顔のない男 03

13.終幕のベルが鳴り響く

「いいか。これで終わりじゃないぞ」
 普段は別のアジトに詰めている幹部も呼び寄せ、全員の前でファウストは号令をかける。場所はすでに平民街の中ほどのアジトだった。
「死ぬ気で戦え! だが死ぬな! ここで勝てば、明日からは俺たちの国が手に入る! それを見るためにも、死ぬな!」
「おおっ!」
「俺たちの人としての権利を取り戻すんだ!」
「国王なんかぶっ殺しちまえ!」
 荒くれどもをまとめあげ、ファウストは各部隊への通達をこの時点で徹底させる。クーデターも真剣だが、彼はまた彼個人の復讐計画を優先させるつもりがあるからだ。
 そのため、自分はクーデターの間、王宮に潜入するという名目でレジスタンスの前から姿を消すことになっている。トップが消えたくらいで動揺するほどやわな組織を作ったつもりはないし、現場を任せるテオドシウスは信頼できる人間だ。
 彼にとって自分が信頼できる人間ではなくとも。
「ファウスト」
 そのテオドシウスが、最終確認のためにやってきた。書類ではなく、必要なデータを全て打ち込んだ携帯端末を片手に、何度も打ち合わせたことを、更にここで確認する。後はもう王宮に突撃をかけるだけという段階だ。
「これで全てが決まるな」
「ああ。勝てば官軍、負ければ賊軍。とはいえ、どうせもともと人間扱いされていなかったんだ。今さら犯罪者扱いされたところでどうだという。せいぜい虫けらの意地を、高貴を気取る方々に見せつけてやれ」
 テオドシウスがふいに口元を緩める。
「これで正式にエミール殿下が国王になれば、俺たちの天下だな」
「それは」
「そしてお前は、国王を一番傍で支える宰相となる。そうしたらこの国の民は安泰だ」
 テオドシウスの言葉に、ファウストは思わず押し黙る。
「……ああ、そうだな」
 言いたいことはいくつも思い浮かんだが、結局言葉にはできない。テオドシウスはファウストの詳しい事情を知らない。アロイスもモーリツもカトリーンもゾフィーもそうだ。
 今日のファウストの仮面、変装用マスクは着脱が簡単なものにしてある。レジスタンスのリーダーがどこにでもいそうな凡庸な男では恰好がつかないから、二枚目のテオドシウスと並んでも見劣りしない程度の美形顔だ。だがこれはファウストの素顔ではない。
「どうした、ファウスト。顔色……はわからないが、表情が暗いな。緊張でもしているのか? さすがのお前でも。そういえばそのマスクのせいでついつい忘れがちになるが、お前はまだ十六歳だというもんな」
「誰が緊張など。俺の辞書にそんな言葉があると思うか? テオドシウス」
 髪の色も目の色も知らない。もとの顔など知らない。名前だって、普通人々が言うような本名とは違う。経歴は明かしていない。歳だって誤魔化しているかもしれない。テオドシウスたちにとって、ファウストとはそういう人物だ。
 なのに何故彼らはこんなにも自分を信じているのだろう。そう仕向けたくせに、今さらそんなことがどうしようもなく気になった。
「なぁ、テオドシウス、お前はどうして俺を信用するんだ? こんないつも仮面被って素顔を見せない不審人物を」
 テオドシウスは彼らしくもなくきょとんとした。普段は目つきが鋭くきつい顔立ちの彼も、そんな顔をすると存外幼い。ファウストのことを十七歳だと、幼いとからかう彼だってまだ二十歳なのだ。
「今更そんなことを聞くのか? そんなこと、俺たちがお前についていくと決めたときにはっきり言ったじゃないか」
 むしろそこであらゆる事情を有耶無耶にしてでもファウストについていけばいいと思わせるものがあったから、テオドシウスたちは今、ファウストと共にいるのだ。
「ファウスト、確かに俺は……俺たちはお前の《顔》を知らない。名前も本名かどうか疑わしいし、顔を知らないんだから実は年齢だって虚偽報告かもしれない。だけどな、俺たちはそれでもいいんだ」
 素性を明かさないファウストに関するこれまで抱えていた不信感からだろう、つらつらと自分たちのリーダーの不審なところを述べながら、けれどテオドシウスはそれで構わないとまとめた。
「お前は俺たちレジスタンスをここまで強くしてくれた。心許ない装備にも関わらずただ権力者への憎しみだけで特攻しようとした俺たちを止め、作戦を与え、武器の横流しルートを確保し、他の小さなグループと繋がりを作って正規軍に対抗できそうな戦力に育て上げた。お前がいなかったら俺たちはここまで来られなかった」
「俺の力は所詮借りものだ。俺のものではない」
 この能力は本来エミールのもの。機会がないから自分にそんな能力があるとは知らずエミールが眠らせている才能だ。
「借り物? ……お前は時々俺たちにわからないことを言うな。それがたぶん、お前の《顔》に関わっているということも俺たちはようやくわかってきた。だがファウスト、その力を俺たちに貸してくれると決めたのは、他でもないお前だろう」
 テオドシウスはファウストの仮面の向こうの瞳をまっすぐに見つめる。
「俺たちが何故お前についていくのか。その答は最初からただ一つ。お前がお前だからだ。ファウスト」
「……そうか」
 それを聞いてファウストは一瞬だけ目を閉じる。
「開始の号令を、リーダー」
「ああ」
 時間を確認したテオドシウスに促され、ファウストは一つ息を吸い込む。各部隊長の前で、拡声器に向けて声を張り上げた。
「作戦開始!」

 ◆◆◆◆◆

 各部隊は王宮の警備の隙を見計らい、次々に一斉襲撃のための配置に着く。クーデターを起こすからには、こそ泥のように忍びこめばいいというわけではないのだ。せいぜい派手に、王宮が貧民街のレジスタンスに占拠される様を演出しなければならない。
「放送の用意はいいな。機材の準備は!」
「第四部隊に一人怪我人がいるそうです。どうしますか?」
「万全を期すならそいつは今回は下がらせておけ、代わりの人員の手配を頼む」
「幹部の言うことは絶対だ、従えよ! それが命取りになることもあるんだからな!」
 潜めた声が熱を帯びた指示を交わす中、エミールとリューは各部隊の人間からは直接姿が見えないような位置に控えさせられていた。
「ねぇ、兄さん」
「リュー?」
「変だと思わない?」
 いきなり「弟」にそう言われたエミールは、何がとも答えられない。変なことならここ数日のファウストとのやりとりもぎくしゃくしたままだし、エミール自身の気の落ち込みようも明らからしく昨日も何があったのか聞かれたばかりだ。メフィストは全てを知っているがリューにはほとんど何も伝えていない。彼がこの場でどんな異質を感じ取ったかエミールにはわからなかった。
「どうして、ファウストは兄さんを表に出さないんだろう」
「え?」
「だってあいつは、兄さんをレジスタンスの旗印にしたいって言っていたじゃないか。だとしたらあいつに必要な言葉を言わせる台本でもなんでも用意して兄さんにみんなの前で喋らせるとかするはずだよ。そうでなくちゃ、クーデター成功後にいきなり兄さんを玉座につけたところで意味がない。なのになんで、あの男はそうしないの?」
 リューは十分な教育を受けた人間ではないが、年の割には頭が回る。ファウストやテオドシウスがアジトに積んでいる書類の中身が読めないために細かいことは知らないリューだが、それでもこの事態への違和感というものは確実に感じ取っていた。
「それなのに王宮に真っ先に潜入する役目だなんて、あいつは兄さんに何をさせたいんだ?」
 リューの言葉を聞いて、エミールの頭には「復讐」の二文字が浮かんだ。ファウストはエミールを本気で王として立てるつもりがあるというよりも、クーデターに第一王子の存在を利用したいだけだ。だからエミールがレジスタンスの心を惹きつけることができるかどうかなど、どうでもいいに違いない。
 テオドシウスやカトリーンといった極一部の人間はエミールの人間性を信じている。だが、いくら幹部とは言え彼らは組織の中では爪の先にも満たないほんの一部の人間にしか過ぎない。
「これじゃまるで……」
 不穏なものを覚え眉を曇らせるリューに、エミールは慌てて言った。
「いいんだよ、リュー」
「兄さん」
「ファウストのことだ、きっと何か策があるんだよ。スラムの人たちの反発がきつすぎて初めに告げたらやる気を失くしてしまう、とか」
「そうかな? でも第一王子を立てることを隠しておいたら後でもっと反発が強くなる気がするけど」
「間に合わなかったのかもしれないよ? め、メフィストが昨日、これから冬になれば貧民街の人々の暮らしはよりきつくなるからクーデターどころじゃなくなるって、そういう時間制限が」
「そうかなぁ……」
 半信半疑ながらも、リューは引き下がった。ファウストがエミールを最終的に殺すつもりだということは、憎悪を明かされたエミール自身ですら知らない。彼が自分を殺そうと思っているなどとは、人が好いと言えばいいが、悪く言えば単純なエミールには思いつかない。もしもそのことをエミール自身が知っていれば、リューも兄の動揺から事前にその状況を知ることができただろう。
 だが彼は知らなかった。何一つ知らず。ただエミールを信じることしかできない。彼自身にも後ろめたい過去はあるのだ。
 それにファウストのことだって、リューとしては確かにいけ好かないが、本当の意味で悪い人間だとも思えない。
 だからこそ、リューは何も言わない。言えない。
「リュー」
 そんな《弟》を、エミールは抱きしめる。
「に、兄さん?」
 もう少しで作戦が始まり、自分たちも動かねばならないというこんな時に何かとリューは目を丸くする。
 少年の肩に顔を埋めたエミールは、そんなことおかまいなしだった。
「私と一緒にいてくれ」
「でも作戦の間は、途中で別行動」
「ずっと私と一緒に生きると約束してくれ」
 リューを抱くエミールの腕に力が籠もる。これから血の繋がった家族を殺しに行く男は、血の繋がらない家族に縋った。
「兄さん……?」
「私はお前だけいればいい。お前さえいれば、それでいいんだ。例えどんな事態が、これから先待ち受けているとしても」
 《兄》の様子に常とは違うものを感じ、しかしその理由のわからないリューはただ思うがままに頷いた。
「うん……僕は、いるよ。ずっと兄さんと一緒に。僕だけは」
 もとより離れるつもりなどない。本当の弟ではない彼とエミールを繋ぐものは、ただお互いの愛情だけなのだから。それを見失わないために、ずっとずっと傍にいる。
「行くぞ、殿下、坊……何をやってんだお前ら?」
 やってきたファウストが、繰り広げられていた光景に先程のリューのように目を丸くした。いくら他に人が来ないよう言いつけていた場所だからと言ってこれはないだろう。
「なんでもないんだ。行こうかファウスト」
 ほんの数瞬、ファウストは本当にこの二人を連れていっていいものかと迷った。だが置いていくという選択肢はもとからありえない。
「ああ」
 エミール自身が渡りをつけた潜入経路より、外の部隊より一足先に三人は王宮の中へ潜入する。

 ◆◆◆◆◆

 王宮の内部は煌びやかの一言に尽きた。
 掃除も料理も、その気になれば全て機械で済ませるだけの経済力ならば王家にはある。しかしインスタント料理ばかり食べている国王というのはいないだろうし、召使いの一人もいない権力者は迫力と威厳に欠ける。
 そのため、各国の王宮には権力者の権威付けのための使用人が多く置かれるのが通例だった。クルデガルドも例外ではなく、城の中には本来たくさんの使用人がいる。
 権威付け、格付けという理由は使用人だけではなく、王宮内部の装飾にも反映されていた。エレベーターが各階に設置され、全室空調完備されているような近代的な建物だが、その装飾は中世の宮殿を模したような豪華なものだった。
 とはいえ、今彼らがいるのはそんな絢爛豪華さとは無縁の場所である。
「坊や、王宮の見取り図は頭に叩き込んであるな?」
「……ああ」
 王宮内部にて、ファウストはリューに対し最後の確認をとった。使用人たちの使う倉庫は、今は照明も落とされ暗く、仕舞われているものは祭事用の装飾だけに人が来る気配もない。
 複製を作ることを許さなかったファウストだが、たった一枚のその見取り図を特に入念に覚えこませた相手はリューだった。もっともファウスト自身とここで生まれ育ったエミールは覚えるまでもなく頭に入っている。
「なら、お前はここから、王宮の研究棟に向かえ」
「了解」
 華奢な体に見合わぬ重装備を背負わされたリューは頷いた。彼の役目は、王宮で行われている忌まわしい人体実験の現場を爆弾で跡形もなく吹き飛ばすことである。
「リューに人殺しなんて……」
「だったらあんたが行くか殿下? 自分の親父と弟を撃つ役目をこの坊やに任せて。お互い自分の最も撃ちたくない相手を撃つ辛い役目を相手に任せて、互いの傷を舐め合うか?」
 ファウストの言う言葉は厳しいが正論だ。レジスタンスに入ったその時から、どんな形であれ、いずれ人殺しに手を染めることはわかりきっていたはずである。今さら偽善者面は許されない。そして貧民を虐げ金も命も何もかもを搾取するこの国の体制を許しておくこともまた、人殺しに加担するのと同じだ。どちらでも同じならば、人殺しの先に、今苦しんでいる人たちの未来がある方を選びたい。
 そのためには、研究棟の爆破は必要なことなのだという。
 それに圧政を強いる国王とその権力を借りてやりたい放題している弟王子、王妃を止めるのは家族であるエミールの義務だと言えなくもない。
「文句はないな、殿下。じゃあ行け、坊や」
「行きますけど、ちょっといいですか? ファウスト」
 送り出すよりは追い払うような仕草をしたファウストの耳元に、リューは唇を寄せる。エミールに聞こえないよう、小さく囁いた。
「信じています」
「……」
「僕はあなたのことは嫌いですけれど、でも、信じています。兄さんを危ない目に合わせたりしないでくださいね」
 ファウストは答えない。
 リューはそんなファウストを全てを見通したような眼で見つめている。自分の放った言葉に応えが返らないことにも不安がるでもなく、仕方がないなというような顔をして今度はエミールに笑顔を向けた。
「行ってきます、兄さん」
「行ってらっしゃい、リュー」
 リューとエミールたちはそこで別れた。少年の後ろ姿を一瞬だけ見送ると、ファウストはすぐにエミールの腕を掴んで歩きだす。
「どこへ?」
「すぐにわかる」