荊の墓標 43

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 意識を失ったロゼウスが寝台で眠っている。枷は外しておいた。あれだけ痛めつけ、極めつけに麻薬を吸わせたのだ。しばらくは目を覚まさないだろう。
 横たわる少年のその白い髪を撫でながら、ドラクルはもの思いにふける。新しい清潔なものに取り替えた敷布が素肌に触れるのが心地よい。
 思い出していたのは、十年前の嵐の日だった。空を切り裂くかのような閃光と雷鳴に、昼間でも夜のように暗かった。そうであれば、夜の深さはなおさらだ。
 ドラクルはその日、自らの出生について聞かされた事実を確かめに、ヴラディスラフ大公フィリップのもとを訪れた。自分の実の父親だと聞かされた彼のもとを。
 ――大公閣下、聞きたい事がある。
 ――なんです? 殿下。
 ――あなたが、私の本当の父親なのか?
 ローゼンティアは薔薇の国と呼ばれる。その名の通り国中の垣根には薔薇が餓えられている。叔父である大公の館まで駆けつける途中の道、鮮やかな紅い花を、激しい雨が散らしていた。赤い闇が広がるように、地面が花びらで赤く染まっている。
 雨が世界を打つ激しき静寂の中で、暖炉に火のくべられた室内は一種の異界のようだった。
 幻となった過去の声が蘇る。今はもう幻でありながら、それでもドラクルを苛む。
 ――ああ。ようやく気づいてくれたのか。我が息子よ。
 ――どうし……て。
 ――復讐だよ。私の。いや、私とクローディアの。私たちから、兄上ブラムスへの。
 ――復讐……?
 ――ああ。そうだよ。本当はあの玉座は、私のものになるはずだったのだから。私の方が兄より王に相応しいんだ。なのに、ほんの数分生まれるのが早かったというだけで、あの男が全てを持っていった。
 身体を支えきれず、膝から力が抜ける。うっそりと深まる大公フィリップの病んだ笑み。恍惚として語られるのは、途方もない大罪だ。
フィリップは王になりたかったのだと言う。
 ――噂だけなら聞いたことがあるだろう。十八年前、つまり君が生まれる直前、ブラムスの三人の妃たちは争っていた。もっとも、第三王妃がその頃に身篭ったのはただの偶然で、真に争っていたのは第一王妃クローディアと第二王妃マチルダだけだけどね。彼女たちは王の寵愛を得ようと必死だった。子どもが生まれるのと生まれないのとではその後の立場が全く違う。そして、その子が男であるならばなおさらだ。普通なら正妃であるクローディアの方が立場が上だけれど、それでも彼女に全く子どもができず、第二王妃と第三王妃にしか子どもが出来なかった場合、正妃の立場に意味がなくなってしまうからね。だから彼女たちは焦っていたんだよ。何でもいいから王の子を孕みたくて仕方なかった。
 ――何でも、いい?
 ――ああ。そうだ。例えばそれが、王の目を誤魔化せるならば、王と同じ顔をした王弟の子でもね。……クローディアは子どもを欲しがっていた。何としてでも、第二王妃よりも先に。第二王妃の方も同じだ。兄上とは相性が悪いのか、二人ともなかなか子ができない。だから、私に取引を持ちかけてきた。
 実父だと名乗る、これまで叔父だと思ってきた男の口から語られる真実。それは例えるもののないほどに醜悪で、若かったドラクルの心を打ち砕くには十分だった。
 ――私もそれに応じた。最も、取引をしたのはクローディアだけではないが……。兄上は贅沢だね、二人とも家柄は文句無く高貴で美しい女性だというのに、一体何がご不満だと言うのか。全てを持っているくせに、まだ選り好みをしようというなんてね。
 複雑だったブラムス王と三人の妃との関係。政略結婚などどこの国でも珍しい話ではないが権力に結びついた憎愛はろくなものではない。
 ――だからね、これは復讐なんだよ、ドラクル。全てを奪ったあの男への。
何かにとり憑かれたようにフィリップが言う。確かに彼はとり憑かれていたのだろう。
 ――どうして……なんで、私、が……。
 ――どうして? イヤだな。ローゼンティアきっての聡明な君ならばわかるはずだろう。ねぇ、第一王子、世継ぎの王子、ドラクル殿下。あの男の子どもではなく、私の息子が次の王になる。これ以上の復讐が、あると思うのかい? この血統を重視するローゼンティアにおいて
 ――そのために、私は生まれたのか。そんなことの、ために。
 ――ああ。
 父であると知った男の手を振り払い、ドラクルは再び王城へと駆け戻った。嵐に濡れて汚れた服を着替えもせずに、今度はブラムス王の居場所へと向かう。
 ――お前はいずれ廃嫡だよ。ドラクル。
 ――当然のことだろう。お前は私の息子ではないのだから。
 そして、捨てられた。
 真実を知ることがいつでも幸せだとは限らないのだと、いやと言うほどに思い知った。
 ――クローディアは忌々しいが、ノスフェルの血はローゼンティアでも特別だ。その血を引くロゼウスならば、教育次第で、いずれはお前を凌ぐ王子となるだろう。
 ――……ロゼウスを教育するのは、お前の役目だ、ドラクル。
 ――あの子をお前に代わる完璧な、最高の王にしろ。お前の全てを、あの子に。それが私からの、私から全てを奪おうとしたフィリップとクローディアへの復讐だ。
 ――復讐……。

 復讐、復讐、復讐。
 ああ、またそれか。
 あなた方はそんなものに囚われてばっかりだ。
 そして私も今は……それに囚われている。

 ――だからお前も協力しろ。私が憎いのはあの二人。私を裏切ったのはあの二人だけなのだから。ああ、そうだ。お前に罪がないことなどわかっている。王子ではなくなっても、お前の事は決して悪いようにはしないと、約束するから……。
 王位継承権を奪い不名誉な事実の暴露と共に王城から追いやるのは酷いことではないと言うのだろうか。これまで実の親子と思っていたものを、他人だと知れた途端に虐待するのは酷いことではないと?
 だからドラクルはブラムス王を殺した。ヴラディスラフ大公フィリップを殺した。第一王妃クローディアも第二王妃マチルダも第三王妃アグネスも殺した。皆殺して、薔薇の下の闇に埋めた。己の出生の秘密ごと。
 あとはロゼウスを手元に置いて彼自身の復讐を果たせば完璧……であるはずだった。
 ――兄様。
 いつの間にか復讐の手段としてのロゼウスではなく、彼自身を求めるようになっていた。
「どうして……」
 こうも上手くいかないものなのか。自分の心なのに。
「だから言ったでしょう。それだけでは不足だと」
 口には出さぬ内省の闇が聞こえたように、いつの間に入り込んだのやら扉の脇に立ったルースが声をかけてきた。
 魔術師でもないのに神出鬼没なこの妹の気配に慣れているドラクルは、特段驚くでもなく彼女の方へ顔だけを向ける。
「ルース」
「ご機嫌はいかがですか? 陛下」
「最悪だ……」
「まぁ、それは大変」
 ちっとも大変だと思っていない口調でルースが言う。いつも通り小さな笑みを湛えたその口元に、ドラクルは酷く気だるげに問いかける。
「ルース……何の用だ」
「酷いお言葉。用がなければ来てはいけませんか? ……まぁ、今は言葉遊びをする気分でもなさそうなので、要件だけ」
 足音を立てずに寝台に近づいてきたルースは、ドラクルの側に半身を捩じるようにして座る。
「シェリダン王たちは牢に入れました。アンリ、ロザリー、メアリー、ジャスパーも一緒です」
「ああ」
「拘束する際にジャスパーの選定紋章印を確認しました。あれは確かに次代皇帝の証です。そしてプロセルピナ卿は見つかりませんでした。城内から気配が消えているので、逃げたようですね」
「そうか」
 気のない様子で短い相槌を打つドラクルの方へ、ルースは身を乗り出す。
「お兄様」
「……」
「私が前に言ったこと、覚えていらっしゃいますか?」
「何のことだ?」
「ロゼウスのことです。この子を傷つけるのであれば、シェリダン王を狙うのが一番だと」
 ロゼウスの名を聞いて、ぴくりとドラクルの肩が震える。毛布がずり落ちて、裸の上半身が露になる。
「……ルース?」
「ちょうど良いではありませんか? 今なら役者は全て揃っています。シェリダン王を殺してしまいましょう」
 ルースはあくまでもにこやかに続ける。話の内容が内容だけに、その笑顔との落差が恐ろしい。
「お前……」
「せっかく連れて来たけれども、ロゼウスはあなたに従わなかったのでしょう。でしたらもう、口で言ってこの子を繋ぎとめるなんて不可能ですわ。鎖よりももっと強力な呪縛をロゼウスにかけましょう」
 寝台脇に置かれた銀の枷と鎖をちらりと一瞥し、ルースは囁く。
 白い肌に白い髪の美しい天使のような美女は悪魔のように囁く。
「シェリダン王を殺してしまいましょう? 彼を殺せば、もうロゼウスの心を縛る者はいない」
 その声は甘く、人が超えてはならぬ闇へと簡単に誘う。
「私は……」
「欲しいのでしょう? ロゼウスが」
追い討ちをかけるようににっこりと微笑み、ルースはドラクルを誘導する。
「殺しましょう、シェリダン王を。殺してしまいましょう、ロゼウスの心を奪う者を」
 歌うように繰り返される言葉を聞いているうちに、釣り込まれるようにドラクルは頷いている。
「……そうだな」
 あんな男、殺してしまえばいい。
 唆されたその言葉をドラクルが彼自身のものとして受け入れる。ルースはこれまでとは違う笑みをその唇に乗せて、彼の部屋を出て行く。
 きっと次に会うときには、ドラクルの中でその考えはまるで最初から自分の中にあったもののように馴染んでいるに違いない。

 ◆◆◆◆◆

「役者は揃ったわね」
 魔力によってシェリダンたち一行が牢獄にぶち込まれ、怒り心頭のドラクルがロゼウスを監禁している自室に向かったのを知って、プロセルピナは王城に存在する隠し部屋の中で一人微笑んだ。
 どこの城にも、隠し部屋や秘密の避難経路というものは付き物だ。ローゼンティア王城内のそれは代々の王族が趣味で作らせた部分もあるらしく、構造は入り組んでいて数が多い。隠れるのには最適であり、多少の誇りっぽさを除けば居心地も隠し部屋とは思えないほど快適だ。
 彼女はそれらを上手く使い、シェリダン等をドラクルの前へ引き出して謁見の間から退散して以来城中を逃げ回っている。ルースがドラクルの命を遂行するために自分を探し回っているのは知っているが、出て行くつもりはない。もちろんルースがプロセルピナを探し回っているというのも表面上のことだ。何しろドラクルがプロセルピナを探させているのはロゼウスが皇帝であるという事実を確認するためだが、そんなものはわざわざプロセルピナを探さずとも、巫女であるルース本人がさっさとドラクルに告げれば良いのだから。
 ルースがドラクルにそのことを隠しているのを、プロセルピナは黙っている。
そしてその代わりのように、プロセルピナの思惑もルースは恐らく黙っているだろう。二 人は未来を見る者特有の考えで、この事態を自分の都合の良いように動かしている。
「彼女は彼女に都合の良いように、私は私に都合の良いように」
 行き着く先は同じだが、細部の調整は自分でやらなければならない。そう、例えばプロセルピナは当初こそロゼウスたちを手助けしたが今回ドラクル方についたことで敵に回ったと見なされている。今はまだ警戒されている程度だが、事態が進んで正式にロゼウスが皇帝となった暁には彼に敵視されるのはまずいだろう。シナリオの上で必要だったとはいえ、こうしてドラクル方に協力したことで下げた評価を今度は上げねばならあい。その方法も、すでに考えている。
 だが、それはまだ先の話だ。とにかくはこのローゼンティアでの案件が終わり、舞台を移してからの。
 そのためにプロセルピナはまた暗躍する。
「……ねぇ、ちょっといいかしら」
 隠し部屋から出て、城内を歩きまわる。王城には現在国主となったドラクルに会うため、日夜ひっきりなしの貴族たちが訪問する。これが平和な頃であれば城下の平民なども訪れるが、今は先の戦争とその後おエヴェルシードの支配などにより疲弊した民は城に通うような余裕はない。
 自然と城を訪れるのは貴族たちが主となる。しかし王にどうやって取り入るかという思考の有無を除けば、貴族も平民も不安がっていることは一緒だ。つまりこの国はこれからどうなってしまうのか。
 そして更に一部の貴族や民の中には、新王の体制に不満を持つ者も多くいることをプロセルピナは知っている。
 彼女はそんな、現王権に不満を持つ貴族の二人組に声をかけた。
「貴方たちを見こんで、お話したいことがあるのだけれど……」
 その二人組はドラクルの体制にはっきりとした不満を持つ一派だということを加えても特に変哲のない貴族で、顔立ちから皇帝デメテルの血縁とすぐに知れるようなプロセルピナが彼らを見込む理由もなければそんな機会もありはしない。しかし貴族と言うだけで無駄に自尊心の高い彼らはそんなプロセルピナの言う事を疑いもせず、彼女の話に聞き入る。
 ローゼンティアを案じる風を装って、最近のドラクルの暴走振りをいかにも気遣わしげに口にした彼女の言葉を。
「やはり、このままあの方を王として仰いでいては……」
「ああ、カルデール公やカラーシュ伯など、あの方の即位を支えた一部の者たちは心酔しているが、今のあの方の有り様は……到底、一国の主に相応しいとは思えないからな……」
 言葉巧みに貴族たちにドラクルへの不信感を植え付けながら、プロセルピナは一人ほくそ笑む。