荊の墓標 40

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 ローゼンティア王城では、ドラクルがアウグストから事の次第を聞かされている。
「実は、我々がロゼウス王子方を確保しようとした際に、ルース姫の邪魔が」
「何?」
 アウグストの言葉に、さしものドラクルも不審な顔だ。
「ルースが、か……あいつはまた、何を考えているのやら……」
 ドラクルの部下は多い。こうして玉座を簒奪する前からも、人の目を惹きつけることに関してはドラクルの右に出るものはいない。一度彼の魅力にとり憑かれた者は、あとはよく言うことを聞くドラクルの手足となるばかりだ。
 そんなドラクルの側近は、二人いる。一人はここにいるカルデール公爵アウグスト、ドラクルがまだ若い少年の頃からの部下で、奔走して彼に地下組織との縁故を持たせたのも彼だ。
 そしてもう一人は、ドラクルの異母妹ルース。かつては第二王女と呼ばれていた女性。物静かで儚げな雰囲気の容姿から繊細王女などと呼ばれる彼女だが、実のところは繊細でも何でもない。
 ドラクルの側近として長く王家も他の兄妹たちをも欺いてきた彼女の腕は確かだ。表に出ようとしないから目立たないだけで、戦闘能力も兄妹の中では上位に食い込む実力の持ち主。思慮深く出しゃばらず、言われたことは汚れ役でもなんでもやるドラクルの腹心。アウグストが表の側近ならば彼女は影の側近だ。
 そのルースが、アウグストの邪魔をした。
 常にドラクルの命に忠実な彼女が一体今何を考えているのか。それがわかる者は少ない。
「いかがいたします? ルース姫の処分は。私が再び行って、彼女共々ロゼウス王子を捕まえてきましょうか?」
「ふむ……」
 口元に指をあて、ドラクルはしばし考え込む。
「いや……あのルースのことだ。あれが短慮で我等に不利益な事態を引きおこすとは思えない。何か策があるのだろう。それを遂げる自信も」
 ドラクルはルースに絶大な信頼を置いていることが、この言葉からも窺える。
「よい。今は、ルースからの報告を待て。あれが何かするのであれば、事後とはいえ私に報告は欠かさないはず。王城の守りはフォレットたちが固めているのだろう。寝返ったとしてもここまでは踏み込めないはずだ」
「……御意」
 ドラクルの大様な言葉にルースへの信頼感を見ながら、アウグストは複雑な気持ちで頭を下げる。
 主従二人だけならばここで終わっただろう会話だが、そうはならなかった。
「ちょっといい? ドラクル王」
 二人のやりとりを窺っていたプロセルピナが口を開く。
「ルース姫への処遇について、そんなに寛容でいいの? あの姫は、あなたを裏切るような行動をとったのよ? それも、そこの公爵の命令をわざわざ邪魔するという形で。普通なら厳罰、それも極刑が相応しいと思うのだけれど」
 今の姿に似合わぬ腕を組んだ格好で壁に寄りかかりながら、プロセルピナはそうドラクルに告げる。
「処刑? あれをか?」
「それ以外に誰がいると言うの?」
 僅かに呆れたような口調で、プロセルピナが言葉を重ねる。ドラクルを第一に考えるアウグストが主君への無礼なその態度に相手が元皇帝と言う事も関わらず詰め寄ろうとしたが、それもドラクルの手振りによって制される。
「続けてくれ、プロセルピナ卿」
「あの妹姫は、あなたを裏切ったのではないかしら? ドラクル王」
 裏切り、と。はっきりとプロセルピナは言った。
しかし次の瞬間、部屋の中に笑い声が弾ける。
「ははははは! これはおかしなことを言う!」
 深刻な忠告を受けたにも関わらず大笑で返したドラクルに、彼女は怪訝な目を向ける。
「あなたはあれをわかっていない。ルースがこの私を裏切るはずがない」
 やけにはっきりと、それこそプロセルピナの言葉をすべて打ち消す勢いで微塵の躊躇いもなく告げられた言葉に、プロセルピナは整った眉を潜める。
「何故そう言えるの?」
「事実だからな。あれが私を裏切るはずはない。そんなことはありえない」
「この世に絶対なんてものはないのよ。ドラクル王」
「ああ。そうだな。だからこそ、だ。この世に絶対がありえないからこそ、あれは私を裏切れない。そこまで思い切れるような性格ではないよ」
 そして彼はその自信の在り処を口にする。
「そもそも私に、自分がブラムス王と王妃クローディアの子どもではないと気づかせたのはあのルースだ」
「え?」
 思いがけないドラクルの告白に、プロセルピナだけでなくアウグストまで顔をあげる。
「確かに、そんな話を聞いたことはありましたが……」
「本当だよ。ルースがたまたま父上、ヴラディスラフ大公とクローディア王妃が話しているところを聞いた。それを私に伝えた」
 十年前のことをドラクルは思い出す。
 叩きつけるような風雨。昼間でも暗いその日は嵐だった。
 横殴りの雨風にも怯むことなくドラクルは馬を駆り、叔父大公、その頃はそうだと思っていた実父ヴラディスラフ大公フィリップのもとへと出かけていった。そこで全てを知る。
 物語の引き金を引いたのはルース。
「多分私があの日、大公のもとを訪れなければ、真相が明かされるのはもっと遅かったに違いない。私はあのまま王太子の地位にあり、父王は変わらず父王としてあり続け、全てがいつか明るみに出たとしても、また父上がそれを口にしたとしても、それはこういった形でなく、真剣な話し合いが開かれ処理されたに違いない」
 全ての問題は、ドラクルがそれを途中で知ってしまったことにある。
 いくらブラムス王でも、何の前置きもなく王太子であるドラクルを退けてロゼウスを王位につかせれば国は荒れるだろう。ドラクルが国王となるに相応しいと言われて育ったのであるから尚更だ。
 そこで出生のことが明かされたとしても、それで醜聞を被るのはブラムス王とヴラディスラフ大公、大公と通じた第一王妃、第二王妃でありドラクルではない。
 だが、ドラクルが叔父を問い詰め、父王に真実を望んだあの嵐の夜から何かが狂っていった。
 親子ではないとわかった瞬間から、ブラムス王はドラクルを息子扱いしなくなった。表面上は良き王であり良き父であるそのままだったが、その裏では表向きの息子であるドラクルを虐待するようになった。
 鞭の傷痕の痛みに耐えながら、実子の真の王太子であるロゼウスを裏表なく溺愛する王を見ながら過ごす毎日。それが、ドラクルを引き返せないところまで歪ませていった。
 隣国エヴェルシードを利用し、何万人もの民を阿鼻叫喚に陥れながら玉座を簒奪する方向へ。もしもブラムス王との関係があそこまでこじれていなければ、ドラクルはそこまで行動を起こさなかっただろう。全ての真実を知ることによって、幸せになれるとは限らない。
 そういう意味では、ドラクルを歪ませたのはルースだ。ルースが全ての崩れる綻びの糸をドラクルに教えた。実際にそれを引いたのがドラクルだとしても。
 壊れていく王国と殺されていった父王たちを思うほどに、ルースはドラクルを裏切れなくなる。他の誰にあっても彼女にだけは、ドラクルを裏切る資格はないのだと。
 それが欺瞞だと知っていても、ドラクルはそれを突きつける。そういった形でしか、もう誰も繋ぎとめることができない。
お前が口にした不用意な一言で私は人生を狂わされた。そう言ってルースに従うよう強要する。
 そしてルースも従うだろう。
「ルース姫にとっては、あなたを断罪する事は、自身を断罪することにも繋がる」
「ええ、そうです」
 彼女とて、自分の罪に向き合えるほど強くはない。
「だからあなたを裏切らないと?」
「裏切るように見えますか? ここまで聞いて。あれがそんなに倫理道徳に厳しく人民のために私を討てるような性格だと?」
「……いいえ。そうは思えないわね。それよりも――」
 プロセルピナは何事か言いかけたが、結局はそれを自らのうちに治める。一瞬怪訝な顔をしたドラクルも、深くは追求しなかった。
(それよりも彼女は、そんなこと、世界の物事の一切を気にしない性格に見えるんだけどね)
 飲み込んだ言葉の影でデメテルは思う。
「ねぇ、ドラクル王。ではいつかルース姫の代わりにあなたを裁く人がいたとしたら、それは誰になるのかしら?」
 彼は曖昧に微笑んでいた。

 ◆◆◆◆◆

 白い髪が幽鬼のように揺れる後姿を追い、シェリダンはハデスを背負ったまま森の道を歩く。
 頑丈な旅用の衣服もかなり裾が擦り切れている。長靴にまた一つ疵がつく。横合いの茂みから伸びた細い枝に頬を引っかかれて血が滲んだ。
「おい、どこまで行く」
「もう少しです。お姉様がお兄様たちをご案内すると言っていたお屋敷は、この向こうです」
 これまでに何度か繰り返したやり取りをもう一度繰り返す。メアリーの先程と同じ言葉を聞いて、シェリダンは低く呻いた。
「……ヴァンピルの言う『少し』など、私は金輪際信用せん」
 今更語るまでもないことだが、吸血鬼は人間より身体能力が優れている。ロゼウスやロザリーを見て知っていたつもりだったが現在、いかにも気が弱そうなか弱そうな少女であるメアリーまでが人外の体力を発揮するのを見て、シェリダンは外見で人を判断するのはやめようと心に誓った。何しろ吸血鬼である彼らの中では、一時間も三時間も同じ「少し」であるらしい。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。……休憩してもいいか?」
 気力より先に体力が限界に来て、シェリダンは恥を忍びメアリーにそう声をかけた。前を行く彼女がひょいひょいと森の中の険しい道を進んでいくのでこちらが軟弱に思えてしまうが、シェリダンはランタン一つ手に持っただけのメアリーと違ってハデスを背負っている。いくら彼に体力があるとはいえ、同年代の少年一人背負った状態で険しい道を長く行くのは難しい。
「あら。失礼しましたわ。ではここで少し休みましょう」
 今更それに気づいたように、背後の彼らを振り返ったメアリーはおっとりとそう言った。
シェリダンは適当な場所でハデスを降ろすと、自身も足を投げ出して座り込んだ。近寄ってきたメアリーが、何か要りますか? と尋ねる。
「別にいい。何か、と言ってもあなたも何も持っていないだろうが」
「ええ。ですが、採って来ることは可能ですので」
 採って来るとは、この森からか? 木々の枝葉は鬱蒼と茂り、地面にはろくに光も差さない。わずかな木漏れ日に浮かび上がる、地面に飛び出した太い樹の根には苔が生えていた。生き物の気配は感じるが姿はろくに見かけず、目に映るのは虫ばかり。全体的に暗い威容を放つ森の中で採れる物とは――。
「いい。遠慮する」
「けれど」
「くどい。私は同じ事は二度言わないぞ」
「……はい」
 そもそも、自分より幼い少女に召し使いのようにこの不気味な森を食物を求めて彷徨わせる気はない。彼女がヴァンピルであるとか、この森は彼女の国内で庭のようなものであるとかを抜きにしても。
 それでも先程の言い様では言葉が足りないかと気づいて、シェリダンは萎縮するメアリーに補足の台詞をかけた。
「あー……あなたも疲れているだろう。少し安め。我々はここでこうしているだけで十分だ」
 扱いにくい、と思いつつシェリダンはメアリーとの会話を終えてようやく気を抜いて体を休め始めた。
 このやりとりだけで、すでに精神的な何かを消耗しているような気分だ。もともと厳しい性格のシェリダンは、少し言っただけですぐに泣くような気の弱い女性が苦手だ。ロザリーやカミラのように一つ言うと百倍にして返してくるような相手の方が気が楽だった。
 とは言っても、現在はこの森の中、シェリダンとハデスとメアリーの三人きり。とても不自然な三人組は、足音を休めて休息するとなると途端に静寂が辺りを包む。つまり、会話がない。
 もともとはハデスによる襲撃が事の発端だった。ドラクルの王としての暴走をとめるためにローゼンティア王城へと向かうロゼウスたち一行の下に、彼がプロセルピナと呼ぶ少女を伴って襲撃を仕掛けてきたのだ。
 ハデスは次代皇帝であるロゼウスの命を狙っている。しかし、プロセルピナの裏切りにより彼は対戦相手であったシェリダンともども崖下に落ち、上に戻る方法もわからずにいたところをメアリーに発見されて今に至っている。
 メアリーは、彼ら二人をロゼウスたちに引き合わせるため案内をしてくれるのだという。ロゼウスたちのもとへは、彼女の姉であるルースがすでに向かったと。
 ルースの名にシェリダンは多少眉をしかめたが、彼女の言葉についていかざるを得なかった。どの道あてずっぽうにはぐれた仲間と合流する手立てを考えるよりは、罠だとしてもお互いを引き合わせる役には立つ。これが罠だとしたらそれはその時に考えればいい。
 そしてメアリーについてきて、しばらくが経った。彼女の主観では「もう少し」も、シェリダンたちにとっては「もうかなり」だ。彼に背負われているだけであったハデスもそう思うくらいだからローゼンティア人の感覚はあてにならない。
「ハデス?」
 そのハデスは、シェリダンの背から下ろされると立ち上がってその辺りを少し歩いてみたりしていた。崖下に落ちたときに挫いた足の具合を確かめているようだ。
「うん。もう、大丈夫みたいだ」
 すぐに治療魔術を使ったが、魔術による治癒は怪我や傷口こそすぐに癒えて塞がっても一度痛みを覚えた感覚はすぐにはなじまない。歩けないハデスを背負ってここまでシェリダンはやってきたが、どうやらこの先はその必要はないようだ。
「そうか。それは良かったな」
「……うん」
 これまで自分を背負ってきたシェリダンに対し何か言いたげにハデスはちらりと彼を見たが、結局はその頷き一言だけを返すに留めた。先程まで殺しあっていた相手に恩を受けて飄々としていられるほど、彼の神経は太くないらしい。
 シェリダンも自らの伸ばした足へと手をあて、軽く筋肉を解し始める。休むと言ってもただだらだらと身体を怠けさせることを休息とは呼ばない。今のうちに呼吸を整え、疲れて凝り固まった足や腕の筋肉を解し、そうしてまた歩き出すのに不自由ない体にしておく。疲れがとれるほどの休息など所詮この状況では不可能であるのだし、そこまで長時間休憩してはこれ以上動きたくなくなってしまうからだ。その辺りの体力と気力の配分は軍事国家の元国王は抜かりない。
「……そろそろ出発しても良いが」
「そうですか? では行きましょう」
 シェリダンの方の準備が終わると、メアリーはさっさと立ち上がった。先程と同じように手にランタンを持ち、彼らを先導して歩いていく。
 身体は疲労しているが、シェリダンはハデスを降ろしたのでその分楽になった。一方自分の足で歩くことになったハデスは、ゆっくりと足の感覚を確かめるように歩いている。
 時折こちらを振り返りながら歩くメアリーも、ハデスの歩みの速度に合わせるようだ。本来ならば彼女がこの場で一番小柄な上に女性であるので歩幅は短いのだが、そこはヴァンピルの体力でもってメアリーはさっさか進んでいく。シェリダンのようにがっちりと足を固定する長靴を履いているのではなく可憐な女物の靴なのだが、それで上品かつ確実に歩を進める様はいっそ見事だ。
「これはルースの計画だと言ったな。彼女の目的はなんだ?」
「さぁ? わたくしにはお姉様の考えていることはわかりかねます……」
 気の弱そうなメアリー姫は、シェリダンの詮索をかわすというよりは本当にわからないと言った様子で困ったような顔をしていた。どうやら彼女から搾り取れる情報はなさそうだ、とシェリダンは歩く方に専念する。
 森の地面が段々と滑らかになり、まだ少し地面に盛り上がるような木の根もあるが段差は随分少なくなっている。木々の幹も大の大人が数人がかりで手を繋がなければ計れないようなものから、一般的な林に生えている太さへと変化してきていた。
「そろそろ屋敷が近づいてきました。この位置からならば、見えるでしょう」
 メアリーが指差す方向に、確かに木々に埋もれるようにして赤い屋根が見えた。

 ◆◆◆◆◆

 まだ距離は遠い。だが聞こえた微かな足音に、ロゼウスははっと顔をあげた。
「!」
「ロゼ!?」
 背後からロザリーの驚いたような声が追いかけてくる。
「あ! もしかして……」
アンリの言葉がすぐに遠ざかり、廊下を駆けた足は屋敷の玄関へと飛び出す。黒檀の両開きの扉を乱暴に押し開けると、鋼の門の向こうに緑の森、正面の道を歩く人影が目に入った。
「シェリダン!」
 人の耳にはまだ声が届かないだろう距離、先に気づいたのは彼の隣を歩いていた少女だった。白銀の髪に紅い瞳のヴァンピルの少女は、妹のメアリーだ。何故彼女がここにいるのかを考えるより早く、足を運んでいた。
「ロゼウス!」
「お兄様……」
 やってきたのは三人だった。一人はシェリダン、一人はルース、そして最後の一人はハデスだ。
 三人の目前まで来て、シェリダンの姿を認めた途端、ロゼウスは人目も憚らずにその胸にすがりつき肩口に顔を埋めた。シェリダンの腕がしっかりとその身体を受けとめる。部屋の中にいたためか、ロゼウスは薄着だ。そのせいで余計に華奢に見える。
 ハデスはいつものことだと表情を変えないが、メアリーは目を白黒させている。
「良かった。デメテル帝は殺してはいないって言っていたけど、でも確証がなかったから……」
 あの場面でそんな嘘をつく理由もないだろうとあの言葉を一応信じてはいたが、それでも不安だった。あちらこちらから宣告される死の予言に、心は必要以上に不安に漣立っている。
「デメテル帝だと……」
「……」
 ロゼウスが安堵して思わず口走った言葉に、シェリダンとハデスが反応する。事情がよくわかっていないのか、メアリーだけは不思議顔だ。
「あの、お兄様」
「ああ、メアリー、久しぶり」
 傍から見れば挨拶をしている場合ではない上にロゼウスのシェリダンに密着した体勢はその言葉を妹に向けて発するには甚だ不自然なのだが、とりあえずロゼウスは挨拶した。
メアリーは兄のマイペース差に無意味におろおろとしながら、どう口を開くかを迷いながらも言葉を探す。それを見てロゼウスはようやくシェリダンから身体を離した。
「あ、あの、……お久しぶりです。わたくし、ルースお姉様に言われて、それで」
「うん。ルース姉様も向こうにいるよ。とりあえず三人とも、屋敷の中へ入って」
 妹のメアリーを安心させるように手を引いて、ロゼウスは自らが飛び出してきた屋敷の方を指差した。飛び出して行ったロゼウスを追って出迎えに来ていたロザリーとエチエンヌと共に応接間へと向かう。
「シェリダン様!」
 ローラが彼の姿を見た途端、先程のロゼウスのように駆けだして来る。出だしで出遅れた彼女は、あまり大勢で向かってもと、リチャードに引き止められていたのだ。
「ご無事で何よりです」
「ああ。心配をかけた」
 一方、短いが絶望的な別れからの再会を喜ぶエヴェルシード勢の隣では、ローゼンティア王族が妹に声をかけている。
「メアリー! お前無事だったのか!」
「今までどうしてたの?」
「お兄様、お姉様方こそ、こんなにおやつれになって……」
 国を脱出しようとした初めの時点ではぐれたせいか、これまでどの陣営に属した様子もなく消息不明となっていた第五王女の登場にアンリとロザリーは喜びを隠さない。メアリーの方も、兄妹の中でも特に気さくな兄姉と再会してようやく落ち着けるようだった。
「お、お兄様~」
「メアリー?」
 アンリの胸元に縋り付いて、堰を切ったように泣き出してしまう。
「アンリお兄様、ドラクルお兄様が、アンお姉様たちも、み、みんな変で……! お城にいても皆ぴりぴりしているし、今日は誰を殺すだの、明日は誰を拷問だの、怖い話ばっかりで、わたくし……ッ」
 その言葉でアンリたちはメアリーがこれまで、王となったドラクルのもとにずっといたことを知った。彼女はルースのようにはっきりとドラクルを出し抜く気持ちがあってここへ来たのではなく、どうやらルースに上手く使われたようだということも。
「メアリー。ごめん。これまでいろいろ、怖い思いをさせたな。大事な時に側にいてやれなくて、悪かった」
「いいえ、いいえ。お兄様たちこそ、大変な目に遭われたのでしょう。わたくしは……」
 そこでメアリーは意識を切り替えたのか、視線を部屋の中に移して、アンリに尋ねる。
「ねぇ、お兄様、ミザリー姉様やウィルやエリサは?」
その言葉に、アンリは凍りついた。
「メアリー、落ち着いて聞いてくれ……エリサは生きてるよ。これ以上危険な目に遭わせたくないと思って、彼女には別行動をしてもらったんだ。ローゼンティアともエヴェルシードとも離れて、王族でもない一人の人間として生きていくようにと」
「え……え……」
「それと、ミザリーと、ウィルは……」
 アンリが静かに首を左右に振り、ロザリーが視線を落とす。
「そんな……」
 ミカエラの処刑に関してはローゼンティアとエヴェルシード、両国の間で大々的に行われていたため、王城に閉じこもっていたメアリーの耳にも入ってきていた。しかし、姉である第三王女のミザリーや、末の弟のウィルまでそんなことになっていたとは。
 しかしこの場では落ちこんでいる場合ではないと思いなおし、彼女は気丈に涙を堪える。その様子にアンリたちはほっとした。
 ミザリーは半ば自殺のように冥府の生贄となり、ウィルのことはロゼウスが殺した。そんなことを、詳しくこの妹に聞かせたくはなかった。そして、シェスラートに意識を乗っ取られてウィルを殺めてしまったロゼウスのことも今更傷つける気はなかった。
「と、とにかく!」
 これ以上この話を続けたくはないし実際問題これからのことも差し迫って考えねばならない問題だし、と場を仕切ろうとアンリが声をあげたその時。
「何故その人がここにいるんですか?」
冷ややかな声がそれを遮った。その声の持ち主はジャスパーだ。
 彼は視線を黒衣の少年に固定し、もともとは涼やかな顔つきを歪めて睨んでいる。
「その人は、この状況のそもそもの元凶のはずです。何故あなたがここにいるんですか! ハデス卿!」
 ハデスはジャスパーに睨まれても平然として、同じように険のある視線を返す。
「知らないね。そこの第五王女が僕まで巻き込んでここに連れて来たんだ。文句ならそっちに言ってくれ」
「メアリー姉上」
「え、え? ジャ、ジャスパー? わ、わたくしはルースお姉様の指示に従っただけで……」
 突然話を振られて、メアリーが飛びあがりそうなほどに驚きを表わす。ロゼウス側で戦いの表に出たことのない彼女には、帝国宰相とジャスパーがどのような関係なのかもわからず、ひたすら怯えたようにすぐ下の弟の顔色を窺っている。
「やめろ、ジャスパー」
「ロゼウス兄様」
「ハデスを中まで招いたのは俺だよ」
「そしてそれは、私がこれに手を貸していたからか」
「シェリダン王!」
 ロゼウスに対しては遠慮がちな困惑の視線を投げるに留めたジャスパーだが、シェリダンに対しては容赦なく牙を向いてくる。
「私は私の判断や行動をお前にどうこう言われる筋合いはない。それに」
 シェリダンはちらりとハデスの様子を窺った。
 崖下に落ちた時のあの態度、彼の中ではもう、ここでロゼウスやシェリダンと争おうとするほどの気力などないのでは?
 ロゼウスがシェリダンを殺す、その予言は当事者二人も疲弊させているが、それを予言したハデスもまた、変えられぬ運命の予言に疲れ果てているように見えた。ハデスは……
「別にいいのではない? その方がここにいても」
「ルース姉様」
 場を治めるようにそう発したのは、これまで屋敷の主でありながら事態を傍観していたルースだ。
「私はあの崖下に落ちてくる人を連れて来てとしかメアリーに頼んでいないわ。ねぇ、メアリー。よくやってくれたわ」
「お姉様」
「ここでハデス卿と争うにしても、デメテル帝のことがまだ残っている状態では先行きが不安になるだけではなくて? 今日は一時休戦としましょう」
 そして彼女は席を立つと、さっさと廊下に立って皆を案内する。
「どうぞ、お部屋の方へ」
 彼女の思考だけは、誰も読み取れない。