荊の墓標 47

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『必ず帰って来てね!』
 うん、ロザリー。わかっているよ。
 どうせ俺は、死ねはしない。

 プロセルピナに連れられてロザリーたちの姿が消えたところで、ロゼウスは視線を階上へと戻した。
「用意は整ったか? ロゼウス」
 嫣然と微笑んでドラクルは「弟」を見下ろす。
「うん」
 小さく頷いたロゼウスは、一飛びにドラクルたちのいる六階まで上がってきた。とん、と身も軽く地面を叩く。床がこれ以上崩れる様子はない。
「そっちこそ、死ぬ準備はいい? ドラクル」
 恐ろしいことを口にするロゼウスの様子は不思議に落ち着いている。否、これは――
「懺悔の時間の始まりか?」
「いや、もう終わる」
 冷静そうに見えて、実際のロゼウスの中には熱いマグマのような感情が燃えている。大気に触れて冷え固まった表面の奥に、燃え滾るものがある。
「もう、何もかもが手遅れなんだ、ドラクル」
 他者が思っているほどには、本来ロゼウスは自分の感情を表に出さない者だ。それが証拠に、彼がドラクルに十年に渡って虐待されていたことを知る者は少ない。
 いつも自分の内にその痛みも苛立ちも閉じ込めてしまっているロゼウスが、今はこれまでとは違った様子で感情をあらわにしている。作り笑いが消えた奥に、憎悪の炎が滾る。
 その炎の揺らぎは、誰かに似ているとドラクルは思った。そして気づく。ああ、これは私だ。
 終わることなき憎悪の連鎖。癒えない傷から流れ続ける血。
 これはドラクルと、そしてあのシェリダン=エヴェルシードと同じもの。
 ロゼウスの中から何かが欠けて、代わりに何かがその欠けた部分に埋め込まれた。目の前にいる白銀の髪と深紅の瞳の弟の姿の中に、どこかあの藍色の髪に朱金の瞳を持つ少年を感じる。
 瓦礫の山の下で何があったのだろう。ひとは愛しい者を失うと、これほどまでに代わるものなのか……。
 だが、そんなものドラクルにはどうでもいい。
 要はこれから戦って、勝てばいいだけだ。シェリダンが生きていようといまいと、目の前にいる相手がロゼウスであることに変わりはない。
 その時になっても、ドラクルはまだそう考えていた。
「ロゼウス王子! お覚悟を!」
 ロゼウスがゆっくりと足を進める。途中、狭い足場の脇にアウグストの姿があった。武器を手にした彼は、あまりにも堂々とドラクルに近づく素手のロゼウスに斬りかかろうとして。
「――え?」
 何が起こったかわからないというような、不思議そうなアウグストの声。凛々しい青年の顔つきが、一瞬呆けたように緩み、幼さを見せる。
 振り上げた剣を振り下ろす前に、その胸からは血に濡れた手が生えている。
 左胸、心臓の位置を狙い違わずロゼウスは貫いていた。
「カルデール公爵!」
 悲鳴じみたルースの声に、ようやくアウグストとドラクルが反応する。
 しかしすでに遅く、無表情でアウグストの胸を貫いたロゼウスはそのまま手に力を込めた。腕が抜かれていないために、胸を刺されても出血はまだたいしたことない。だがロゼウスはその胸の奥を。
「……ッ!」
 心臓を握りつぶした。人体の中でも最も重要な臓器。これを潰されてはいくらヴァンピルが頑強だと言ってもたまらない。
 そして、先程一度死んで生き返ったばかりの彼に二度目を与えるつもりはロゼウスにはなかった。心臓を握りつぶしたあと、胸を貫いた手から魔術の炎を生み出し、残った身体を焼き尽くす。
 そうすれば蘇生も何もない。
「アウグスト!」
 ドラクルが呼びかけるも、あっさりと殺されたアウグストは主君に何か呼びかける間もなく灰となっていく。
「ロゼウス、貴様!」
 つかみかかろうとしたドラクルの腕を押さえ、逆にロゼウスは彼を階下へと叩き落とす。
「ドラクル!」
 ルースが叫んだ。ドラクルは六階の狭い床から、まだ残っている面積の広い四階まで落とされていた。これ以上の衝撃を建物に与えるのは悪いというのに、ロゼウスは微塵の躊躇もなく、ドラクルを乱暴に階下へと落としたのだ。
 自らも飛び降りる。四階の床の上に立ち、起き上がろうとするドラクルを見つめる。
 虫を見るような目、そうドラクルは思った。違う。確かにこれは今までのロゼウスではない。
 すっとロゼウスが手を伸ばす、身構えたドラクルに、階上からルースの声がかけられた。
「ドラクル! 後ろ!」
 正面に集中していたドラクルの隙をどうやってついたのか、気づけばロゼウスは彼の背後に回っていた。首筋を狙った一撃を避ける。
「ロゼウス!」
 ルースが自らへと注意を向けさせるように、ロゼウスの名を呼びながら飛び降りてきた。その両手の間に魔力をこめて攻撃を試みるものの、ロゼウスはあっさりとそれをかわす。
「邪魔だ、ルース姉様」
 一瞬だけ小さな苛立ちを眉間に寄せると、彼は何の感慨もない様子であっさりとルースの胴へ蹴りを入れ、瓦礫の山へと叩き落した。自分はルースを足蹴にしたその反動で四階に戻る。
「きゃあ!」
 破壊音が響き、瓦礫の山が崩れる。ルースの姿は短い悲鳴を最後にその中に埋もれた。僅かに覗いた白い手が血に染まる。
「ルース!」
 痛む身体を起こしたドラクルがその様子を窺おうと首を伸ばすも、妹の身を案じるその行動はロゼウスに止められた。服の襟を強くつかまれて動けない。
 自分が負傷しているからだけではなく、ドラクルは己の力ではロゼウスを振りほどけないことを知った。今の、銀の枷も何も身につけていない本気のロゼウスの力にはドラクルなど到底敵わない。
「くそっ!」
 ロゼウスに攻撃を仕掛けるというよりも隠し持っていた短刀でつかまれた自らの服を切るということをして、ようやくドラクルはその体勢から抜ける。
 距離をとって背後を振り返れば、拘束を外されたにも関わらずロゼウスはやはりひんやりとした表情を浮かべたままドラクルを見つめている。
 その様は兄弟だけあって、弟のジャスパーに似ていた。いつも穏やかな表情を浮かべていることの多いロゼウスが冷たい目をすると、ジャスパーにそっくりとなる。
「どうした? トドメは刺さないのか?」
 憎悪を感じるのに、攻撃が恐ろしいほど冷静で正確、動きには荒さの欠片も感じない。無機物を相手にしているかのような感覚に背中にじっとりとイヤな汗をかきながら、それでもドラクルは最後の意地で挑発を欠かさない。
「トドメはまだ」
 子どものように拙い言葉遣いで、ロゼウスはやはり淡々と狂気を口にする。
「あなたを嬲り殺すまでは」

 ◆◆◆◆◆

 へし折られた鼻から鼻血が止まらない。
「ぐっ、がはっ!」
 今しがた折られた肋骨が肺に突き刺さる。
 喉を滑り落ちる血と、肺の方から込み上げてくる血。噎せる余裕すらなく、己の血臭で窒息しそうになる。
 地獄の責め苦はまだ終わらない。
「はぐ、ぅ、あああ!」
 関節を外され、だらりと垂れていた手。その掌に、ロゼウスが長靴に包まれた足を乗せる。さほど体重のないロゼウスだとはいえ、間違って踏むのと最初からそのつもりで踏みつけるのであれば大違いだ。じわじわと体重を込める。
 ばきばきと音を立てて、ドラクルの掌が折れていく。指も甲の部分も骨という骨は砕け、皮膚を破って血が流れた。
「あ、あああ、ああ!」
 痛みに喘ぎ仰け反った顔を、前髪を引っ張るようにして掴まれる。
 泥だらけの床に這い蹲った、無様なその姿勢。顔と床がやたらと近い。
 その近いが、少しだけ距離のあった床へとロゼウスはドラクルの頭を掴み叩きつけた。額が割れ、血を流す。頭蓋が揺れ、反射的な嘔吐感と共に口の中から吐き出されたのは、しかしこれまでに灰と胃の中に溜まっていた血だけだった。
 自らの吐いた血の海で溺れそうになる前に、ロゼウスの手がまたも無理矢理ドラクルの顔を引き上げた。そしてまたも叩きつける。また引き上げる。叩きつける。気に入らない玩具を床に叩きつけて壊してしまおうとする子どものように、何度も繰り返す。顔面は血で真っ赤だ。
 額が割れるだけでなく、そのうち頭蓋に罅が入った。
 脳にもダメージが行くはずだが、頑強なヴァンピルの身体であることが仇となる。永遠のように続く責め苦。ロゼウスはどこで拷問の加減を覚えたのか、決して死なず気を失わず、吸血衝動によって凶暴化することもないよう調整をしながらドラクルを甚振っている。
 猫が鼠を死ぬまで遊び甚振ればこんな風になるのか。それとも、昆虫を捕まえて足を一本一本毟る人間の子どもの方が残酷だろうか。
 死なず生かさずドラクルを嬲る間もロゼウスは無表情だった。感情がない機械であるかのように、淡々と暴虐を繰り返す。
 する、と優しく撫でるように腰から太腿に触れた。そう思った次の瞬間にはその部分の骨を折られている。
 先程ドラクルが使った短刀、あれはあっさりと奪われて、今はドラクル自身の足を床に縫いとめる鋲となっている。
 向かっていったはいいものの、ドラクルとロゼウスの戦いはものの数分も持たなかった。ロゼウスはあっさりとドラクルを下すと、そのまま当然のように拷問を始めた。
 ここには慈悲深いギロチンも悲しみの聖母もない。これだけの責め苦が続くのであればいっそ一瞬で首を斬りおとされる死刑囚の方が幸せだろうというほど、過酷な暴力をドラクルは振るわれている。
「う、ぐ……」
 溢れた血が喉を塞ぎ、込み上げてはぼたぼたと唇から垂れていく。
 ぜいぜいと荒く息をするのさえ辛い。
 抱きしめるように跪いてドラクルの背中に手を回したロゼウス。その手が肩甲骨を探り、躊躇いなく折る。
 全身をまさぐって折れていない骨を探しては折る。それでも死なせない。適度に回復させたらまた痛めつける。
 傷のない肌を、鋭く尖らせた爪でぐりぐりと抉る。
「うわぁああああ!!」
 口中の血を吐き出しながら絶叫するも、ロゼウスに容赦や躊躇は見られない。それが義務ででもあるかのように、ロゼウスはドラクルを痛めつけていく。
「あ、あ……」
 ずぷ、と音を立てて鋭い爪の生えた手がドラクルの身体の中に沈む。柔らかい腹の奥の臓器を握りつぶす。
 また新たな血が中から痛みと共に込み上げて、ドラクルは鉄錆の香りのするそれを吐き出す。
 吐いても吐いても次々にその赤い液体は込み上げてきて、いっこうに楽にならない。生きながらに窒息する。
「あ……」
「……そろそろ死ぬ?」
 ぼろぼろになった兄の姿に溜飲を下げたのか、そうではないのか。ドラクルにはそれも判断がつかない。まだかろうじて残っている視力を頼りにロゼウスを見つめる。
 無表情だったロゼウスがドラクルの両頬を包むように手を伸ばし、ゆっくりとその唇に微笑を形づくっていく。
口づけでもするような距離から、吐息を吹きかけるように囁いた。
「ねぇ、ドラクル……」
 彼はもう彼を「兄」とは呼ばない。
「俺ね、怒ってるんだ」
 虫の息のドラクルは返事もできない状態で、ただされるがままに頬を包まれながら、黙ってロゼウスの話に耳を傾ける。潰れた鼻。先端だけ切り取られた舌。もちろん窒息しないような処置はされている。
 耳たぶは千切れていても、鼓膜は無事。話を聞くだけはできる。それを聞くための意識の方が半分朦朧として危ないけれど。
「怒っているんだ」
 ロゼウスは先程と同じ言葉を繰り返し、それと同時にドラクルの頬に爪を立てた。皮膚が破れて新たな血が滲むが、先程顔面をひたすら床に叩きつけられたせいですでにその顔は真っ赤で、新たに流れた血は目立たない。
「俺自身を、そして世界を」
 頬骨も折れた。
「ねぇ、どうしよう。もう俺は俺を許せないんだ。どうやっても、何があっても。こんなことのために生まれてきたんじゃない。何度過去に戻ってやり直したくても、戻れないんだ。でも前向きになんかなれないよ。なれるはずがない。だって、彼がいないのに」
 いない。
 もう、どこにも。
 いない。
 誰のことを言っているのかはドラクルにも検討がついた。いない、と言った瞬間またロゼウスの手に力がこもった。折られた頬骨が更に痛む。
 顔を固定されていて、俯いてだらりと血を吐き出すということができなくなった。肺から込み上げてくる血は口中に溢れると、とめどなく口の端から零れていく。
 目の前にロゼウスの深紅の瞳。
 病んでいる。
 澱んでいる。
 その奥に、ぱっくりと開かれた傷がある。
 癒えないその場所から血が流れ続けている。
「死んでね、ドラクル」
 美しい笑み。
 正気を手放して、心を何処かに遊ばせてしまった笑み。
「俺はあんた《も》殺すよ」
 ドラクル、も。
 先程違和感を覚えたその言葉の意味をロゼウスは明らかにする。
「あなたが憎い。兄様。あなたが余計な手出しをしなければ、俺は彼を――」
 爪で皮膚を破いた頬をするりとその手は滑り落ち、ロゼウスはドラクルの首に手をかける。
「シェリダンを殺す事はなかったのに!」
 微笑を浮かべていた顔が一瞬にして歪む。叫びと同時に、ドラクルの首を絞める手に力がこもった。 
「――ッ!!」
 バキボキと首の皮膚の下で骨が砕けていく。手を離したロゼウスは、そのままドラクルの即頭部を強烈に殴りつける。
 力を入れることの叶わない彼の体は無様に跳ねた。液体にまみれた柔物と大理石のぶつかる、べちゃっという音が響く。
「ああ、わかっている。一番悪いのは俺だ。どんなに口では愛していると言ったって、肝心な時にあっさりと暴走したもう一つの自我に乗っ取られた! 正気を手放して血を求めるあまりに浅ましく彼の血を啜った! 俺が、俺のこの手が彼を殺したんだ!」
 血を吐くような叫び。けれどドラクルにはもうほとんど聞こえない。打ち付けられた頭がガンガンと痛む。甲高いロゼウスの声が痛烈に響く。
 横になった身体はまた血を吐き出す。
「――憎いよ。何もかもが。こんな思い、永遠に知りたくなんてなかったのに。こんな思いをするくらいなら、死んでしまった方がマシだったのに」
 ロゼウスの直接の敵となったドラクル。
 選定者としての事実を長い事伏せ、事態を攪乱したジャスパー。
 預言者として運命をかき回したハデス。 
 未来を知りながらその通りに駒を進めようとしたプロセルピナ。
 もう 何もかもが憎い。何を恨んでも足りない。満たされない。救われない。
 だってシェリダンは還って来ないのだから! 
生きていなければ意味がない。口ではそう言っても、死者は還らないというその意味をこんなにまで深く実感として覚えたのは初めてだ。
 一生知りたくなんてなかったのに。忌々しい吸血鬼の力、この力を使ってシェリダンを生き返らせることができたならどれだけ良かったか。
 あるいはただ単に普通の人間として生まれ、シェリダンと全く関わらずにそのまま生きて行けば良かったのか。出会ってしまったこの運命の通りに、彼を殺すことになるくらいならば。
 ああ、どうして。
「どうして俺が皇帝なんだよ!!」
 皇帝は愛する者《だけ》は生き返らせることができない。
 ロゼウスに限ったことではない。大地皇帝デメテル、今のプロセルピナも同じだ。だからこそ彼女はあんなにもハデスを死なせないように気を配り続けた。
「どうして、どうして、どうして!?」
 ドラクルから離した血まみれの腕で、ロゼウスは己の身体を抱きしめる。冷たい化物のこの腕。シェリダンの腕とは違って、まったく安心感を与えてくれはしない。
 ドラクルはロゼウスに全てを奪われたと、彼を恨んだ。本当は弟ではなかった彼を。
 ローゼンティアの正統なる第一王子である彼はドラクルが与えられていたものをいずれ全て奪っていく存在だった。両親の愛情も王子としての名誉も自分以上の文武の才能も名君と誉めそやされ国民に慕われる未来も、何もかも全て。
 その上、皇帝になるという栄誉まで。
 ドラクルから見たロゼウスは、全てに満たされているような存在であった。欲しいと思って手に入らないものは何一つない。
 でもそれは本当にロゼウスが望んだものであったのか?
 彼は何度も伝えていたではないか。王位などいらない。ローゼンティアはドラクルが継げばいい。自分はシェリダンといればそれだけでいいから。
 それだけで良かったのに。
「皇帝になんかなりたくなかった!!」
 生まれてくる場所を選べない。
 生まれてくる時代を選べない。
 自分の運命を選べない。
 他者から見て何不自由ない人生。けれどそれは本当の幸福か?
 自分は不幸だ。だから復讐してもいい? 幸せになるためなら誰を不幸にしてもかまわないと?
 そう考える者は同じ理屈で復讐されても仕方ないだろう。
「だからドラクル、あなたは不幸になって。俺はあなたが憎い。憎くて憎くて仕方がない。愛しているからその裏返しで憎いんじゃない。もうそんな大層な感情はあなたには持てなくなってしまった。ただ鬱陶しくて仕方がないんだよ。ここで永遠の絶望を与えたら、その後はもう思い出しもしない。そういう憎しみだ」
 段々と表面で固まった部分を割ってどろどろとした熱いマグマが噴き出てくる。
「だから死んで」
 それは決して冷えることなく、熱く、触れる者全てを溶かす。
 肉も骨もどろどろに溶かし込んで消してしまう。
「あなたは苦しんで苦しんで、絶望して死んで。俺がこれからシェリダンがいないのに生きなければならない時間の分だけ苦しんで。そんなものいちいち確認するのも面倒だから、ここで後腐れなくさっさと死んで」
「ロ、……ウ……」
「いらない。俺はあなたなんかいらない」
 欲しかったのはただ一人。
 ロゼウスが腕を振り上げる。そこにいつの間にか短刀が握られている。
 腕を振り上げた一瞬、ロゼウスの瞳が今までとは違った狂気に染められ、濁る。
「あんただって本当は、俺のことなんかいらなかったくせに!」
 それは一体どういう意味なのか。
 トドメを刺そうとするその動きに、ドラクルはようやくこの責め苦から逃れられるとも、これで終わりなのかとも考えた。
 最初からずっと思い通りにならなかった人生だった。最期の一瞬までも思い通りにならない。
 でもそれは、誰でも同じ。
 今、自分を殺そうとしているロゼウスでさえ。
 だから――。
「待ちなさい」
 やんわりとした女の声が、ロゼウスを引きとめた。