顔のない男 01

5.エミール=クルデガルド

「これが次のお前のターゲットだ。確実に息の根を止めてこい。できなければ……わかっているな」
「……」
 軍の研究動物として拾われ身体を改造された貧民街の孤児に、否を言う権利は与えられてはいなかった。いつも通りの沈黙で答え、勝手に了承したものと相手が満足するのを見つめ、そして彼は仕事の途中で研究所を逃げ出した。
「待て!」
「追え! あいつを逃がしたら閣下の秘密が――」
 左腕に銃弾。脇腹にも一発掠めていた。両足は無事でも、左半身の腹部と腕から伝わってくる痛みで身体がまともに動いてくれない。
 真冬だった。
 それでなくとも貧民街の住民は、住むところもなく街中で凍死することが珍しくはない季節。お貴族様平民様が近寄りたくない貧民街の中にまで逃げ込んだのはいいが、そこで力尽きて、雪の積もった路地裏に倒れこむ。
 白い雪にぽたぽたと落ちた血の雫が花のように散って、とても綺麗だったことをよく覚えている。これが人生で見る最後の景色なのだとばっかり思っていたから。
 ――君、どうしたの? その怪我は……
 やけに耳に心地よい声は、夢の中で見る幻なのだと思っていた。銀髪の天使がこちらを覗き込んでいる。……変な話だ。これまで人殺しで自分の命を繋いできた人間が、天国になど迎えられるわけはないのに。
 最期の瞬間まで自分に都合の良い幻を見続けるのかと自嘲しながら意識を失い、次に目覚めたとき、それが幻などではないことを知った。
 粗末だがありったけの毛布を重ねられて柔らかくされた寝台に寝かせられていた。部屋はストーブで暖められていた。けれどこの状況では何があったのかまるでわからない。確かめようと身じろぎした瞬間、激痛が走る。
 追手に撃たれた腕と脇腹が痛む。傷口を上からそっと押さえると、指に触れた包帯の感触でそこにも手当てが施されていることに気付いた。むしろ自分が深手を負った身であることを失念していきなり動こうとした間抜けさに力が抜けた。
 彼が寝台の上でしばらく放心していると、やがて部屋の扉が控え目に開かれた。中をそっと窺うような気配に、彼自身も緊張する。しかしその緊張は一瞬のことで、こちらが起きていると見るとすぐさま扉は大きく開かれて、手に盆を持った銀髪の少年が部屋の中に入ってきた。
「起きたみたいだね。食事作ったんだけど、食べられる?」
 人当たりの良い様子で話しかけてきたのは、気を失う直前にも見た銀髪の美しい少年だ。翠の瞳が、優しそうに細められている。
 この人が自分を助けてくれたのだろう。状況を理解した瞬間、しかし胸が掻き毟られる。
 捧げられた好意に甘んじる自分を赦せずに、それはそのまま目の前の人物への敵意へと繋がった。咄嗟に伸ばした右腕で、相手の喉首を掴む。
「く、苦しいんだけど」
 喋ることができるほどの余裕は残してある。だが改造人間の腕力をもってすれば、人の首など片腕でいつでも握り潰すことができる。
 目の前の相手はもちろん彼が改造人間であえることなど知らないだろうからいまいち迫力にかける展開ではあるのだが、それでも構わないと彼は尋ねた。
「何故僕を助けた。ここはどこだ。追っ手はどうした。お前は――」
 矢継ぎ早な質問に対し、躊躇う様子も見せず目の前の人物は答えていく。
「ええと、ちょっと待ってね。順番に答えるから。とりあえず、目の前で人が倒れているのを見たから反射的に連れてきちゃったんだけど、迷惑だったかな?」
 上がる語尾に、質問されているのだとわかった。現在進行形で急所を抑えられながら、助けておいて迷惑だったかとわざわざ聞く相手の能天気さにこちらもだんだんと毒を抜かれてくる。
「……迷惑、じゃない」
 言いながら、相手の喉首を掴む手を僅かに緩めると、相手は安心したような顔を浮かべた。
「だったらいいんだ。えーと、ここは王都の西側の一角でね、君はここからちょっと行った辺りの貧民街の路地裏で倒れていたんだよ。追っ手……? らしき人たちは私は見ていないけれど、誰かに追われていたの?」
「答える義理はない」
「それもそうだね」
 つっけんどんな答にあっさりと頷いた銀髪の美少年を眺めながら、居心地の悪い思いを覚える。
「私はエミール。ちなみにこの部屋に一人暮らしだよ。君の名前は?」
「……」
 にこにこと尋ねられても、答える気分にならない。第一ここで名乗るのは危険だ。
 むしろ、この場に留まっていることこそが危険だ。一か所に長く留まればそれだけ追っ手に見つかる可能性が増すのだから。
 それに目の前のこの少年は――。
「……名前、言いたくないの? でも」
「死んでもらう」
 にこにこと喋りつづけるエミールに対し、彼は殊更無表情に徹して口を開いた。
「あんたに恨みはないけれど、死んでもらう」
「駄目だよそれは!」
 これまでののんびりとした対応が嘘のように、エミールが素早く動いた。今にも喉を掴んでいた腕に力を込めようとしていた彼の腕を両手で掴む。
「頼むからあと一ヶ月は大人しくしてて!」
「い、一か月?」
 のほほんとしたこれまでの対応と、ことごとく自分の予想を裏切る反応の連続にそろそろ限界だった彼は、いつの間にかエミールのペースに巻き込まれていた。
「うん。一か月くらい経ったら……そうしたら私を殺してもいいよ」
 何を考えているかわからない。
 冷たい瞳の持ち主ならこれまで何度も見てきた。ろくに素性も知らない相手を、ただ命じられたからと無情に殺してきた自覚もある。
 それでもこれまで出会ったどんな胡散臭い職業の人間よりも、彼には目の前の少年の真意がわからない。
「これから一ヶ月は一緒に暮らすんだから教えて? 君の名前は?」
「……リュー」
 ただ釣り込まれるように、いつの間にかリューはそう名乗っていた。

 ◆◆◆◆◆

「お兄さん」は僕に食事を与えてくれた。
「お兄さん」は僕に服を与えてくれた。
「お兄さん」は僕に優しくしてくれた。
「お兄さん」は……
 その日以来、リューはまるでエミールの「弟」だった。
 とはいえリューの方では、拾われ怪我の手当てをされ、衣食住の手配をされているとはいえとても彼に恩義を感じる気になどなれない。どうせ後で殺すのだと思う相手の名前を呼ぶのですら抵抗があり、では「お兄さん」だと無難な呼称を選んだところ
「私がお兄さん? じゃあリューが弟だね」
喜ばれた。
 ……もとい、それはエミールの勘違いである。リューとしては街中でその辺の客引きが「お兄さんうち寄ってってよー」というレベルでの意味合いしかない「お兄さん」のつもりだったのだが、エミールの物差しは世間擦れしたリューとはずれにずれていた。さすがは元王子様。いや、元だとはエミールがそう思っているだけで、捜索隊すら出されていないとはいえエミールは今もまだれっきとしたクルデガルドの第一王子である。
 銀髪に翠の瞳の、絶世の美少年。こんな目立つ人物を見間違えるわけはない。母親が妾妃であったエミールは王宮でもよほど王家と懇意の貴族でなければ顔を知られることはなかったが、裏社会ではそう言った情報は事欠かないものである。エミールがぼろを出す前から、実はリューは自分を拾った人物がこの国の王子であることを知っていた。
 そのことを隠して、とりあえず面倒を見てくれるのだから丁度いいとばかりにリューはそのままエミールの世話になった。
 エミールはエミールで、リューからの一ヶ月後には殺すとの脅しに動揺も脅えもまったく見せず、不思議なほど能天気に、そして幸せそうに年下の少年との同居生活を楽しんでいた。王宮から金目の物を一応持ち出して来た彼は、よほどの贅沢さえしなければ数年の間は生活には困らない。とはいえ一度脱走した以上連れ戻されればまずいという意味で、追っ手を警戒しなければならないのはリューと同じようなものである。そんな緊迫感をまったく感じさせずに、普通の街人のように周囲に溶け込んで生きているのは見事ですらあった。
「リュー、腕の傷はまだ深いけれどお腹の方はかすり傷だったからもう大丈夫そうだね。足は無事なんだし、ちょっと外出しない?」
「え! やだよ! そんなことしたら見つかっちゃうじゃないか!!」
 研究所に連れ戻されれば、リューは仕事を完遂できなかった失敗作として処分される。同じように殺される仲間をもう何人も見てきた。しかしエミールはこんな時だけ強引に、リューにフードつきのコートを押し付ける。
「ここはほとんど貧民街に近い街はずれだし、案外誰も人の顔なんて見てないものだよ。俺だって――ととと、」
 うっかりと自分で素性をばらしかけるエミールの不注意さには見て見ぬ振りをして、仕方なくリューはエミールに連れられるまま、一緒に外へと出かけて行った。どうせあの路地裏で一度は死ぬかと思ったのだ。それが二週間ほど遅くなったところで大差はない。
 リューにとって、人生とは何の意味もないものだった。何となく死ぬのは嫌で、痛いのも苦しいのも御免だから、自分を改造した研究所と呼ばれる組織の人間に言われるままに人殺しを続けてきた。まっとうな死に方ができるとは思ってもいなかったし、これがまっとうな生き方だなんて考えたこともない。
 それでもエミールと共に過ごすうちに、だんだんとリューは自分が研究所で改造された人間だということも、組織の暗殺者だということも忘れることが多くなってきた。
「ほら、兄ちゃん、弟さんにこれやんな!」
「ありがとう、おじさん」
 エミールと一緒に、街を歩く。石畳の整備された王都の中心地とは違い、貧民街に程近いこの辺りの地域では見る景色の全てがくすんでいるようだ。その代わりに品物は安価で、だから不良品も多い。それでも屋台の食事などは温かく、貴族のように肥えた舌を持つのでなければそれだけで旨いと思える食事がとれた。
「はい、リュー」
「ああ、うん……ありがとう」
 差し出されたものに反射的に礼を言えば、一瞬目を丸くして驚いた様子のエミールが次の瞬間、花の綻ぶような笑顔を浮かべる。
「どういたしまして!」
 怪我の治りかけであるリューを無理させるのではないが、それでもエミールはできる限りリューにも外の空気を吸わせた。街に出るたびに警戒心を働かせていたリューの方でも、すでに死んだものとでも思われているのか、追っ手のかかる様子はまるでなくいつしかこの日常に慣れ始めていった。
 外に出れば、傍目にはどう見えているのか、年頃の近い二人は容姿がまったく似ていないにも関わらず、いたるところで兄弟扱いされた。仲の良い兄弟だねと言われるたびにエミールはくすぐったそうな笑顔を浮かべていた。
「お兄さんさぁ、なんでそんなに僕に良くしてくれるわけ? あんな状態で出会って、目が覚めたら目が覚めたでさっそくあんたを脅した人間なのにさ」
「そうだね。どうしてだろうね」
 何を尋ねても微笑んで穏やかにかわしてしまうエミール相手に、リューはすっかり毒気を抜かれてしまっていた。約束の一か月が来ても、もう彼を殺すつもりなんてまるでなかったある日。
 三週間と三日程。まだ一か月に満たないその日エミールはリューの怪我の様子を見ながら言ったのだ。
「うん、すっかりよくなったみたいだね」
 脇腹のかすり傷はすでに癒えていた。深手を負った腕の怪我も、すっかり傷口が塞がった。もともと肉体を強化された改造人間であるリューは常人より治りが早いのだが、今回は死を覚悟するほどの深手だったことを考えれば痕が多少残る程度の治り具合はまずまずといったところだろう。
 医者の知り合いがいないというエミールの治療も不完全なものだったのだが、どちらにも医術の知識がないことがこの場合功を奏して、怪我の深さと治りの早さの不自然さにお互い気付かずにこの日まで過ごすことができた。
 そしてエミールは、運命の言葉を続ける。
「だからもう、私を殺してもかまわないよ」
「――え?」
 何を言っているのかわからない。
 リューにとってエミールは最初からつかみどころのない人物だった。彼が一体何を言いたいのか、まったくついていけない場面も多くあった。
 けれどそのどれよりも、今が一番彼の言っていることがわからない。
「約束の一ヶ月はまだ来ていないけれど、君の怪我はもう十分癒えた。どこにでも好きなところに行けるだろう。……だから、もう、僕を殺して自由になっていいよ」
「なんで……」
 まさかあの時の、「一ヶ月だけ待ってほしい」は。
「君の怪我が治ったならもう、僕を殺すのを止める意味は――」
「なんでそんなことを!」
 不自然なほどに穏やかな表情でのエミールの滔々とした喋りを、リューは激昂して遮った。こんな大声を出しては近隣住民から苦情が来そうだと一瞬この三週間で身についた所帯じみた考えが思い浮かんだが、すぐに頭から押しやる。
「僕のためだって言うのか!? あの一か月は! 僕の怪我を治すために自分を見逃せ、だって?! なんであんたはそんなこと……!」
 信じられない。馬鹿じゃないのか。
 喚くリューを、エミールはひどく愛おしそうなものを見る目で見つめている。
「こんなことをして、あんたに何の得があるっていうんだよ! それとも最初から死にたい自殺志願者だったって言うのか!」
「そんなことはないよ」
 そこははっきり否定して、エミールは困ったように苦笑した。しかし素性のわからない銃創を負った子どもを事情も聞かずに保護して世話し続けて最後には殺されてもいいなどと口にする時点で、危ない人間だということには変わりない。
 彼自身説明に迷うように、エミールはゆっくりと、今さらリューを助けたわけについて話し出した。
「……君はね、私の弟に似ていたんだ」
「お、とうと?」
「そう……生き別れの。だから君を助ければ、私は自分の弟に対して優しくしている気になれた。そのくせ、君がまったくの赤の他人だってこともちゃんと頭ではわかっていて……だから君に親切にしていれば、何の才能もない私でも、自分が立派な人間になれた気がした」
 この三週間、リューが見ていた分だけでも、エミールの世間知らずは凄まじかった。料理の腕だって大したことはない。街を歩けば、せっかく追っ手に見つからずに動けているのに、よりにもよって変な集団に絡まれるから気が抜けない。怪我の治療だってお世辞にも器用とは言えないし。
「そうか……わかった……あんたもあいつらと同じだな」
 銃はないが、これまでの生活の中で密かに確保していたナイフをリューは取り出してエミールに向ける。ナイフを握るのは治療の終わった右腕、先程エミールが包帯を外して怪我の治り具合を確かめてくれたばかりの右腕だ。
 怪我の様子を見るためにリューを寝台に座らせ、その足元にエミールがしゃがみこんだままの姿勢だ。
「なんであんたが理由もなく、こんな風に僕に良くしてくれるのかがわかったよ……優しくしてくれるのは当然だよね。だってあんたにとって、僕はただの人形なんだ。『弟に優しくしたい』『良い人でいたい』っていうあんたの望みを叶えるための」
 リューがすぐにそんな思考に辿りついたのは、経験があるからだった。エミールほどの美形ではないにしても、リューも容姿は優れている。その容姿に目を付けた貴族から、鎖で繋いで檻で飼いたいなどと、正気ではない口説き文句を聞かされたこともある。人間扱いされないという点では、そういった手合いに飼われるのも研究所の実験動物でいるのも、組織の暗殺者として生きるのもどれも変わりない。
 それでもエミールだけは、人間としての自分を見てくれると思っていたのに。
リューの青い目に涙が浮かぶ。
「あんたは良い人なんかじゃない。あんたが自分で言ったとおり、良い人になりたいだけの、ただの酷い男だよ」
「……そうだね」
 詰るリューの言葉に、エミールは反論することなく頷いた。
 狂気のようなエミールのこれまでの行動も、『良い人になりたい』という彼の根本的な願いがわかってしまえば説明がつく。彼はただ、最初の善意に自分で一貫性を持ちたいだけなのだ。その上城を追われた王子は、今の暮らしにさして未練もないのだろう。だから殺されてもいいなんて言えるのだ。けれど簡単に捨ててもいいと思える命をかけた善意なんて、所詮は薄っぺらい偽物ではないか。
 それを全て自覚しているだけ厄介な、まさしく狂気の沙汰だ。リュー自身の首に直接首輪をつけないだけ性質の悪い。
 そんな言葉を聞いたって、もうリューがエミールを嫌えることなんてないのに。
 ぬいぐるみを撫でるようにエミールが自分を愛玩していただけだと知っても、それでももうリューは彼を憎むなんてできない。
「……どうする? リュー。私を殺すかい?」
 まだ遠い春の陽だまりのような微笑みを浮かべ、エミールはリューに尋ねてきた。
「どうして僕に聞くの? あなたの望みはいいの? それともそんなに、僕に手を汚させたい?」
「うーん。できれば死にたくないなぁ。痛いのも苦しいのも嫌だし」
 相変わらずのほほんと笑って、エミールはそうのたもうた。その言葉に、リューはチクリと既視感が胸を刺すのを知る。痛いのは嫌だから、苦しいのは嫌だから、だからなんとなく生きている。ただそれだけで人生に何の望みもないのは、リュー自身も同じだった。
 ああ、そうか。
 エミールは人として大事な何かが欠けているのだ。リューにとってもそれらが足りないものであるように。
 殉教者のように頭を垂れてナイフが首を掻き切るのを待っていたエミールが、いつまで経ってもやってこない痛みに不思議そうに顔をあげる。
 ナイフを引いて元通り懐にしまったリューは、その彼の顔をバチンと両手で挟んだ。
「痛っ!」
「兄さんは、酷い。そうやって僕に選択を全部押し付けて、自分では何一つ責任をとらない気なんだ」
 物取りやもしかしたら殺人犯かも知れない血まみれの子どもを無防備に拾って世話までして、エミールにそんな恐ろしいことができたのは、その後の選択に責任を取る気がない――つまりは自分の命を自分で守る気がなかったからだ。彼のそんな狡さを的確に暴き立てながら、だけど、とリューは続けた。
「あなたが優しくしてくれて、僕は嬉しかった……とても」
 エミールの料理の腕はいまいちでも、二人で食べれば何でもおいしく思えた。怪我の手当てだって不器用だったけれど、早く良くなるといいねと、包帯を撫でられればそれだけで痛みが引いて行った。追っ手でもなんでもないただの街人に良くも悪くも絡まれる彼を見ていると、リューは自分が守らなければいけない気にさせられた。
 その行為がエミールの打算でしかなかったとしても、リューにとってはすべてが嬉しかった。
 本当なら即座に殺してしまわなければいけないはずの彼を殺せなくなるくらいには、嬉しかったのだ。だから。
「さようなら、親切なお兄さん」
 するりと手を引いて、リューは寝台から降りる。
「待った、リュー!」
 玄関に向かおうとする彼の腕を、咄嗟に立ち上がったエミールの腕が引きとめる。
「お前は……私を殺さなくていいのか?」
「……言ったでしょ、僕はあなたの行動の責任まで取ってやる気はないよ。あなたは酷い人だ」
 強いて冷たい眼差しを作り向けた視線に、エミールがほんの少し痛そうな顔をする。それが彼のためのものなのか、リューのためにそうするのかはわからない。
「……ここを出て、行くあてはあるのか?」
「……」
 そう言われると押し黙るしかないリューに向け、エミールはもう一度声をかけた。
「もしもお前が、それでも私を赦してくれるなら……いや、こんな言い方は卑怯だと言われたばかりだったな」
 途中で言い直し、エミールはこれまでのふわふわとした優しさとはまた違った意味でのまっすぐさを瞳に乗せ、リューを引きとめる。
「君は私に対して、怒っているのかもしれない。私のことを不愉快だと思っているかもしれない。でも、私は君が好きだよ」
「好き……? 僕を……」
「ああ。弟に似ているとか関係なしに……いや、最初にそう思っただけで、似てないよ、君と彼は……」
 少し切なそうに言葉を切った後、エミールはこう続けた。
「でも僕は、君が好きなんだ。だから……」
 リューが振り返る。まだ迷うそぶりのリューの青い瞳と、エミールの必死な翡翠の瞳が交錯した。
「ねぇ、リュー。僕と本当の兄弟にならないか?」