第4章 顔のない男 Ⅱ
15.王弟と暗殺者
「残念だよ、リューディガー。お前は私の最高のコレクションだったのに」
何が起こったのかわからない。
わからないのに、リューの体の傷口からは血が流れる。銃が手から落ちた。この時代の銃は暴発などしないが、唯一の武器を手放してしまうことになる。それどころか体自体、床に崩れ落ちた。
状況のわかっていないリューの耳に、ゲオルグの淡々とした説明の言葉だけが響く。
「あの時路地裏で拾った、薄汚い子ども。磨けば光ると思い、思いがけず可愛い顔立ちだったから世話をしてやったのに、逃げ出すなんて」
弟であるというだけで王位を継げないことを不満に思っていたゲオルグは、憂さ晴らしにわざわざ貧民街まで出かけて行っては「遊ぶ」ことが多かった。宮殿で美しい娼婦に相手をさせるよりも、貧民街のちょっと可愛らしい顔立ちの子どもを好きなだけ殴り泣かせ、最後には犯し殺すのが趣味という、穏やかな顔には似合わず異常な性癖の持ち主だった。
「この部屋には銃器の熱に反応して発射されるレーザーが仕込まれている。貴重なサンプルを賊などに荒らされないための対策らしいよ。いくら改造人間であるお前でも、組織そのものを破壊して傷口が塞がらないようにするというこの兵器の前では無力なものだな。そして宮殿内のあらゆる場所には監視カメラが設置されている」
宮殿内に監視カメラがあることは知っていたが、エミールの話でも彼が渡りをつけた協力者の話でもその映像が送られるのは警備室であり、そこを押さえれば問題ないという話だった。ファウストたち三人は先頭切って忍び込むと共に、後の部隊には王宮に押し入ったらまず警備室を抑えるよう通達していた。
まさか王弟が暇つぶし程度の感覚で監視カメラの映像をチェックしているなどとはいくらファウストでも思わないだろう。しかしゲオルグが取り出したのは、専用のモニターではなく明らかに特注で作らせたのだろう、大人の手のひらサイズの薄い携帯端末だった。彼の指が滑らかに動くたびに画面が切り替わる。
「私を裏切るとはいい度胸だね。リューディガー。お前と一緒にいた二人のうち一人、銀髪の少年は、間違いなくエミールだった。一応穏便に説得できればと思ったんだけれど、やはり無駄だったようだね」
そんな言葉を聞くうちにも、リューの意識は遠のきそうになる。
「やはり犬なんて、信用するものではないね。私の依頼が完遂できないのであれば、せめて死んでいれば可愛げがあったものを」
勝手なことを口にして、ゲオルグは血まみれのリューをそのままにして歩み去る。
「待て……!」
掠れた声で制止をかけようとしたもののかなわず、リューの意識はそのまま闇に落ちた。
◆◆◆◆◆
「ファウスト、王弟閣下がこちらへと向かってくる」
「何?」
突然飛び出して行ったエミールを追ったものかどうかと迷うファウストを引き留めたのは、ヨハンのそんな言葉だった。
「って、エミールと!」
「鉢合わせはしないみたいだね。今殿下が通った道と閣下の選んだ道は交わらない。このまま別の通路でうまくすれ違うよ」
「そ、そうか……」
目に見えて安堵した表情のファウストにヨハンが意味ありげな視線を向ける。しかしファウスト今はそれどころではなく、気づけない。
「どうやら君に用事があるようだね。たぶん王弟閣下は兄国王を快く思ってはいないから、君たちレジスタンスと手を結びたいのだと思う。以前もそんなことを口にしていたしね」
「この部屋では乱闘するには狭いな」
「だったらホールにでも」
「貴様に指図される言われはない。覚えておけ、お前もいずれ殺す」
ヨハンの発言をばっさり切り捨てながら、しかし実際他に選択肢もなく、ファウストは一人、この場から一番近いホールへと向かった。
◆◆◆◆◆
「第四部隊は!?」
「突破されました!」
「第九部隊、代わりに穴を埋めろ!」
「副リーダー! 向こうに歴戦の将軍と名乗る者が!」
「名前だけの雑魚なら捨ておけ! そうでないなら」
「周辺の隊員が軒並みなぎ倒されています!」
「ちっ!」
救援の要請を受け、テオドシウスは王国軍の猛者たちを一人で片づけに向かった。周囲も彼を改造人間だと知っているので、迂闊な手だしはしない。
「テオ!」
「なんだ?」
将軍とやらを片づけたテオドシウスの元に、複数部隊をとりまとめる監督官の一人だったゾフィーがやってくる。
「南門は突破したわ! あとは東と西のそれぞれよ!」
「よし、よくやった! 怪我人は下げて手当てを。動ける者はまず東門の破りに回してくれ」
「了解!」
頷いたゾフィーが指示を出しに元の持ち場に戻っていく。すんなりとは行かないが、綿密な計画を練ってきただけあってレジスタンスは正規軍の近衛兵たちを押しつつある。それでも戦いが長引き、隣国との境界線を睨んでいる正規軍の北方警備隊の半数でもこちらへ向けられればひとたまりもない。なんとかこの数日中に決着をつけねばならない。
鍵は真っ先に王宮へと潜入したファウストたちが握っている。彼らが王族を殺害し、この国の利権をエミールが握る宣言を出せばこれ以上の内乱は国力を疲弊させるだけ無意味と軍や平民を納得させ、戦いを止めることもできる。
「頼んだぞ、ファウスト、エミール殿下」
テオドシウスが小さく口に出したその時だった。
王宮の一画で激しい爆発音が上がり、炎が噴き出すのがテオドシウスたちの部隊にも見えた。
「研究室の爆破だ! やったなリュー!」
爆発が思ったより大きいのが予想外だったが、それでもあの場所であがる黒煙はファウストからの合図だと聞かされている。その役割を任されているのがリューだと知ってもいるテオドシウスは、成したのがかの少年だと疑わずにその名を呼んだ。
動揺する王宮警備の近衛兵たちと、士気を増すレジスタンスの者たち。ここぞとばかりに、テオドシウスが声を張り上げる。
「勝利は目前だ! ぶちかましてやれ!!」