荊の墓標 38

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「もうあなたたちの手助けはいらないわ」
 これまで彼らの助けなくば一人で満足に行動することも叶わなかった小娘が、生意気にもそう言った。
「これまで数々の場面で力を貸してくれたあなたたちには感謝しています。けれど、私は私。エヴェルシード女王カミラ。もう一人で立たなければならないの。女王として、自らの力と、信頼できるエヴェルシードの者たちと国を治めて行く。もう、ローゼンティアのあなたたちの力は借りない。そうドラクル王に伝えて」
 兄にその後を託され、それまでの憎しみと訣別した少女は王へと変わっていた。
「……再び我国と戦争になってもいいと? カミラ陛下」
「我らエヴェルシードにそれを問うのか」
 答えたのは、幼い女王の傍らに立つ派手な女公爵だった。
「そちらがこの話し合いに応じず武力を用いるのであれば、我ら武の国エヴェルシードは全力を持って薔薇の国を迎え撃たせていただこう」
 そう言われては、こちらは確かに引き下がるしかない。その性情穏やかと言われる吸血鬼は、何か特殊な策を練らない限り、世界最強の軍事国家エヴェルシードに敵うはずがないのだ。
 吸血鬼は魔族ゆえ身体能力が人間に比べて高いが、それを司る精神はとんと戦いに向いていないのだ。それでは意味がない。
 一つだけ吸血鬼たちを争いに駆り立てる手段もあるが、それは諸刃の剣だった。吸血の渇望に陥ったヴァンピルは狂気に目覚めて格段に強くなる。しかし正気を失っている間、彼らを上手く操る術もない。狂気の吸血鬼はその本能のままに行動する。 
 よって、この状況は不利と判断し、ルースは大人しくエヴェルシードから手を引くことにした。
 あのまま行けばカミラ女王を傀儡に上手くエヴェルシードの軍事力をローゼンティアに取り込めるところだったものを。基盤が安定していないドラクルの政権にとって、外側から固めていくのは重要だ。国内にはまだドラクルの王権に対して反対派もいるのだ。
「失敗してしまいましたわ……お兄様」
 ローゼンティア王国に戻り、ルースは国王となった兄にそう告げた。
「そうだな。報告は聞いている。シェリダン王が現われたって?」
 謁見の間でのやりとりも堅苦しいだろうと、妹を寝室の方に通したドラクルはまずそう聞いた。しかし本当に尋ねたい事は、その裏側にあることもルースは知っている。
「はい、かの王を私は確かに見ました。そして彼を救わんと一瞬だけ姿を現したのは、確かにロゼウスでした」
 その名にドラクルの表情が微かに歪む。
「ロゼウスはいまだ、シェリダン王と共にいるようです」
「……そうか」
 ルースは弟であるロゼウスと良く似た感情を読み取らせない面差しで、淡々と報告を終えた。そして対面したドラクルの表情を観察する。
「エヴェルシードからシェリダン王を追い出せば、ロゼウスはすぐにこちらへ戻ってくるのだと思ったのだがな。ヴィルヘルムでは、あの子を抑えられまい、カミラ女王の治世下では行き場のないあの子は、私のもとに。だが……」
 ドラクルの目論見どおりには行かなかった。ロゼウスはエヴェルシードのシェリダン王の権威が崩れ去り、彼と離れる機会があったにも関わらず彼のもとへ戻る道を選ばず、シェリダン王との再会を果したのだ。
 それはドラクルにとって一つの誤算だった。ロゼウスはドラクルによってその人格を作られたも同然、その彼ならば支えや縛りを失えば一人で生きることができず、必ずドラクルを頼ってくると思ったのに。別にロゼウスに自活能力がないとかそういうわけではない。ただあの弟は人恋しいくせに他の誰にも執着せずドラクルにべったりだった。彼と離れては生きて行けないと思っていたのだが。
「それだけ、あの子がシェリダン王を愛しているということでしょうか」
 ルースの冷静な言葉に、またドラクルは眉根のあたりを歪ませる。
「愛、だと? 馬鹿な……」
 昨今のローゼンティア情勢は複雑だ。エヴェルシードに侵略された始まった今年のローゼンティアは揺らぎ続けている。先王ブラムスを殺したのはエヴェルシードだと確定しているが、それでもドラクルが王の実子ではないことが王権派の者たちから流れ、不安に惑う民衆を更に揺るがしている。
 このままでは下手をすると、内乱になりかねない勢いだ。エヴェルシードを嘲笑っているどころではない、むしろ、かの国がカミラ女王の治世の下で安定して再びの侵略の危機がなくなれば、今度はローゼンティアが内乱を憂えることとなる。それだけは避けたい。
 内乱にまで発展してしまえば、もはやドラクルの権力の失墜は避けられないだろう。火種はエヴェルシードとされているが、そのエヴェルシードからの侵略をシェリダンに唆したのもドラクルだ。自分の策によって玉座を追われるなど間抜けすぎる。
 それともこれが因果応報と言うべきものか。
養父であるブラムス王を殺し、兄妹を罠にはめ、民たちの思いを裏切って玉座についた報い。
「だが先に裏切られたのはこちらだ」
 この国は本来なら何の問題もなくドラクルに渡されるべきものだった。それを先に歪めたのは実父であるヴラディスラフ大公と養父であるブラムス王。彼らの薄汚い欲望がドラクルを巻き込んだ。
 これは復讐なのだ。自分を裏切った世界の全てへの。
 そして一番の裏切り者はロゼウスだ。可愛い同母の弟は、弟ではなかった。その上、ドラクルが得るはずだった玉座を奪うのだと言う。
 なんて酷い裏切りだ。だから、今度はロゼウスが償う番だ。ドラクルが感じた、それまでの人生全てを覆す絶望の分だけ、彼は残りの人生全てをかけてドラクルに償うべきなのだ。
 だからロゼウスは自分のもとにいなければ駄目なのだと。
 ドラクルはそう望む。国内が乱れ続け、先に解決すべき問題が幾らでもある今であってもあの弟への想いが、憎しみが、消えない。
 そんなドラクルをルースは静かに見守っている。
「そういえば、最近ハデス卿のお姿を見ませんわね」
「ああ。そうだな。彼も姉を打倒して皇帝になるなどと口にしていたが、そちらはどうなったものか……」
 それぞれが自らの望みのために手を組んだ一団ももうばらばらだ。イスカリオット伯爵ジュダは早々に抜け、カミラも彼らを裏切りローゼンティアとの手を切った。帝国宰相ハデス卿とは連絡がとれない。そしてもう一人は……
「さぁ、どうしたのでしょう」
 ルースは相変わらず感情を見せない声で相槌を打つ。彼女の声には常にドラクルに心酔した響もない代わりに、彼への敵意もない。
 この争いの果てにあるものが何なのか、ドラクルは知らない。だが確実に駒は落ちて、命を賭けた遊戯が終盤に差し掛かっていることを知る。
 最後に残るのは、誰であるのか。

 ◆◆◆◆◆

 これは嵐の前の静けさだと言う。
「何の用だ。選定者。私は貴様とする話などないが」
「僕も特に好んであなたと話したい気分ではありませんが、それでもしておかなければならない話というものはあります」
 ジャスパーに呼ばれ仲間たちから離れた場所へとやってきて、シェリダンは露骨に顔をしかめて見せた。
 ロゼウスの弟であるジャスパー=ライマ=ローゼンティア。髪を飾る宝玉のためか宝石王子と呼ばれる十四歳の少年は、薔薇皇帝ロゼウスの選定者でもある。しかし、シェリダンはこのジャスパーとはどうにも気が合わない。
 森の中で野宿を決め、小さな火を使った夕食も終わり後は眠るだけのこの時間だ。藍色の闇にさわさわと暗い葉陰が揺れている。風は時にぬるく、時に涼しく頬をなぶっていく。
 近くには川がある。少し行けば上流の滝にも出るようだ。旅において重宝する水辺の側に陣取って余人に音を聞かれないようにしながら、ジャスパーとシェリダンは向かいあった。
「で、何が嵐の前の静けさだというんだ?」
 元がどんな性格か知らないが、最近のジャスパーは気が強くて変だとロザリーやアンリは言っている。シェリダンにとっては会った時からすでにこの状態だったので物静かで大人しいジャスパーというのは想像がつかないが、それでもしばらくして、今日のジャスパーがいつもと何となく違うようだということには気づいた。
 いつもならば射殺すような敵意でぎらついた眼差しでシェリダンを睨んでくるジャスパーだが、今日は奇妙に静かだ。ロゼウスと同じ深紅の瞳に、年に似合わぬ知性の静かなきらめきがある。放たれた光を穏やかに受けとめて反射する柘榴石の輝きだ。
 どういう理由かは知らないが、今日の彼はロザリーたちの言う「元の状態」とやらに戻っているらしいということだけは、なんとなくわかった。
「貴様、いつもと違うな」
「ええ。あなたにもわかりますか」
「逆だ。むしろ私だからわかるのだろう? 私はまともな頃のお前というものを出会ってこの方見た事がないからな。……何があった?」
 エヴェルシードで奴隷として売られていたのを買った時から、御前試合の際に牢を抜け出したこと、シェスラートと共に姿を現したこと、冥府行きの前に自分たちを裏切ったことなど、思い出しては様々な感情が過ぎる。
 シェリダンの記憶にあるジャスパーはその大半が気性の荒い獣のように暴れ澱んだ瞳で毒を吐く姿であって、目の前にいる凪の瞳を持つ少年と同一人物だとは思えない。今にして思えばこの少年と、こうしてまともに話をすることなどなかった気がするが、それはジャスパーの方でシェリダンと話す気がなかったということもある。
 侵略者と侵略された側、敵同士であるのだから当然とも思えるが、他のローゼンティア王族でドラクル側ではない者たちとは、シェリダンは旅の間でそれなりに話をしている。アンリやロザリーはもちろん、今は亡きミザリーやミカエラ、ウィル、今はどこにいるのかもわからないエリサとも。彼らは彼らで剛毅なもので、ドラクルに唆されたとはいえ一時的にローゼンティアを滅ぼした張本人であるシェリダンと平然と話をしていた。そのことを考えれば確かに吸血鬼とは本来気性の穏やかな一族なのだろう。
 その穏やかで争いを好まない種族、精神の安定度が異常に高い吸血鬼の中でも、特に異例なのがこのジャスパーだった。
 大人しい時でも、何を考えているのかわからない。この辺りはロゼウスとも共通しているのだが、それにしてもシェリダンに向けてくる敵意が只者ではない。
 ローゼンティアの王家においては政治から武芸全般、全てにおいて優れているのはドラクルで、芸術面は第一王女のアン、身体能力は文句なくロザリーが一番で、ロゼウスもはっきりその才能を見せることはないが何でもそれなり以上にこなす。年齢的なものを考えれば、末の王子であるウィルの剣の腕もたいしたものだったという。
 しかしそんな華やかなローゼンティアの者たちの中では特に取り沙汰されてもいなかったのが、このジャスパーだ。物静かで大人しく、誰とも争うこともないが逆に言えば特に誰かと仲が良いこともなかったと聞いているが、シェリダンには最初から喧嘩腰だった。それこそ初めはシアンスレイトの下町にあるフリッツの酒場で顔を合わせた、吸血の渇望によって理性をなくしたロザリーのような態度だった。
 ジャスパーについて他の者たちはどうしてそれほど注目するのかというように首を傾げているが、シェリダンにはわかる。この少年は只者ではない。きっと本人の能力値は周囲が認識しているよりも高いだろう。そして何よりも、大人しいと言われる今この瞬間のジャスパーの瞳の中にも、穏やかであるからといって簡単に人に流されるのとは違う意志の光の強きが見える。
「それをご説明するには、まずこれを見てもらうのが一番でしょう」
 この数ヶ月、普段は正気と狂気の間を彷徨うようだったジャスパーが何故今は落ち着いているのかと尋ねるシェリダンに、彼はやはり年齢に不相応な賢者然とした声音で返した。
 どこかでこんな反応を見たような……と考えかけてシェリダンは気づく。
 ハデスだ。
 今でこそ敵対関係にあるものの、彼はもともと飄々とした性格だった。生真面目さが窺えるジャスパーとは多少違うが、それでも根底は同じように感じる。それはただ単に二人が似ているだけなのか。それとも選定者とは皆このような者なのか。
 淡い感傷に浸ろうとしたシェリダンの思考は、だがジャスパーの次の行動によって止まる。
 手近な樹の幹に背を預けて立っているシェリダンの前で、彼は突然衣服を脱ぎ始めたのだ。
「な、いきなり何を始めるんだ! お前は!」
 自分が多少どころでなくそういう趣味の人間であるだけに、シェリダンはぎょっとした。ジャスパーがシェリダンにその手の気を抱くとは思えないが、逆に刺す気や鈍器で殴る気や埋める気がないとは言い切れない。
「別にあなたにここで妙なことをするつもりはありませんよ」
 冷めた眼差しでシェリダンを見て、ジャスパーは上着を脱ぎ捨てた。服の構造上「それ」を見せるのに、わざわざ脱ぐ必要があったらしい。
「見てください。これを」
 そう言って素肌をさらした少年の腰に、赤い痣がある。
 選定紋章印。
 しかもそれは赤い薔薇の模様をしている。雪のような白い肌に浮ぶ血のような赤い薔薇、それは誰かを思わせる。
 紋様の中心となる薔薇はともかく、それ以外の特徴は以前ハデスに見せてもらった右腕の紋様とそっくりだ。同じ皇帝でもその特性が違えば紋章は変わるという。デメテルは新しいものを生み出す土の属性が強い大地の皇帝、ロゼウスはそれとはまた別で、薔薇の皇帝と呼ばれることになるだろうと。
 心なし、以前見たときよりもその痣の色が濃い気がする。薄っすらと赤く浮かび上がっていた紋様は、今は紅に輝く。それこそ、ハデスの腕で輝いていた時のように。
「段々濃くなってくるんです。今ではもう、こんなに……」
 これでは本当の選定紋章印だ。いや、今までが偽りだったというわけではないが……。
「そろそろ、代替わりの時期と言う事なのでしょう」
 世界皇帝の代替わり。それはすなわち、現皇帝大地皇帝デメテルの死を意味する。彼女が死んで、ロゼウスが皇帝になるという。
 そしてロゼウスが皇帝になる時、それはシェリダンの死をも告げる。
「残り時間は、あまりないと考えられます――覚悟してください」
 ジャスパーが厳かに宣告した。

 ◆◆◆◆◆

 選定紋章印は、はじめは薄っすらと桃色に近いような色で選定者の肌に浮かび上がってくる。痛みはない、精神的なものはともかく、体に何か特別な影響が出るわけでもない。だが彼らにはその紋章のもたらすものの意味がわかるのだという。
 皇帝を指名する存在。選定紋章印、だがこの名前には異説が在る。それは選「帝」印なのではないかと。
 実際どうであるかはわからない。三千年以上の時を経て、世界も変わり続けている。その皇帝の時代ごとに紋章は違う。選定者は神によって選ばれ、皇帝は神の代行者だと言われるが思えばそれも根拠のない話だ。だが皇帝と呼ばれる存在が世界を上手く治める存在だと言うのはどうやら事実のようである。
 古からの言い伝えに縋り、人は皇帝を求める。自らを導いてくれる存在を。
 しかし、選定者や皇帝が、自らその立場となることを望む例は、ほとんどないと言う。
 望む者に望むものが与えられるとは限らず、本当の才能とは自分では気づけないものであるのか……。
 神の代行者は、しょせん代行者であって神ではありえない。

 かさ、と草を踏む音がしてシェリダンとジャスパーは振り返った。
 そしてその途端にしまった、という顔になる。彼に聞かれないようにこちらまで移動してきたはずなのに、気配を消す術は向こうの方が上手と言う事か、当の本人に今の話を聞かれてしまっていたようだ。
「……シェリダン、ジャスパー……今の話……」
 傍らの木の幹に手をついて立つロゼウスは、蒼白な顔をしている。
「残り時間が少ないって、どういうこと……?」
「……言葉の通りだ」
 ここで嘘などついても何の気休めにもならない。どうせ予言では、今年中にシェリダンは死ぬと言われているのだ。今年中にロゼウスが皇帝になるのだと。
 今は秋のはじめ、今年が終わるまで後四ヶ月程だ。残り時間はもともと、それほど多いわけではない。
 だが言葉にしてはっきりもうすぐだと言われると落ち込むのも当然だ。この場合は死ぬと言われているシェリダン自身よりも、彼を殺すさだめにあるというロゼウス本人の方が重症のようだが。
「ジャスパー、少し外せ」
「な……っ、……いえ、わかりました。失礼します」
 シェリダンの一方的な言葉に一瞬目を剥いたジャスパーは、しかしすぐに冷静さを取り戻して素直に踵を返した。
 確かに今の彼の精神はとても落ち着いているようだが、立ち去る間際に見えた彼の瞳には、これまでの狂気とは違う強い色が見えた。今までのように無邪気なほどに容易く「好きだ」とロゼウスに言って見せたような強引さはないが、しかし一見平静を装う少年の内面に燃え滾るマグマのような暗い想いがあるのをシェリダンは見て取る。あの少年は、兄であるはずのロゼウスを家族としてではなく、男として愛してしまっている。だから他の誰よりもシェリダンと反発するのだ。
 そしてその想いは、ロゼウス自身にはどうやら届いていない。ふと、シェリダンはヴィルヘルムのことを思い返した。自分よりも年下のセルヴォルファスの少年王はロゼウスに心囚われていたが、最終的には彼の手によって殺されたのだという。
 ロゼウスがヴィルヘルムを殺したこと自体はシェリダンとしても何とも思わないが、それでもあの少年はロゼウスと相対する時一体どんな気持ちでいたのだろうかと、今となっては詮無い考えが心を過ぎる。
 多くの者に好意を寄せられながら、ロゼウスはそれを与えられたうちの半分も返さない。好意をやりとりするという考え自体に疎いのだろうが、それで報われない相手は辛いだろうなとシェリダンは考える。何せ彼自身も少し前まではそうだったのだから。
 何て不安定な魂。
 腕の中に飛び込んできた身体を抱きしめながら思う。白い髪の垂れた肩口に顔を埋める。
 彼の心を手に入れた。一番残酷なのは他の誰でもない自分自身。シェリダンは必ず、ロゼウスを置いていくのだから。
「いかないで」
 抱きしめた身体が小さな声で囁く。背中に細いが力強い手が回される。
「おいていかないで」
 たどたどしい言葉は幼児のようで胸が痛むが、その言葉に応えられないこともシェリダンは知っていた。
「……別に、今すぐ死ぬわけではない」
「でも」
「私は健康体そのものだ」
「だからこそ、怖いんじゃないか。どうしてあんたが死ななくちゃならない。俺が皇帝になることが、どうしてあんたを殺すことに繋がるんだ? わけわかんないよ……」
「ロゼウス」
「一緒にいたい」
 切ない願いは唇から零れ、赤い雫となる。
「一緒にいたい。あんたと一緒に生きたい」
 他の誰かが殺すのであれば、まだ諦めがつくだろう。もしくは絶対にそんなことはさせないと意気込むか。
 だがロゼウスの場合は、自分がシェリダンを殺すのだと予言されている。だからこそ怖いのだ。
「予言なんて、なければよかったのに、どうしてこんな……」
 ロゼウスの言葉に、シェリダンはふとかつてのハデスの表情を重ねた。未来が見えるとは便利だな、そう言ったシェリダンに、そんないいものではないよ、と笑って見せた彼。それはこういう意味だったのだろうか。
 だがシェリダンは感謝している。
「ロゼウス、別に予言は悪くない。未来を先に知るか知らないかはともかく、その時に起きる出来事は変わらないのだろう?」
 未来が見えたところで、果たしてそれが変えられなければあってもなくても結末は同じだ。
「むしろ私は、予言があって良かったと思う」
「どうして!」
「だから先日のように、エヴェルシードのことに決着をつけることができた」
 あれはある意味、自らがかの国の未来を紡ぐことはないというシェリダンの諦めから来るものでもあったのだと。
「……そんなことない。たぶんあんたの性格だったら、未来を知っていてもいなくても、きっとあそこで同じことをする」
 カミラを貶め簒奪し返してまで玉座に再びつく気はシェリダンにはないだろう。ロゼウスにはそう思えた。もっとも彼を信じる部下たち、それこそクルスのような人々の意見はまた違うのかも知れないが。
 ああ、そうか。
 だからこそ予言に、未来を知ることに意味などないのだ。
「この世には決してどんな状態であっても、変わらない選択と言うものが存在する」
 強い信念を窺わせる声音でシェリダンが言う。その表情が一瞬で解け崩れ、切ないようア顔で更に続ける。
「どんなに努力しても、どうにもならないこともな」
 どんなに死にたくないと願っても人はいつか必ず死ぬ。襲いか早いか、それだけの違いだ。例え天命をまっとうしたとしてもシェリダンの場合ロゼウスと最期まで共に生きるなどということは無理なのだ。彼はそれを受け入れた。受け入れるしかない。
「いやだ」
けれどロゼウスはまだ、目の前に突きつけられた運命に納得できない。
「いやだ。俺はあんたを殺したくはない。死なせたくない。あんたが死んだら、俺だって生きていけない」
 極限の状態に置かれているからこそ口にできる、それは熱烈な告白だ。
「お前がそう思ってくれるだけで、私は……・・」
 何事かを言いかけたシェリダンは、しかし皆まで言わずに語尾を大気に溶かした。一度目を瞑り、白い瞼を震わせる。
 代わりのようにロゼウスを抱きしめる手を緩めると、ゆっくりと瞳を開いて、訝る彼の顎に手を伸ばす。
「……誤魔化すの?」
「そうじゃない。こちらの方が手っ取り早く伝わるかと思っただけだ」
「……ずるい」
 言葉の代わりに口付けると、背中に回された手が一層強くシェリダンの服を掴んだ。