荊の墓標 41

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 交替の時間がやってきた。リチャードと入れ替わりに、シェリダンはロゼウスの寝ている部屋を出る。
「それではシェリダン様、ゆっくりとお休みくださいませ」
「ああ。リチャード、頼んだぞ」
 後ろ髪を引かれる思いで自室に向かうために廊下を歩き始める。自分のために毒を得たロゼウスのそばにできるならもっといてやりたかったが、シェリダンは普通の人間だ。ただでさえ朝からハデスとの戦闘、崖下への落下、この屋敷までハデスを抱えての移動と疲れきっている。ここで身体を休めねば明日、動けない。そもそもこれは看病と襲撃者を警戒しての見張りなのだから途中で眠りに落ちそうな状態であの部屋に居続けるわけにはいかない。
 廊下を歩くシェリダンを、待ち構えている者がいた。
「シェリダン王」
 彼の部屋の前で待っていたのは、ジャスパーだった。紅い瞳に険を滲ませている。
「お話があります」
「……ああ」
 門の外ではなく、屋敷の吹き抜けの回廊から中庭へと出る。夜の庭は藍色に染まり、月光が雲間から微かに落ちている。
「それで、話とは?」
 先に立って歩いてきたシェリダンは、振り返らぬままにジャスパーに話しかける。その背後に、小さな風が巻き起こった。
「くっ……うわぁ!」
 拳に体重を乗せて殴りかかってきたジャスパーを軽くかわし、シェリダンは逆に伸ばされた少年の腕を捕らえて投げ飛ばす。背中から硬い地面に叩きつけられたジャスパーが小さく呻く。
「うう……」
「いい度胸だな。この私を背後から襲うなど」
 吸血鬼の基本的身体能力は人間より上とはいえ、シェリダンも武の国と呼ばれるエヴェルシードの王の座にあった人物だ。よほどのことがなければ子ども相手に負けはしない。
 ルースには首を絞められたしロザリーには殺されかけたことがある。万全の状態のロゼウスと真剣勝負をしたら負けるかもしれないが、今の頭に血が上っているジャスパーのような相手には楽勝だった。
「それで? 今度は何だ。お前はまた私欲のためにお前の兄をも裏切るのか?」
 冥府の一件をシェリダンは忘れてはいない。ハデスに唆されたジャスパーは一度、その最愛の兄たるロゼウスをも裏切っている。それ以前から他のヴァンピルたちと違って、シェリダンたちとはっきり妥協しあって手を組む様子の見えなかったジャスパーだ。
 そして彼が特に敵視するのは、今この場で相対するシェリダンその人である。
「私を憎むのは構わないが、そのために人の行動を邪魔するのはやめろ。私とロゼウスが完全に敵対していてロゼウスのために敵を排したいというのならわかるが、お前のやっていることはそのロゼウスさえも傷つけることだぞ」
 冥府でのハデスとの攻防の際、閉じられた次元の扉を開く生贄となって彼らの姉であるミザリーは亡くなった。ハデスの目的が自分の殺害であり、そのためにミザリーを攫ったと知っているロゼウスがどれほど傷ついているかは知れない。
 笑顔も作るし泣き顔も見せるが、ロゼウスは自分のありのままの感情を素直に出す事が苦手だ。表情は作れても感情がそれに追いつかない。もしくは荒れ狂う感情があってもそれをはっきりとは表に出せない。誰にも知らせずに自分を責める性質だから誰も気づかないだけであって、人の知らないところで彼は酷く落ち込んでいる。
 そのロゼウスを、またもやジャスパーは裏切るのか?
 しかしシェリダンの言葉に彼が返してきたのは。
「うるさい! 今回のはお前が悪いんじゃないか!」
「……」
 シェリダンは顔を歪める。
「お前がルース姉様に隙を見せたせいで、兄様があんな目に遭ったんだ!」
 それは確かに真実ではある。油断をしていたわけではないが、シェリダンはルースに勝てず、救援を呼ぶことになった。
 だがそれをジャスパーにこうして責められる謂れはない。
「黙れ。そのことで私が文句を言われるとするならばその相手はロゼウスだ。お前ではない」
 シェリダンはジャスパーを相手にしない。ロゼウスの心を手に入れる前であれば彼に好意を抱いているジャスパーの存在は目障り以外の何者でもなかったが、ロゼウスがこの弟に欠片も疚しい思いを抱いていないのを知った今では三歳も年下の子どもに対し真面目に張り合う気はない。
 そしてロゼウスも、ジャスパーを相手にしない。
 ジャスパーにして見ればシェリダンに子ども扱いされることよりもむしろそちらの方が哀しいのだろう。同性であり兄弟であるという事実を越えて家族愛以上の好意をロゼウスに向ける彼は、しかしきっぱりとその想いを拒絶されていた。
「……っ!」
 案の定シェリダンの返しにジャスパーが端正な面差しを歪める。
 シェリダンは彼がどんな理由あって兄であるロゼウスにここまで深い想いを抱いているのか知らない。それを知ったところで、彼にロゼウスを譲り渡す気も毛頭ない。
「……咎めならロゼウス自身から受ける。とにかく、お前はもうおかしな真似をするなよ」
「……・言われなくても、おかしな真似なんてしません」
「どの口でそれを言うのだか」
 心底呆れたという口ぶりのシェリダンに反発心を起こしたのか、ジャスパーは再び声を荒げた。
「僕だって、あなたにだけは言われたくない! もともとあなたこそ、兄様を奴隷のように散々弄んだじゃないか!」
 ジャスパーはシアンスレイト城に囚われた際、シェリダンが無理矢理ロゼウスを犯す姿を見ている。そうでなくとも、この少年王はローゼンティアの民の命と引き換えにロゼウスを攫い、女物の衣装を着せて花嫁などと呼ばせていたのだ。そんな扱いをされてロゼウスが身体的にも精神的にも苦痛を味合わされていないと言える者はいないだろう。
 シェリダンがぴくりと眉をあげる。
「……ああ、そうだな」
ジャスパーに言われるまでもなく、過去のそうした関係と事実はシェリダンの心に残っている。ロゼウスが自分を愛してくれればこれまで彼にしたことが帳消しになるなどと、そんなお気楽な神経をシェリダンはしていない。
 それもわかっている。自分はいずれロゼウス自身に裁かれる、と。
「お前さえ……お前さえいなければ、ロゼウス兄様はずっと、ローゼンティアの王子として僕と一緒にいたのに、それなのに……」
 最後は弱弱しい泣き声となって、ジャスパーの言葉がぽたぽたと乾いた地面に落ちていく。
「だが、お前がそうやってロゼウスが皇帝となる事実を隠そうとしたために、この事態を招いたのも事実だ」
 今度はシェリダンがジャスパーの罪を指摘した。兄を愛するあまりに手放したくなくて、選定紋章印の示す運命を誰にも話さなかったジャスパー。彼がそれをもっと早い段階で口にしていれば、さすがにドラクルもこんな無謀な簒奪は犯さなかっただろうし、そうすればエヴェルシードがローゼンティアに攻め込むこともなかった。
 今という時間は幾つもの人々の運命の歯車が重なった結果だが、その大元にジャスパーがいる。彼だけでなくもちろんシェリダンにも、ドラクルにも、そしてロゼウス自身にも罪はあるのだろうけれど、今更そんな過去を引っかいたところで何の慰めにもならない。
「……いい加減に私を責めたり、ロゼウスに縋ることで誤魔化すのではなく、己自身の心と向きあえ」
 未来の答は予言と言う形ですでに出ている。もちろんそれを無抵抗に受け入れるわけではないが、だからと言って自分自身の選択と行動の結果から逃げていてはそれこそ何も始まらない。
「僕は……」
 俯いたジャスパーは、ぎゅっと拳を握り締めた。

 ◆◆◆◆◆

 もう警戒心も何もないシェリダンがさっさと踵を返して屋敷の中に戻っても、ジャスパーはまだ中庭に残っていた。
 震える拳を身体の横で握り締めている。力を込めすぎて白く筋が浮き上がった。
「……っ!」
 声もなく呻き、ギリ、と唇を噛み締めた際に鉄錆の味が舌の上に広がる。唇を噛み切ってしまったようだ。
 憎い。
 シェリダン王が憎い。
 ジャスパーの心の中を占めるのはただその思いだけだ。シェリダンが憎い。ロゼウスの心を奪った彼が。
 ローゼンティアの王城でまだ何事もなく平和に暮らしていた頃、ロゼウスがドラクルに虐待されながらも彼を愛していると言っていたことは知っている。だがあの頃は、まだ良かった。ロゼウスがドラクルに向ける愛情は本当の愛ではないことが、ジャスパーの眼にもわかっていたから。
 あれならば取り入ることができる。
 薔薇園で表向きは仲睦まじくやりとりする二人を見ながら、ロザリーやミカエラ、ウィルやメアリーやエリサといった兄妹を可愛がるロゼウスを見ながら、ジャスパーは気づいていた。
 ロゼウス兄様は寂しい心の持ち主だ。だから僕が……僕が側に……。
 表面上は優しい微笑を浮かべながら本当は誰も愛していないようなロゼウス。だが、だからこそ想いを向ければ応えてくれるだろうとも思っていた。寂しい人だから、愛に飢えた人だから。
 ジャスパー=ライマ=ローゼンティアは十四歳の第六王子。下から二番目の王子は王位の継承という問題からは程遠く、その気になれば妻を迎えずともいられるだろうどうでもいいような存在。
 長兄のドラクルは優秀で、彼に継ぐ王位継承権を持つアンリも彼ほどではないにせよ優れた能力の持ち主だ。次の王位継承者はロゼウスだが、彼は兄弟間の争いを嫌って第三王子のヘンリーにそれを譲渡している。
 だから、あのまま王国が平和に続けば、ジャスパーはロゼウスとずっと一緒にいられたはずなのだ。
 ロゼウスが皇帝となったら、どうなるかわからない。ただでさえ弟に嫉妬を隠せないドラクルがどう出るのか。それにジャスパーはロゼウスの選定者だが、いざ彼が皇帝となった途端引き離される可能性もある。また例え側にいられたとしても、ローゼンティアの中でこそ王子という立場で好き勝手ができたものを、皇帝と選定者ともなれば周囲の眼を気にして自由に行動する事が……ロゼウスの愛を、得る事ができなくなるかも知れない。
 あと一年だけ待って欲しかった。
 一年経てば、ジャスパーは十五歳、ローゼンティアの成人は十八歳だが、その前に一人前として扱われ兵士になるなど国の仕事に就ける年齢は十五歳だ。
 そうしたら、一人前になったら先のことを考えるから。
 そうして眼前の問題を先送りにした結果がこれだ。ローゼンティアは一度滅び、後にドラクルに簒奪され、ロゼウスはエヴェルシードの王に奪われた。皇帝となるべき運命も明かされて、世界の移ろいは止めようもない。
 少し突けば爆発するような不穏を内に孕みながらも、あの日々は優しかった。花曇の庭で家族兄妹揃って、薔薇の花を眺めていた。
 もう二度と取り戻せはしない。
「兄様、僕は……」
 まだ足は動かないながらも、ジャスパーは視線だけを屋敷へと向ける。ロゼウスがいまだ昏々と眠る一室の方向へと。
 この騒動の大元にジャスパーがいる。それが、ロゼウスをも傷つける。
 シェリダンの言葉は正しい、正しいからこそジャスパーは苛立つ。
 どうしてよりによってあんな男をロゼウスは選んだのだろう。ロゼウスやドラクルのように誰の眼にも遜色のない能力を持っているわけではない。けれど何故か、勝てる気がしない。
 たとえばヴァンピルとして理性を全て取り払い、ジャスパーが本気でかかれば彼を殺すことはできるだろう。しょせんは人と吸血鬼、いざと言うときの実力は比べ物にならない。
 だが、それでも、ジャスパーにはシェリダンを殺しても彼に勝てる気がしない。
 彼はそんな次元とは違う、もっと別のところで何かと戦っているような気がする。それが腹立たしい。
「イラついてるわね、ジャスパー」
 背中から声をかけられて、ハッとジャスパーは振り返った。
 聞き覚えのある女の声。しかしロザリーでもメアリーでもローラのものでもない。
「ルース、姉様……!」
「ええ」
 やはり仕掛けてきた。だが更に目を見張ることには、彼女は一人ではなくその背後にも人がいる。
「デメテル帝」
「プロセルピナよ」
 ルースとプロセルピナ。この世で最も恐ろしい女性二人が、ジャスパーの前に佇んでいた。

 ◆◆◆◆◆

「では私は向こうに」
 ルースが細い首を動かし、視線を屋敷の方へと向ける。はっとしたジャスパーが止める暇もなく、彼女は屋敷へと歩き出していった。悔しいほどにゆっくりとした歩調で。
 ジャスパーは動けなかった。目の前にはプロセルピナがいて、彼の一挙手一動を見張っている。睨みつけるというほどの強さはないが、さすがにその眼差しに彼の無謀な行動を許すほどの甘さもない。
「悪いけれどあなたをここから動かすわけにはいかないの」
 プロセルピナ。黒の末裔の血を引く大地皇帝デメテルが、その宿命を捻じ曲げるために自らの肉体を捨てて不死の肉人形に己の魂を移した存在。
 ハデスとデメテル、それぞれの力を受け継いだ器であるプロセルピナは、能力的にはもしかしたらデメテル以上かもしれない。ジャスパーはローゼンティアの王族としては優秀な方だが、それでも皇帝と渡り合えるほどではない。勝てるはずがない。
 冷静に計算する頭とは裏腹に、彼の手は自らの腰に伸びていた。護身用、それ以上の目的で使う必要はないと言いつけられて与えられた剣を抜く。大人しい外見から誤解されがちだが、ジャスパーは運動や武術が苦手ではない。剣豪としては物足りなくとも、常人以上の剣の腕はある。
 目の前の女性には勝てずとも。
「あら。抵抗するの? 大人しくしていれば、怪我はさせずに済むのに」
 プロセルピナも意外そうに軽く瞬くと、幼子を諫めるようにジャスパーを説得にかかった。
「悪い事は言わないわ。剣を引いて、ね」
見た目には彼と変わらぬ年頃、しかしその中身はすでに百年以上の治世を敷いた皇帝である女性が言う。
「もともとあなたは何度もハデスの言葉に従い、ロゼウス王子たちを裏切ってきた」
「……」
「ドラクルを刺したこともあるのですって?でもあの人は、あなたがここで彼の目的に協力するよう寝返るならそれは問わないと言っていたわよ。ジャスパー王子。あなたもドラクル王のもとは弟だったのでしょう? 彼の下に戻る気はない?」
 ジャスパーは答えない。剣を両手で握り構えたまま、動かない。一歩も引かない。
「……私と戦えば無傷で済むわけはないの、わかっているわよね?」
「……わかっています」
「ドラクル王はあなたたち弟妹に関しては、ロゼウス王子を裏切りドラクル王への忠誠を誓うのであれば許すと言っているわ。でも、逆らうのなら容赦する必要もないと言っている」
「どうせルース姉様の入れ知恵でしょう」
 吐き捨てたジャスパーの言葉に、プロセルピナがぴくりと眉を動かした。どうやら図星のようだ。
「鋭いわね」
「どうせあの人たちの考えることですから」
 あの人たち。ドラクルとルース。
 ジャスパー一人でプロセルピナに勝てるわけはない。せめて何とか、時間を稼ぐだけでもできないかと彼は口を開く。
 プロセルピナは言葉で威嚇するものの、その場から動く様子は今のところ見せていない。
 できるだけ長く、彼女をこの場に縫いとどめておかなければ。できれば屋敷の方にルースが向かったことも誰かに伝えたいが孤軍奮闘のこの状態では無理だ。かといって彼が今ここで救援を呼べば、屋敷の人手が手薄になる。それも困る。ルースもまた、人々の予測を裏切るほどに強い。
 問題はどちらだ。彼女たちのこの場での目的は。
「あなたたちが攫おうとしているのは、ロゼウス兄様ですか?」
 真正面から尋ねたジャスパーにはもちろんプロセルピナは答えない。もっとも、こう考えるのは別に彼でなくとも普通だろう。ロゼウスは今、銀廃粉の影響で動けない。
だが次の言葉には、興味を引くものがあったようだ。
「それとも、シェリダン王の方ですか?」
「あら? どうしてそうだと思うの? ドラクルの目的はロゼウス王子よ」
 プロセルピナの食いつきを確認して、ジャスパーはその話題を続けた。どうせ勝てない相手なら、彼女とこうして無駄な話をしている時間が一分一秒でも長くなるように苦心する。その間に誰かが異変に気づいてくれればそれでいい。
「だからこそです。ドラクル兄上は、ロゼウス兄様に執着している。兄様を自分に屈服させるためなら、兄様の一番大事な相手であるシェリダン王を狙うこともあるでしょう」
「彼の心がよくわかるわね」
 感心したようにプロセルピナはジャスパーを見つめて吐息するが、ジャスパーにとってはこんなもの当たり前だ。
 ドラクルの思考は、ジャスパー自身のそれと近い。どうしても、どうしてもロゼウスが欲しいというその想い。
 そして兄妹の中では謎のひととされるルースのことも、似たような性格のジャスパーにはわかっている。
「駄目です」
「?」
「……渡しません、ロゼウス兄様は」
「堂々巡りね。あなたにとっても悪い話ではないのだと思うけれど。だってドラクル王がロゼウス王子を手に入れれば彼をずっとこの国に引き留めておけるわ。あなた個人の力ではロゼウス王子を捕まえておくことができなくても、ドラクル王と二人ならできるかも。そうすればロゼウス王子は皇帝になれないし、彼の即位をできれば阻止したい私やハデスにとっても幸せ。ほら? 良い事尽くめじゃない?」
 肝心の話題の中心であるロゼウスの幸福は一切無視した形でプロセルピナが持ち出してきた提案に、しかしジャスパーは首を横に振る。
「いやです」
「まぁ。強情ね」
「だってそれでは、ロゼウス兄様はドラクル兄上のものにはなっても、僕のものにはならない」
 僕だけのものには。
 ジャスパーの大胆な言葉にまたしてもプロセルピナは目を丸くし、ついで弾けたように笑い出す。屋敷の方ではまだ異変が起きた様子はなく、ルースがこのまま上手くロゼウスを攫ってしまうのではないかと、ジャスパーの胸には焦りが生まれる。
 こめかみに緊張の汗を浮かべるジャスパーをふっとプロセルピナは力を緩めた微笑で眺めて、思いがけないことを言った。
「あなたは可哀想ね。ジャスパー王子」
「え……」
 聞き捨てならない一言に、剣を構えたジャスパーの注意力がプロセルピナの方へと再び向く。
 しかし別にその隙を彼女は狙うでもなく、先ほどの言葉の続きを口にした。
「どうしてそんなにロゼウス王子が好きなの? 諦めてしまえばいいのに。だってそうでしょう? シェリダン王がハデスからこのままロゼウス王子と共にいれば彼に殺されるとの予言を受けてもロゼウス王子から離れずにいるのは、彼がロゼウス王子からの愛情という見返りを受けているため。けれど、あなたは?」
「僕……」
「あなたはどうなの? ジャスパー王子。ロゼウス王子はあなたに何かしてくれた? 何もしてくれないでしょう」
 ロゼウスは一度はっきりとジャスパーを拒絶した。今も行動こそ共にしているが、様々なことの積み重ねがあってジャスパーには気を許す素振りも見せない。本当にただ側にいるだけだ。
「ねぇ、考えなおさない? このまま彼のもとにいてもあなたはロゼウス王子を手に入れることはできないわ。そのくらいならドラクル王のもとにいけば」
「そのお話は、お断りいたします!」
 強い口調で拒絶したジャスパーの態度に一瞬鼻白み、プロセルピナはこれまでとは違う種類の笑みを浮かべる。
「どうしてもこちらに与する気はないと言うのね?」
「ええ」
「物好きな子。何の見返りも手に入らないのに」
 プロセルピナが長い髪を鬱陶しがるように、首を振って肩を竦めた。処置なしと見たジャスパーの処遇をついに決心したようだ。もともと彼女にとってジャスパーなど何の価値もない。ドラクルへの義理立てがあって説得は試みたものの、それが成功しようと失敗しようとたいした問題ではないのだ。
 それでも彼女の眼から見た彼の生き方に某かの思いはあるようで、憐れむような口調で放たれた言葉に、ジャスパーは強く思いの丈を返していた。
「僕が、僕が好きだから!」
 しん、と静まり返った夜の庭園にその叫びが響く。
 プロセルピナが真剣な表情になる。
「僕が兄様を好きだから! 嫌われても、拒まれても、報われなくても!」
 そんなものは関係ないのだと。
 好きだから。誰が何と言っても、自分が相手を好きだから。
 だから、相手が自分を嫌いだと拒絶しても関係ない。押し付けるように強引で相手の反応を気にしないその思いは時にただの厄介となりうるほどに激しく、強い。
 報われないから、見返りをもらえないから、と捨てられる程度の想いならここまで胸を痛めることなどない。
 今この瞬間とてこんなにも苦しいのは、それが自分ではどうにもできない問題だからだ。
「《ジャスパー》が、《ロゼウス》を好きなんだ。兄様が僕を嫌いでも、いらないと言っても」
 彼が選ぶたった一人の存在が自分ではなくとも。
「それでも僕は、兄様が好きだから」
 ロゼウスに従うのも裏切るのも、するとしたら自分の利害ではなく感情で。ロゼウスを好きだというその気持ちだけでジャスパーは動いている。こっちの方が得だよ、と誰かに手を引かれる問題ではない。
 理屈ではない、もはやただの意地と呼べるかもしれない。
「ドラクル兄様に言えばいい。あなただって知っているはずだ、と」
 この世には、損得勘定で動かせないものがあることを。それがあるからこそドラクルも今こうして足掻いているのだろうから。
 そしてそれは目の前の女性も同じ。
「大地皇帝! あなただって、そうでしょう!」
 デメテルがハデスを愛する事は、利害の上から言えば不利益以外の何者でもない。それでも彼女は愛したのだ。世界中から罵られてでも、弟であるハデスを。
 人とはなんと愚かしいのだろう。だがその愚かしさこそが、自分たちの全てでもある。
「……そうね」
 プロセルピナは静かに頷いた。
「では、あなたを説得することも、やはり叶わないようね」
 先程までとはまた違った意味でプロセルピナはそう実感し、今度こそ邪魔者であるジャスパーを仕留めるべく交戦の姿勢に入る。
「――手加減はしないわよ」
 両者は、同時に夜の庭園の土を蹴った。