。
 それでもシェリダン自身が、まるで気にすることもないように微笑むから。
 ――真実は闇に葬られていく。
「シェリダン」
「ん?」
「俺も、お前が好きだ……いや」
 握った手に力を込める。
 聖者が事切れるその日まで。
「愛している」
 どうしてだろう。《愛している》と言う言葉が、こんなにも哀しく切なく救いがたいものとして響くのは。

「だからお前の葬列なんて、お前の死体なんて、お前が死ぬのなんて見たくない」

 その日は、確実に迫っている。

 《続く》