荊の墓標 43

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 王城の外では、煽られたとも知らず怒り狂う民衆が鬨の声をあげている。王を殺せ、その首を刎ねろと叫び続ける。
 謁見の間は静まり返っていた。それは遺体のない通夜だった。王自ら処刑した裏切り者の弟の。
 処刑広間に散った朱。
 裏切り者?
 裁かれたのは、果たしてどちらだったのだろう……?
 宝石と金で飾り立てられた美しいハリボテのような玉座に座り、ドラクルは一言も発しない。居心地の悪い沈黙の静寂の中にルースとアウグストは同席を強いられる。強いているのはドラクルではない、彼ら自身の愛情だ。
 ルースは表情を変えないが、アンリのことはアウグストにとってはかなりの衝撃だった。震える全身に動揺が広がり、逃げるロゼウスたちを追えもしなかったほどの。
 ローゼンティア王家の兄妹は大体年齢が上の方の集団と、年下の集団で別れていた。
 ドラクルとアンリは母親違いの年子の兄弟で、母妃たちの思惑のせいで競わせられてはいたが、それでも基本的に仲が良かった。立場からいけば王位をも狙える第二王子であったアンリはドラクルに一片の叛意を持つこともなく、王になったドラクルを支えることを目標に精進していた。
 ドラクルとアンリ、そして第三王子のヘンリーとその友人アウグストで、いつも盤上遊戯を楽しんでいた。勉学の間の休みに、四人は示し合わせたように集まり、時には顔を出したルースが混ざり、ケーキを焼いただのとアンが差し入れを持ってきて。
 身分違いにも関わらず親しく接してくれたアンリはアウグストにとっても兄のような存在だった。敵対した時にいつかこのような瞬間が来るとは覚悟していたはずだった。なのに……。
「お葬式の準備完了、と言ったところね」
 突然、空中から声がかけられた。
「プロセルピナ姫」
 前触れもなく魔術でその場に現れたプロセルピナが、室内の状況を見回して一言。
「外では国民たちが王を殺せと喚きちらしているのだけれど、放っといていいの? ドラクル王」
「……ああ」
 本来なら兵士を率いて鎮圧に赴かなければならないのであろうが、今のドラクルにその気力はなかった。
 最近特に民衆に対して弾圧を加えたわけでも粛清をかけたわけでもなければ、ここまで恨まれるわけも実のところよくわかっていないというのが現状だ。簒奪の真実も一般の国民は知らず、ドラクルたちの陣営が流した情報どおりにブラムス王を討ったエヴェルシードを退けて国を取り戻したと受け止められているはずなのに何故。
 実際はプロセルピナが元から反抗心を持つ貴族を炊きつけその貴族たちが民衆を誘導した結果なのだが、ここにいる中ではルース以外はそのことを知らない。
 だが、敵意はこれ以上ないほど突き刺さる。この国の民に王として歓迎されていないという。それと先程のシェリダンの言葉「貴様は王の器ではない」という指摘が突き刺さる。
 そんな中、またしてもプロセルピナが凶報を、そして訃報を告げた。
「アン王女とヘンリー王子は死んだわ」
「!」
 アウグストが顔色を変える。ドラクルもゆっくりと顔を上げた。彼らの様子には一切構わず、プロセルピナは淡々と続ける。
「城下で暴動の第一弾が起こった際にそれを鎮圧に出たそうよ。だけど民にとっては二人も恨みの的とされて、追われる羽目に。混乱状態を落ち着けたはいいものの、それを終えた後は自分たちが追われる羽目になって、最期は森の中で二人命を絶ったそうよ」
 できる限りのことをして、最期は心中したということだ。
 アウグストが床に崩れ落ちる。一番の親友の死に、爪が食い込むほど額に手を当てた。
「ヘンリー……」
 アンリは死んだ。ヘンリーも。
 アンもミカエラもミザリーもウィルももういない。

 白い手が自らの駒を動かし、相手軍の王をとる。
 ――やっぱりあんたは凄いな、ドラクル。敵わないよ。
 ――そんなことはないよ、お前だって強いよ。私だってすぐに追い抜かれてしまいそうだ。もっとも、そうならないように努力はするけどね。
 ――今だって俺より強いあんたにこれ以上努力なんてされたら、俺いつまでだって勝てないじゃないか。
 できるならあの平和な頃に還りたい。何も知らなかったあの頃に還りたかった。
 だが、もう二度と取り戻せない。取り戻せるはずもない。
 奪ったのは他の誰でもない、自分だ。責めるべきは自分だ。

「ドラクル王」
 プロセルピナが問いかける。
「この先どうするの?」
 答えずにドラクルは全く別の質問を彼女に返す。
「プロセルピナ、何故あなたは私にロゼウスが次代皇帝であることを黙っていた?」
 預言者として知られるのは彼女の弟であるハデス、しかし皇帝は万能だ。予言の力を持っていることもあるかもしれない。そしてシェリダンの口ぶりでは、プロセルピナもそのことを知っているようであった。
「今言うつもりだったのよ。ロゼウス王子たちは皇帝領に向かったわ」
「行き先がわかるのか」
「ええ。移動を担当したのはハデスだもの。あの子のことならね」
「……」
 プロセルピナがロゼウスが皇帝であるという事実を黙っていたこと、元はと言えばそれが今回のできごとの引き金だ。しかしそれがなかったとしても、どうせドラクルはロゼウスを欲していた。彼を奪いシェリダンを殺そうとするだろう。それなら、結局最期は変わらないのかも知れない。
 もう、今ではプロセルピナを責める気も起きない。責めてどうなる相手でもないということもある。ドラクルが殺そうとして殺せる程度の相手ではないのだ。この元皇帝は。
 王城の正門は暴徒たちが詰め掛けて今にも決壊しそうだという。城内に残っている兵やそれ以外の部下たちが怯えていた。
 この国にドラクルを支持する民はいない。支持する王族であったアンとヘンリーも、もう……
 全ては滅びに、終わりに向かうばかりだ。
「さぁ、どうするの? ドラクル」
 先程のプロセルピナと同じように、ルースも問う。何も言わずとも、彼女はドラクルについてくるのだろう。
 ドラクルの行き先はどこにもない。ローゼンティア。この国だけが彼の欲しいものだった。そうだと思っていた。今までは。
 今は?
「今でも、まだロゼウス王子を追うの?」
 ローゼンティアが滅び、滅びなくともドラクルを排斥しようとする今、彼の欲しいものはロゼウスだけだ。
「ああ」
「陛下!」
「アウグスト、お前は、ここに残ってもいいぞ?」
 最後まで自分についてきてくれた部下に、ドラクルは声をかける。彼だけではなくカラーシュ伯爵フォレットや、女公爵クレイヴァ、ラナ子爵ダリアなどもいるが国の四方を治める彼らも自領地の混乱を鎮めていて連絡がとれない。
 これが最後の決戦だとわかっていた。ドラクルはそこで己の運命を占う。ロゼウスを手にいれられるか、いれられないか。それによって彼の命運は決まる。
「……私は最期まで、あなたと共に。ドラクル陛下……」
 アウグストが跪き頭をたれる。
 ドラクルは微笑んで頷き、プロセルピナを振り返る。
「ロゼウスを追う」
「いいの? それで」
「ああ。移動を頼めるか? できれば、もう裏切らないでくれると嬉しいが」
「そうね。ここまで来たらもうね。あなたの力を出し切りなさい」
 結末はわかっていながら、それでも進む。プロセルピナの口調も滅びを予感させながら、だからといってドラクルを止めるようなことはしない。
「私の空間移動はハデスほど高等ではないから移動には丸一日かかるわよ? 皇帝の力を失って座標計算もできなくなったし、それでもいい?」
「なんでもいい。かまわない」
 そして彼らは最後の戦いへと赴く。
 負ける気はない。勝ちたいとは思う。だが負けるのだろうとわかっているその戦いへと。
 わかりきった結末でも、それでも抗うのだ。

「……人間とは、本当に愚かなものよね」

 開かれた異空間が、彼らの姿を終わりへと運ぶために飲み込んだ。

 《続く》