4.秘密の弟
「意地悪をしたわね、ファウスト」
部屋から出て午後の仕事の準備のために二人きりになった瞬間、メフィストはそう口を開いた。
「何の話だ、メフィスト。我が契約の悪魔よ」
「とぼけないで。殿下のことよ。女性に声をかけられるより男性に気に入られるほうが多いなんて、わざわざ自分から告げたいことじゃないでしょう? それを殿下にわざわざ自分の口で言わせたわね」
「おや、そうだったのか? 知らなかったな。それは悪いことをした」
「とぼけないで、と言ったわ。ファウスト。女である私が何でこんな風に言えると思っているの? あなたがあの時、そんな自分は嫌だと私の前で泣いたからじゃない」
「……メフィスト」
思わぬ反撃にファウストは瞳を細めて、外見年齢で四つほどの年上の姉のような存在である彼女を睨む。
「で、殿下を苛めた俺を懲らしめるために、今度はお前が俺を苛めるのか」
「そんなことはしないわ。でもそう思うのなら、あなたには意地悪をした自覚があるのね?」
ファウストは押し黙った。メフィストは呆れたように頬に手をあてて吐息する。
「自分がかつて嫌だと泣いたことを、他人には口にさせるの?」
「逆だ、メフィスト。自分でその威力を知っているからこそ、他人にも効果的だと知っている」
「殿下はあまり気にしてなさそうだったけれどね。あなたと違って、おおらかな方だし」
「……」
メフィストはファウストの頬へと手を伸ばした。
本日の彼は金髪碧眼。女性であれば誰もが振り返るような美青年仕様だった。男性受けはしないだろうが。
その顔は確かに作りものだ。現在の科学技術の粋を集めた変装用マスク。高価な仮面は一枚用意すれば、あとはアロイスのような技術者が何パターンもの調整ができるよう改造してくれた。その出来はモーリツが言ったとおり、作った彼らですらはじめに教えられていなければファウストの《顔》を偽物だと見抜けないほどだ。
けれど、それは彼の《本当の顔》ではない。
そしてメフィストは、顔のない男の、《奪われた本当の顔》を、少なくともファウストがそう思っている顔を知っている。その顔は今被っている偽物の美青年の御面相よりよほど美しいことも。そしてその顔が、今は仮面の下にないことも。
彼の顔は奪われたのだ。ファウストはそう思っている。
だが、それを奪ったと言える相手は……。
「……ねぇ、ファウスト。あなたは本当に、あの王子に復讐をするの」
誰にも聞かれないように囁いたメフィストの声を、ファウストは拾う。間近で見詰められればどんな男性でもころりといきそうなメフィストの美貌も、ファウストには通じない。
「ああ。そうだ。そうでなければ、何のためにあの二人をここまで連れて来たと思っている」
「殿下は悪い子ではないわ」
「そんなことはわかっているさ。だが世間一般の《悪い》と、俺の考える罪は違う。……そう、例えば反政府組織として必要があれば人殺しもする俺たちと、王都で貴族に媚びへつらいながらいい暮らしをして、貧民街の人間を常に見下している自分の手を血で汚したこともないような奴らのどちらが悪いかなど決められないように」
「ファウスト」
「存在するだけで罪と呼ばれる生き物などいないとお前はかつて俺に言った。ならば何故、貧民街の奴らは平民街の連中にそれだけで差別される? そして何故、俺たちは――」
そこでファウストは一度言葉を切った。続きを口にするのを避けるように、いきなり結論に飛ぶ。
「だから俺にとって、エミールは存在そのものが罪なんだ」
「どうしても気は変わらないの?」
「ああ」
「……そう」
頑ななファウストの言葉に、メフィストは悲しそうに俯いて話を終わりにした。
◆◆◆◆◆
「ああ、お嬢ちゃん、この辺散らかしちまったの、片づけるの手伝ってくれないか?」
「……僕、男です」
淡い茶髪に薄青い瞳、華奢な体つきに少女顔のリューは下手をしなくても女の子に見える。訂正されたアロイスは一瞬ぽかんとして、次に言った。
「……再びおっさんが悪かったぁああああああ!!」
「気にしなくていいからね、リューちゃん。この人いつもこうだからさー」
「はぁ……」
午後の外出には連れて行かれないことが決まったリューは、にこやかなモーリツに対し曖昧に頷いた。叫ぶアロイスのことはすでに無視である。エミールはもともと人当たりの柔らかい性格だが、リューはそうでもない。どちらかと言えば顔に似合わず喧嘩早く乱暴で、丁寧語だってエミールと暮らし始めてから彼につられて身についたものだ。
そして彼は、どんなに優しく接してくれようとも、エミールを無理矢理連れてきてクーデターに利用しようとしている彼らに対し良い感情を持ってはいない。
「アロイスおじさんはいつもいろんなところを飛び回って患者さんの治療が主な仕事のお医者さんだからね。リューちゃんとも最初の時以来、滅多に会ってなかったから気付かなかったんだよー」
とは言うモーリツも、最初はリューを女の子だと勘違いしていた口である。エミールの《弟》だとファウスト辺りが簡単に説明したはずだが、顔を見るとどうも間違えてしまうらしい。リュー自身も慣れっこなので、さして気にも留めずにモーリツと会話を続ける。
「この辺りの箱はどうするんです? 室内でまとめますか? それともどこかに持って行った方がいいんですか?」
「ああ。それはたぶん……えーとね、この色の箱は確か、テオが一階の倉庫に運ぶって言ってた気がするよ」
灰色の室内にひと際目立つ白い箱を示し、モーリツは言った。副リーダーテオドシウスは、仲間内ではテオと愛称で呼ばれている。
「でも中身は確か金属で重いって言ってたような気がするから、無理はしなくていいと思うよー。箱自体も金属だしね」
モーリツの言うとおり、彼が示した白い箱は箱自体も金属でできていた。新種の合金は軽くて丈夫だが、それでも段ボール箱のようにとはいかない。リューの体格で持ち上げられそうな一箱を抱えてみて、彼はちょっと顔をしかめた。
「……いえ、大丈夫です。確かに重いですけど、これぐらいならいけます」
「そう? ありがとー」
ひらひらと手を振るモーリツに見送られ、リューは小さいが重い箱を抱えた。この数週間で勝手知ったる建物内部の一階の倉庫を目指して、階段を下りていく。
「うひゃー、男の子だったんか、あの子。てっきりお嬢ちゃんだとばっかり思ってたよ」
ようやく頭を抱えて悶える状態から脱して、アロイスが頭をかきながら作業に戻る。彼と二人一組で今度の作戦に使う装備の点検をしていたモーリツは、適当に相槌を打つ。
「そーっすねー。でもあの子、大人しい顔して中身は案外……あれ? テオ。おかえり。早いっすね、今日は」
無駄話をしながらも手は休めなかったモーリツが、ファウストたちとは別行動で今日は一日出かけると言っていた副リーダーの帰還に反応する。
「ああ。例の連中との交渉が思ったよりも上手くいってな。早めに終わったんだ。ところでモーリツ、お前配線一本間違えてないか?」
「え? うわー! ヤベ! またファウストに怒鳴られるー!」
「いざというときに使えないどころか、その場で爆発を起こすようなものを渡したら、怒鳴られる程度では済まないと思うが……ん? ここにあった白い箱はどうした。幾つかなくなっているようだが」
「ああ。それなら下の倉庫だ。お前さんいつか運ぶって言ってただろ」
常に冷静で知られる副リーダーは、それを聞いて奇妙な表情をした。
「どうしたテオドシウス」
「いや……誰が持って行った? お前たちが二人でか?」
「いや、リューちゃんが」
告げた瞬間、テオドシウスは彼らしくもなく素っ頓狂な声をあげる。
「俺以外の人間が……しかもあんな子どもがあれを運べたのか?! 一箱400キロだぞ!」
「……え?」
「はぁ!?」
その彼の驚きようと告げた内容に、アロイスとモーリツもまた顔を見合わせた。
◆◆◆◆◆
三階の会議室と名のついた多目的室から白い鉄の箱を一階の倉庫まで運ぶ。重量はともかく体格の問題から、一度に一箱を運ぶのが限度だ。それを四度ほど繰り返し、リューは一つ溜息をついた。
その背中に誰かが声をかける。
「たいした猫かぶりだな」
反射的に懐に手を入れて振り返れば、そこにはテオドシウスがいた。彼は淡々とリューに確認をとってくる。
「お前も改造人間か。それもその動き、ただのスラムの子どもじゃないな。軍ではなくともどこかで訓練を受けた人間だろう」
「も?」
「俺も改造人間だ」
言ってテオドシウスは、リューが運んだばかりの鉄の箱に手をかけた。指一本で400キロを持ち上げてみせる。すぐに戻したが、こんな無茶をしても骨折した様子はない。
「俺が放り出していた仕事を片づけてくれたことには礼を言おう。だが、お前には聞きたいことがある」
「……僕にはあなた方に話すことなんて、何もありません」
「では無理やり聞きだすまでだ」
そう言った次の瞬間、テオドシウスの姿が消える。
「!!」
「ほう、なかなかやるな」
一瞬で距離を詰め、リューの胸倉を掴んで倉庫の壁に叩きつけたテオドシウス。しかしその首元には、リューが懐から取り出したナイフが突き付けられている。劣勢に見えて、完全に構えた状態ではなかったところから反撃したのを見れば、リューもなかなかの腕前だ。
「そもそもお前は、エミール殿下の何だ? あの方の弟は異母弟にして世継ぎのギルベルト王子だけだろう。だいたい、お前と殿下はまったく似ていない」
自分でも自覚していること、むしろこれまで深く突っ込まれなかったのが不思議だったことを尋ねられて、リューの瞳が険しくなる。
「僕はただの孤児だ。それを兄さん……エミール様に拾われた。あの方は僕のことを家族だと思ってくださる。それだけだ」
「それだけのはずはないだろう。お前の動きはとてもそこらのただの孤児のものではない。言え、どこの組織のものだ」
「……逃げ出して来たんだよ! もうあんなところ、僕には関係ない!」
そこでリューが反撃に出た。尋問に集中するあまり僅かに緩んだテオドシウスの隙をついて、拘束を抜け出す。刃の攻撃をかわして彼を離さざるをえなくなったテオドシウスのことを睨む。
「あなたはその動き、元軍人ですね。その蒼い髪、禁じられた軍事研究の実験台というわけですか」
昨今髪を染めることなど以前にも増してたやすい。どういう成分かは知らないが、一度染めれば何年もそのままでいられる染料もある。だから多少変わった色の髪をした人間が歩いていても、人々はさほど気にも留めない。
しかしテオドシウスのちょっと変わった藍色の髪は、染めではなく地毛だ。本来の色と言うわけではなく、先程自分で改造人間だと名乗った通り、軍で身体を改造された折に副作用として出てしまったものだ。
「肌が青くなったり角が生えたりするよりはマシだった」
いつものように淡々とした表情で彼は語る。
「俺たちレジスタンスの表向きの目的は、現政権を打倒して貧民が自由に暮らせる社会を作ること。そしてもう一つが、権力を立てに進歩した科学技術をろくでもないことに注ぎ込んでいる腐った奴らを抹消することだ」
この時代の科学技術は、とても進んでいるらしい。
しかし技術が進んだところで、倫理観が進歩どころか退化していれば決して幸せになれないのが人間の性なのだろう。一部の特権階級の欲望を満たすために、貧しい者や弱い者たちは金や命、果ては人間として生きる権利まで絞り取られている。テオドシウスは彼自身が言うとおり、まだマシな方だ。改造されても人間の姿を保ったまま生きていられるのだから。
「スラムで生まれ育った奴らとは違い、俺はもとは平民として暮らし、軍人として働いていた。だが、ある日事故で体の半分を失い、軍で改造された。命を取り留めたが強化されたこの体はもう……人間とは呼べない。それに奴らは俺の命を救ったことを盾に俺をろくでもない実験に参加させようとしていた」
「だからあなたは、レジスタンスに参加したのですか」
「ああ。俺は俺を改造した連中を許してはおけない。それにファウストの奴はもっと――」
テオドシウスが何事か言いかけたその時だった。
「ただいまーテオー、あのねー!」
元気良い挨拶と共に建物内部に入ってきたのはカトリーンとゾフィーの女性二人だった。彼女たちも今日は外回り組だ。二人は一階倉庫の中にテオドシウスの姿を見つけて声をかけてきたのだが、中に入ろうとして固まった。
「テオ……」
「副リーダー、あなた」
荷物を置きに来ただけだったので、リューは明かりを最初からつけていなかった。まだ明るいこの時間倉庫の中は十分にはっきりとものが見えるとはいえ、小柄な彼の姿は運んできたばかりの箱の山に隠されてカトリーンたちには見えなかったらしい。
今は手こそ離れているとはいえ、体勢的にはテオドシウスが壁際にリューを追い詰めている形だ。それを見た女性二人の頭の中に、いけない想像が一瞬で駆け巡った。貧民街は無法地帯だ。そんな趣味の人間も掃いて捨てるほどいる。
だが彼女たちはテオドシウスが今日の今日までそうだとは思っていなかった。
「うん、まぁ、人の趣味はそれぞれだしね。リューちゃん可愛いし」
「でもさ、無理強いだけはしちゃダメだからね、テオ」
「~~ちょっと待て何の話をしているんだお前たちは。誤解だ! 俺は何もしていない」
「胸倉掴まれて壁に押し付けられました」
二人がおかしな誤解をしていることに気付き、テオドシウスは慌てて弁明に走る。そこですかさずリューが先程のテオドシウスの行動を、間違ってはいないがわざと誤解させるような形で言い添えた。女性二人の形相が変わる。
「ちょっとテオドシウス!? ファウストに言いつけるからね!」
「誤解だと言っている、ゾフィー! 待て、オイ!」
慌てるテオドシウスの脇から、隙をついてリューはさっさと逃げ出す。咄嗟に追おうとしたテオドシウスの行動は、カトリーンとゾフィーの二人がかりで阻まれた。
「あんな小さな男の子に手を出すなんて。見そこなったわよ」
「違う!」
二人の女性の糾弾と一人の男の哀愁漂う悲鳴を聞きながら、リューは倉庫を後にした。