荊の墓標 46

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「もうやめようよ! 兄様!」
 先程は戦うと告げたが、今またやはり、迷いがロゼウスの胸の内に渦巻いている。
「今更くだらん戯言を言うな!」
 ドラクルはロゼウスの言う事にまったく聞き耳もたない。一度はアウグストの負傷により失いかけた冷静さを取り戻しているが、それもまた戦いの興奮という形でやがては飲み込まれていく。
 形勢は入れ替わり続け、今ではもうどちらが有利であるのかもわからない。戦っている相手にも、場所にもよる。ロゼウスとドラクルはお互い全力を出し切り、その一撃一撃の応酬こそ目まぐるしく目にも留まらぬ速さだが、実力自体は拮抗していてどちらが抜きん出ているということもない。二人とも誰よりも激しく動き回りながら、息一つ切らしていないのだ。
 ドラクルが大剣を振りかぶれば、ロゼウスがそれを受ける。刀身の削りあいになるかと思った瞬間ロゼウスはそれを外して一転、攻勢に出る。脇腹を狙った一撃をドラクルは剣を盾にして防ぎ、そこでまた僅かに空いた場所をロゼウスが今度は突くようにして狙う。ドラクルはかわす。
「どうした! ロゼウス、お前は皇帝になるのだろう!? まさか世界を支配せしめる皇帝の力量が、この程度だとは言わぬだろうな!」
「……っ!」
 ドラクルの連撃によって一度弾き飛ばされたロゼウスは、床に焦げ目が着きそうなほど音を立てて滑りながら着地する。無様に壁際まで薙ぎ払われ激突することこそなかったが、一度相手のいいように距離を取らされたという事実が痛い。
「本気を出せ!」
 半ば自棄のような真剣さで、ドラクルは弟相手に叫ぶ。これまでも国で兄弟「ごっこ」を続けていた間は何度も手合わせしてきたが、果たして自分たちの間に、どれほど真剣な戦いがあったというのだろうか。
 本気で、殺す気でやればいいのだ。
 愛しさも憎しみも全て全て込めて、もうどちらかがどちらかを追いかけ続けるこの道を塞いでしまえばいい。昔はロゼウスがドラクルを、今はドラクルがロゼウスを、追い続けるのにも追われるのにも、疲れたのだ。
「……ドラクル!」
 人間の目からして見れば両者とも超高度な剣技を持っているのだが、それでもヴァンピルの戦いに詳しい者が見れば違いは一目瞭然かもしれない。
 はじめは互角に見えていたドラクルとロゼウスだが、時が経つにつれてその差が明らかになってくる。
「このっ!」
 ドラクルが仕掛けた攻撃を、ロゼウスは剣で受け止める。ロゼウスが仕掛けた攻撃も同じようにドラクルは受け止めるのだが、この「同じように」というところが問題であった。
 ドラクルとロゼウスであれば、ドラクルの方が体格がいい。それに伴って、本来であればドラクルの方が腕力が上であらねばならない。
 だがロゼウスはドラクルの攻撃を、ドラクルが彼の攻撃を受け止めるのと同じように受けとめることができるのだ。それはつまりドラクルの攻撃がさほどしかロゼウスに効いていないということ。ドラクルがロゼウスに勝るはずの僅かな強みが薄れていく。
 鍔迫り合いの末に拮抗していた力を、ついにロゼウスが跳ね返した。
 得物を弾き飛ばされることこそなかったがドラクルは後退を余儀なくされ、体勢が崩れる前に自ら背後へと飛び退く。剣を構えなおしたロゼウスが叫んだ。
「もう諦めろ! ドラクル=ローゼンティア!」
 段々と荒くなってきた呼吸を整えつつ、ドラクルがぎり、と唇を噛み締める。苛立ちは薄い皮膚を食い破り、紅い血がつうと伝った。
 その鉄錆を舐め、己の気持ちを何とか落ちつけようとする。血は狂気、血は麻薬。だが自分の血では狂えない。
 ヴァンピルが狂うのは、他者の甘い血を口にした時だけ――。
 まだ呼吸を乱すことのないロゼウスに、劣勢が目に見える形で明らかになりつつある戦況を見て取ってドラクルはますます瞳に剣呑な光を宿す。そんな彼の様子を知ってか知らずかロゼウスはひたむきな眼差しでかつての「兄」へと呼びかけた。
「もうやめようよ! 兄様!」
 叫ぶ方も叫ばれた方も悲痛な顔をしている。何故、こんな戦いを続けなければならないのか。
「あなただってさっき見たはずだ。この戦いでも、ひとは死ぬ! 大事な部下を殺してまで、あなたは何を得る気だ!」
 生きていなければ意味がない。生きていなければ。
 ロゼウスの心にあるのはいつもそれだけだ。できれば側に、一生ずっと一緒にいたい相手でも、それが叶わないのならばただ生きていてくれるだけでいい。そう考えているから、あの時だって国で生き残った民を救うために簡単にシェリダンに身を差し出すことができた。
 優しかった乳母も年上の婚約者もアンリもミザリーもミカエラもウィルもみんなみんな死んでしまった。死んでしまった者は、還っては来ないのだ。
 失って失って失って、代わりに何を得るというのだろう。
「俺はもう誰かを失うのは沢山だ! あなただってそうだろう! 本当は殺したくなんてないはずだ!」
 ロゼウスは知っている。
 ドラクルはすぐ下の弟であるアンリを愛していた。彼を手にかけた時はきっと、とても平静ではいられなかったはずだ。
 アンリだけではない、死んだと聞かされたアンのこともヘンリーのことも、本当は養父であるブラムス王のことだって愛していたのだ。けれどもう彼らを冥府から取り戻すことはできない。
 ドラクルだとてきっと、これ以上親しい相手を失うことを好まないはず。
 ならば、何故こんな風に今も戦わなければならないのか。
「どんな望みがあったって、生きていなければ意味がない!」 
 言葉を口にしたその瞬間、ロゼウスはずっと、その台詞の意味は絶対なのだと信じていた。それ以上の真実はないのだと。
 だが、ドラクルはそんなロゼウスを、蔑む価値もないと嘲り嗤う。
「馬鹿者が」
 荒げた呼吸、頬には一筋の傷ができ、服の裾も破れている。これまでの戦いの間にできた傷で惨めな姿となりながらも、ロゼウスを嘲笑うドラクルの暗い確信に満ちた表情は昔と変わらない。
「だから私はお前が嫌いなんだよ、ロゼウス。お前が憎い」
「兄様……」
「ふざけるな。失う、だと? それはお前が、最初から持てる者だからだ。何かを持っているからそれを失うのを怖がっているだけだ。ローゼンティア王家の血も、名誉も、両親の愛情まで、お前は全てを持っていた! その上、次代皇帝となるべき才能まで!」
 燃えるような憎悪を瞳に滾らせ、ドラクルはかつての「弟」を睨み据える。
「私は何一つ持っていない! 生まれたとき、この命以外は何も持っていなかった!」
 これまでロゼウスに、幾度となく暴力の形で与えてきた激しい苛立ち。それに名をつけるとすれば、あるいは「嫉妬」なのかもしれない。妬み、嫉み。
 誰よりもお前を羨んでいた。
「お前は与える側だ。いつもいつも、私に身を《差し出して》いただろう。奪われたのでも貰ったのでもなく、お前は私にすら施しを与えていたんだよ、《王子様》!」
 生きているだけでいいのだとロゼウスは言う、ドラクルにはそれが、何よりも傲慢な考えに思える。生きているだけでいい? ロゼウスがそう言えるのは、自分自身のことも生きているだけであれば、それでいい存在だと思っているからだ。確かに彼はそうかもしれない。
 だが、ドラクルは違うのだ。
「生きていなければ意味がないだと? 馬鹿な、ただ生きているだけの命に、何の意味があるという! 誰に祝福されて生まれてきたわけでもないこの呪われた生命は、自分で何のために生きるのかを規定しなければ意味がない!」
 ――お前は大切なことがわかっていない……
 脳裏に不意に蘇る、寂しそうに、諭すように告げたシェリダンの声が目の前のドラクルの歪んだ表情と重なった。
 憎悪を瞳に滾らせながら、しかし彼の表情を占めているのは決して怒りと憎しみだけではない。
 まるで今にも泣きそうで。
「にい、さま……」
 ロゼウスは己の残酷さをようやく思い知る。

「生きているだけならば、意味はない」

 何もせず、何も感じずにただ生きているだけの人生ならば、意味はない。
 はっきりと言い切ったドラクルの口元が、またすぐに歪む。
「何かを成さねば、何かを手に入れなければ、そうでなければこの人生に意味はない」
 穏やかな愛情に包まれて、緩やかに生きていけるのならばそれに越したことはないだろう。
 ただそこにいるだけでいい。
 そう、誰かに言ってもらえるのであれば。自分をこの世に生みだしたひとがそう思ってくれるのであれば。
 その命、その存在こそ光だと。
 だけど――。
「私は生まれた時から何も持っていない。持っていると思ったそれは全て幻だった」
 両親の本当の子ではなかった。
 父だと思っていたひとは自分を虐待した。
 自分の存在を作り出すのに一役買った偽りの母は、本当は自分を憎んでいた。クローディア妃は表向き息子の立場にありながらも自分ではない下賎の女が王弟との間に作った子が、王の寵愛を受けるのが憎らしかった。
 誰もがドラクルの存在をただ自分のために利用しようとして、作り出した。
 生きているだけでいい。そういわれるほどのものをドラクルは持っていない。
 何かを成さねば誰も彼を愛してくれはしないのだ。ただそこにいるだけでは、駄目なのだ。
 だから努力して努力して、努力して。
 それでも結局は手に入らない。
 そう、確かに生きていなければ意味がない。
 だが、ただ生きているだけでも駄目なのだ。
「私はどうすればいいと言うのだ。これ以外何か道はあったのか?」
 誰に問いかければいいのかも、もはやドラクルにはわからない。
 だから、自分で決める。
「ロゼウス」
 名を呼ぶとこれまで硬直し呆然としてドラクルの話を聞いていたロゼウスがびくりと身を震わせた。
「私の悲願の成就のため、お前はここで死ね!」

 ◆◆◆◆◆

 まともにやりあっても勝てない事はすでにわかった。
 ではどうすればいいのか。
 もはやなりふり構っている段階でもない。
 最初から死ぬとわかっていてここへ来た。
 皇帝の力は強大だ。こちらには元大地皇帝プロセルピナがいるが、ロゼウスの力は本来彼女を遥かに上回るものだという。まだ覚醒しきっていない状態でこのていたらくなのだから、正攻法で戦っては一生勝てないに違いない。
 ドラクルはそう計算する。同じ室内にはルース、アウグスト、プロセルピナもいる。
 広間の中は、すでにあちこちが壊れている状態だ。虹色の光を床に落としていたステンドグラスも無惨な有様になっている。プロセルピナやハデスのような魔術師、それにローゼンティアの中でも破壊魔呼ばわりされていたロザリーなどもいるのだから、この惨状もある意味当然だ。
 砕け散った壁、欠けた大理石の床を見ながら、ふとドラクルは考える。
 白い光が天窓から明るく差し込んでいる。
 唇は臣下と妹の名前を呼んでいた。
「アウグスト、ルース」
「ドラクル?」
 ロザリー、ジャスパー、ローラ、エチエンヌたちと戦っていた二者が攻撃の隙間を縫って意識をこちらに向ける。
「私と一緒に心中してくれる覚悟はあるか?」
突然のドラクルの問に、アウグストが一瞬驚愕の表情を浮かべる。しかしその顔も次に向けられたローラたちの攻撃を防ぐためにまた厳しいものとなる。
「それはどういうことかしら? ドラクル」
 ロザリーの相手をしながら、ルースは器用にドラクルに尋ねる。力任せの戦い方をする妹をひらりとかわすと、一度ロザリーから距離をとった。
「ここで負けるくらいならば、私は相打ちを選ぶ」
「ドラクル」
 私の思い通りにならないのであれば――。
「皆、死んでしまえばいい」
 広間を睨み据える紅い瞳にはもはや紛れもない狂気が浮かんでいる。
「兄様!?」
 ドラクルの相手をしていたロゼウスはまだ彼の意図がつかみきれないものの、いやな予感を覚えてその行動を止めようと駆け寄る。
「ルース!」
「アウグスト、しばらくそちらをお願い!」
 しかし四人の相手をアウグスト一人に一時的に任せ、飛び出したルースがロゼウスの前に立ちはだかる。彼とドラクルの間の戦場に立ち、ロゼウスを足止めする。
「退いて! 姉様!」
「いやよ、ロゼウス」
 ロゼウスが剣を振りかざすや否や、ルースはこれまで空だった手の中に魔力の剣を作り上げた。それでロゼウスの攻撃を受け止める。
「くそ!」
 ルースの攻撃はさすがに力こそドラクルほどないが、まったく抜け出す隙を与えてくれないものだった。底知れない彼女の性格の通りに、こちらのもっとも嫌なタイミングで仕掛けてきて、いつの間にかそのペースに翻弄されている。
「ロゼウス、私は最後までドラクルの味方なの。この世界と彼を選べと言われても、ドラクルを選ぶわ」
 的確でありながら華麗な剣さばきでロゼウスの攻撃を防ぎながら、ルースが言う。
 ガキン、と嫌な音がして一度二人は得物同士を離し、お互いに距離をとる。
 ドラクルとロゼウスは本来従兄弟、しかしルースはクローディア=ノスフェルを母に持つ、片親とはいえ血の繋がった姉だ。それでも彼女は、ドラクルを選ぶという。同じ片親同じ兄妹ならばロゼウスではなくドラクルを、と。
 彼女にそんな選択をさせるものが何なのか、ロゼウスはその答をすでに知っている。あの時聞いてしまった。
「意味はわかるわね。だから、私が退かないのもわかるでしょう」
 そっと微笑を口元に刻みながら、しかしルースに隙はない。再び打ちかかってくる彼女の前では、どんな説得も無意味。
「だったら、俺もあなたを殺す! 俺だって、死なせたくない人がいるから!」
 一瞬、ほんの一瞬だけルースが憐れむような光をその瞳に浮かべた。
 それは夜空を指してお月さまが欲しいと駄々をこねる子どもに向けるように、呆れたように面白がるように、憐れむ光。
 その光に何かの予兆を感じてロゼウスは一瞬ハッとした。しかし次に聞こえたドラクルの言葉に、それどころではなくなる。
「さすがに建物自体が潰れてしまえば、誰も生き残れはしまい」
「なっ――」
 過激な発言は思いがけず広間中の者たちの耳を打ち、全員が彼の方を振り返る。
「さぁ、共に地獄に堕ちようではないか」

 ◆◆◆◆◆

「駄目だドラクル!」
 ドラクルの言葉に、真っ先に反応したのはハデスだった。
彼は何かに気づいたように、必死の形相で今は敵対している男相手に呼びかける。
黒髪を振り乱し、手にしていた魔力で作った武器まで取り落とす始末だ。しかし彼と同じく呆然としてから何かに納得したような表情を浮かべたプロセルピナは、その絶好の好機にも関わらず攻撃をしかけない。
「それは駄目だ、それは――!」
 今はドラクルの発言に驚いた全員が動きを止めているため、ハデスのその声はよく響いた。しかし耳に届いたところで、胸に響かない言葉には意味がない。
「ありがとう、ハデス卿。あなた方のおかげだよ。皇帝の居城とはいえ、この建物の強度は一般的な建築物と何ら変わらない。つまり」
 制止の声も虚しく、ドラクルはハデスの方に顔を向けると、この緊迫した場面にはそぐわない艶やかな笑みを浮かべる。疲れやつれた顔に灯る、爛々とした生気。
 病んでいる。
「私でも壊せるということだろう」
ドラクルがその右腕に魔力を集中しはじめた。
 確かに魔術を駆使して戦っていたハデスやプロセルピナの足下には壁や床の一部が壊れ崩れた瓦礫の破片が転がっている。しかし、いくら強靭なヴァンピルと言えど、これだけの規模の建物を一人で破壊できると言うのか?
 この広間は宮殿の最上階にある。一たび床を破壊されてしまえば、ゆうに七階分は落ちる計算になる。
 ロゼウスたちヴァンピルはその身体能力のために、五、六階建ての建物から落ちたくらいでは死なない。だが建物自体を破壊した瓦礫の降る崩落に巻き込まれてそれでも無事かどうかはわからない。
 そしてヴァンピルでさえそうなのだから、この場にいる普通の人間たちは――。
「全員逃げろ!」
 いち早く危険性を察してシェリダンが叫んだ。
 こうなればもはや敵も味方もない。ルースとアウグストに向けて心中する覚悟はあるかと問いかけたドラクルの目的には策略も計画性も何もなく、ただこの建物ごと全てを破壊してしまおうという意図が明らかだ。
 ローラやエチエンヌが蒼白な顔をしている。リチャードも苦渋の表情を浮かべ、ロザリーは固まってしまっている。あの冷静な鉄面皮であるジャスパーでさえ動揺しているのだ。
 ドラクルが行動を止める様子はない。彼は本気でロゼウスたちを道連れにするために、自分の妹や部下ごと、むしろ己の命ごと皆を殺そうとしている。
 ハデスが全員を逃がそうと空間移動の術を用意し始める。けれど完成しようとしたそれを、誰かが阻んだ。
「くっ! ……う、ル、ルース姫!?」
 投げられた短刀に集中を崩し、脇腹から出血しながらもハデスは己の行動を妨害した相手を見つめる。短刀を投げたのはルースだ。
「どうし……」
「ドラクルの邪魔はさせないわ」
 行動を止めるだけにしては、投げられた刃は深くハデスの脇腹を抉った。激痛より先に失血のショックが来たらしく、ハデスが意識を失ってその場に倒れる。
「ハデス!」
 プロセルピナが弟の名を呼んで駆けつけた。ハデスの身体は出血が酷く、今すぐにでも治療しないと危険な状態だ。
 魔術師ではあるが、彼女には皇帝であったときに使った移動手段である座標転移が、皇帝でなくなった今では使えない。空間に避け目を作りそこを通るという方法は彼女の能力に合わぬため時間がかかり、ハデスの怪我を癒して彼にその方法をとってもらった方が早い。
 そして絶望的なことには、彼女たちがそう行動を起こすよりも更に、ドラクルが宮殿を破壊するための力を注ぎ込む方が早いということだ。
「アウグスト!」
 脱出を目論むロゼウスたちとは裏腹に、ルースと彼女に呼びかけられたアウグストの中にドラクルの決定に逆らうという選択肢はないようだ。ロザリーたちが動揺している隙を狙って、攻撃を仕掛けてくる。
「こんなことしてる場合じゃないでしょ! 早く逃げなきゃ! いえ、それよりもドラクルを止めてよ!」
 ロザリーの言葉もルースやアウグストは聞かない。動揺から一転して緊迫した状況に陥り、事態は混乱を極める。
「逃げなさいよ!」
「逃がさない!」
 誰もが本気である言葉はそれ故にかみ合わない。ロザリーたちはルースやアウグストたちも助けたいのだが、彼らにその気はなく、ただドラクルの決定に従うという忠義のために死のうとしている。
「シェリダン!」
 ルースやアウグストの必死な攻撃に阻まれて、もはやドラクルを止める事は叶わないとロゼウスは見て取った。
「ロゼウス!」
 ロゼウスはシェリダンに、シェリダンはロゼウスに向けてお互い駆け出す。彼らがそれまでいた場所は広間の対極で、伸ばした指が届くのには遠い。
 ドラクルが魔力を込めた剣を振り上げて突き立てる。
 次の瞬間、彼らの足下で広間の床が地割れのように割れ砕けた。