第2章 王子と少年
6.王子と少年とレジスタンス
「いいか。今夜俺たちはあの貴族の屋敷を襲撃する。Aグループは西の棟から入り込み中の警備を撹乱、Bグループは俺と一緒に東棟の金庫から金目のものを運び出す」
「それって要するに泥棒……?」
深夜のアジトにて、あっさりとファウストが言うので、エミールは声に出して突っ込まずにはおれなかった。他のメンバーは慣れたもので、リーダーの指示にてきぱきと従う。
「え? あれ? あれ? レジスタンスだよね? これってクーデターじゃなくて単なる窃盗じゃないのか!?」
「殿下、あんたは世間を知らないな。俺たちレジスタンスにとっては資金の確保も重要な任務だ」
「そういうファウスト、君は良識を知らないんじゃあ……」
「それは俺より、この男に言ってやれよ。ほら今夜のターゲットの資料」
ファウストはエミールに、二枚綴りの紙の資料を手渡した。そこには今夜彼らが押し入る貴族の、裏で行っている所業があますところなく調べ上げられていた。
世間では電子資料が当然のように普及しているが、貧民街ではまだこのように紙も使っていた。大きいものは食事を運ぶトレイサイズから小さいものは懐サイズの携帯端末まで、電子で管理するデータは場所をとらずに大量に保存でき、通信も簡単で検索が容易と利点が多いが、しょちゅう電気料金を払えなくなる貧民街では実用に向いていない。
エミールは書類に目を通す。今回彼らが狙うのは裕福な貴族だ。その悪行が渡された書類には綴られている。
貧民街の少年少女を攫ってきて行う人身売買。王立議会の末端とはいえ一員でありながら、政府の有する最先端の科学技術を悪用しての人体改造。他にも盗品売買や銃器製造など、貴族とは名ばかりの犯罪に手を染めている。
「酷い……」
資料には貴族の悪行を文字で語るだけではなく、写真までもが添付されていた。ファウストたちが特に注目しているのは政府高官でなければ行えない技術の悪用らしく、改造された人間とも獣ともつかない生物の末路が貼り付けられている。
「それを見ればわかるだろ? 俺たちとそいつの、どちらがより強大な悪か」
「……それは正義と言うより、倫理破綻だと思いますけど」
リューがぼそりと呟いた。悪人からであれば盗んでいいという法はない。ましてや悪人の持っている金は、もともと他の誰かから不当に得た利益であることが多いのだ。
「いいだろう。その分俺たちはいずれ国家転覆という形で利益を社会に還元するんだから」
「還元するまでに、その人たちが生きていればいいですけどね」
「でも、リュー、これを見てしまうと確かにこの男のやっていることは誰かが止めなければいけないと思う……盗みを働くのは確かにいけないことだけれど」
「……わかってるよ、兄さん」
リューはとにかくファウストに突っかかりたいだけなのだ。エミールが控え目に意見すると、大人しく引き下がった。ついでに言ってしまえば彼ら二人を強引に拉致してレジスタンスに引き込んだことも犯罪と言っていいのだろうが、エミールがまったく気にしていない風なのでこれもリューは口に出さない。
エミールからファウストの手にと戻された資料を覗き込んで、テオドシウスが短く尋ねる。
「ファウスト、やはりあれか?」
「ああ。こいつが例の軍部の違法研究の元締めだ。隣国との宣戦で負傷して使い物にならなくなった兵士を死亡したと偽っては研究所に送りこみ、強化手術を受けさせている。最近はどんどんエスカレートして、人間に動物の遺伝子を埋め込むなんてことをやっているそうじゃないか。それにお前も元は……」
ファウストが匂わせた事実に、テオドシウスはもともときつめの顔立ちを一瞬鋭く歪ませた。
「腕が鳴るだろう、テオ」
「ああ、そうだな。肝心の班分けはどうする?」
「囮となる襲撃班、Aグループのリーダーはテオ、お前だ。それからモーリツ、ゾフィー、リュー」
「え? リュー君そっちでいいの?」
「黙って聞けカトリーン。ちなみにお前はB班だ。俺とメフィストと殿下と一緒だな。アロイスは後方で待機。潜入用の警報解除から後方支援の全てを引き受けてもらうことになるが」
「おーおー相変わらずハードだねぇ。まぁおっさんに任せときなぁ!」
「リュー、大丈夫? なんなら私と変わった方が」
「俺の決定に異議を唱えようとはいい度胸だな、殿下」
「兄さん、僕なら大丈夫。大人しくしてるから」
リューと離れることに不安を感じるエミールだったが、こんな時でさえ逃走防止だと二人が同じ班に入ることをファウストが固く禁じていた。可憐に微笑んだ《弟》を抱きしめて、過保護な《兄》はようやく離れる。
その様子にテオドシウスが意味深な眼差しを注いだが、ファウストとメフィストの二人以外は気付かなかった。
「弟君はともかく、あんたは運動神経が悪いわけじゃなさそうだが、どうにも鈍くさいしな」
「あははははは。殿下、射撃訓練だと一流の腕前なんっすけどねー」
「警備を全員殺すわけではないのだから射撃の腕前はそれほど必要ない。かといって、襲撃班じゃなくても警備に見つかる危険性はあるんだ。俺やカトリーンがいるとは言っても、金庫担当班はブツを抱えて逃げる必要がある。気は抜くなよ。スプーンより重いもの持ったことはないとか言うなよ」
「それはさすがに……」
「ならばこのメンバーで決定だ」
異を唱えることを許さず、そしてリューを心配するエミール以外は決定に逆らう者もおらず、作戦会議は速やかに終わった。
月も出ない真夜中、レジスタンスは貧民街のアジトを出て王都中心部の一角、貴族街へと向かった。
クルデガルド王国は地理上は大きく三つに分けられる。王都内でも王宮のある貴族街と、王都内部の残りの区画が全て平民街。そして王都とは呼ばれない貧民街。残りの土地には耕作地が広がっているが、個人での農業経営者がいるのではなく国で管理しているため、普通カウントされない。
貴族街は煌びやかで華やか。一つ一つの貴族の屋敷は大きく、外観も内部も飾られている。いかにも貴族の屋敷、と言った中世ヨーロッパを思わせる館の外観に加え、内部は最新の科学技術によりセキュリティは“ほぼ”完璧である。
平民街は貴族街よりは格段に劣る景観の、雑多な箱の寄せ集めと言った街並みだ。食うに困らない生活をしている者たちが平穏に暮らしている。
そして最後が貧民街である。王国全体を空の上からでも俯瞰すれば、貧民街は何か汚らしい黒ずみのようにでも見えるだろう。傾きかけた廃ビルが犇めき合い、道路などもどこでもコンクリートや地面がむき出しで、飾り気の一つもない。
電気であらゆるシステムを制御できるネットワークが完成している時代、貴族街や平民街の家々は当然その恩恵に預かっているにも関わらず、貧民街ではまず電気が通っていない場所も残されているという具合。テレビやエアコンは平民街のゴミ捨て場からでも拾って来た旧式を使い、冷蔵庫はそもそも生鮮品にありつける者が少ないので持っている者はほとんどいない。
この時代、車はタイヤではなく空気を排出するホバーカーが主流となり、ほぼ無音で走ることができるようになった。それに真夜中とはいえ、あらゆる技術が発達したからこそ夜はならず者や人には言えない欲望を発散させるために様々な影がひしめいている。貴族街はさすがに一つの屋敷ごとに広く敷地がとられ静まり返っているが、それでも明かりは消えていない。平民街ともなれば夜は夜のざわめきが絶えず賑わっている。
平民街の繁華街の一区画で二台に分乗してきた車のうち逃走用の一台を隠し、彼らは闇へと踏み出した。
秋の夜長の寒さに負けぬよう、全員しっかり着こんでいる。黒服で勢ぞろいした様は、レジスタンスというよりまさしく泥棒だ。
「メフィスト、お前は残れ。物を運ぶにはやはり手段が必要だからな。俺が完了の合図を出したら、劇的に助けに来い」
「わかったわ、ファウスト。囚われのお姫様ならぬ、王子様が囚われそうになったところで効果的に駆けつけてあげるから」
B班は実質的にファウスト、カトリーン、エミールの三人となる。ファウストが戦闘要員であることはもちろんとして、カトリーンは潜入に優れた力を持っているのだという。エミールは単純な荷運び要員だ。
「最低でも二十分はもたせてくれ。ありったけ盗み出す」
「了解」
「期待してるっすよー、ファウスト」
標的である貴族の屋敷の裏手、ファウストが襲撃班であり、囮担当でもあるA班に指示を出したところで、A班とB班はいったん別れた。
メフィストと同じく車で待機のアロイスが、警報解除の合図を出す。セキュリティシステムにハッキングをかけるが、それも長くは持たない。
「先に俺たちB班が潜入し、頃合いを見てA班が暴れる。行くぞ」
地味な衣装に身を包むどころか、顔まで地味なものと闇夜に紛れる黒髪に変えたファウストの指示に従い、まずは三人が屋敷に忍び込んだ。
「カトリーン」
「はぁい」
ファウストは少女の名を呼ぶ。リューと変わらない年ごろの少女は一通り辺りを見回すと、大丈夫、と小さく囁いて一行の先陣を切った。
「番犬とか、そういう気配はないよ」
「セキュリティと併用はしにくいからな……庭のセキュリティはアロイスが一瞬だけ切る。行くぞ」
潜入班であるエミールたちにはわからないが、真っ暗な真夜中の庭ではそれを管理する制御の面において、高度な情報戦が行われているらしい。システムに潜入して単純に警備を無効化するのではなく、ファウストたちが活動しやすいように色々と弄っているのだそうだ。
本業は医者だと言っていたが、アロイスは何者なのだろうか。いや、不思議なのはアロイスだけではない。
「リーダー、右の通路に二人、左の曲がり角の向こうにも一人。どっちも直立で移動の様子なし」
「ちっ、挟みうちだな。左に行くぞ」
カトリーンが警備員の人数を告げた。即座にファウストが判断をくだし、左の角へと向かう。警備の男がこちらの気配に気づく頃には、相手の口元を押さえたまま食らわせた攻撃が、音もなく相手を昏倒させていた。
「相変わらず凄いよねリーダーは。強化人間でもないのに蹴り一発」
「このくらい男なら普通にできる。男でなくてもゾフィー辺りは楽勝だろう」
声をひそめた会話に、先程のやりとりを不思議に思ってエミールは尋ねた。
「カトリーンはなんで、こっちにこの人がいるってわかったの? まだ相手の姿は見えていなかったのに」
カトリーンが警備の兵の存在を告げたのは、相手の姿がまだ見える前、つまりはこちらの姿も相手に気付かれる前だ。その時点で攻撃できれば確かに効果は絶大だろうが、そもそも何故姿の見えない相手のことがわかったのだろうか。巡回ではなく定位置に立っていた警備員は明かりをこちらに向けてはいなかったはずだ。
「それはね、殿下。あたしが改造人間だからでーす」
「え?」
笑うカトリーンの様子は一見普通の少女と何ら変わらない。
「見えないところと、姿に現れないところをあちこちね、弄られているから。ほら、ここの貴族の資料を見たときに、動物の遺伝子を組み込んだ実験ってあったでしょ。あたしはあれなの。やーだ、そんな目で見ないでよ。結構重宝してるんですよ? この能力」
「だけど……」
本当に重宝しているだけなら、わざわざレジスタンスで活動などするわけがない。
「お前たち、無駄話はそこまでにしろ、行くぞ」
「あ、ああ」
しかし低く促すファウストの声に促され、更には場所柄のこともあり、その場でエミールがそれ以上聞くことはできなかった。
◆◆◆◆◆
「リーダーから連絡だ。向こうはすでに仕事に取り掛かっているらしいが、さすがに警備に気付かれそうになっているらしい。やるぞ」
B班の連絡を受け、彼らの補佐をするために身を隠していたA班の面々は動き始めた。
「屋敷の規模がでかいだけに、警備の数もこれまで押し入った家々とは比べ物にならないな。ボウフラ並みに湧き出てくると思うから、油断するなよ」
「はいはい」
「了解っすー」
「……わかりました」
「モーリツは後ろの方で、本当にやばくなった時だけ手を貸せ。ゾフィー、お前もだ」
「別にいいけれど、テオ、あなた一人でやる気? まぁ私は楽をしたいから、あなたが好んで苦労してくれるならいいけれど」
「苦労をするのは俺だけじゃないさ。坊主」
「……そうですね。兄さんを危険な目に遭わせるわけにはいきませんから」
言って、リューは懐から数本のナイフを取り出す。
「モーリツさん、ゾフィーさん」
「坊や? あなたまさか前衛に出るの?」
「リューちゃん、無茶したら駄目ですよ! いくらファウストでもそんな無体な命令は出さないはずですから! おいらたちの役目はこの無敵超人テオの補佐であって」
「御心配ありがとうございます。でも大丈夫ですから。お二人とも、このことを兄さんに言わないでいてくれるなら、存分に楽をさせて差し上げます」
「は?」
彼らがそんな話をしている間に、テオがわざと玄関の警備システムに引っかかってみせた。たちまち屋敷のあちこちから、訓練された警備員たちが湧き出てくる。後ろ暗い貴族の雇った警備だけに、前歴はともかくその実力は不必要なほどに優秀だ。ただのこそ泥程度ならこの屋敷は歯が立たないだろう。
しかしこちらはただのこそ泥などではない。
「ぎゃっ!」「ぐぇ!」「ぎぃ!」
「え?」
モーリツやゾフィーが呆気に取られている間に、すでにリューはナイフを放っていた。どういう技術なのか、持っていた二本が一振りで別方向の敵二人にそれぞれ命中したように見える。それを片手で二本ずつ、一気に四人に命中させたのだ。
そのままリューは駆け出し、倒れた四人の背後から更に現れた警備員へと向かっていった。相手がこちらに怯む暇すら与えずに、細い体ながら威力のある一撃で的確に相手を昏倒させている。二人の男を倒した次の瞬間、倒れかける男の肩を踏み台にしてまた奥の敵へと向かっていった。繰り出される蹴りも手刀も急所を捕らえている。
一方テオドシウスも負けてはいない。彼の実力はもとより組織中が知るところで、知力武力共に優れた、ファウストの右腕的存在だ。
テオドシウスの方は武器は使わず、ひたすら素手で相手をちぎっては投げ、ちぎっては投げしている。
「私の鞭は出る幕なさそーね」
「じゃあ後衛はお願いしやーす。おいらは本当に無力な単なる一般市民なんで」
「馬鹿言ってんじゃないわよ。ちゃんとリーダーからの連絡待ちながら周りを見張りなさいよね。撤収の合図はあんたが出すのよ」
「ひぇえ~」
この中で唯一戦闘力のまるでない普通の人間、モーリツはぶるぶると震えながらも頷くしかなかった。